33. シーラの想い
シーラは王妃の居室に招かれていた。
目覚めたあの日、オフィールオと入れ替わりに王妃が部屋へ訪ねてきた。
シーラは今度こそ飛び上が────ろうとしたが、ナタナエルにがっしりと抱え込まれて動けない。じたばたとナタナエルに大事に抱えられるシーラを見て、王妃はふふふと少女のような笑みを溢した。
「ナタナエル、シーラを離しなさい。まだあなたのものでは無いでしょう?」
その言葉にナタナエルは王妃をじろりと睨む。
「愛する人を困らせるんじゃありません」
王妃はナタナエルに、めっと言うような顔を作り、渋るナタナエルからシーラを離した。
「シーラ、お話があるから明日わたくしの部屋にいらっしゃい。お昼過ぎに迎えをよこします。侍女頭には伝えておきますから」
シーラはこくこくと首肯し、こんな態度の不敬を一心に詫びた。
◇ ◇ ◇
「シーラ、ナタナエルが魔族の王の魂を持って産まれた事。もう知っているかしら?」
王妃の侍女に丁寧に淹れられたお茶が、温かな湯気と香りを放っている。王妃の居室は水色を基調にした、落ちついた優しげな雰囲気の部屋だった。可愛い小物たちが多く陳列されている事から、王妃は小物好きなのかもしれない。
そんな思考をぶち破る発言が王妃から飛び出し、シーラは目を剥いた。
幸いというか、侍女たちは先程王妃に隣室で待機するように命じられていた為、室内にはいないのだが。
「なっ、は、……え?」
「あなたも未来────と過去を、見てきたのでしょう?」
「……」
シーラは息を呑んだ。
退廃した国。赤子に身を宿すナタナエル。
確かにそんな夢を見た。夢なのに忘れられない記憶。
「わたくしはナタナエルが王に見せたという、この国が滅ぶという未来は見ていないの。ただ、過去に異形がナタナエルに命を吹き込んだ事だけは確かだわ」
そう言って王妃は儚げに睫毛を落とした。
「誤解しないで頂戴ね。あの子は確かにわたくしの子だわ。ちゃんと愛情を持って育ててきた。もしあの子が不祥事を起こしすのなら、あの子と共に命を断つ覚悟も持ってこれまで生きてきた。けれど、それは他の子たちも同じ事。親が負える過失であるならば、わたくしはあの子たちの誰とでも罪を共にするつもりでした」
シーラは眉を下げた。
親子。親である事。
もしあの時王妃がナタナエルを諦めていたら、歴史はまた繰り返したのだろうか。そうであるなら、王妃の母性が国を救ったとも言える。
けれどそれは魔族が入り込んだ国。王妃は未来を見ていない。だからこそナタナエルの一挙手一投足に気を配り、或いは罪悪感を抱えて生きてきたのかもしれない。
「……ねえ、あなた……ナタナエルの事が、好き? あの子を愛せる?」
続く王妃の言葉にシーラははっと息を呑んだ。
「あの子ね、あなたに会って直ぐに告白して振られたでしょう? 落ち込んで、上手くいかなかった事に怒って、振り向かないあなたにずっと八つ当たりしてた」
「……」
虫を服の中に入れたり、ブスブス言ってきたり、頭突きしてきたり、噛み付いてきた事を言っているんだろうか。
12歳の時、9歳のナタナエルに会ったのが出会い。
懐かれているなと少しだけ自惚れていたら、真っ直ぐな眼差しで、好きだと告げられ結婚を申し込まれた。
軽く笑って冗談にしてしまえるような想いだと感じられなかったから、丁寧に断った。
王族なのだ。明るい未来が沢山ある。こんなところで遊び相手の侍女にうつつを抜かしている暇は無い。
けれど彼の目は失望に満ちていて。
泣きそうに歪めた顔を俯けてとぼとぼと帰る姿に、罪悪感で苛まれた。それでもすぐに忘れると思ったのだ。一時の気の迷いだと、もっと素敵な令嬢との出会いによって。
ナタナエルはシーラと一定の距離感を持つようになった。それなのに、もう遊び相手などいらないと遠ざける事はしなかった。
じろりと睨む視線。力の限り握り込んでくる手。
彼はその時々にシーラの様子を伺うように、それでいて問うような眼差しで。
けれどそう見えたのは気のせいだと黙殺してきた。
────ねえシーラ。まだ駄目なの?
彼はずっとずっと諦めなかった。
何故かシーラはそう思っていた。例えそれが間違いであっても、一瞬でも気を抜き、勘違いされるような……そんな振り向き方は決してしないように努めてきた。
なのにあの時、ナタナエルが自分を庇い刺された時、シーラは全てを失ったような虚無感を覚えたのだ。
嫌だ、駄目だ、無理だと思った。
自分の為に命を落として欲しくない。
彼は王族で、尊い人で、幼馴染で、大事な、大好きな……
口付けて下さいとラフィムに言われた時、シーラは驚いた。そうしたいと思っていたから。彼が死ぬなら私も死ななければならないとも。
祈りを込めて落とした口付けには、命の復活以上に望んだもの。あなたが好き。だから私も一瞬に連れて行って────
そしてシーラの意識は未来に飛んだのだ。




