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EPISODE2 ANGELIC FEATHER  作者: くれんてぃあ
9/9

09. アルケミスタの司祭(暫定)

暫定版の第9話です。

後ほど、調整、修正などが入ります。

ずーっと待っているヒトがいたら「とりあえずどうぞ」の意味を込めて。

「よくあんな、口からでまかせが言えたもんですね」

 ほとほと呆れたようにジーゼは言った。

「でも、まあまあそれなりの宿を取れたんだから、文句は言わないで欲しいね」

「だって、わたし、申の妹じゃなくて、と言うかむしろずっとお姉さんなんだけど!」

「……細かい――」

「細かくありませんっ! 必要なことだったとは言え、他にやりようがあったと思います」

「いやぁ、ジーゼちゃま。このおぼんぼんにはきっと無理なんでさぁ。きっと、今までざつーに生きてきたのでございます。それ故、アレで限界精一杯ってヤツでさー」

 とちゃっきーの謎な言い分を聞いていると腹も立ってくるが、申はぐっとこらえる。

「じゃあ、次回があったら、気をつけるよ」

「じゃあってなんですか、じゃあってっ」

「はあ――。まあ、そんなことより、実際、トゥイームのあたりからアルケミスタまでは治安があんまりよくないと思うんだ。ゴロツキどもに囲まれたら、次はジーゼを守り切れるとは限らないからな。リテール平原まで付き合えというのなら、少しは俺の言うことを聞いてほしいもんだね」

「あなたのお話を真に受けていたら、どこにも行けません」

 ジーゼは憤りを露わにして申に詰め寄った。

「そんなこと言われたって、事実は事実だよ。少なくとも日が暮れてからはあまり動かない方がいい。闇討ちなんか喰らいたくないだろ?」

「それは……そうですけど……」

 少しでも先に進んでいたいのだった。

「諦めたまえよ、ジーゼちゃまぁ。このくそ坊ちゃん、一度言い出したことは天変地異が起きようとも、ぜってぇに曲げねぇタイプだぜぇ」

「でしょーねー」

 ジーゼにもなんとなく察しはつく。でも、強情だからこそ、申はサラフィーからリテール平原を越えて、アルケミスタまでたどり着けたのだろう。

 と、三人の会話が途切れて間の悪い空気が流れたスキマ時間に、外の物音がかすかに聞こえた。何モノかが部屋の中をうかがっているようなほんのわずかな気配を感じた。

「待って、誰か、外にいる」

 消え入りそうな小さな声で申は言った。

 ほとんど聞こえない。ほぼ気配だけをそこはかとなく感じ取った。誰かがいる。息を潜め、気配を完全に消し去ったつもりだろうが、申にはわかる。こういう場合は大抵、ロクでもないことを考えている輩がドアの向こうにいるものだ。

「誰がいるんです?」ジーゼ。こちらも小声で。

「わからないよ。ただ、俺たちに好意を持っていないことだけは確かだな」

「ほー。どうしてそんなことがわかるのかなぁ」ちゃっきーが首を突っ込む。

「静かにしてろよ? それにこれはな、長年培った勘ってヤツだ」

「何を言ってるんだか、この若造がぁ。こちらにおわそうジーゼさまは齢……」

 ごちん。

「ナニすんのよー」ちゃっきーは涙ぐんでジーゼをにらみつけた。

「たまには黙りなさい。この恥ずかしがり屋の申が自分の意見を通そうとしてるのよ」

「いや、何で? って、そうじゃなくて、どうしたものか」

 申は考える。

 向こうはまだ、こちらの様子をうかがっているだけだ。そして、おそらく、申とジーゼたちがそちらの存在になんとなく気がついたことにはまだ気づいていないだろう。

「――。俺たちの寝込みを襲うメリットなんて……」

 ないだろう。ないだろうと言いかけて、申は思い直した。今はジーゼがいる。申が一人きりだったのなら、東方から来たしがない退魔師がナニをしに来たとでも思われる程度だろうが、今は森の精霊さまと行動を共にしているのだった。

「へいっ! どうしたぁ? くそ坊ちゃま」

「……昼間のゴロツキみたいのがジーゼを捕まえようとしてるのかも――?」

 ボソボソ。

「だから、わたしは泊まりたくないと言ったんです」

「しーっ。声が大きい」

 申はジーゼの口をふさいで、戸口に目を向けた。たまたまの偶然だろうか、向こうの相手はこちらのドタバタした様子を聞いていなかったのか、無視したのか、完全無欠に無視を決め込んでいるかのようだった。

「そんなこと今さら言ってもしょうがないだろ、泊まっちゃったんだもの」

「そーですけど」もごもご。

「そんなコトより、この状況をどうやって打開するかの方が大事だよ」

 と発言しても、さしていい案など浮かばない。

 申は部屋の中をくるくると歩き回り窓際に立ち止まった。まずこの宿のお部屋は二階である。しかも、バルコニーも足がかりも何もないので、窓から逃げるなら下まで飛び降りるしかない。申はジーゼに向き直った。

「――窓から飛び降りるのはイヤですよ」

「ですよねぇ……」

 とんとん。

「! ジーゼ、どこか部屋の奥の方に潜んでててっ!」

 申の指示を受けてジーゼは物音を立てずに、窓の長いカーテンの裏に身を潜める。

 もう一度、とんとん。今度はいくぶんさっきよりも力がこもっていた。

 ドアの向こうの相手は正面突破を試みるようだった。申たちが逃げる選択をしたとしても、窓から一階まで飛び降りるしかないことを知っての作戦だろう。そして、仮に本当に窓から逃げたとしても、追跡するための手段を持っていそうだ。

