05. 久須那の苦悩と闇の真実
サラマンダーズバックへアルシオーネに会いに行くという選択は果たして正解だったのだろうか。サラマンダーズバックに向かっていそうな天使の一団を見かけたから、サラマンダーズバックのアルシオーネに会ってみようかと軽いのりで重大な判断をしてしまったような気さえする。
「へぇい、どーした旦那しゃまぁ、浮かない顔でげっそりダァ」
どこかに置き去りにしてきたような気がするちゃっきーが言う。
「お前、今までどこにいたんだ?」
「うふ♡ そりは内緒。いひひぃ、そんなことよりさてはアルシオーネたんが怖くなったんだなぁ。そうでなけりゃあ、貴様の憂鬱な面は説明できますまい!」
「そんなこたぁないよ」
努めて朗らかに言ってみる。
「んふ~。それだったらよぉ? てめぇんちのおとーさまに仲介を頼んだらいいのではありませんかな?」鼻高々そうにちゃっきーが言った。
「何故に?」
「おっと、忘れちまったのかい? チミのおとーたま、何者だった?」
ちゃっきーは知らないわけはなかろうとばかりにサムを煽る。
サムはちゃっきーの意図がわからないままにとりあえず答えてみた。
「リテール協会テレネンセス教区、テレネンセス教会の司祭さま……」
「ぬー。ちーと違うんだなぁ。視点を変えて見るべし!」
「……? 視点を変えてみる?」
ちゃっきーにそんなまともなことを言われるとはサムも予想外だった。いつもおちゃらけていて、どんなときも真面目な会話になったためしなどにというのに。今日はいつもと何が違うと言うつもりなのだろう。
「わかんねーかなぁ。お前んちのパパ助さまはどなたとお知り合いだったっけ?」
「パパ助……」
「そーパパ助」ちゃっきーはにんまり。
「……」サムは腕を組み、目を閉じて考えた。「――そー言えば、昔、おやじはリテール平原に行ったことがあったな。その時、確かぁ、平原のど真ん中で道を見失って、どーのって言っていたような気がする」
サムはさらに、思考を巡らせる。
「――」
悪夢がよみがえった。あれはサムが十一歳か、十二歳あたりの頃だった。細かいところまではよく覚えていない。けれど、テレネンセス教会の地下倉庫がじゃがいもだらけになったのを覚えている。しかも、それが食べきれなくて大変なことになったことも。
「あれは大変だった。腐ったじゃがいものにおいはこの世のものとは思えなかったなぁ」
「つまり?」ちゃっきーが促す。
「ゼストか……」
「イエス、ゼストちゃん。まーてめぇはすっかり忘れちまってるだろうがよぉ。きぃっと我らのゼストちゃまは覚えてると思うんだぁ。け・れ・ど、いきなりゼストちゃまに会おうって言ったって面会拒否されちまうぜ。だぁからぁ、まずはパパ助さまにゼストへの取り次ぎを頼み、次いで、ゼストちゃまからアルシオーネたんに、会わせたい子がいるの♡ と、面会の予定をねじ込んでもらうのだ!」
何故か知らないが、自信過剰気味にちゃっきーがまくし立てる。
「そんなことで会ってくれるなら、不帰の谷のアルシオーネとか、呼ばれないだろうし、ナンも苦労しないと思うんだがね?」
「ぬふ、よいところに気がつきましたね、旦那」
ちゃっきーは変な笑顔を浮かべる。
「世の民はそもそも、ファイブシスターズが現実に存在してるなんて、夢にも思ってねぇーぜ。ヤツらは神話だけの存在でさぁ。だがしかぁし、現実はどうだい? サラマンダーズバックにはアルシオーネがいて、エリモにはエリーゼがいて、ブルーレイクにアクアがいて、闇の中にセレナがいる。そして、リテール平原にはシェイラルたんがお友達、大地のゼストがいるのだ。それってすげーことじゃない?」
「……長いよ」
無を体現したような無表情でサムは言う。
「ところで、久須那。ついて来いとは言ったが、お前は本当に俺についてくる気なのか?」
「他に行くあてもない」久須那は率直に答えた。
「他に行くあてもないか」
サムは小さな声で、久須那の主張を繰り返す。実際のところ、サムに負け、サークレットを外されて、その命令事項を完全消去されたとあっては協会の総本部に帰れるはずもあるまい。仮に帰ることがあったとしても碌でもない現実が待ち受けているだろう。と言って、協会に使役され、協会のほかに何かしらの関係性を持っていそうもない久須那は本当にどこにも行くあてがなさそうだった。
「まあ、いいや。少し、一休みしようぜ」
サムは街道筋に小さな野営場を見つけてそこでお休みすることにした。この道はテレネンセスという近場の大きな宿場町を経由せず、エルフの森付近から完全にウインヒルの外れのロンバルド王国への国境の町へと直通している。エルフの森を突っ切る街道ほどではないだろうが、ここも人気はなさそうで、それ故、この先に行っても立派な野営場や宿場町はなさそうだ。
「ま。打ち捨てられたように見えつつも、まあまあの設備だな」
あたりをくるっと見渡して、小さなベンチを見つけるとそこに座った。
「サム……。協会に追われるようになってからどのくらいになる……?」
久須那は問う。
「エスメラルダ王国軍を放り出されて以来だからな。もう、一年かそこらになるんじゃないか? ――そんなことを聞いてどうする? じり貧のどん詰まりと言ってもな、そー簡単には捕まらねーし、殺されるつもりもねーんだ。前も言っただろ?」
「そういうことではないんだ」
久須那はつぶやくような小声で言った。
「じゃあ、どういうことなんだ?」
「――どういうことなんだろうな」
久須那はサムの隣に膝を抱えてお上品に腰を下ろした。
「そこまで言っておいて、はぐらかすなよ」
「そうだな」
久須那は自分の考えを口に出してよいものかと尻込みをした。言ってしまったら、本来なら久須那自身の妄想だったはずのことが現実になってしまいそうでとても怖い。けれど、黙っていたからと言って、事態が改善されることも丸っきりなさそうだった。
「コハクさまが天使長になられた後だと思ったんだ」
「ふん? コハクが天使長になってなければコウはなってないと言いたげだな?」
サムは久須那の言葉にしなかった部分を補ってみた。
「シオーネさまは権力を誇示するような方ではなかったのに……」
「今じゃ、権力にものをいわせて大変なことになってるな」サムは言葉を切った。本来的に久須那はこう言いたかったのかもしれない。「シオーネはコハクにそそのかされているってことか? だとしたら、コハクは相当に大がかりで、協会のあらゆる組織に影響力を持ってる事実上の影の支配者というか、あれだ、あれ」
「黒幕、と言いたいのか?」
「そう、それ」
「わたしが来たころの協会はリテールに根ざして、リテールの精霊さまたちを敬愛し、信者たちの生活に寄り添っていたはずなのに……」
さびしそうに久須那は言う。
「そうか。そう、ところでそこまで言う久須那はいつ頃、こっちに来たんだ?」
サムはフとした疑問を言葉に発した。コハクが手に入れた権力を盾にして、協会内部を改変しつつ、さらなる変貌を求めるというのなら、それを横から眺めてきただろう久須那はいったいいつ、このリテールに喚ばれてきたのだろうか。
「――もうそろそろ、三十五年くらい」
「意外と長いんだな。とても三十五歳以上には見えないな。二十代前半くらい?」
「な・ん・の話をしてるんだっ! わたしはお前よりずっと年上だぞ! 天使と人間では寿命が違うんだから、年の取り方も違うのは当たり前だろ?」
