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EPISODE2 ANGELIC FEATHER  作者: くれんてぃあ
6/9

06. シェイラル家の一族

 それは火急のニュースとなって町中を駆け抜けた。天使が来ると言うことはすなわち、このテレネンセスでリテール協会に反する何かがあったとほぼ同義。無論、テレネンセス教区が全体的に旧来の協会に近く、シメオンの総本部が不可思議な方針を打ち出してきていることをテレネンセスのほぼ全体で共有しているのだが、それとこれとは別の問題だ。つまり、見逃せないナニカがあるからこそ、天使が派遣されるのだ。

「サム? わたしはこの町に入ってもいいのか?」

 久須那はサムの上着の裾をつかんで、まるで幼子のように問いかけた。

「どういう意味だ?」

「わたしはリテール協会の天使だ。天使が町に来ると言うことは……」

「そんなことか。気にするな。気にしたところで、久須那が何かできるわけではないだろ」

「それは、そうだが、天使を連れていたら、おまえの評判が……」

「もはや、落ちようのないところまで落ちてるよ」

 さして大事なことでもないようなそぶりで、サムは言う。

「それにココは特別だ。天使が歩いていたって、なんてことはないさ」

「特別と言っても……」

 ごにょごにょ。久須那は口ごもった。

 そして、そのまま町のメインストリートを歩いて行く。目標はテレネンセス教会。最初の目標から、二転三転したモノのようやくテレネンセスの教会へ行くと決めきったのだ。ここでシェイラルと会い、まずはゼストへつなげる糸口をつかむ。それから、不帰の谷に住まうアルシオーネへの道筋をつけてみようと思う。

「なあ、やっぱり、わたしは町の外で待っていた方がいいのではないか?」

「そんな必要はないな」久須那の意見をばっさりと切り捨てる。「仮に久須那に手を出すものがいたとしても、まあ、いないだろうが、俺がぶっつぶすだけのことだ」

「物騒だな」

「協会に比べれば、ずいぶんと優しいもんだろ」

 協会は容赦がない。久須那の知っている限り、協会に追われているのはサムだけではない。お隣のロンバルド王国でも四、五人、エスメラルダ王国でさらに数名はいる。そして、協会から逃げ切ったモノはない。

「それは……優しいかもしれないが。地に落ちた信用をさらに落とす必要もないだろうし、天使を連れて歩いてるって変な噂を追加することもないだろう?」

「久須那と一緒にいるってのが変な噂なのかい?」

 サムは意地悪に問いかける。

「だが、ま、俺からは離れるなよ、久須那」

「うん……」

「天使がいてもなんてことはなくともな、どんな時も全員に受け入れられるってことはないのさ。やはり、一部の人間には天使は邪悪の象徴だ。快く思わないヤツもいる。だがしかし、そんなことを言っていたらきりがない」

「それはそうだけど……」

 久須那の不安は尽きない。

 協会の天使と言えば死の象徴みたいなものだった。

「ただなぁ、ここは特別なんだ」サムは遠いお空を見て、つぶやく。

「特別……?」久須那がつぶやく。

「イエス、スペシャル! この町に何があるのか、何がいるのかよぉーく考えてみるのだぜいぃ。すると、見えてくーる、見えてくーる。隠されたテレネンセスのヒミツがぁ」

「いや、考えても絶対にわからないと思うけどね、ちゃっきー?」

「そんなことはあるまいて。なんせ、このお方は泣く子も黙る天使だじぇぇえい?」

「天使だからって、よぉーく見ただけじゃ、特別な理由までわからないだろ?」

「そーいえば、言っていなかったんだけど、わたし、協会十二天使の一人なんだ」

「……。よく聞こえなかったんだが、もう一度言ってもらっていいかな?」

 サムは少々怖い顔をして久須那を見やった。

「協会の十二天使の一人、だ」

「そういえば、ジングリッドがそんなようなことを言ってたような気がするな……。だが、どーしてそれを最初に言わない。お前、名乗りの時もそんなこと言わなかっただろ?」

「死んでもらうつもりだったから、特に言う必要もないかなって。それに、その後は協会天使兵団のどのポジションだって聞かれもしなかったから」

「いや、しかし、久須那、いくらへなちょこだったとは言え、その称号の威力はでかいぞ」

「へなちょこ!」

「へなちょこだろ? お前がへなちょこじゃないって言うなら、俺は今頃、お空のお星さまか、そうでなくとも、捕虜として協会総本部に連れて行かれたんじゃないのかな?」

 そこまで指摘されると、ぐうの音も出ない。

「だがしかし、へなちょこはないだろ! わたしは少なくともユイよりは強いぞ。それはジングリッドさまやコハクさまには劣るかもしれないが、それでも並の天使よりは強い自信はある。何とか言えっ」

「何とか言えと言われても、俺より弱くて協会十二天使だと言われても」

「ちょ、ちょっと油断しただけだ」

「あれで?」

「あれでも、だ。し、しかし、もう一度、戦う機会があれば、絶対に勝つ」

「次の機会なんか作りたくないな。戦う機会ができるってコトはほぼ、おまえと敵対するってコトだ。ま、こんな俺にのこのこくっついてきた久須那が今さら、敵に回るってコトもないだろうが、実際のところはどうなんだろうね?」

 サムは意地悪そうな表情をして久須那に問いかける。

「……。わたしは……もう、協会の言いなりにはならない」

「そうだな。そうだった。で、そう。協会の言いなりにならないと言えば、コハクだが、あいつはいつからこっちにいるんだ?」フとした疑問がサムの口をついた。

 コハクが協会の総意に基づいて、あるいは大司教の呪縛の中にいるとはとうてい思えない。あの瞳は自分自身で意志決定をして、未来を選び取っているものの輝きをしている。故にコハクを止めるのは至難の道になるのは間違いない。

「コハクさまが召還されてきたのは六年くらい前の冬のころだ」

「六年前の冬のころ」

「そうだ。そして、ジングリッドさまはその一年半後くらいだったかな」

「さらに一年半くらい後」

 サムは色々と考えを巡らせてみた。

「二人とも久須那より後に召還されて、比較的短期間で協会の上層部に食い込んだのか。――ふむ。きっと、元々頭がよくて、要領がいいんだろうなぁ」

 そして、間違いなくナニカ、協会の権力を使って成し遂げたいことをもっている。それが世間にとってよい行いなのか、悪い行いなのかははっきりとはしないものの、少なくとも、サムにとって害悪なのは疑いようがない。

