01. エルフの森にて
荒れ果てた街道を男が一人、歩いていた。街道の石畳は剥がれ落ち、轍は補修されずに放置され、石の隙間のそこかしこから派手に雑草が吹き出していた。この街道は打ち捨てられから、すでに相当の年月が過ぎ去っているのだろう。それ故、街道の行く先に人里があるとはとても思えない。あるにしても、とうの昔に忘れ去られた廃墟に違いない。
それでも、男はこの道を進まなければならなかった。
「一応、テレネンセスまで通じてることになってるんだがぁ、無事に通じてるんだろうかねぇ――、これ」不安でいっぱいになる。「通じてなければ、引き返すか。いや、でも」
もう、戻れない。昨日まで滞在していた町には当面の間、近寄れそうにないからだ。
「はぁ……、たまらんねぇ……」
男は深いため息とともに弱音を吐いた。遙か昔に運命の女神さまから見放されたとはいえ、あまりにも酷い。あれはない。もうちょっとましな接触の方法があるはずだ。
「朝飯食ってる最中に『死ねっ』ってどういうことだってんだ」
「へ~い、サム。誰に悪態ついてんだい? あれかい? 朝っぱらの可愛い天使ちゃんかにゃあ~。そーキュート。目玉焼き食おうとあ~んしたところに燃えさかる炎の矢が吹っ飛んできたねぇ~~。ひっひっひ~」
黄色くてちっこい生き物らしきものがサムの眼前にポンと現れた。
「ひっひっひ~、じゃねぇ! こちとら、死にかけたんだぞ。このくそちゃっきーめっ!」
サムはちゃっきーと呼んだ物体の首根っこを捕まえて、まじまじと双眸を見つめる。
「いやん、恥ずかちぃ。そんな熱いまなざしで見つめられたら、あたし、溶けちゃう」
「何、言ってるんだよ、てめぇは。――はぁ」
相手をするのもばかばかしくなって、サムはちゃっきーを後方にぽいと放り投げた。
「きゃぁ~~。何すんでぇい!」
サムは雑草に足を取られながら、トボトボテクテクと歩みを進める。
「しかし、このままいいようにされてるってぇワケにもいかねぇよなぁ」
「へい! 貴様なら絶対大丈夫でぇい!」
「――てめぇ……、打たれ強いな」半ば呆れた眼差しでちゃっきーを見る。
「サムにかかりゃあ、天使なんかチャームでイチコロ。違うか? 女たらしっ!」
「うるせぇよ。イチコロにできるんならなぁ、とっくのとうにイチコロだぜ」
首を横にふりふりサムは言う。
「天使ってのはなぁ、召喚された天使ってのは面倒くさいんだよ。召喚された目的を達成、もしくは完全に抹消できない限り、チャームで落とすことなんてできないのさ」
「ってことはぁ?」
「……お前、わかってて聞いてるだろ?」
「さぁ? 何のことね?」ちゃっきーは白々しくとぼけてみせる。
「まあ、いいさ。俺がヤツに殺されるか、俺がヤツを殺すか。そうでもないと召喚の呪縛からは解き放たれないのさ。ふむ……。だが、それじゃあ、いまいち、スマートじゃねぇなぁ……。やっぱ、あれか。諸悪の根源、リテール協会をぶっつぶし、ヤツの“使命”の全てを削ぎ落として、そんでもって、俺さまに惚れさせれば完璧だなっ」
「お~~っ。来た来た来たぁ! それでこそ、旦那さま。世界の全てを敵に回しても、可愛い娘っこを手込めにすることだけはぁ忘れにゃい。し・か・もぉ~、そいつは昨日の敵が今日の愛人ってきたもんだ。見境なしだぜ、このど変態めっ!」
「お前に言われる筋合いはねぇ!」
「ほうっ! 貴様はいったいだ・れに口をきいてんだぁ? おいらはこの道で知らぬものはないほどの百戦錬磨の究極無敵、地の底から地獄の果てまで名を轟かせた十の魔物とはオレのことよぉ。ちなみに一番目がおいらだからね、そこんとこ、よろしく」
「――。言ってる意味がわからんが……。とにかくすごいんだな。まあ、そういうことにしといてやるから、おとなしく俺の視界から消えてくれっ」
サムはちゃっきーをボールよろしく丸めると、地平の彼方に飛んでいけ、ついでにこの世から消えてなくなれと言わんばかりの勢いで遠くへ投げ飛ばした。
「あ~れ~……」
「よし。――これなら、しばらくは戻ってこれないだろう」
清々した。リテールの遥か果てで拾って以来、何故かわからないが、ずーっとついてくる。率直に言ってうざい。あれと出会うまでは気ままな一人旅だったのだが、以降は旅は道連れ世は情け、と言うよりも情けも何もあったもんじゃない。
いや、そもそもおかしな目に合い始めたのは、リテール協会に再び目をつけられたのはちゃっきーを拾ってからかもしれない。もしかして、もしかすると“あれ”は究極の不幸吸引装置。そうでなければ、リテール協会の回し者なのに違いない。
「はぁ~い! その顔はおいらにあらぬ疑念を抱いているねぇ? しかぁし、心配はナッシングなのだ。おいらは完全無欠の自由人。誰にも、何にも縛られねぇのさぁ。着の身着のまま風まかせ。どこにいようと、どこに行こうと、おいらの意思さあ」
「風来坊ってか、迷惑なヤツだな。どこか俺の知らないところで自由にしててくれ」
サムはどこからともなく降ってわいたちゃっきーをしっしと追い払おうとする。
「おうおう。連れねぇなぁ。じゃあじゃあ、おいらに興味ナッシングな貴様の注意をオレ様に向けてみせるぜ! 耳の穴かっぽじいて、心して聞けよ!」
