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「これは、どういうことだっ!」
とある屋敷の執務室には、屋敷の主人である男とその娘の2人がいた。男は右手に一つの手紙を強く握りしめ娘に怒鳴りつけている。
「・・・手紙の内容のままですお父様」
「この馬鹿げた内容はどういうことかと言っている!!」
机に思い切り拳を振り下ろし、部屋にその音が大きく響き渡る。その音に一切反応しない娘はまっすぐ父である男にその深い緑の瞳を真っ直ぐ見つめていた。
「婚約破棄だぞ!!しかも一方的に、貶されたのだぞ!!」
「わかっております。この責任は私が全て取ります」
「ッ!!」
「家を出ます、これまでありがとうございました。お元気で」
娘は父の顔を見ず綺麗な一礼をし、部屋を出ていった。パタンと閉まったドアの音だけが静かに落ちたのだった。
自室のまとめていたトランク一つを持ち、廊下を出ると血相を変えた妹が待っていた。
「ローズマリアお姉さま!!待って!!」
幼い妹は可愛らしいドレスを揺らし、娘に勢いよく抱き着く。
「出ていかないで!」
「・・・貴女はここの“一人娘”になるの。しっかりしなさい」
「やだやだやだ!」
更にヒステリックな声が響く。それを遠くから静かに見つめている人影を見つける。気品あふれるその姿は、娘の母であった。母は冷たい視線をこちらに寄こしており、それを振り切るように妹の引っ付いていた体を無理やり離し近くで見守っていた執事に預ける。
「いやぁあ!お姉さま!!」
「いけんませんお嬢様!」
そして娘は今まで住んでいた屋敷の大きな扉を自ら開け、出ていった。
***
ローズマリア・カリオ・グリーン
頭に“元”が付いて今はただの“ローズマリア”である私。
グリーン侯爵家の2男2女の長女として産まれ、幼少のころに同じくらいの家柄の婚約者ができ良い関係を築いていたつもりだったがそれは破綻した。
家を出て今は王都にいる父方の叔母の家に向かっている最中だ。乗合馬車に貴族が乗ることは絶対に無い。しかし今の自分は貴族の身分ではない。もしかしたら門前払いされるかもしれないが、心温かい叔母のことだ家には入れてくれるだろうと見越し向かう。
私はここ数日で巻き起こった出来事に思いを馳せていた。
それはほんの一週間前。婚約者であるマイオス・ウェルダーと久々のデートであった。侯爵家である彼は次男坊で兄の領地手伝いをすると様々な事業を行っていた。少し年上で小さい頃から少し大人な彼に夢中だった私は彼との関係を上手く築いていたはずだった。そう、はずだったのだ。
「ローズマリア」
「何?マイオス様」
「君とはこれで会うのは最後になる」
肌で感じる空気がいつもと違うのを感じ、彼の顔を見るとそれは確信してしまった。
「どうしてと・・・お伺いしてもよろしいでしょうか」
「私の口からは言えぬ。数日後父を通して伯爵家に伝える予定だ」
その後、あまりにも突飛な話なのに絶対に揺るがないものなのだとも感じてしまっていた私は心を押し込めるのに精いっぱいで彼の言葉を受け止めることはできていなかった。気が付いた時には自室にいて妹と侍女が泣いていたのだ。そして数日後、父に呼び出され家を出る決意をした。
あまりにも早い展開に自分自身もまるで劇を見ているようだと感じてしまった。自嘲的な笑みが自然と出てしまう。馬車の後方で小さくなっていく住んでいた町を見つめながら心で別れを告げたのだった。
数日休みながら進み王都へ着いた頃、ようやく叔母と会うことができた。元父の姉に当たる叔母は王都の仕立て屋のオーナーをしている。嫁いでからグリーン家より離れていて交流は少ないが女性で仕事をしている身近な人間だった。王都を知る叔母であれば少しでも仕事のことなど情報をくれるかもしれないという打算もあった。突然来た私を門前払いするかもとドキドキしながら扉の前で待っていると勢いよく開き、仲から出てきた人物に抱き着かれたのだった。
「ローズマリア!!」
元両親よりも年齢は上なはずなのに、そんなことを感じることは一切ない。叔母であるミシェル夫人はその豊満な体で私を思い切り抱きしめさめざめと泣いていた。
「お、叔母様、お久しぶりです」
「今度会えることを楽しみにしていたのに、まさかこんな事態であってしまうなんて!」
「叔母様・・・」
事情はもう知ってしまっていたのだろう。流石に王国でも影響力のある侯爵家の話だ、数日で回ってしまうのは仕方がない。
「ローズマリア、久しぶりだね。思ったより元気そうでよかった」
