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EPISODE2 ANGELIC FEATHER  作者: くれんてぃあ
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02. ジーゼのおうちと耳長亭

 ボロボロの街道から大きく外れて、このまま歩いていたらやがて森の外に出てしまうんじゃないだろうかと言うくらいサム、ちゃっきーとジーゼは果てしなく歩いていた。

「なあ、ジーゼ、どこまで連れて行くつもりだい?」

「それはまだ内緒です」サムの問いにジーゼはそっと答える。

「内緒です。ってよ、あとどのくらい歩かせるつもりなんだ?」 

「ふっふっふ~、決まっておるだろ、サムっち。ヒトの来ない森の奥まで。そこから先は言わなくてもわかるダロ? ひっひっひ~」

 ちゃっきーはサムを見つめて、お下品な笑いを盛大に披露した。

「お前、いつでもどこでも通常営業だな。うらやましいぜ」

「お? お褒めにあずかりましてぇ~」

 森の小道をわいわいと賑やかに進んでいく。森に足を踏み入れてしまった時の凍てついた空気はすでになく、和やか和やかな雰囲気に包まれていた。歓迎されなかったちゃっきーとサムもとりあえずは受け入れてもらえたようだ。

「と。そう、結局、俺たちをどちらへ――?」

 森の空気は暖かだけど、心許なくなる度にサムはジーゼに問いかける。

「そんなに心配しなくても、変なところには連れて行きませんよ」

 ジーゼは少しだけほほえんでいた。

「いやぁ~、わかりませんぜ、旦那しゃま。何せ、さっきのさっきまで、おいらたちとこのせーれーたまは敵対していたのでありまして、もしかすると、もしかして、森の奥地に深く掘り込まれた落とし穴に突き落とす気かもしれませんぜ」

 ちゃっきーはノリノリの気分で、とんでもないことをさらりと言う。

「失敬なっ!」ぷんぷん。

 温厚、と思われる、ジーゼも流石にふくれっ面だ。

「わたしはそんなに狡猾じゃありませんっ!」

「あ~。完全に機嫌を損ねたな、こりゃ。このままじゃ、いいところに連れて行ってもらえないぜ。って、それでも、いいのかな、ちゃっきー?」

「いひっ。たとえ拒否されようとも、おいらはめげない。めげたりはしないのだ。どこへだっていけるし、ナンにだってなれる。おいらは史上最強のヒーローだぜぇ? ふふふ、そんなおいらを置いてけぼりなんて、ジーゼちゃまに出来るわけがねぇ!」

 ちゃっきーは自信満々、声高に宣言する。

「どこにそんな自信があるんだか」

 呆れ気味にサムは言うも、ジーゼはちゃっきーの発言は必要以上には気にもとめていたいようだった。ご機嫌斜めになったかと思ったジーゼも鼻歌交じりの上機嫌さを保ちながら、テクテクと森の奥へと歩いて行く。

 深い森のさらなる奥へ。

 多くの国と地域を旅したサムもどこかの森のこんな奥深く、深淵まで入り込んだことはなかった。これで、森のヌシ、ジーゼがいないままにここまで踏み込んだのなら、もはや、生きてこの森を出来なさそうだ。

「――ここです」

 つと立ち止まって、ジーゼは言った。

「え? どこ? ってか、何がここ?」

 ジーゼが示した場所には何もない。サムはついキョロキョロと辺りを見回した。

「へへへ。きっと、あれですぜ、旦那しゃま。バカには見えない家なのでぇいっ! もしくはそもそも家などないこのまっさらな場所こそがジーゼたまのおうち。家を建てるお金も、余裕も、技術も、大工さんもいなくて、この何もないステキな土地こそがジーゼたまのお住まい。雨が降れば、雨漏りどころか雨に濡れ。毛虫が湧けば、毛虫の恐怖におののき。まさに自然現象にお手玉されるちょーごーか天然の家でござい!」

「ち・が・い・ま・すっ。万一のことを考えて、空間をゆがめて隠してるのです」

「え~、でもでも、その万が一が起きないようにみぃ~んな追い出してるんでしょ?」

「ゔ――」

 ちゃっきーのまっとうな言い分にぐうの音も出ない。

「ひっひっひぃ。さぁ~て、お立ち会い、むげぇ」

「そんな細かいこたぁ、どうでもいいんだよ。で、ジーゼちゃん、ここはどこですか?」

 サムはちゃっきーをきゅっと握りしめると、ジーゼに問う。

「わたしの――おうちです」

 と言って、ジーゼはパチンと指を鳴らすと、何もなかった草原に質素な作りの建物がすっと音もなく姿を現した。完全に空き地に偽装されていた。さっきの何も見えない状態で“ここに家があります”だなんて言われたところで、ひとかけらも信用しないだろう。

「へぇ……」

「おおう。すげーねー!」ちゃっきーが言う。「ここまで隠し通せるなら、なーもおいらたちを拒まなくたってオーケーだろうねぇ。うひひ、だって、だぁって、コンだけの魔法を行使できるせーれーたまなら、このボロっかす街道から旅人どもを出さないように入口から出口まで追い出すようなステキ魔法も楽勝で実行できるでしょうに、ねぇ?」

「誰に同意を求めてるんだよ、お前は」

「え~? 魔法の隧道を作っちまえば、まさにウィンウィンだろーさ? 旅人は安全に森を抜け、ジーゼたんはヒトに森を荒らされずに済む。ほら、サイコー!」

 ちゃっきーが珍しく正論を述べる。が、

「無理です」ジーゼはばっさり切り捨てる。「あっちの端からこっちの端までの長~い防壁をずぅ~っと保つなんて出来ません。そんなの、幾ら魔力があっても足りないから。わたしの、わたしたちの魔力じゃ、この家を隠しておくのでせーいっぱいなのに」

「ほー。あんな凶悪な雷撃を複数回繰り出すことが出来るのに?」

「出来ても。です。持久力のいらない瞬発的な魔法で使う魔力なんてたかがしれています」

「はぁ~ん」感嘆の声を漏らす。

 そして、ついでにこの件についてはこれ以上、突っ込むのは危険なような気がした。ジーゼは“わたしたちの魔力”で出来ないと言ってるだけなので、彼女以上の精霊さまが現れたものなら、相当に恐ろしいことになりそうだ。

「ま、それはそれとして、精霊さまもちゃんと家に住むんだね」

 サムはひとしきり家を眺め回すと、率直な感想を述べる。

「家がないと雨にぬれます。もちろん、ぬれても平気な精霊たちも多いですけどね」

「ほー、例えば?」サムは大げさに驚いてみて、問う。

「知ってるくせに~」ちゃっきーが横入り。「例えば、例えば、ラッシュたんとか、シャローナたんとか? あの娘たちなんか、水なんかへでもねぇぜ。むしろ、お水ウエルカム、と言うか、お水とお友達っ! いや、水そのものっ!」