 これはもう、腹をくくって覚悟を決めるしかない。

 申はドアを開いた。

「――。どなたですか?」

「どうもこんばんは」

 視線の先には協会の司祭の姿をした高身長の男がいた。

「何か、火急の用事でもあるのかい?」申は言う。「こんな夜中に、人様の一夜の宿に押し入ろうなんて、迷惑甚だしいんだけどね?」

「それはそれは失礼いたしました」

 妙に仰々しく司祭風の男は言った。

「――こちらにドライアードという精霊さまが拉致されているとのタレコミがありましてねぇ。とても見過ごすことのできない事象なので、こうして確認に来たのです」

 来なくていいのに。と申は苦虫をかみつぶしたような顔をしていた。

「拉致だなんて、人聞きが悪い。そもそもこの部屋にはぁ――」

「へいっ。おいらと、くそ坊ちゃまとジーゼしかおらんのだい!」

 申はちゃっきーを両手でぎゅっとつかまえて、ベッドの下に勢いよく放り込んだ。

「……。今のは何でしょうか?」

「ははっは。何もいません。ナニカ見えたのだとしたら、気のせいか、幻ですね」

 そんな雑な言いワケが通用するとも思えないが、言わずにはいられなかった。

「その黄色いのがナンなのかは知りませんが、今回はカンケイないでしょう。そんなコトよりも、この宿のお部屋に森の精霊、ドライアードさまがいると聞き及びました」

 同じことを二度も言われた。確信があるのだろう。

「そんなこと言われても、この部屋には俺しかいないよ」

 そんなハズはないだろと言いたげなのが長身の司祭風の男の眼差しから感じられる。ドライアードがいるかいないかは別にしても、黄色いナニカがいたのだから申の言っていることはすでに大ウソなのは疑いようがない。

「あくまで白を切り通すつもりなのですね」

「白を切るも何もないと思うんですけどね」

 隠しているドライアードなんてモノはいないのだから。

「はぁ――。ウソつきは困りますね。……精霊は協会が保護すべき対象なのです。あなたのようなどこのウマの骨ともしれぬモノが一緒に過ごしてよいはずはありません。素直に引きなさい。そうしたならば、何も痛いことも、怖いこともありません。フツーにお別れするだけです。また、そのうち会えますよ」

 そう言われて、そうなった試しがない。

「そのうちね、そのうちか。じゃあ、まあ、そのドライアードというのを俺がかくまってるとして、おまえに差し出したとして、そのうち会えるという、そのうちというのがいつなのか具体的に教えて欲しい。言えますよね? 今までにたくさんの精霊、妖精をホゴしてきたのなら、前例があるはずですから、おおよそ具体的な数字が出てくるはずでは?」

「もちろん、出せますよ」

 申の予想外の回答が来た。

「何の裏付けもなくこんなことを言うと思いますか?」

 何の裏付けもなくそう言って、はったりをかましつつ、自分たちの有利になるようにお話を進めるなんてごまんとある。この男の言うことだって信用には値しない。

「まあ、別にそれは……いいや」

「そうですか。では、わたしのお話を信用していただけると言うことでよろしいですね?」

 よろしくはない。よろしくはないのだが、詳細を尋ねない以上、そうなるしかない。

「――信用はしないよ。ただそう、おまえは誰だ?」

 格好と話しぶりから協会の司祭なのは間違いないだろう。しかし、まだ目の前にいる本人からの名乗りは受けていなかった。

「わたしとしたことが、うっかりとしていましたね」不遜な態度で協会の司祭風の男は言う。「申し遅れましたが、わたくし、アルケミスタ教会の司祭、クロードと申します」

「なるほど、協会の司祭さまか」申は少し考えた。「――リテールの協会は精霊信仰だと聞いたことがある。そこにどうして、天使が入り込んでるのか知りたいな」

 どんなに唐突でわざとらしかったとしても、今はできるだけ、精霊、ドライアードとは全く関係のない話題に話をそらしたい。

「知りたいですか?」

 クロードはとても不審そうに申の顔を眺め回す。

「ああ、後学のために知っておきたいね」

 特にそんなコトは思わなかったが、申は言う。話をそらせるのであれば、どこまでもそらしたい。そして、そのままキレーさっぱり跡形もなくどこかに消えて欲しい。

「それはまた勉強熱心でよいことですね。しかし――」

 クロードの瞳の底が冷たく煌めいて見えた。

「今はその時ではありません。……後ろに隠した精霊さまをこちらに呼びなさい」

 タレコミしたヤツが昼間のゴロツキなのか、宿の主人なのか、それとも別の何モノなのかはでは判別できないが、少なくとも、この場に申の他に誰かがいることは完全にクロードに把握されている。もはや、存在の否定も、隠し通すことも不可能だろう。

 しかし、何とか無理やりにでもこの場をやり過ごしたい。

「――ここには俺のほかには誰もいないっ」

「強情ですね……」

 クロードは申の目を見つめたまましばらく沈黙した。

「……協会総本部の指針はゼッタイです。ですが、全体の方向性と個別の対応は全く別の問題です。全体の方針を是とすれば、あなた方を今すぐ、拘留して、シメオンまで送致するのが正しい。しかし、個別に考えるならば、困っているものたちをそのまま放っておくのは協会の根本たる教義に反するのです」

「別にそんなことはどうだっていいと思う。協会の事情なんてどうだっていいじゃないか、ここの教会の主はお前なんだろう? お前がやりたいようにやればいいんじゃないのか?」

 申は歯に衣着せずに遠慮なく、言い放つ。

「口の悪いガキですね」

「口の悪いガキでけっこう。俺は俺のやりたいようにヤルだけなんだよ」

「ほう。なかなかしっかりと無謀な信念をお持ちのようですね」

 ムカツク。クロードは申を褒めているように見せかけて、その実はかなり大胆にけなしていた。おそらく、申が素直に隠したジーゼを差し出さないことに苛立っているのだろう。しかし、ここで根負けしてしまうわけにはいかない。

「横暴な信念でも何でもいいよ。ここには誰もいないんだからなっ」

 と、力強く言ってもクロードが引き下がるような相手ではないことを申は心得ていた。このまま膠着状態を続かせればクロードがあきらめて帰って行く。と言うことはなくて、強硬な手段をとりこの部屋を強引にでもジーゼを探し回るのは間違いない。