「ふふ、怒った顔をかわいいな」
「茶化すな!」
「茶化してなんかないさ。久須那はかわいいんだよ」
「……どのくらい?」ついつい聞いてみたくなる。
「そうだなぁ。世間一般、十人が十人がかわいいって言うな、間違いない」
「そんなに?」嬉しそうに久須那は言った。
ほほえみの見える久須那の横顔もなかなかいいとサムは思う。ジーゼの慎ましやかな笑いと比べてついつい眺めてしまう。冷たそうに見えた美人の素顔は意外と暖かさに満ちあふれているのかもしれない。
「で、そんなカワイイ久須那ちゃんはおいくつ?」
「――! そ、それは内緒でお願いします」
「ま、いずれわかりそうだから、まあ、いいか」
「ゼッタイに教えないっ!」ぷんぷん。
「ま、そこは気長にいかせてもらうさ。さて、話を元に戻そうか。コハクが召喚されてきて、天使長になって、そんでもって、ん、いや、順番が違うか。召喚されて、秘めた実力を発揮して、天使兵団を統括する立場になるころには協会をひっそり掌握できていたって感じの話だっけ? 協会の教義と信仰を無視して?」
サムは今までの話をざっくりと思い切った要約にしてみた。
「そんな話だったか?」
「そんなような話だった」
サムは久須那の瞳をじっと見つめて、話を続けさせようとする。
「……まあ、いいことにしておいてやる。一つ貸しだぞ」
久須那は意地悪なほほえみを浮かべて、先を続ける。
「協会は変わってしまった。……本当は、もしかしたら、ずっと以前から変質し始めていたのかもしれないけれど、目に見えた変わったのはコハクさまが現れて、やがて、兵長にそして、天使長になられてから――。精霊信仰を基本にしていたはずなのに、少しずつ精霊さまたちから離れて、違うものになろうとしている」
久須那はぽつぽつと考えたことをはき出しているかのようだった。
「精霊の信仰からはきっと離れないだろうな」
遠い空の彼方を見てサムは言った。
「もちろん、コハクの話を真に受けて、俺の予測があっていればと言う二重の条件付きだから、必ず当たるとは言えないがね」
サムが視線を久須那に向けると、久須那は不思議そうな顔をしてサムを見ていた。
「現況を鑑みるに、協会の方針は今、二択なのだと思う。一つは人工精霊。巷では、正規、非正規問わず、協会が猫目石を大量に収集しているという話だ。ま、あれはそう簡単には収集できないからな、トレジャーハンターからの違法ルートが大半だろうさ。而して、精霊核を生成するとされる量の猫目石を集めたからと言って、実際に精霊核が生成されて、精霊が生まれるのかは全くの不明瞭、生まれるかもしれないし、生まれないかもしれないし、それどころか、別のナニカが発生する可能性すらある」
「人工的に精霊を作ってどうする?」
久須那は端的に問う。
「久須那から聞きたかったんだが、昨日の様子だとホントに知らないんだろうな」
「……面目ない」しょぼん。
「ま。それはいいさ」サムは改めて続ける。「自分たちの思い通りに動いてくれる信仰の対象が欲しいんだろう。ファイブシスターズなんか、聞いてるだけであくが強すぎて、協会のためになんかアクションを起こしてくれないだろうし、そもそも、協会なんか知ったことじゃないだろうさ。それに一般人には神話だけの存在だからな、あれらは」
サムは自分を納得させるかのように語る。
「そして、二つ目。神話の時代の精霊たちを現世によみがえらせる」
「おうっ! よみがえらせるもナニも彼女らは今もなおいるんだぜ。わかっておるのか、チミたちは? 恐れ多くもファイブシスターズが筆頭、アルシオーネたんなどはサラマンダーズバックに君臨する炎の女王。来るもの全てを溶岩に沈めるまさに悪魔!」
ちゃっきーの語る言葉に熱が入る。
「その悪魔も冒険者の間だけだろ? 市井の民は知らないよ。俺もな、ちゃっきーにさんざん脅かされるまで、そんなのがいるとは思ってなかったよっ。いや、な? もちろん、精霊全部を信じてない、いないと思ってるって意味じゃねぇぞ?」
サムは少々慌て気味に、追加の情報を発信する。黙ったままにして、後ほどジーゼやクリルカに告げ口をされてしまったら、それこそ大事件に発展しそうだ。
「いひひ♡ おいらと出会う前にゼストちゃまとよろしくしてたくせにぃ~~♡」
ちゃっきーは目を細めてサムに近寄ると、肩の辺りをつんつんと突っついた。
「いやっ、あの時はゼストがそんな凄い精霊だとは思っていなかったワケでして。むしろ、ただの農家のおねーさんと言いますか」しどろもどろにサムは答える。
「じゃあ、ジーゼたんはぁ?」ちゃっきーはさらに追い打ちをかける。
「ジーゼ?」どうして急に言い出したのかと、サムはちゃっきーを見つめた。
「およ? この間、ジーゼたんが言っておったでぇ。サムっちとは幼稚園の頃からのおつきあいだとなぁ。それを忘れるとはとんだ薄情者だぜ。かわいそーな、ジーゼ」
ちゃっきーの指摘にサムはしばらくぼーぜんとしていた。
そんなことが本当にあったのだろうか。
「俺はジーゼを知っていた?」
「イエス! だがしかし、正確にはチミたちはジーゼを知っていた、だろうねぇ?」
「何故?」
「お、何故ときたか。そりゃあねえ、チミたちご家族さまがジーゼちゃまとお友達、もしくはお知り合いだったということね。シェイラル、玲於那、レルシアに、チミ!」
最後のところで、ちゃっきーはサムを素晴らしい勢いで指さした。
「実際、その時、まだクリルカちゃまはいなかったよ」
「クリルカはいなかった」
「そークリルカはいなかったの。まーそんなこたー今となっちゃぁ些末なことよ。けど、あれは……。いんや、いいや、深追いするときっとこの世の終わりになっちまう」
どのあたりで世の終わりになってしまうのか、はなはだ気になるところだが、突っ込みを入れるとお話が終わらなくなりそうなので、そこはぐっと我慢する。そして、ちゃっきーの指摘について思案し始めた。
「俺とジーゼがお友達だった……」
「んふー♡ イエスっ! しかも、とっても大事なお友達だったのだぜぇい」
では、どうしてそんなに大事な友達のことを今の今まで忘れてしまっていたのだろう。いや、その前にどうしてこんなにも物知りなちゃっきーがその事実をサムに告げなかったのだろうか。これだけの前情報があれば、もっと楽に事が運んだはずだ。
「お前の内緒事はわざとなのか?」
「んー? わざとのようで、わざとではなく。意図的のようで意図的でもなく。行き当たりばったりと言えば、そんな感じもしなくはなく。おいらに知らねーことはねーけれど、やっぱり知らねーこともあるんだな」
「どっちなんだよ」
「どっちでも?」にやり。「しかしまあ、お前はナニカを見たんだろナ? そりがナンなのかはおいらも知らにゃい。お前がシランもんはおいらも知りようがないんだな、これが。うひ♡ がんばって思い出せば、ナンかイーことあるかもねー」
意味深風味の発言をちゃっきーはする。
しかし、そんなに簡単に思い出せるのなら、そもそも、今の今まで忘れていたナンとことは起こりえない。忘れたり、思い出したりしながら、記憶は維持されたままになるはずなのに。サムは自分自身がエルフの森に出入りしていたことがあったなんて覚えていない。ほんのひとかけらさえも。
何故?