「ほう」おもしろくもなさそうにサムは応じる。
「さて、非常に残念なことながら、リテール協会のかぁいい天使たんとは無関係なのさぁ」
「それはどうだろうな。むしろ、そうであって欲しいとは思うが、お前のことだからな」
「――まあ、反逆者がここにいる~~っ! って、リテール協会に教えたげたのは何を隠そう、このおいらなのだけどね!」
自信満々にちゃっきーは言い放つ。
「やっぱ、お前か! この野郎っ!」
叫ぶなり、サムはちゃっきーを握りしめた。
「あ~れ~」嬉々とした悲鳴をちゃっきーはあげる。
かまってくれると何気にうれしい。いや、もはや、いじってもらわなければちゃっきー自身の存在価値がないと言っても過言ではないだろう。しかし、彼がそれを自覚しているかというとまた、謎である。
「もっと、もっとぉ、いぢめてもいいのよ」
「いくらでもお望みの通りにいぢめてやるよっ。それより、何故、お前は俺を売った? 知ってるだろ? 俺がリテール協会に追われていることくらい。あ? 半年ぶりくらいに追っ手から逃れて悠々自適だったってのによ。天使の追跡から逃れるのは大変なんだよ」
サムの両手は容赦なくちゃっきーをぎゅうぎゅうと締め付ける。
「うふっ♡ うれしくてたまらないのね♡」
「何だって?」疑念を抱く。
「だぁってチミさ、おいらとの旅の間中、ずぅうっと、退屈そうだったじゃないかね? だぁかぁらぁ、楽しくなると思ってさ、今日の宿敵、明日の友のリテール協会を呼んでやったってワケでさぁ。まあ、かぁ~いい天使たんが来るたぁ予想外だったがねぇ」
ちゃっきーはにんまりといやらしい笑みを浮かべる。
「可愛い天使が来たのはうれしいがね! 朝飯食ってる最中に『死ね』なんて矢を放ってくるようなヤツはごめんだとさっきも言っただろ?」
「あれぇ~そうだっけぇ~。手込めにするとか何とか言ってたくせに~」
「誤解を招く言い方はするんじゃねぇ!」
ぽい。サムはしっかりと握っていたちゃっきーを放り出した。かまえばかまうほど調子に乗ってくるのだから、ほったらかしにした方がおとなしくなりそうだと今更、思った。と言って、急におとなしくなることもないだろうが、改善を望むならお灸を据えるに限る。
ちゃっきーはぽてんぽてんとかわいらしい音を立ててどこかに転がっていった。
「さ・て・と……。先を急ぐか……」
と思って、歩みを進めれば、さっきまで開けた平原を歩いていたなんて、まるで気のせいのような森林地帯に足を踏み入れていた。フライアの南、テレネンセスの北にはリテール地方で最大の森林地帯があるとは聞いたことがある。確かに入ってしまったからこそ思うけれど、道の両側から空がほんの少ししか覗かないくらいに広葉樹が生い茂っている。そして、森に入り込んだ街道はこのまま先細ってなくなりそうで、少々不安だ。
「おうっ! とうとうチミはここまで来てしまったのねっ!」
またも、不意にちゃっきーがどこらともなく湧いて出た」
「お前、ホントにどっからでも現れるな」すでにあきらめ口調だ。
「あ~ん? 神出鬼没なお茶目なヤツったあおいらのことよ。何を今更、苦節、半年、おいらとてめぇの仲だろぉ。知らねぇとは言わせねぇぜ!」
「いや、それは初耳だ」
「うそ~ん。そんなのないよぉ~」
「ま、そんなこたぁどうでもいいんだよ」
サムはちゃきーを放置すると、カバンをごそごそとあさって、町を出る前にかろうじて手に入れた古地図にを取り出した。今朝、天使に追い出された町がフライア。そこからひたすら南に下ってきたら、地図上では大きな森林地帯にぶち当たる。
「エルフの森……か。エルフの森ね――。エルフなんていなさそうなのにな」
と、名前の不確実性にごちゃごちゃとケチをつけていたら、古地図を買った店の人がナニカを言っていたをふと唐突に思い出した。
「――。南に行きたいのなら、何だったかなぁ……」
が、それ以上のことはきれいさっぱり忘れていた。
「う~む……」
考えてもどうせ思い出せないだろうからと、サムは再び、古地図に目を落とした。
「ふむ――。引き返すか、奥に進むか……」
常に足場の悪い廃れた道を行くくらいなら、きっちり整備された街道を大きく迂回していくのが正解だろう。整備された街道、キャロッティを回るとフライアとテレネンセスを直線で結んだ距離の四倍になる。その最短経路が何故、こんな荒れ放題になってしまったのか、サムには理解しがたかった。が、
「迷うまでもないか」
一抹の不安をぬぐい去れないけれど、安全をとって遠回りするほどの余裕もない。今朝方、天使の追っ手をこてんぱんとはいかないまでもそれなりにやっつけたから、向こう側で態勢を整えるまでは襲っては来ないだろう。それまではのんきに構えていても平気だろうし、実際、サムも気楽にヘロヘロしているつもりだった。
「――けど、可愛かったな、あの娘。えへへぇ……。ああいうのが追っ手だったら、むしろ、ウェルカムなんだがなぁ――」
いらぬ妄想をしながら、サムは古地図をもそもそとカバンにしまい込んだ。
そして、再び、トテトテと歩き出す。
