03. 光と炎の眷属・天使
「ねぇ、サム、本当に行っちゃうの?」
クリルカはテーブルを挟んで向かい側に座ったサムに詰め寄った。
「ああ。思ったよりも長居しちまったから、そろそろ、おいとましないとね」
「それは天使のおねーちゃんがここに来たから?」
クリルカは言いよどむことなく単刀直入に言ってのけ、流石のサムもあまりのあまりさ加減にお口に含んだお紅茶などを激しく噴いた。
「気がついてたの?」
「それはもちろん。空から眺めてた方のじゃなくてダヨ」
まるでいつものことを話すようにクリルカは言った。
「でも、おまえ、その時、家には居なかっただろう?」
「家には居なかったヨ」にっこり。「でも、わかっちゃうんだなぁ、これが」
「わかっちゃうんですかぁ、それが?」
サムは無感情にオウム返しをした。
「サムっちよぉ、ここにおわそう方々が精霊たまだってのを忘れてるじぇ?」
ちゃっきーの指摘にサムは我に返った。
「クリルカにはウソはつけないか。――そう、そういうことさ。協会の天使が俺を追い詰めに来たのさ。この森を出て行かないと、焼き討つとね。……多分、本気だ」
「と言うことはぁ……」クリルカ。
「そんな物騒な物言いをするのはコハクさんですね」
ジーゼが奥から現れて、サムの隣にすっと座った。
「もぉ! ちょっと、先に言わないでよ。わたしのセリフなのにっ」
「え? ナニ?」驚きに言葉が出ない。「キミたち、知り合いかなんかなの?」
「いいえ、特に知り合いというのではないですが、よく知っている方ではありますね」
なんとも、すっきりとしない表現の仕方だった。
「有名人だものね」
「ねぇ」
クリルカとジーゼは目配せを交わす。
「何も知らないのは俺だけってこと?」
「まーそーいうことになるだろうなぁ」ちゃっきー登場。「ひっひっひ。ありとあらゆる情報をシャットアウトされたら、こーなっちまうのが当たり前。悲劇やねー。コハクたんは今をときめく天使兵団が長、実はあっちこっちの精霊たちの前に姿を現しておるのだ」
得意満面の笑みを浮かべ、ちゃっきーはサムをさげすむ。
「故に、その秘めたる魔力の波動から、それが誰なのか判別がつくのだぜぃ」
「いや、それはどーでもいいんだが、つまり……?」
「協会から追われてきたものには関わるな、関わるならばそれ相応の覚悟をしろ。と、最近触れ回っているんです。だから、顔も知ってるし、ちゃっきーの言うような魔力の波動もわかるから、わたしたちの森をうろついたら……」
「でも、まー、やっぱり凄いヒトだから、ひっそりと森に入られたら誰も気がつけないんだよ。でも、昨日はちょっとだけ、というか一瞬? いることがわかったの」
「あ~ん。ひょっとすると、あれか、ちゃっきーがいると隠れきれないのか……」
難しい顔をしてサムは考える。
「――いや、そこまで言われていて、ジーゼはどうして俺を匿ったんだ?」
「それは……言いませんでしたか?」
ジーゼはにっこりと笑顔を向ける。対して、サムは全く心当たりのないようなキョトとした表情をジーゼに向ける。
「――じゃあ、もう、内緒でいいかしら?」クスクス。「そう、本当は……」
「イエス! イクシオンの生まれ変わりかもしれないヤツに恩返しをしたかったからに決まってるだろぉ。全く野暮だねぇ。こういうときばかりは野暮ったすぎてたまらないねぇ」
ちゃっきーは腕を組んでやれやれとばかりに首を横に振る。
「……何で、お前が偉そうなんだよ」
「いひひっ! 勘違いしちゃいけねぇぜ。おいらはいつでも偉いのだ」
「ちゃっきーは別に偉くないと思うよ」
クリルカはちゃっきーにぴしゃりと言い放った。
※
そして、夕刻前、サムはジーゼのおうちを後にした。
未練たらたらにさびしがるクリルカと、平静を装いつつも隠しきれない寂寥感をそこはかとなく感じさせるジーゼを置いて、サムはテレネンセスへと延びるさびれた街道を一人、いや、小うるさい相棒と一緒に歩いていく。
「ひっひっひぃ~。本当にこれでよかったのかいぃ~?」
「さあな。ただ、森に居座るワケにもいかないし、名残惜しいからと言ってジーゼたちを連れて行くことも出来ないだろ。ま、よくなかったとしてもな、こーなるしかないんだよ」
「ほー。てめぇにしてはまた謙虚なこって」
嫌味全開にちゃっきーは言う。
「ちげーな。謙虚なワケじゃねぇ」
「ほ? どういうこった? おーっと、待て待て。しゃべるんじゃねーよ」ちゃっきーは目をつむって考える。「は、はぁ~ん。さてはコハクたんの言うことを真に受けたなぁ? いひひ。あいつは森の焼き討ちなんてしねーなあ。口先ではどう言おうとも、協会対せーれーになっちまったら、協会になんて勝ち目なんてかけらもねーのさ」
にんまりと嫌らしい笑みを浮かべてちゃっきーはサムを見つめる。
「だから、俺に森を出ろと……?」
「イエスっ! 森からでたらもはや何でもありってことでさぁ、旦那しゃま」
「つーことは、また、朝食の最中に矢が飛んできたり、包丁が飛んでくるワケか。やってられんな。が……」サムは眉間にしわを寄せた。「ファイブシスターズの誰かと仲間になって、協会と仲良く出来るのなら、追っ手は来ない――か」
サムはふと立ち止まって、考えを巡らせた。
「ふっふっふ~、しかぁし、てめぇ一人じゃあ無理だろうなぁ。ゼストさんに会いにいきゃぁ、イモ責めに。アクアさんに握手を求めれば水没だ。風極のエリーゼたんに出会いを求めれば風に吹き飛ばされ、セレナたんには目もくれられず、アルシオーネ……」
ちゃっきーが不意に言葉を切った。
「アルシオーネはどうした?」
「アルシオーネたんは強いものが好きだからねー。もしかしたら、もしかするかもねーと思っただけでさぁ。ひっひっひ~~。まあ、九割九分九厘くらいの確率で溶岩の砂粒でしょうけどねぇ。運がよければ、仲良くしてもらえるかもしれねぇがぁ、協会と仲良くしてぇ、とカミングアウトしたものなら、やっぱ、溶岩の中でどろどろよねぇ、うひっ」
「気持ち悪い笑いをするな。ま、いい、ここまで来たら、テレネンセスももうすぐだからな。原初五精霊がどうのよりもそっちが近い……、うちに帰るさ」
「そこは旦那しゃまの我が家ってことですかにゃあ? が、しかし、ずいぶんと遠回りしたもんですなあ」変な顔をしてちゃっきーは難癖をつける。「アイネスタを都落ちし、そこから、ヴェルセーヌ、アルケミスタ、キャロッティのシメオンまで回り込んでからの、フライア、そして、テレネンセス。その距離、直通の約五倍っ! バカじゃねーの?」
しれっと言ってのける。
「おまえにバカ呼ばわりされる覚えはねー。――それに、そもそもテレネンセスに行くつもりなかったんだよ。追放される前はともかくよ、今じゃ、お尋ね者だぜ? 帰りたいのは山々だったけどよ、迷惑はかけたくなかった……」
「ほー。いつもは強気なてめぇにしてはまた珍しい」
サムははたと足を止めた。
「俺は……帰らん方がいいのかもな」ぽつりと漏らした。
「ありぃ? てめぇがそんな様子だとおいらの調子が狂っちまうなぁ。ふひひ。貴様はどんなときもゴーアヘッド! たったの一つも後ろを向いちゃぁいけねぇなぁ」
