36. シーラの選択
好きって気持ちはどうやって伝えるものなのだろうか。
シーラはセラハナの木の下で手鏡を出し、少し乱れた髪の毛を整えた。
ベージュの髪に栗色の目。平凡な顔立ち。
改めてどこがいいのかと首を捻る。
「好き……です」
口に出した言葉に耳からボンッと湯気が出た。
鏡を見れば真っ赤になった自分が見返している。
世のお嬢さん方を片っ端から褒めて回りたい。こんな心臓に悪い言葉を相手に伝えるなんて。武士だ。心が武士に違いない! 切腹! 芸者!
思わず聞きかじった事のある異国の文化を頭の中で叫ぶ。
「ナタナエル様……」
ぽつりと呟き、鏡の中をもう一度覗きこむ。
真剣な顔をつくり、もう一言。
「私は、あなたが好きです」
うわー、となってそのまま仰向けにそっくり返る。
そうして下からしげしげとセラハナの木を見上げ、頬の熱を冷ます努力をした。
そう言えばこの木の色合いはラフィムに似ているなと思っていたら、突然に金眼のナタナエルがシーラを見下ろしてきた。
「……え」
「僕に愛の言葉を吐いた後に他の男の事を考えるなんて、いい度胸してるよね」
シーラに跨り見下ろした状態で、ナタナエルは無表情に呟いた。
「ええええ?!」
ぎょっと上半身を起こし、必死に身を捩った。
「ちょっ! やめてくれません? 人間なんですよね? どっから湧いてきたんですか?」
「何で逃げようとしてるのさ。君に呼ばれて来たのに」
ジタバタと動かす身体を押さえつけ、ナタナエルはシーラをじっと見つめた。
「ど、どこから来たのです」
セラハナの木の礼拝場所はどん詰まりだ。ここに来た時誰もいなかった筈なのに。
その台詞にナタナエルはちょいと手鏡を指差した。
「そこから来た」
「人外!」
「だからそうだってば」
今更何を言ってるんだと、馬鹿な子を窘めるようにナタナエルは零した。
「僕の名を呼んで告白したでしょう」
そして嬉しそうに頬を染め、シーラを間近で覗き込む。
「はぐっ」
……聞かれていたのか。シーラは白目を剥きそうになる。
「なのに他の男の事を考えているなんて、随分酷い事をするんだね」
「……」
すい、と細まる眼差しにシーラはむっと頬を膨らませた。
どうせナタナエルは知らないのだ。
アンティナが自分にしょっちゅう結婚しないのか、好きな相手はいないのかたと聞いていた事を。……その度にナタナエルの顔が浮かんでいた事も。
シーラは頭を振り払う思いでラフィムに目を向けた。
いいな、と思ったから。
実はそうやって自分の気持ちを誤魔化してきていた事も、教えてあげないけれど。
シーラは、ふいと視線を逸らした。
けれど、ナタナエルは楽しそうに目を細めて続ける。
「僕たちは魔力で繋がっているからね。お互いの干渉を許せばこうやってすぐに会いにこれるよ。僕に魔力はもう無いけど、これくらいなら何でもないからね」
魔族のこれくらいって、人間のどれくらいなんでしょうか。よく分からないんですが……
……ん? 魔力が繋がってるって何?
シーラの胸を飾る首飾りがキラリと光った。
「知ってたよ、シーラ」
その言葉にばっと顔を上げるシーラの手首を掴み、ナタナエルはいたずらが成功した子どものような顔をした。
「ねえ、シーラ。それよりさ、もう一回聞きたいな」
するりと頬を撫でられて、身体がびくりと跳ねた。
「な、な、な、に、を」
「……まあ色々だけれど。……僕はシーラの望みを叶える為にこの時間に飛んだんだよ」
その言葉にシーラははっと息を飲んだ。
「君を手に入れるだけなら、あの場にいた人買いを殺して奪えば事足りた。だけどそうしなかったのは、君が口にしていたあの言葉を守りたいと思ったからだ」
「……」
シーラの願い。
あの時間軸、この場にも訪れて、毎日のように捧げていた祈り。
────日常が平和でありますように
それは毎日の、シーラの小さな世界の中での……ささやかな願い。
「だから僕の願いも叶えて欲しいなあ。僕は君にしか望めないんだから、その代わり君が在る限り、僕は君の願いを叶え続けると誓うよ」
キラキラ光る金色の瞳は綺麗だけど、吸い込まれそうで。
ああ、これがそうなのかとシーラは得心した。
きっとこれが魔に魅入られるという事なのだ。
ナタナエルの頬に手を伸ばし、シーラはそっとナタナエルに口付けた。
ナタナエルが壊した世界で、シーラは生きたくないと思った。
あの世界で壊れていったモノたちを想う。だからきっと、この選択は間違いでは無いのだ────と。
◇ ◇ ◇
「そう言えばナタナエルの目が時々金色になるのはどうして?」
「ああ、シーラとの子どもを望む時に変わるみたいなんだよね」
「……」
勇者は逃げ出した。
……しかし回り込まれてしまった。