歩きながらのんびりと観察してみれば、リテール地方の一般的な植生で特に珍しい森ではなさそうだ。魔物が棲んでいるのでもなさそうだし、いたずら好きの小妖精がたくさん棲み着いているのでもなさそうだ。至って普通で、普通すぎるくらい普通だった。
「いや、待てよ――」
サムははたと気がついた。
「ふん――。何だろうな。この奇妙な緊張感は……?」
背中がぞわぞわするようないや~な空気とただならぬ緊張感が漂っている。
ちゃっきーとともに踏み込んだときは気がつかなかったが、いや、森に入った直後にはそうではなかったはずなのだが、今感じられるこの森は空気は異常なほどにピリピリと張り詰めている。普通は、余程の悪意を持ったものが現れない限り、もっと柔らかな雰囲気が支配的になるはずだが、そうではない。ならば、サム自身が極悪人であるか、ちゃっきーが目に余る変態なのか、なのだが、この空気はサムやちゃっきーの個々人を嫌っていると言うよりは森に侵入してくるもの全てを警戒し、拒んでいるかのようだった。
「気がつかなかったのは迂闊だったなぁ」
サムは左手で後頭部をポリポリと掻いた。
「――はぁ……。こんな奥に入り込むまで、気づかねぇとはやらかしたな」
それがまたどうして入り込んでしまったかのと言えば――。考えるのもばかばかしいくらいに黄色くてちびっこい生き物のせいだ。
「ちゃっきーめ。あいつ、いったいどこまで計算してんだ?」
それでも、サムは歩みを止めない。ここまで来たら、最後まで。毒を食らわば皿までなのだ。遠慮することなく皿まで食って、荒廃する街道を蘇らせるのも一興だ。
サムが一歩進むごとにざわざわと、森の梢が大きく揺らいだ。暖かくはない非情な冷たいざわめき。何者かの波動を受けて、森への侵入者を拒んでいるかのようだった。
「朝の天使……ではないか……。何者だろうな?」
詳細不明でも、注意するに越したことはない。
「お。ついにお出ましかにゃ~?」
ぽひゅんと間抜けな音を立ててちゃっきーが現れた。
「何だ、何がお出ましだ? と言うより、何だ、お前がお出ましか、脅かすな」
「およよ? 俺のこたあどうでもいいだろ? どこへだって、どこからだって、現れたるで。ひっひっひ~、不帰に谷底にいようともドラゴンズティースの渓谷にいようとも、おいらは馳せ参じてみせようぞ。と、思うのですけど、今回の件は知りません」
えっへん。ちゃっきーは偉そうに腕組みをしてみせる。
「え?」
「え? おいらは何もしてません! けどなぁ、女たらしのてめぇがわからねぇとはどういうことだぁ? ふっふ~。おいらはてっきりはっきり知ってるもんだと思ってたぜぇ~」
「何をだ、何を!」興奮気味にサムは声を荒らげる。
「うん? この森には棲んでおるのだよ。っていやぁ、わかるよなぁ」ちゃっきーは得意満面にサムの顔をじーっと見つめる。「しゃーないなぁ。ではでは、最大のヒントをチミに与えようぞ。はてさて、ここに来るまで、猫目石をいくつ見つけたかにゃぁ?」
「猫目石?」
「そー、猫目石。なかっただろ? ちっこいのもおっきいのも。まー。探そうとも思ってないから、見つからないってのもあるけどなぁあ? そんでもこお~んなに豊かな森ならば、てめぇみたいな大魔法使いが猫目石の存在を感じられないわけがないんだな、これが」
一理ある。サムは思った。自然と湧き出る魔力がとても強い場所には、魔力が蓄えられ結晶化する小さな猫目石がいくつも自然生成するものなのだ。もちろん、湧き出る魔力には地域差があるから、果てしなくどこまで行っても石と言うより粒みたいなものしか見つからない場合も多々あるが、こんな大きな森に猫目石が一つもないとはあり得ない。
と言うことはつまり、
「精霊核があるってことか」
「イエスっ!」ウインク。「しかぁもぉ、この森にはいるのだよ。そして、この言葉は本日二度目になりまする。てめぇはいつからこんなにぶちんになったんだぁ? 十、数える間に答えられなければ、罵倒の限りを尽くしてやるぜぇ!」
もはや、無駄にノリノリである。
「『女たらしのてめぇがわからねぇとはどういうことだぁ?』ってことで、あれか、この森には女の姿をした精霊が棲んでいると――」
「イエッサー!」びしっと敬礼など決めて見せた。
「お前、また、知ってて教えなかったなっ」
「え~。だって、聞かれなかったんだもの。答える義理はないなぁ。っていうかぁ~、てめぇの持ってる古地図に書いてあるがなあ、今のこと」
「あ?」
ちゃっきーに言われて、サムは古地図を広げ直した。
初見の通りにフライアの南、テレネンセスの北、キャロッティの西にはエルフの森が横たわっている。穴の開くほど見つめたわけではないが、特別、変わったところも見当たらないと思うのだ。古いってことを差し引けば、今の地図と何も変わらないとさえ思える。
「その顔は手がかりなんかかけらも見つからなかったってぇ顔だなぁ」
やれやれと言わんばかりにちゃっきーはため息を交えながら首を振る。
「そんなんだから、今の有様ってワケなんだなぁ。天下無敵のサムっちもすっかりなまっちまって、何という体たらく。そんなんじゃあ、この森を生きては出られないぜ」
