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EPISODE2 ANGELIC FEATHER  作者: くれんてぃあ
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04. 追いかけて、テレネンセス

 本当は知っていた。と言うよりも、途中から気がついた。そもそも、サムがリテール協会に追われていること。そのサムを匿ったからにはやがて、この森に追っ手の天使たちがやって来るだろうこと、サムがすぐに森を去って行くだろうことも。そして、かつてサムが幼少だった頃、このエルフの森に遊びに来ていたことがあることも。

「サム……」ぽつりと名を呼ぶ。

 ジーゼは思案していた。森を出て行ったサムをこのまま放っておいていいのだろうか。いや、そんなことはない。と思いたい。けれど、サムは協会に追われていてもどこまでも一人で世の中を渡っていけるだろう。事実、エスメラルダ王国軍の幹部だったワケだし、軍神・イクシオンの再来と言われたり、一騎当千の実力者と呼称されていた。

 そんなサムに助っ人と称して追いかけていって、自分がナニカの役に立つのだろうか。

 確かに、ジーゼには大きな魔力と森の加護がある。しかし、戦闘魔法に長けているわけでもなく、サムの背中を守れるほどに戦いなれているのでもない。森から離れてしまえば、森の加護はあっても、天使たちに恐怖を与えるだけの存在にはなりきれない。

 だからといって、サムを放っておきたくはない。

 どうして、こんな気持ちになったのだろうか? ジーゼは自問自答する。

「……?」

 答えは目の前にあるのに、深い霧に隠れて見えないような気持ちになった。もやもやする。すぐにでも行動を起こして、事態の解決を図らなければフラストレーションがたまる一方なのも間違いない。しかし、アクションを起こしてみようとしたところで、ジーゼにできることは何もないに等しかった。

 こんな気持ちは初めて――でもないのだけど、そう数多くもない。

「どうしたら、サムに平穏を取り戻せるのかしら……?」

 ジーゼはふとつぶやく。

 しかし、きっと、自分はサムに平穏を与えたいのではなく、ジーゼ自身がサムから離れたくなかっただけなのだと、わかってはいるつもりだった。ならば、行くしかない。

「クリルカ? クリルカ?」

「はぁ~い。ナニカご用かしら?」

 奥の方からクリルカが走り出てきた。

「森を預けます」

「え?」

 ジーゼのびっくり発言にクリルカは素っ頓狂な声を上げた。そしておめめをぱちぱち。

「どこかに行っちゃうの?」

「やっぱり、サムを放っておけなくて……」

「あ~~。やっちゃったぁ~」

 クリルカはカウンターに突っ伏した。どうせこうなるとは思っていたけれど、実際になってみるとかなりくるものがある。クリルカ自身もサムのことを追いかけたくて、心配で、そこを何とかこらえてやってきてみたのだけど、ジーゼに先を越されたというのも一つの真実だった。

「わたしも一緒に行っちゃダメ?」

「ダメです。クリルカまでいなくなったら、誰がこの森を守るんですか?」

 ぴしゃりと言われてはクリルカも反論する気持ちも起きない。そもそも、森を守るのはドライアードのジーゼであって、バンシーの自分ではないような気がするのだが。

「わたしに守れと言われましても、何もできないけど、いいの?」

「クリルカがいてくれたら、それだけで大丈夫です」

「けっこうテキトーなんだね。森のお守りって」

「そんなこともないんだけどね」ジーゼは苦笑した。

 実際、森にはジーゼの本体とも言える精霊核があったから、森を見守ると言っても特にクリルカのすることは何もない。時々、精霊核の本体をめでに行ったり、行ったついでになでなでしてあげれば、何ごともなく数週間は過ごせるはずだ。

「やー、まー、もー、しようがないから、めんどーみてあげるけど、こういうのは今回だけにしてよね?」

「うん、わかってる」

「あーっと、それから、ジーゼ、ちゃんと護身用に武器を持っていくんだよ。森から離れたら、森はジーゼのことを守りたくても守れないんだからね」

 と言いながら、クリルカは納戸へと入っていって、奥の方でごそごそと始めた。取り出してきたのはステッキみたいな物体で、というよりもステッキだろうか。

「はいっ!」

「それは……」

「そ。ちゃんと手入れしておいたんだからね。どーせ、こうなるんじゃないかと思ってさ。ジーゼの場合は森から離れると魔法が弱くなっちゃうから、こういうのが必要でしょ?」

「これは……?」

「まー何と言いますか、一番近い表現は吹き矢かなぁ、多分」

「吹き矢?」ジーゼはオウム返しをする。

「そ。魔法はたくさん魔力を使っちゃうでしょ? サムを追いかけていったら、森から魔力を分けてもらえるほど近いところだけじゃないだろうし。それに派手な魔法は人の気を引いちゃって無駄に目立つから、こーいうのがいいのかなって」

 クリルカはグリップの方をくるりとジーゼに向けて、吹き矢と称した物を手渡した。

 ジーゼはその吹き矢を受け取って、ひとしきり眺め回す。

「どうやって、使うのかしら?」

「あれ? それ、ジーゼの納戸にあったんだけど、使ったことないの?」

 クリルカの問いに、ジーゼはコクコクと無言で頷く。

「え~っ」クリルカは叫ぶ。「知らないふりは社交辞令かと思ったのに」

「わたし、基本的には武器は使いませんよ」

「それは知ってたけど。基本的にはでしょ? 応用的には使うもんだとばっかり」

 と、ぐちぐち言っても仕方がない。

「ジーゼ、吹き矢をかして。そんで、よく見ててね?」

 ジーゼはそっと柄の部分をもって、クリルカに手渡す。クリルカはステッキを優雅な仕草で受け取ると、早速、吹き矢としての使い方の実演を始める。

「いい? ジーゼ?」

 ジーゼは真剣な目をして、クリルカの手元を見つめて、うなずいた。

「まずはじめに吹き筒になっているスティックからグリップと石突きを外します」

 クリルカはスティックを握って、グリップと石突きをきゅぽんと引き抜いた。

「で、このグリップの中に矢が一つだけ入ってるから、これを取りだして、吹き筒に装填。それから、吹き矢を構えて、吹き口から思いっきり的に向かって吹いてね。まーまーまー、どこまで役に立つかはわからないけどねー。魔法も使えず、というか威力も弱く、ほぼ丸腰で見知らぬ土地をちょろちょろするよりはずーっとましだと思うんだけど……?」

 確かにそこはクリルカの指摘の通りだと、ジーゼも思った。

「じゃあ、持って行くね」

「あと、そー、それ、使わないときは見た目通りにステッキ風味にできるんだけど、雑に扱うとすぐに壊れちゃうから、大事に、大事に、ていねーに使うこと!」

「はい、かしこまりました」

 そして、ジーゼは小さな旅に出る。

 ひとまずは近くのテレネンセスに向かって。この町が、この町だけがサムにつながる唯一の安全な方の手がかりだった。危険な方の手がかりは言わずと知れたリテール協会だ。協会はずっとサムを追っていたのだし、今回も協会の天使に追われて森を出ていたのだから、協会からうまいこと情報を仕入れられれば百パーセント確実だ。