「コハクさまはとても聡明で尊敬に値すると思うぞ」

「その尊敬に値するコハクさまがかなりとんでもないことを画策していると思うんだが、そのあたりのことについて久須那はどう思ったんだ?」

「それは……。わからない」久須那は言葉を詰まらせた。「コハクさまが天使長になって、協会の権威と権力を使って何をしようとしてるかなんて一度も考えたことがなかったんだ。だって、そうだろう? わたしは協会を信じるしかなかった」

「そうだな、おまえはそうするしかなかった」

 サムは否定することはなかった。

 仮に久須那がコハクの行動を疑問に思うことがあったとしても、その考えをサークレットが押さえ込んでいただろう。あれはそういうものだった。幾つかの例外を除いて、リテール協会の召喚した天使はサークレットを装着していた。都度、内容は変化するようだが、根底には協会、あるいは協会のお偉いさんたちの行い、命令などには疑問を一切挟まないように設計されているようでもあった。

「――久須那の信じていた協会は何を企んでいるんだろうな」

「何も企んでなどいない……と思いたい」歯切れは悪い。

「はぁ」大きめのため息をついて、サムは頭をかいた。

 あらゆる状況証拠から、協会が通常営業だとは考えにくい。あちらこちらの国や地域、人々に手を出すのがフツーだと言われたらそれまでだが、そんなことはあり得まい。アイネスタを追われて、一年間、協会がらみでロクなことがなかったサムには自信がある。

「何にも企んでなかったら、どんなによかっただろうなぁ」

 程なくして、サムと久須那の二人はテレネンセス教会の前に立っていた。

「ここがテレネンセスの教会?」

「特に変わったところはないだろう? どこにでもあるリテール協会の教会だ」

「本気でそうは思っていないだろう、サムは?」

 久須那は訝しげな表情で、サムの顔をのぞき込む。

「それはまあな。だが、外側から見てそれとわかったら、困るんだよ」

「どういう意味だ?」

「中に入ればわかるさ。ここはリテール協会テレネンセス教区のテレネンセス教会で、リテール協会総本部ではないってことがね」

「言葉遊びか?」

「いいや、言葉の通りだよ。言葉で語るより、見たほうが……というか、テレネンセス教会と言うのを体験してみた方が早いだろうね」

 サムは礼拝堂前の大きな扉の前に立った。扉に鍵はかかっていない。いつでも、誰でも気軽に礼拝ができるように、不用心が全開でついでに鍵も全開だった。故にサムは全く困ることなく、扉を全開に開けた。

「――。不用心だな」久須那が手短に感想を述べる。

「まあ、気にするな。ここの司祭さまは留守の時くらいは鍵をかけろと言っても聞く耳を持たないからな。とられるものもないって言うし、仮に泥棒が入ったとしても……」

「入ったとしても?」

「返り討ちだな。言ったろ? ここは普通じゃあないんだよ」

 サムの言葉の真意がいまいち読み取れないが、久須那は黙る。そして、そのまま、サムを先頭にして礼拝堂に立ち入った。その内部はまさにどこにでもあるようなリテール協会の正式な様式に則った珍しくもない装飾だ。中央の通路の左右に礼拝者のための椅子、通路の突き当たりには祭壇があり、視線をあげると、精霊核をかたどった大きなシンボルの後ろ側に美麗なステンドグラスが目に入る。

「……。シェイラル司祭はいるか?」

 広めの礼拝堂にサムの声だけが奇妙に響いた。

 この時間なら、自宅ではなく礼拝堂にいると思ったのだが、違っただろうか。とりあえず、サムは礼拝堂の奥へと足を向ける。久しぶりだ。ここに帰ったのは協会に追われる身になる前だったはずだから、少なくとも一年以上はたっているはずだった。

「全然、変わらないのな……」ぽつり。

「前、来たときからどのくらいなんだ?」久須那は問う。

「だいたい一年くらいだと思うんだ。正確には覚えていないよ」

「感傷に水を差すようで悪いが、一年で凄く変わられるとかなりショックだぞ?」

「あーん? いや、まあ、いい。家の方に行こう」

 久須那とサムは礼拝堂を出ると、すぐ近くの自宅に足を向けた。

 緊張する。礼拝堂に人がいないのなら、確実にこちらにいるはずだ。一年以上ぶり。もしかしたら、一年どころか二年以上会っていないかもしれない。どんな顔をしてシェイラルと会ったらいいのだろう。

 サムは玄関のドアをおもむろにノックした。

 静寂。しばらくして、家の奥の方からぱたぱたと足音が近づいてきた。ドアが開く。

「これはこれは、サム。よく帰ってきましたね。お帰りなさい」

 シェイラルはかなり悠長にお出迎えの挨拶をした。

「相変わらずのんきだな。おやじは」

「そうでもありませんよ。これでも、かなり切羽詰まってきています」

 全くそうは見えない表情をしてシェイラルは言う。

「ま、しかし、玄関口でのんびりとしているとどこから何が飛んでくるか、わかりませんから、とりあえず、中に入りましょうか」

 シェイラルは二人を家の奥へと招き入れた。

 最後にここを訪れたときから、何も変わっていない。玄関にある花瓶とその中に生けられている花でさえもそのままだ。ここはまるで、時が止まっているかのよう。

「あ。サム、それは造花ですよ」

 花をじっと見ているサムに気がついて、シェイラルは指摘する。

「造花」

「そう。ずっと昔にレルシアが作ったのがそのままです。造花ですから。枯れず、腐らず、折れずにずっとそのままの形を保っています。ステキでしょ?」

 そして、再び、奥の方からぱたぱたと足音が聞こえてくる。

「あら。サム。最近は珍しい人がたくさん来ますね。お帰りなさい、サム」

「ただいま、玲於那」

 と、玲於那はサムの後にいた久須那の存在に気がついた。

「久須那、久しぶりですね」

「姉さん……」

「姉さん? 姉さんって誰?」

「玲於那のことだ」

 サムは思わず手のひらで顔をおおった。

「ナンか似てると思ったら、そういうことだったのか」

「姉さん……が何故、こんなところに?」

「何故でしょうか? さて、ココで問題です。回答その一、久須那がやがてそのうちここに来ると予感して待ち伏せしていた。回答その二、実は協会からの追っ手とはわたしのことだった。回答その三、気のせい」