「――俺は見てはいけないものを見たんだ」
背中に冷たい汗が流れ落ちるのを感じた。
記憶を消されたとか、そんな物騒な話ではないと思う。見てはいけないものを見て、それがサムの記憶に少なからず影響を与えたのは間違いない。ただ、それはジーゼが見てはいけないと指定したのではなく、サムが勝手にそう思い込んだものなのには間違いない。そうでなければ、この間、エルフの森に訪れたときに、出会いの時にたたき出され、おうちや耳長亭の世話になることなどなかったはずだ。
けど、それが何だったのかは今は思い出せそうにもない。きっと、きっかけがあればフと思い出すたぐいのもので、案外、たいしたものではないのかもしれない。が、当時、少年だったサムにとっては存外、とんでもなく恐ろしいものだったのかもしれない。
「ミテハイケナイモノ」
ちゃっきーが恐ろしげな声を出す。
「精霊核とか、そんなんじゃなかった気はする。別に、ジーゼ的に見られて困るとか、見ると死ぬとかそういう風でもなかったはず。――ただ、近づきにくくなったんだ」
「罪悪感をもっちまうなんて、てめーにしちゃぁ、しおらしいじゃねぇかぁ?」
「違う。そうじゃない。怖かったんだ」
サムは口元を左手でおおい、焦点を結ばない眼差しはどこか遠くを見つめていた。
「おまえが怖いだなんて不思議だな」久須那は言った。
「それは俺にだって、怖いものはあるさ。ただ、ナニが怖かったんだ?」
それがわからない。忘れた方がいいと無意識に考えたナニカ。それを覚えていたのなら、その昔、エルフの森に出入りしていたことも、ジーゼと友達だったことも忘れていはいないはず。そして、再び、エルフの森に訪れたときにサム自身がジーゼとは初対面だったなどという行動はしなかったはず。
思い出せない。
「今日はここで打ち止めだなぁ。一休みのつもりだったのに、暗くなっちまった」
「まーいいタイミングだろうさぁ。ひひ」
「気持ち悪い笑い方をするな」
「気持ちは悪くないもんねー。おいらはいつだって快適、快眠だぜぇい」
「そういうことではない。が、ま、久須那も夜は動かない方がいいだろう?」
「わたしは活動してもかまわない。と言うか、むしろ、行動して欲しい」
「あ?」思ったよりも遥かにアクティブな回答が来た。「行動して欲しいと言われてもナ、夜道は危険がいっぱいだ。このあたりは町から離れすぎてるから、追いはぎもナンも出ないだろうけど、もしかしたら、魔物は出るかもしれないぞ?」
サムはちょっぴり久須那を脅かしてみた。
「――ここに魔物は出ない……」
「いや、まあ、確かに」
「でも、もし、魔物が出てきたら、わたしが蹴散らしてあげる……」
「そうか、じゃあ、蹴散らす代わりにちょっと火でもおこしてもらおうかな」
ここは小さな野営場。人気がなく、設備がしょぼいと言っても、管理は行き届いているようで、お泊まりするには困らないくらいのものが準備されているようだ。サムは近くの薪置き場から、薪と焚き付けを引っ張り出してきて、あらかじめ作られていた焚き火台に薪を並べ、焚き付け用の資材をセットした。
「さて、魔法を使っていいから、燃やせ!」
「無茶な」久須那は言う。
「無茶でもやってもらわないと困る。とりあえず、ナンか食いたいだろ? まーそりゃあたいしたものはないが、ジーゼにもらった乾燥させたマッシュポテトがある。何でも、ゼスト製だそうでお湯で戻すだけでもおいしいとのことで――、だから、燃やせ」
「つまり、お湯が欲しいと言うことか?」
「そ。お湯が欲しいと言うことだ。俺は瞬間湯沸かしなんてできないからな?」
「わたしだって、そんな芸当はできないぞ。そもそもだ、そんな狭いところで焚き付けに火の魔法を放てなんて、お前、バカだろ? 焚き火台ごと吹っ飛ぶ」
「じゃあ、吹っ飛ばない方法で着火してくれ」
呆れてものも言えないとはこういうことを言うのだろうか。久須那はしばらく考えた。長い間旅をしてきたのなら、火をつける道具くらいもっているはずだ。それなのに、わざわざ、久須那をおちょくるように言ってくる。これはナンだ?
「もしくはお湯が出てくるなら、何でもいいぞ、今回は」
何でも言いと言われても、そもそも、空気中から水をとりだしてお湯にするなど高難度過ぎてどうしようもない。そんな魔法を行使するくらいなら、川から水をくんできて湯沸かしをするオーソドックスなスタイルの方が手っ取り早い。
「お前……、ゼッタイわざとだろ?」
「サテ、ナンノオハナシカシラ?」サムは白々しく答える。
「イェイ、サムっち! お湯、もらってきたで! 入れ物をよこせー!」
「もらってきたって、いったいどこの誰からもらってって、あっちちいぃいいいっ」
不意にちゃっきーが現れるのと同時に、熱湯が降り注いだ。
「うふ♡ 愛しのアルシオーネたん。お前に会いたい男がいるんだって、言ったらさあ、おとといきやがれって、大量の熱湯をいただきました! これぞ、おとといきやがれ、渡りに船作戦ってワケだ。このお湯で、ゼストちゃま特製の乾燥マッシュポテトをおいしい、おいしい普通のポテトに仕上げるのだぞ」
「いや、もっとましな方法があるだろう? そもそも熱湯でとくものじゃない! と言うか、アルシオーネに会いに行くために、ゼストの仲介を頼むんだったロ? お前が直接行けるなら、そっちの方が早いんだが、どうなんだ!」
「おほっ! 結果はこのざまよ。お前があんまりにまどろっこしいから、俺さまが直に動いてやろうと思ったのよぉ。そしたらこうなった」
悪びれる様子もなくちゃっきーはすっとこどっこいナことを言う。
「やっぱ、ゼストちゃまのステキな笑顔がないとアルシオーネたんの氷のココロを解きほぐすことはできないのですなぁ」
何を言ってるんだこいつは。と言いたいが、そんなことを追及してもらちがあかない。そもそもがちゃっきー自身がきっちりとアルシオーネとの仲介役をできるのなら、ゼストを紹介してこないだろうと思い込むことにした。
「で、アルシオーネのご機嫌を損ねてきたってワケだ」
「いひひぃ、そんなことはねぇと思うな。けっこう楽しそうだったぜ、アルシオーネたん。これで、サムっちがゼストちゃまと上手いことやったら、いきなりマグマの中にドボン! って残虐非道な行いも起きないこと、請け合いですな」
「ホントーかよ……」サムはちゃっきーの発言にあきれ果てて、大きくため息をつく。
と、そんなドタバタなやりとりの横で久須那がうつらうつらし始めた。
「どうした? 久須那、急に黙って。眠いのか? 寝てもいいんだぞ」
「眠くない」久須那は目をこすりながら言う。
「そんな眠そうなつらしていっても、説得力ないぞ」
「眠るのが怖いんだ」久須那はつぶやいた。
「子どもじゃないだろ? 先はまだ長いんだ。寝ないともたないぞ」
「――怖い夢を見るんだ」ぽつり。
「怖い夢か。……お化けでも出てくるのか?」
「お化けは出てこない。出てこないけど、途方もなく怖い夢。眠るとわたしはいつも牢獄にいる。ううん、どんな夢を見ても最後は牢屋の中。始まりはフツーの夢でも、途中がどうだったんだとしても、覚えているのは怖かった? 悪夢だけで……」
「それでも、眠らないわけにはいかないんだろ」
「うん……天使もヒトも睡眠が必要なのは変わらない」
「だったら、寝ろ」サムは渋る久須那をにらみつける。
「そんなこと言われたって……。怖いものは怖いし、眠れないものは眠れないんだ」
だだっ子みたい。自分でそう思いつつも言わずにはいられなかった。
「今日は俺が起きててやるから、安心して眠るがいいさ」
「無理」即答する。
「無理。無理でも何でもいいから、寝ろ! 今後どうなるかなんて予想がつかないんだ。四の五の言ってないでさっさと寝ろ。寝不足でやられたなんてなったら、笑い話にもなりゃしねー」
「それでも……」
「はぁ……」サムは大きなため息をついた。「お前、一度言い出したらきかないのな。初めて会ったときから思ってはいたけど、久須那って、頑固だな」
「がんこ?」
「そー。別にそれが悪いってんじゃないけどよ、もう少し融通が利かせられるようにならないと、やってられないぞ。特に俺と一緒に行動するなら、理不尽なことやら、バカバカしいことやら、変なことがてんこ盛りだからなぁ。頑固一徹だと、途中でくたばっちまうと思うんだよねぇ? 思考を柔軟に。ふにゃふにゃなくらいで丁度いいかな?」
「ふにゃふにゃ?」
「そーふにゃふにゃ。もちろん、きっちり芯はないとダメなんだが、おまえはそれ以前の問題だ。しかし、今そんな話をしてもしようがないから、さっさと寝ろ」
