34. 二人の幸せ
「お子様よねえ」
苦笑しながら王妃が口を開いた。
「とても長く生きた魔族とは思えないでしょう?」
そして、ふっと息を吐いた。
「それだけあなたを好きなのよ」
困ったように笑う王妃は、ただのお節介な母親に見えた。
シーラは視線を彷徨わせた後、おずおずと口を開いた。
「私も……ナタナエル殿下の事……好きです」
その言葉に王妃は飲みかけのお茶を素早くソーサーに戻し、シーラの肩を掴んだ。
「それはっ、是非っとも、本人に伝えてあげて!」
固まるシーラから手を離し、王妃はふうと息を吐いた。
「本当にうちの子達は皆一途で、一体誰に似たのやら……」
お二人に似たのだと思います。シーラはこっそりと思う。
すると王妃は思い出したように、どこか言いにくそうに口を開いた。
「その……あなたたちが、度々ナタナエルの寝所で長く過ごしていると言うのは本当かしら?」
「え?」
シーラは目を見開いた。
「あなたがいつも出てくる時は疲れてきっている様子でと聞いていて……あとは、よく服を脱がせているようだとか……あの子はまだ15歳だからと、まだ子ども扱いしていたんだけど……」
どうなのかしら? と、困ったように問う王妃にシーラは全力で否定した。
王妃は、ほっと息を吐く。
「良かったわ。うちの人もね、婚前交渉なんてしたら、わたくしと結婚出来ないのよって、説得するのが大変だったのよ。バレないようにするとか言って……全く、あの年頃の男子は直ぐ暴走するから、今からしっかり手綱を握っておきなさいね」
何故か止めを刺された気分になる。
シーラは視線を逸らし、かろうじて、はいと返事をするのがやっとだった。
◇ ◇ ◇
庭を散策しようと表に出れば、そこにパブロとエデリーの姿を見つけ、ナタナエルは足を止めた。
人の気配に振り向いたエデリーと目が合い、ナタナエルは些か気まずい思いで口元を引き結ぶ。
エデリーの視線を追い、パブロもまたナタナエルへと目を向ける。そしてその顔が憎悪に歪んだ。
「こんにちは、兄上、義姉上」
臣下に降る事になったとは言え、パブロは国の王太子だった。毎日の公務は文官たちに簡単に投げられるものでもなく、新たにオフィールオが立太子するまで、彼は未だ公務についている。今はその多忙な業務の合間を縫った、ひと時の逢瀬なのだろう。
そんなナタナエルの心情を知ってか知らずか、エデリーはふわりと笑った。
「ナタナエル殿下、ごきげんよう。また背が伸びました?」
ナタナエルは一つ頷いて答えた。
「義姉上こそ益々美しさに磨きがかかりましたね。眩しさに目が眩んでしまいます。庭に出て真っ先に、どの花よりもあなたの美しさに目が留まりましたから」
「まあ、お上手になった事」
口元を扇子で隠し、エデリーはくすくすと笑った。
ねえ、とパブロに手を添え見上げるエデリーに倣い、パブロに視線を向ければ、ふいと顔を背けられてしまった。
まあしょうがないかとナタナエルは思う。
この兄に、「自分の防波堤となり、王族を色で支配しようとするクソ狸どもの餌となれ」と脅したのはナタナエルだ。
シーラと出会ってから、他の女に触れたく無かったから。
それにどの道ブリーレにパブロの子が宿る事は変えられない未来だった。
共に過去に訪れた魔族に未来視をする者がいた。
ブリーレは強かというか、執念深いというか、いくつかある未来の別れ道の、そのどれにでもパブロの子を手に入れる未来が表れていたらしい。
そしてパブロはエデリーの愛を失うのだ。
ナタナエルの未来にもまた、貴族の女に襲われる未来があった為、兄を利用させて貰う事にした。自分をダシにすればいいのだと。
ほんの一欠片の油断で、この先の未来が確立されているのだ。ならば弟を守る為だと、女を受け入れればいい。そうすればきっとエデリーはあなたの話を聞き、受け入れてくれるでしょう、と。
兄もまた、エデリー以外に触れたく無いのは分かっていた。けれど、
「たった一度の過ちで全てを失うのと、必要悪を受け入れた先に唯一を手にするのと……どちらを選びますか? 兄上」
怪しく煌めくナタナエルの金色の瞳に、パブロは苦悶に顔を歪め、後者を選んだのだ。
まあ恨んで当然だ。自分だって究極の選択だと思う。
ただ、エデリーが応えてくれた事だけは、些か運任せなところはあったのだが。今となってはもう考える必要は無いだろう。
「これ以上お二人の逢瀬を邪魔しては、馬に蹴られてしまいますね。僕はこれで失礼します」
「あ、待って」
立ち去ろうとするナタナエルにエデリーが声を掛ける。
困ったように眉を下げ、パブロを見上げてから、再びナタナエルに目を合わせた。
「ナタナエル殿下。わたくし、あなたに感謝しておりますのよ」
その言葉にナタナエルは息を飲む。
「わたくしが他国へ縁付いたという未来、教えて頂きましたの」
エデリーはそう言って睫毛を伏せた。
口の軽い。
ナタナエルはパブロをジロリと見た。まあ、未来視の話など胡散臭いもの、信じる輩などそうそういないだろうが。よっぽどエデリーを手放したく無かったのだろう。
何から何までエデリーエデリーで国王まで説得し、こんな話まで聞かせたのだから。
……どことなく覚えがあるのはきっと気のせいだと思う。
そう言えば国王も王妃王妃とうるさいので、似た者親子なのだろう。違いないと得心していると、エデリーが話を続ける。
「それでわたくし、きっとそこで幸せでは無かったと思いましたの」
「……」
ナタナエルは知らない。違う時間軸でエデリーが嫁いだという国にも訪れたとは思うが、彼女の事なんて会ったかどうかも覚えていない。
「だから今にとても満足していますの。だってわたくしも、ずっとパブロしか見えていなかったから」
そう言って幸せそうにはにかむエデリーに、パブロは堪らないと言った風に口付けを落とした。
そんなパブロの頬にエデリーはそっと手を添える。
「ね、だからナタナエル殿下を許してあげてね。それとも、わたくしがあなたを許すと言っているのに、あなたにはまだ許しが必要なの?」
そう言われパブロは眉を下げた。
「私の唯一は君だけだよ」
「じゃあ兄弟喧嘩は程々にしてね」
そう言ってエデリーから口付ければ、パブロは蕩けるように笑み崩れた。
「ああ、私の女神。勿論君の望むままに」
目の前でいちゃこらしている兄たちに胸焼けを覚え、ナタナエルはさっさと踵を返した。
シーラに会いたい。
まだ母から解放されないのだろうか。