「あのなぁ、森をベースにするような精霊はそんなに気性は荒くないだろ? せーぜー、落ち葉がばさーっとか、毛虫がうじゃーとかそんな程度だろ?」
「おー。見くびってますねー」
「何とでも言え。俺さまは森を通り抜けられれば何でもいいんだよっ」
ドスドスと壊れかけた石畳を踏みならしながらサムは歩く。
と、ものすごい寒気を背中で感じた。これはヤバい。もはや、何がヤバいかわからないくらいにヤバい。一歩でも動きを間違えたら、立ったまま死んでそうだ。幾多の戦場を駆け抜けたサムもこんな研ぎ澄まされた負の感情、もしくは殺意には滅多に出会わない。
「いひひっひ~、これぁ、サムっち始まって以来の大ピンチかにゃぁ?」
「いや、まだ、いけると思うぜ、俺は。――か、かわいいせーれーさん?」
おっかなびっくり気味に呼んでみた。
「反応、ナッシングだねぇ。出会う前にすでにお別れ。早い、早すぎる。さすが、旦那しゃまは最新鋭。出会う前に別れられるなんてなんて素晴らしい。恋愛の省力化やねぇ」
ちゃっきーがやいのやいのとはやし立てていると、
ズドドドドドドドドオドドッドド。
左右の森から吹き抜ける風に乗って、ナニカ鋭利な物が、おびただしい数の植物の棘のような物体が飛んできて、サムの足下に幾重にも突き刺さった。
「――」
「お~う。一つもかすりもしなかったぜ。旦那さまに負けず、向こうも甘ちゃんだねぇ」
「待て待て待て待て。朝の天使よりも物騒だぞ。何だ、あれ?」
「うん? だぁかぁらぁ、言っただろ。エルフの森の精霊たまだって♡ 精霊学的に分類するってぇとドライアードたまになるんだろうねぇ」
「分類なんかどうだっていいんだよっ!」
「え~、でも~、分類って大事だよ~」
そんなことはちゃっきーには言われたくない。そもそも、言われなくてもわかっている。何でもできる一部の大精霊さまを除いては得意の魔法がその地域の属性によってほぼほぼ限られる。例えば、森の守護者、ドライアードであるならば、水、空気、土壌などのうち植物の生育に絡む属性の魔法が得意であると言ったように。
「しかし、参ったな……。この森を通り抜けられないとテレネンセスまで行けねぇ」
「おぅ、ウソは言っちゃいけねぇなぁ。ドライアードたまが怖いんだったら、降参して回れ右っ! 遠回りしてやりゃぁいいだろう? それがお互いの平和のためって言うもんだ。とーくーにー、てめぇに森の精霊核の生み出したはかなく、うつくしードライアードたまと対面する勇気がねーなら尚のことだにゃー」
声高らかにちゃっきーは言う。
「うるせーよ。しっぽ巻いて逃げるくらいなら、伸してやるよ。ただ、それならば、ここのドライアードがどれだけの魔力を隠してるかわからねーとな?」
「オーイエスっ! それは精霊核の大きさで測ればよいのだ」
「たわけ。猫目石ならまだしも精霊核がすぐに見つけられるわけねーだろ!」
「あー、それもそーね」他人事のようにちゃっきーは言う。「だったら、ネクストヒーント! この森の広さから、生成されただろう猫目石の数と一個あたりの大きさ、並びに秘められたそうな魔力の量を算定してみようか。ほら! 簡単な算数になった!」
えっへん。
「無茶、言うんじゃねぇ!」
サムはちゃっきーを捕まえるとぎゅうと力一杯締め上げた。
ちゃっきーの言うとおりにするのならばちょっとした魔法科学だ。定量の難しい魔力というものを定量化の優しい相関関係にある他のものから魔法科学により定義された公式に当てはめて計算する。多少の誤差はあるものの何とか許容範囲にはあるようだ。
「え~、でも、何もしないで魔力を測るなんてできないも~ん。それにねー」
「魔力を知ったところで意味ねーって言いたいんだろ? くそ野郎が」
「ほっほ~。くそ野郎はてめぇだぜぇ。秘めた魔力と実際に発動される魔法との間に相関関係はあるけれど、因果関係なんてないんだぜ。そこには第三の要素が必要なのでぇい!」
「あ~、それが俺だって言いたいわけね。ふん……」
サムはちゃっきーを握りしめたままズンズンと進む。
「ま、正確に言うのなら、俺とお前だろうな」
「それはねーなー。こんなかわいいボクを毛嫌いするような女の子なんているワケないもん。嫌われるんならてめぇ一人で十分だ。それにくそ野郎だってんのはそういうことじゃねえんだな。まー、今にわかるぜ。てめぇの馬鹿さ加減がなぁ」
もはや、ちゃっきーのおしゃべりにはつきあってはいられない。サムは立ち止まると遥か前方に向かってちゃっきーを全力で投げつけた。
すると。
「これ以上、森の奥に入らないでください」
鈴の音のような澄んだかわいらしい声が森の中にそっと聞こえた。
しかし、その声色の奥には我慢の限界を超えた怒りのような感情が見え隠れしていた。
「オー。きゅーとなボイス。おれっち、惚れちまうねぇ。もう、離さないっ!」
「どこにいるんだ?」
「てめぇがキクかなぁ?」ちゃっきーは憂える。「天下無敵の女たらしが女の子の居場所がわからねぇなんて世も末だね」両手を広げてひらひらとしてみせる。