 玲於那は茶目っ気たっぷりに久須那に選択肢を披露する。

「気のせい……?」おずおず。

「そう! 気のせいです。って、そんなわけないでしょう」玲於那は自分で突っ込みを入れる。「ま、回答はその四のここがわたしのおうちだからです!」

「おうち?」不思議そうな口調で久須那は問う。

「そう、ここがわたしのおうち。そして、これがわたしの旦那」玲於那は近くにいたシェイラルの腕をつかんで引き寄せる。「さらに、久須那の横にいるのがわたしの息子!」

「息子?」久須那はサムをまじまじと見つめた。

「正確には義理の息子。と言うか養子だ。血のつながりはない」

「あらあら、そこまでわたしのこと、嫌いかしら」

「嫌いじゃないけど、そこら辺の事実関係ははっきりさせておかないとな」

「あら。と言うことは久須那といい仲になったのね。うらやましいわぁ」

「何故、そうなる」

「いやぁねぇ、あなたが久須那の甥っ子になっちゃったら結婚できないじゃない。と言うことで、久須那もサムは義理の息子なので遠慮しなくてもいいのよ」

 いったい何のお話だ。

「いや、別に。サムのことはキライではないけれど、特にあのスキというわけでも」

 しどろもどろに久須那は答える。結婚してもかまわないと言われたところで、そもそも、ついこの間、出会ったばかりの男に恋愛感情を抱いたのかもいまいちよくわからないのだから、それ以上の回答のしようがない。

「あらあら、しょうがないですね。まあ、慌てないでゆっくりでいいのよ?」

「あの、サムとはたまたま知り合っただけなので……」

「最初はそんな感じでも全くいいのよ。むしろ、初々しくて大変よろしい!」

「だから、あの、わたしが刺客で、サムがターゲットだっただけで特にそれ以上は……」

「では、ちょっと話題を変えましょうか」

 顔を真っ赤にして苦慮する久須那に助け船を出すかのようにシェイラルは全く違う話を持ち出した。そして、それはサムに必ず尋ねておかなければならないことの一つだった。

「道中、ジーゼと会いませんでしたか?」

「は?」サム。

「いえ。二日くらい前にここに来ましてね。ちょっとお話ししてました。サムとレルシアの昔話で盛り上がって楽しかったですよ」

 シェイラルはにこやかな表情で満足そうに発言する。

「ドライアードって森から出られないんじゃないのか?」

「出られないことはないですよ」きっぱり。「よっぽどのことがない限りは森から出てこないとは思いますが、今回はよっぽどのことだったのではないでしょうか?」

 シェイラルは言う。

「はぁ」サムはため息交じりに頭をかいた。「それだったら、はじめから、ジーゼと行動してもよかったなぁ。森で別れてきた意味が全くない」

「まあ、ジーゼは昔からそういう性格だったような気がしますが。――困っているヒトを放っておけないんでしょうねぇ。あと、止めても止まってくれませんし」

「それで、ジーゼはどこに向かったんだ?」

「アルシオーネのところへ――」

 シェイラルは険しい顔をして、サムを見澄ます。

「と言っていたんですが、いくら精霊さま同士と言っても、アルシオーネさんは基本的に面識のない精霊とはあまり会いたがらないようですからね。とりあえず、リテール平原のゼストさんをを先に頼ってみたらいいのではと助言というのもおこがましいですが、進言してみましたので、何もなければそちらに向かってるかと」

 シェイラルは何ごとも起きなかったかのようにひょうひょうと言葉をつなぐ。

「そのあとはどこにいくと言ってたかな?」

「さあ? あなたを追っていましたからね。最後にはサムの行くところへでしょう」

「いや、俺は今、ここにいるんだが」

「……。あー」

「あー、じゃないだろう。あーじゃ。ここで、居てもらえばよかったのに……」

「そんなこと言われてもですね。あなたがココに来るとは思ってもいませんでしたから。たった今、さっきのさっきまで。しばらく、テレネンセスに寄りつかなかったですよね。王国軍から追い出されても、わたしたちには関係ないお話なのに」

 そうまで言われてはサムはぐうの音も出せなかった。

 事実、王国軍を放り出されたときにすぐにでもシェイラルを頼っていたら、また、違う展開があり得たのかもしれない。少なくとも、協会の天使に追い回された一年はなくなって他のナニカに置き換えられていたことだろう。

「わたしたち、四人だけの家族なのだから、もう少し頼ってくれてもいいのに」

 シェイラルは常々言いたかったことをぶちまけているようでもあった。

「と、言いますか、うちのレルシアはテレネンセス教区の教区長なので、協会がサムを追い詰めるのをやめなくとも、もう少しましにはできたと思いますよ?」

「――おやじはどこまで知っているんだ?」

「全てです。サムの動向で知らないことなんてありません」

 シェイラルは真顔でサムを見つめる。

「濡れ衣で追い回される息子のことで知らないことなどあるはずがありません」

「そう言ってますが、最初は大変だったんですよ」

 玲於那はニコニコとしながらサムを見やった。

「そ、それは言わない約束でしたよ」

 慌てふためいてシェイラルは玲於那を止めようとする。

「あら、いいじゃないですか。何も悪いことをしていないはずの息子が協会に追いかけ回されていて、心配しない親なんていないでしょうに」

「ところで、サムはどういう風の吹き回しで我が家に巡ってきたんですか? ただ逃げ惑ってここに来たというわけではないのでしょう?」

「そう、唐突なんだが、ゼストを紹介してもらえないかなと思って」

 サムの発言にシェイラルは虚を突かれたような顔をした。

「紹介する必要もないと思いますよ」

「なんで?」

「ゼストさんはサムのことをちゃんと知ってますよ。今年の収穫祭の時にもサムの話題が出ましたし、むしろ、サムにも自慢のイモを食べさせたいと大変なことになりました。今年もサムは来れないからと、何とかなだめたんですけど、あー、見ますか?」