「これを聞いてもそう言えるかな?」サムは言う。
「どーれ、言ってみ?」
「俺の家は教会のなのさ、リテール協会の、な」
「ほ~、ほ~、そんなことはすでに知っておりますノことよ、旦那しゃま。しかぁし、今さらそんなことを気にするたまでもあるまいし。てか、てめぇのお家は自慢の息子さまを何のためらいもなく天上に差し出してしまうようなところなのかにゃ?」
にへらぁと笑ってちゃっきーは言う。
この小さな黄色いおかしな生き物はいったいどこまで見透かしているのだろうか。
「――たぶん、違う。た・ぶ・ん、な」
「だろお? なんせ、協会を分裂させるくれぇの姉御さまもいらっしゃいますからのー。で、てめぇはリテール協会レルシア派のテレネンセス教区の司教たまのいらっしゃる教会にに殴り込みってワケだ」
ずびしと決めてみせる。
「……レルシア派だなんて息巻いてるが、今はまだ、ただの隠れ教派みたいなもんだ。大司教さまに見つかって排斥されないだけましって程度だぜ? それに、殴り込みじゃねえ。うちに帰るだけさ、うちにね」静かに言った。
「そう! てめぇはおうちに帰りたいだけかもしれねぇ。ひひひぃ、だがしかし、簡単にはおうちに帰してくれないみたいよ?」
ちゃっきーは空を見上げて、青空の一点を指さした。
そこはかとなく気がついてはいた。
天使が来る。むき出しの敵意に気がつかないわけはない。おそらく、昨日、クリルカの耳長亭で油を売っているときに、上空から様子をうかがっていた天使だろう。少なくともコハクではない。冷たい声色からびりびりと感じられた圧倒的な迫力はなかった。
「ほっといて欲しいんだがなぁ……」
本音を漏らす。
しかし、放っといてくれるはずがない。リテール協会にとって、かつてはエスメラルダ王国軍に所属した、協会に与しないヒーロー・サムは邪魔者なのだ。
「――協会は嫌いだが、積極的に潰す気もなけりゃあ、絡むつもりもないんだけどなぁ」
と、不本意に上空を見つめていると、天使が鋭い眼差しでサムを突き刺していた。
そして、そのまま優雅に舞い降り、可憐な姿に一部の隙もなくトンと地面に足を付いた。
「貴様がサムか?」
「だったら、どうするのかな?」
サムは挑発するかのように言う。わざわざ問わなくとも、何を言うのかなどはすでに自明だ。けれど、お約束として聞かないワケにはいくまい。
「リテール協会の命により、貴様を捕らえに来た。おとなしく従えば殺しはしない」
ほぼほぼ、予想通りの回答だった。それでもまだ、回答してくるだけましな方で、大半の天使たちは問答無用で一方的に戦いを仕掛けてきた。そして、回答してきた天使には、サムは例外なくさらに問いかける。
「俺がおとなしくすると思うのかい?」
「いいや、思わないな。だから」
「だから、ここで殺しておくってワケだ。まー、そー簡単に殺されてやるつもりはないんだがね。コテンパンにしたのに懲りないヤツだ……と思ったら、お前、違うな」
「違うとはどういう意味だ?」
「いや……、こっちのことだが、フライアでふっかけてきたヤツはどうした?」
「――ユイのことか」
「ユイ? ってどなた?」
「貴様の言うフライアでふっかけてきたヤツだ」
「ふむ。そいつがユイってんなら、おまえは――ん? ちょっと待て。声色が似ているから、アイネスタでのヤツかと思ったが、それも違うな、口調が違う」
「今度は何の話だ?」
「あーいや、別にこっちの話なんだが……。協会はいったい、何人の刺客を送り込んだら気が済むんだろうね。とりあえず、お前でぇ――」サムは指折り数えて、思わず天を仰ぎ見た。「数え切れないくらいなんだが、どうにかならないもんかな?」
もはや、相手が自分を殺しに来た刺客だなんて、忘れてしまったかのようにため息交じりに発言した。死活問題というよりは、嫌気がさすほどの嫌がらせにしか思えない。
「どうにもならないな。――まあ、お前が殺されるか、捕まれば、追っ手はないが」
「そうだろうがね、殺されるわけにも捕まるわけにはいかないんだな」
「では、あきらめることだな」
「残念。あきらめも悪いんだよ、俺は」にやり。「ま。そんなこたぁ、どうでもいいや。それより、お前、けっこう美人だな」
「は?」天使は思わず間の抜けた声を出した。
「は? じゃねぇよ。俺の……」
「七人目の彼女にならないかぁ~い?」
突如、ちゃっきーぽひゅんと現れて、話を横取り、変な方向にねじ曲げる。
そして、ちゃっきーはよちよちと歩いてくると天使の前に立ちはだかった。
「……何だ、これは?」
天使はちゃっきーを指さして、サムに問う。
「俺に聞くなよ。てか、コハクは知っていたな。妖怪とか何とかで、危険だとか」
途中からサムはぶつぶつ。天使はいまいち状況が理解できない。そんな中、ちゃっきーは空気も読まずにレッツゴー。ここで止まってはちゃっきーが廃る。
「ふひっ。おいらは妖怪ではないのだぢょ。おいらは天下無敵の毒小人! しかも、今なら食すとチーズケーキのお味がする特典付き。一家にひとつ、非常食に最適でごじゃる。ちなみに、食した後も自動的に復元されるので備蓄いらずでご安心。ってことで、彼女がイヤなら、おいらの妾にになれ! たった今決めた。誰にも反対なんかさせね~ぜ!」
「だからっ、これはナンだと言っているっ!」
あまりのもどかしさに地団駄を踏みたい気持ちだ。
「さあ、ナンだろうな、これ。俺も知りたい……というか、そろそろ黙れ、ちゃっきー!」
「おいらはサムっちの気持ちを代弁しているだけですぜ、ひっひっひ。女とみれば口説かずにはいられない天性の色情狂。まあ、どうしてこんな危険な物体が地上を徘徊しているのれすか? 神は言った。そんなもん、物騒で天界には置いておけねぇ~。って、ねぇ」
ちゃっきーは流し目でサムを見る。
「アホ! お前には心のブレーキというものがねぇのか」
「ないね!」
口を結んで、取り付く島もなくきっぱりとちゃっきーは言い放った。
「ないから、さらにヒートアップ!」自分で言ってれば世話がない。「さあっ! おいらと一緒に秘密の谷間にランデブー! 宙を舞い、空を飛び、遙かな神の国ぃ……はイヤだから、そこいらの草むらでえへへぇとか、いひひぃとか、楽しいことしようぜぇい?」
「いい加減、黙れよ」
サムはちゃっきーを足蹴に踏みつぶした。
「さてと、そこの天使、お前は今までとは違って、紳士……じゃなくて淑女的だな。この間までのヤツらなら、問答無用で火矢をうつか、包丁を投げるか、とにかく仕掛けてきたと思うんだが、お前は俺の話を聞くんだな」
「あ――」天使は何かを言おうとしたが、サムは遮った。
「ああ、わかってるさ。俺をつかまえるか、殺すんだろ? が、ここまで話したんだ、もうちょっとだけ、俺のおしゃべりにつきあえよ」
サムは硬直する天使に向かって、幾分悪意のこもった視線を向けていた。
そして、唐突に問う。
「お前にとってリテール協会とは何だ?」
「――どういう意味だ?」
天使は一瞬の逡巡を見せたもののサムの真意をはかりかねたのか、律儀に問い返す。