 一人で盛り上がって、やんやと騒ぐちゃっきーだ。

「だからよ。お前、シャローナたんとか、ラッシュたんとか、あと、アルシオーネたんとかっていったい誰のこと? いい加減、教えてくれないもんかね?」

「あん? てめぇ、せーれーたまに知り合いはいないの?」

「――いるわけねぇ! それより、何故、お前はそんなに精霊の……うん?」はたと思い至った。「なんで、個人名――っての? 知ってるんだ?」

 サムの素朴な質問に、ちゃっきーはどうしてそんな当たり前のことを聞くのだという顔をして見せた。端的に、ムカつく。ちゃっきーにそんな視線を向けられる筋合いもない。

「そりゃあもう、おいらにもあんなことやこんなことや、いろいろありましたから。ふっふ~、お知り合いも、お友達もいっぱいよ~」えっへん。

「あ~。そのくせ、ジーゼのことは知らなかったのな?」

「うえ~ん。それは言わないでぇ~。――などとおいらが言うと思うのかな? うふふ。何を隠そうおいらとジーゼはツーカーの仲。あ、お、ごめんなちゃい。もとい、知ってはいたけど、出会ったのは今日が初めましてなの♡」

「……知ってたなら、素直に教えて欲しかったなと思うんだけどね?」

「だぁかぁらぁ、何度も言わせるんじゃねぇぜ。知ってはいたけど、お知り合いでもお友達でも何でもなかったのよぉ。うひ。んでもって、今日初めてお知り合いになりましたぁ! 知ってるだけから、お知り合いに昇格したワケだね。わかるぅ?」

「で。それが俺に変なヒントしかよこさなかった理由ってワケ?」

「さあ? どんなもんだろうねぇ? ひひひひひぃ~~」

 ちゃっきーはサムの眼前でにんまりと不吉なほほえみを浮かべてみせる。

「まあ、いいか」サムは呆れた眼差しをちゃっきーに向け、ボリボリと頭を掻いた。「んで、そこまでして隠し通した大事なおうちに俺たちを招待してもよかったのかな? 俺たちが悪さをしないなんて、保証はどこにもないんだぜ?」

 サムはやや脅かし気味に発言した。

「あなたはそんなことはしないでしょう? それに、今さら、手遅れでしょ♪」

「ま、そーなるな」

「え~、なんでなんで。ナンで、ジーゼたんはそんなにサムっちを信用するのぉ?」

 不満たらたらそうにちゃっきーは言う。

「さぁ、どうしてかしらね?」

 ほほえみながらジーゼは答え、玄関のドアをおもむろに開けた。

「クリルカ。クリルカ! ただいま帰りましたよ」

「はぁ~いっ」

 あどけなさの残るかわいらしい返事とトタタタタと軽快な足音が聞こえてくる。家の奥から駆けてきたのは淡い金色の長い髪を青いリボンでポニーテイルにした鳶色の瞳をした女の子だった。

「あれぇ? ジーゼがお客さまを連れてくるなんて珍しいね」

「この娘は?」現れた女の子を指さしながらサムはジーゼに尋ねる。

「この娘がクリルカです」

「初めまして、こんにちは。クリルカですっ」

 クリルカは両手を前で合わせて、ぺこりとお辞儀をした。

「おーっ! そーきゅーと!」ちゃっきーが叫ぶ。「ふっふ~、出会って早速、もーアタァック! さあ、おいらと一緒に駆け落ちのラビリンスに旅立とうぜぇ!」

 右手の親指を突き立てて、尚且つ、右手を突き出し、左手は腰に当てての決めポーズ。

「ナニ、コレー! カワイイー!」

 クリルカは歓声を上げてちゃっきーをムンズとわしづかみにした。

「ひーっ。ぎゅってされたら、中身が漏れちゃうぅ」

「漏れちまえばいいんだよ、たいした中身でもないんだからよ」

「いんや。おいらの中身はこれでもかってほどにつまっているのだ」

「そこまで詰まってるって言うなら、詰まってるんだろうな。ゴミがな」

 サムは相手をするのも面倒くさそうに言った。

「ゴミだとぉ?」

「ゴミだろ」

「ゴミじゃないもぉ~ん。いいや、よく聞け、野郎ども」

「じゃ、生ゴミだな」もはやゴミから話題は離れない。

「生ゴミでもない! おいらは――」息巻いてしゃべろうとすると、

「いや、そう言うの、今はいいから」

 サムは手をひらひらさせて無下に断り、ジーゼとクリルカの方に向き直った。

「う~にゅ。何という、屈辱っ」こんなことは初めてだ。

 三人集まっての自己紹介に、ちゃっきーはすっかり、蚊帳の外。しかし、ここで怖じ気づいてしまってはちゃっきーが廃る。何としても、あの和気藹々とした三人の空間に飛び込まねばならない。さて、どーやって?

 ちゃっきーは恨めしそうに暖かな雰囲気の三人を眺めながら、策を練る。

 が、かまってくれなければ大してよいアイディアも浮かばない。

 ちゃっきーの超絶的矢継ぎ早トークは会話によって生まれる脳内情報の無駄な新陳代謝と無限ループにより可能にされる。故に、ループのきっかけがつかめなければ、そこから天下御免の無尽蔵、無駄話の海を披露することも難し。

 と、ちゃっきーが柄に似合わず思い悩んでいる内に、三人の輝きは増すばかり。

「おおうっ! まぶしいっ、まぶしすぎるっ! こ、これが家族の愛と言うヤツなのね」

 ちゃっきーはちっちゃい手を額にかざし、目を細めてまぶしそうなそぶりを見せる。

「いや、家族どころかついさっき、出会ったばかりの赤の他人だぜ、俺たち」

「そぉ~お? そんなことはねぇと思うなぁ。だって、見よ! この家族の肖像画みたいなワンシーン。もはや、一点の曇りもなし。非の打ち所もなし! ああ、まぶしすぎて、おいら、耐えられない。ああぁ~~、砂になるぅ~~」

 そしてまた、ちゃっきー自身の吐いた言葉の通りに、足下から徐々にさらさらと崩れていく。しかし、さらさらと崩れてもそもそも食すとチーズケーキの味のする粘りけのありそうなちゃっきーの体が“さらさら”とした砂になるはずもなく、ナニカ不気味なものが混じったでろでろ、どろどろの得体の知れないものになろうとしていた。

「おとなしく砂になって、どこかに飛ばされていってくれたら、これほど嬉しいことはないけどな。てか、おまえは何か、泥とヘドロの混じったような怖い物体になってきたな。ふむ、これじゃあ、風で飛んでかないな――」

 と言いながら、サムは壁際のほうきを持ち出して、崩れかけのちゃっきーをそのまま外に掃き出そうと思ったが、どろどろのちゃっきーだったものを掃き出したら床が汚れてしまう。故に、サムはほうきではなくて、ちりとりを使ってどろどろのちゃっきーだったものをさっとすくい上げ、玄関横にぽいぽいと投げ捨ていた。

「しょんなぁ、ひどいぃぃぃいいいいぃ――」

「うるせぇよ、おとなしく、庭土と同化してしまえ!」

 サムは最後のぬめりを思い切りよくちりとりからたたき落とした。



 あれだけさっさとこの森を抜けたかったのがウソのように、幾日か目の夜が明けた。もはや、この家に住んでいるのが当たり前で、今までのしばらくを放浪に費やしてきたことがまるでうつつではなかったような錯覚さえ覚えてしまう。