 ナニを? と問いたくなったが、そこはこらえて無言で答える。

「ジーゼにも見せたのですけどね」

 シェイラルにおいでおいでをされて、サムと久須那は従った。廊下を歩いて、地下へ続く階段を降りる。ジャガイモの保管と言えば、それこそ冷暗所。地下室と言えば、まさにそれを満たす条件に最も近いと思われる。すなわち、

「ジャガイモがいっぱい」

 ちゃっきーの言ってたゼストのイモ責めというのは戯れ言ではなかったらしい。

「そういうことなので、今晩はイモづくしなので覚悟しておいてくださいね」

「そして、イモづくしを食した感想を持って、ゼストさんのところに行くこと!」

 玲於那が付け加える。

「もう何年も会ってないし、今年も来れない、今年も来れないと言ってばかりで、次はいつになったら会えるのだと大変ご立腹だったので、覚悟はしておいてくださいね?」

「何に覚悟をしておけばいいんだ?」

「勢い余って、生イモを食わされないとは限りません」

「生イモ」

「生イモです」シェイラルは言い切った。「怒ったゼストさんは容赦がありません」

「怖い。とても怖い」サムは心底恐怖を覚えた。

「そーですか? 生イモのサラダで済ませてくれるなら、ジーゼさんの雷撃や、天使たちのあなたに対する理不尽な攻撃よりも百倍ましだと思いますが。そう、ジーゼさんと言えば、覚えていませんか?」

 シェイラルは全くの唐突に話題を変えた。

「何をだ?」

「ジーゼの名付けのことです」

「それは――クリルカが考えてくれたとか何とか言っていたような」

「それでは順番がおかしいでしょう?」

「順番がおかしい」

「そう、順番がおかしいのです。クリルカがエルフの森に生まれたころには森の精霊さまにはすでにジーゼという名前がありました。時系列に並べると、わたしたちがジーゼと初めてあの森で出会ったときにはカノジョは名無しでしたよ。こんな大きな町の近くに住んでいたのに。誰からも名前をもらわなかったそうです」

「より正確にはもらいそうになったこともあるけれど、すべて拒否してきたと言っていませんでしたか?」玲於那がシェイラルの発言に注釈を入れる。「気に入った名前がなかったとか、名付けられるにしても名付け親を選ぶ権利があるとか何とかごにょごにょ言ってませんでした?」

「コトの経緯の詳細までは流石に覚えていないんですが……」

「そーかい、ならばおいらが答えよう!」ちゃっきーが割って入った。

「お前はとりあえず、黙っていた方がいいと思うがね。うるさいし」

「うるせぇとはどういう了見じゃぁ! おいらは通常営業でぇい」

「そっか。それはよかった」

 サムは素っ気ない態度をとって、シェイラルに向き直る。ちゃっきーの戯れ言に付き合っていたら、延々と終わらないおしゃべりを聞かされ続けるに決まっている。ならば、相手をせずにさっさと打ち切った方が時間的な被害が最も少なく済みそうだ。

「それで、おとーさま? お話のつづきを……?」

 と、話のつづきをしようとすると、シェイラルは結論から話し出した。

「ジーゼと名前をつけたのはあなたです、サム」

「俺?」

 誰かに名付けをした覚えなんかない。

「覚えていないのかもしれませんが、疑いようもなくサムですよ」

「ジーゼが言っていました、三十年くらい前に」玲於那。

「三十年くらい前。俺はまだガキじゃないか。そうだとしても、覚えていないよ」

「でも、これは知っているでしょう? ジーゼとはエスメラルダ古語で“穏やかな情熱”を意味します。あ、ちなみにゼストさんは“熱意”を意味してましたね。リテール平原で、ひたすらおいしいジャガイモを作り続けるゼストさんにぴったりの名前だと思うのですが、誰が名付けたのでしょうか?」

 と言ったところで、玲於那がシェイラルの横っ腹に肘鉄を食わせた。

「そうじゃないでしょ、あなた?」

「あ、ああ、そうでしたね」

 シェイラルはゴホンと大きく咳払いをする。

「まあ、ともあれ、あなたは精霊とか、獣人とか、種族の違いを超越して色々なものたちに好かれるのですね。とても、ステキなことだと思います」

「はあ……」ため息。「直近の一年は協会の性悪天使どもに好かれてたったワケか」

 サムはちらりと久須那の方を見やった。

 その久須那は奥の方の棚にひっそりと置いてあったモノに興味を奪われたようだった。それは協会のシンボル。それほど大きくはなく、手のひらに乗るくらいの大きさだ。リテール協会の信者なら誰でももっていて、どこにでも売っていそうな珍しくもない。

「このシンボル、よぉーく見ると羽根が描かれていない……」

 ふとしたつぶやきのように久須那は漏らした。

「よく気がつきました。たいていの方は気がつかないか、気づいても言わない」シェイラルは真摯な眼差しを久須那に向ける。「ですが、シンボルが違うと思うのはテレネンセス教区以外からお越しの方だけです。ここではこのシンボルが普通ですので」

 シェイラルは棚に置いてあるシンボルを暖かな眼差しで見つめていた。

「フツー?」久須那は問う。

「フツーです。ここは変わらない。変わってはいけないんです。古いままでいることがいいこととは思いません。しかし、天使を召喚してしまった。天使が強く、美しいからといって精霊さまたちを祀ってきた、わたしたちの全てを書き換えてしまっていいはずがありません。それがこのシンボルです」