「言葉の通りに受け取って欲しいね。お前にとって協会とは何だ? ただの宗教なのか、心のよりどころなのか、ただの雇い主なのか、お前はそこの傭兵なのか――。お前はナニを使命に持たされて俺の前に立っている?」
サムは天使の瞳を見つめたまま、質問を投げつける。
「エスメラルダ王国軍を率いていたサムを捕らえよ。捕らえられないのなら、殺してもよい。そして、その屍を大司教さまの前に示せと――」
天使は無表情、無感動に言葉をつなげた。
「本当にそれだけなんだな」つまらなさそうにサムは言う。「協会の命令だから、その真意を疑わず、俺を殺す……、もしくは捕らえるってワケだ。ま、協会にとっては優秀な兵士ってことだ。たかが一介の兵士が自分の意見など無用。言われるがままに命令をこなせばいい。間違っちゃぁあいないぜ。だがなぁ、命令は命令、お前の考えはお前の考えだ」
「何が言いたい?」
「ほほほ、こりゃまた命の危機に対してみょーに饒舌、止まらない矢継ぎ早トーク」
「お前は黙ってろよ」
サムは足下から奇跡の復活を遂げようとするちゃっきーをさらに踏みつける。
「別にナニが言いたいわけでもねーよ。言いたいことはナニもないが……、リテール協会が俺を執拗に追い回すワケは知りたいね。そう……、アルシオーネを配下に納め、協会の邪魔をしないのならほっといてくれるとは言ってたがな。そもそも、アルシオーネと仲良くなると何かいいことがあるのか?」
最初の勢いもなくなって、サムは語気を和らげながら、久須那に問う。
「……アルシオーネは原初五精霊の中心的な存在だ。もしも、アルシオーネに認められることがあったのなら、他の四柱の精霊ともほぼ自動的に仲良くなれるという」
「イエスっ! ハーレムの完成だじぇぇい!」
「そうじゃねえだろ」サムはちゃっきーを押さえつける。
「ただ、アルシオーネには会えない」
「何故だ?」さらに問う。
「アルシオーネの住む谷がなんて呼ばれているのか知らないのか?」
それはちゃっきーの戯言から聞いた。
「不帰の谷のアルシオーネ――」
「サラマンダーズバック、原初五精霊の中でも別格の能力を持つアルシオーネと契約したい輩は昔からごまんといるからな。しかし、現実には契約にこぎ着けるどころか、そもそも、アルシオーネにもたどり着けていない。仮にたどり着いたのだとしても、サラマンダーズバックから戻ってきたものもない。故についた名前が不帰の谷」
「なるほどね。それは会ってみてぇな」
サムは左手であごにごしょごしょと触れながら、眼差しは遠くを眺めながらぼそぼそと。
「じゃ、そーゆーことで、大変お世話になりました」
サムは手をフリフリ、ぺこりとお辞儀などをして見せて、そそくさと立ち去ろうとした。
「……待て。わたしの用事はまだ済んでいない」
「あーそうだったな」サムは後頭部をポリポリと掻いた。「だが、まあ、お前の用事に付き合っていたら、俺は殺されるか、お前に捕まるかの二択じゃないか。と言うわけで、ここで、お前とはお別れだ」
「お前と呼ばれる筋合いはない」
「――そうか、ならば、俺にはそのお前に追い回される筋合いはねぇな。しかし、ま、せっかくだから、聞いてやろう、お美しいお嬢さんのお名前を教えてたもれ?」
少し投げやりだったかと思うものの、ここまでくるともはやどうでもいい。
「……久須那――」困ったような空気を醸しながら天使はおずおずと言った。
「く・す・な……ね。わかった、じゃあ、また、縁があったらどこかで会おうな」
手をひらひらさせつつ、サムは再び、別れを告げる。
「だから、待てと言っているだろう!」
「待てねーよ」サムは言う。
「イエス、サムっち! へいっ、お嬢ちゃん。旦那たまが待てねーというのだ。さっさととっととお引き取り願おうか。ひっひっひぃ、もしかして、サムっちにどぉーしてもご用があるというのならば、この不肖、ちゃっきーマネージャーを通してもらおうか」
ちゃっきーが不敵に言い放つ。
「お前もよくしゃべるな。口から先に生まれるってこういうことを言うんだろうな」
などと、サムも感心したように発言する。
「いひ? チガウヨ? おいらはちゃぁ~んと頭からウマレタノダヨ」何故か、片言。「そしてそして、それからそして、次にお口が生えて、ノンストップ矢継ぎ早トークっ。以降、お食事のお時間以外にはひたすら、ひたすら、しゃべるのでぇい! うらやましいだろ」
「特にうらやましくはねーな」
「……無視をするな」久須那はぼそりとつぶやいた。
「無視はしてないさ。相手にしていないだけだ。――はぁ、而して、久須那は妙に律儀というか、正統派だな。俺とちゃっきーがアホなやりとりをしている間にやっちまえばよかっただろ。ま、少なくとも今までのヤツらなら、そうしただろうな。だが、久須那はしない。何故だ? 命令を果たすのなら、手段は問わない。ダロ?」
サムはずいっと一歩、歩み寄って、久須那を意地悪に詰め寄った。
「何故、コハクはそんなお前を俺の前に送り込んだのか。ユイや、協会の命令に素直に従う従順なヤツでよかったのでは。と思ったが、俺が色々と潰しまくったから、久須那しかいなくなってしまったのか……。ま、そんなのはどうでもいいんだが」
「へへ~い、てめぇもよくしゃべる男だなぁ。少しは寡黙を通さねぇと女の子にもてねぇぜ。と、思ったがぁ、あまりにモテモテでもういらんのかぁ」
「お前もうるさいよ」サムはちゃっきーを握りつぶした。
「ひどいぃ~~いぃ」
「は。もうさんざんおしゃべりしちまったからなぁ。ここまで来たからにはもう少し付き合え。ま、久須那が望むなら、いつ仕掛けてきてもかまわないぜ」
サムは久須那の双眸を見据えたまま言う。
「さて、教えろ。協会はナニを目論んでいる。お隣さんのロンバルドをふっかけたのも、俺をエスメラルダ王国軍から追放させたのも、きっとおそらく、お前たちの差し金だ。誰も気づいちゃいないがね。俺の……俺たちの目は欺けねぇぜ。リテールの平和を目指すなどと聞き心地のいい言葉を並べ立てているが、その実、ロンバルド対エスメラルダの対立構図を作り、平和を乱したのはお前たち自身じゃあないのか?」
久須那は答えない。
「まあ、仮に知ってたとしても答えられるわけがねーよな」
と、サムはふと思い出した。協会の政治的意図以外に大々的に、ではないものの、こそこそちまちまと行っていることを。最近、サムも首を突っ込んだトレジャーハンティングの業界ではとても高い報酬をもらえる仕事だと大きな話題になったいることを。
「じゃあ、一つだけ教えてくれ。あんなに大量の猫目石を集めてナニをするつもりだ?」
「……知らない――」
久須那の一瞬、揺らいだ瞳をサムは見逃さなかった。
「ウソだね。お前……、いや、久須那はそれが何を意味するかを知っている。そして、それに対して疑問を抱いている――。協会に悟られまいと必死だが……」
「勝手なことを言うなっ!」久須那は感情を露わにした。
「勝手なこと? いいや、ホントのことだろ? 猫目石が大量に集積する場所に何があるかは知っているな? 言ってみろっ」