 が。そんなことをした日には、ジーゼ自身がただではすまないことも確実だ。

「はー」ジーゼは大きくため息をつく。「どのあたりまで来たのかしら……?」

 ジーゼはショルダーバッグから一枚の地図を取り出した。

 耳長亭に一枚だけあるエスメラルダ王国の周辺の地図だ。

「森とテレネンセスの間の……。何もなかったんだぁ」しみじみ。

 それでも、クリルカ目当てに通ってくるおじいちゃんたちの用意した東屋が沿道に一つだけあったから、ジーゼはそこで一休みすることにした。

「はぁーうぅー。東屋も遠い、遠すぎる――」

 こんなところまで、足を伸ばしたのはいったいどのくらいぶりだろう。ここ五、六年はクリルカの耳長亭を訪れる“おじいちゃん”たちを除いては全てのヒトを森の外に追い出していたし、そもそも、ジーゼもクリルカも森の外には踏み出していなかった。

 世の中への協会の影響力が増すにつれ、精霊はヒトの住む領域に積極的に繰り出すのが難しくなりつつあったのだ。協会がヒトと精霊たちとの交流を好ましく考えていない。何なら、精霊と交流するものは拘留し、処罰するのだという。そんな噂がジーゼの耳にも届いていた。それはあくまで噂に過ぎなかったのだが、ウソと言い切るのにはあまりにも生々しすぎるお話が多すぎたのだ。

 それなのに、ジーゼはエルフの森を後にした。

「――わたしのお話を聞いてくれる人はいるのかしら」

 独り言が漏れる。

 聞いてくれる人がいなかったとしても、行動を起こした以上、最後まで突っ走るしかない。ココで、ココロ折れて帰ろうものなら、クリルカに大笑いされてしまうだろうし、それだけはどうにかしてでも避けたい気持ちだった。

「はぁ……」

 ジーゼはおでこに手をかざして空を見上げた。

 暑い。一度、森を出てしまうと涼めるような日陰はあまりない。テレネンセスからエルフの森を通ってフライアに抜ける街道は廃れてしまったのだからしようがない。そもそも、その原因を作ったのは他ならぬジーゼ自身なのだからどうにもならない。

「遠いなー」ひとりごと。

「おう! 遠いな! しかぁし、ここからテレネンセスなんか序の口よぉ」

 聞き覚えのある声が突然響いた。

「ちゃっきー!」

「ハロー、きゅうとなお嬢さんっ! お久しぶりでし、お元気でっすかぁ~!」

 ちゃっきーは元気よく、弾けんばかりの笑顔を見せて、ジーゼに勢いよく手を振った。

「ちゃっきーはこれまでにないくらい元気そうね」

「おう。あったり前でぇい! 不肖、ちゃっきー、美女の前ではいつでも笑顔。いひひ、例え、おやかたさまに忘れられようと、元気はつらつでぇい! でも、ちょっぴり涙が出ちゃう。男の子だもん」

「――男の子だったの?」

「いや、何だろーね? つーかですよ、久須那っちに置いてけぼりを喰らったんですの、わたくし。だって、ひどいんだよー。あちき、まだつかまってないのに、全力で飛び上がって、さらに全速力で飛翔していっちゃんだものぉ!」

 と言うちゃっきーの主張をジーゼはほぼ聞いていなかった。

「久須那っち、って誰?」

「あ。紹介がまだでしたね。他称色情狂のサム、七人目の彼女の御名にございます」

 と、言い終わるか終わらないかのうちに、ジーゼはちゃっきーをぎゅっと握りしめた。

「ホントのところはどうなのかしら?」にっこり。

 さしものちゃっきーもジーゼの乾いた笑顔に恐怖を覚えた。

「え~っと。ほら、この間、森のお外からサムっちの様子を見ていた天使がいたでしょ?」

 確かにいた。コハクとは別に森の様子をうかがっている天使が。狩で獲物を見つけたような雰囲気をまとっていたけれど、精霊の住んでいる森には手出しができなかった様子で、コハクと比べるとずいぶんと短い時間でエルフの森から離れていったのを覚えている。

 それが久須那という女なのだろう。

「その久須那って娘、サムの好みなの?」

「さあ?」ちゃっきーは“アイドントノー”のポーズを決める。「でも、多分、きっと、おそらく好みなんじゃない? というか、女の子なら、すべからくウエルカム。かわいいロリから、しわくちゃババアでもどーんと来いやー! だって、天性の女たらしですもの」

 そこだけは自信満々にちゃっきーは言い放った。

「そっかー、そーだったねー。すっかり忘れてましたー」

 がっくし。ジーゼは膝から崩れ落ちた。

「おおう、そんなに落ち込まないで、ジーゼちゃまぁ」

 ちゃっきーに慰められてもちっともうれしくない。しかし、ちゃっきーの言うように、サムがエルフの森を出て行った理由が他の女と仲良くするためというのなら、妙に腹立たしい。リテール協会から攻撃対象としてエルフの森から目をそらすためならよいのだけど。

「おほー。もしかして、惚れちゃったの?」

 ジーゼの定まらない様子を見て、ちゃっきーは問う。

「惚れちゃったのかもね?」ため息交じりにジーゼは言う。

「な、何と言うことでしょう。あの純情可憐なジーゼたまがあの天下無敵のすけこまし、そんなでもってあれな男に惚れちまうなんて、なんてかわいそーな」

「かわいそう?」言葉に怒気がこもっている。「誰が?」

 これはまずいとちゃっきーも感じたのか、ジーゼの矛先を変えようとする。

「え~と、いったいどなたのことだったでしょうか?」

「じゃあ、その久須那とサムはちゃっきーを置いてけぼりにしてどこに行ったのかしら?」

「久須那っちと五百二回目の逃避行に出たのだよ」

「五百二回目の逃避行?」

 ジーゼはステッキ、兼吹き矢を振り上げて、ちゃっきーをひっぱたいた。

「おおう、痛い。痛いぞっ」

「ふう。ちゃっきー? 今度は真面目に答えてね?」

「おうっ、何だね?」

「――サムは今ごろ、どこにいるのかしらね?」

 気を取り直してジーゼはちゃっきーに問う。

「うふ♡ ジーゼちゃまからの問い合わせ。うれちぃ。そして、あまたの精霊たちから信頼される我が輩のジーゼナビゲーションシステムに死角無し! 麗しのサムっちから発せられる過剰な毒電波を受信いたし、ばっちりきっちり、サムっちの元にお届けぇ、……したいかなと思いますが、少々危険な予感がして参りました」

 途中から、歯切れも悪くちゃっきーは言う。

「それは……、アルシオーネさんのところに行こうとしてるってことかしら?」

「おーぅ。察しがよいですね、ジーゼたま」

 心底驚愕した様子で、ちゃっきーは言う。

「それはね。わたしもこれでも精霊だから。精霊核のある森にいなくたって、これくらいはわかるのよ。――と言うよりも、あれかしら。サムが現状を一足飛びに打開したいなら、もう、それくらいしかないんじゃないかと思っただけよ」

「ほー」

「ほー」ジーゼは言い返す。

「しかし、まあ、あれですな。ここまで来たら、テレネンセスへ、レッツゴーっ!」

 ちゃっきーが言うようにテレネンセスの町はもうすぐ近くだった。ここから、アルシオーネに会いに行くのなら、西のウインヒルのエルオーネ方向に向かい、ロンバルド王国との国境を越えて、さらに西に数週間は歩かなければならない。

 そして、久須那とかいう天使と空を飛んでいったのなら、もう追いつけない。そうでなかったとしても、サムがどのような経路をたどってサラマンダーズウィングに行こうとしているのか、わからない以上は慌てて追いかけたところでたいした意味もない。