「おっ、おっはよ~。今日はいつもよりも早起きですなぁ、旦那しゃま」

「ん? あ、あ~ん?」

「これはどういった風の吹き回しだぁ? いつもは昼過ぎまで寝てるってくせに」

「どういうふうにも吹き回ってねぇよ。ただちょっと、早朝散歩をしようとね」

「早朝っても、日はだいぶ高いでよ?」ちゃっきーは言う。

「まーそう言うな。俺にしては朝が早いってことさ」無茶な理論を振りかざす。

 サムはブランケットをめくって、起き上がった。

 もそもそとパジャマを脱いで、

 ひげを剃り、

 ボサボサになった髪の毛をきっちりセットし、

 シャツを着て、ズボンをはいて、

「んじゃま、お出かけするか」

「お? 窓からお出かけですか~? 旦那しゃま。何でじゃ」

「ん~? ちょっと一人になりたいんでね。正面から出たら、ジーゼはともかく、クリルカに見つかったらついてくるって言い出して、きかないと思うんでな」

「あーそーぉ? じゃあ、おいらが期待のヒロインを呼んでやるぜ!」

「呼ばなくていいよ」

 しゃべり出したら厄介だからとサムはちゃっきーをぎゅうと握りしめて丸めてしまうと、ベッドの中に押し込んだ。それから、ブランケットをぽんぽんとたたきながら自分が寝ているように見えるようにと膨らみ加減をさりげなく調整する。

「さてと……。ふむ、手間取っちまったな――ぼちぼちか」

 トタタタタタタタタタ。

 軽快に廊下を走る音がする。

「いつも通りの時間だな。さてさて、小さなお姫さまが飛び込んでくる前に……と」

 独り言を言いながら、サムは窓を開け放ち、そそくさと外に出た。

 と、ほぼ同時にその足音のヌシがドアの前に到達したようだ。

「サム~、朝ご飯だよぉ」

 かわいらしい女の子の声がサムを呼んでいた。

「ねぇ、まだ、寝てるのぉ?」

 クリルカの呼びかけに答えはない。

「……?」

 いつもなら、と言ってもまだ二、三日しか経っていないのだが、「あー」とか「うー」とか、およそヒトの返事とは思えないような声が聞こえてくるのだけど、今日は静寂が漂っている。それはまるで死んだように眠っているか、本当に死んじゃったのか。あらぬ不安を抱えながら、クリルカはもう一度、サムを起こそうと試みた。これでダメなら、実力行使。

「サぁ~ム? 起きないんだったら、突撃するぞぉ~!」

 クリルカは思い切りよくドアを開けると、サムの眠るベッドまで一気に駆け寄った。そして、それから、やっぱり、ここでいきなりぶっ叩いたら怒るかなと思って、一呼吸。ひとしきり考えてみてから、クリルカは右手の指先でブランケットを突っついてみた。

 が、返事はない。代わりにこんもりとしたブランケットがもぞもぞと動いただけだった。

「いい加減に起きなさいってば」

 クリルカはベッドの上に飛び乗って、力いっぱいに、揺さぶりにかかった。が、それでもむにゃむにゃと変な寝言を言いながら、さっぱり起きる気配を見せない。

「む~ぅ。起きないなら、ジーゼにカミナリ、落としてもらうんだから!」

 クリルカの物騒な言い分は全く届かない。

 と思って、クリルカは思い切りよくブランケットをはぎ取った。ら、あらぬ方向からドスンと言う激しい衝撃音がしたかと思うと、この世の物とは思えない雄叫びが部屋に響き渡った。その方向に顔を向けて見ると、ちゃっきーがぺったんこで天井に張り付いていた。

「ちゃっきー? は別にどうでもいいんだけど。サム、起きなさぁ~い! って、あれれ」

 クリルカは視線を戻した先のベッドに誰もいないことに気がついた。

「――サム、知らない?」

 こともなげに天井にくっついたちゃっきーに問う。

「くくく……。ひどいぃいぃいいい。いくらおいらが不死身だからって」

「ちゃっきーって不死身だったの? それより、サム知らない?」

 クリルカはちゃっきーの言い分など華麗に無視して、さらに問う。

「サムっちは、サムっちは――お空のお星さまに……」クリルカににらまれた。「じゃあ、なくて、お一人さまになりたいと窓からお出かけになしましたぁ――」

「窓から……?」

 クリルカはキョトンとした顔をして窓の外を眺めながら、しばらくかたまっていた。

 そして、ふと何ごとかに気がつく様子を見せると、弾けるように走り出し、

「ジーゼ、ジーゼ~っ! 大変、サムがいない!」

 大声を張り上げて、クリルカはジーゼの部屋へと飛び込んだ。

「ジーゼってばぁ!」

「はいはい。朝から大声を張り上げないの。聞こえてます」

「だって、だってぇ! サムがどこかに行っちゃったんだもん……窓から」

 泣きそうな声色で、クリルカは訴える。

「窓から?」

「窓から」くすん。

「はぁ――、窓から……」

 何故、窓から出て行ったのかは何となく察しのつくものの、ジーゼは敢えてクリルカには伝えなかった。きっと、おそらく、サムは一人になりたかったのだろう。玄関からフツーに出かけてはクリルカがくっついていくと言い出してきかないのに違いない。それならば、いっそのこと窓からお出かけしようとサムは考えたのだろう。

「でも、そろそろお店に行かないと、常連さんたちが泣いちゃいますよ?」

 ジーゼは話をはぐらかし、

「あーっ!」

 クリルカは叫んだ。

「大変っ! おじいちゃんたちと約束してたの忘れてた!」

 クリルカはドタドタと賑やかに自分の部屋に戻ると、“出勤”の準備する。

 だぼだぼの部屋着から、ふわりとした仕事着に着替えて、ポシェットを肩から提げての再登場。そして、そのまま、玄関先まで駆け足で向かう。

「それじゃあ、行ってきまぁ~す。あ、あ、ああ、ジーゼ! ちゃんとサムを見つけといてよ! このままいなくなっちゃったらイヤなんだからっ」

「はいはい、ちゃんと捜しておきますよ」

「絶対だよっ」

 と、言い残してクリルカは飛び出していった。

 その後ろ姿を見送って、ジーゼは大きくため息をつく。サムはいつまでこの森にいてくれるのだろう。クリルカもなついて、まるで家族のように楽しくて、このままずっと森にいてもらってもかまわない。でも、きっとまもなくサムは森を出て行くだろう。リテール協会に追われて、たまたまたどり着いた先がこの森で、長居は無用のはずだった。

「お別れはしたくない――」

 けれど、サムのことを、と言うよりもむしろ、森のことを考えるのならば、サムにこれ以上の長居を勧めるのは危険すぎる。事実、リテール協会に追われるものはサムだけに限らず、多数いる。その上で、風の噂で聞き及ぶ限り、リテール協会の彼らへの粛正行為に容赦はなく、匿うものの全てをなぎ払っていくのだという。

 本当にそうなのだとしたら、サムが消されるのと同時にこの森はなくなるだろう。いや、サムが無事に生き延びたとしても、このエルフの森は存在を許されない。リテール協会の擁するリテール最強の兵士たちに蹂躙されるに違いない。

 リテール協会に刃向かうものを匿うものは存在してはならないのだ。

「でも、やっぱり、お別れはしたくない――」

 強くそう思っても、ジーゼはリテール協会のヤツらが森をうかがっていることには気づいていた。ヤツらの大きな魔力に森がおびえていることも。それ故に、おそらく、直近にも仕掛けてくるだろうと予測がつく。リテール協会に仕掛けられてから、行動を起こすのでは遅すぎる。故に、サムの長居ももうそろそろ限度だろうか。