 それだけはナンとしても阻止しなければならない。

「申、もういいです。この方はわたしの姿を見るまでは絶対にあきらめないでしょうから」

 ジーゼはカーテンの陰からしゃなりと優雅に姿を現した。

「ジーゼっ!」

 ジーゼの突拍子もない行動に申は度肝を抜かれた。慌てふためいて、申はジーゼを押しとどめようとも考えたが、姿を現してしまったからにはもはや手遅れだ。

「ちょちょっと、じーっと隠れてたらあきらめたかもしれないだろ?」

「ここでいったん引いたとしても、すぐに次の手を打ってくるでしょうね」

「まあ、きっとそうだろうけど。この場を逃げおおせれば、俺たちのターンだ」

 申はクロードのことなどそっちのけで、ジーゼに意識と視線が向かいっぱなしだ。

「……逃げることなど、不可能ですけどね」

 と、クロードはジーゼに視線を向けた。

「……おまえはテレネンセスの近くにあるエルフの森のドライアードですか。そのドライアードがどうしてのこのことこんなところまでお越しなので?」

 クロードは嫌みったらしく発言する。

「ヘイ、ユー! シャイなジーゼちゃまをいじめないでくれる? いじめたら、ジーゼちゃまの白馬のナイト、サムっち、もとい代理の申がキミをくちゃくちゃのポイってしてあげるのよぉ。うひっ」

 再びに突如、現れたちゃっきーがクロードにもの申す。

「さっきも見たような気がしますけど、これは何ですか?」

「何なんでしょうね、これ」

 ちゃっきーが人前に姿を現す度に同様の質問が違う口から繰り出される。もはや、同じ説明を何度してきたかわからないくらいに、面倒くさい。しかも、一生懸命に解説してみたところで、理解してくれるヒトはそんなに多くはない。

「……その様子からすると、少なくとも、あなたたちに関係のある物体のようですね」

「おりょ? この俺さまをモノ扱いするとはいい度胸だぁ。ステキな素敵なちゃっきーさまとご訂正いただけないのならば、うふ♡ 我らがヒーロー、爆炎のアルシオーネたんを今、この場に召喚して、キサマを火だるまにしてしんぜようぞっ!」

 ちゃっきーは素晴らしい勢いでまくし立てた。

「召喚なんかできもしないくせに、よく言うよ、その口は」呆れたように申は言う。

「喚べるで」ちゃっきーの眼差しにいつにない真実みが宿っていた。「うふふ……。おいらが喚べば、絶対確実、この世の終わりが見える咆哮と共に顕現するのだ。そして、そうなったら、このちんけな建物ごと、キレイさっぱり消し炭でごじゃる」

「それは少々ご遠慮したいですね。まあ、その黄色いのがあなた方に関係するモノでも、何でもかまいませんが、ファイブシスターズのお名前を軽々しく呼ぶモノではありません。それに……それに、あの方たちは神話や経典の中にしかおりません。実在しない方たちを呼び寄せるなどとはそもそもが不可能なのではありませんか?」

 司祭は淡々と言う。真実を知るものとしてジーゼは二言三言、もの申したかったが、ぐっとこらえた。今、ここで司祭に向かってファイブシスターズのホントのコトを説こうともたいして響きはしないだろう。それどころか、きっとすごい面倒くさいことになる。ジーゼのもやもやしている様子を察してか、申もじっと沈黙を守っていた。

「何おぅ。おいらとアルシオーネたんは古代からのお友達だもんっ」

「ちゃっきー、やめておけ。どうせ、こいつにはわからない」

「そんなことはねーとおいらは思っているのですよ。ファイブシスターズが実在したとなりゃぁ、協会の威信がひっくり返るからにゃあ。だって、そうだろぉ? 協会の教義じゃあ、一部、身近な精霊を除いて、強力な精霊はいねーことになってんだからよぉ。だがねぇ、おいらのみたてじゃあ、こいつぁ信じてるね。ゼストちゃまのおイモをもってきたら、まず間違いなくイチコロで寝返るね、いひひっ」

 ちゃっきーはおかしな眼差しをクロードに送る。

「……気持ち悪い生き物ですね。――いえ、これはそもそも生き物なのでしょうか?」

 ばっちいモノを見るかのような、あからさまな嫌悪感を抱いた眼差しだ。

「何者かはわからなくとも、意思疎通はできてる。別に何だってかまわないだろ」

「あなたはかまわないかもしれませんが、かまうものもいるのです」

「面倒くさいね」

「面倒くさくて、けっこうです」

 クロードは言葉を切った。この場でファイブシスターズの実在やその黄色い生き物がなんなのかについて議論したところただの時間の無駄に過ぎない。

「さて、少年、あなたに提案があります」

 語気を強めてクロードは言った。

「そのドライアードをここに置いていきなさい」

「何故?」申は素直に、そして、単刀直入に問い返した。

「それがあなたのためになるからです」

「俺のため?」

「そう、あなたのため」クロードは上から目線で申を追い詰めようとする。「精霊、妖精を保護したものには協会から報奨金が出るのです。知りませんでしたか?」

「さっきのゴロツキも何か言ってた気がするけど、そんな話は聞いたことがない」

 申は油断をしないように、クロードの目をじっと見つめながら発言する。

「これだから、田舎者は」

「俺の住んでる国にはリテール協会なんて、うさんくさい宗教はなかったからなぁ」

「そうですか? しかし、その娘を協会に預ければ、金貨百枚です。無駄遣いをせずに、きっちり使えば、一年くらいは旅の路銀に困らないのでは?」

 魅力的な話ではある。事実、申はこの西方、リテールに足を踏み入れて以来、ずっと金に困っている。申の食い扶持の一つである“退魔”の仕事がほぼないのだからやっていられない。実際、東方と違って、西方は精霊核を中心とした排魔システムが完璧に機能していて、そもそも魔物がいないので、退魔師という商売すらありはしない。

「ただ、路銀に困らなければいいというものではないんだけど」

「キレイ事を?」

「キレイ事でも何でも、ジーゼが金貨百枚は安すぎだろ? 森から絶対に出てこないドライアードの精霊さまがこんな片田舎まではるばるやってきたんだ。金貨の量は最低でもこの倍の二百枚。フツーならさらに倍ってところだろ? けちけちすんな」