 シェイラルは棚に歩み寄って、そのシンボルをいとおしげに手に取った。

「そのシンボルを守り続けるのは異常に大変なんだけどね」

「それはもちろん、信仰の対象に“天使”を加え、やがて“精霊”を排除したい今の協会とは正反対の勢力ですからね、わたしたちは」

「現協会とは正反対の勢力か。そうだなぁ。そうだ。って、あれ?」

「どうかしましたか、サム?」

 挙動が少々不審になったサムにシェイラルは言葉をかける。

「いや、俺が王国軍を追い出されて、協会に追われているのって、アイネスタの飲み屋でくだを巻いていた協会の関係者みたいのをぶちのめしたせいだと思ってたんだけどぉ」

「それも、ずいぶんとひどいお話ですね」

「もしかして、あれなのか?」

「あれとは、どれでしょうか?」

「どれって、あれだ。あれ」

「あれ、しか出てこないなんておじさんも末期ですよ。どうにかがんばってひねり出しなさい。例えば、そうですね、自分がイケメンだから、とか?」

「そう、それっ!」サムはシェイラルを指さす。

「へーいっ! そんなワケありますまい!」

 ちゃっきーが大音響と共にサムの足下から参上した。

「……。この方は?」

「そうっ、何を隠そうおいらは」

「チンドン屋だな」サムはちゃっきーから横取りして宣言した。

「チンドン屋」シェイラルは繰り返す。

「そ。より正確にはきっと、あれだ。賑やかし要員ってところだな」

「おいらは賑やかし要員ですかい。んふ♡ てめーら、そんなわけはありますまい。いいかぁ、よく聞け。おいらはこの世でただ一つのジーゼナビゲーションシステムでぇい!」

 そして、間の悪い沈黙。

「そうか。じゃ、その時が来たらよろしく頼むな」

 サムは長くなりそうなちゃっきーとのやりとりをちゃっちゃと切り上げる。

「さて、ちゃっきーのことは一旦忘れようか。そして、そう。久須那が俺たちの関係者になるというのなら、あのお話は聞いておいた方がいいかもしれないな、やっぱり」

「あのお話とは何のお話だ?」久須那は問う。

「この間、ジングリッド兵長がほのめかしていたことさ。覚えていないか?」

「ジングリッド兵長がほのめかしていたこと……」久須那は思い出そうとする。

 そういえば、ナニカ、意味深なことを言っていたような気がする。

「……協会を裏切っているのはおまえだ……?」

「そう、それだ」サムは肯定する。「それを今から教えてやる」

「誰が?」久須那は問い返した。

「玲於那が」サムは即答する。「そうだよな、玲於那?」

 ナンの前振りもなくいきなり話をもってこられても困るのだが、玲於那にはなんとなく予想がついた。おおよそ一年前にこの教会で起きたことを言っているのだろう。しかし、その前に、玲於那にとって少々気に入らないサムの言葉があった。

「わたしのことはお母さんと呼びなさい。次点でおふくろです」

「いや。その。それはちょっと、恥ずかしいかなぁ」

「何を今さら。さあ、呼んでごらん?」玲於那は優しく煽る。「呼んでくれないなら、あなたが伝えて欲しい、おおよそ一年前の出来事は久須那には伝えてあげません。おかーさんとどーしても呼びたくないのなら、自分で久須那に伝えるのですね」

 つんつん。

「いえ、それは、ちょっと面倒くさいから、おかーさまからお願いしたいのです。……と言うより、俺から話すより、玲於那の方が詳しいだろうに」

「回答になっていません! やり直しっ!」

「――はぁ……。では、お母さん、よろしくお願いします」

「大変よくできました。では、久須那、未来の旦那さまの過去についてお話ししましょう」

「はあ……」

 嬉々とする玲於那に、久須那はどうしたモノかと、不安げな表情を隠せなかった。



 テレネンセスは完全な闇に閉ざされていた。

 深夜。そして、豪雨。空から落ちてくる雨滴が激しく石畳を打ち付けていた。時折、上空で巨大な稲妻がひらめき、雷鳴の大音響が雨の町に響き渡った。人通りはあるはずもない。いや、石畳の轍にできた水たまりの水をパシャ、パシャと跳ね上げながら、何者かが息を切らせてかけていた。

 方角から、目指しているのはリテール協会の教会のようだった。

 傘もさせずにずぶ濡れで、ずぶ濡れになることもいとわぬようなスピードで走っていた。まるで、ナニカに追われているかのように。追いつかれてしまったら、何もかもが終わってしまうかのように。

 その何者かは教会の礼拝堂には向かわずに、隣接する司祭の家に向かった。そして、玄関のポーチで一息をつくと、ドアをノックした。

「あなた、開けてください」

「玲於那?」その声色を聞き間違えるはずはない。

「はい、急いで開いてください。追っ手が来ます」

「追っ手が?」疑問。出かけたときには追っ手がかかるような要素は一つもなかったはずなのに。「何があったのですか?」問わずにはいられない。

「説明はあとです。ドアを開けなさい」語気が荒くなる。

 シェイラルはドアを開ける。

 玲於那はたたっとドアの内側に飛び込んだ。そして、シェイラルは手早く辺りをうかがった。今のところ、玲於那の言う追っ手は近くにはいないようだ。安心はできないが、少なくとも玲於那に事情を尋ねる時間くらいはありそうだ。

「それで、どうしてこうなったのですか?」

 シェイラルの問いかけに対して、玲於那は大きく深呼吸をした。

「謀られました」

「謀られた?」

「正確に言うのなら、リテール協会の策略にまんまとはまったと言ったところでしょう」

「ならば、こちらも次の手に出なければなりませんね」

「逃げる?」玲於那は問う。

「逃げませんよ。協会総本部がおいそれとこのテレネンセス教会に手を出せないように布石を打つのです。と言いますか、布石を打ちました。上手く事が運べば、永遠には不可能でしょうけど、当面の間、協会からの不穏な浸食からは免れると思うのです」

 シェイラルは玲於那の瞳をじっと見つめながら発言した。

「どこの誰と何をどのように?」

「セレナさんに頼み込みました。がんばって」

「――セレナさんって、どこのどなたでしょうか?」訝しげに玲於那は問う。

「闇の精霊・シェイドのセレナさん。ゼストさんのおイモつながりで懇意になったので」

「ゼストさんのおイモはいったいどこまでつながっているんですか」

 呆れてものも言えないとはこういうことを言うのかと言うくらい言葉が見つからない。

「おそらく原初五精霊、ファイブシスターズ全員。やはり、胃袋をつかむと強いですね」

 いったい何の話をしてるのだろう。そもそも、精霊に胃袋なんてあるのだろうか。それに、とある組織の一介の司祭に過ぎないシェイラルがどうして、ファイブシスターズなどと言った伝説級の精霊たちとつながりを持てたのか不思議でたまらない。

「ナンか、釈然としない顔をしていますね」

「それは、そうです! こんなこと言っては身も蓋もないですけど。片田舎のただの司祭さまが存在もあやふやな伝説の精霊さまたちとお知り合いだなんて信じられますか? だって、そこのエルフの森の精霊さまとゆるゆるとつながっていることだってあまりにあまりで信じがたいことだって言うのに!」