 森と、ジーゼの力でサムを守り切ることが可能ならば、それがいい。

 けれど、それこそ、不可能だったし、森を戦場にするなど出来ない相談だった。

「はぁ――」大きなため息が出る。本当はいつまでもいて欲しいのだけど――。

 ジーゼは家の戸締まりを済ませると、サムの行きそうなところに足を向けた。

 広い森。とは言っても、ジーゼにとっては小さな庭みたいなものだから、サムを見つけることはそんなに難しくもない。それに、何度か森を一緒に歩いてサムのお気に入りの場所は知っていたから、特に変わったことを思い立っていなければあそこにいるだろう。

 ちょっとだけ開けた場所。

 森の梢から青い空がよく見える涼やかな場所に。

「こんなところで、一人きり。サムが消えたってクリルカが心配してましたよ」

 ジーゼはすとんとサムの横に腰を下ろした。

「んー、悪かったな。今朝は一人になりたい気分だったんでね」

「そーですか? それじゃあ、わたしはお邪魔かしら?」

「いーや、そんなことはねーよ。むしろ、ウエルカム♡」

「あら、うれしい」

「ほうっ、これでとうとうジーゼたんもサムっちの彼女やなぁ!」ひょこっと現れ、早速、得意の矢継ぎ早トークを開始する。「え~と、ナニ股だったっけ?」

「ナニ股ってナンだ、ナニ股って?」

「え~? 二股じゃあとてもじゃなくて、三つ股、四つ股当たり前。五股、六股まだ余裕。七股、八股で通常営業。九股、十股で臨時営業、じゃなかったっけ? んでもって、今はナニ股? がに股とかつまらんジョークはなしにしてちょ」

「ふざけたこと抜かすな。俺は一途なんだぜ。始めから終わりまで、お別れするまで、ちゃぁ~んと一人を愛するのですぞ。掛け持ち恋愛なんてもってのほかだぜ」

「てめぇが言うとウソくせぇなぁ。ん~。じゃ、何人目の彼女?」

「何人目でもかまわないだろ。と言うか、ジーゼはお友達で彼女じゃねーぞ」

「おふぅ。またまた、ご冗談を。貴様とジーゼちゃまとのやりとりを見ていれば、てめぇらがどんな関係になったのか一目瞭然! この俺さまに隠すことは出来ないのだ」

「ほう。例えば、どんなやりとりだ?」

「たといば? そうさのー」

 ちゃっきーは難しい顔をして腕を組んだ。

「クリルカのお店に行ってみませんか?」

 ちゃっきーの思考をぶった切って、ジーゼは言う。

「お。ジーゼちゃまからいきなり夜のお店へのお誘いですぜ、旦那しゃま」

「いや、今、クリルカのお店って言ったぜ? 健全なお昼のお店、喫茶店じゃなかったか。と言うかそもそも、ここに来てもう何日かになるのにクリルカの店の話は聞いていなかったな。あれ? さらにそもそも、その店ってどこにあるんだ? ん? それより、ジーゼは人間嫌いのはずじゃなかったか? それなのに人間相手の喫茶店?」

 一度あふれ出したら、疑問の山が止まらない。

「んふふふふ。とうとう本性を現したな、サムっちめ!」

 ちゃっきーはズビシとサムを指さした。

「愛しのジーゼちゃまがとうとう、と言うかついに魔性を発揮するのよぉ!」

「――途中でまざったな」感想など述べる。

「いえ、お立ち会い、サムっちが女たらしの本性を現し、ジーゼちゃまが人間をたぶらかす魔性を発揮するのでございます」

 ごちゃ混ぜになったのをカレーにスルーして、自信満々にサムの追及をブロックする。

「ま、いいや、つきあいきれん。で、お昼の健全なお店じゃあ楽しめないな、俺は」

 にやりとしながら、サムは言う。

 対抗して、ジーゼは優しく微笑み返す。

「あら、クリルカのお店にはお酒もあるのよ」

「ほーら、やっぱり。さあ、サムっち、お出かけしようぞ。夜のお姉ちゃまたちにお相手をしてもらうのじゃ。えへへへぇ。あんなことやぁ、こんなことやぁ――」

 ちゃっきーがあらぬ妄想をふくらませていく。

「夜のお姉ちゃまはいませんよ。まだ、お昼だし」

「えーっ! しょんなー。断固抗議する! 最寄りから連れてくるのじゃ!」

「連れてこられないこともないですけど、どうなっても知りませんよ?」

 にっこり。明るい笑顔の向こう側に空恐ろしい物を感じるも、ちゃっきーはめげない。

「もー、どーなってもいいから、かーいーおねーちゃまが欲しい、のっ!」

「あ。ちょっと待て、何かヤバそうだ。何を呼ぶ気だ、ジーゼさん?」

 ジーゼのズモモモとした威圧感に気圧されてサムは問う。

「いえ、呼ぶのは普通のお姉さんですよ。ただぁ――」

「ただぁ――。なぁに?」ちょっと怖くなった。

「ただ、ちょっとだけはっちゃけてて、お酒に強いくせに酒癖が悪くて、そうねー、あと、泣き上戸で笑い上戸、笑い出したら止まらないし、泣き出しても止まらないの。ついでに、お気に入りになったものはよく壊すかしら、ヒト、もの、何でも――。その娘たちがいたら楽しいですよ」にっこり。「後始末が大変だけど」

「おー」

「そりはスーパー楽しそうっ! さて、早速、お呼びいただこーか!」

「呼ばなくてもいい」サムはちゃっきーを押さえつける。

 怖いもの見たさもあるものの、ジーゼが後始末が大変というものを呼びつけるのも気が引ける。夜のキレーなおねーさまもいて欲しいが、よくよく考えたら、まだお昼。お姉さんの時間にはまだ早い。そもそも、お昼の店では完全無欠には楽しめなくとも、クリルカのお店にはお酒があるとのジーゼ情報もあるし――。

「はい。着きました」

 ジーゼは言う。

 遥か遠くの彼方かと思っていたら、かなり近い。何気に、フライアから森に入り込んでジーゼの家に行ったときよりも、寝転がった草原からクリルカのお店のほうが近いような気がする。と、考えれば、人嫌いのジーゼの家からクリルカの店、人里のけっこう近く、まではごくごく至近距離と言うことになるのだが。

「み・み・な・が・て・い?」

 ちゃっきーが木製の質素な玄関のそばに小さな看板を見つけて、読み上げた。

「耳長亭です。では、入りましょうか」

「おうよっ! ひひひ、ナニカすんばらしいものがおいらを待ってるぜぇい、たのもー!」

 とちゃっきーが叫ぶ。

 ジーゼが扉を開けて、サムがその後についていく。ちなみに威勢のいいことをぶち上げたちゃっきーはサムの背中から玄関向こうの様子をうかがおうとしていた。

 カラランラン。ドアについた呼び鈴が軽やかに鳴る。

「は~い、いらっしゃいませー……って、何だ、ジーゼかぁ」残念そうに言う。「おじいちゃんたちが帰ってから、お客さんが来なくて、もーひまで、ひまで、ひまで、ひまでぇーって、サムっ!」

「よっ。心配かけて済まなかったな」

「へぇ~いっ、クリルカ、待ったぁ? 待ったでしょ。ひっひっひぃ~」

「待ってません。わたしが待ってるのはサムだけだも~ん」

 つん。クリルカは澄まし顔。

「ふん。いいもんねーだっ。だって、俺さまにはちゃぁ~んといるのだぜ。おいらが来るのを待ち焦がれて焦げちゃうくらいのステキなお姉さまが。うへへへへぇ」鼻の下が大きく伸びる。「では、フツーのお姉さま方、カモーン!」

