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EPISODE2 ANGELIC FEATHER  作者: くれんてぃあ
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08. 西北西に進路をとれ。

 腕を組んで、うんうんとうなりながら街道を歩いて行く少年の姿があった。お師匠さまの言葉を信じ、リテール平原、風の双塔を越えたさらに東からはるばるとここまでやってきた。ひたすらに西に進めば、母なるものに出会える。今、考えてみると何故にそんな不確かなことでこんな遥か異国の地まで来てしまったのか、自分自身が不思議で仕方がない。まるで、一時の熱病に浮かされてしまったような。

「――このまま行ったら、もうすぐ、アルケミスタだなぁ」

 少年は街道の分岐点にある木製のささやかな行先表示板の前に立ち止まった。北に延びる街道に進めばキャロッティ、そのまま西に向かえばアルケミスタへとたどり着く。

「しかし、まあ、リテールも平和なもんだね。魔物の一匹もいやしない……。と言うことは、あれか、つまり、このあたりの周辺か、どっかそこらに精霊核があるってワケで。精霊核があるってことは協会の悪名高き精霊狩りもこのあたりには手を出していないってことだから、俺の商売はあがったりってことだなぁ」

 少年は独り言のようにずっと虚無に向かってしゃべっていた。

「魔物が出なけりゃ、退魔師なんて用事ないし。薬売りだけじゃあ、この先、不安しかないなぁ。きっと、まだまだ旅続きだろうから、どうやって飯食おう……」

 大きなため息をつく。

 しかも、このエスメラルダ王国の版図に入り込んだのも初めてのこと。この地では退魔師などそもそもいないと聞く。大きな魔物は珍しく、小さな魔物はいないようなもの。リテール平原から東では変なモノが徘徊するのは当たり前だというのにこちら側の平穏さは少年にとって不思議でしようがないところだった。

「いくら精霊核が強力な排魔システムだと言っても、限度があるよなぁ」

 ぶつぶつと言いながら、少年はさらにエスメラルダ王国の奥地へと進んでいった。



 シェイラルの進言に基づいて、ジーゼはリテール平原のゼストのイモの邸宅を目指していた。今年の収穫祭への参加はどうにかこうにか見送ったのに、結局、ゼストの元に訪れる羽目に陥ろうとはほんのかけらほどにも思っていなかった。

 大きな誤算である。

 このまま行けば、無事にアルシオーネへの道筋はつくだろうが、お芋の在庫を抱えそうな予感がする。そうなってしまったら、長い月日をかけて消費した苦労が再び現実としてよみがえる。確かにゼストのお芋はおいしいのだが、限度を超えると悪夢に他ならない。

「もーっ! 遠い。ちゃっきー! どうにかできないの?」

「呼ばれて飛び出てジャジャーン! むふー。おいらを呼んでいただけるなんて、幸せ至極。いったいどういう風の吹き回し? 普段のジーゼちゃまなら、えへへぇ」

「何が、えへへぇ、なのよ。わたしは機嫌が悪いっ!」

 わざわざ宣言されなくても、ちゃっきーにはわかる。

「わたしはサムに会いたいだけなのに、どうしてこんなところにいるの!」

 一瞬、キョトン。それから、大きく息を吸って、止まらない饒舌トークが始まる。

「それはですなーお嬢さま、よくあるパターンの一つなのでごじゃりまする。すなわち、会いたいと思えば思うほど遠のく、二人の思いはマグネシアの石のように反発するのじゃ」

「じゃあ、逆にすればひっつくって言いたいのね?」

「まーまーまー! そんなことはジーゼちゃまには絶対無理でさぁ! だあって、ねえ? ジーゼたまはサムっちのことが大好きで大好きでたまらないんだから、どうしようもならないのだよ。考えないようにしたって、ダメでしょぉ? うひ、そもそもサムっちのことを放っておけるのなら、こーんなことにはなってないもんねー!」

 そこはちゃっきーの指摘の通りでジーゼにはぐうの音も出せない。

「だぁかぁらぁ! 好きの気持ちに身をまかせ、多少遠回りになろうとも、運命に導かれるままに進んでいけば、いつか、サムっちと会えるのだぜ?」

「いつかじゃ、困るんだけど?」

「そりはぜーたくってもんでしょ?」

「ぜーたくじゃありませんっ!」

「ぜーたくじゃねぇって言われましてもねぇ。おいら、困っちゃうなぁ」

「困りませんっ!」

「そんなこと言われましてもぉ、おいらにだって不可能なことはあるのだぜい? だがしかぁし、うふふ♡ ながぁーい道のりをショートカットする手立てがないわけではなぁーい。けれど、進めば茨の道、引けば奈落に落ちるという危険きわまる夢の道というのがありましてー」

 どうせ、ロクなことを言わないんだろうなと、ジーゼは思う。

「で、その夢の道とは?」しかし、問わずにはいられない。

「その夢の道とは! そんなのがあったらいいですねーってお話よ」

 がっくり。あまりにバカバカしくて、もうやってられない。

「さて、ここまでお話ししたのだから、ぼちぼち例のものをいただきたいですなぁ?」

 ちゃっきーが不気味で不適切な笑みを浮かべて、ジーゼに迫る。

「例のもの?」

「いやーん。わかってるくせにー、素直じゃないのね」

 と、意味不明に発言しながら、ちゃっきーはジーゼに飛びついた。

「こらっ、くっつかないの。邪魔だから離れなさい!」

「いやじゃー! おいらに食い物を恵んでくれるまでは離れませんっ!」

 これは間違いなく、世にも恐ろしいちゃっきーのオ・ネ・ダ・リ。自身の欲求を満たすため、前後の見境なくわめき散らす真の迷惑もの。

「そ、そんなの知りませんっ」

 ジーゼは半ば絶叫のように声を上げると、しがみついたちゃっきーをどうにかこうにか引きはがし、これまたいつかのように勢いよく彼方へとぶん投げようとしたけれど、ちゃっきーはジーゼの服の袖にしがみついて居残った。

「あー、ねー、おいらのブラック・ホールの食欲はどーしてくれるー」

「! そこら辺の道草でも適当に食べてなさい。それがイヤなら自分でも食べたら?」

 むちゃくちゃ言ってるのはわかっているけど、ちゃっきーの食欲に炸裂されてはジーゼの財布が大ピンチになってしまう。そもそも、それ以前に、ジーゼのお財布は火の車、どこからか借金をしないとやりくりできないレベルでピンチだった。

「いやー、ちょっとばかし地産地消は遠慮しておきたいのねん。チーズ味は好きくないし」

「そお、偶然ね、わたしもチーズが嫌いなの」

 まるでとりつく島がない。いつもと異なるジーゼの様子にちゃっきーはちょっぴり困惑を覚えたが、そこは気づかぬふりをしてジーゼをたたみかけようとさらに攻める。

「ノーサー! 食べ物の好き嫌いはよくねーぜ! 食えっ!」

「論点、ずれてるんだけど、ちゃっきー。わたしの好き嫌いなんてどうでもいいの」

「では、オレっちの好き嫌いだってどうでもいいじゃん?」

「そ」

 ジーゼは素っ気なく返事をして、すたすたと歩みを進める。

「ちぇ、つまんない。今日のジーゼちゃまったらノリが悪くて、あり? お肌の張りも」

 ばきっ!