有無を言わさぬ口調でたたみかけ、同時にサムは自身の思考を巡らせる。
「――精霊核」
「その通りだ。そして、その次には何が起きる? と言うか、何が生まれる?」
「幾千の時を超えてて精霊が……」
誘導されて久須那はもごもごと口ごもりながら答える。
「天につばする所業よのぉ! 人工的に精霊を生み出そうなんてなぁ」
突如、ちゃっきーが吠える。
「そうなの?」サムが驚く。
「あり? チミ、幾多の思考実験を経て、そぉ~んな恐ろしい結論に達したんでないの?」
「いや、別に、そういうワケではなかったんだが……。まあ、その、何というか、ゴホン」
サムはわざとらしく大きな咳払いをした。そして、
「そういうことか……」眼差しは遠くサムは空を見上げた。
「ほー、どういうことだ?」
「ああん?」サムはちゃっきーを黙らせるべく、怪訝な眼差しでねめつける。「じゃあ、途中をはしょって単刀直入に問おう、久須那。――リテール協会は人工的に精霊を生み出してどうするつもりだ?」
久須那は口を結んで答えない。
「知らない……。だろうな。リテール協会の思惑が俺の思っているように人工精霊の研究なのだとしたら、久須那のような下っ端が知っているわけもねぇだろうし、むしろ、知っていたら危険だろうな。このことが外部に漏れたらのなら、世の中がひっくり返る。――というのは言い過ぎか。ま、少なくとも、リテールの権力構造が一変するだろうな」
「とするとぉ? いひひっ! いよいよ、俺さまのハーレムが完成するのだな! 世の中のあまたの女たちを集め、夜な夜な舞踏会の、うへへへへぇ」
「それはねーな」
サムはちゃっきーの戯れ言を軽くあしらう。
「んで、久須那は協会のそんな意図もつゆ知らずに俺を討つ。ってワケか。はぁ~、やっぱ、やってられねぇな。――協会には近づかねぇから、放っといてもらえないか?」
「それは――できない」
ひゅん! 矢がサムの頬をかすめて近くの立木に突き刺さった。その瞬間、木は落雷を受けたかのように燃え上がり、あっという間に消し炭にしてしまった。それを目の当たりにすると百戦錬磨のサムと言えど、顔から血の気が引くのを感じざるを得なかった。
「お話は長々と聞いてくれるのに、容赦なしか。じゃ、仕方ねぇな。俺もお前の相手をしてやろうか。後悔するなよ? だが、その前に提案だ」サムは言う。
「何だ?」
「そぉ~んな物騒な弓はやめて、フツウの剣にしない?」
「断る。お前にとっての剣がわたしの弓。お前が弓を使うなら、わたしは剣でもいいぞ?」
「か~、可愛くねぇな! だが、それくれぇ~じゃねぇと戦とはいえね~よな。けど、女を虐めるのは趣味じゃねぇんだ」
そう言いつつ、サムは険しい視線を久須那から離さなかった。
「……手加減は無用だ」
「ふん? 見くびらないでもらいたいね。やるときは女だろうが男だろうが、手加減は無しさ。こーなった以上は泣いてわびても許してやらねーぞ?」
「わたしの何を許さないのだ?」
久須那は険しい眼差しで返答しつつ、矢をつがえ弦を引いた。
ただの矢柄だと思った部分には仄かに透き通った青白い炎がまとわりついていた。イグニスの弓のイグニスの矢。ごく至近距離で、炎の形態をした魔力に包み込まれた武器など初めて見たが、あれはまずい、あれは喰らったら、一撃終了のものだとサムは改めて意識した。
あれは落とさねばならない。
落として、魔力を霧散させなければ、直接矢を受けなくとも、流れ矢がまき散らかすであろう炎の海にサム自身の退路を断たれるのはほぼ間違いない。が、どうやったら、その弓矢を剣でたたき落とし、魔力を霧散させるのか想像もつかない。
流石のサムもこればかりは実戦初体験だった。
と、ぽひゅんと愉快な物音を立てて、ちゃっきーが出現した。
「ひっひ~、何を悩んでいるのかなぁ? いつもお前なら、考えるより先に体が動いていたジェイ。うひっ、こりゃあ、負けかな? 負けのフラグが立ったかにゃ?」
「いいや、勝利のフラグが立ったのさ、お前のおかげでな」
サムはブロードソードを構えながら、ニヤリと笑った。
一発目はおそらく、さばける。問題は二発目、三発目をどうさばいていくか。そして、どうやって、接近戦、サムの間合いまで持ち込んでいくのかだった。が、それを思考する間を久須那が与えてよこすはずもない。
ひゅっ!
サムの一瞬の隙を突いて、矢が放たれた。
炎が風に舞い、空気が切り裂かれる音が聞こえる。
ブロードソードに渾身の魔力を乗せて、青白い炎を吹き消し、矢をたたき落とせ。
がっ! 大きな鈍い音がして、矢柄が真っ二つ、青白い炎は残ったが、弱々しく威力を失っているようだった。
「ふん、なかなかやるな。矢を剣で落とすヤツなど、初めて見た」
「そんなトロい矢じゃあ、俺には当たらんよ」
強気の発言をしてみるものの、こんな無謀な芸当が出来るのも、この一回きりに違いない。天使の実力がこの程度のはずはない。サムの出方を見ている。もう、十分すぎるほどにお話はしたが、戦うに当たっての久須那の実力は未だよくわからない。サムにとって、久須那はこれまでに出会ったどの刺客とも違う。バカがつくほどの正直で、明らかに刺客向きの人材ではない。しかし、それ故に相手にしにくい。むしろ、上の命令にだけ忠実で、サムの話に聞く耳を持たない天使の方がずっと対処しやすい。例えば、ユイのように。
「お前は……いったい、何なんだ?」
思わず口をついた。
サムの命を狙いにきたあの天使は協会からの何ものなのだ。
「そう。一ついいことを教えてやらぁ」
唐突に、ちゃっきーは声高々に宣言する。
「何だ、今、お前の与太話をのんきに聞いてるような余裕はないぞ」
「じゃあ、耳だけかしたまえ。てめぇ、前によ、天使に殺されるか、殺すかしないと召喚の呪縛から解き放たれないとか何とか言ってたなぁ」
「ああ、言ったさ。天使は召喚の時に使命を与えられる。少なくとも定説ではそうだ。“俺を消せ”なんて、つまらん理由ではないだろうが……。あれだろ? 協会の命令は絶対であるようにくらいはしてるだろうさ。すなわち、結局、俺を追いかけてきた連中には俺を殺すか捕らえるか、そいつ自身が殺されるかしか選択肢はないのさ」
「てーことは、なーもシランのね」小馬鹿にしたようにちゃっきーは言う。
「ああん?」
「天使の輪ってナニカ知ってる?」
サムは訝しげな眼差しでちゃっきーを串刺す。
「知らねーよ」
「そ。じゃあ、教えたげない。よしっ、こーなったら、実践あるのみ、そしたら、わかる。ゆけっ! サムっち、そこな天使の天使の輪を奪い取るのじゃ」
「……。へ~へ、了解いたしました。隊長殿」
と返答しつつ、ちゃっきーの真意が推し量れない。いつものことと言えば、いつものことだが、今回ばかりは決定的な何かを含んでいそうな予感がするのだ。が、他に重要なナニカが欠落しているような気もする。あるいは意図的に隠しているような気さえする。
ならば。
サムは目の前で余裕をかますちゃっきーをとっ捕まえた。
そして、さらにつかまえたちゃっきーを久須那に向けてぶん投げた。
