お前ここ入るの? まじで?
もう秋も終わりだというのに麦の値段が高い。戦争が近い、北の麻薬組織が王都近郊にも出てきて物騒だ、そいつら北に戻るなら何か買ってくれないか、と商人たちは不安と商機を噂し合う。それは辺境でも、王都から《塔の遺跡》へ向かう道でも同じ光景だった。
そういえば戦争の噂は真実なのか、王都の門では珍しく衛兵が行き先をチェックしていた。
王都から離れるにつれ増える麦畑は、刈り入れが済んでいる。
「来月の麦より明日の飯の種だよなぁ……そして神々はどうやってこんな塔を建てたのやら」
王都から東に馬で3時間、《塔の遺跡》前に到着した。そのまま最上階を見上げると後ろに倒れそうになる。秋の空は高く、昼近くで太陽がまぶしい。
王都からこれだけ離れるとそこは穀倉地帯だ。《塔》は麦畑の真っ只中にそそり立っている。もちろん畑ができる前からそれはそこにあった。
胸と腰のナイフ、あちらこちらに提げたポーチなど装備の固定を再確認し、軽く屈伸する。
近くの小屋に各教会が持ち回りで派遣している管理人がいるはず……と見渡せば、顔色の悪い、神官服を着た年配の男が小屋の陰からこちらを凝視していた。
お前ここ入るの? まじで? という表情だった。
そりゃ滅多に人来ないからなぁ。
小屋に立つ旗の紋章を見れば、盗賊神・アルセーヌの教会から派遣された管理人じゃないか。こいつは縁起がいい。
神代から伝わる神の名は複数あって、それぞれに加護が異なる。盗賊神とも呼ばれるアルセーヌなら盗賊・商人・旅人・賭け事の加護といった具合に、職業と結びつく高度な技術を得られる。各々自分の道を決めてから入信するのが通例だ。
別に特典があるわけじゃないけど、新しい門出だもんな。
管理人に向かって両手を合わせ頭を垂れた。一般的な拝礼だ。ニヤリ。
「神様も瞬きしないで見ていてくれよ――」
そして塔の入り口ではなく、外壁に向かって走る。壁まで二歩のところで脚を振り上げると、
《壁歩き》
唱えたショートカットが血に刻まれた加護を実行する。足裏に魔力の循環を感じると小さな魔法陣が浮かび、壁に対し垂直に立ったまま、駆け上がった。
盗賊の加護《壁歩き》だ。靴を脱いだり四つん這いになったりする盗賊もいるが、格好悪いので平地と同じように走れるまで練習した。
「ぜぇ、はぁ、ぜぇ、はぁ……」
ただし重力の向きは変わらないので「最高に急な坂」を走って登るくらいは疲れる。
思ったよりきついな、これ!
最上階まで500メートルくらいあるんだけど!
「よっし……げっほげほっ、この……このくらいに、しておいて、やろう!」
8割くらい登ったところで脚は限界だったが、天に向かって虚勢は張った。右手を突き出してグローブに仕込んだかぎ爪を射出する。
《ロープワーク》
ロープの操作・飛距離と強度向上に関する加護を実行し、塔の先端、屋根の上にロープを掛けた。しっかり掛かっていることを確認して身体を引き上げる。
「うわっ寒っ」
収穫も終わったこの季節でも平地なら半袖で過ごしているオレだが、地上500メートルは寒かった。100キロくらい見通せる高さだっていうから楽しみにしていたのだが…………死んでしまう。
景色を楽しむのは次の機会にした。
さて攻略記録によると、この《塔の遺跡》に入り口から侵入した場合、中央の吹き抜けを廻るらせん階段を上がりながら魔物と戦う。
一定間隔で79の踊り場があり、そこに現れる中型・大型の魔物は倒さないとどこまでも追ってくるので実質フロアボス。それが72体。79体じゃないのは2,3フロアぶち抜きで襲ってくる空飛ぶ巨大ムカデなどなど、絶対に会いたくない奴らがいるから。
頑張りすぎだろ、塔の遺跡。そりゃ過疎るわ!
そして80階層に吹き抜けは無く、入口には小部屋がある。扉を開けていても魔物が入ってこないセーフゾーンだ。当初はフロアボス72体引き連れてここまで走ろうかと思ったが、15キロくらいの距離があるのでやめた。途中で転んで挽肉になる(確信)。
《マッピング》
塔の屋根に手をついて加護を使うと、脳裏に最上階付近の見取り図が浮かぶ。
丁度セーフゾーンの真上だ、重畳重畳。
早速、体前屈のように両足首を掴んで、
「しゃがむ――と見せかけて、バックステップ――と見せかけて」
足首を掴んだまま飛び上がり、背中から屋根に落下した。
人目があれば、そのまま屋根を転がって落下死かと思われる奇行だが、オレの身体は屋根に当たる直前に半透明となり、装備や衣服もろとも屋根に吸い込まれた。