堂々巡りの輪の中にいるようだ。一回りをして同じ場所に帰ってきた。
「怖い……」ぽつん。
「はぁ……」サムは思わず頭を抱えそうになった。
「わたしは……」久須那はサムの服の袖をぎゅっとつかんでいた。「わたしはおまえが思っているほど強くはない……。天使だから強いと勘違いされても困るんだ……」
そして、夜は更けていく。
※
夢を見ているのだろうか。ふと、そんな思いが頭をよぎった。
久須那は高みからやけに冷静にナニカを見下ろしていた。視界がかすんでよくわからない。ここはどこなのだろう。しかし、見覚えのある場所だった。
そして、どこかで聞いたことのあるような声が聞こえていた。
「わたしには大司教さまの真意がわかりません……。シオーネさまは何をなさろうとしているのでしょうか」
「久須那、この場でそのような発言は慎みなさい。誰が聞いているかわかりませんよ」
書棚に向かっていたヒトが書物を一冊手にとって久須那の方に向き直った。
「ですが、レルシアさま……。――わたしは……」
「落ち着きなさい」
「でも――」
レルシアと呼ばれた女性は真摯な瞳を久須那に向け、静かに首を横に振った。
「あなたが何を思っていてもそれだけは自由です。ですが、その思いを言葉に出してしまってはその言葉の責任を取らねばいけなくなりますよ?」
「……」久須那は一瞬、口をつぐんだ。「レルシアさまの言うことは理解できます。しかし、シオーネさまやコハクさまの真意が――っ」
言葉を続けようとする久須那をレルシアは遮った。
「それ以上、言葉にしてはいけません。一生、ずっとだなんて言いませんから、今しばらく、我慢なさい。コトの真相はあなたが探らなくとも、時期が来れば明るみに出ます」
「それは――」
レルシアが独自に調査していると言うことなのだろうか。とは聞けなかった。
コンコン。
何者かがレルシアの居室のドアをノックしていた。レルシアは硬直する久須那をそのままにしてドアに歩み寄り、返事をした。
「どなた?」まるで何ごともなかったかのような済ました声。
「久須那どのはおられるかな?」
男の声。おそらく、ジングリッド兵長だろう。
「いますよ。しかし、どのようなご用件でしょうか? 今はプライベートな時間のはずです。お仕事のお話であるのなら、また、勤務時間中にお願いしたいモノですが」
静かな口調の中にも、抗議する姿勢がはっきりと感じ取れた。
「翌朝までのんきにしている時間はありません。私的な時間をお邪魔して申し訳ございませんが、ドアを開けて、久須那どのとお話しさせていただければ幸いです」
丁寧な言葉遣いではあるけれど、一歩も引かない心づもりの様子だった。こうなると、レルシアには少々分が悪い。今現状、天使兵団に関わるものに借りのようなモノを作りたくない。と言って、久須那を差し出すようなまねもはばかられるのだが、借りにするくらいなら貸しにした方がいくらかましだろう。
レルシアは閂を外して、おもむろにドアを開いた。
「――ジングリッド兵長自らお出ましとはお珍しい」
「久須那がレルシアさまのところにいると聞き及んだのでね。この広い建物の中を捜すのも面倒ですし、この際ですから、コハクさまから久須那への指令をレルシアさまにもお伝えしておこうと思いまして」
「そうですか? わたしは特に知りたいとは思いませんよ」
レルシアは冷たく言い放つ。
知る必要はない。協会執行部と天使兵団の活動などレルシアには筒抜けだ。
「左様ですか。では、レルシアさまは聞かなかったことにでもしていただければ。さて、久須那、すでに察しているとは思いますが、申し伝えます。エスメラルダ王国軍元幹部、サムを捕らえなさい。それがならないときは殺害してもかまいません。これはコハクさまから、あなたへの直々のご命令です。くれぐれも反故にすることのないように」
さげすむような、ジングリッドの冷めた視線が久須那に突き刺さる。
「わたしの順番が回ってきたのですね」
「仕方がありません。今まで、サムに敵うものがいなかったのですから。天使が人間ごときに後れをとるとは情けない。――。では、滞りなく頼みましたよ」
見下した、さげすみを内包したジングリッドの視線が久須那に向けられていた。
「それでは、おくつろぎのところに長居は野暮でしょう」
ジングリッドは軽く一礼をすると、レルシアの部屋を出て行った。
そして、残されたレルシアと久須那の二人の間には長い沈黙が訪れた。
「久須那はどうするのですか」
選択肢などない命令に、レルシアはあえて久須那に回答を求めた。
「わたしは――従うしかありません。このサークレットがある限り、わたしは協会の命令に背くことはできないっ!」
久須那は声を荒らげる。何からも自由でいたいのに、協会の使命が書き込まれたサークレットのせいで自分の思いに忠実に行動することもままならない。
「そうですね。命令に背くことはできません。背くことはできませんが、何もかもが不自由というのでもありません。サークレットの縛りには穴があるのです。――術をかけた者の全く意図していないところにね。あれはそういう術なのです」
「でも、わたしにその穴がどこにあるのかなんて、わかりっこありません」
「かもしれません。しかし、意図しない抜け穴というのは思いも寄らぬ時に見つかったりするものです」
「……そういうものでしょうか?」久須那は疑問を呈す。
「そういうものです」レルシアは久須那を見つめた。「しかし、何もヒントをあげないというのも少々酷かもしれませんね。そう、剣を交える前にサムと話してごらんなさい」
「何故です? リテールのヒーロー。でも、今は協会に仇なす者として追われる身。どうして、そんな男と話してみる必要があるのです?」
「コハク天使長、ジングリッド兵長の言うことだけを信じているのであれば、それでもよいでしょう。しかし、あなたはそれに疑問を持ってしまった。ならば、当事者のもう一方であるサムの言い分というのも聞いてみてもいいと思いますよ?」
レルシアはにっこりとほほえむ。
「――レルシアさまのお言葉は心にとめておきます。でも、わかりません……」
「わからなくとも、問いかけてみるのです。話したくなくても、一度は声をかけて、話をしてみたくなる。あれは……そういう男です」
今、思えば、こうなることもレルシアの思惑のうちだったのかもしれない。
サムに負けて、サークレットを奪われて、協会の支配下から逃れるところまで。
「サム、わたしはお前に負けてよかったんだよな……」
「……ホントウにそれで間違いなかったのかな……」どこからともなく低い声。
「誰?」
「誰……? なんだろうね。ひひひ――」
そして、静寂。
「サムを捕らえることも殺すこともできずにおめおめと戻ってきたなら、お前もあの部屋に行くことになろうだろうな。そうなりたくなければ、任務を果たすことだ」
出発する直前にジングリッド兵長が言った言葉がふとよみがえった。
「はい……。わたしが失敗したら、次は誰が……?」
「次のことなど考えなくともよい。失敗したら、お前は――」
次の瞬間、久須那は真っ暗闇の中にいた。
じめじめしている。かび臭い。
どこからともなく、水滴が床に落ちる音がする。
「ここは……?」
「ここは……どこだろうね……、ひひ」
くぐもったどこかいびつな声が聞こえる。恐怖に動悸がする。ここから出たい。出られなければ、殺される。確信。ユイもミナも、誰も帰ってこなかった。始末されたのではないにせよ、ただですむ道理がない。
「ひっ、ひいぃぃい。誰か、この扉を開けてください!」
あまりの恐怖に腰が立たない。久須那は這いつくばって扉をたたく。
「レルシアさま、レルシアさま! 開けて、開けてくださいっ!」
「レルシア……とは誰だろうね? そんな名前のヒトなどここにはいない。いてたまるものか。ひひ、ここには誰も来ないよ。そう、誰も来られないんだ。ここにはわたしとお前の二人だけ。おおっと、天に昇り損ねた亡霊もいるかもしれないね」
「い、いやあああぁああっ」
「どんなに叫んだって、誰にも届きはしないのさ。ここはそういう場所」
「ひぃっ、レ、レルシアさまーっ!」
久須那の悲鳴はどこにも、誰にも届かない。ただ、石造りの湿気った壁に、閉じた狭い空間に消えていくだけ。見送った仲間たちの末路を自分も追いかけるとは予想さえしていなかった。それこそ、こんな事態は妄想の彼方の出来事だったはずなのに。
どうして、こんなことになってしまったのか!