「――ふっかけますね」

「そりゃ、ジーゼは唯一の金づるだ……。っていいたいけど、置いていくつもりはない。協会が精霊、妖精を保護するって言っても信じられない。そもそも論として、ファイブシスターズの精霊核か精霊が一人いたら、リテールの平地を吹っ飛ばすなんて朝飯前だって話じゃないか。そんな精霊を守るだなんて、アホの極みだと俺は思うね」

「しかし、そんな精霊は存在しない。絵空事です」

「ま、ファイブシスターズが絵空事だとしても、ジーゼはホンモノだろ? 強くはなさそうに見えるけど、それは……、力の加減がわからないから遠慮してるんじゃないかな」

 申はクロードの顔をじーっと見据えた。

「だって、そうだろ。精霊核をもつ精霊が本気を出せば、それがどんな若い精霊だったとしても、ヒトの住む街を更地にするなんて余裕だって話じゃないか」

「では、力尽くでも置いていってもらいますよ」

「置いていかないって、言ってるだろっ」

「ふむ。――では、あなたはここで死ぬしかないですね」

「死ぬ前に、ジーゼを連れて逃げてやるさ」

「はぁ……」クロードは左手で額を押さえて大きくため息をついた。「聞き分けのない。――わたしからは逃げられませんよ。仮に逃げおおせることがあるのだとしたら、それはあなたが死ぬときですね。つまりわたしがあなたを始末するということです」

 聖職者がそんなはっきりと殺人をにおわすとは申も思いも寄らなかった。

「長生きしたいなんて思ってないけど、おまえに始末されるのはごめんだね」

 もはや、完全無欠に放っておいて、構わないで欲しい。

 しかし、逆説的に考えて、ここまで放っておけないとはナニカ裏があるのに違いない。その裏を知る切っ掛けと、考察する時間が欲しい。時間を得るためにはどうすべきか、瞬間的に申は考えた。

「逃げるよ、ジーゼ」

「え?」

 ジーゼが疑問を挟み込む前に、申はジーゼをひょいと抱き上げて、お姫さま抱っこした。

「ちゃっきーもおいで」

 申はちゃっきーにも声掛けをする。放置しておいても後からひょっこりと姿を現すだろうけど、今は連れて行きたい。もしかしたら、ナンかの役に立つかもしれない。

「およよ? どういう風の吹き回しだぁ? いつものおまえなら、おいらのことなんか、これっぽっちも気にしないで、ジーゼちゃまだけ抱っこして、さっさとソコの窓からお逃げになったのではあーりませんか?」

 おかしな言い回しでちゃっきーが申に詰め寄る。

「でも、申、わたしたちが逃げちゃったら、お宿のヒトは大丈夫かしら?」

 のっぴきならない、この期に及んで他人の心配とは恐れ入る。と申は思った。

 しかし、この宿へは“ジーゼは申の妹”としてお泊まりしたのだ。ジーゼが精霊とは一言も伝えていないのだから、むしろ問題の一欠けらすらないと申は考える。

「宿代は前金で払ったし、何も知らない方が幸せだろ?」

「それは……人生には知らない方が幸せのことも多いけど……」

 もごもごと口ごもりながらジーゼは言う。

「じゃあ、行くぜ」

 申はジーゼを抱きかかえたまま窓際まで走り寄り、窓を開け放って飛び降りた。

「へっへっへー。一昨日来やがれってんだっ!」

 ついでにちゃっきーも申の後を追って、窓から飛翔する。

「わたしも随分と甘く見られたものですね」

 少々残念そうにクロードは言う。

「しかし、あなたたちを逃がすワケにはいかないのですよ」

 とつぶやきながら、クロードは後ろ手を組んで宿の部屋を後にした。



 どうにか、宿から逃げ出すことには成功した。しかし、この後の行動方針は定まっていない。最終的には所期の目的の通りにゼストのおイモ御殿を目指すことになるにしても、やはり、夜の夜中に魔物が徘徊するかもしれない街道を行くのは避けたいのだ。

「へへっ、やっぱ、貴様は小心者だねぇ」

「余計なお世話だよ。俺はこうやって生き長らえてきたんだ」

「はーん。しかぁし、今回は無理なんじゃねーの?」ちゃっきーは言う。

「今回も大丈夫だと思いたいね。……はぁ、けどねぇ、街にいたら危ないと思うんだよ。――あのクロードとか言う司祭、絶対にまだ、ロクでもないことを考えてるぜ。でも、だからといって、夜中に街道へは出たくないんだよなぁ」

 申は頭の後で手を組んで、夜空を見上げる。

「ぼっちゃん♡」

「ナンだ? 突然、改まっちゃって?」

 唐突に、ちゃっきーが猫なで声を出すとは不気味すぎる。

「坊ちゃんは何も知らないのでぇすねぇ。ここいら一帯、リテールには魔物の一匹、化物の一匹も出たりはしないのだぁ。安全安心、おまえらが西方とひと括りにするリテールとはそういう場所なのであるのだぞえ?」

「まあ、魔物は出ないんだろうな、ホントウに」

 ソコに関してだけは確証がある。遥かな東方、サラフィーから風の双塔を越え、リテール平原を渡り、いわゆる西方、リテールにたどり着くまでに魔物とは会わなかった。

「でも、ゴロツキは出るだろ。面倒くさいんだよ、ああいうの」

「デモデモダッテぇ、はよろしくねぇなぁ。ひっひっひ」

「うるさいよ。デモデモダッテぇでも、生き延びればそれでいいんだよ」

 どん。ナニカ見えない壁のようなものにぶつかった。

「ナンだ? これは?」

 申は狼狽した。流石にこんなことは予想していない。仮に協会から逃げられないことがあったとしても、物理的な透明な壁に逃げ道を塞がれることなんてあるだろうか。

「言ったでしょう? わたしからは逃げられないと」

 背後からクロードの声が届く。

 確かに、自分からは逃げられない的なことを言っていたような気はするが、まさか、物理的に逃げられないとは思ってもみなかった。魔法を使って障壁を設けるとは東方のサラフィーでは絶対にあり得ないことだった。