「ひとまず、テレネンセスに行ってみるのが正解かしらね」

「多分ねー」

「今日はずっと多分、多分って言ってるのね?」

「そりゃあねぇ。ジーゼちゃま迷ってるんだもの。迷っておられるとあちき、言い切りはできないのねー」ちゃっきーは何故か得意げに言う。

 詰まるところ、それはジーゼが心を決めなければ、いつまでたっても何もかもが曖昧なままと言うことでもあるのだろう。そして、たったの今のちゃっきーの発言から、ジーゼはふとしたことに一つだけ気がついた。

「ちゃっきーってヒトの心が読め……、わかるの?」

「いんやー、お姫たま、おいらはそんな高尚なことはできませんノことよ」

 照れ照れとした様子でちゃっきーは言うも、本当なのだろうか。

 あの時、ちゃっきーとサムがエルフの森に現れて、さらにジーゼの前にやってきて、それからずっと彼らのやりとりを見ていると、ちゃっきーはサムの中の言葉にしないナニカを受け取ってしゃべっていたような場面もあったような気がする。

 全てが不確定だけど、そう考えないとつじつまが合わないことがあったような。

「ヘイ、ジーゼ! 見よっ! あれがテレネンセスの灯だ!」

「まだ暗くなっていないよ? と言うか、夕方にもまだちょっと」

「いひひ、気にすんな! この町の明かりはキレイなんだぜぇ。ジーゼちゃまの森の漆黒の暗闇もステキだけどさぁ、テレネンセスも煌びやかなんだぜぇい?」

 ちゃっきーの出す騒音と共にジーゼとテレネンセスに踏み込んだ。

 懐かしい空気。

 しかし、ちょっとだけ心細い。

「ちゃっきーでもいないよりはずっとましかなぁ――」

「ほー! ずいぶんな過小評価なもんですなぁ! うふふぅ。おいらの真の実力を忘れてしまったのかぁ」ちゃっきーは自信満々にジーゼを見澄ます。

「ちゃっきーの真の実力どころか、何も知らないんだけど……?」

「ヘイ、ガールっ! それはあまりにひどいんでないかの。おいらの真価はジーゼナビゲーションシステムだけにあらず。自由自在のテレポーテーターにして天下無敵の精霊マスター。うひ。そしてそして、アルシオーネたんとはまぶだちよ」

「それはウソ」ジーゼは呆れたように言う。「アルシオーネさんにこんな変態なまぶだちがいるなんて聞いたことないし。精霊マスターって言うのなら、どうして、わたしのこと、知らなかったのかしら~」

「おろろ。絶世のジーゼちゃまとあろうものが拗ねてしまったのかしら?」

「拗ねてません!」

「いえいえ、拗ねてますって。しかし、ご安心めされぇい。この不肖ちゃっきー、エルフの森のジーゼさまを一度、見知ったからにはあなたさまの存在をリテール平原、いんや、遙かな東方まで知らしめて見せようぞ。んでー、アルシオーネたんを筆頭にしたファイブシスターズよりも有名になってもらって、えへへ、養ってもらえレばぁ、おいら大満足。毎日どうやって生き抜こうか考えなくて済むもんねー」

「全く、ぺらぺらぺらぺらと、あることないことよくしゃべるわね。口から先に……と言うより、口しか生まれてこなかったんじゃないのかしら?」

「ザッツライト! まさにその通り。だから、しゃべらにゃ生きていけねぇのさ」

 理にかなっているようで、やっぱりだまされているような気さえする。どちらにしてもちゃっきーには口を閉じたままでいて欲しかった。が、口しか生まれてこなかったちゃっきーには無理な話なのだろう。

「――さて、今日のお宿を探さなくちゃね」

 ジーゼは気を取り直して、早速、今日の宿探しを始めた。

 が、テレネンセスの町までに来たのも、そもそも、ヒトの町まで来たのも数年ぶりのことだったから、どんな風に町が広がっているのかとんと想像もつかなくなっていた。

「もう少し、情報を集めてから動いた方がよかったかなぁ」

「へい! 後悔先に立たず。やっちまったもんはしょうがねぇ。犬も歩けば棒に当たる。精霊も歩けば、宿に当たるって、ねぇ? ひっひっひぃ~、まーまーまー、行くあてがねーというのなら、おいらがいい宿を紹介してヤルじゃん、多分」

「多分?」

「はい、多分。ジーゼちゃまなら、サムっち行きつけのバーとか、喫茶店とか、お宿とかその他諸々を紹介して進ぜよう! と思ったけど、その前に腹減った!」

 欲望に忠実にちゃっきーはアクションを起こす。

「めしー。めしー食わせてくれないなら、もー二度と動かないもんねー」

 面倒くさい。

 が、きっと、お食事をさせると約束しない限り本当にここからちゃっきーは動くつもりはないのだろう。而して、そのお食事をできる店の場所も知らないのがジーゼなのだが、そこら辺はどういうつもりでこの発言なのか、理解に苦しむ。

「わたし、お食事のできるお店なんて知らないわよ」

「うひ、大丈夫でし! ほら、そこのサム似のにーちゃんが客引きしてるお店がイーの。こちら、テレネンセスでもゆーめーな飲食店、そよ風亭ねー」

「多分?」

「そー多分」

 と、言いながら、ちゃっきーはてこてこと客引きのにーちゃんのところまで歩く。

「ジーゼたん! いざ、尋常に飯、食いに行くぜ! って、おりょ? 恥ずかしーの?」

「恥ずかしくないっ!」

 ジーゼの拳がちゃっきーを襲う。

 ちゃっきーを伸すと、ジーゼはおもむろに歩き出す。

「お邪魔しまーす」

 ジーゼはそよ風亭と称された飲食店の扉をくぐった。いい香りがする。

 店に入れば、そのままウエイトレスが近くのあいているテーブルまで案内してくれた。

「ありがと……」

 とジーゼが言いかけたところで、早速ちゃっきーが復活、そして、動く。

「と言うことで、おすすめの品をじゃんじゃかもってこーい! うんにゃ、まず、今年の新じゃがをふんだんに使ったポテトサラダ一式、目玉焼きー、そして、焼きたてホットなトーストに。それからそれから、コーヒーに。東洋の絶品、お味噌汁ーはないから、コーンポタージュあたりで妥協しようかしらぁ」

 ちゃっきーは止めどなく注文を繰り広げる。

「そんなに食べれるの?」

「あったり前でぇい! おいらの胃袋は底なしなのさ」

「シャローナみたいに?」

「シャローナたんと一緒にしないでもらえますかぁ。あのお方、底なし底抜けなのはお酒だけでしょ。食い物に関してはまさに上げ底。意外と小食よ」

 ナンでそんなことまで知っているのか、ワケがわからない。

「あと、ジーゼちゃまにはこの世の絶品、シイタケのバター炒めと緑黄色野菜たっぷりサラダ、それに、コーヒーを一斗缶で。以上で、オーダー終わり! さあ、おいらの前に全て捧げるがよい。それから、おいら猫舌なんで、フーフーしてね」

 ちゃっきーの注文を聞いたウエイトレスは気取られないように頑張っていたのだろうけど、少々呆れたような眼差しをちゃっきーに向けていた。それは小さな身体で全部食べきれるのだろうかという疑問を表しているかのようだった。

「ちゃっきー? お残ししたら、しばかれそうだよ」

「そんな失態はいたしませんノことよ。わたしの胃袋は次元を超越しておるのだ。口から取り込まれたあまたの食物はおいらの身体を通り抜け、超次元へと転生するのだ。特に消化してわたしのこのわがままボディーの構成要素の一つにしようということはいたしません。わたしのスレンダーボデーはただの通り道、土管に過ぎないのれすっ!」