※
「おい、どうした、久須那」
「はあ、はあっ!」
久須那はこれまで感じたことのないくらいの動悸がする。恐怖。怖い、怖すぎる。全てをなげうってでもどこか、協会と二度と関わりを持てないほど遠くに逃げてしまいたい。
「サムっ、わたしは、わたしは、本当はどうしたらよかった?」
久須那の泳ぐ視線がサムを捕らえた。
「落ち着け、久須那!」
「わたしは落ち着いている!」
「はぁ……、ここには俺しかいないんだ。強がる必要なんてないだろ」
「強がってなどいない! 強がってなんか……ないんだ……」
サムは恐怖に震える久須那の肩をぐっと抱き寄せた。
ただ、どうしたらよかったのだろう。こんなことになる前にさっさと逃げだし、協会の手の届かないところまで、サークレットの呪縛の届かないところまで行ってしまえばよかったのだろうか。そうしたら、こんな苦悩を感じずに済んだのかもしれない。
「久須那、今、ここには俺とお前だけしかいない。そう怖がるな」
「そんなはずはないっ! ナニカいる、ゼッタイにナニカいる!」
サムには見えないナニカが久須那には見えるのかもしれない。それが何なのかはあまり想像したくはないが、きっと、悪夢の根源なのだろう。
「久須那、いい加減に目を覚ませっ!」
ぱあぁああん。サムは久須那に平手打ちを食らわせた。
「――痛い……。いきなり、ビンタをするなんてひどすぎるぞ!」
「だが、目は覚めただろ?」
「うん……」久須那はほおを押さえながらそっと答える。
「そー言えば、久須那、レルシア、レルシアと寝言を言っていたが、あいつはシメオンで元気にやっているか?」
サムはたき火に枯れ枝を一本くべた。
「――レルシアさまを知っているのか?」
「ん~? まあ、古いなじみだな。それもかなり古い」
「かなり古い?」
「そう。太古の昔から知ってるさ。元気だといいな。ところで、久須那の知っているレルシアとはどんなやつだ?」サムは久須那がレルシアを知っている前提で話を進める。「もう、数年会っていないからな、どうしてるか少しだけ気になる、少しだけだぞ」
やけに“少しだけ”を強調するサムを久須那は訝しげな眼差しで見つめる。
「わたしがシメオンから離れる前は元気なお姿でしたとしか」
「やっぱりお転婆か? まあ、お転婆と呼べる年でもないだろうが、どんな調子だ?」
そんなことを尋ねられても回答に困る。
ただ、そんなことを聞いてくるからにはただの知り合いというのではなさそうだ。久須那はフと探りを入れたくなった。
「つまり、その、なんだ、レルシアさまとサムは知り合いなのか?」
「そうだな。知り合いと言うより姉弟だな」
「姉弟?」
「ああ、血のつながりのない義理の姉弟ってとこ。レルシアの一家のおかげで俺もずいぶんと助けられたもんだよ。あのまま、おやじに拾ってもらえなかったら俺は今頃、どこで何をやっていたんだろうな?」
それは知らない。とは流石に久須那も答えなかった。
「少なくとも軍神の再来、イクシオンの生まれ変わりと言われることもなかったろうね。でも、むしろ、そっちの方が楽な人生だったかもしれねーなぁ」しみじみ。「ま、そんなつまらない人生を歩むのもちょっとばかしあれだよな」
と、ひとしきりしゃべった後で、サムは久須那を見澄ました。
「で、どーして久須那はそんな俺の話しかけに応じたのかな? ……あれかな、レルシアはのほほんとしているようで、あれでいて相当な策士だからな、はめられたか?」
「いや、そんなこともないと思うんだけど……」
「じゃあ、何があったのかな?」
「サムを捕らえる命令を受けたとき、話してみなさいとレルシアさまに」
「はぁ~ん、今も昔も後先を考えずに行動を起こすってのもレルシアらしいな。それで、久須那もよく俺と話してみヨーなんて思ったな。下手したら今頃、お空のお星さまだぜ」
サムは夜空のお星さまを指さした。
「話してみよーとは思ってなかったんだけど、成り行きだな」
「成り行きか。しかしな、レルシアの名前を早々に出していれば、屈辱的な負けはなかったと思うぜ。ま、もちろん、容赦なく追い詰めるわけだが、とりあえずそこまでだな。サークレットまでは手を出さなかったと思う、たぶん」
サムはニヤリと笑って久須那を見つめた。
「でも、サークレットに手を出してくれたから、わたしは自由になれた」
「はあ! そうとも言えるか!」
サムはケラケラと笑った。
「――。とりあえず、腹が立つんだが、この気持ちはどうしたらいい?」
「ほー! 俺より弱っちい久須那が、俺に喧嘩を売ってるのか?」
「そう思うのなら、それでもかまわない」久須那はサムの目を見てほほえむ。「だ・け・ど、わたしとそうなりたいなら、あの森のジーゼとサムの関係をはっきりさせて欲しい」
「何だそれ?」言ってる意味がわからない。
「ドライアードは人間の物にはならない」
「まぁ、精霊だからな。そんなことは期待していないよ」
そして、ハタと気がついたようにサムは言葉を続けた。
「ナンだ? ヤキモチを妬いてるのか?」
「ヤキモチなんか妬いてないっ!」ぷんぷん。
妬いているはずなんかない。それなのにどうしてココロがきゅっと締め付けられるような気がするのだろう。しかし、久須那は自分の気持ちに気づかないふりをした。
「冗談だよ。――冗談さ、そんなに怒らないでくれ」
「……わたしじゃ、ダメなのかな?」
どうして、そんなことを口走ったのだろう。
「今、なんて言った?」思わず聞き返した。
「わたしじゃ、ジーゼの代わりになれないのか?」
何を思い詰めたのだろう、突き上げるような感情が久須那を衝動的に動かした。
「いや、そのな、来るものは拒まないが……。どうしたんだ? 急に」
「わからない……」
「わからない……か。――まあ、いいよ。朝までまだ長い。だから、もう少し眠れ」
そして、二人の謎めいた夜は更けていった。
※
「……また、来たな」
サムは閉じていた目を開き、天を見据えた。
明け方。東の空が徐々に白み始めて、耳が痛くなるような静寂があたりを支配するころ、それは現れた。まだ遠い。しかし、かすかな気配でも夜明け前の澄んだ空気には大きすぎた。弾ける直前の風船のような、奇妙な緊張感が大きくふくらんでいく。
「簡単に先へは進ませてくれないか」
サムはぼそりとつぶやくと、すーすーと寝息を立てる久須那を激しく揺さぶった。
「起きろ、久須那」
が、起きない。
「こらっ! いくら寝不足だからっても、寝過ぎだ。起きろっ!」
かなり必死にサムは久須那を起こそうとした。図太いのか鈍いのか。一度、戦士になったのなら、空気に緊張がはしろうものなら、飛び起きるものなのだが。
「何かあったのか?」
「『何かあったのか?』じゃないだろ? 空を見ろ」
久須那は言われた方向に視線を向けた。
「天使……」眠気が一気に覚める。
再び、追っ手が来た。久須那を“やっつけて”から数日しか経過していないのに、ここまで追ってくるとはなかなか侮れない。久須那が言っていたように、サークレットが外されて、協会の配下から逃れたことがコハクまで伝わったと言うことなのだろう。
「さて、どうする? このまま逃げてもいいが、少しだけぶつかってもいいかもな」
「何故?」