 ジーゼはちゃっきーの顔面にパンチを食らわせた。

「もぉっ! ちゃっきーは黙っていられないのかしらっ!」

「黙っていられるようになったら、ちゃっきーにあらず。沈黙は美徳なんてことはおいらは一切認めませんノことよ。しゃべる。とりあえずしゃべる。沈黙は極悪。この不肖、ちゃっきーを黙らせたのなら、地獄の釜が開いちまうぜ!」

「はあ」ジーゼは大きくため息をつく。

「ほり、やっぱり、ノリが悪い。いつものジーゼちゃまなら、ここからが本番、ここからが本領発揮。違いますかぁー?」

 サイテー最悪である。ジーゼとしては、少なくとも今日のところはもう相手をしたくない気分なのに、ちゃっきーは全く空気を読んでくれない。いくら突き放そうとしようとも、突き放せない。無下にしても食らいつき、テキトーに相づちを打てば調子に乗り、ジーゼが黙りこくれば、ちゃっきーが延々と止めどなくしゃべり続ける。

 まさに、八方ふさがり。

 と、ようやくたどり着いた。ジーゼの目の前には“アルケミスタすぐそこ”と小さな道案内の看板が立てられていた。道端にたてられた看板から、視線を道の先に向けると、その先には小さな街並みが広がっていた。

「おーう、アルケミスタに到着ーですのー」

「この町は……おかしい――」

 ジーゼはアルケミスタに踏み入れた瞬間、違和感を感じた。これまでとナニカが違う。

 不穏と言うほど、不穏でもなさそうだけど、明らかによそ者を警戒している。無論、どんなときでも無警戒はあり得ないだろう。しかし、旅人の往来で成立してきた宿場の町があからさまによそ者を警戒しては誰も寄りつかなくなってしまう。

「ねぇ、ジーゼちゃま、おいら、この町キライ」

 ひどく珍しい言葉をちゃっきーから聞いた。

「わたしも好きじゃないかも……」

 珍しくちゃっきーと意見が同調する。普段から気の合う二人ではないだけにイヤな予感がする。きっと、おそらくこの町はシェイラルたちの協会ではなく、まさにシメオンの総本部が支配する“本来”の正しい協会なのだろう。

「どうしよう……」

「でもな、この町を横断しないと、トゥイームやリテール平原、ひいては風の双塔まで行けないのだぜ。ちっこい町でも、大きく立ちはだかる巨大な壁ってトコだな」

 そんな軽口をたたいていられるくらいには余裕がある。

 しかし、アルケミスタを抜けるころにそんなへらへらしていられるとは思えない。

「町の外へ迂回した方がいいかしら?」

「オよ? ずいぶんと弱気ですなぁ、お嬢さま」

「弱気にもなりますっ」少しいらいら。「町の人たちに襲われたら、勝算がありません」

「おロ? ジーゼちゃまには炸裂大魔法とクリルカたんからたくされた杖と見せかけた吹き矢があるでねぇか。それがあれば、そこらのゴロツキなんか、あっと言う間に」

「あっと言う間にどうなるのかしら!」

 ジーゼはちゃっきーの発言を横取りしてさえぎった。

「ひひっ。わざわざ、言葉に出さなくともどういう意味かわかっているだロ?」

「――! わたしはヒトには手を出しません」

「サムっちとおいらには容赦のない攻撃を仕掛けてきたくせになぁ!」

 それはサムならば大丈夫、と思ったのではなく、彼がエルフの森に進入してきた時点で、相当に強い人間であるとジーゼが理解したからだった。その強い人間向けの容赦のない攻撃を市井の民に向けてしまったら、大惨事になることは間違いない。

「ちゃっきーとサムは例外です、れ・い・が・いっ!」

「エー?」不満そうな声を上げる。

「そんなことはもういいから、さっさと、町を抜けましょう」

 ジーゼは足を速める。可能な限り速やかにここを去る。長居は無用。滞在する時間が増えていくほど、よくないことに遭遇する確率が上がっていくのは疑いようがない。

 と、

「待ちな」

 男の声が聞こえた。しかし、“待て”と言われても待ちたくはない。声の主が何を求めているかなど、わかりきっている。ジーゼ自身だ。

「先を急いでいるので、失礼します」

 ジーゼは短く端的な挨拶の言葉をはくと、足早に男から遠ざかろうとした。

「まぁ、そんなに慌てなさんなって」

 男はジーゼの左手首をガッとつかんだ。

「痛いっ!」

「おとなしく、シメオンのリテール協会総本部までご一緒いただけるのなら、痛いことはしない。だがなぁ、じっとしていられないなら、責任は持てないな」

 にんまりといやらしいほほえみを浮かべながら男は言う。

「わたしをかまわないでくださいっ」

「そーそー、下衆なおっさんどもジーゼにかまってたらロクなことにならないのねー。まず、手始めにカミナリがちゅどーん。次いで、風邪の刃がキサマの身体をずたずたに引き裂き、さらに何と何と、蔦があなたさまの首をぎゅうと絞めあげるのです。ひひ、この女を手込めにするのは至難の業だぜっ」

 ちゃっきーが突然、男の眼前に登場して止まらないスペシャルトークを披露する。

「だが、しかぁし、もちろん勝ちますわよねぇ、しかも、楽勝で」

 何故、煽る。とジーゼは思った。が、ちゃっきーとはそういう生き物だった。近くにいるナニカの感情を増幅して、辺り構わずにまき散らす。

「ナンだ? これは?」ひげの男が言った。

「さあ? 風貌からすると、毒小人とかナニカと思うが、わからんな」

「ふむ。では、とりあえずどうでもいいな。ホンモノの毒小人だったら、希少な珍獣、高値で売れるだろうが、まあ、それがホンモノか確認しようがないからな。もったいないような気もするが、それ、うざいし、うるせーし、ニセモノならリスクが高いだけだ、いらん。それより、そちらのお嬢さんだ。おまえは金になる」