 もはや、食事とは呼べないのでは。と言いたくなったが、ジーゼは黙っていた。

 そうこうしているうちにちゃっきーの注文したお食事が運ばれてきた。あれよあれよという間にちゃっきーとジーゼのいるテーブルには大量の食器が並んでいた。

「おほーっ、うまそう!」

 ちゃっきーは舌なめずりしながら、テーブルの上をちょこまかと歩き回る。

「いいねぇ。やはり、サムっちのひいきだけあるのぉ。うふ。お料理評論家として、ここはきっちりと評価をさせていただきましょうかぁ。まず、このじゃがいも。流石にゼストたんのところには敵わないが、負けず劣らずよい品物を使っておるな。そして、ふむ。この目玉焼き、とっても新鮮な卵を使わないとこうはならねぇ」

「ちゃっきー? お料理品評会もいいんだけど、食べないと冷めちゃうよ?」

「いひひ、んじゃ、まあ、いっただきま~すっ!」

 長いおしゃべりのあと、ちゃっきーはようやくお食事を開始した。が、やっぱり、食べ物を口に運びながら、ちょろちょろしながら、品評を述べる。ジーゼとしてはおしゃべりをしながらでも、もう少し落ち着いてお食事をしたいけれど、それは叶わぬ夢のようだ。

 と、しずしずとそっと近寄ってくる人影が一つ。

「ここのテーブルはにぎやかですね」

 不意に温和な男性の声が届いた。

「ああぁ、うるさくしてしまってごめんなさい。ほら、ちゃっきーも」

「う~にゅ。沈黙してご飯を食べてもおいしくないのだぞ。なー、おっさん?」

 もむもむと動かしていた口を休めて、ちゃっきーは男の方に向き直った。

「おっさん……?」

「おう、おっさん。それと、おいらの楽しいお食事のお時間を邪魔しないでもらえる? うふ♪ 今、おいらは史上最高の至福の時なのだ。ステキな笑顔のおねいたまと山のようなおいしいお食事。それを止めるたぁ、正気の沙汰とは思えないぜ」

「それはそれは失礼いたしました」

 男は深々と頭を下げる。

「苦しゅうないぞ。よきに計らえ」

「な、なんてことを言うんですか。

 ジーゼはキレ気味にちゃっきーの胴体をムンズとつかむと、そのまま近くの窓際までズンズンと怒りが露わな足取りで向かっていく。そして、左手にちゃっきー、右手で窓を全開にさせると、ジーゼはキレのある華麗な投擲フォームでちゃっきーを投げ飛ばした。

「どこか遠くで頭、冷やしてなさい!」ぷんぷん。

「はい、元気です。ありがとぉー……」

 と、叫び声を残して、ちゃっきーは彼方に消えていった。

「キレイな放物線を描いていきましたね……」

 男は開け放たれた窓から小さくなって消えていくちゃっきーを思わず見送る。あれがナンなのかはいまいちわからないが、とても珍しいモノを見たような気はする。

「ところで、あなたはどちらさまでしょうか?」

 ジーゼは指摘した。突然、現れた男にジーゼとしては全く用事はないのだけど、男の方そうではない様子でだったからだ。あまりにうるさいだけだったのなら、きっとおそらく、ちゃっきーが窓から消えた時点で男の用事は百パーセント消え失せたのだから。それなのに、ジーゼのそばから離れたくないようなそぶりを見せる。

 それならばと、ジーゼは声をかけ、男にきっかけを与えてみた。

「申し遅れました。わたくし、リテール協会テレネンセス教区のテレネンセス教会を預かる司祭のシェイラルと申します。少々、お話をしたいと思いまして――」

 協会と聞いて、あまりいい気はしないが、断るほどでもないだろう。必要以上に関わりを持たなければ、ジーゼ自身がこのテレネンセスの町で協会の標的にされることはまだ、ないはずだ。と言って、さして乗り気でもないのだが。

「かまいませんけど……」

 ジーゼはそっと優しく、おとなしく静かに答えた。

 そして、ジーゼはシェイラルと名乗った男の顔を見つめた。見覚えがある。どこかであったことがあるような気がする。最近ではない。ずっと昔、その時の協会はただの協会で、協会の意に反するものを投獄しようとすることもなく、各地に住まう精霊たちを恫喝して回るようなこともなかった。

「あなたは――」

「あなたは――ジーゼ、エルフの森の精霊さまですね」

「!」ジーゼの心臓が胸の中で飛び跳ねた。

「ああっ、そんなに驚かないでください。――あの、わたしのことを覚えていませんか? 森の外れでわたしと妻と、子どもたち二人と遊んだことを覚えていませんか?」

 シェイラルはあたふたとしながら、言葉を連ねる。

「やんちゃな男の子と、お転婆な女の子……。そして、天使の奥さまと――」

「ああ、そうです」

「覚えていないと言ったら、きっとウソになるんでしょうね」

 ジーゼの言葉を聞いて、シェイラルはほっとした安堵の表情を浮かべる。

「よかった……」

「ですけど、あなたはわたしとお話ししていても大丈夫なのですか?」

 ジーゼはシェイラルに問う。一般人ならともかく、協会の関係者が精霊とのんきに世間話というのはまずかろうと、久しぶりに森を出てきたばかりのジーゼも思うのだ。

「大丈夫。と言ったら、それはウソなのでしょうね」シェイラルはジーゼの言ったように言葉をつないだ。「ですが、わたしはそれでもジーゼとお話ししたいのです」

「ほうっ! それはホントかなぁ。捕まえて協会に売っちゃロとか思ってなあい?」

 ちゃっきーが唐突にシェイラルの眼前にぽひゅんと現れた。

「そういえば……これは――?」

「これは、幻です」ジーゼは言い切った。

「幻とはひでぇなあ。おいらはきっちり実在し、このロマンスグレーのおやじの眼にしっかり映っておるのだでぇ? それを幻たぁ、どういう了見だ!」

「い・い・えっ! わたしには何も見えませんっ」

 ジーゼは首をぶんぶんと横に振った。

「では、とりあえずそういうことにしておきましょうか」

 シェイラルはちゃっきーの胴体をきゅっとつかむと、丁寧な動きでテーブルの端に寄せた。ジーゼが幻だというのなら、ちゃっきーにはお話が終わるまで隅っこにいてもらおう。その後、シェイラルはちゃっきーから手を離すと、再び、ジーゼに向き直った。

「ジーゼは今の協会をどう思いますか?」単刀直入に問う。

「それはどういう意味ですか?」ジーゼは問い返す。

 かつてのお知り合いと言っても、今もかつてのままとは限らない。世間話だけなら、静かに応じてもいいと思うけれど、センシティブな内容を漫然と答えるのはあまりに無防備すぎる。故に、慎重にシェイラルの意図をしっかりと読まなければならないと考えた。

「警戒してますね」

「当たり前です。あなたが以前のあなただと言う保証はありませんから」

「おっしゃるとおりですね」

 シェイラルは少し、考え込むようなそぶりを見せた。ジーゼに信用してもらうために、いい案はないかと思案している様子だった。それから、ふと思いついたように、シェイラルは肩からかけたショルダーバッグから一通の手紙らしきものを取り出した。