「来ないし、呼ばないって言ってるだろ、ちゃっきー。あきらめろ」

「え~?」

 不満たらたらそうな表情を見せるも、

「おうっ! じゃあ、しゃーねーのー。ジーゼちゃまとクリルカたんをおいらの横に侍らせちゃうもんねー。それで勘弁してやらぁー」

 あっという間の方向転換の上に、元気溌剌にんまりのあやしい笑顔を浮かべて見せた。

「うふふふぅ。だものだから、サムっちは一人さびしく、一人酒を飲んでもらうぜ! さぁ、お二方、おいらの右と左にーって、そー言えばさー、クリルカたんってお酒、飲めるの? 飲んでいいのぉ? お酒は二十歳になってから!」

 ぴく。

「内緒でーす」

「内緒でーす、ね。うん。で、クリルカってホントはいくつなの?」

 サムもジーゼがクリルカのことを“見た目は十歳くらい”と言ったことも思い出して尋ねてみた。クリルカも精霊のようだから、実年齢が見た目と一緒の十歳くらいと言うのはないないだろう。サムが予想するには、お酒を飲める年齢はとうに超え――。

「レディに歳を聞くなんて失礼よ」軽くあしらうようにクリルカは言う。

「ん~」

 でも、気になる。聞くなと言われると余計に気になるのが性分だ。

「うふふ。でも、あれよねぇ」ちゃっきーだ。「少なくともー、サムっちよりもずっとずっとずぅ~っと年、うげぇ」

 ちゃっきーはどこからともなく飛んできたぬれた手ぬぐいと一緒に吹っ飛んでいった。

「あー。この件につきましては、これ以上の追及がとんでもなくアブなさそうなので、えー、不問にしようかなと思ったりなんかしちゃったりして」

 ワケのわからない不明瞭な言い分を残して、サムはもごもごと口ごもる。

「くらぁ! クリルカめ! 何、しやがる! おいらのパーフェクトボディーが台無しになっちまうだろっ、このぉ、責任、とってもらわなぁ、気が済まねぇ」

 吹っ飛ばされたところから、勢いよく戻って来るとちゃっきーはクリルカに絡む。

「それって、わたしの秘密よりも大事なのかしら?」ずい。

 クリルカは存在感ましましでちゃっきーに詰め寄った。

「あ、あれぇ?」ちゃっきーの背筋に冷や汗がたらり。クリルカがこんなに怖いとは思いも寄らなかった。「コホン。え~、それでは気を取り直して……。せーのっ」

 ぐぎゅう。

 クリルカはちゃっきーをつかまえて、首を締め上げた。

「世の中には言っていいことと悪いことがあるんだからねっ! この先、同じことを聞いたら、シチューのお鍋の中に放り込んでやるんだから」

「いひひ、チーズケーキ味のおだしはきっとおいしいよぉ」

 と、その横で、ジーゼはサムに唐突な質問を投げかけていた。

「ねえ、サム――。あなたはエスメラルダ王国にいたんだよね?」

「ああ、そうだよ。――国を追われる前までは……な」

「そして、――イクシオンの生まれ変わりなんだってね?」

「ん~?」サムは生返事。

「かつて、このリテールを平定して、長い平和と繁栄をもたらしたヒーロー……の」

 尋ねたいけど、尋ねきれない。そんなもちゃもちゃした気持ちが歯切れの悪るさを生む。

「それは知らないふりをしていたってことなのかな、ジーゼさん? 俺がエスメラルダの女たらしのサムではなくて、イクシオンの生まれ変わりと言われた王国の守護者。ついでに、今はリテール協会に追われる身ってところまでまとめて知らないふりをしていたのかな? そして、それに、いつ気がついた?」

 サムは意地悪に問いかけた。

「それは……内緒です。それより、あなたはテレネンセス教会の……」

 ジーゼが何かを言いかけたところで、ちゃっきーが盛大に横やりを入れた。

「くぉら、それはちょっと、ジーゼちゃまがかあいそーなんじゃないかいな。てめぇだって、おいらを口止めしてまで、わざと言わなかったくせにぃ。今さら、そんなことを言い出すなんたぁ。卑怯ですぜ、旦那しゃま」

「卑怯でけっこうだ。だが、俺は――」

「すなわち、イクシオンとは希代の英雄。たった一人で戦乱のさなかのリテールを渡り歩き、ありとあらゆる争いごとを平定し、尚且つ、その功績を讃えられ、軍神として神々の仲間入りを果たした、まーある意味で、とぉ~ってもうらやましいってことよねぇ。と、ついでに、希代の女たらしで、神々の世界を激しくかき混ぜて、さいしゅー的に犯罪者になったんだってなー、いひひ?」

 ちゃっきーはちょいちょいとサムの二の腕をつついた。

「……。それが俺にどういう関係があるのかな?」

「ん~? チミのご先祖たま」

 あどけない笑顔で、ちゃっきーが軽~く言ってのける。

「あ~? そりゃ、イクシオンの生まれ変わりと言われたことはあるけどね、ご先祖たまじゃねーんだな、これが。ま、あれだろ? 俺がホントにイクシオンだったのなら、今頃、リテール協会なんて粉みじんで、世の中を再び平定しているぜ」

「うそ~っ! あの女たらしの生まれ変わりがてめぇでなくて誰なんじゃ!」

「どっちかーてぇーと、お前がイクシオンなんじゃないのか?」

「おろ?」

「ま、なんでジーゼが急にイクシオンのことを言い出したのかは聞かないが――」

 サムが話をそらそうとしたところに、ジーゼが言葉をつないだ。

「その昔、このエルフの森に来たことがあるのです。わたしが生まれる前に……」

「お~う、衝撃の事実っ! なんとなぁ~んと、軍神・イクシオンがエルフの森に現れて、生まれる前のジーゼちゃまを手込めにしていたなんて! と言うことはつまり、イクシオンの生まれ変わりたるサムっちも、実はすでにジーゼちゃまをぉ~?」

「おまえはそれしか言うことないのか」

「ありませんなぁー」にやり。

「まあ、ちゃっきーったら、懲りないのね」

 そう言うとジーゼはちゃっきーをそっと持ち上げて、大事に大事に窓際まで運んでいくと、全くの唐突に視界の彼方に消え去れと言わんばかりに窓の外にぶん投げた。

「お~、ナイスピッチ。いったい、どこまで飛んでったかな?」サムが言った。

「あ~れ~。覚えておけよ、このクソせーれーめ!」

 ドサッ。きゅっ。ちゃっきーの身体を何かが捕らえ、縛り上げてしまった。

「お? こんな蔦で縛るな~。俺の自由を返せ~」

 遠くからちゃっきーの悲鳴のような声が聞こえるけれど、そこはもう無視を決めこむ。

「あなたが本当にイクシオンの生まれ変わりだったのなら、どうしてこの森を救ったのか教えて欲しかった」

 ジーゼはうつむき加減に、つぶやいた。

「どうして、ジーゼはイクシオンが森を救ったと思ってるんだ?」

「思っているんじゃなくて、事実なのよ。森の思い出はわたしの思い出。森の思い出は精霊核の記憶。精霊核の記憶は猫目石の小さな小さな記憶のかけらたちの集まったもの。この森で起きて、わたしの知らないことはない――」