「さて、そろそろあきらめて、そのドライアードを置いて行ってもらいましょうか」

「だから、何度言わせるんだよ。俺はジーゼを離すつもりはないっ!」

 申はクロードのいる方向に向き直ると、がなるように吠え立てた。

「――それはドライアードがあなたを離さない。の間違いではないのですか?」

「それはどう言う……?」

「はぁ――。これだから田舎者は困ります」

「田舎者? どちらが田舎者か――」

 と言いかけた申を遮ってクロードは言った。

「ドライアードは旅人を魅了する」

「旅人を魅了する?」

「そうです。あなたはその術中にはまっただけなのではありませんか?」

 クロードはいたって紳士的に真顔で申につめよった。

「あなたが東方の出身だとしても、聞いたことはあるはずです」

 何を聞いたことがあるというのか、しばらくの間をおいて申は理解した。確かに聞いたことがある。“ドライアードは旅人を魅了する”

「俺がジーゼに魅了されたと言いたいのか?」

「それ以外に何があると思います?」

「……。難癖をつけたいのかな?」

「特に難癖をつけようとは思っていませんね。実際のところ、あなたがドライアードに魅了されていようがいまいがカンケイありません。そこにいる、あなたの存在そのものが邪魔なのですから。――さっさとどこかに行っておしまいなさい」

 そんなコトをするわけがない。

「だから、置いて行かないと言っているだろう。あきらめて帰れ!」

 申は剣を取った。話し合いでクロードを追い払うことはできない。ならば、実力行使に出るしかないだろう。しかし、その様子を見てもクロードは感情を動かさなかった。

「……。あなたではわたしには敵いませんよ」

「どう言う意味だ?」申は問う。

「もう一度言います。あなたではわたしに敵いません」

「――コウ見えても、俺は退魔師なんだぜ」

「ええ、わかっていますよ」クロードはニヤリとした。「だから言っているんです。あなたは退魔師なんですよね?」

 イヤな響き。ナニカを企んでいるのに違いない。

「協会の司祭はすべからく平和主義、と言うワケではありません。ま。協会は自らの存在を守るために天使兵団などと言う武装勢力を持っていますし、地方の教会は彼らによって守られているとも言えるのですが、自衛手段を持たないわけはありませんよね?」

「あれか? 町をうろついていたゴロツキが教会をも守ると言いたいのか?」

「ゴロツキ? ああ、たくさんいますね。職と金に飢えたつまらない連中が。ナニを勘違いしているのか知りませんが、あんなのは教会とは関係ありませんよ」

 クロードは心底軽蔑した様子で、吐き捨てるように言った。

「じゃあ、誰が協会を守っているって? 武力的に、と言う話だろ?」

 とそこまで言って、突然、申の中でつながった。ずっとモヤモヤしていたことだ。

「ああ、そうか――。おまえたちは精霊核が欲しいんだ」

「今、ナンといいました?」

「ジーゼの精霊核が欲しいんだろ」

 申はクロードの双眸から視線を外すことなく力強く言い放つ。

「精霊核が欲しい……。――それはちょっと違いますね」

 クロードはため息交じりに発言する。

「わたしたちが欲しいの精霊核に秘められた魔力。あるいはわたしたちの意のままに動くことをいとわない精霊。またあるいは人工精霊とでも言い換えてもいいでしょう」

「つまり、何が言いたいっ!」

「ふむ……。まだ、意図が伝わりませんか」面倒くさそうにクロードは言う。「では、端的に言いましょう。この世界に大量にある魔力を自在にコントロールする力――。しかし、まあ、ごちゃごちゃと言葉を連ねるよりも実物を見てもらった方がよさそうですね……。こんなこところで披露するつもりはなかったのですが、まあ、よいでしょう」

 クロードはパチンと指を鳴らした。“こんなところで披露するつもりはない”との発言の裏で、クロードはナニカの魔法の準備をしていたようだった。

「さあっ、姿を現せっ」

「――それは一体、何だ?」

 申とジーゼの目の前にはホンモノの化物がいた。

 肩の高さまでニンゲンの身の丈の三倍から四倍はあるような四つ足の大きな物体。とても長い真っ黒な毛皮に覆われて、まるで巨大な鼻の短いマンモスのような姿をしていた。頭部らしき場所には長い毛の間から赤い双眸が見えていた。これは生き物なのだろうか。

「魔物? それは魔物なのか?」

「協会は魔物と手を結ぶようになったのですか!」

「魔物じゃありませんよ。アレは。精霊のなり損ない。精霊になれなかった何か」

 惚れ惚れしたかのようにクロードは言った。

「どういう意味だ?」

「そう、あなたは何も知らないのでしたね」

 知りたくはない。いや、知ってはいけない気がする。

「では、手始めに、協会が方々の猫目石を収集しているのは知っていますね?」

 クロードの問いに申は首を横に振った。知るワケがない。猫目石がどういったものなのかも知らないし、そもそも、リテールにたどり着いたのはごくごく最近のことなのだ。そのリテールに根付く協会が何をやっているかなんて知る由もない。

「そうですか……。メンドウクサイですね」

 クロードはしばし考えた。特段、おしゃべりする必要もないのだが、東方の田舎者に協会の力を示すのに良い機会だとクロードは思う。

「さて、どこから説明しましょうか」

 説明などしてくれなくても全く困らないのだが、クロードにやめる様子はなさそうだ。

「いや。長ったらしい説明なんて時間の無駄ですね」思い直したようだ。「手短に行きましょう。少なくとも、精霊核と精霊の成り立ちは知っていますね?」

 申は再び、首を横に振る。

「知らない。……。ふむ、まあ、いいでしょう。そう、協会は精霊核と精霊の研究をしています。精霊核とは魔力が集積して生成される丸い猫目石がある切っ掛けを経て結晶化した物体です。そして、精霊核は自身がある周辺地域の記憶を蓄えて行く性質があるのです。その記憶が臨界点を迎えると、精霊核のある場所の属性に応じた精霊が生まれます。例えば、樹木が多い森だとドライアードが。海洋だとネレイスと言う風に」