「ちょっとね。集団でのこのこやってきたってコトはもう少しがんばれば、コハク自ら俺の討伐に出てくるんじゃないかと思ってね。ま、ヤツ自身が俺をやっつけるのは意味ないとか何とか言っていたが、あの集団をぶっつぶせばそうも言っていられなくなるだろう? そうしたら、ヤツの企みの全てを面と向かって直接聞けると思うんだよなぁ」
「あまりいいアイディアとは思えないが……」
あきれ果てた様子で久須那はサムを見澄ました。
「へい! コハクの企みなんざぁ、直接聞かなくても、もう、知ってるだロ」
どこぞに消えていたちゃっきーがポンと現れた。サムも神出鬼没のちゃっきーに慣れてしまって、突然現れたところでもはや驚きもしない。
「知ってる? まあ、知ってるな。だがな、この手の悪巧みってのはな、相手の顔を見て、その顔色と表情を読み取ってこそ、ホントのトコがわかるってもんだろ?」
「まぁね~」ちゃっきーはおかしな笑みを浮かべる。「でもよぉ、コハクたんを止めるのに彼女のホントのトコを知っている必要はないだろ」
そこはちゃっきーの指摘の通りだった。そして、よくよく考えれば、サム自身に害が及ばなくなれば、それだけでもとりあえずのところは十分のはずだった。
「知っている必要はないが、何がコハクを突き動かしているのか知りたいと思うのがヒトのココロというモノなのさ。で、久須那、本当のところ、おまえはどこまで知っている?」
常々思う疑問を久須那にぶつけてみた。
「知らない。本当に知らない。コハクさまはああ見えてかなりあざといんだ。それに人心を掌握するのもうまい。サークレットの強制力以上にコハクさまの人心掌握術の方が凄いかもしれない。いや、そうじゃなくて、あの方はココロを開かない……。……いや、開いているように見せかけて、ココロの奥底の本当のところはそれと思わせないように完全に隠し通している――と思う」
曖昧に答えてはいるものの、それが真相なのだろう。
「はぁあ~」サムは大きなため息をついた。
「何もそんなに落ち込むこたぁないだロ?」
「コハクの野望がはっきりわかれば、行動がとりやすいのになぁ!」
「うん? 最初の予定なら、てめぇをぶっ殺す! ダロ?」
「いやまあそうなんだけどよぉ。それはコハクが狙うナニカに邪魔だからだろ、多分」
「おう。二番目の予定なら、てめぇを懐柔してファイブシスターズの誰かを仲間に引き入れようってトコかな? サムっちは気づいたか知らねえが、あいつ、腹案をいくつも持っているぜぇい? 止めどなく溢れる我が食欲のごとし!」
それはえらい迷惑だと思いつつ、サムは言う。
「じゃ、それをしくじったら、どうするんだ?」
「サムっち、また忘れたのぉ? 最初の最初はナンだった?」
「ああ、俺をぶっ殺すだったっけ?」
「うんにゃ、もっと前じゃ、最初の最初、ホントの最初だぜぇ?」
「? それ以上のことは知らん!」
「あっそ。じゃあ、別にいいけどよぉ、早めに思い出したら、きっと楽になるで」
などと言われても全く意味がわからない。故にサムはちゃっきーをスルーする。
「現時点でわかることは、あれか。結局、俺を殺すか、捕らえる。もしくは俺がファイブシスターズの誰か……というか、アルシオーネと仲良くなって、協会に出頭したら助けてもらえる。かもしれない。そして、その裏側で猫目石を大量に収集しながら、人工精霊を生み出すに足る精霊核の生成にチャレンジしていく」
「そして、その先に何があるんだ?」久須那が問う。
「それも知らん」
サムは言い切った。
「ただ、アルシオーネか、人工精霊が手に入れば、協会はコハクの思うがままだろうな」
「でも、それがコハクさまの真意とは思えない」
それは久須那の指摘の通りだとサムは思った。現状を考えてみるに、協会を思うがままに動かすだけの腹づもりなら、ここまでせずともコハクの思い通りになってしまうはず。というよりもすでにコハクのおもいどおりになっている。コハクの名前を協会で聞くようになって、然程もたたずのうちに天使兵団を掌握、大司教に取り入り、協会内部での発言権もかなりなものだと聞き及ぶ。
それ以上にいったい何がいるというのだろうか。
「コハクの真意を見極めるのは相当難しいってことだな。最終的に」
その真意がわかったときには色々と面倒くさいことになっているのだろうとサムは思う。が、わからないならわからないまま最後まで駆け抜けてしまえばいいとも思う。結局、全てが終わったときにサムと、久須那が笑って立っていられたらそれでいい。
「まずは目先のあれを何とかしないとナ」
と、空の彼方にいた天使たちが目の前に迫っていた。
一人、二人、三人、四人……、全部で十人くらいはいるだろうか。
先頭に立ち、不機嫌そうな顔をしているのが頭のようだ。実際、送る刺客がコテンパンにされた上に、経緯はどうあれそのうちの一人に寝返られたのであれば上機嫌でいられるはずもないだろう。むしろ、ある種の敵を目の前にしてよく落ち着いている。
「ようこそおいでませ、天使さま」
目の前に降りた天使に向かって、サムは先制する。上空から直接攻撃を仕掛けてこない様子から、多少は会話をする余地はあるのだろう。上手くすれば、久須那の時のように対話に持ち込み、そして、あわよくば自分が有利に戦闘を運べる距離までヤツらを引きつける。特に勝つ必要まではない。自分に手を出せば色々と面倒だと思わせたい。
「ジングリッドさま」久須那は言う。
「ジングリッドさま? と言うことはこいつが兵長?」
「ふん、わたしたちを目の前にしてのんきにおしゃべりとは肝が据わっているな。流石、イクシオンの生まれ変わりとまで言われたリテールのヒーローさまだ。そこら辺の雑魚どもとは格が違うな。そうでなければ、自身の実力もわからない無能と言うことになるが」
口調の節々にあざけりの気持ちが含まれているかのようだった。
「無能ね。多分、俺は無能なのだろうさ。無能じゃなければこんなとこにはいない」
「ふむ、そんなことは一つも思っていないだろうに、よく言うな。――むしろ、お前は優秀すぎるから追い出された口だろう?」
「それはどうだろうね」サムはため息交じりに言う。
「サムは強いだろう? 強くて優秀なヤツは時として、下賤なモノの反発を招く」
「はあ。俺はそいつらに陥れられたってコトかな?」
「違うのか? では、むしろどうして、王国軍から追い出された? 悪いことでもしたのか?」久須那は腕を組んで考え出す。「――セクハラとか?」
「チガウヨ。俺は紳士だぞ。そんなアホなことは絶対にない!」
「そうか? 女には見境がないってちゃっきーが言っていたぞ?」
久須那はジングリッドの率いる天使の兵団を真正面にしたまま、サムを問いただす。
「アホか! 俺はそこまでくそヤロウじゃねぇぞ。あとでちゃっきーはしばくっ!」
サムはぎゅうと拳を握る。
「まあ、そうだろうな、ちゃっきーの矢継ぎ早トークを信じたわけじゃないよ」
これ以上、茶番に付き合わされてはたまらないと、ジングリッドは割って入った。
「ふん、久須那はサムを信じているのだな。……知らないとは時に幸せなものだな」
「――?」ジングリッドの言いたいことが久須那にはわからなかった。
その不可思議そうな表情を見て、ジングリッドはサムに向き直った。
「久須那には教えてやらないのか?」