 ジーゼは真剣な眼差しをサムに向ける。

「この森がこの場所に残ることが出来たのはイクシオンのおかげ――」

 ジーゼは自分の思い出に問いかけるように感慨深く言葉をつなぐ。

「……。――。ジーゼ、すまないが、しばらく口を閉じていてもらえないか?」

「じゃあ、代わりにわたしがおしゃべりするー! 聞いてばかりじゃつまんなーい!」

「クリルカも! 静かにするっ!」

「え~っ?」あからさまな不満顔をサムに向け、クリルカは渋々黙る。

「……?」

 サムはナニカを感じた。エスメラルダ王国を追われ、アイネスタから命からがら逃げ出して、各地を転々としたときに感じた、そう、あの前触れだ。直近では、フライアの町で大口をあ~んと開けて、目玉焼きを食べようとしているときだった。

「へぇ~い、サムっち。もちのろんで気づいたかにゃあ~」

 ちゃっきーが緑の葉っぱをたくさん体に絡めて、ぶん投げられた窓から登場する。

 ジーゼははたと気がついて、いくぶん、緊張した様子で発言した。

「天使が……空からうかがっている……。――でも、それだけのようですね……」

「今度のヤツはフライアでふっかけてきたヤツよりも、ずっと頭が切れるようだ」

「いひひっひ~。よかったねー。ジーゼちゃまと仲良くお話ししているところに炎の矢なんて飛んできたら目も当てられない。まさに、寝取り寝取られの泥沼の様相を呈す。ってぇことでぇ、今度はいったい、何人目の彼女の襲撃だい?」

「あ?」変な声が出た。

「お。いきなりはぐらかしにかかりました! うふ~ん、やっぱり、痴情のもつれからジーゼちゃまを失うのが怖いのね。では! 不肖・ちゃっきーが暴露してしんぜよう。さてさて、お立ち会い、このたび、エルフの森上空に姿を現したのはシメオンに置いてきた、え~と、ひ~、ふ~、み~、よ~、いつ、む~。あ、七人目の彼女。あいつ、執念深くて、なぁ? やっとこと煙に巻いたと思ったら、また現れたってやつだな?」

 ちゃっきーの戯言もここまで来ると腹が立つのを通り越して呆れてしまう。

「別に何人目の彼女でもいいだろう」冷めた口調でサムは言う。「と言うかな、あれはぁ」

「へぇー、じゃあ、わたしは何人目の彼女?」クリルカが問う。

「そうよなぁ。きっとおそらく二百人目くらいじゃなくて?」

「いや、だから、追ってきたのは彼女じゃねーし、クリルカを彼女にした覚えもない」

 おかしなことになる前に否定すべきところは否定する。

「え~っ。ジーゼは彼女なのにわたしは彼女でなくて、追ってきたのはいったいだれ?」

 なかなかめちゃくちゃなことになっているようだ。

「う~ん、ジーゼも彼女じゃないんだけどな」

 サムは面倒くさいことになってきたと、ため息をつきながら頭を掻いた。

「イエス! では、クリルカ殿には真実を伝えて進ぜよう。サムっちの真の彼女は後にも先にもたった一人、あいつしかおらんのじゃ!」

「あいつってどいつだよ。知らねーくせに余計なことは言わないの」

「ふっふっふ。てーことは居たんだね。居てしまったんだね、特別なひ・と・り」

「うるせー!」

 サムは拳を振り下ろして、ちゃっきーを押しつぶそうとした。

「いひひっ。しかぁし! こんな程度でやられる俺さまではねーのだよ」

「おとなしくやられてくれた方が俺としては嬉しいだがね?」

「それよりも何よりも、ジーゼちゃま、ナニカ飲まないかぁ~い?」

 すっかり最初の話題など忘れてしまったかのように、ちゃっきーはジーゼをかまいだす。

「そうですね。じゃあ、お水をください」

「お水でござるな? しばし待たれい」

 ちゃっきーがテコテコとカウンターの上を歩いて行く。そして、唐突にフイッと姿を消した。いったい、どこへ水をくみに行ったのか。そもそも、お水は耳長亭の営業中に限っては常にキッチンにスタンバイ。切らすことなどあり得ないのだが。

 と、一同が消えた先をじーっと見つめていたら、ちゃっきーが透明な液体がなみなみ注がれたコップを持って颯爽と再び姿を現した。

「それ、飲んでも平気なものなのか?」

「あったりまえでぇい! へいっ、お嬢!」

「ありがとう」

 ジーゼはかけらも疑わずにちゃっきーからコップを受け取って、ごくごくごく。ぷはー。

「ふ~……。……。ひっく」

 ほおを赤らめて、どこか様子がおかしい気がする。

「ジーゼ? どうかしたの?」

「ひっく」

「ひっく? もしかして、酔っ払ってるのか、ジーゼさん?」

「酔っ払ってなんかいませんヨ? ただちょっとだけ、気分が高揚しているだけダヨ?」

「ちゃっきー! ジーゼにナニを飲ませた!」

「ナニを飲ませただなんて、人聞きが悪いのねぇえ。おいらがジーゼちゃまに飲ませたのは由緒正しき伝統の結晶、天下の悪酔いにござりまするぅ!」

 えっへんのポーズで自信満々にちゃっきーは言い放つ。

「なんだそりゃ? 聞いたこともない銘柄だな」

「にゃんだとぉ? てめぇが知らねぇはずはねぇ。何せ、それはなぁ、てめぇがカバンに大事にしまっていた、あ・れっ!」

 ちゃっきーはもったいをつけつつ床に転がった空き瓶を指し示した。

 対してサムは手のひらで顔を覆った。

「こいつを飲ませたのか――」

「イエッサー! 飲ませたのだぜぃ。だってぇ、ジーゼちゃまがお水、ないノー? っておねだりするから、ついー」

 かわいらしくおめめをぱちくりさせながらちゃっきーは言う。

「ついー、と言うか、誘ってたのはちゃっきーだろっ、しかも、水じゃねぇし! そんなもん、一本丸ごと飲ませたら、並の人間ならひっくり返ってそのままだぞ。酔っ払うどころか、二度と目覚めねーよっ」

「まー、それもありかなーって。でも、でも~、ジーゼちゃまはせーれーさまだから大丈夫かな~って思っちゃったのぉ、おいら」

「あ~っ、もうっ! ごちゃごちゃとうるさいのだよ、チミたち」

 ジーゼのろれつが回っていない。

「せーれーさまも酔っ払うらしいが……。ちゃっきー、おまえ、責任とれ!」

「い~や、責任はサムっちがとるのですよ。あっつ~いキスをかましてやればすっかりおねんね。不安に揺らぐジーゼちゃまの心をぎゅうっと抱きしめるのです」

 ちゃっきーは両腕で自分自身をぎゅうと抱きしめた。

「いや、これがキスして抱きしめてどうにかなるように見えるのか? え?」

「いやねぇ、奥さま。この殿方、ムキになっちゃってお顔がまっ赤っか。恥ずかしぃ~。サムったら、見た目より純情なのよ? ハ・ジ・メ・テでもないくせしてさ! ね~?」

「ね~?」

 ジーゼはちゃっきーの発言に応じながら、サムの肩を盛大にばしばしとたたきつける。

「……酒癖、悪かったんだな、ジーゼ」

 サムはすでに諦めてしまって、ジーゼのなすまま、されるがまま。

「なあ、ちゃっきー。これ、どーにかしてくれないもんかな?」

「こーなってしまったジーゼちゃまはもはや止められますまい。キャントストップジーゼ! もはや、怖いものナッシングの超絶無敵モード! このスーパーステキモードを終了させるためにはただひたすらに祈ることのみっ。いひっ!」