「まあ、ジーゼにテレネンセスの保護を頼むわけにもいかないので、仕方がありませんね」

「そー言うことを言ってるんじゃありません」

「では、どーゆー?」

 玲於那は頭を抱えて大きなため息をついた。きっと、この途方もないことをしてるのに、全く自覚がないところが精霊たちに受けているのだろうと、玲於那は思う。私利私欲に利用してやろうとか、みじんも考えていない。そんな自然体なところが精霊を引き寄せているのかもしれない。それが無自覚なのがまたよいのだろう。

「協会の総本部はあなたと精霊がこんなに仲良しだって知ってるんですか?」

「知るはずもないです。もちろん、教えるつもりもありません。わたしが大司教を差し置いて、精霊たち、しかも、ファイブシスターズの一部と交流があると知れ渡ると、困ったことになってしまいます」

「わたしにも内緒ですか?」

「玲於那は知っていたでしょう?」優しくシェイラルは言う。「ゼストさんのおイモで」

「そ、それは知っていると言えば、知っていたことになるんでしょうけど」

 少々しどろもどろに玲於那は答える。

「そもそも、ゼストさんがそんな凄い精霊さんだとは思っていませんでしたし」

「みなさん、そう言います」にっこり。「わたしの直接のお知り合いはゼストさんだけですけど、ゼストさんからセレナさんにつながりました。まあ、アルシオーネさん、アクアさん、エリーゼさんたちとお知り合いになりたくないかと言えば、ウソになりますね」

 さらに、ニコニコしながらシェイラルは言う。

「そこまでいったら、もはや、あなたが伝説ですね」

 と、いまいち、緊張感のないお話をしている間にも、刻一刻と時が過ぎていく。

 ダンっ! 激しい衝突音と共にドアが開いた。

「サムっ」

「何だよ、二人して、化け物が現れたような顔をして。俺は化け物じゃないぜ?」

「それはもちろんそうですが、この状況下で、突然現れるとびっくりします」

「アリサさんも一緒ですか?」

 アリサと呼ばれた女性の獣人は猫みたいな耳をぴょことさせ小さくお辞儀をする。

「ああ。たまたまそこで会った。天気もひどいし、少し雨宿りでもしようかとね」

「それは間が悪いですね。今、ここで雨宿りするのは得策とは思えません。現状、危険度マックスです。リテール全土でここが一番ヤバいと思います」

 シェイラルはハッキリと言う。

「何故? またなんかやらかしたのか?」

「特にやらかしたつもりはありませんが、やらかしたのかもしれませんね、玲於那が」

 シェイラルは目線をちらりと玲於那に向ける。

「はいはい。わたしを悪いことにしておけば、何でも丸く収まって楽ですね」

 トントン。

「ししししし司祭さま?」動揺を隠せないひっくり返った声が戸外から聞こえた。

 いつもと様子が違うと言っても、それは今の時間は礼拝堂にいるシスターの一人の声だった。シェイラルは念のため、ゆっくりとドアを開く。すると、真っ青な顔をした若いシスターが雨にずぶ濡れになって立ち尽くしていた。

「し、司祭さま、協会本部からの使いの者という方が礼拝堂の方に……」

「早く、中に入りなさい、風邪を引きます」

 同時に玲於那は大きなタオルを持ち出してきてシスターに手渡した。

「あ、ありがとうございます」

「で、その使いの者はナンだと……?」

「ご用件はお伺いしたのですけど、教えていただけずに……」震える声。「ただ、おかしいんですっ。あんな、あんな氷よりも冷たい眼差しなんて、初めて見ました。あ、いえ、その、その使いの者と名乗ったヒトは司祭さまを礼拝堂に喚べとだけ」

「来たか」

「来ましたね」

 シェイラルと玲於那は顔を見合わせた。来たるべき時が来た。

「では、礼拝堂に行ってみましょうか。――お使いには誰が来たのでしょうね?」

 少しばかり興味津々そうな雰囲気を醸しつつ、シェイラルは家を出た。

 外は――、やはり雨。だいぶん、落ち着きを取り戻したかのようだったが、空には大きくて真っ黒な雨雲が見えるから、まだまだ、降り続けるのだろう。

「俺たちも一緒に言っていいか?」サムは言う。

「かまいませんが、どうなっても知りませんよ」

「こっちの心配までしてくれなくてもいい」

 サムは宣言した上で、アリサを伴って、シェイラルと玲於那の後に続く。

 緊張の瞬間。

 恐怖におののいたシスターの閉め忘れたのか、礼拝堂のドアは半開きのままだった。シェイラルはドアに手をかけ、ゆっくりと開く。中は暗い。明かりは用意していたはずなのに、消してしまったのだろうか。

 雷光が閃いた。薄暗くなった礼拝堂が一瞬だけ、まばゆい光に包まれる。

 ヒトカゲが映える。

「……。また、あのようなシンボルを掲げているのですね」

 凜とした女性の声が礼拝堂に響き渡る。

 聞き覚えのある声色だった。

「精霊さまを信仰するのがわたしたちの教義ですからね。当たり前です」

「玲於那……。お久しぶりですね」

「コハク……。いいえ、今は琥珀さまとお呼びした方がよろしいのでしょうね」

「そんなことはありませんよ。あなたのお好きなようにお呼びなさい。コハクでも、琥珀さまでも、何でも、思ったように」

 そう言いながら、コハクは威圧的なオーラを醸し出していた。

「あなたのそういうところがわたしは好きではありません」

「あら、奇遇ですね。わたしはあなたのことが大嫌いです」

「では、キライなわたしのところにいる必要はありませんね。早々に立ち去っていただけませんか? 琥珀さま」

「わたしがはいそーですかと、引き下がると思いますか?」

「いえ、全然」

「安心しました。それでこそ、わたしの玲於那ですね」

「誰の?」玲於那は瞬間的にコハクに問い返した。

「わたしの。あなたはわたしのモノ。誰にも渡しません」

「大嫌いなのにわたしはあなたのモノ?」

「キライですよ。しかし、好き嫌いとあなたがわたしのモノなのは別のお話です」

「そうですか……。あえて誰かのモノと言いたいのなら、わたしはシェイラルのモノ。無論、シェイラルはわたしのモノ。誰にも渡しませんし、シェイラル以外の誰のモノにもなるつもりはありません」