「おろ? どーしてこうなった?」
うろたえるほどに唐突に、ちゃっきーは久須那の手のひらの中にいた。
「これはどーゆーことだっ! あれ?」
視線を戻すと、そこにはサムはいなかった。
久須那はちゃっきーを右手に握りしめたまま、キョロキョロと辺りを見回す。
「は~い、く・す・な! してやられましたね。常套手段に」
「してやられたっ!」
久須那はぎゅうううぅううとちゃっきーを握りしめた。
「あ~れ~、潰さないで、中身が漏れちゃう~」
ふざけた口調でも、紛れもない真実の時もある。
流石に、サムのペースに引き込まれていた久須那も焦りを感じずにはいられない。何だかんだと言いつつ、サムをこの至近距離まで追い詰めて、あとは叩きつぶすのみ、となった時点で逃げられたなど笑い話にもなりはしない。
「逃げたのか、サムっ! エスメラルダのヒーローが聞いて呆れるぞ」
「別に、逃げてはいないさ。ちょっと時間稼ぎをね……」
どこへ隠れたのかサムの声だけが聞こえる。
久須那にとっては危険な兆候だ。敵を見失うなどあり得ない。しかし、サムと向き合うと調子が狂う。サムは今まで戦って、あるいは捕らえてきた連中とひと味もふた味も違う。あれは何だ? 久須那は自問自答する。強敵なのは違いない。だけれど、それ以外にも何かあるような気がする。ただ強いだけではこんな変な感情を抱いたりはしない。
「そんなぼやっとしている暇はないと思うんだがな?」
と、他人を心配するサムの声が届いたと思った瞬間、
久須那の周りで、ちりちりとナニカが燃えるような音がして、
「……? 何? 熱い。あちちち」
久須那は悲鳴を上げ、驚いて後方に飛びすさった。
大きな火柱が上がったのだ。周囲に燃えやすいものもなく、風もなく、それ故、延焼することもなかったのだが、久須那はそれに途方もなく恐怖を覚えた。サムが剣術使いである以上に強力な魔法使いであるとも聞いていた。しかし、無から炎を出現させられるだけの力量だとは聞き及んではいない。
「どお? 面白い趣向でしょ」笑いながらサムは言う。
「ふ、ふざけるな!」
久須那はようやく答えた。
このままでは殺すどころか、捕らえることも出来ない。久須那は考えを巡らせる。サムが奇策をうつのならば、こちらも変わった策をうつのがベストに違いない。久須那は弓を下ろし、天を仰ぎながら何ごとかを短くつぶやいた。
何をしている?
瞬間的に、疑問が湧いた。動きを止めた今こそが捕らえるチャンスではないのかとサム自身が考えるほどの隙を無視して、何をしようとする? サムは考えた。小さな隙をより大きく、さらに有利な状況を作り出すべく、久須那は動いたのか。
「だんにゃぁ、長考は危険な香りだじぇ~」
ちゃっきーに指摘されるまでもない。戦いにおいては一瞬でさえ永遠の価値を持つ瞬間がある。それを無為に流していくのならば、命を取られても文句は言えない。
「さて――」
どうしたものかと思った瞬間、事態が動いた。
視界を奪われた。パァァアァンとナニカが割れるような音と同時に閃光がサムとちゃっきーの視界を飲み込んだ。油断していた。久須那がフツーとは違う何かを狙っているだろうことまでは予測できていたのだが。
「考えすぎたか……」サムはぽつりと漏らす。
「うふ。なぁんも見えないってのも刺激的、ね!」
「てめぇはいつでも余裕だな。今、仕掛けられたら何も出来ないぞ。いや、まあ、何も出来ないこともないが、後手後手に回されるのはちょっと痛いな」
「何を今さらぁ、だらだらおしゃべり、長考かまして、この有様。たかだか、数分のタイムロスなぞ、今さらの今さらだじぇ。いひひ、だが、しかし、視界真っ白のスーパーお楽しみタイムに伸されちゃわないとはかぎらねぇなぁ? ふふひ」
ちゃっきーは不気味な笑いを周囲に振りまく。
「それが狙いなんだろ。それが狙いなんだろうが、……何も起きない……」
むしろ、それが恐ろしい。
そして、サムとちゃっきーの白さに埋没した視界は徐々にコントラストを取り戻す。
「……? 姿が……見えねぇーな」
サムはあたりをキョロキョロと見渡した。久須那の気配は完全には消えていないから、現況ではあたり前の話だが、逃げたのではないだろう。そこでフと思い出した。天使は思いのままに姿を消すことが出来る。実際、そんな天使に出会ったことはなかった。が、これがそうに違いない。光を出す魔法を使って目をくらまし、ことを起こす瞬間を見られずに姿を消す。サムが久須那だったのなら、わずかな隙も作らないためにそうするだろう。
「……姿を消したって、無駄だぜ? 俺には全部お見通しだ」
はったりをかます。
刹那、矢がうなりを上げて飛んできた。弓を引く手と、鋭さに険しさの宿った瞳がちらりと見えたような気がしたが、すぐにどこかに消えてしまった。
そして、サムを外した矢は後ろの草むらを炎に包み込んでいた。
「おーお、すげぇ威力……。やっぱ、コハクの言うとおりに森を出てきて正解だったか。あそこで一戦繰り広げたら、森なんてなくなっちまうだろうね」
と、自分で放った炎術のことなどすっかりなかったことのように、それを見ながらしばらく考え込むと、サムはおもむろに構えを解いて佇んでしまった。このまま、姿の見えない相手と対峙していても仕方がない。ならば、久須那が痺れを切らすのを待ってみる。
「よぉ、てめぇも物好きよなぁ。さっさと逃げちまえばいいだろぉ?」
「ちゃっきーか。ま、今さら、そういうワケにもいかねぇさ。――協会が人工精霊を作ろうってなら、俺はそれを阻止しなければならない」
「それと久須那っちのことは別件ではないのかね?」
時として、ちゃっきーは核心を突いてくる。
と、サムの背後でカサコソと微かな物音が聞こえた。どうやら、サムの思う壷らしい。サムは全く気付かぬふりをして振り向かず、前を向いたまま。剣の使い手、サムでも流石に剣対弓ではやりずらかったし、しかも相手は空を飛ぶものだから間合いをなかなか詰められない。ならば、この接近は千載一遇の大チャンス。もう少し、接近してきたら、
「おっと、少しでも動くと弦がお前の首を絞めあげるぞ」
頭の後ろで久須那の声がした。
瞬間的に状況を確認するに、姿を消し、気配を薄くしたことを利用して、久須那はサムの首にイグニスの弓を引っかけたようだ。さしものサムも久須那がこんな奇策に出ようとは思ってもみなかった。隙あらば殺せと仕掛けてくる協会の一員とは思えない。
「殺さなくていいのか?」
「殺すか、捕らえる、だ。どちらかというと、生かしておいた方が好ましいと言うだけだ。抵抗は無意味だ。おとなしくこのまま捕まっていれば、生きていられるぞ?」
やはり不思議な感じがする。久須那の行動のナニカに違和感をもつ。どこかがおかしく、どこかが普通ではない、そんな落ち着かない空気に身につまされるような感覚。不条理が近くに隠れている、そんな感触。
「……俺なんぞ、無傷で捕まえようとして一体どういうつもりだ?」
サムの問いに聞く耳を持たず、久須那はウエストポーチから拘束具を取り出そうとした。