「これはゼストからの手紙」

 ジーゼははっとした表情でシェイラルを見澄ました。

「ええ、今年の収穫祭にお呼ばれしたのを持っていましたので」

「あのゼストの収穫祭? 大量のじゃがいもを押しつけられるあのゼストの収穫祭? 食べきれないからと断っても、押しつけられて、さらにその上、かぼちゃを追加でプレゼントしてくれるゼストの収穫祭? 何の罰ゲームなのかしら、あれ」

「し、しかし、あのかわいい笑顔で迫られたら、断れないので。あ、もしよろしければ、うちの食品庫を見に来ませんか? 精霊さまたちとの交流が本当のことだとご理解いただけると思いますし、何より、センシティブな内容を公共の場で話し合うのもあまりよくないことでしょう。誰が聞いているかわかりませんし」

 何が楽しくてゼストのじゃがいもを見なければならないのか、理解に苦しむところだが、この大衆食堂でのんきにシェイラルから振られた話題を話し続けるのもどうかと思う。

 ジーゼはしばし、考える。

「そういえば、ジーゼは収穫祭にいらっしゃらなかったですね」

 シェイラルがポツンと言った。

「! 招待状はちゃあんときてましたよ。でも、断ったんです。シェイラルさんなら、わかりますよね。だって、あのじゃがいもの山が。――と、よく考えたら、シェイラルさんとゼストはお知り合いか何かだったわけですか?」

 断った理由を述べる前に、シェイラルとゼストの関係性が気になった。

「ええ、リテール平原で迷子になったときに助けてもらいました。その時以来のお知り合いになりますので、ぼちぼち、二十年くらいになりますか。精霊さまたちには誤差みたいな年月でしょうけど、だいぶ長いおつきあいになりました」

 しみじみとした口調でシェイラルは言う。

「その間、収穫祭には毎年?」

「毎年です。お呼ばれしなかった年は一度もなかったですねぇ」

 感慨深げにシェイラルは言う。

「協会が今のようになった後もですか?」

「そうですね。あの方には協会のあり方なんか関係ないのでしょう。それに、テレネンセス教会はわたしとゼストが出会ったときから、あまり変わっていませんし」

 その“変わっていない”と言うのを維持するのにどれだけの苦労をしているのだろうかとジーゼは思った。協会の総本部が変わっていくのであれば、よい方向であれ悪い方向であれ、それに従っていくのが地方にある協会支部のあり方のはずだ。

「変わっていない……?」

「他の教会、他の教区のことまでは言いませんよ。本来ならば、彼らの方が正しいのですから。そして、現状を維持しようとする限り、わたしたちは異端となるわけです」

 そう言いながら、シェイラルは笑顔を浮かべていた。

「しかし、精霊さまたちと共にあるのがリテール協会の真のあり方ですから、わたしたちの教会とこの教区は世界を敵に回したとしても、このままでいたいですね」

「本当にそうなら、いいですけど」

「そうですね。しかし、そういうお話はココではナンですから、教会にいらしてください」

「そこまでおっしゃるのなら、そうしましょうか」

 ジーゼはシェイラルの提案をのんだ。

 サム似の客引きに挨拶をして、そよ風亭をあとにする。

 町のメインストリートをシェイラルと共に歩きながら、ジーゼは思う。最後にこの町に来たのはいつの頃だっただろう。やんちゃな男の子とお転婆な女の子がエルフの森にちょくちょく遊びに来ていた頃だったろうか、クリルカが生まれた頃だったろうか、それとももっと後、耳長亭でクリルカが店番をするようになってからだったろうか。

 どちらにせよ、久しぶりに訪れたこの町は大きな変化を遂げていた。ジーゼがよく知っているはずのテレネンセスの町とはだいぶん異なっていた。それはいい風に変わった、悪い風に変わったというワケではなく、人の世の移ろいやすささを感じ取ったのだった。

「お~うぅ、こちらがテレネンセスの教会なのでありますね」

 不意にちゃっきーの声が響いた。

「あなた、本当にどこにでも現れるのね」

「もちろん、こう見えてもあちき、空間転移魔法をたしなんでおります故」

 真面目な回答が返ってきて、ジーゼはちょっとびっくりした。

「茶化すと思ったのに、今日は真面目に答えるのね?」

「そんな時もありまさぁ。お嬢さま」ちゃっきーはにこやかに言う。

「そんなことは絶対になさそうだったんだけど、ちゃっきー?」

「ふふふ。神聖な教会の前ではいかなわたしと言え、ちっとは真面目になるのでさ」

 ウソつき。と思ったけれど、ジーゼは言葉にはしなかった。

「まあまあ、お二人とも、どうぞ、ここが我が家、そして、テレネンセスの教会です」

 と、シェイラルが言った場所は丁度、礼拝堂の入口だった。きっと、ここはどこにでもある町の教会で、どこにでもあるような信仰の対象なのだろう。そして、ここはサムを執拗に追いかけ回す協会とは異なる様相を呈していた。

「あら、お帰りなさい、あなた」

 ジーゼが礼拝堂に意識を持って行かれているところに、横から声がした。女性だ。外のガヤガヤのにぎやかさに気がついて、住宅の方から出てきたようだった。

「ただいま、こちらは……もう、おわかりですね?」シェイラルはジーゼに敢えて問う。

「ええ、天使の奥さま。とってもご無沙汰しておりました、玲於那さん」

「覚えていてくれたんですね」

 玲於那はぱぁっと明るい表情をした。

「はいっ」恥ずかしくなるくらい元気にジーゼは答える。

「おおう、びっじ~んっ!」ちゃっきーが割り込んできた。「ん? てか、どこかで見たことのあるような、会ったことのあるような面影があるような……?」

 ちゃっきーが少々不可思議な発言をした。

「……あれ? もしかして、久須那ちゃん?」

「あら、あなた、久須那を知ってるの」玲於那が反応した。

「もち、のろんよ。我らがサムっちの何人目か忘れた彼女。今も一緒にいるはずよ」

 あやしげな口調でちゃっきーはしゃべる。

「と言うことは、久須那ちゃんじゃない?」

「そう、久須那ちゃんではありません。では、わたしは誰でしょう?」

「はいっ」ちゃっきーは元気に手をあげる、「玲於那たーん!」

「はい、せーかいでーす」

 わざとらしさが全開だ。

「それでは、礼拝堂……ではなくて、おうちの方へどうぞ」

 シェイラルはジーゼとちゃっきーを家の中に招き入れる。ここは安心できる。冷たく閉ざされた思い空気は全く感じずに、リテール協会の中にあって暖かさを失っていない。最近の、協会と言えば天使。天使と言えば冷酷。ここにはそんなイメージは一つもない。

「シェイラルさん?」

「ええ、わかってますよ。ゼストとの交流の証として、収穫祭でいただいたたくさんのじゃがいもをお見せしますから、まずは地下室の食品庫に……」

 そういうつもりで呼んだのではなかったが、仕方がないのでジーゼはそのままにした。

 地下に降りると、乾いた土と独特なじゃがいものにおいが部屋中に充満していた。ゼストのお芋は蒸しても、焼いても、天ぷらにしても、フライドポテトにしても何にしてもおいしいのだが、山盛りであると生芋なのに見ているだけで胸焼けがする。