 クロードの語りは止まらない。

「さて、以上の点を踏まえると猫目石をたくさん集めて密集させておけば、精霊核が発生して、やがて、ソコの環境に依存した精霊が生まれるとは思いませんか?」

「――おまえがそういうのなら、そうなんだろう?」

「そう。それが協会の行う人工精霊の研究です」

「そのコトと化物との間にナンの関係があるのですか?」

「関係あるのですよ、ドライアードのお嬢さん。“コレ”は人工精霊の研究の成果として生まれたモノなのですよ。やがて、ホンモノの精霊を生み出すための第一歩。猫目石をどのように配置し、どのくらいの魔力の密度で、どのくらいの時間をかけてやればあなたのような精霊が生まれてくるのか。コイツはそのための礎として存在する!」

「そんなものは存在しなくてもいいと思うな」

 ぽそりと申は言ったが、その言葉はクロードには聞こえなかったようだ。

「そして、ソレを異世界と現世の間隙にしまい込んでおいたのです」

 結果的に、クロードの言っている意味が申とジーゼにはよくわからなかった。

「異世界から召喚できるのは天使だけではなかったのですか?」

「そうですねぇ……。まず、召喚されるのは天使だけとは限りません」

「それはどういう意味だ?」申は恐怖にかられながらも問う。「いや、待て。天使は異世界から召喚されると聞いたことがある。異世界からは化物も召喚できるってことか? それとも、召喚術でつながる異世界は天使がいるところだけではないと言うことなのか?」

 どっちがどっちでも申たちのおかれた状況が変わるわけではない。しかし、今後もこんな“やばいモノ”と対峙しなければならないのなら、理解を深める必要はある。

「察しがいいですね。東方の退魔師ごときがここまで理解できるとは思ってもいませんでしたよ。そうです、召喚術が召喚できるのは天使だけではありません」

 クロードは言う。

「より正確を期するのであれば、初期の召喚術は召喚する対象を選べなかったのです」

 非常に怖いことを言っていると申は思った。

「おおよそ五十年ほど前に異世界と現世をつなぐ古典的召喚魔法の原形ができ上がりました。その時はつながる異世界は完全にランダム、必ずしもナニカを喚べるというものでもありませんでしたが、喚ぶものは選べない。とんでもない怪物が来たこともあれば、かわいらしい小動物みたいのが来たこともありましたねぇ」

「――研究が続いた結果、そのヘンナノをえ~と? 異世界にしまっておいて、それから、改めて召喚できるようになったのか?」

「ええ、まあ。副産物というヤツですね。現在ではつながる異世界をこちら側から選ぶことが可能で、喚ぶものもある程度自由に選択できるようになりました。しかし、まあ、あなたたちの目の前にいる“ソレ”は異世界からではなく、異世界と現世の間にたまたま見つけた何もない場所にしまい込んだものを改めて喚び出した。と言うわけですよ」

 申はクロードの話を聞いた上で、一つだけどうしても尋ねたくなった。

「……召喚術を完成させたのは誰だ?」

「わたし……と言いたいところですが、テレネンセス教会のシェイラル司祭ですね」

 申には知らない名前だった。しかし、ジーゼは知っている様子だった。

「しかし、まあ、冥土への土産話はこのくらいにしておきましょうか」

「冥土へは行かないさ。どうしてもと言うのなら、おまえが行けばいい」

「威勢がいいですね。ですが、それもいつまで続くことやら」

 挑発的にクロードは言う。

「最後までだ。あれをぶっ倒すまで威勢はいいままだ」

 半ば虚勢だった。

 あんな巨大で鼻の短いマンモスみたいな意味不明な生物(?)を自分の力だけでぶっ倒せる想像がつかない。申の退魔の力にジーゼの魔法を加味してもどうなるかわからない。予測不能なだけに、申の心は不安でいっぱいになってしまいそうだった。

「あなたには無理だと思いますが、せいぜいがんばることですね」

 そのクロードの物言いに、申はかちんときた。腹が立つ。申は仮にも東方はサラフィーで一二を争う退魔師なのだ。見たこともない魔物に恐れをなし、不安に心を支配されようとも、それを打ち払い、次のステップに踏み出せるくらいの能力はあると自負している。

「そう簡単に潰されやしないよ。――最悪、逃げる」

「逃げられるものならですね。――アレは放っておいたら、どこまでも追ってくる」

 申の最終手段発言に対して、クロードは封じ手を言い放った。

「どこまでも?」

「どこまでも。それこそ、例え火の中水の中。地平の果てまで、地獄の底までも」

「つまり、きっと、おそらく、俺たちをこの世界から抹消するまで追いかけてくる」

「そんな物騒なモノをどうして協会の司祭さまが?」

 ジーゼが言う。

「協会の司祭だからです」

「協会の……司祭だから……?」

「その通りです。――あなたは司祭になるための条件を知っていますか?」

 クロードはジーゼに対して質問を繰り出した。

「そ、そんなこと知っているはずがありません」

「ほう!」クロードは驚いた風を装った。「テレネンセスの司祭、シェイラルとは仲よさそうな感じにとらえたのですが、教えてはもらわなかったのですか?」

 クロードはナニが言いたいのだろう。ジーゼは少しばかりじれた。

「あなたはそこまでの信頼を勝ち得ていないと言うことですね」

「そんなに他人に知れたら困ることなんですかっ」言葉が強くなる。

「いいえ、別に。協会の信者に限らなくともみんな知っていることですしね。そんなことすらも教えてもらえないあなたはシェイラルにとって何なのかと思っただけです」

 クロードはジーゼを煽っている。それだけはハッキリと感じ取れた。シェイラルがジーゼに協会の司祭になるための条件を教えてくれなかったからナンだって言うのだ。そのことを知っていようがいまいが、自分とシェイラルの関係性が揺らぐはずはない。

「――わたしはただのお知り合いです。細かいことなんて関係ありませんっ!」

「まあ、そうでしょうねぇ」

 とてもねちっこく執拗に、クロードはジーゼをおとしめようとする。

「ですが、これ以上は時間の無駄ですね。そろそろ、退場いただきましょうかな」

 クロードは指をパチンと鳴らす。

 すると、大人しくしていた巨大な怪物がのそりのそりと動き出した。

「やっぱ、あれはちょっと無理かなぁ」

 申は弱音をはく。遥か東のサラフィーで退魔師として腕を鳴らしてきたとは言え、申の攻撃がああいう巨大で得体のしれない生物(?)に通るとはあまり思えない。実際、申が相手をしてきたのは“あれ”に比べれば随分と慎ましやかな魔物だったのだ。