「何を……だ?」ジングリッドは何を言おうとしているのだろうか。サムは探る。
「そもそも、協会を裏切っていたのはおまえだったと言うことをだ」
「……。間違ってるぜ、協会を裏切ったのは俺じゃない。協会が俺たちを裏切ったのさ。そこを間違うな。が、細かいことは時が来たら教えてやるさ。それは今じゃない」
「サム……?」
「そんなに不安そうな顔で見るな。別にたいしたことじゃない」
そう言われて、たいしたことじゃなかったためしは少ない。しかし、今はサムの言葉を信じて、ココロを戦いに集中させなければ、あとで問い詰めることもできない。
「たいしたことじゃない、ね」ジングリッドは言う。
「ああ、お前らにとってはたいしたことじゃないだろ? 俺たちにとってはたいしたことだったがね。あいつがいなくなったことよりも、それを利用した情報操作の方がかなりきいたな。そのおかげで、獣人たちとの関係が悪化して大事になった」
「それは過去形ではないだろう?」
「ああ、そうさ。しかし、俺も軍を追放されて長いんでね、顛末はもう知らない。今の俺には知らないことが多すぎるんだ。おまえが教えてくれたら助かるんだがね?」
サムはいくぶんの嫌味を込めてジングリッドに向けて発言する。
「獣人は――滅ぶ。そのために久須那の力が必要だったのだが、仕方があるまい」
ジングリッドはあざけりの眼差しをサムの背後にいる久須那に向ける。
「久須那を返して欲しいのか?」
「いいや、裏切り者など必要ない」
「わたしは裏切っていない……」ささやきの声。「わたしは協会よりサムを信じた」
「それを裏切りというのだよ。聡明なおまえがそんなこともわからずにいたとはあり得まい? 久須那はコハクさまへの裏切りを確信してサムの側についたのだろう?」
説明する義理はない。と久須那は思う。
「そういうことだ。つまり、久須那はお前のものじゃなくて、俺のものってコトだ」
「俺のもの」久須那の顔が真っ赤に染まる。
「そう、俺のもの」ついでにサムは久須那の肩を抱き寄せる。「協会十二天使が一角、最強の弓使いに逃げられたとなっちゃあ、流石のジングリッドさまもつらいのでは?」
それは挑発だった。
「そう思うのは勝手だが――」
ジングリッドは不敵に微笑むと、指をパチンと鳴らす。すると、それを合図にしてジングリッドの背後に控えた天使たちが一斉にサムと久須那に向かって動き出した。
「お前が来るんじゃないのナ、ジングリッド!」
「お前は強い。そんなヤツに一対一の勝負を挑むほど、俺は優しくないのでね」
「では、俺は雑魚をのんきに相手してやるほど、暇じゃあないぜ?」
「サム、細かいのはわたしがヤル。ジングリッドさまはお前が――」
「だとよ」
サムはニヤリと悪辣な笑みを浮かべる。
「なるほど。完全に裏切り寝返ったというワケか。久須那は協会に対する反逆者でかまわないのだな? ならば、お前も今日から逃亡者だ」
口元がゆがんだ嫌らしいほほえみがこぼれ落ちる。
「今なら、それもいいと思う!」
声を上げながら、久須那は弓を引き狙いを定める。それはただの矢ではない。物理的な矢に久須那の魔力を乗せられるだけ上乗せしたイグニスの矢。ほのかなオレンジ色の炎が威力を増していき、徐々に徐々にと青白く色を変えていく。
そして、久須那は放つ。
その矢はジングリッドの右をかすめ天使の集団へ向けて飛翔し、そのただなかにおいて激しい光を放ちながら爆炎のパワーを見せつけた。久須那の大きな魔力を乗せた一本の矢が十人からいた天使の兵士たちをあっという間に戦闘ができな状態へと追い込んだ。
「なるほど。お前もコハクさまのお気持ちがわからぬのか……」
「ふう、お前の引き連れてきた連中は全員、おねんねしてしまったぜ?」
「ふむ。久須那や、ユイに比べれば雑魚だからな。こんなモノだろう。この場に引き連れてこられるめぼしい連中はお前が潰してしまったからなぁ。まだまだ優秀なものはいるのだが、全員が全員、お前を捕縛するために投入できないのでな」
ジングリッドは自分の後ろの惨状を確認しても、余裕そうな表情をまとっていた。
「本当にそうなのか?」
「ウソをついても仕方あるまい? しかし、十二天使の一角を連れてきても、お前を退治するのには難儀すると思うがね?」にやり。そして、ジングリッドは久須那のにとても渋い眼差しを向ける。「実際に、十二天使の一角がこのざまだからな」
「では、ジングリッドさまに直々に頼もうかな?」サムは不敵に返す。「そうだろう? 十二天使で難儀するというのなら、その頭がやるべきだろ? さあ、早く来いよ、遠慮はいらないぜ? ジングリッドさま」
サムは挑発する。
「まあ、何、そう慌てることもないだろう」
ジングリッドは不敵に微笑んだ。
実際、サムは好き好んでジングリッドと戦いたくはない。できることなら、戦闘を回避。さらに可能ならば、今すぐにでもとんずらこきたい。そのわずかな逡巡が命取りになりかねないのに、それでも考えてしまう。
「ほう……、わたしを相手に考え事とはやはり余裕だな」
ジングリッドの顔が目の前にあった。
そして、身を引くいとまもなく、サムの身体に衝撃が走った。魔法による攻撃か、剣で切られたと思ったが、どうもそうではないらしい。サムの考え事の隙をついて、体当たりをかましてきたようだった。よく見ると、ジングリッドは薄ら笑いを浮かべていた。
「リテールのヒーローとはこの程度のものなのかな?」
「そりゃ、無能だからな。こんなモノだろう」
どんな時も減らず口は忘れない。
と、サムの横から青白い炎をまとった矢が飛んでいった。久須那が射たのだ。
「わたしに手向かうとはいい度胸だ」
ジングリッドは造作もなく久須那の矢を剣で打ち落とした。
「何があっても、サムは渡さない。もう、渡すわけにはいかないんだ!」
ここで、サムと離れてしまったら、久須那に行く場所はどこにもない。
「渡してもらう必要もないのだが。……そう、それともあれか? おまえはアルシオーネを連れてくるとでも言いたいのか?」ジングリッドはさげすみの視線をサムに向ける。「コハクさまは何故か多少の期待をしておられるようだが、わたしは人間ごときがアルシオーネを仲良くなる可能性などないと思うのだがね?」
「コハクが期待している?」
「ああ。アルシオーネを抱き込むには様々な物資を投入しなければならぬのでな。お前がアルシオーネをたぶらかすことができたのなら、安上がりであろう。それに猫目石の収集、精霊核の探索、発見などに天使兵団の戦力を用いる必要もなくなる」
「つまり、ナニが言いたい?」
「お前なら、わかるはずだ」
「――協会の配下に下れと?」
「ふむ。それでもよいが、それだけだと七十点というところか」
「あ?」変な声が出てしまった。
「お前が協会の配下に素直に下るくらい従順だったならば、協会に追われることになる前に全てのかたはついていただろう。いや、違うな。そもそも、お前自身にナニカが起こることはなかっただろう。今頃はお家でのんびり暮らしていただろうさ」
「今からでも、そののんびりした暮らしが欲しいもんだね」悪態をつく。
「ならば、お前が獣人を滅ぼせばいい。それで百点満点だ」
「俺にそんなことができると思っているのか?」サムは厳しい顔をして言う。
