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31. 末路


 そこは静かな部屋だった。

 王族であり、聖女であるリュフィリエナには少しばかり物寂しいが、それでも貴人用のそこは、綺麗に整えられていた。

 

 時刻は深夜。

 バタバタとしたやりとりが続き、リュフィリエナが落ち着いたのはつい先程だった。

 一人になりやっとゆっくりと思考を巡らせる事が出来る。


 そっとため息を吐く。

 信仰の薄い国だとは聞いていたが、聖女である自分にこんな不遇を強いるとは……

 この国は大丈夫だろうか。

 果たしてどれ程の人間に魔を祓う儀式を行う事になるのだろう。

 父は、メシェル国は、この国へ手を差し伸べてあげるのだろうか。


 リュフィリエナはこの国へ加護を与える為に来た。

 国交間では、ただの善意のやりとりが難しいのだそうで、婚姻を請われたのだ。常に国の為に祈りを捧げ、隣国まで憂う慈悲深い大司教の言葉に耳を傾けた。

 大司教は多くの聖女が精霊の意思として、その天啓を受けたと話してくれた。それならば……


 リュフィリエナは聖女なのだから。

 常に清く正しくあらねばならない。

 そして王女なのだから、民を導く必要がある。

 精霊に従い、隣国を正さねば。


 ルデル国に向かう途中、ロイツから弟と婚姻して欲しい旨の話を聞いた時も、リュフィリエナは首肯しただけだった。

 もしそれが間違いならば、精霊が正してくれるから。

 

 だから驚いたのだ。

 美しい青い瞳の黒髪の貴公子に。目を奪われた自分に。

 彼と並び立ち、この国で聖女として、王族として生きる。


 嬉しくなった。

 今まで聖女として国に報いてきた自分への、精霊からの祝福ではなかろうか。

 ナタナエルはリュフィリエナから目を背け、侍女などに目を奪われているが、きっとそれを克服し、幸せを掴めと。

 精霊からの思し召しなのだ。


 

 けれど……


 今の自分の状況を見てまたため息が出る。

 前途多難だ。

 言葉が通じない者への説得がこれほど難解だとは思わなかった。


「ナタナエル様……」


 聞くところによると、彼は助かったらしい。

 思わず口元が綻ぶ。


 それでも願わずにいられない。

 彼にはまだ試練がある。


 彼が聖火に十二時間焼かれようとも耐えられる事を。

 聖水に沈めた三日後にも息をしている事を。


 そして二人でこの城内にいる正邪を見極める為、聖剣を振るい、魔を祓うのだ。




 そこでふと背後に人の気配を感じ、リュフィリエナは振り返った。

 そこにいる者に満面の笑みを浮かべる。


「ああ、待っておりました。必ず来てくださると」


 リュフィリエナのその言葉に、彼女と対峙した者は僅かに目を細めた。



 ◇ ◇ ◇



「精霊様」


 膝をつき頭を垂れる。

 美しい青年に。


 彼は以前にもリュフィリエナの元に訪れた精霊だ。

 祝福を授けリュフィリエナを聖女にした。


「精霊様、わたくしはどうしたら良いのでしょう」


 静かな気配の中、精霊が口を開いた。


「……どうとは」


 何の感情もこもらない音の返事。

 リュフィリエナは己の考えを口にした。


「この国の者を救う為にわたくしが出来る事は何でしょう。

魔を祓う為の力が欲しいのです」


 精霊は静かに口にした。


「それは何故」


「わたくしが聖女だからです。聖女は人の為にあらねばなりません」


 その言葉に精霊は、ふっと口元を綻ばせた。


「違うよ」


「え?」


 リュフィリエナは思わず顔を上げる。

 精霊は変わらず静かな眼差しでリュフィリエナを見ている。


「聖女とは私と彼の愛の証だ」


 その言葉にリュフィリエナは目を丸くする。


「別に君一人が行ってきた事では無いし、私は人間の行いに興味はないけれど……聖女を娼婦扱いしてきた事は気に入らないと思っているんだ。どれもいらないと思うくらいには」