 ひげの男はジーゼに向き直った。

「わたしはお金にはなりませんよ」

「おまえは金にはならないだろうがね。売れば金だ」

「そう、では、わたしはおいくらくらいになりそうかしら?」

「金貨四百枚だ」

「ねーねー、キミたちぃ。金貨四百枚って、お食事何回分? ついでに、夜のおねーさんのお店でもごーゆーできるぅ?」

「ごーゆー? へっ、豪遊どころかしばらく遊んで暮らせるぜ」

「うへへへへえぇ」

 欲望がダダ漏れだ。ちゃっきーはこの世のものとは思えないほどのだらしない表情をして、ジーゼを見やった。いらない。こんな変態はいらない。而して、そんなちゃっきーを利用しない手はないともジーゼは考える。

「ちゃっきーはわたしがどうなっても気にしないの?」

「……オロ? そんなことはねーと思うのだけど、先立つものがないと始まるモノも始まらないのね。つまり、まずはこのゴロツキどもにジーゼちゃまを売りつけます。そして、ていよく金貨四百枚をせしめます。それからそれから、ほどよく落ち着いたところで、ジーゼちゃまがこの世のモノとは思えない勢いで大魔神のごとく大暴れっ! やがて、この不埒な者どもの本拠地ごとぶっ潰し、この世の終わりというモノを体感していただくまでがセットでございます。大変リーズナブルでしょ?」

 しななどつけてちゃっきーはジーゼに向けて力説する。

「――何か、とんでもねー妄言を吐いてるぜ、こいつ」

「もーそーなどではありません! す・べ・て! 真実。ジーゼちゃまを手に入れたら、まさにそれをきっかけとして巻き起こる数々のありとあらゆる不遇があなたのモノに」

 ケラケラと笑いながら、冗舌にちゃっきーは語る。

「こいつ、いかれてやがるぜ」

「はて? それでもあたくし、こちらのジーゼちゃまほどではないんだじぇ?」

 ちゃっきーが奇妙な流し目でジーゼを見つめる。瞬間、ジーゼは閃いた。

「ちゃっきーっ! あとで覚えておきなさいよっ」

 と、叫びながら、ジーゼはちゃっきーをひっつかむと、ゴロツキどもに投げつけた。

「ひどーいっ! おいらを飛び道具にする何てぇー」

 と、ちゃっきーの叫ぶ声が遠くなっていく。

「何だ? それは? もしかして、攻撃かナニカのつもりだったのかな?」

「そんな程度ではやられはしねーよ」

「俺たちだって、プロだからなぁ」

「ナンの?」ジーゼは強烈に鋭い眼差しを男たちに向ける。

「ヒトサライのさ。ま、おまえはヒトですらないわけだが、ヒトのような形をしてるからな。俺たちに狙われて逃げ切ったヤツなんていねーのさ」

 何か、ムカムカしてきた。一刻も早く、サムに会いたいというのに、こんなところで、こんなつまらないゴロツキにつかまって、さらにくだらない時間を浪費する。ひどすぎる。ならば、ジーゼ自身の全力をもってして、この連中をけちょんけちょんにしてしまいたい。

「まだ……、許してあげます……」

 ちゃっきーには自分が全力を出せば大惨事になってしまうと言ったものの、実際の問題として、それはかなり難しいかもしれなかった。ここはエルフの森から遠すぎる。このアルケミスタでゴロツキ二人を蹴散らすのに魔法を使えば、動けなくなる可能性もある。

「どうしたら……」

「困ることはねーんだよ。俺たちと一緒に協会まで来てくれればいいだけさ」

「それがイヤだから困っているんです」

「ふーん? だったら、あの黄色いのを使ってどうにかしたらよかったんじゃねーかぁ?」

 なかなか察しのよろしいゴロツキだ。

 どうにかするつもりで、ジーゼはちゃっきーを遠投したのだから。



 その頃、ちゃっきーは……。

「ねーねー、そこの変な薬箱を背負った不審な少年? ちょっと助けてくんなー。うちの超かわいい、あんど、セクシーなジーゼちゃまがゴロツキに絡まれているの」

「不審な少年ってナンだ! って、あれえ?」

 声はすれども姿は見えず。少年は、申はすっかり面食らってしまってしばらくキョトキョトと辺りを見回した。が、やっぱり、何もいやしない。

「どーこーを見てるんですかー。おいらはキサマの足下にいるっ!」

 くいくいっとズボンの下の方が引っ張られたような気がする。

「足下にいる」申は繰り返す。

「おうっ! 足下にいる!」

 見たくない。見てはいけないような気がする。見てしまったら、よからぬナニカに巻き込まれて、非常に面倒くさい目にあいそうな気さえする。

「いや、気のせいだな。はァ、幻聴がするくらいに疲労がたまってるのかぁ」

「コラ! 現実から逃避するのではない!」

「コレハゲンジツデハナイ……」

 申は両手で耳をふさいで首を横に振る。

 しかし、声を出す何者かには関係ない。ズボンをよじ登り、上着の裾をつかみ、ズンズンと上へ上へと登ってくる。それは魔物を退治することを生業にした退魔師と言え、得体の知れないナニカが迫ってくるのは恐怖以外の何ものでもない。

「おいら、ちゃっきーと申すっ」

「ちっちゃいっ、黄色いっ」大声を上げた。

「おうっ! 黄色いぜっ! じゃなくてだな、あっちを見ろっ」

 ちゃっきーは申の目前でジーゼを指した。

 申はちゃっきーの動きにつられて、その指先にの方向に視線を向けた。さほど遠くもない道の向こうにナニカが見えた。ぱっと見、女の子。とその女の子に絡んでいる見るからに柄の悪そうな男どもが数人。そして、それを無視するかのように過ぎ去る通行人。

「触らないでくださいっ!」

 凜としてキレイな声が申の元まで届く。

「あれを……放っておけるのかにゃあ?」ちゃっきーは小声でたきつける。

「――放っておけない。放っておけるわけがないじゃいか!」

 申は走り出した。弱者を食い物にするような卑劣な輩は許せない。ゆるすわけにはいかない。小さな正義感と言われようとも、ああいう手合いに成功体験を積ませると、後々に渡ってロクなことになりはしない。

 申は柄の悪そうな男どもと女の子との間に割って入った。

「その女の子を放せっ! 嫌がっているじゃないかっ」

「何だ、おまえは?」

「ゴロツキに名乗る名前なんかない」

「ゴロツキ?」男たちの目つきが変わった。「ゴロツキね。では、この町はその悪名高きゴロツキどもに守られていると言うことになるな」

「なるほど。ゴロツキが自警団ごっこをできるほどに人材が不足してるってコトか」

「身の程知らずとはおまえのためにあるような言葉だな。俺たちは強いぜ」

 自らを強者と言い出す輩が本当に強かったためしはないと申は思う。慢心だ。真の強者は自分を強いとは声高に宣誓しないモノだ。

「ならば、お手合わせ願おうかな? 俺が勝ったら、その娘はあきらめるんだな」

「ほー? 俺たちに勝てるつもりか」

「少なくとも負けない予定だ」

「負けない予定ね。では、特に勝つ予定もないわけだ」

 ゴロツキどもが煽ってくる。

「この娘はホゴしなければならないんだ。おまえの出る幕はねーよっ」

「ホゴ?」申は訝しげな表情をした。

「おまえ、気づいてねーのか。そいつ、人間じゃねーぜ」

 申は訝しげな表情のままジーゼの方を向いた。よく観察してみると、確かに人間ではなさそうだ。とがった耳、白い肌。少なくとも獣人ではないようだけど、かといって、妖魔のような気もするけれど、やっぱり、魔物なのだろうか。