「これ、腐る前に食べきれるのかしら?」

「わかりませんが、努力するほかないでしょう」

 シェイラルは脱力したような、あきらめた口調で言った。

「では、地上に戻りますよ?」

 石造りの階段を上って、再び、地上に戻る。

「こちらへどうぞ」

 今度は玄関とは反対の方向に、家の奥の方へとジーゼとちゃっきーを促した。廊下からリビング、リビングを通り越してダイニングへと歩いて行く。応接室でかしこまってお話とか、リビングのソファに埋もれてくつろいでお話とも違うような気がする。夕食はすんだばかりだけど、丁度よい感じに落ち着きそうな気がしたのだった。

「では、どうぞ、おかけください」

 と言って、シェイラルはダイニングテーブルにしつらえた椅子をそっと引いた。

「ありがとうございます」

 すっと、ジーゼが席に着くと、ちゃっきーはその目の前のテーブルの上に陣取った。

「ちゃっきーはここにいなくてもいいのよ?」

「おふう。ひでぇなあ、ジーゼちゃまぁ。おいらにだって、お話を聞く権利はあると思うんだぜえ。だって、こんなおいらだって、精霊の端くれ、協会の動向は気になるでさぁ」

「全然、気にしていなかったような気がするんだけど?」

「そんなわきゃーないんだぞ♡」

 そんなこと信じられるはずがない。とはジーゼはあえて言わなかった。

「さて、ジーゼ、本題に移りましょうか」

 シェイラルはテーブルに肘を置き、顔の前で手を組んだ。

 あの問いかけが来る。ジーゼはシェイラルに相対して、身構えた。

「あなたは今の協会をどう思いますか? と、質問すると答えにくいと思いますので、もうちょっと具体的に、かみ砕いた質問をしたいと思います」

 シェイラルの眼差しは真剣そのものだった。

「協会の行う“精霊狩り”をどう思いますか?」

「精霊狩り?」ジーゼは問い返した。

「ええ。エスメラルダ王国の版図ではまだ実行に移されていないようですが、ロンバルドやルーファリアの支配域ではかなりあれなことになっています。ジーゼは知りませんか?」

 知らない。

 確かに、ここ五、六年でずいぶんとエルフの森から人足が遠のき、クリルカの耳長亭を訪れる常連さんもかなりの減少を見せた。それでも残った精鋭の常連のおじいさんたちの情報筋からだと、協会から精霊は高貴なものたちであるから、必要以上の交流を控えるようにとの通達があったとか、なかったとかの話を聞いたことはある。そして、それ以外にもエルフの森への人足が遠のき始めた頃と時を同じくして、明らかに不審で不穏な行動を取るヒトも増えたので、悪さをしそうなヒトたちを片っ端から森から追い出したり、入れないようにしてきたことがさらに追い打ちをかけるように人々をエルフの森から遠ざけたのは間違いない。しかし、ジーゼやクリルカと交流のある精霊が“狩られた”という話は聞いた覚えがない。そもそも、ジーゼはリテール全域の精霊と知り合いというわけでもなかったし、森に引きこもっていることが多いから、世の中の情勢に疎いせいもあるかもしれない。そして、ついでに狩られた精霊から精霊狩りの話が回ってくるはずもない。

 ジーゼは考えを巡らせた上で、さて、どう答えたものかとさらに考える。

「……。世の中では精霊狩りがはやっているんですか?」

「はやってるのではないでしょうが、まあ、そんなようなものでしょうね」

「では、どうして、そんなにはやっているのに、このあたりはそんなんでもないんでしょうか? シャローナや、システィーナはいつもどうりに元気はつらつだし。協会からナニカされたとか、扱いが不穏になったとも聞きませんし、通常運転のようですよ?」

「通常運転……」

 今度は、しばらくシェイラルが押し黙った。

「おそらく、精霊さまと精霊核、猫目石の関係性が突き止めきれていないので、何があるかわからないので、総本部のあるエスメラルダ王国の版図を避けたのだろうとは思います」

「それでも、一年くらいはこちらに手を出すのを遅らせられたと思うんですけどね」

 玲於那がキッチンから人数分のティーカップを持ち出して、テーブルに並べながら言う。

「ですけど、玲於那、その時期は過ぎました。もうまもなく、協会はエスメラルダの領域に手を出し始めめる頃合いです」

「シェイラルは悲観主義がすぎますね」

「はは、お褒めにあずかりまして、どうもです」

「褒めてはいませんよ。しかし、猶予があまりないのは確かですね。わたしたちの引き伸ばし工作もそろそろ限界でしょう。総本部にいる仲間からの報告によれば、近く協会は教義に変更を加えていくようです」

「どのような?」多分、よろしくない方向になのだろう。

「元々の信仰対象に天使が加わるようです。今のところ、精霊さまプラス天使ですね」

「協会総本部の総意、なのかまでははっきりしませんが、精霊さまの信仰から、精霊さまと天使、やがては天使だけの信仰にしたいのかもしれません」

 シェイラルは歯切れも悪く、これまでの情報収集に基づく推論を述べる。

「つまり?」

「精霊さまたちと交流のあるわたしたちを排斥したいのです」

「今、“わたしたち”と言いましたか?」ジーゼは気づいた。

「流石です、ジーゼ」

「でも、わたしが言うのもおかしな気がするけど、協会は古くから存在する精霊を主に信仰の対象としているはずでしょう? 天使を信仰の対象に入れるのにしても、そうなら、精霊と仲のよい教会なら褒められこそすれ、排斥されるはずはないのでは……?」

 ジーゼは訝しげな眼差しをシェイラルに向けて問う。

「コハクが現れるまではそうでした」

「――コハクさんが現れたのは何年前?」

「五年と半年くらい前です。正確にはリテール歴一四六一年双魚の月七日。召喚された場所は協会のシメオン大聖堂の魔法実験のお部屋」

「召喚したのは誰?」

「召喚したのはレルシア司教です」

「おうっ、レルシアって誰でぇ? うふ♡ お名前から察するにきっと美少女たん。お年の頃はぴちぴちの二十歳。髪はロングで、スーパースレンダーなお嬢様に違いねぇ」

 ちゃっきーの矢継ぎ早トークが止まらない。

 ジーゼはちゃっきーの首根っこを捕まえると、とりあえず、自分の背後に放り投げた。

「レルシア司教は協会の精霊信仰をよしとせずに、天使を信仰させたいんでしょうか?」

「それはちょっと違いますね」

「でも、天使は召喚したヒトの意志には逆らえないと聞いたことがあります」

「それは召喚の際に与えられるサークレットに命令が書き込まれたときだけです」

「では、そのサークレットに命令が書き込まれないことがあるのですか?」

「召喚術の性質上、書き込まれないことはありません。しかし、例外はあり得ます」

「その例外がコハクさんだと?」

 シェイラルはジーゼの眼を見つめたまま、無言を貫いた。

「その無言は肯定と受け取ってもいいのかしら」

 ジーゼはシェイラルの視線を受け止めながら発言する。

「そうですね。しかし、例外は一人だけではありません」

「他にも命令に支配されない天使がいる?」

「いますよ。あなたのすぐ隣に」

 ひどく怪談めいた口調で恐ろしげにシェイラルは言った。実際のところ、光と炎の魔法が自在に使えて、レベルも高い。さらに剣や弓の高位の実力者も非常に多い。そんな天使が何の枷もなく自由に振る舞えるというのはもはや恐怖でしかない。

