慌てる泥棒は財布を落とす
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今回はカーボンの処遇の話。
怪盗を追った面々は川にぶち当たったところで追跡を諦め、大倉庫前に戻った。
冒険者のリーダーが依頼主であるカーボンに報告する。
「怪盗は川を一瞬で渡りやがった。転移魔法か飛行魔法か知らねぇが、かなり高位の魔導士だ。おい、あんなのと渡り合うなんて聞いてねぇぞ?」
「取り逃がしたのか!? 麦を盗られた上に、盗人も取り逃がしたのか! この役立たずどもがっ、金は払わんぞ!」
だいぶ復活したらしいカーボンの発言に、冒険者たちが殺気立つ。
「おい、寝ぼけてんじゃねぇぞ? 護衛依頼は達成したからてめぇは五体満足なんだろうが? あの麦だって転移魔法を使われたんなら、俺たちにも手出しできねぇよ!」
「わしと麦を守れ、そう言ったはずだ。わしが雇ったのは依頼の内容も確認しない新人冒険者だったのか?」
カーボンは強気すぎるのだが、一分の理もないわけではない。リーダーもそれがわかっているのだが、
「待ってほしい、犯罪者の検挙は我々の仕事だ。冒険者に責はない」
いたたまれなくなったマリーが割って入った。
「衛兵ごときが口を挟むなっ、捜査をするのは憲兵だろう! そっちはわしが男爵様に話を通す、貴様らは余計なことをするな! 」
王都の法では衛兵の仕事は警備と警邏、主に現行犯に対処する。容疑者に対し捜査権を持つのは憲兵だ。カーボンはいつも正しい。だてに行商から豪商に成り上がった男ではない。カーボンには指名手配犯という探られたくない腹もある。
「衛兵の責任というのなら、あんな犯罪者を王都に入れたことだ! 貴様ら門番はさっさと門に帰って、わしの麦が運び出されるところを抑えろっ!」
怪盗が外から来たのなら、門のチェックが甘かったというのは正しい。カーボンはいつも正しい。あくまで一つ一つは。
「――そんな必要はないし憲兵隊も動かすつもりはない」
「!……父上っ」
背後から現れた軍務卿にマリーが目を見開く。マリー・シャルロック子爵令嬢は父がこの場にいることに気付いていなかった。
そのマリーの発言に冒険者たちとカーボンが目を見開く。マリーが大物貴族の係累だとは気付いていなかった。
「パパと呼びなさい」
「……パパ」
しかも親バカだった。
まさか娘が首を突っ込むとは思っていなかったシャルロック軍務卿だが、ドゥメール男爵をここから遠ざけたのは彼だ。麦投機をどうにもできない現状を憂い、怪盗の噂に少しの期待をかけたのだ。
「……あの小僧、麦は王国の血肉、と言ったな」
かみしめるように怪盗の言葉を繰り返す。
「それは我が王国軍にとっても同じこと。しかしこの大倉庫とやらに詰まっていたのは、豚の餌だったそうじゃないか。憲兵隊も衛兵隊も豚の餌を探すほど暇ではない」
「な、何をおっしゃいますか軍務卿閣下! 商人をお見捨てになるおつもりかっ、それは王宮の総意ですか!?」
しかしカーボンにとってはたまったものではない。あれは豚の餌どころか金塊に等しい。
そこへマリーの部下が気絶した半裸の男を連れてきた。
「マリー隊長、倉庫の奥で縛られた人を発見しました! ですがこの顔は――」
「ほう、これは指名手配中の凶悪犯だな。貴殿の倉庫にいた理由を説明してもらおうか、カーボン殿」
「し、知らん、そんな男を雇った覚えはないっ」
軍務卿の追及にカーボンは嫌な汗をかきながら、シラを切る。だがそれでもかまわない。
「マリー、指名手配犯を護送するのは確かに衛兵の責任だ。お手柄だな」
「父上……!」
「パパだ。先ほど倉庫からいぶりだされた連中も何人か見覚えがある。憲兵隊から応援を出す、お前が指揮を執れ。できるな?」
「はっ、軍務卿閣下! お前たち、目撃者を探して逃走先を探れ。まだ近くにいたら先行する!」
「……パパだ。あやつらに事情を聞けば色々と吐いてくれるだろう」