「つまり、為す術なしってことかっ」

「イエッサー! わかりきったことを今更、問い返すんじゃねーぜっ。でもぉ~」ちゃっきーはかわいらしく指をくわえてみせる。「シャローナたんよりもずっと、ずっと、ずぅ~っと、お酒に弱いのね、ジーゼたま」

「シャローナって、誰よ?」

「うん? 精霊界の酒豪。ね、クリルカたん」

 ちゃっきーはクリルカに同意を求めて、眼差しをおくる。

「底なしと言うか、そこのけ、底抜けシャローナさんだもの。森には滅多に来ないから細かいことはわからないけど、酒瓶を持たせたら、最後ってお話よ」

「何がどう最後なのかは聞かない方がいいだろうな?」

 ちょっと怖い。

「遠慮することなどありますまい。何と彼女は飲めば飲むほどに強くなる酔拳の使い手。握った酒瓶を武器に気に入った相手に絡みつく。しかぁも! 一度絡めば、二度と決して、離れられずに絡まれっぱなしたぁ、このことよぉ! さらぁに、逃げようとしようものなら、手にした酒瓶がうなるっ!」

「酒豪ってか、酒乱じゃねぇのか、それ?」

 と、サムが言い切ったところで、ジーゼが反応した。

「! シャローナはそんな暴力娘じゃありません! 元気いっぱいにはっちゃけて、え~と、え~と、歯止めがきかない辺りに難があると思いますけど……」

 ぐぅ~。

「寝た」

「寝ちゃったね。ま。ジーゼがお酒を飲んだら、いつもこんな感じだから」

 と、淡々と言いながら、クリルカはキッチンの後片付けを始めた。

「あ~しゃぁねぇな~。ここに寝かせておいてもなぁ、おうちのベッドまで運んでいくかぁ。おっと、そういえば、クリルカは何時までお店に居るの?」

「うん。わたしは夕食の時間が過ぎるまでお店にいるよ。いつも来てくれるおじーちゃん、おばーちゃんも多いし、定休日じゃないから、ジーゼが伸びちゃったって言っても、お店の閉められないんだもの。それに、今日のところはサムがついてるからいいかなーって」

 にこっ。

 クリルカにカワイイほほえみを浮かべられたら、断れない。

「あー、まあ、じゃあ、今日のところはそういうことで。――よっこいしょっっと」

 サムはジーゼをお姫さまだっこして、お家まで歩き出す。クリルカの耳長亭から、ジーゼのお家まで。しかして、ジーゼの家を飛び出して、お気に入りの草むらから耳長亭に来るまでに、こんなに歩いたものだろうかと、ふと疑問に思い至った。

「ジーゼがおねんねでクリルカが居なかったら、誰がおうちの鍵を開けるんで~?」

 至極まっとうな意見がちゃっきーから漏れ出した。

 確かに、初めての時は家に入るのにジーゼの魔法が必要だった。それからの数日間、家の出入りをしたときは、と言うよりも少なくとも入るときだけはジーゼが起きていた。

「おい」

「なんで~?」キョトと答える。

「つまり、何だ。ジーゼを起こさないと永久に森をさまよう羽目になるってことか?」

「まーさまよわないでもいいけどよ、起こさなことにゃー、おうちには入れないねー」

 ただいまのちゃっきーは超がつくほどの真面目モードだ。

「……仕方ない、起こすか」

 サムはおぶったジーゼを木陰におろし、木の幹に寄りかからせた。

 そして、ぺちぺち。サムは優しくジーゼのほおをたたいた。が、全く起きる気配を見せない。さて、困った。盛大にビンタをしたら、起きるだろうが、あとが怖い。

「お困りのようだね。フフ、おいらにお任せあれっ!」

 ちゃっきーは自信満々、胸を張って、サムに進言する。

「おー。すげー自信だこと。んじゃま、お任せしてみようかな」

「イエスっ! あまたの精霊たちと仲良くなったおいらのスーパーテクを見るがよいっ」

 みたくもねーけどな。とは言わずにサムは見守ることにしてみた。

 すると、ちゃっきーはすーすーと寝息を立てるジーゼににじり寄り。イヤらしさを全開にのっしのっしと歩みを進める。

「ねぇ……、ジーゼちゃまぁぁあん」

 ちゃっきーが艶っぽいつもりの猫なで声を出してみて、ジーゼが反応する。

 ばちぃぃぃぃぃいぃいぃんっ。

 強烈な両手ばさみビンタが飛んできた。

「――。見事にぺたんこだな、おい」

「ひどいいぃぃい。しかぁし、サムっち、今がチャンスっ、逃す手はねぇーぜ」

 まさにその通り、ちゃっきーが身を挺してつかんだチャンスを、別に逃してもかまわないような気もしてきたが、ものにするためにサムは優しくジーゼに話しかける。

「あのー。ジーゼさん、お家を出してもらえるかな?」

「うむ」

 と返事をして、ジーゼはパチンと指を鳴らした。

 すると、何もなかったと思われた場所から、ゆらゆらと見慣れたお家が姿を現した。

「おー。たくさん歩いたつもりになっていたが、そうでもないってことか。あはん、それとももしかして、ジーゼのお家は住所不定ってことなのかね?」

 ぶつぶつ。不思議が不思議を呼んできりがない。

「うんにゃ、住所は固定されてるにょ。うふ♡ 気がつかなかったかにゃあ」おかしなしななどを見せて、ちゃっきーは言う。「ふらふらうろうろしそうなてめぇを導いたのは、何を隠そう、この不肖、ちゃっきーでございまするぅ~」

「それはよかったな」

 サムはちゃっきーに対して素っ気ない態度を返し、

 木陰にもたせかけたジーゼを再び、お姫さまだっこして、

 まるで、いつものように姿を現したジーゼとクリルカの家にそっと入り込み、

 玄関から脇目も振ることなく、ジーゼのお部屋に忍び込み、

「それじゃあ、ゆっくりおねんねしてくださいね」

 サムはジーゼを寝かしつけると、リビングによることもなくあてがわれた自室に戻った。その瞬間にナニカ柔らかいものを踏んづけたと思ったら枕だった。

「――なんだ、こりゃ?」

 ぐしゃぐしゃになった部屋を見るにつけ、思わず声が出た。何日間かの仮の宿と言っても、過ごしやすいようにキレイに片付けておいたものをあっちこっちに散らばらされてはたまらない。そもそも、これをいったい、誰が片付けるのだ。

「めんどくせー!」

 ぶつぶつと苦情を言いながらも、サムは片付けを始める。

 ブランケットは窓際まで吹っ飛んで、

 シーツはしわくちゃ、キレイにたたんだはずのパジャマは床に落ち、

 ひげ剃りと櫛に至ってはどこに飛んでいったかわからない始末。

「サイテーだ。おいっ、どっかそこら辺にいるんだろ? ちゃっきー!」

「へぇ~いぃぃぃいぃ。流石、旦那しゃま。おいらがどこにいようとお見通し。うふ♡ こりはもう、おいらのことがラブリーなのね。ならば、免許皆伝! てめぇにちゃっきーハンターの名を贈ろう! その名があれば、てめぇはどこへだっていけるし、ナンにだってなれるのじゃ。しかも! せーれーたまのいるところに顔パスが可能のような気がするよ?」