 玲於那は毅然とした態度で言い放った。

「それでも、あなたはわたしのモノになりますよ、いずれね」

「あなたがどんなにあがいても、思い通りにならないこともあると知るべきです」

「わたしは思い通りにしたことは一度もありませんよ」

 コハクは冷酷な鋭い眼差しを玲於那に向ける。

「周囲が勝手に私の思うままに動いていくだけです」

 考えてみれば、空恐ろしげなコトをコハクはさらりと言う。

「もちろん、わたしの理想を邪魔するものが現れたのなら、ためらわず排除しますが」

 コハクはひときわ冷たい低い声で玲於那を恫喝する。

「あなたの理想は協会の理想ではありません。それにあなたは天使兵団の長であり、リテール協会の理想そのものを支えるのが役割ではないのですか?」

「それは――どうでしょうか?」

 コハクは無表情に言い放った。

「ところで、この場にはふさわしくないモノがいますね」

「それはどう言う意味だ?」サムは問う。

「聞き返すまでもなく、あなたはわかると思うのですが、違うのですか?」

「アリサが協会の教えを信仰するのに何の問題がある」さらに問う。

「答える必要があるとは思えませんね。しかし、まあ、特別に今回はよいでしょう。獣人族の女性に用事があるのでもないですし、特に私の邪魔立てをするようでもないですし」

 そして、コハクはアリサから視線を外すと、玲於那に目を向けた。

「みんな、離れてっ!」

 無詠唱魔法。その兆候がと言うよりはコハクのクセが見て取れた。何の魔法の発動を狙っているのかまでは不明だが、コハクが玲於那と視線を合わせてくる以上、その魔法のターゲットが玲於那なのは揺るぎない。

「どうして……」

「いいからっ、離れなさいっ!」

 ただならぬ玲於那の様相に、サムとシェイラルは渋々少しだけ玲於那から離れた。が、それとは反対の行動をとるものがいた。アリサ。アリサもコハクが玲於那にナニカを仕掛けようとしていることに感づいたのに違いない。

 そして、アリサは全身が玲於那の盾にするかのように玲於那とコハクの間に飛び込んだ。

「アリサっ!」

 その場にいたコハク以外の全員が叫んだ。

 次の瞬間、薄暗い礼拝堂がまばゆい閃光に包まれた。突然の閃光に奪われた視界が戻ってくると、アリサがいなかった。何も聞こえず、何も見えず、まるでどこかの異空間にすぅっと飲まれてしまったかのように姿を消してしまったのだ。

「これはどういうことかしら」

「見たままの通りですよ」コトもなげにコハクは言う。

「それはあなたがナニカの魔法を発動し、アリサが飲まれたと言うこと?」

「その通り。しかし、あなたもナニカを仕掛けたでしょう? どちらかというと、私の魔法ではなく、あなたの仕掛けに引っ張られたと思うのですが、違うのですか?」

 コハクの問いに玲於那は沈黙で答えた。

「しかし、どちらにせよ、余計なことをしなければ、余計な目にあわなくて済むのですけど、出しゃばりですね」コハクは冷酷な眼差しを向け、冷徹に言い放った。「わたしはあなたが欲しいだけなのですから、おかしなコトはしませんよ。そう、ただ……」

「玲於那はあげませんよ?」シェイラルは言う。

「まあ、よいでしょう。そろそろ引き上げる時間です。いいですか? このような目に二度とあいたくなければ、わたしたちに刃向かわず、おとなしくしていることです」

「おとなしくしていると思いますか?」

「いいえ。ですから、それなりの対策はとらせてもらいますよ」

「それなりの対策とは?」

「聞き返してくるとは相変わらずいい度胸をしていますね。――教えるはずもないと思ってわざと尋ねているのでしょうが、……わたしはあなたのそのようなところが大嫌いです」

 コハクは冷たい眼差しできっとにらみつけた。

「しかし、今ここで、ヒトの好き嫌いをお話ししている場合ではありません。他に進めなければならないことも非常に多いので、そろそろ失礼いたしますよ」

 そう言って、コハクは礼拝堂の入口から全くもってフツーに姿を消した。



「気がつけば、サムがあの娘を殺したことになっていましたね」

「ああ。実際、俺が殺したようなモノさ。俺と一緒にこの町に来なければあいつはきっと生きていた。が、まあ、今さらな話だからな。それはもういい」

「もう、いいのですか……?」玲於那は言う。

「今日はやけに絡んでくるね、お母さん?」

「それは絡みたくもまります。長い間、家に帰ってこなかった息子が突然帰ってきたと思ったら、妹を連れていて、それが何とお嫁さん候補だって言うんですよ?」

「そんなことは一言も言っていないよ」

「あら、久須那を連れてきて、アリサのことは吹っ切れたのかなって」

 それは玲於那の勝手な妄想だろ、と言いたくなるのをぐっとこらえる。

「そんなにすぐには吹っ切れないよ」

「ああ、それと、アリサは北の国で元気にやっているそうですよ」

「あ?」変な声が出た。

「何か変なことを言いましたか? わたし」

 シェイラルは不思議さがいっぱいの顔をして、玲於那を見やった。

「いいえ。と言いますか、サムにあの後のことを伝えていないような気もしますけど」

「あー! でも、しかし、あれですよ。あれ。あれ以来、サムが帰ってこないから」

「とりあえず、今のところ、全部ひっくるめて初耳なんだけど?」

「ええ。今度、サムが来たときに話しておかなくちゃと思ってたんですけど、なかなか帰ってきてくれなくて、ずっとそのままになっていました」

 あっけらかんとした様子で玲於那は言った。

「やっぱり、失敗したなぁ。地方をくるくるしてないで、戻ってきたらよかった」

「後悔先に立たず、だね」

 玲於那ににっこりほほえまれて、そんなこと言われた日にはサムに立つ瀬もない。しかし、一年ほどあちらこちらをフラフラしていた事実は今さら変えようのないことだった。

「いや、しかし、あれでどうして、アリサは生きていられたんだ?」

「あれは」シェイラルはサムを見つめて一呼吸をおいた。「あのように演出したのです」

「演出した?」

「ええ」真摯な眼差しをサムに向ける。「正確にはコハクが魔法を放つ動作をきっかけにして、ターゲットそのヒトに空間転移魔法が発動するように仕込んでおいたのです。十中八九、玲於那がターゲットになると読んでましたけど、不測の事態が起きたら困ると思いましてね」