「わたしのすぐ隣に……?」

「わたしです」

「ひー! って、玲於那さん?」

「そー。わたしです」にっこりと玲於那はほほえむ。

 ジーゼは理解が追いつかない。

「ココロを無にして。と言うか、ぼさーっと召喚術を行使するとこうなるんです。が、わたしはそれでよかったと思っていますけどね。そう思いませんか、シェイラル?」

 玲於那は意味深な表情をして、シェイラルを見やった。

「や。もちろん、わたしもそう思っていますよ」

「んふふふ。そうでしょう?」玲於那は嬉しそうにほほえむ。

「は、話を戻しましょうか。端的に申し上げるとわたしたちのテレネンセス支部と協会総本部とはすでに思想が異なっているのですよ」

「つまり、協会は分裂しているってことかしら?」ジーゼは遠慮なく意見を述べる。

「分裂までしていたら、かえって動きやすいでしょうね」シェイラルは言う。「テレネンセス教区が完全に独立して、新たな宗教を名乗れるのなら、話は面倒くさくありません。ですが、わたしたちが分離独立できると言うことは協会の求心力が低下していることと同義。シオーネさまがそれを許すはずはありません」

 それはそうだろうと思うも、その件はあまり追及しないことにした。

「でも、どうしてこの町だけ昔の協会のままなのかしら」

 ジーゼはふとした疑問を挟み込んだ。

「それは――あなたがいるからですよ」シェイラルは言い切る。

「わたしが……?」

 ジーゼは疑問を呈した。

「ヒトの生活圏のほど近くに精霊さまが住んでいるのはテレネンセスだけです」

 指摘されてみれば、確かにそうだった。格調高い原初五精霊の一柱、炎のアルシオーネは人知れぬ山奥だし、じゃがいも大好きゼストはリテール平原のど真ん中で、催事でも催さなければ誰もいない。風極のエリーゼのエリモはリテールの端っこだったし、水のアクアさんの住まう湖もこれまたずいぶんと遠いところにあった。ついでに闇のセレナは論外で、通常はどこにいるほか皆目見当もつかない。その他にも探せばたくさんの精霊たちがリテールには住んでいるのだが、半日も歩けば、たどり着けるような場所にいるのはジーゼとクリルカくらいだけだった。

「つまり、みんな、ジーゼラブ♡ ってことやね。うらやましー!」

「ちゃっきーは黙ってて」ぴしゃり。

「えー。それはつまらにゃい。しゃべらせロー、しゃべらせロー、しゃべらせローっ!」

 声高に主張するもカレーにスルーされる。

「ここ、五、六年、町の人たちはめっきりエルフの森に近づかなくなってしまいましたが、ああ、もちろん、耳長亭大ファンのじーさまたちを除いてですよ。それでも、エルフの森のジーゼがいるからこそ、テレネンセスは昔の協会のままでいられるのです」

 そこは誇らしげにシェイラルは語る。

「昔の協会でいることがよいことなんですか?」

「それはどうでしょう。しかし、今の協会のやり方に従っていたのでは、何も残らないでしょうし。従わずにいたところで、このまま協会に逆らっていられるはずもなく、わたしたちはテレネンセス教区から追い出され、シメオンにいいようにされるだけでしょうね。端的に言えば、このまま行けば、テレネンセスはジーゼの敵になる」

 シェイラルは声を落として、より神妙な口調で言った。

「ちっち」ちゃっきーが割った。「今だって似たようなもんじゃねぇか。まぁねぇ、シェイラルたんや玲於那たんは百歩譲って我らに好意的っていってもなぁあ。他の連中はどうなんでぇ? お前んとこの熱心な信者と一部のじじいはファナティックだから、まーどうでもいいや。けどな? 大半の無関心な連中は今のとこ、動いていないだけで仮想敵みたいなもんだジェイ? この連中にあほな火がついたら止められねーぜ」

 ちゃっきーは腕組みをしながら、大それた指摘をする。

「大衆は声の大きい方になびきやすいですからね」

「その声の大きい方が協会総本部と言うことですね」

 ジーゼは改めて確認するかのように発言した。

「地方の一司祭より、総本部の方が発言力は大きいですから、しようがありません。それを地方の教会だけで何とかしたくとも、現実はそんなに優しくありません」

「現実はそんなに優しくありませんか」ジーゼはつぶやく。

「やさしくねーところにチミは何を求めているんだね?」ちゃっきーが言う。

「つまり、わたしにどうしろと?」

「わたしがジーゼにどうこうしてくださいという権利はありません。ただ、協力して欲しいのです。まずはテレネンセス教区、テレネンセスの町のそのものを守るために。そのためにはジーゼの力が必要なのです」

「はぁ……」

 全く気乗りしない。どちらかと言えば、必要以上に協会には関わりたくない。ずーっと話を聞いていた限りでは、少なくともシェイラルのいるテレネンセス教会を含むテレネンセス教区は今のところ、ジーゼの敵ではない。ならば、そこに手を貸すのはやぶさかではない。しかし、協会の問題に首を突っ込んだたら、もはや、傍観者の立場に戻ることはできない。そうなってしまったら、結果がどうなるにしろ突っ走るしかなくなってしまう。

 ジーゼは悶々もやもやとした様子で、シェイラルの顔を見澄ましていた。

「今日はもう遅いので、どうぞお休みください。――。玲於那、お客さまを寝室まで、お連れしてもらえますか?」

 シェイラルは強制的に話を打ち切り、玲於那を呼び寄せた。

 そして、玲於那はジーゼを寝室へと案内しようとした。その道すがら、ジーゼは歯に衣着せずに玲於那に問う。シェイラルではない誰かにちょっとだけ尋ねてみたかった。

「シェイラルさんは何を企んでるんです?」

「それはジーゼも知っているはずですよ?」

 にこやかにそう言って、玲於那は答えなかった。



 ちゅん。ちゅんちゅん。小鳥たちのさえずりとともに、窓から陽の光が射し込んできた。

 森の自宅以外での朝の目覚めは何年ぶりだろう。

「おっは~、ジーゼ、おめめぱっちり、気分爽快?」

 ジーゼはちゃっきーの大声と顔のドアップでテレネンセスの朝を迎えた。気分はかなり最悪で、朝から見てはいけないものを見てしまったような気がして気持ちが悪い。ついでに、ちゃっきーに目覚めはよいかと聞かれると、むしろ、それ故に目覚めがよくない気がしてくる。できることなら、きれいさっぱりと忘れて、出てこないで欲しかった。

 ジーゼは思わずキッと、ちゃっきーをにらみつける。

「もう少し、静かにおとなしくしていられないのかしら、ね?」

「むりー。おとなしくなったらちゃっきーにあらず。そんなことよりめしー!」

「めしーより先にシェイラルさんと玲於那さんに朝のご挨拶!」

 ジーゼはちゃっきーに常識を説こうとがんばってみる。

「朝の挨拶より、めしー食わせろー! おしゃべりの次にはお食事が命。全ての活力の根源でぇい。食わせなかったら、ジーゼナビゲーションシステムを終了いたしますもんねー」

 などと意味不明なことをずーっとまくし立てている。

「わたしも、ナビゲーションシステムはもういらないかしら?」

「え~? そりはおいらがつまんにゃ~い! 断固、反対申し上げる。が、しかし、やっぱり、どうしても腹減ったー。おいらのお腹はがらんどう、ナニカでいっぱいに満たさねば、いつまでもガランゴロンと大きな音を出し続けるのだよ」