「ああ、世も末だね。どっちかというと、女の子を探せないと言うより、お前と出会ったことの方が世も末だよ。お前と会わなきゃ少なくともこーはならなかっただろうさ」
「それはどうかな? いひっ」
ちゃっきーはおどけて見せた。
「へいへい、彼女~? すっがったを見ぃ~せて、おいらとお友達になろうぜぇ!」
「あなたたちとはお友達にはなれません。今すぐに、来た道を戻ってください――」
「おう。つれないお返事ねぇ。しかぁし、そんなことでおいらはあきらめたりはしないのだ。ということでー、トライアゲイン! お友達がだめなら恋人になりましょー」
もはや、何でもいいらしい。サムは思わず頭をかかえたが、気を取り直して、ちゃっきーの言う森の精霊・ドライアードたまと無事にファーストコンタクトを終わらせたい。
「俺たちの来た方向に道なんかなかったな。この――ぼろっかすなのを道だって言い張るのなら話は別だけどね。と、減らず口は余計だな。俺はこの森を抜けたテレネンセスに行きたいんだ。近い道がわかっているのに遠回りはいやなんでね」
できる限りさわやか、優しい声色で言ってみる。
「それでも、この森を通ることは許しません」
向こうは相当の堅物そうだ。森のヌシがこの調子なら、森を抜けたこの街道が打ち捨てられて荒れ果てているのもうなずける。しかし、サムはここで引き下がるワケにはいかない。メンツよりも時短が先で、さっさとテレネンセスまで行ってしまいたいのだ。
それ故、はてさてどうしたものかと思案を重ねる。
「実力行使あるのみ! なのでぇい」
「戻りなさいっ!」
語気が強くなった。
「ちゃっきー、これ以上、刺激するのはやめろ。でないと――」
と発言しながら、サムの目は声の主を捜していた。うっそうと茂る木々の陰や、草むらの奥。声の様子から推し量るに、サムとちゃっきーが見える場所にいるのは間違いない。と、すれば、よぉーく捜せば、こっちからも見つけられるはずなのだ。
「でないとぉ~?」ちゃっきーはにんまりと笑った。「せーれーさまを一目みるまでは帰りませんノことよ。あきらめの悪さは天下一品。一度、狙い定めた獲物はなぁ、この俺さまの右腕に必ずだかれるのだぁ!」
得意満面のちゃっきーに対し、サムはすっかり冷めていた。のんきに構えていたら、朝方の天使の再びの襲撃を受ける前にこの森から出られなくなりそうだ。うっそうと茂る森が最期の光景なんてたまったものではない。が、もしかすると、リテール協会はこの森には手出しできないんじゃないだろうかと思い始めた。とすると、その辺の木陰に隠れていそうな精霊と運良く仲良くなれたなら……。
「うへへへっへぇ――」
「おっと出ましたぁ。天性の女たらしスキル発動! これが出たら、怖い物なし。怖い物が出てきても、そんなの関係ねーの超絶オーバーライドモード! はてさて、サムっち、どうなる、どうする。ってか、お口からよだれがダダ漏れだぜ。いやぁ~ん、えっちぃ。さあ、この善良なおいらがこの野獣を止めている間に視界の点と消え失せるのだ。さもねぇと、せーれーたま、てーそーの保証はいたしませんぜ、へっへっへ~?」
「ちゃっきーは黙れ。さあ、そこにいるのはわかっているんだ、いい加減出てこいよ」
ざわざわ……。森に明らかな動揺が走った。
「ほっほ~。観念するんだぜぇ。けど、まあ」ジト目でちゃっきーはサムを見やる。「それでも絶対、せーれーたまの方がお強いんですけどね。でもでも、全てにおいて、現実を超越する旦那しゃまのことですから、ナニカステキな策でもあるのでしょう!」
「いや、ねーな」即答。
「おりょりょ? これは結局やっぱりせーれーたまのターンかしら?」
と言う、二人の矢継ぎ早トークに姿を現すタイミングも何もない。しかも、実力行使の警告を出したのにも関わらず、全くもって、動じる気配すら見せない。たいていの人間ならば最初の最初で逃げ出すはずなのに、こいつらときたら姿を現せと要求し出す始末だ。
「いつまでもくだを巻いてないでさっさとわたしの前から消えてください」
「ほら来た、きゅーとなボイス。せーれーたまの心は今、激しく、揺さぶられているぜ。サムっち、もうちょいがんばれば、純真無垢なせーれーたまがサムのもの。と言うか、もはや、サムのものかしら? ひっひー、だって、そーよねー? 我らを追い出したければ、問答無用にどかんとやってしまえば、きれいさっぱり森のおがくずよ。それがそーでないってことはぁ、会わないうちからお気に召されたよーで!」
ちゃっきーの甲高い声が森中にキンキンと響き渡る。
「はぁ――。俺たちが逃げなくて困ってるだけじゃないのか?」
「ノンノン、サムっち。乙女心がわかってないのじゃ。いやよいやよも好きのうち。ともあれ、ここまで来たら、攻めの一手。仮に世界の終わりが来ようとも引くことは許されねぇ。さあ、サムっちもレッツトライっ!」
「何を『レッツトライ』なんだか……」後頭部をボリボリ。
「ふぅ。サムが行かねぇなら、おいらが行くぜ」
宣言すると同時に、ちゃっきーはさらに奥へと突き進む。