「――答えてくれないか。……じゃあ、こんなのはいかかが?」
久須那の隙をついた。
手枷をはめようとする久須那の右手首を捕まえて、思い切りよく引っ張った。久須那は自身の前方に体勢を崩す。今がちゃっきーの提案を実行する最大のチャンス。この機を逃せば二回目のチャンスなど、絶対の絶対に訪れないだろう。サムは久須那の頭上に手を伸ばす。天使の輪に触れられて、天使の輪をつかみ取れればサムの勝ちだ。
「ぎゃああああああああぁっ!」
この世のものとは思えないサムの大絶叫が辺りいっぱいに響き渡った。
「あ。チミ、天使の輪って、額のサークレットの方だよ。天使のしている輪、天使の輪」
「初めからそう言えっ! お前っ、俺を殺す気かっ」
「えぇ~? だって、発光する物体なんて怖くて触れないでしょーよー、ふつうはぁ?」
ちゃっきーは全く悪びれた様子をみせるでもなくいつも通りの受け答え。
「言葉遊びをしてる余裕はねぇんだよ!」
「さあっ、レッツリトライ! 成功するまでやめるわけにはいかねぇぜ。久須那っちのうるわしの額の、え~っと、サークレットに手を伸ばすのじゃぁ」
サムはやれやれという顔をしてちゃっきーを眺めた後、気を取り直して久須那のサークレットに手を伸ばした。
「やめろ! サークレットに手を触れるな。それを奪われたらわたしは帰れない」
「そうか? それもまた一興だろう? 居場所をなくしたヤツの気持ちがわかるぜ。さあ、覚悟を決めろ。お前の負けだ」
邪悪なほほえみを浮かべて、サムはサークレットに触れる。
「あ、その、そ、それだけは許してください」
久須那は瞳に涙を浮かべて懇願する。サークレットを奪われてしまったら、協会には戻れない。より正確には戻れないだけではなく、今度は久須那自身が協会に追われる身になってしまうだけのタブーなのだ。
「あの、やめて……ください……」
サムは静かに、そして、無慈悲に首を横に振った。
「ここまで来て、もはや、何もしねーってワケにはいかねーな」
「えっちぃ!」ちゃっきーが茶々を入れる。「この前ジーゼを手込めにしたばかりなのに、も~次の娘に手ぇ出すなんて。いい年ぶっこいてお盛んなのね? 流石、剣術より寝技の方が得意! の困ったちゃん」一度、口が動きだしたら止まらない。
「やかましい! このませガキ」
「ちゃっきーはガキにあらず」
「じゃ、チーズケーキの腐ったのでいい」
サムは投げやりにちゃっきーの相手をして久須那を見た。
「どんな時も油断は禁物ってことさ」
「いひひひひ。それをてめぇが言っちまうかぁ? 貴様はま・さ・に油断の塊。そんな体たらくだからこそ、知らないうちにはめられーの、軍を追放されーの、ついでになんだかよくわからない集団に追われーの。とどまることを知らずとはまさにこのこと」
「いや、うるせーよ、お前は」
呆れた様子をちゃっきーに差し向けつつ、久須那のサークレットを取り上げた。
「さて、ちゃっきーの言うとおりなら、これで何が起きるんだ?」
「ん? 別に何も起きないじぇぇい」キョトとしてちゃっきーは言う。
「は?」
「ん? 物理的には何も起きないのよ。しかぁし、サークレットを外したことにより、久須那ッちはリテール協会によるいびつな精神支配から免れることが出来たのだ。そして、それはとどのつまり、かたくなに閉ざされていた初な心が無防備なまま外界にさらされることを意味するのでア~ル。うひひひ、ここまで言えば、わからぁな?」
「ア?」
「あ? この期に及んで察しの悪いやつよのぉ。一から十まで教えてやらんとダメだとは手がかかってしょうがねぇぜ。サークレットに新たな使命を上書きして、かぶせてしまえ。いひひ。久須那ッちをてめぇに惚れさせるのも一興。……。いいや、ちげーなぁ。サムっちの望みは協会の殲滅。そいつを新たな使命として久須那に与え、協会に送り込め。久須那程度じゃあ、協会の殲滅は無理だろうが、協会は大混乱、当面サムっちには追っ手は来ないジェイ? サークレットの上書きなんざ、サムっちの魔力があれば朝飯前さ」
悪魔のささやき。
サークレットを握る右の手のひらに汗がにじむ。ちゃっきーの発言通りにサークレットに託された使命への上書きが可能ならば、サム自身に向けられた捕縛、殺害の使命を協会の殲滅とまでいかなくとも、大司教か、コハクの暗殺に差し替えれば……。
サムはさっきまで久須那の額についていたサークレットをじっと見つめた。心臓が高鳴る。簡単なことだ。簡単にできてしまう。やれば、
「いや――、詰まらん、却下だ」
大きく深呼吸をしてサムは言う。
「うひ。最初で最後の大チャンスをみすみす手放すたぁ、いい度胸しているじぇ」
「大チャンスか。大チャンスだったかもな。だがなぁ、お前の口車に乗って、こぉんなかわいい天使の犠牲の上に束の間の休息をむさぼろうとは思わねぇんだよな。――俺はそこまで腐っちゃいねえよ。そもそも、何故、お前は最初の時にこのことを教えなかった?」
真面目な声色でサムは問う。
「それはもち、聞かれなかったからに決まってるだロ」
「そう言うだろうと思ったよ。――。さて、久須那」
「――何故、情けをかけた」
「何故、だろうね。――そう、多分、女をいじめる趣味はないから……かな?」
そう答え、サムは思考を巡らせる。
本当にそんな単純な趣味趣向の話で、久須那を何ごとにも利用せず、殺そうともしなかったのだろうか。ここで天使に恩を売っておけば、後で返してもらえるかもしれないと、打算的な要素が一つもなかったと言えるのだろうか。
その思考は久須那の発言で瞬間的に打ち切られた。
「――男だったら、殺したのか?」
「――男でも殺さねーさ。――。お前お殺したところで得られるものはなんもねーよ」
「わたしの命は無価値だと言いたいのか」
「そういう意味じゃない。久須那の命が見価値だという意味じゃあない」サムは改めて言い直した。「お前を殺しても俺の得にはならないってことさ。むしろ、協会側が俺を抹殺する動機付けとして利用されるだろうな。筋書きは多分こうだ――」
「いひひっひ~、そう、チミは天使を殺した暴虐の徒として追われる身へと落ちるのだ。今までの刺客、追っ手なんてかわい~と思えるくらいに悲惨だぜ? 一人でのこのこやってきて、サムっちに返り討ちにされては涙する、そんな生ぬるい追っ手が来るなんてことはもはや絶対にあり得ねー。コハク率いる天使兵団、もしくはジングリッド兵長、御自らの出陣となろうことは確実じゃ。ちなみに、サムっちは協会からの追っ手を誰一人として手にかけていないのだぞ。めんどくせーからやっちまえと言ってるのになー?」
ちゃっきーは長々とまくし立てた後、サムに流し目を送った。
「ま、そーいうことだ」
「しかし――」言いかけて、久須那は口ごもった。
「生き残ったことが不満なのかな?」
「不満ではない。不満ではいけれど……。わたしは――」
「わたしは……?」
「わたしはどうしたらいい……?」
消えてなくなってしまいそうなか細い声で久須那は言う。
「どういう意味?」サムは期せずにちゃっきーに尋ねた。