 詰まるところ、何かを食わせれば、すっかり静かになると言いたいらしい。

 と、ゴンゴンと扉をノックする音がした。

「はーい」

 ジーゼは駆け寄って、扉を開ける。きっとシェイラルだろう。

「おはようございます。ジーゼさん」

「おはようございます」

「今朝も元気でにぎやかですね」

 シェイラルの発言にジーゼは不本意である。毎朝、静かに起床、慌てず騒がずに朝の身支度を済ませて朝食の準備となるのだが、ちゃっきーのせいで全てぶちこわしだ。

「イエス! めしー!」

 渋い顔をしているジーゼの前に飛び出て、ちゃっきーは自らの主張を押し通す。

「では、軽い朝食にしますか」

 テーブルの上には厚切りのトーストとコーヒーが用意されていた。

 自分たちを巻き込んだ騒動とは裏腹に、ここは奇妙に平和な空間だった。しかも、この場はサムを窮地に追い込もうとしている組織の一部であって、その組織の一部なのにサムの両親がいて、さらに協会の総本部とは一線を画した存在になっている。

 不思議な場所だ。

「ジーゼ、どうかしたのですか?」

 シェイラルが上の空のジーゼを心配して声をかける。

「ここは――奇妙です」

「奇妙ですか?」シェイラルが問い返す。

「はい。ここは協会なのに協会ではない。そんな不思議で奇妙な場所です」

「不思議で奇妙な場所……。そうですね、そうかもしれません」シェイラルはクスリとした。「ここはジーゼの、エルフの森のお膝元。そして、唯一、天使のいる地方の教会です。他のどことも違う、オリジナルなのでしょう」

 それはいいことなのか、悪いことなのか今は判然としない。

「ところで……。ジーゼ、昨日の答えをいただけますか?」

 シェイラルは真剣な眼差しでジーゼを見つめた。

「重大な決断なのにずいぶんと急かすんですね?」

「急かしたくはないんですが。そんなに悠長なことも言っていられません」

「はぁ……」ジーゼは目を閉じて、大きなため息をついた。

 どのみち選択肢はない。

「こういうのは“選択”ではなく、“強要”というのだと思いますけど」ジーゼは辛辣に言葉を放つ。「ですが、わたしとクリルカとエルフの森が生き残るためにはあなたに協力するほかありません。……きっと、それが最善なのでしょうね」

「ありがとうございます」

 シェイラルは深々とお辞儀をした。

「ところで、ジーゼはこの後、どうするつもりですか?」

「森に帰ろうかとも思ったんですけど、とりあえず、サムに会いに行こうかと」

 ジーゼはシェイラルの目を見つめながら率直に言った。

 このまま、エルフの森におとなしく帰っても、サムを捜さなかったことを後悔しそうだったから。慌てず、騒がす、もう少しだけ捜してみて、ダメだったら森に帰ろう。

「サムも幸せ者ですね。こんなかわいい精霊さまに好かれてるなんて」

 玲於那がお茶のおかわりを用意しながら、発言する。

「でも、サムがどこにいるのか、知ってるんですか」さらに続ける。

 正確なことはジーゼも知らない。けれど、

「……。アルシオーネに会いに行くのだと思います」

 その名前を放った瞬間、空気が凍り付いた。

「だから、わたしもアルシオーネに会ってこようかと思ってるんですけどぉ――?」

 シェイラルと玲於那の蒼白になった顔を見て、ジーゼは言葉を続けられなくなった。さしものジーゼもアルシオーネは知っている。ついでに、その住まいのサラマンダーズバックが不帰の谷と呼ばれて、探索に行ったヒトで無事に帰ったものはないくらいのことも当然ながら知らないわけはない。しかし、二人とも精霊同士で、アルシオーネの元に訪れても特に何も起きないと思うのだけど。とジーゼは思うのだ。

「やめといたほうがいいと思うんだけど」玲於那はそっと言う。

「どうしてですか?」屈託もなくジーゼは問う。

「いえ、その、何というか、アルシオーネは別格というか」

「あら、わたしとは格が違うと言いたいのかしら?」不穏にニコニコ。

「そういうことではなくて……」玲於那がしどろもどろ。

「今は時期が悪いと言うことです」シェイラルが助け船を出す。「近頃、協会が暴れているので、アルシオーネの機嫌が悪くてたまらないと、この間、ゼストさんが言ってました。と言って、機嫌を直してもらおうとしたところで、無意味なので放っているそうです」

 アルシオーネの機嫌を直すには協会の所業を止めるのが手っ取り早いのだろうが、手っ取り早い方法が簡単に実行できるとは限らなく、むしろ、難易度は最大だ。

「あーつまり、いろんな意味で面倒くさいってことですね」

 はてさて、これは困ったとジーゼは思う。クリルカの不満を押しのけて、どうにかテレネンセスの町までやってきて、協会に、というよりはシェイラルに協力することにして、サムと同じ経路と予想されるアルシオーネのところに行ってみようと思ったのだけど、機嫌の悪いアルシオーネのところにお邪魔するのは、それこそ飛んで火に入る夏のなんとやらなのは疑いようがない。不帰の谷を目指すヒトみたいな目には遭わないだろうが、このまま不用意に飛び込んではろくなことにはならない予感がムクムクと大きくなってきた。

「では、こうしましょう。先にリテール平原のゼストさんのトコに寄りましょう」

 ジーゼの困り切った顔を見て、シェイラルは提案をする。

「それだとひどく遠回りなんですけど?」

 リテール平原は西方、サラマンダーズバックとは正反対の方向にある。そこを経由して、アルシオーネに会いに行くのは何だかとってもバカバカしい。

「それにゼストもあきらめちゃったんでしょう?」

「はあ、まあ、そうなんでしょうね。触らぬアルシオーネに祟りなしといいますか、放っておいてもゼストには実害がないのでしょうから、いいのでしょうね。しかし、あなたは違います、ジーゼ。あの方はあんまり面識のない方がひょこひょこと訪れるのを快く思っていないようですから、延々とお説教されてしまうかもしれません」

 お説教くらいだったら、大きな問題はないのだけれどジーゼは思った。

「なので、ジーゼとゼストはつながりがありますから、ゼストからのお使いのていでお土産をもってアルシオーネの元を訪れるのがよいかと思い至りまして」

 なるほどとじーぜはおもったが、やはり、遠いのは遠いのだ。

 と、そこへ突如、ちゃっきーが割り込みをかけてきた。

「へいっ! ところでよぉ。ジーゼちゃまでそうまでしないと会ってくれなさそうってんなら、サムっちなんざ、吹けば飛んじまうんでね? ってことは、いくら猪突猛進な止まることを知らねぇアホ野郎っても、どこかで気づくと思うんだじぇぇ」

「何に気がつくんですか」玲於那。

「仲介してくれるヒトがいないとダメだこれって!」

「ぜんぜん気づいてくれなさそーな気がするんだけど」再び、玲於那。「そのあたりのことまですぐに頭が回る子だったら、協会に追われるようになった時点で、わたしたちのところに一度は連絡をくれるか、帰ってきたと思うんだけどなー」

「つまり、帰ってこなければ、連絡もくれないってことですか」

 ジーゼは呆れたような口調で言った。

「それはまあ、うちはリテール協会のテレネンセス教会ですから、色々と都合の悪いこともあるでしょうが、抜け道は案外、たくさんあるんですけどねぇ?」

 シェイラルは玲於那の方に振り向いた。

「ねえ」玲於那はシェイラルと視線を合わせた。

「例えば、わたしのところとか?」

「来てたんですか? サムが!」

「来てました。つい二、三日前のお話ですよ」

 とのジーゼの発言を聞いて、二人は大きなため息と同時に肩を落とした。


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