「ホゴするって、どーゆー?」

「言葉の通りに決まってんだろ、アホか」

 口汚く言うのであれば、それは本当に言葉の通りなのだろう。保護するというのは体のいい言い訳で、本当のところは別にあるので間違いない。

「じゃあ、しょうがないな」

 申は商売道具の薬箱を地面に下ろして、腰につった剣を鞘から引き抜いた。東方では魔物を退治するのによく使っていた。リテールに来てからはほぼ用なしだったので、数ヶ月ぶりの活躍になることだろう。

「おいおい、これだから、よそ者で田舎者は困るんだ」

 ゴロツキはほとほとあきれ果ててしまった様子だ。

「よそ者で田舎者でも、やっていいことと悪いことはわかるんだぜ?」

「じゃあ、これはやっていいことなのさ。ホゴして協会に連れて行けば協力金がもらえるんだぜ。それに精霊サマの安全も守られるんだ。やっていいことだろう」

 うさんくさすぎる。彼らは善良な市民を演じているつもりかもしれないが、どう見てもゴロツキで、百倍いい方向に見積もっても悪徳に全振りした賞金稼ぎにしか見えない。

「精霊サマ? だったら、なおさら譲れないな。俺は人ならざるモノを助けに来たんだ」

 申は真顔でゴロツキの顔を見つめ、はっきりと言い放った。

「おまえは底なしのアホなのかな」

「――。俺が本気で怒る前にさっさとどっかに行けと言ってるんだ」

「ふん? 小僧ごときが本気で怒ったところで、怖くねぇな。けがをしないうちにおとなしく立ち去ることだ。その方が身のためってもんだろ?」

「そうだぜ、一応は女の前だからって、格好つけると後悔するぜ」

 ゴロツキの一人が申を突き飛ばす。その瞬間、ちょっとだけ体勢を崩した申とジーゼと目が合った。緑色の目。ほっそりとした美しい顔立ちに全く違和感はなかったけれど、明らかにヒトのそれではなかった。

「ヒト、ならざるもの……」ぼそり。

「あ? 何だって?」

「何でもねーよ。ただ、俺が本気にならないうちにどっかに行けってコトだ」

 申は身体の真正面に剣を構えると、目を閉じた。それから、何ごとか、呪文めいた言葉のようなものをつぶやき始めると、普通の鋼色だった剣に炎の精霊がまとわりついているかのようなかすかな、しかし、力強そうな青白い輝きが宿った。

「おいっ、あれは魔法剣か?」

「ホンモノだったら、厄介だが、あれの使い手は王国の軍隊にも片手に余るくらいしかいないって聞いたぜ。それがこんなところにいるはずがない。はったりだ!」

「そうだな、そうに決まっている」

 ゴロツキどものやりとりに、申は大きくため息をついた。ばかばかしい。敵の実力を見極めることもできず、あさっての結論を出して、安心しようなどとはどうしようもない。

「ホンモノか、ニセモノか、一戦やり合ってみたらすぐにわかるさ、かかっておいで」

 絶対的な自信が申にはあった。

「どうする?」

「ホンモノだったときのリスクは金貨四百枚に値するかってコトだよな?」

 二人の男は互いに顔を見合わせる。申がほら吹き小僧だったら、どうと言うこともないだろう。しかし、見てくれだけを模倣したニセモノではなく、申が手にしている剣にまとっている炎の魔法がホンモノだったら、あれは正真正銘の魔法剣。勝てる道理がない。

「今だったら、まだ、間に合うんじゃないかなぁ」

 申はわざとらしく、悠長に言葉を発する。

 そして、びゅんと勢いよく剣を振り下ろした。灼熱の熱風が二人の男の間を駆け抜ける。

「……。ホンモノ……?」

「さあ、どうなんだろうね」

 申はゴロツキに判断を委ねるように曖昧に回答した。

「――逃げるか」ぼそっと漏らす。

「あ、今なんて言った?」

「逃げるって言ったんだよっ。こんなのとやり合うんじゃ、割に合わん」

 と、言うが早いか、二人のゴロツキは一目散に逃げていった。

「ほへー、情けないにもほどがあるぜ」ちゃっきーに呆れられたら世も末だ。

「ま、矜持も何もあったもんじゃないんだろうな、あれ」

 申は念のため、ゴロツキどもの姿が小さくなって見えなくなるまで見送ると、剣をおさめ、薬箱を背中に背負った。しかし、あんな連中に剣を抜いたと思えば、アホらしくてたまらない。せめて、ゴロツキのプライドを見せるリアクションというモノはなかったのだろうかと、あまりにくだらないところまで気が回ってしまってさらにバカバカしい。

「さてと……、けがはないかな、えーと?」

 申は改めてジーゼの方に振り向いた。

「ジーゼです」ジーゼは名乗った。「あなたは?」

「俺はサラフィの申。では、改めてジーゼ、けがはなかったかな?」

「けがはありません……。――助けてくれて、ありがとう、申」

「ひっ。本来ならなぁ、おいらのジーゼちゃまはキサマのようなぼんぼんに助けられなくとも、あんなゴロツキどもなんか、へのかっぱのけちょんけちょんなのよ。それをそれをヒトを傷つけたくないとはばかりに、いらぬ手加減をしてしまうのだから」

「うるさいわよ、ちゃっきー」

「うるさくねーもんねー。おいらから、矢継ぎ早トークを取り上げちまったら、いったい、何が残るって言うのだ。何も残らねーだろ? ドーしてくれるんだ!」

「自分で言っちゃうんだ……」呆れる。

「ところで、ジーゼ? キミは本当は何者なんだ?」申は問う。

「あなたには何者に見えますか?」

 ジーゼは質問で返した。ジーゼが先に答えてしまっては申の真意がわからなくなってしまうと思ったからだ。自分を精霊と思っているのか、人間と思っているのか、それとも、ヒトの形をした魔物とか、そのたぐいだと考えていたのか。