 リュフィリエナは言葉が出なかった。

 娼婦とは、先程もナタナエルが口にしていた言葉だ。

 品の無い言葉だが、聖女の加護が増える事の何が悪いのか。


「嫌がる娘を無理矢理聖女にしたてあげた事もあったね」


 その言葉にリュフィリエナは精霊に毅然と向き直る。


「精霊の加護を否定し、使命から逃げるなど許される事ではありません!」


 精霊の訪れがあった娘に、貴人が祝福を求めたのだ。

 聖女がそれを拒むなど……


「君が嫌がった相手だったろう」


 けれど遠慮なく切り込むその言葉に、リュフィリエナは僅かに身を強張らせた。


「君は相手を選べるのに、その娘は許されず、頭を押さえつけられ、引きずられていった」


「わ、わたくしは……」


 嫌だとは言っていない。

 ただ……受け入れ難いと、そう漏らしただけだ。

 それを教会が、大司教が精霊に問いかけ、リュフィリエナの意思を汲んでくれて……それはリュフィリエナが、一番精霊に愛されているからで……

 

「君はその娘の為になる事をしたのかい? 他者を犠牲にする事が君の言う、人の為になる事?」


「ち、違……聖女は、聖女が……っ」


「君は人の痛みを憂う事を好んでいたようだけれど、自ら傷を負いに行った事は無かったね」


 リュフィリエナは困惑に瞳を揺らす。

 精霊の加護を受ける自分が痛みを受けるなどありえない。


「リュフィリエナ王女。私から君に祝福をあげよう」


 その言葉にリュフィリエナははっと息を飲み、再び首を垂れた。


「慈悲深き精霊様。迷える我が身にその恩恵を享受できる事、感謝致します」


 精霊は静かにリュフィリエナに近づき、その顎を取り、そっと額に口付けた。

 以前と同じ。

 祝福。

 リュフィリエナは目を閉じ、その感触を甘受した。


「君は魔王を怒らせたからね。私は君を見捨てようと思う」


 突然の台詞に、リュフィリエナは思わず目を見開いた。


 すると長い白髪に緑色の瞳の美しい青年と、至近距離で目が合う。

 リュフィリエナはある事に気づく。

 誰かに似ている────


「言っていなかったけれど、彼は私の友人なんだ」


 そう言って細まる眼差しの奥には、紛れもない邪気が孕んでおり、リュフィリエナは喉を詰まらせた。


「ま、おう……?」


 それは精霊や聖女の天敵だ。

 持てる知識を総動員して、彼の言わんとしている事に頭を巡らす。

 そしてある事実に辿り着く。


 精霊と魔族を見極める事の困難さに。


 けれどリュフィリエナは教会が認定した聖女なのだ。

 なのに何故。

 いや、そんな筈はありえない。

 けれど────


 すると嘲るように細まった瞳が赤く染まり、白髪は夜のように黒く変わった。


 リュフィリエナは驚愕に口を開けて固まった。

 驚きのあまり、喉の奥に引っ込んだ悲鳴が息苦しく、喘ぐ。


「君は聖女じゃない」


 その言葉にリュフィリエナは目を見開く。


「魔物に誑かされた、ただの女だ」


 そう言って身を引き、精霊は静かに闇に溶けて消えていった。

 それを見てようやっとリュフィリエナは悲鳴を上げた。


 声に驚き見張りの兵士が部屋を覗いた時には、彼女の額は擦すられ掻きむしられ、酷い有り様だった。火と水と剣をと、必死の形相で懇願する他国の王族に息を飲み、見張りは急いで医者の手配に向かった。



 精霊の祝福



 彼がもたらした痛み(それ)は、彼女に届いた。



 予約投稿時間6時→12時へ変更しました。

 ご連絡遅くなってすみません( ̄▽ ̄;)


 

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