 ちゃっきーは最後の最後で首をかしげる。

「なんで、そこは疑問形なんだ?」

「う~ん。おいらのことを避けてる娘もいるからにゃー」

「あーそう。ちゃっきーハンターだかなんだかの免許皆伝でも、そんな調子じゃ大して役にも立たないだろ。むしろ、名乗ったら、精霊はみーんな逃げちゃうんじゃないのか?」

 細かいほこりやらゴミやらを拾いながらサムは言う。

「そーでもねーんだなぁーこれが。おいらの名を使うとぉ、まず、特典その一、風極の地・エリモのエリーゼたんから何かよくわかんない物体を特別価格でお求めいただけます。特典その二、リテール平原のゼストさまからお芋さんをた・く・さ・ん押しつけられます。特典その三、不帰の谷にお出かけしても、不帰の谷なのに無事に生きて帰ってこられます。ま、その他のことは知ったこっちゃねーな」

「あーん?」

 言いたいことがよくわからないが、とんでもないことをさらっと言ったような気がする。

「まあ、あれさね。機会があったら使ってみるとよいですよ」

「そーね。そうさせてもらうよ」

 ちょっとだけバカバカしくなって、サムはベッドに飛び乗って、寝転がった。

 無駄に疲れた。

 一人きりになりたくて、お気に入りの場所に行ったというのに結局、落ち着いて思考を巡らせることも出来なかった。

 いずれ、天使がやってくる。そして、やがて逃げ続けることも出来なくなるだろう。

 だからこそ、かつての知人に助けを求めにテレネンセスに足を向けたのだけれど。

「本当にそれでいいんだろうかな……」

 サムは天井の縞模様を見つめつつ、ぼそりとつぶやいた。

「いひ。ここまで来ちまったら、今さら、手遅れでさぁ!」

 ちゃっきーは声高らかに言う。

「まあな。はぁ~。しかし、まぁ、平穏無事ってのはいいもんだが、退屈だな――」

「へい、だから、言っただろ。あんときゃあ、暇つぶしに協会を呼んでやったんだって」

「あ~、そうだったな。だが、今度は呼ばなくていいぞ」

「あれま、すっかり堕落して。このままじゃあ、二度と娑婆に戻れなくなっちまうぜ。おいらはそんなすっかりさび付いたサムの姿なんか見たくねぇ。さあ、今からでも、遅くねぇ、我が愛しのキミの寝顔を拝みに行こうじゃあないか!」

 ちゃっきーは両手を広げて大げさに言ってみせる。

「……さっき寝かしつけたばっかりだけどな。どうなっても知らんが、まあ、がんばれ」

「ほ? てめぇは行かねぇのかい? ほほ、堕落どころじゃないようだ。すっかり能なしになっちまったようだぜ」

 などとほざいて、ちゃっきーは行く。

「生きて帰ってこれるといいな」

 ちゃっきーが出て行けば、話し相手もいなくなる。話し相手がいなくなれば、当然、お部屋は静まりかえる。そして、ちゃっきーの存在にかき消されていたナニカの存在がゆるやかに感じられた。

「――新しいお話相手かな――?」

 天井を見上げたまま、サムは誰ともなく話しかけた。答えはない。あろうはずもない。こんな時間に、こんな場所で。そもそも、ヒトが近づくのを毛嫌いする森にフツーの人間が迷い込めるはずもない。ならば、この場に現れるのはほんの一握りの魔法使い。

「……おい。どうやって、ジーゼを欺いたのか知らねえが、殺気を隠し切れてないぜ」

 サムはちらりと開け放たれた窓の外を見た。

「……」

「ま、別に出てくるつもりがないのなら、それでもかまわない。ただよ、この森を戦いの場に選ぶのだけは遠慮してもらえないかと思ってね」

「――わかりました。などというとでも考えているのですか?」

 ようやく届いた声は冷たい女性の声だった。

「いいや。言わねぇだろうな。しかし、ならば、どうして待ってたんだろうね」

 サムはいくらかの嫌味をを込めて、悪辣に言い放った。

「変な黄色く小さな妖怪がいたでしょう」

「変な妖怪……? ああ、ちゃっきーか。それがどうかしたか?」

「――あれは……危険です――」

「あれが……? あれはただの腐れ妖怪、ダロ?」

「そのようにしか見えていないのなら、あなたもたいしたことはありませんね」

「そりゃどうも」

 無感情にサムは言う。

「ま、そのたいしたこともないヤツをいつまでもつかまえられない協会もどんなもんかとは思うがね。――いい加減、あきらめてもらえないもんですかね?」

 ついでに嫌みったらしく言ってみる。

「……そうですね。アルシオーネを配下におさめてきたら考えてもいいですよ」

 薄ら笑いを浮かべるように冷たい声の女は言った。

「アルシオーネ……。また、その名前か。そのアルシオーネとは何ものなんだっ。いや、待て、ちゃっきーが何か言っていたな。……そう――、不帰の谷のアルシオーネ」

「原初五精霊、通称、ファイブシスターズの一柱です」

「原初五精霊って?」サムはそのまま問い返した。

「知りませんか? 炎のアルシオーネ、大地のゼスト、風のエリーゼ、水のアクア、闇のセレナ。リテールの神話に根強く息づいていて、協会でもその信仰を完全に葬ることは出来ません。そして、おそらく彼女たちは今も存在する――。それ故に、五柱全てを掌中に収められたのなら、この世に怖いものはありませんよ」

「そんな気はするな。しかし、協会とそのファイブシスターズとやらが何の関係があるんだ。今でも十分、この世に怖いものはないだろ、おまえたちなら――」

 問いを投げる。

「わたしに怖いものはありませんよ」冷たい声の女は言う。「しかし、協会としては民衆の信仰ほど怖いものはありませんからね。――エスメラルダ王国のヒーローとしてファイブシスターズの一柱でも配下……とまではいかなくとも、お仲間にすることが出来、なおかつ、あなたがリテール協会の意に従うのであれば、追う理由はなくなるでしょう」

「あ~ん――。そりゃあ、無理な相談だな」

 サムはだるそうに答える。

「では、明日の夕刻までには森を出てもらいましょうか」

「イヤだと言ったら?」

「この森を焼き討つだけのことです」

 何でもないことを言うかのように、感情の入った様子もなくさらりと発言する。その冷たい言葉にさしものサムも少しだけ、いびつな恐怖を感じた。

「そんなこと出来るのか? この森の焼き討ちをするってことはリテールの全ての精霊たちを敵に回すってことと同義だと思うんだがな。どんなにリテール協会が強くとも、決起した精霊たちを全員相手にするのは避けたいだろう?」

「いいえ」冷静な声色だった。

「何?」サムは飛び起きた。

「避ける必要などありません。リテールの精霊たちと争いが後になるか、先になるか、それだけの違いですから。なんなら、このままこの家にいてもらってもかまいませんよ? むしろ、あなたにそんなことが出来るとは思えませんが」

 見透かされている。

 もうこれ以上、自分の逃走による巻き添えを作りたくはない。

「はぁ。何もかもお見通しってワケか。ならば、おまえ自身が俺を追ってくれば、話が早いんじゃないのか? 怖いものがない最強の“天使”さまとあれば、俺なんか、赤子の首をひねるがごとくだろうさ。ひねっちまえば楽なもんだろ?」

「わたしがひねったのでは意味がないのです」

「おまえは……」

「――コハク。あなたが生きていられたら、そう遠くない将来に再び、出会うでしょう」

 そう言い残して、コハクと名乗った天使はフイッと消え失せた。

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