漢らしいとはまさにこのこと。とも思わなくはないが、あきれ果ててものも言えないどころか、付き合いきれない。しかし、事と次第によっては森のヌシをおびき出せるかもしれなし、もし、顔を見られたのなら、それは最大級のチャンスだろう。
ちゃっきーはトテトテトテトテとしばらく歩き――、
「お」
小さな声を出して、立ち止まった。
空気の流れが止まったかのようにあたりが急に静まりかえる。梢のざわめきも、下草のさざめきも消え失せた。まるで、何ものかが恐怖に息をのんでいるかのように。
「――お嬢さん、少しだけでいいから、姿を見せておくれ」
沈黙。そして、森はしんとしたさらに深い静寂に包み込まれた。まるで、森に生きるものたちが全て死に絶えてしまったかのような深い深い不穏な静けさを感じずにはいられない。それでも、ちゃっきーは臆することなく言葉を発する。
「出てきてくんないなら、こっちから行くもんねー。ていっ」
ちゃっきーは低木の茂みに飛び込んだ。がさがさ、ごそごそ。
死んだような森がちゃっきーの乱入に息を吹き返す。勝手気ままに茂みの中を動き回られてはたまらないとばかりに、森には身をよじるようなもどかしげな空気にあふれかえった。
「さぁて、発見っ! ステキなステキな森のせーれーたま! おいらと遊ぼーぜぇ!」
「きゃーっ! きゃーっ!」
ちゃっきーの変態パワーには流石の精霊さまもかなわないらしい。大きな悲鳴とともに、腰までの長い髪、先のとがった長い耳、そして、さびしげだけどどこかにほのかな暖かみをたたえた瞳の女性が茂みから飛び出してきた。
「来ないで、近寄らないでくださいっ」
キッとちゃっきーをにらみつける。けれど、ちゃっきーは全く動じない、それどころか、さらに勢いづいて、猛アタックを開始する。
「はろー。きゅーとなお嬢さん。ぎゅって抱きしめちゃいたい」
「あなたに抱きしめられたくなんかありませんっ」
拒絶、百パーセントの声が森中に響き渡るとちゃっきーを包み込む空気が変わった。
「あー。かわいいなぁ、えへへへぇ――」
と言う、のんきなサムの感想をよそにあたりの空気はたくさんの静電気を含んだようにピリピリチクチクとお肌を刺激してくるにようになってきた。
「そんな冷たいこと、言わないで♡ おいらとぉ、暖め合いましょー?」
「汚らわしい。近寄らないでと何度、言えばわかるのですか」
「ひっひ~。おいらにできにゃいことはない。チミと恋仲になるまではおいらは決してあきらめにゃいのだ。そう、拒絶こそ、愛の証。いやよ、いやよも好きのうちぃ」
助走をつけて、ちゃっきーは森の精霊に飛びつこうとした。
「うひひひぃ。覚悟! きゅーとでステキなおいらのせーれーたま」
「えいっ!」
ボンッ。静電気の塊のような電撃がちゃっきーを襲う。
「ボク、めげないもん。こんな程度でやっつけたと思わないでいただきたい。おいらはまだやれる。こんなくらいのお遊びじゃ、おいらを止めることは不可能なのだいっ!」
地面にたたき落とされたちゃっきーが再び、立ち上がった。
「いやー、えいっ、えいっ!」
精霊さまがかけ声をかける度に、ボン、ボンといい音がする。電撃で何とか動きを封じたいのだけど、思いの外にちゃっきーは打たれ強いようだ。その間、すっかりサムは蚊帳の外だが、ちゃっきーを助ける気にもならずに眺めていた。
「きゅ~~ぅ……」
ようやくちゃっきーがダウンした頃には精霊さまはすっかり肩で息をしていた。
「あなたも!」一息ついた。「こうなりたくなかったら、帰りなさい!」
「だからよ、何度言ったわかってもらえるんだろうね。俺は森の向こうに行きたいだけなんだよ。なにも、てめぇの……、え~と、生活を脅かしたいわけじゃないんだ」
けれど、森の精霊さまの表情は険しいままだった。
「人間はみんなそう言います。けれど――。けれど、約束は守られないっ」吐き捨てるように精霊は言う。「ならば、わたしは人間を拒むしかありません。これが最後です。あれみたいになりたくなければ、今すぐこの森から去りなさい」
とりつく島もなく拒絶の意思を表示する。
「しかぁし、おいらは未だ去らず。あきらめないこと、負けないこと、命に代えても不肖、このちゃっきーはせーれーたまを我が物にするのでぇいっ」
焦げクチャの状態から見事に復活。ちゃっきーは軽やかにいかれた石畳を走り、適度にスピードにのったところで精霊さまをめがけて、大ジャンプ。
そして――。
「きゃぁーっ、きゃー。何なのよ、これは」声を裏返しての大絶叫。
「はぁ~い、やっと、会えたね。ひっひ~、裏返った声もかわいいよ、ハニー」
「……」
長い沈黙。森の精霊さまはまるで汚物を見るかのような眼差しでちゃっきーを凝視していた。あり得ない。電撃をあれだけ浴びせて焦げクチャだったのに大復活。さらには自分自身に抱きついたときたもんだ。もはや、余裕のかけらもない。
ここで、この連中を排除しなければ、森の平和が乱される。
精霊さまの思考はただその一点に集約された。実力行使で脅かしてもだめ。言葉でさとそうとしてもだめ。ならば、選ぶべき手段はただ一つ。抹殺あるのみ。
ひゅうぅぅうぅぅうう~。
生暖かいゆるゆるとした風がちゃっきーとサムの元に届いた。
そして。ひゅん、ひゅん、ひゅんっ!