「――正直なところ、わからない。――ヒトの姿に似た魔物もはそれなりにいるし、ヒトの言葉を話す化物もいた。君は――ヒトの言葉をしゃべる化物なのか……?」

「てめーよぉー、こんなかわゆい乙女を捕まえて化物って、失礼にも程があるぜ。このお方はなぁ、サキの副将軍、ドライアードのジーゼたまとはカノジョのコトよぉ!」

「ドライアードのジーゼまではわかったが、他の意味がまるでわからん」

 申はちゃっきーの顔を両側からぎゅーっと両手で挟む。

「だぁって、意味なんて一つもないもんねー」

「……。なんだ、これ?」

「なんだと思いますか」説明するのも面倒くさい。

「魔物? ではなさそうだけど、妖精? でもなさそうな。でも、妖魔? かな?」

「ちっちっち」ちゃっきーは指らしきモノを左右に振る。「ぜーんぶ・は・ず・れっ。うふっ、いいか、よく聞け、おいらは天下無敵の毒小人、ちゃっきーにござる」

「食べるとチーズケーキの味がするのよ」ジーゼが注釈を入れる。

「チーズケーキ? チーズケーキとは?」

 さらに面倒くさいことになった。

「しかぁし、お腹が減ったから、おやつの時間、一休みにしようぜぇ?」

「おやつなんてありません!」

「いやぁ、そこのぼんぼんの箱の中にあるに違いねぇ」

「で」

 ジーゼはちゃっきーの首筋をつかむと、遥か遠くに放り投げた。

「あなたにとってわたしは“ヒトの言葉をしゃべる化物”なんですか?」

 いらないことを言ってしまったと申は思った。ジーゼを傷つけた。どう言いつくろっても、ジーゼからの信頼を得られないような気さえする。

「――いや、キミは化物じゃない」

「本当に心からそう思っていますか?」

 申の複雑な心境を見透かすかのようにジーゼは言う。

「精霊と魔物は違うんだろう、多分」

 精霊核が強力な排魔システムだと言うことは周知の事実だったが、それを根源にして生まれてくると言われている精霊が善なるものだという確証はない。

「違うに決まってんだろ? くそぼけ退魔師が。魔物と精霊の違いもわからないなんて、モグリでっせ。おまーはこの俺さまからいったい何を学んできたのじゃ」

 さっきどっかに飛んでいったちゃっきーが申の眼前に現れる。

「いや、ちゃっきーからは特に学んだ覚えはないよ」

「なにぃ! では、改めて学習会を開こうぞ。さて、申、まず、そこに直れ」

「いやだよ。ちゃっきーと長時間絡むとだいたいロクなことにならなさそうだ」

「ナン、だと? キサマ、おいらの話が聞けねーってのか?」

「おまえ、うるさいんだよ。どこかに行ってくれっ」

 今度は申がちゃっきーをぎゅうと握りしめて、剛速球でピッチング。目視できないトコまで投げられたようなので、さっきのようにすぐには戻って来れないだろう。戻ってきたとしても、次は改めて消し炭にでもしてやろうかと、物騒なことを考える。

「これでしばらく二人きりでお話ができますね」

「ふ、二人きりでお話? 二人きり? そ、それはちょっとまずかも」うろたえる。

「それはあなたがわたしを襲いたいと言うことですか?」

「いや、そーゆーことでは……」

 と、申は謎めいた言動をすると、フッと気を失ってその場に倒れ込んだ。

「――何なのかしら、このヒト……。というか、どうしようかしら」

 思わぬ展開に今度はジーゼがオロオロとうろたえる。

 と、申が遠くに吹っ飛ばしたちゃっきーがあっと言う間に戻ってきた。

「ま。そーゆーときは慌てず騒がず、放置するのがよかろうて。ほっほー、助けてくれたのはありがてーがぁ、こいつぁ、油断すると命取り。こうなってしまった以上は放置プレイがもっとも賢い選択に間違いねぇ! おいらが言うんだから、さらに確実。こんなカワイイ乙女の前でひっくり返っちまう甲斐性無しには容赦など必要ねぇ!」

 ちゃっきーにけちょんけちょんに言われたら、申があまりにかわいそうだ。

「でも、助けてもらって放置プレイは不義理でしょ」

「いえいっ! 不義理上等!」

 不義理上等と言われて、ハイそーですかと簡単に引き下がるジーゼではない。身も知らぬ赤の他人にここまでできるヒトなどそうはいない。これはとてもいい“みっけもの”を手に入れたのかもしれない。とジーゼはほくそ笑んだ。

「と。とりあえず、どこか人気のないところまで移動しましょ」

「あーい」ちゃっきーが素直な返事をした。



 その場所はもやに包まれた湖の畔だった。

 時刻はそろそろ夕刻にさしかかろうかと言う頃合いだろうか。

「申……」

 白髪の老人が地面に節くれだった杖をつき、ずっと遠くを見渡していた。

「はい……」申と呼ばれた少年が応える。

「西に向かい、最初に救いを求める魔物を助けなさい。その後、その魔物と行動を共にすると、最果てで母なるモノと出会うだろう……」

「お師匠さま、それはどういう――?」

「わたしにもわからん」

 そう言うとお師匠さまと呼ばれた白髪の老人は手に持っていた小さな紙の切れ端らしきモノを申に渡した。

「その紙がおまえの両親を探る唯一の手がかりだ。十五年ほど前になるか……、寺の前に捨てられたおまえのゆりかごの中に入っていた」

「それを何故、今になって……!」

「今だからこそだ。十五年後の今日、その紙をおまえにとも書いてある。今後、どのように生きるのかはそれを読んで決めるが良い。両親の手がかりを探しに西方に向かうのもよかろうし、このままこのサラフィで、わたしの元、退魔師を極めてもよかろう。無論、全てを欲してもかまわないのだぞ」

 白髪の老人はニヤリとした。



「うん……。おししょう……さ・ま……?」

「おっはー! 申ちゃん、ねーねー起きたぁ?」

 奇声を発する黄色い物体が申の横でぽよんぽよんと跳ね回っていた。

「あーもう、うるさいなぁ。まだ、眠たいんだよぉ。放っておいてくれ――」

 申はしっしとちゃっきーを追っ払おうとした。

「そんなのんきなことを言っていてもいいのかなぁ」

「ナンだよ、しつこいな。気ままな一人旅、好きにさせろよ。……。……?」

 突然、申はどこにいて誰と話しているのかわからなくなった。一人旅のはず。旅の道連れなんて、今まで誰一人としていなかった。なのに、今、自分は一体誰と会話している?