「じゃあ、仕方あるめぇ。この世のモノとは思えねぇすげぇ助っ人を呼んでやらぁ」

 ちゃっきーが真顔で言えばイヤな予感しかしない。

「おまえ、ナニを呼びつけようとしてるんだ?」

「いえ、ナニも。至極まっとうなステキで詩的な助っ人さまでござらぁ!」

 さらにうさんくさい。そもそも口先だけのちゃっきーに一体何ができるのかと思わずにはいられない。そして、本当にあの魔物に対抗できるナニかを召喚できるのなら、この際、何でもかまわないと申は思った。

「うーん、でも、ちょっとだけ、触媒がたりんのかもしれませんねぇ?」

「触媒? 触媒って何だ?」

「おまえの唇をちょっとばかしかしてもらうぜ!」

「いや、待て! ファーストキスが黄色いお化けとだなんて、イヤだ」

 申はにじり寄ってくるちゃっきーを近寄らせまいと必死になった。

「いいから遠慮するなって」

 ぶちゅー。

「おまっ、なんてことをするんだよっ!

「おいらが召喚するのはぁ!」

 ちゃっきーは声高らかに宣言した。

「海のネレイス、そこ退け、底抜け大酒飲み、酒乱と言えばこのお方ぁ、のシャローナさまじゃあ!」ちゃっきーが声高らかに海の精霊を呼びつける。

 が、ちゃっきーの大声が響き渡ったあとは気まずい沈黙が戻ってきた。

「――何も起きないぞ」申。

「ちっち。ここから海までは遠いのだ。流石のネレイスさまもタイムラグ無しの瞬間移動とはいきますまい。まず、第一においらの呼び声に気づきます。それからそれから、喚ばれている方角と距離を見定めます。そしてそして、跳躍に必要な魔力量を計算しぃ、それをやや超える分を充填します。さらにぃ、ワン、ツー、スリーっ! ハイ!」

 一瞬の間、申の視界がまばゆい白い光に包まれる。それから、

「喚んだ?」

 ナニカが現れ、言葉を発した。青い髪に青い瞳、あれはきっと海の色なのだろう。

「……はぁ――。喚んだの、ちゃっきーか……。お呼びじゃないなら、帰るけど」

 ひどく落胆した様子でシャローナは言った。

「いやいやいや、帰っちゃ、いやーっ、なのっ!」

「用事があるなら、ハッキリと言いなさい。あたしはヒマじゃない!」

 シャローナは近くでふよふよ浮かんでるちゃっきーをわしづかみにする。

 と、申がぼそっと言わぬが花の感想をもらした。

「……ガキにしか見えない」

「ガキ? ガキとは失敬なっ!」

 シャローナはちゃっきーをぽいと捨てると、ズンズンと肩を怒らせて近寄ってくる。

「コウ見えても、あたし、あなたの数十倍はお姉さんなの。少しは敬意を払いなさいよ!」

「こんな態度の悪いやつに敬意を払うヤツなんていないだろっ」

 申もシャローナに負けずに食ってかかる。

「もっとすごいのは喚べないのか、ファイブシスターズの誰かとか? いるだろ? アルシオーネ。ほらっ! 近いとこだと、ゼストさま、だったっけ?」

 申はちゃっきーの首根っこを捕まえて、激しく左右上下に揺さぶった。

「あ? ちさまの魔力じゃ、このあたりが限界でさあ」

「ナニ? 田舎もんだって?」

「おう、まだまだ余裕だなぁ!」ちゃっきーが煽る。「売られた喧嘩は買ってやるぜぇ。だがなぁ、おめえの全力全開のフルパワーでもあれくらいしか喚べねえんだよぉ!」

 ちゃっきーは申をにらみつけながら、すごい勢いでシャローナを指さした。

「あれくらいとはどういうことだ?」

 シャローナは申からちゃっきーを奪い取ると、ボロぞうきんのように絞り上げた。

「な、中身がこぼれ出ちゃうのーっ」

「あたしじゃ物足りないってコト?」

「そんなコトは言っておらんのデスじゃ。この小童のマックスパワーで喚べる上限がシャローナちゃまってコト! それ以上でも、以下でもなしっ!」

「ホントかしら?」

 シャローナはジト目でちゃっきーを見る。

「で、何の用? あたし、ヒマじゃないのよ」

「あー。いっつもヒマを持て余してるくせにー?」つい本当のことを述べてしまうのもちゃっきーだ。「いい暇つぶしにでもと、折角、喚んであげたのにぃー」

「ナンの用かって聞いてんのよ。さっさと言わないと、あたし、帰るよ?」

「品性のかけらもありませんね」

 ちゃっきー、申、シャローナを遠目で見ていたクロードが物言いをつけた。三人のやりとりを外側から聞いていれば、お下品で品がないにも程があると言うものだ。

「何ですって……っ」シャローナは怒り心頭である。

「品性のかけらすらもありませんね。と言ったのです」

 そこで初めてシャローナはクロードの存在に気がついた。

「……リテール協会の司祭がいるわね」

「いますよ」

「あたし、リテール協会の司祭はシェイラル以外は認めてないの」

「ほう。それはどうして?」

「ほら、そんなコトを聞いちゃうところとか」イヤそうにシャローナは言う。「ま、そんなのはどうでもいいわ。どーせ、あんたはここでご退場なんだから」

 シャローナはクロードを遠慮なしにがんがん煽る。

「ご退場なのはあなたの方でしょう?」クロードも負けない。

 ブォオオオォオォオヲオォオオオオっっ!