「アホか、てめぇは。久須那ッちの憂いを聞いていなかったのかなぁ? もとい、あたい、協会にはもう帰りたくないの♡ このまま、サムのおうちにお持ち帰りでもいいのよ。ってことだロ? 据え膳食わねば男の恥! よっしゃ、覚悟を決めて行ってこいやー」
ちゃっきーは小さなお手々で、あり得ないくらいのサムの背中をぶっ叩いた。
「いってーなっ! ぜってー違うだろ、それ」
あきれ果てた眼差しでちゃっきーを見つめ、サムはしばし考え込む。
「あー。サークレットを奪われたら、協会には帰れない。と言うか、協会から追われる立場になるとかならないとか言っていたな。――じゃ、返したらどうなるの?」
サムは素朴な疑問を久須那に投げかける。
「もう、手遅れだ」
「手遅れ?」サムは問い返した。
「今さら、サークレットを返してもらい、何ごともなかったかのように身につけたとしても無意味なんだ。それにはもう何もない……。起爆が無効化できるほどの魔法使いがサークレットを外したのなら、それにはもう何も残っていない、空っぽなんだ」
「は? ちょっと待て、ちゃっきー? お前、何も起きないって言ったじゃねぇか?」
どぎまぎした様子で、サムはちゃっきーに問う。起爆するなんて聞いてない。
「ほ? 何も起きなかっただろ? いひ。オレは信じていたのでさぁ。サムっちの魔力なら、サークレットの自爆機能自体を上書き消去し、さらに使命の上書きまで可能だってことをなぁ。なんせ、貴様はリテールのヒーローっ!」
「何を根拠にっ。ヒーローだろうが何だろうが、吹っ飛ぶときは吹っ飛ぶぞ。アホか!」
「うふ。俺さまを誰だと思っておるのか。おいらは天下のちゃっきーさまぞ」
えっへんのポーズ。
「いや、もういい。てか、もういいことにしておく」そして、深呼吸。「で、何も残っていないとどうだって言うんだ? 見た目は何も変わっていない……が?」
サムは手にしたサークレットを二、三回くるくると回して眺めてみた。
「協会のものが見たらすぐにわかる。それは空っぽだと。空っぽのサークレットを身につけていても、意味をなさない。わたしは――協会には帰れない。手遅れなんだ……」
「手遅れね……。が、お前を連れて行くことは出来ないんだ。あきらめろ」
「おー、冷てぇねぇ。氷よりも冷たく、遥か北方の凍てつくブリザードよりも激しくぅ。女ったらしのサムっちはこんないたいけな乙女をただ一人放っておくのかぁい?」
ちゃっきーはサムをたきつける勢いでまくし立てる。
「じゃあな、久須那。縁があれば、また、どこかであうこともあるだろうさ」
サムはくるりと振り向くと、バイバイと手を振りながら、立ち去ろうとした。ちゃっきーに煽られたからと言って、簡単に考えを変えることは出来ない。
「あ……」
久須那はサムに追いすがり、その上着の裾をそっとつかんだ。
「――何だ、俺についてくるつもりなのか?」
「行く場所がない。行く場所がないんだっ」
久須那は夕暮れに行き場所を失った子どものようにたどたどしく繰り返した。
「はぁ……」サムは大きなため息をつき、頭をかいた。「手遅れなのも、行くあても、行く場所もないのもわかった。しかし、いったんそれは置いておいて、何ごともなかったかのように何食わぬ顔をして、協会に帰れないのか?」
「ウソをつき通せるのなら、つき通したいけど……」
「けど?」
「コハクさまにはもう、ばれてる」
「何故に?」
「サークレットに使命を書き入れたのはコハクさまだ。それに、魔力検知もされる。任務に失敗したこと、サークレットを外されたことを隠し通すことは無理なんだッ」
「なら、元の世界に帰るんだな」サムは冷たく突き放した。
「……帰れない。一度呼ばれてしまったら、帰るすべはないんだ」
迷子のようだと久須那は思った。どうしようもないほど情けなくて、悔しかった。
「おまえがっ、おまえがおとなしく殺されていればこんなことにはならなかったっ!」
故郷に帰れない悲しみをはき出すかのように久須那は言う。理不尽。サムにとっては理不尽きわまりない言い分だと言うことは指摘されるまでもなくわかっている。しかし、言わずにはいられない。
「何を言い出すかと思えば、そんなことか」サムは困った様子で頭をかいた。「何故に、俺の命を付け狙ったヤツに、こんなアフターフォローまでしてやらにゃあならんのかねぇ」
ため息交じりにサムは言う。
「いひひ。ずいぶんとうれしそうに言うのだねぇ」
「うれしくはねぇな。だが、放っておくことも出来ねぇだろ?」
と言って、久須那を連れて行けば、協会からの追っ手が増えるのは疑いようがない。が、久須那をこの場に放っていけないのならば、サムに選択の余地はない。
「俺についてくるか?」サムは久須那に問う。
「オよ? たらしの本領発揮と行くかにゃぁ?」
ちゃっきーが茶々を入れ、久須那は答えない。
「もう一度だけ聞く。俺と一緒に来る気はあるか?」
「へへ~ん。サムっちと一緒に行動すると大変だじぇ? まぁず第一に、日がな一日、女のケツを追い回します。第二に、力自慢のならず者に絡まれまくります。第三に、お寝坊大好き朝はまず起きません。第四に着の身着のまま気の向くままに放浪の旅に終わることなくつきあわされます。第五に不帰の谷のアルシオーネたんに会いに行こかとぉ?」
ちゃっきーは止めどなくしゃべり続ける。
「おいっ、まだあるのか?」
「ああ~ん? いくらでもあるぜぇ! おいらと貴様のラブラブランデブー以降、いったい、どれだけの事件、事故、もろもろの行いがあったのか覚えてねーとは言わせねーぜ」
「ふん、そんなものは全部、忘れたな」
「ほうっ! てめぇの脳みそは鳥以下だってぇことだにゃ。三歩歩けば、ぎゅむ!」
サムはちゃっきーを捕まえてぎゅっと握りつぶし、全力でできる限り遠くに放り投げる。そして、サムは久須那のいる方向におもむろに振り返った。
「さて。どうする?」サムは久須那に回答を迫った。
しかし、久須那にとって即答できる問ではなかった。
本当はついてきて欲しいわけでもない。出来ることならば、そのまま勝手にどこかに飛んでいって、二度と自分には関わらないで欲しいくらいだ。しかし、それと同じくらい久須那には無事でいて欲しい気さえする。
自己矛盾。相反する二つの気持ちがサムの中に存在していた。
「どうして、わたしがお前と一緒に行けると思う。わたしはさっきまでお前を殺そうとしていたんだ。今でも、お前を殺し、コハクさまに許しを請いたいくらいなのだぞ?」
「それが“使命”ではなく、久須那の意志だというのなら、よりいっそう、俺と一緒に来るべきだな」サムはニヤリとした。「だって、そうだろ? 行くあても、帰る場所もなく、何をしたらいいのかもわからなかった久須那が初めて持った意志が俺を殺すと言うことならば、俺と行動を共にするがいいさ。ま、殺されてやるつもりはないんだがね」
サムは久須那の双眸を見つめながら、悪辣な笑みを浮かべた。
「本当に……いいの……か?」
「いや、だから、よくはねぇよ。よくはねぇが」
サムはふと思いついたかのように言葉を切った。