「申? そろそろ、起きてもらわないと困ります」

 さっきとは違う女性の声が聞こえた。これは自分以外に二人いる。何故、何があった。あまりのあまりさ加減に申の心臓が早鐘の方に脈を打った。リテールに知り合いはいない。よしんば知り合っていたとして、お宿で一緒に泊まるような間柄なんてあり得ない。

 と、思ったが、この場所はそもそもお宿ではないようで、人気のない町外れの公園のベンチの上に無造作に転がされているだけのようだった。どおりで、身体がこわばって痛いはず。そして、居心地が全くよくなかったのはそのせいだろう。

「申? どーしたのむひょーじょーな顔をして?」

「――。……ジーゼ?」

「おう。おいらはちゃっきーだぜぇい!」

「いや、おまえは呼んでない」申はちゃっきーを押しとどめる。

「わたしの前でいきなりひっくり返っておいて、一人旅だから好きにさせろとはどういうことですか! 残念なことに、あなたは、……ここまで来たからには少なくとも、ゼストに会うまでは付き合ってもらいますからねっ!」

 ジーゼは見覚えがある。見覚えはあるが、どこかに一緒に行く約束はした覚えがない。そもそもが行きずりで、助けたらそのまま別れるはずだったような気がするのだが。

「いや、待って。何がどうしてこうなった?」

「これがこーしてこーなりました!」憤った風にジーゼが言う。

「いや、その、全く意味がわからないんだけど」

「ええ、別にわからせるつもりで言ったんじゃないですもの。では、行きましょうか」

 ジーゼは言った。

「いや、どこへ、もう、夕方だよ。街道に化物ぉーは出ないだろうけど、輩が出そうだ」

 本日出会ったゴロツキのようなのに二度目のご対面もイヤなモノだが、かといって、異邦の少年と少女、ヒトらしからぬ雰囲気をたたえた精霊を匿ってくれるような場所などあるのだろうかとジーゼは思う。そう、町の空気はよそ者を拒んでいる。

「わたしはこの町から早く出て行きたいんですっ!」

「おうっ、そうよなぁ。雰囲気はわりぃし、ゴロツキどもには絡まれるし、その上、助けてくれたのはいいものの、マザコン野郎がぶっ倒れて、その介抱までされられちゃあ、かなわねぇなあ、いひひ」

「……介抱してくれなんて頼んでない。俺なんか、放っておけばよかっただろう」

「理由はどうあれ、あなたはわたしの恩人ですから、放ってはおけません。けど、本当のところ、放っておいてもあなたは全く平気なんでしょうね。風邪くらいは引くかもしれないですけど、お強いですから、輩なんてどうってことないでしょう」

 ジーゼはつんとすまして、嫌みったらしく言ってのける。

「はあ……」

 申は少し困ったかのように吐息を漏らす。

「悪かったよ。悪かったけど、俺にはおまえに付き合う理由がないよ」

「色々と言いたいことがあるのはわかりますけど、とにかくわたしに付き合いなさい」

「はあ……」

 困った。申には申なりの旅の理由がある。ここでジーゼに付き合って足止めを喰らうのはあまりよろしくないような気がする。が、ふと思い出した。“西に向かって最初に助けを求めてくる魔物”とは……? ジーゼ、ではなくて、ちゃっきーが最初に申に助けを求めてきた。ちゃっきーが魔物だとしたら? ちゃっきーとジーゼについてさらに西、さらにはリテールの奥へと進んでいくのが正解なのかもしれない。

 申は複雑な思いを抱えて、ちゃっきーを見た。

「あはーん? そんなにおいらを見つめて、どうしたってぇ? 惚れた? スキになっちった? うひ。絶世に美少女、ジーゼちゃまを差しおいておいらさまにご執心っ!」

「いや、ソンなことはないな」申はバッサリ切り捨てる。

「ところで、どうして、申はこんなところまではるばる来たんですか?」

 ジーゼは問う。

「……どうしてだと、思う?」申はあえてジーゼに問いかけた。

 聞き返したところで、正解が返ってくるとは思えない。しかし、黙って答えてしまっては申の中のナニカがそのまま流れ去って消えてしまいそうな気がしたのだ。

「そんなん、知るわけねーだろ」

 と答えてきたのはジーゼではなく、ちゃっきーだった。

「まー大体が大体なぁ、もったいつけて何か言おうってヤツはロクでもねーんだ。ひっひっひー。きっと、こいつぁ、アレだ。ジーゼちゃまを手込めにして、やっぱり、どこかの組織に売り飛ばそーってのに違いねぇ!」

「それはさっきのゴロツキでしょ」

「じゃあ、退魔師ってのがゴロツキとドー違うっての?」いやらしくにんまり。「こいつだって、金に困ってるンだろう? ジーゼたんを売らない保証はない!」

 何故に、そこまで悪態をつかれなければならないのかと申は思う。

「言っとくが、俺、そこまでくそ野郎じゃないぜ。金に困ってるにしても、一度助けたステキなオネーサマを自分の都合で売るようなまねは絶対にしない」

「ふ~ん?」

 猜疑心いっぱいの眼差しでジーゼは申を眺めた。

「で、どーしてここにいるんですか?」振り出しに戻る。

 応える義理はない。応える義理はないのだ。ジーゼが何と言ってこようと、ここでお別れするのだから、自分の素性や、目的なんかを教える必要はない。ただ、ホントウにここでジーゼたちと離れてしまってもいいのだろうか。

「応えたくなければ、応えなくともいいのですけど……?」

 それは、きっとそうなのだろう。

 ジーゼとしてはある程度腕の立つ申がついてきてくれたらそれでいいのだろう。でも、もう少しだけ一緒に旅をするとして、本当にそれでいいんだろうかと申は思った。

 そして、申はゆっくりと口を開いた。

「捜しに来た……」

「捜しに来た?」

「母なるモノを……ね」

「それは……」

「ジーゼちゃまってコトかぁー!」ジーゼの発言に割り込んでちゃっきーが吠える。「何という体たらく。そんなのゼッタイ絶対においらが認めませんノことよ」

「いや、そんなことは一言も言ってないんだけど」

「一言も言ってなくたってなぁ、キサマの考えることなどお見通しでぇい」

「おまえは俺の何を知ってるって言うんだっ」

 申はちゃっきーの小さな身体を両手で挟み込んだ。

「もちろん、全てだ。知らねーことなど何もないっ」

 怖いくらいに言い切られた。じゃあ、知っていることを洗いざらい吐いてもらおうか、とも思ったが、あることないことの捏造のオンパレードになりそうで怖すぎる。

「まー、いい。ちゃっきーには黙っててもらおう」

 ちゃっきーがつまんなさそうな表情をしたけれど、申は無視した。

「……それはおかーさまを捜しに来たと言うことですか?」

「――やっぱり、そうなるんだろうね」

 申は今まで誰にも見せたことのなかった紙切れをジーゼにフと手渡した。今まで、誰かに見せようと思ったことは一度もなかった。しかし、ジーゼになら、見せてもいいような気がした。もしかしたら、彼女との関わりがナニかをもたらすかも知れないと思ったのだ。