「その不測の事態が起きてあーなったってワケね」

「そー言うことです」

「しかし、表向き、アリサが死んでしまって、エスメラルダや協会と獣人たちとの関係は悪化して、一時的には一触即発の危機的状況までなっただろ。無事、かどうかは知らんけど、死なずに済んだのなら、そういう風に広めた方が獣人と人間との関係性はもっと違ったものになってたと思うがぁ……。まあ、良くなるか悪くなるかはわからんけど」

 サムはとりあえず、思ったことを率直に述べた。

「敵をだますにはまず味方からです」

「だましたのはいいが、ちょっとあれじゃないか?」

「でも、結果として、獣人と協会はにらみ合いの膠着状態になったでしょう」

「なったんだろうなぁ。でも、俺はそれ以降の詳細がわからないんだよな」

「それはまあ、そうなるでしょうねぇ。一年以上も逃げ回っていたら」

「面目ない……が、しょうがないだろ」

「しようがないと言えば、しようがないんですが……」

「だから、困ったことがあったら、すぐにわたしたちを頼りなさいって、言っていたでしょ! あなたは息子、わたしたちは両親! 非人道的な犯罪でもしない限り、わたしたちは絶対にサムの味方です」

「でもなぁ……」

 とてもありがたい。とてもありがたいが、父と母を面倒なことに巻き込みたくはない。

「武装した天使に追われてテレネンセスまで来るわけいかないだろう? そりゃ、おやじとおふくろは匿ってくれるだろうけど、この町の住人に被害が及んだら話にならない」

「ま。自分の命がかかってるのに他人のことを考えるのはサムらしいですが、自分が死んでしまっては守るものも守れなくなってしまいますよ」

 シェイラルはため息をついた。

「サムは強いからそんな自覚もないのでしょうけど」

「じゃあ、コウしましょうか。サムは久須那に守ってもらう」玲於那が言う。

「え?」

「は?」

「と言うことで、久須那に渡したいものがあるんです」

「渡したいもの?」久須那が言う。

「わたしにはもう必要のないもの……でもないんですが、今は久須那がもっていた方が役に立つでしょう。これがあれば、あなたの魔力の上限をあげることができる」

「それは何?」久須那は問う。

「では、地下室に行きましょう」

「いや、待て。また、あれか? ジャガイモ倉庫」

「違いますよ。その隣に武器庫があります」

「武器庫?」唐突に物騒な言葉が飛び出してきた。

「そう、武器庫です。自衛の手段くらいはもっていないと、有事の際に蹂躙されて終わりです。あ。教会だから襲われないだろうという妄想はしてはいけませんよ?」

「しないけどよ。お父さまからそんな言葉が飛び出るとは思わないよね?」

「いつも、ひっそり命がけでしたからね。仮にも平和を愛する協会が表立って武器を持っているなんて言えませんし、それは子どもたちには内緒でした。ま、気がついていないのはサムだけでしたけどね」にやり。

「じゃ、レルシアは?」

「あの娘はかなり聡いですからね。かなり早いうちに気がつきました」

「あ・な・た、雑談が過ぎます」

 玲於那はぴしゃりと言い放つと、先頭に立って階下へと向かう。先ほど、のぞき込んだジャガイモ倉庫のさらに奥、廊下の突き当たりを右に曲がったところ。玲於那は厳重に施錠された扉を開けて、一同を内部に促した。

「暗い……」サムがポツンと漏らす。

 と、同時に玲於那はパチンと指を鳴らす。すると、部屋の隅にある燭台に火がともった。

「失礼いたしました。これで、文句はございませんね?」

「ははぁ、お母上さま」

「わざとらしい」

 ぶつぶつ。

「しかし、まあ、よろしいでしょう。久須那、こちらにいらっしゃい」

 玲於那に促されて、久須那は武器庫へと足を踏み入れた。見回すと、流石に武器庫と言うだけあって、物騒な物品がそこら中にゴロゴロしていた。

「これは危機管理的にどうなんだ? ここを先に押さえられた大変なことになりそうだが」

「まあ、それ故、おイモの倉庫の奥ですよ。ここの入口はわたしか玲於那が許可しない限り、入ることはできません」

「ゼストさんのおイモの結界?」

「そんなすごいものではありませんよ。ただの中級隠蔽魔法です」

「ただの中級隠蔽魔法……ね、ただの。おイモの結界よりもすごくない……」

 つぶやきながら、サムはクルリと天井や床などを見渡した。特に不審な点は見受けられない。何もかもが普通で、あえて言われなければこの場が隠されているとは気がつかない。

「久須那、こっちです」

 玲於那が指し示した場所には弓立てがあり、弓が立てかけてあった。

「しばらく使っていませんが、久須那の役に立つはずです。ま、つまりはこれでうちのぼんぼん息子を守ってやりなさいってコト。いつだって、ヒトを守ることしか考えてないんだから、一度は守られる立場になってみたらってのよ」

「そうはいうけどな」

「黙れ」玲於那はすごんだ。「どんなに強くても、一人では行けない道のりがあるんです。その道では一人でどうにかしようとするのではなく、久須那に背中を守ってもらいなさい」

「わたしがサムの背中を守る?」

 そうつぶやきながら、久須那は玲於那の弓を手に取った。ほんのりと暖かいような気がする。しばらく使っていないとは言っていたけれど、手入れはきっちりとされているようだった。久須那は握りをしっかりと握り、軽く弦を引いてみた。

「……。玲於那の存在を感じる――」

「それは横にいますから。――はいはい、そういう意味ではないですね。わかっています。それにはわたしの魔力が宿っていますから、そういう風に感じるのだと思います。その弓を持っている限り文字通りの孤独な戦いを強いられることはないでしょうから、今までよりもそれなりに楽になるんじゃないかとも思うんですけどね――」

「きっと、そうなると思う。ありがとう、玲於那」

 玲於那がいつもそばにいる。それだけで助けられることがこれからたくさんあるのだろう。久須那は玲於那からもらったばかりの弓、新しい戦いの相棒をじっと見つめ、それからとても大事そうに抱きしめた。

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