「できなくてもやってもらうさ。どうしてもできないというのなら、最後の刺客がお前を殺しにやって来る。それがイヤなら、ここで死ぬか、獣人を滅ぼせ」
「選択の余地はないってか?」
「あるだろう。しかも、三択だ。最後の刺客に殺されるか、わたしに殺されるか、獣人を滅ぼして、お前が生き残るか。――十分すぎるくらい、贅沢だろう」
どこに転んでもロクなことにならないとサムは思った。獣人を滅ぼすなんて論外だった。かりそめに獣人たちを滅ぼす行動をとったとしても、結局、サムはかりそめの行動しかとれないのだから、最終的な結末は変わりようがない。
「だが、まあ、一つくらいヒントをやってもいいだろう。――お前には久須那がいる」
サムはジングリッドから視線を離して、久須那をまじまじと見つめた。
「わたしがどうかしたのか? サム」
「久須那が何だって言うんだ?」
「なぁに、まあ、今日明日で獣人どもをどうこうしろとは言わない。多少の時間はくれてやるから考えてみるんだな。お前なら、久須那の力をどう使えばいいかわかるはずだ」
「それはどうだろうね」
「できなかったら、それまでの話だ。お前はコハクさまを退けるか、死ぬしかなくなる。さて、ここまでヒントを与えたのだから、わたしの質問にも一つ、答えて欲しいモノだ」
今までの発言は全て、ジングリッドがサムから聞きたいことを聞き出すための駆け引きだったのだろうか。サムの知りたいことをある程度お話しして、断りにくくするための。
「……ナンだ?」
「レルシア――、お前はレルシア司教を知っているか?」
何の前振りもなく唐突にジングリッドは言った。
「それは……どういう意味で聞いている?」
サムは言葉選びを慎重にした。何を意図して、レルシアを話題にしたのか。もしかしたら、ジングリッドはサムとレルシアの関係を知っていて、鎌をかけているのかもしれない。
「リテール協会の司教さまという意味合いなら、もちろん知っているぜ」
「ふむ。普通はそうだろう。だが、お前は違うはずだ」
どこまで知っているのか、とても気にかかる。しかし、こちら側から種明かしをしてしまったのではレルシアに危険が及ぶかもしれない。
「久須那がレルシアの手先と言う意味か?」
「それはどちらだったとしてもお前には直接関係あるまい」
では、何故、そのようなことを尋ねてきた。サムはよからぬ予感がした。ジングリッドは知っている。レルシアとサムがどのような関係にあるかを。
「――お前は知っているんだろ?」しかし、その関係がどういうモノなのか、自分から手の内を明かすつもりはない。「ならば、せっかくだからな、俺さまのファンクラブの名誉会員にしてやるよ。まあ、こんなだし、今はどうなってるのかは知らんがね」
投げやり気味にサムは言う。
「そんなファンクラブがあったとは初耳だな」
「それは秘密クラブだからな。だが、我らが会長さまは俺が王国軍を放り出されたあともご丁寧に解散しないとか言い出したから、存続してるんじゃないかと思ってね」
「ほう。しかし、せっかくのお誘いだが、遠慮しておこうか」
「遠慮しなくたっていいんだぜ? 名誉会員は入会金、会費無料だぜ?」
「……そうやって、久須那をたぶらかしたんだろう、食えないヤツだ」
「たぶらかしちゃあいない。勝手に久須那が話しかけてきて、こうなった」
「こうなった」
ジングリッドはサムの言葉を繰り返し、久須那とサムの顔を交互に見つめた。
「ふむ、こうなったか。天使が人間に恋するとは……、困ったモノだ」
「別にかまわないだろう? 俺と久須那がどうなろうと、お前には関係ない」
「ふん。友人だったのなら、お祝いをくらいくれてやるくらいには関係ある」あまり興味もなさそうにジングリッドは言う。「だから、言っているだろう。獣人どもを追い込むのに久須那の力が必要だったのだと。それをとられたのでは敵わないのだが、協会を簡単に裏切ってしまうようなヤツもいらん」
「では、ここで始末してしまうのがよろしいのでは?」
「サムっ! どうして、ジングリッドさまを煽る?」
久須那の顔色が恐怖からか真っ青になった。
「始末してもよいのだが、おまえが邪魔するしなぁ」ニヤリとする。「それにおまえのペースに乗ってやるつもりもないのでな。仕方がないので、色々と調整することにしようか。ふむ、今回は……違うな、今回も見逃してやろう」
「そんなに見逃してばかりで、大丈夫なのか? 次はつかまらないぜ。俺には久須那がいる。久須那がいれば、お前たちの策謀はだいたい全てわかるだろう?」
「否定はできないが、別にかまわん」特に慌てる様子もなく淡々と答える。「久須那が知っている程度のことが知れ渡ったところで、大勢に影響はないのだよ」
「コトはそこまで進んでるってコトか」
「さあ? それはどうだろうな。では、者ども、撤収だ」
ジングリッドがさっと右手を掲げると、息を吹き返した天使たちが一斉に空に舞い上がった。壮観である。この集団が敵ではなく、味方だったのならどんなに心強かっただろうかとも思うが、力だけがあってもこの追い込まれた状況を変えられないとも思う。
「ナンか知らんが、あっと言う間に消え去ったな……」
「のんきなことを言ってる場合か?」久須那。「理由はよくわからないが、ジングリッドさまにお目こぼしをしてもらったようなものだ。次の刺客が放たれる前に、リテール協会の勢力圏から脱出した方がいいのでは?」
「それも何度か考えたんだけど、そういうワケにもいかないのさ。俺がいなくなると協会に狙われるヤツがいるってのと、協会勢力下から運良く逃げ出せたとしても、あいつらは追ってくる。久須那は楽観的な予測をしてそうだが、逆もダメだぞ。協会の配下に下ろうと、アルシオーネと仲良くなろうと、最終的にあいつらは俺を消す」
重苦しい口調でサムは言葉をつなぐ。
「ま。例えそうだとしても、アルシオーネと仲良くなるのは悪くないだろうな」
「そうか?」
「そうだよ。さて、当面の危機は去ったところで、俺たちはテレネンセスに行くとするか」
「アルシオーネに会いに行くのではなかったのか?」
「そう思ってたんだけどね、レルシアのために動くのを先にした方がいいような気がしたんだ。そのためにはぁ、まず情報収集のためにテレネンセスに立ち寄る必要がある。そこの教会で司祭さまと会ってだな? 色々あれこれと調整して、シメオンへー」
「へい! てめぇよお、不安なときは冗舌だな」
ぽんっと変な音を立ててちゃっきーがもの申す。
「お前。ホントーに空気を読まないヤツだ。うるせーよ、黙っとけ」
「いやー、黙っていられるよーなんはちゃっきーにあらず。しゃべりまくって、相手をどん引きさせてからがぁ、本番よぉ。と、言うことで、久須那っち!」
ちゃっきーは名を呼びつけながら、久須那を指さす。
「あ、はい。はい、あの、何でしょう?」
「テレネンセスに一緒に行けば、久須那っちの疑問が全て解決だっ!」
「本当に?」久須那が半信半疑そうに言う。
「おうっ! 本当だぜ。うひ♡ 何を隠そうテレネンセスはなぁ、サムっちの生まれ故郷なのでさぁ。おとーたまがいて、おかーたまがいて、おねーたまがいるの。あー、おねーたまは今、どっか他の町に行っておられましたねー?」
「そう、レルシアはシメオンにいる」
サムは騒々しいちゃっきーを放っておいて、足を進めた。