 ジーゼはしばらくの間、その紙切れに視線を落としていた。そして、顔を上げると。

「読んでもいいのかしら」

「ああ。でなきゃ、渡さないよ」

 申はジーゼの瞳をじっと見つめながら、ゆっくりと、はっきりと返答した。


『申へ。

 西へ旅立ったのなら、あなたは道中、魔物、精霊、人ならざる者と出会うでしょう。

 助けなさい。その者たちはあなたの救いを求めています。

 見掛けではなく、その者たちの澄み切った心を信じなさい。

 その者たちを信ずれば、いずれ北へ向かうこととなるでしょう。

 離れずゆきなさい。揺るぎない信念をもってその者たちを信ずれば、

 あなたは最果てで母なる者と出会うでしょう』


「これは……?」

 ジーゼは紙切れに落とした視線を申に戻した。

「わからない。俺にもわからないんだ。ただこれは今の俺の原動力だ。この紙切れがなかったのなら、俺はそもそもこんなところまでは来なかっただろうさ」

 申はそう言いながら、紙切れを薬箱の引き出しにしまい込んだ。

「おうっ! それはこのリテールがど田舎だって言いてえのかい?」

 ちゃっきーが語気も荒くいちゃもんをつけ始める。

「そんなことは一つも言ってないだろ」

 面倒くさいのが全開そうに申はちゃっきーに突っかかる。

「いいやぁ、言っておるなぁ」得意満面にちゃっきーは言う。「おいらの言葉はキサマのココロ。申ちゃまが思っているコトなんざぁ、す、べ、て、知ってる」

「知ってる?」とてもイヤな物言いをされた気がする。

「イエス、知ってる。ふふふ♡ おいらは全て知っているぅ! 森羅万象、この世の中のありとあらゆる……、えーと、えーと何だっけ?」ちゃっきーはあきれ果てた眼差しのジーゼに一瞥をくれると、さらに続ける。「そうっ! キサマがいっちばん気にかかっていることはぁ! ドライアードがどうして、こんなところにいるんだろうかって、コト」

 図星ではある。が、話題は完全にあさっての方向を向いた。

「うん。まー、そうなんだけど、今はそういう話じゃなかったような気が?」

「キサマのくだらない身の上話よりもジーゼちゃまのほうが大事だもんっ」

「えー」

 ちゃっきーがここまでごり押しするのなら、元のお話に戻るのは無理だろう。ジーゼに尋ねられた申自身の身の上話は後ほどにすることとして、申はちゃっきーの振りにのった。ちゃっきーに考えがあるのかどうかは全くわからないが、思惑通りなのだろう。ジーゼがこの場所にいた理由を深く知ってしまったら、ジーゼと行動を共にするしかなくなると踏んでいるのに違いない。

「じゃあ、そのドライアードさまがなぜ森を離れてこんなところに?」

「じゃあって何ですか、じゃあって」

 少々不満そうにジーゼは腕組みをした。しかし、面倒くさいのだろう。ジーゼはちゃっきーにあらがうつもりはないらしく、あっさりと申の問いに素直に答えた。

「さっきもチラリと言いましたよ? リテール平原のゼストに会いに行くって」

「リテール平原のゼスト? 聞いたことないな……」

 気難しげな顔をして申はうなる。

「聞いたことがなくても行きますから。申はわたしについてきたらいいのです」

「いや、そんなこと言われたって、俺は西というか北というか、そっち方面に行きたいんであって、東に戻りたくはないんだよね」

「じゃあ、わたしの用事が済んだら、申に付き合ってあげます」

「はぁ……」

 それだと困るんだけど、と言おうと思ったが、さほど急ぐ旅路でもなかった。遥か東方のサラフィーから西方、リテールにたどり着いて、ここから先の行動予定はまだ何も決めていない。ならば、“母なるもの捜し”を続けながら、当面はジーゼに付き合ってもいいのかもしれない。そして、もしかしたら、そこで新しい何かを発見する可能性もある。

「で、どうして、リテール平原のゼストとやらに会いに行くんだい?」

 いくぶん投げやりに申は問う。

「えっへん。それはおいらが答えよう! 行方知れずの愛しのサムっちに再び相まみえるためでさぁ。可憐な少女、ジーゼちゃまが思いを寄せるぼーくねーんじーんになっ」

「ぼーくねーんじーん?」

「うけ? 察しの悪いクソヤローってことさ」

「察しの悪いくそ野郎で朴念仁のサムって誰?」

「はぁ……、ちゃっきーは黙っていなさい」ジーゼはちゃっきーの頭をポコンと軽く叩いた。「仕方がないので、手短にわたしがお話しします」

 身の上話をしたいワケではない。そして、実際に“リテール平原のゼストに会いに行く”以上の情報を申に与えなければならないワケもない。護衛として腕っ節の強い申についてきて欲しいだけだから、報酬さえ払えば何もかもが内緒でもいいとも思う。けれど、傭兵と雇い主の関係でないからには、申は話さなければ行動を共にはしてくれないだろう。

「それでぇ? どこから話そうってんだい?」

 ちゃっきーが挟まる。

「最初から、最後まで」

「けっ! 最初っから最後まで、一から十まで教えてやらねぇとこいつはナニもできねーっているのだね。そいでは、東方の退魔師、申、心して聞くがよいッ」

「いや、おまえはいいから」

 申はちゃっきーを押しのけた。

「俺はジーゼから聞きたい」

 そして、ジーゼは話し出す。

 サムがエルフの森にちゃっきーを伴って現れたこと。それから二、三日間、森で一緒に過ごしたこと。そして、リテール協会の天使たちがサム自身を狙って森に現れたので、エルフの森に被害を及ぼさないために出て行ってしまったこと。

「そしてぇ! ジーゼちゃまは置き去りにされたのが耐えきれなくなって、サムっちを見つけて八つ裂きにするための旅に出たのでありまーす」

「八つ裂きにするつもりはありませんけど。その後のありとあらゆる事情から、きっとサムはアルシオーネさんのトコに行くはずなので、その足がかりと——、と言いますか、アルシオーネさんに取り次いでもらおうかとリテール平原のゼストさんのトコに行くとこです。テレネンセス教会のシェイラルさんが言うにはいきなり、サラマンダーズバックには行かない方がいいんじゃないかって言うもんだからっ」

「はぁ……。いまいち事情が飲み込めないんだけど、それでホントウにサムってヤツに会えるのかい?」

「わからない」とジーゼ。

「わからない」と申。

「わからないけど、じっと待ってたってサムと会えないんだもの、しょうがないでしょ。待っているだけなのはやめにして、自分から捜しに行くことにしたのよ」

「その話だと、テレネンセスあたりで待っていた方がすぐに会えそうな気がする」

 申はジーゼを諭すかのように言った。

「サムってヤツがアルシオーネのことを言っていたから、きっと会いに行っただろうだなんて。ジーゼが直接、そのアルシオーネに会いに行ったら、また、何かあったら困るだろうからと、リテール平原のゼストとやらに取り次いでもらって、そこからサラマンダーズバックとかなんとかにお邪魔しようって言うんでしょ?」