軽快だが、不気味な風音がサムの耳元をかすめると、衣服の数カ所がちぎれ飛んだ。
「これは、やっぱ、手加減が出来てるうちに逃げろってことなのかな?」
精霊さまの瞳はさっきまで見えていたちょっぴりの余裕の色がキレイになくなっていた。まだ、少しくらいは加減は出来るが、次はない。と言うのを如実に示していた。
「狙いを外した真空刃くらいでおいらのサムっちをあきらめさせることは不可能でぇい」
「そうですか」
完全に冷めた声色と眼差しが突き刺さる。
今のはヤバい。ちゃっきーの安易な言葉がとどめを刺した。
森の精霊さまは大きく深呼吸した後、何ごとかを口の中でつぶやいていた。よぉーく耳を澄ませて聞こえる範囲で聞いてみると魔法の呪文のようだ。その詠唱が進むにつれて、森の上空にひどく不穏な空気が立ちこめ始めた。
「天候系の魔法か?」サムは歯がみをした。
天候を操るような魔法は一般に広域魔法と呼ばれ、影響範囲から離れるのがとても困難だ。そもそも、相当な魔力とスキルが必要なだけに完璧に操れるものは皆無に等しいが、森の精霊核が生み出した精霊さまに不完全を求めるのはナンセンスだろう。
「――嵐を巻き起こすつもりなのか、それともぉ……」
サムは空を仰ぎ見た。
どこからともなくもくもくと集まってきた雨雲のような雲の中にはゴロゴロと不安な音を織り交ぜつつ、電撃が走るのがちらほらと見える。嵐や雨ではなく、落雷を持ってきたいのかもしれない。となれば、雨風で濡れ鼠になるだけでは用事が済まない。
「覚悟は――、決まりましたか?」
覚悟なんて決まるわけがないとサムが言おうとしたら、ちゃっきーが割り込んだ。
「ほう。お強いとは思ってたけど、天候まで操れるたぁ思わなかったぜ。ふっふ~、ってことは、チミはおいらの会ったことのあるそんじょそこらのせーれーたまよりも格上なのね。あ、もちろん、我が心の師、アルシオーネたんは除く」
「アルシオーネたん?」思わず問い返した。
「そー、アルシオーネたん。ヤツにかかれば、この森なんてあっという間に木炭の山。生活費に困ってんなら、森を焼き尽くし、その炭を売って生計を立てればよいのだ。おほほほ、不帰の谷まで赴いて取り次いであげてもいいのよ?」
と、ちゃっきーがしゃべりまくり、まくし立てる間にももくもくと雷雲らしき物体が成長していく。もしかしたら、ちゃっきーが余計なことを言う度に巨大化するのかもしれない。
「ヤバい。これはない。あれからあふれ出るナニカを喰らったら、何もかも終わりそうだ」
サムはじりじりと逃げの姿勢をとった。朝の天使の炎の矢、棘の嵐、ついさっきの電撃に、真空刃の数百倍はヤバそうだ。あれをまともに受けたら、ただでは済まなさそうだ。と言うよりも、ただで済ますつもりはないのだろう。
「へ~い、ケツまくって逃げるのかぁ~い。一度は上り詰めたヤツがざまぁねぇなぁ!」
「お前に言われたくはねぇな。落ちるときはどん底まで落ちるもんさ。これがどん底だって願いたいもんだがね。果てしなく転落していくかもしれねぇな。って、どうして、お前はこんな状態でおしゃべりなんて出来るんだよっ。逃げるぞ」
サムはこげたちゃっきーをつかむと走り出した。まずはあれを避けないことには始まらない。半自然現象の雷撃系の魔法を避けるのはとても難しいのだ。どんなにマスターから離れようともターゲットが明確である以上、周りに多少の背の高い物体があったとしても、ほぼ百パーセントの確率でそこに落ちる。
と、ふと思いついて、サムは自分からやや離れたところにちゃっきーを投げた。運がよければ、一つだったターゲットが二つに分裂することで、目標捕捉を見誤ってくれるかもしれない。サムとちゃっきーのどっちに来るかは完全に賭の領域だ。おそらく、森の精霊さまの嫌悪感の蓄積の度合いによって、どちらかに決定されるはずだ。
「ぎゃー、何をする、旦那しゃま!」
ズドン! 強烈な電撃、閃光、地面を揺るがしながらちゃっきーに落ちた。
「よしっ! 一撃目、回避」
しかし、森の精霊さまも簡単に事が済むとは考えてはいなかったようで、間髪入れずの二撃目がきそうだ。しかも、さっきの一撃よりも今度の方が威力が大きそうな気配を感じさせる。明らかに、精霊さまは持ちうる限りの魔力を使って森中の電気という電気をかき集めているような様相だ。それが雷撃として具現化したら、間違いなく消し炭になる。
しかし、消し炭になるのはまっぴらごめんだ。
何としてでも、こののっぴきなららない状況を打破して森を抜けたい。
「へいっ、このくそ野郎がっ。この俺さまが逃がしはしねぇぜ、覚悟を決めろっ!」
ぬっとちゃっきーが現れた。
「お前! そんなんでも、まだ、動けるのかっ!」
「動ける、動けねぇのって、おいらが止まるのは生命力が尽きたときだけだぜぇ。まだ、行ける。死ぬときゃ一緒だ、このくそ野郎め。一人、抜け駆けは許さねぇ」
「こんなとこで、手負いになってる場合じゃねぇんだよっ!」
ひゅるん。と足首にナニカつるのようなものが伸びて絡みついた。
「何だ? お? 放せ、放せよっ」
「放しません。あなたたちをここから先に行かせるワケにはいかないのです」