 怪物の咆哮が深夜のアルケミスタに轟きわたる。ご近所迷惑……なのはさておき、禍々しい濁った魔力が辺り一帯を包み込んだ。怪物はに自身の周囲を己がフィールドとして機能させるためにその濁った魔力を周りに充満させたのに間違いない。

「協会も落ちぶれたモンよねぇ。こんなものに頼らないとなーんにもできないんだから」

 シャローナの物言いにクロードがぴくりと反応した。

「あーら、気に障ったかしら?」さらに煽る。

「あなたは――、わざと気に障るように発言していますよね?」

「それは道かしらねぇ?」悪辣ににんまり。「あなた、とーっても性格が悪そうだから、何でもかんでも 悪い方に悪い方へと考えちゃんじゃないかしらぁ?」

「いひひっ! 全くもってその通りだジェイ」

 ちゃっきーが喜び勇んで参入して来て、まさにカオス。しかし、いつまでもちゃっきーとシャローナと、ワケのわからない漫才をしている場合ではないと申は思う。

「シャローナ、おまえは何ができる?」

「おまえ? あたしを誰だと思っているの? 海のネレイス、シャローナさまよっ」

「だからっ、そのシャローナさまは何ができるんだよ」

「あたしのやることなんて決まっているでしょう! タイダルウェーブっ!」

 魔法の短縮詠唱である。高い魔力量と高度なイメージ力が要求される。

「さあっ! そこのくそ野郎どもをどっかそこら辺にぶっ飛ばせ」

 ひどく物騒な掛け声の後に猛々しく不気味な地鳴りが聞こえ始めた。

 そして、そして、一同の眼前にはそそり立つ巨大な黒い水の壁が現れる。

「そ、その海水はいったいどこからぁ?」

 申はシャローナが発生させた大津波に呑まれて流されそうになる。こんな大量の水、おそらく海の水に雑多な町の中を押し流されては確実に死がお迎えに来るのは間違いない。申は必死になって流されて行かないように地面に固定されたナニカにつかまった。

「ふふ。海からの空間移動に決まってんでしょ!」

「イヤ、だって、これ、後片づけどうするんだよっ?」

「そんなの知らないっ! ちゃっきーどんがどーにかしてくれるんじゃない?」

「無責任な!」

「そんなこと言われましてもねー」まるで他人事のようにシャローナは言う。「そもそも、何でもいいから、あのヘンな化け物を消し飛ばしてーって言ったのはそっちじゃない。それにあたしが使える魔法なんてのは海に関するものって決まってるでしょ。あたし、海の精霊、ネレイスなんよ。あんたは見たこともないでしょーけどー」

「君さ、俺のこと煽ってる?」

「煽ってません。事実を言っているだけですー」

 駄々っ子か。と申は指摘したくなったが、がんばってこらえた。ここでやり返して、シャローナをケチョンケチョンにしたらあとがとても面倒くさいことになりそうだ。

 そして、それよりも何よりも、

「クロードはどうなったんだ?」

「大丈夫よ」と言いながら、シャローナはある方向を指した。

 しかし、災害級と思われる大量の水、海水を浴びせられて無事なものなんてあるのだろうか。半信半疑ながら、申はシャローナの示した方向を向いた。すると、ビショビショのドロドロになったクロードがお尻を突き出した格好でうつぶせに寝ていた。

「あー。死んでないよね、あれ? 死んでたら、すごいメンドクサイコトになりそう」

「さあ? 知らないわよ。そんなの自分で確認しなさいよね」

「いやぁ、でも、ナンというか、近づきたくない――」

「意気地なしなのかしら?」

 シャローナはいぶかしげな眼差しで申をジロジロと眺め回した。

「ま、あんなの、ここの教会前にでも捨てておけばいいんじゃないかしらね。そしたら、シスターとか、そうじゃなくても小間使いが拾って介抱してくれるんじゃない?」

 身もふたもないことをシャローナは不機嫌そうにつんつんしながら、言ってのける。

「そんじゃあ、帰るわ。まあ、せいぜいお達者で」

 とだけ冷めた視線をちゃっきーに送りつつ、シャローナはフイッと消え失せた。

「……。めちゃくちゃ不機嫌そうだったけど、大丈夫なの、アレ?」

 ついつい、申もちゃっきーの扱いが不安になったしまった。

「うん、まー、いつものコトっていやぁ、いつものコトでさぁ。あの冷たい眼差しがおいらへの熱いラブ♡」ちゃっきーはきゅっと自分自身を抱きしめる。

「気持ち悪い」

「ああーん? 気持ち悪くないっ」

 ちゃっきーは著しく申の顔面に近づいて、激しくメンチを切った。

「ナンだ? ケンカ売ってるのか? 売ってるなら、買ってやるぞ?」

「いやあ、特にケンカの安売りはしていませんのことよぉ。しかぁし、おいら、ちょぉっと疲れちゃったので、休養のためにしばし、お暇をいただきたくぅ」

 ちっちゃな手を弱々しくフリフリする。

「おい、ちゃっきーがおかしなことを言い出したぞ」

 申はちゃっきーの方を指しながら、ジーゼの顔色をうかがった。

「いてもいなくてもたいした変わらないんだから、好きにしていればいいんです」

「だけど、アレ、意外に役に立ってたと思うんだけど?」

「気・の・せいですっ」ジーゼは言い切る。

「何だか、不憫なヤツだなぁ、あいつ」

 申はどこかに消えたちゃっきーに思いをはせる。

「で、まあ、これからどうする? やっぱり、リテール平原に向かうのかい?」

「当たり前ですっ! ここまで来て、ナンの成果もなしに帰れますか!」

「めげないんだなぁ」

 呆れ半分、感心半分で申は言う。

「こんなことにめげていられますかっ!」ジーゼは感情を露わにした。

 別にゼストに会うことが目的なのではない。ゼストにアルシオーネを紹介してもらって、それを足がかりにしてサムに会いたいのだ。こんなまどろっこしいことをしないで、テレンセンセスの教会やエルフの森にひきこもっていたら、やがてはサムに会えるのはほぼ間違いない。しかし、一瞬、一秒でも早くサムにたどり着きたい。そのための努力ならば、どんな危険を冒してでもやり遂げたいのだ。

「じゃあ……、このまま先に進むってことだね?」

「それ以外の選択肢はありませんっ」

 ジーゼは申の瞳を見つめて、きっぱりと言い放った。

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