「そうよ」ジーゼは短く答える。

「めんどくさい」

「面倒くさいとはいい度胸だなぁ」ちゃっきーが吠える。「ジーゼちゃまが一度決めたことは絶対の絶対に二度と曲がらないノだじぇえい」

 ちゃっきーが熱弁を振るう。

 勢いだけで最後まで突っ切れるのなら、ナニも止める必要もないだろう。が、往々にしてこのパターンはどこかで破綻するのが常だと申は思う。そして、その破綻した場所が取り返しのつきそうなところならいいけれど、そうでもないコトも多いのもまた事実。

 申はちゃっきーとジーゼの顔を交互に見比べて、大きなため息をついた。

「まーいいや。そこまで言うのなら、一緒に行くとして、俺をそんなに信用してもいいのかい? ゴロツキじゃねー、おまえを協会に売り渡すつもりはさらさらないって言ったけど、気が変わらない、なんて保証はどこにもないんだぜ?」

「申はそんなことはしませんよ、絶対に」にっこり。

「え?」とんでもないことをさらりと言われたような気がした。

「申はわたしを協会に売り渡したりはしないと言ったんです、絶対にね」

「金貨四百枚」と申。

「知ってます。それだけあれば、しばらく生活には困らないでしょうね。でも、きっとあなたはわたしを売ったりはしない」確信を持ってジーゼは言う。「だって、そうでしょう? あなたは“母なるモノ”への手がかりをつかんだ。さっきの紙切れの文章からはそれがわたしなのか、ちゃっきーなのかはわかりませんけど、わたしたちを放したら折角つかみかけた“母なるモノ”へつながるモノを見失っちゃいますよ」

 そこのところはジーゼの言うとおりだった。自分に残された紙切れを信じるのならば、ちゃっきーとジーゼは助けを求めてきたヒトならざるモノに相当する。そして、さらに紙切れの通りに行動するのならば、その果てに母なる者と出会える、はず。

「俺にははなから選択肢がないってコトか」

「イヒっ。申の旦那ァ、そう落胆するもんじゃあねーですよ」

「がっかりはしてないんだけどさ、そー、何というか、ここから先、母なる者を捜す限りジーゼはともかくとして、ちゃっきーと縁が切れないんだと思うと、つらくてねぇ」

「ほ? ナニを言いなシャル?」

「すごくまっとうなことを言っております」

「それにもうひとつ。申も協会に渡せばお金になりますよ?」

「俺は金にはならないだろ? 特別なナニかをもってるのでもないし、金目のものはそれこそ何もないスッカラカンだ。薬箱の薬ってもここいらで珍しいモノは入ってないからね」

 申は自身が全く価値のない存在だとアピールしてるかのようになった。

「そういうことではなくて、あなた、さっき、ゴロツキをやっつけましたよね?」

「ああ、確かに。でも、それが?」

 ゴロツキを蹴散らしたところで何の問題もないだろう。

「——あのゴロツキたちはこの町を守っているって言ってましたよ」

 ジーゼの回答に申はしばらく考えた。

 確かにあのゴロツキどものはアルケミスタを守っているようなことを言っていた。見方を変えると、詰まるところ町を守る自警団的な存在が柄の悪いゴロツキに見えると言うこと。さらに、理由の如何は横に置いておくとして、その連中と申とジーゼとついでにちゃっきーはいざこざを起こしてしまったこと。そして、突き詰めれば、その自警団はエスメラルダ王国だけではなく、リテール協会にもつながっているとしたら。

「俺もここには長居をしな方がいいって言いたいワケね」

「そういうことです」ジーゼは満足したかのように澄まして言う。「それでは早速、このうさんくさい町をさっさと抜けて、トゥイームへと向かいましょ」

 ジーゼは町外れの公園から、トゥイームへと向かう街道筋へと足を向けようとする。

「でも、ジーゼ、それはそれとして今から人里を出ようなんて自殺行為だと思う」

 申は率直に述べる。

「申! わたしはもう、一分一秒だってアルケミスタに居たくありません。この町に立ち寄って、——申と会えたことだけは幸運だったと思うけど、それ以外は全てダメです。今のところ、あれ以上のことはナニもないけど、ゴロツキ自警団たちが教会に駆け込んで、わたしたちを捜しだそうとしているかも知れないのよ」

「そうかなー、あれからずいぶんたったからそれはないかと……。あんな騒ぎを起こしておいてまだ町にいるなんて思ってないと思うんだけど。あと、あんなに長時間、無防備で公園で二人きり……、いや、ちゃっきーもいたから三人でいて、ナニもなかったんだぜ?」

「この先、ナニもないとは限りませんっ!」

「まー、そうなんだけどぉ」

 申にとっては、アルケミスタにいるよりも、町を出る方が危険に感じられるのだ。

 事実、アルケミスタからトゥイーム、さらにリテール平原を越えて風の双塔、そこからもっと東に突き抜けて東方のサラフィーにたどり着く街道など、道の体をなしていない。その昔は多少の交流があったようで、道には石畳のようなモノが敷かれている。しかし、それらはほとんどメンテナンスされている様子もなく朽ち果てそうな雰囲気だった。そういう人気のない、ロクに整備もされていない街道らしからぬ街道筋など、どんな魑魅魍魎が潜んでいるかわからない。それでもここはリテールだから化物はいないかもしれない。が、町を追われた何モノかが虎視眈々と何も知らずに紛れ込んでくる得物を待ち構えているかも可能性は捨てきれない。

 そして、その可能性が現実になれば、あまりに危険だ。

「でもなぁ……、あまりいい予感はしないんだよ」

「でももだっても、行くしかないんだから仕方がないじゃない!」

 ジーゼの言い分ももっともだと思うモノの、申はジーゼを諭しにかかった。

「まあ、ジーゼの気持ちもわかるんだけど、さ。ただ闇雲にリテール平原の方向に向かえばいいってもんでもないだろ? 今日は散々だったんだ。きっちり休んで疲れをとって、明日の朝には元気いっぱいに旅を再開できるくらいにはなっていないとね」

「こんな最悪な空気の町にわたしたちを泊めてくれるような宿なんて……」

「ないかもしれないね。でも、それは俺が何とかできる。コウ見えても、遙かな東、サラフィーから上手いことやってきたんだ、大丈夫だよ、俺を信じろ」

 溢れんばかりの自信を示して、申は言う。

「――。それじゃあ、お宿探しは頼みましたよ?」

 ジーゼは申の顔をじっと見つめて、真剣に頼み込むのだった。


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