扉の奥からは叔母の旦那様にあたる、ハウンド侯爵様が立っていた。
「お久しぶりでございます。ハウンド様」
抱き着かれたままの挨拶に罪悪感はあれど、話す気のない夫人の様子に苦笑したハウンド侯爵は夫人の肩を少し叩き話しかける。
「ミシェル、とりあえず中に入ってもらっては」
「そうね、私ったら早とちりしてしまって・・・。ローズマリアの好きな紅茶を用意しているわ!」
「ありがとうございます」
客室に案内された私は香高い紅茶を飲みながら叔母達に家を出た経緯を伝えていくとどんどん顔色が悪くなっていく2人に申し訳なさも感じながら話し続けていった。
「なんてことなの・・・」
「うむ・・・想像よりひどいことになっているようだ」
2人は私に聞こえない小さな声でごにょごにょ話し合っている。
「それで叔父様、叔母様。大変申し訳ないのですが、王都で仕事が決まるまでお部屋を貸してほしいのです。仕事が決まりましたらすぐ家を出ていきま」
「それはだめ!!ぜーーーったいにダメ!!」
”す”と言い切る前に叔母は椅子から飛び上がり子供の癇癪のように声を上げた。それにかなり驚いていると優し気な叔父の声も重なる。
「ローズマリア、君は婚約破棄されて自暴自棄になっていると思われてもおかしくない。どんなに貴族の名を捨てたと言ってもそうは思わない人間も多い。しかし君は私たちの姪っ子だ、僕と血は繋がってなくても家族だと思っているからね。大人を頼りなさい。だからいつまででもいい、我が家でゆっくりと過ごしなさい」
「・・・ありがとうございます」
叔父のその言葉には頭が上がらなかった。たった18年しか生きていない貴族の女が平民に落ちてすぐさま働くのは至難の業だ。
「ほら君も落ち着きなさい」と叔母を窘め紅茶を進めている叔父夫婦は今の自分にはとてつもなくまぶしく感じた。
晩餐は久々に会話が弾み様々なことを話した。もちろん夫妻は気を使って話題を振ってくれているのがわかる。最近婦人がオーナーを務めている仕立て屋が好調とか、叔父様の好きな庭園の花が咲いたとか。
食事も終わりおやすみなさいと見送られて、寝る支度をする。手伝ってくれようとした侍女には断りを入れ自分ですべてを行う。これから一人になるのだから。
支度を終えてベッドに寝っ転がると夜の静けさが自分に浸透していくような感覚だった。元婚約者の最後の瞳、そして婚約破棄、家から出ていくときの父の声、妹の泣きつく姿、母の冷たい視線。
いろんなものがいっぺんに起こりすぎて頭がいかれそうだった。全部を処理するにはまだまだ時間がかかりそうだと誰もいない部屋に不快ため息がこだましたのだった。
数日子爵家で荷物を整理したり読書をしたりとゆっくりしていると子爵家の息子である私からしたら従兄に当たる男が部屋に部屋に入ってきた。
「マリア!とうとう勘当されたってな!」
「うるさいですわよヴァルク」
快闊な目の前の男はヴァルク・ハウンド。ハウンド家の三男で騎士をしており現在辺境に出兵していたのが昨日王都に戻ってきたようで、何かを聞きつけたのか戻ってきてすぐに私のところに来たようだった。
「それに勘当ではなく、私が責任を取って出てきたのです」
「それって家出じゃね?」
「だまらっしゃい」
向かい側の椅子に座りこちらを伺っている姿は、へらへらした発言も心配している表情に思わず笑ってしまう。
「なんだよ・・・」
「いいえ。ヴァルは優しいなと」
婚約破棄の噂だってあるのに話題にせず、気遣ってくれる優しさはやはりここで育ったからだろうと感じたのだった。
「そうだ最近王都で人気なカフェがあるんだ。そこに一緒に行ってみないか?王都の食べ物は美味しいぞ」
「いいわね、せっかくのお誘いだしいってみましょうか」
すぐさま馬車に乗り中心街へと向かう。そこは王都でもかなり新しいものなのだろうと分かるくらい人が沢山いた。可愛らしい店構えで、大きなガラス窓からも中が見えるが女性比率が少し多そうだった。
「さぁレディお手をどうぞ」
「何がレディよ。私より弱いくせに」
「言ってろ!小さい頃の話をいつまでも言うんじゃ、ねぇ・・・」
馬車から降りるため手を貸してくれたヴァルクの言葉が切れ、なおかつ馬車の少し離れたところを見ていたのだった。
「どうしたの?ヴァル」
「ローズマリア?」
それは今一番聞きたくない男の声。
反射でそちらを見ると私をここまで来させた原因の男が立っていた。そしてその男の隣には見たことのない、女性が付き添っていたのだ。
初投稿となります。
ゆっくりではありますが彼女の生きる物語を皆様に見て頂けたらなと思います。