「ま、待ってくれ! 勝手なことをすればドゥメール男爵様が黙ってないぞっ。子爵の軍務卿は、何かとまずいのではっ?」
かなりテンパってきたカーボンに、軍務卿はただ目を向けた。それは戦場で人を殺すために幾度も使われてきた目だ。殺すための視覚情報を脳に伝えてきた眼だ。明らかに弱者を見る目だ。
一瞬膨れ上がった殺気に、成り行きを見守っていた冒険者たちが思わず自分の武器に触れる。
「確かに私は一代で叙爵された子爵である――にも拘らず陛下より軍務卿の責を預かるのは伊達ではないぞ」
「剣も持ってないのに……斬られるかと思ったぜ……」
冒険者のリーダーが冷や汗まじりに言った。カーボンは今日何度目かの尻もちをついた。
「む、カーボン殿はもう抜かす腰もないとみえるが、あちらの相手をしたまえ」
青ざめたカーボンが見上げた先には、今後の対応を協議し終えた投資家の群れがいた。
皆カーボンに麦を預け、先ほど奪われた者たちだ。このままでは破産する者もいるだろう。
契約により、カーボンには同量の麦または代金を支払う義務がある。
当然麦は無い。しかし今日の麦相場は頭上に貼ってある通り、何度か破産できる額だった。
絶対に無理だ。待っているのは破産――そして借金奴隷落ちか、とても死ぬまでに返せる額じゃない。だが幸いにして家族はいなかった。
先ほどまで仲間だった投資家たちが怨念のこもった視線を向ける。カーボンに補償しきれないことは彼らもわかっているのだ。
カーボンは死を覚悟した。行商人だった頃、山で狼に狩られそうになった時よりも、自分の死を確信した。
「なにやらお困りのようですね――」
そこへバリトンボイスとともに現れた目つきの鋭い老紳士が、一瞬で投資家たちの視線を奪った。どこぞの貴族の家人なのか、慎ましくも威厳のある風体に、女性投資家ならずともそわそわする。
「プファ伯爵家の使いで参りました家宰のディーと申します。此度の騒動を知った主より遣わされて参りました」
プファって誰? という顔が多数を占めた。知っている者も伯爵家ということくらいしか情報がない。そもそもこの場の多くが平民、商人か冒険者なので、仕事上の付き合いがなければ知らなくて当然だった。
一方軍務卿はディーに黙礼を向けられると、
「……世界を変える……か」
と言い捨て、何も見てない、聞いてないという顔でその場を辞した。
執事ディーはにこりともせず続ける。
「投資家の皆様が預けていたものはプファ家が補填いたします。ただし、その代金はこちらのカーボン氏の債務とし、プファ家は債権を有します。投資家の皆様にはこちらの同意書、カーボン氏にはこの借用書に、今この場で署名を頂くことが条件です」
つまりプファ家はカーボン資産の数倍に当たる金を貸してくれる、ということだ。投資家たちから歓声が上がり、先を争って同意書に署名した。まだ魂が抜けかけたままのカーボンの同様に署名する。とてつもない借金だが、商会が残れば返せない額ではない。なにより不自由で屈辱的な奴隷生活を送らなくて済むのだ。
むしろこの降って湧いた金持ち貴族とは借金がある時点で、親しくなったようなものだ。商人にとって借金とは友人関係の終わりにも始まりにもなる。
投資家の中には同じ考えに至り、カーボンに嫉妬の目を向ける者さえいた。
カーボンと投資家たちは「2万トンの麦が一瞬で盗まれる」という、ありえない事態に脳を揺さぶられたばかりだ。だからよく知らない貴族からの支援に飛びついた。
周りと一緒だから大丈夫、という心理も働いた。
契約内容は誰かが精査しただろう、という思い込みもあった。
しかし多少なり商売の世界で強者と認められる彼らなら、思い出すべき言葉がある。
『慌てる泥棒は財布を落とす』
商売の神は時に、一人の勝者しか認めないものだ。
「では投資家の皆様は奪われたものが戻るまで、しばしお待ちくださいますよう」
本話の後日談は最終話で回収します。
次回はごた~いめ~ん。