「久須那、俺と共闘しろ。リテール協会の全てを白日の下にさらすまでな。きっとおそらく、あいつらの思惑は俺の思ったとおりだろう。ならば、それはちーとばかり困るのさ」
「ほぉ、そりはいったい?」
「お前には教えてやらん。と言うか、知ってるだろ?」
「ひひ、流石だじぇい旦那しゃま。おいらに知らねぇことはねぇ。貴様の望みはエスメラルダ王国軍に再雇用。再び、世のヒーローとしてハーレムを築くこと。違うか、このエロ魔人め。そのためにゃぁ、リテール協会の立派な教義は邪魔なだけでぇ!」
ちゃっきーはズビシと決めポーズで言い放つ。
「不潔だな。しかし、仕方あるまい。お前を殺すのはわたしだ。それまで、協会の誰にもお前を殺させはしないっ!」
「そんな物騒な決意はいらねぇんだけどなぁ……」
サムはため息交じりに、頭をボリボリとかいた。
と。
「ヘイヘイっ、ミスターくそ野郎。ちょぉ~っと長居が過ぎたんじゃないかにゃあ。いちゃいちゃあつあつの恋人たちに横恋慕の天使たちがお空の彼方に見えますじぇぇ?」
ちゃっきーが指し示して方角を見やると、空の一角に天使の集団が視界に入った。あれはいわゆる天使兵団だろう。今までの間の抜けた刺客連中とはその身にまとっている空気が違う。遠くからでもはっきりとわかる。彼らは自分に与えられた使命に一点の疑問も持っていない。持っているのだとしても、使命を成し遂げることに迷いはない。
「おー。あれは流石にヤバそうだな」
「イエス、サー。とうとう協会も気づいてしまったね。一人送り、二人送りとちまちまとやっていてもサムっちは捕まえられなければ、殺されもしねーってなぁ!」ふふん。「でも、まー、よかったんでない? これで一気にかたがつくじぇぇい」
ただいまピンチの真っ最中とは思えない明るさでちゃっきーはしゃべりまくる。
「さて、久須那ちゃん、早速だが、あいつらを蹴散らしておくれ」
「え?」久須那は素っ頓狂な声を上げた。
「さぁっ! 久須那っち、初めての共同作業だじぇい。サムっちの言いつけ通りに、あのっ」ちゃっきーは天使の兵団を指さした。「むさい連中をこの世のクズとばかりにキレイさっぱり抹消しておくれ!」
「いや、その、あの人数は流石に無理だ。一人か二人ならともかく……」
久須那は申し訳なさそうに発言した。
「と思ったがぁ、おろろ? あいつらの向かってるのはこっちじゃねぇなぁ」
ちゃっきーは手を額にあてて目をこらし、天使の飛んでいく方向を見澄ました。
「あれぇあー……」
「西方、ロンバルドへと向かってるのかね?」
「いいやあ、そこはやっぱりあれでしょう」ちゃっきーは言う。「西へ向かえばロンバルド。さらに西へ西へと進むとそこはサラマンダーズウィング、そして、さらにサラマンダーズバック、そこには何があって、誰がいる?」瞳がきらり。
「不帰の谷のアルシオーネ?」
「イエスっ! しかぁし、あいつらにゃあ無理だろうなぁ。じゃじゃ馬、アルシオーネたんを手なずけようなんて百年早いぜ。んにゃ、百万年くらい早いなぁ」
ちゃっきーが賑やかにはやし立てる横で、サムはできる限り冷静なつもりで考えた。コハクが言っていた、“アルシオーネを配下におさめ、尚且つリテール協会の意に従うのであれば、協会はサムを追う必要がなくなる”それは半分は本当で、半分はウソだろう。サムが万が一にでもアルシオーネと仲良くなったら、彼女共々協会と敵対し、追うことなど不可能になるはずなのはわかりきっているはずなのだ。
そうしたら、何故、コハクは敢えて、そう進言してきたのだろうか?
「コハクは何を考えてるんだろうな」ぽつり。
「コハクさまの考えはわたしにはわからない」久須那。
「わからねぇかぁ?」ちゃっきーが騒々しく発言する。「あいつはリテールの支配になんざ興味ねぇの。コハクたんの真の目的はなぁ、世にある全ての精霊たちのパワーをかき集め、世界中のイケメンたちを傍らにはべらすことに違いねぇ!」
「コハクさまはそんなにお下品なかたではない」
久須那は静かに、しかし、明瞭にちゃっきーに反論する。
「ま、そんなことはどうでもいい。……サラマンダーズバックに行ってみるか」
「気でも違ったか? あそこに行って無事に帰ったものがいないのはサムも知っているだろう。やめた方がいい。アルシオーネと関わるようなことはしない方がいい」
久須那はうろたえるのを隠せずにサムに言った。
「ちゃっきーの戯言をまとめ上げて、真に受ければそういうことになるんだろうな。そして、実際、関わらない方がいいんだろうがな」
もはや、そんな悠長なことを言っていられる時期は過ぎたのだと思う。
「だが、このままだと俺は手詰まりでじり貧なんでな、次の行動をとる必要があるんだ。ま、アルシオーネに会いに行ってみて、と言うか、実際に会えるのかも、会えないのかもわからんし、そもそも、サラマンダーズバックの炎の谷までたどり着けるのかもわからん。が、天使の集団がそこへ向かうというのなら、一縷の望みはあるんじゃねぇかな?」
サムは久須那の瞳をじっと見つめて、意見を述べる。
「アルシオーネたんとお友達になる? ふふ、アルシオーネたんはなぁ、現世のことなどまるで興味ナッシングなのよ。一縷どころか、一粒の砂すらもねぇなあ」
「でも、お前がいたら、不帰の谷から生きて帰ってこれるんだろ?」
「オロ? よく覚えておいでで、旦那しゃま。それではお待ちかね、おいらを連れている効能、その四、水のアクアたんからはもはや贅沢な極みの大量のお水を使っての水浴びが可能です。その五! 闇のセレナさまが漆黒の夜を演出、アルティメット安眠パンチと共にまごうことなき深い眠りを約束してくれます」
ちゃっきーは自信満々に決めポーズ。
「お前、それ、嫌われてるんじゃないのか?」
「ンも~、いやねぇ、旦那さま。こんなの照れ隠しに決まってるじゃーん」
今に始まったことでもないが、何だか、相手をしているのがとてもバカバカしくなってきた。今後の、というよりは直近の方針が決まったからには早めに行動に移った方がいい。まずはサラマンダーズバックに行ってみる。それから、アルシオーネとの結果がどうあれ、無事に不帰の谷から帰ることが出来たら、テレネンセスのおうちに帰ろう。
「それではよろしくお願いします」
サムは久須那にすっと右手を伸ばし、久須那はサムの手を取った。
「何だ?」キョトンとして、久須那は問う。
「俺を連れて、サラマンダーズバックまで飛べ」真顔だ。
「――ヒトを連れて飛んだことはないんだ。どうなっても責任は持てない」
「安全に運んでもらわなくても、別にかまわないさ。こちとら安全にはほど遠い生活を照るんでね。今さら、ちょっとくらい危険が増えたからってたいしたことないね」
「そうか……?」
久須那は小さな声で答えた。
そして、久須那は翼を広げて空を見据える。飛ぶときはいつも一人だった。誰かを連れて飛んだことはない。けれど、サムとならばどこへだって行けるるような気がする。久須那は改めてサムの手を握り直すと、にこりとほほえむ。
「じゃあ、頼むな」
と、サムが言うのと同時に、久須那はポンと地面を蹴って、宙に舞った。