何故だ? 一瞬、そんなことを思った。森の精霊さまは人間が大嫌いなのだとしても、リスクを冒してまで人間をたたきつぶそうとする理由がわからない。森を通り抜けたい鋼鉄の意志の人間が森の奥まではまり込んでしまったのならば、さっさと出口へと追い出してしまった方が森自体に対する被害は最小限で済むはずだ。
それが出来ないのは精霊の命たる精霊核がこの近くにあるのか、それとも――。
「うひひひっひ~。精霊核はこのボロカス道の近くにはねぇなぁ」
サムの思考を読んだかのようにちゃっきーは発言した。
「どうしてわかる? いくら変態的なお前でも、この短時間で見つけるのは無理だろ」
「うんにゃ、見つけてねーよ? 不帰の谷のアルシオーネたんくらいの魔力になるとすぐ見つけられちゃうんだけどねねー。この娘、意外に巧妙に隠してると思うわー」
「だから、アルシオーネたんって誰だよ? じゃなくて、精霊核はどこに――、でもなくて、ヤツがここまで俺たちを拒む理由はいったい何だってんだ? 精霊核も猫目石も、森から採れる果物も何もかも興味ないんだぞ」
「でも、せーれーたまには興味あるよね?」
「え? いや、そりゃ、興味ねーと言ったら大ウソだろ?」
「つまり、そーいうことさ、旦那しゃま」
「どー言うことだ」
「にひひひひぃ~」
「てめぇ……、またナニカ隠してるな」
「まあ、それもそのうちわかるでさぁ、旦那しゃま。でも、そー、鈍感なチミにヒントを与えるのならば、森にいる精霊は何もお一人さまとは限らないんだぜ?」
ちゃっきーはニマっととてもいやらしい笑みを浮かべた。
「何だって?」
「ひっひ~。教えたげない! ってか、てめぇにそんなのんきな余裕はありますまい。ほら、来るよ、来ちゃうよぉ。せーれーたま、怒りの大パンチ。サムっちを地獄の釜に放り込むまで、あきらめねぇって顔してるぜ。何なら、おいらがぁ、むぎゅ」
サムはちゃっきーを絞り上げた。
「どっちかというと、お前のせいだろ。お前を生け贄に捧げたら、怒りを収めてもらえないものかなぁっ! ――。ま、無理だろうな。むしろ、ブーストがかかりそうだ」
「ならば、いっそのこと全力で潰してもらおうぜ。二度と、立ち上がれないほどになぁ!」
どこまで本気で、どこまでウソか、全く予想もつかないのがちゃっきーの言動だ。そもそも、ただただひたすらしゃべれればいいだけで、元々、意味なんかないのかもしれない。しかし、それでも、ムカつくものはムカつくのだからしようがない。
「おま、いい加減にしろよ」
「い・い・え! いい加減にするのはてめぇだぜ、サムっち。エスメラルダを代表するヒーローさまが逃げるなんてあり得ねぇぜ。立ち向かえ、嵐のような向かい風にさえ立ち向かい、そして、そして、勝利をつかむのじゃあ!」
「そんなこといってもな、俺の愛する国はなくなっちまったよ」
「おろ? 弱音を吐くたぁ珍しい。しかぁし、愛する国がなくなってもてめぇは続くのじゃ。ここでケツまくって逃走するだけじゃあ、希代のヒーローとまで言われたサムっちの名が泣くぜぇ。ふっふ~~。エスメラルダのぉ、ヒーローたぁてめぇのことだ、サムっちよぉ。そして、そして、このエルフの森にも伝説を作ってやろうぜ」
褒めてるのか、けなしてるのかはなはだ不明だが、ちゃっきーの言葉には一理あった。
「へっ。お前には言われたくねぇぜ」
と、くだらないやりとりをしていると、空がひらめいた。雷撃に違いない。
サムはブロードソードを抜いて、避雷針代わりにな出来るだけ遠くの地面に突き刺した。そして、身を低く、受け身をとりつつできる限りブロードソードから距離をとった。まともに雷撃を喰らうよりは少しはましだろう。しかし、遠くといっても天候魔法、雷撃の攻撃範囲を考えたら、ごくごく至近距離に過ぎない。
ドン。落ちた。
やはり、激しい衝撃波がサムのところまで届いたものの予想していたよりもかなち小ぶりな攻撃だったような気がする。が、とりあえず、無傷で済んだ。
「ふう」サムは額をぬぐう。「流石に三連発は無理だろう」
と、思ったら、二撃目は威力弱めのダミーのようで、第三撃が襲ってきた。
「うそぉ~~! 冗談はよしてくれよ」
「うひひひぃ。やったね、サムちゃん♡ 精霊たまの怒りはホンモノだったね。これでチミもせーれーたまの忘れられない男の栄えあるナンバーワン。それどころか、殿堂入り間違いなしだぜ。ひっひ~。めーよなことだぜ、旦那しゃまっ」
「名誉なんかいらねぇよ。逃げるぜ」
「逃がさないもんねー。おいらが受けた苦しみを、てめぇにも味わって欲しいのぉ」
「俺はそんなもん味わいたくねぇんだよ。放せ」
サムは足首にしがみついた小さなちゃっきーを振り払おうと躍起になった。が、強力な腕力で食らいついているようで、吹っ飛ばせそうな気配はまるでない。しかも、重い。そんなにも大きくないはずなのに何故か、重い。
「おま、こんなに重かったかぁ?」
「うんにゃ。重くもなるし、軽くもなるにょ。おいらは可変加重システムを搭載しておるのだ。重量なんざ、自由自在。もっともぉっと、重くなってやるぜぇ! 非力なてめぇなんか、ここからぴくりとも動かさねえ。往生際が悪いぜ、覚悟を決めろっ!」
その瞬間、天空から閃光がひらめいた。
「さあ! 喰らえ、クリティカルヒットぉ!」
ズドォォオオォォォン――。
大音響とともに、雷撃がサムとちゃっきーに直撃する。
ボロボロの石畳は削り飛ばされ、無残な大穴ができあがり、ぷすぷすと煙を上げる。雷撃を受けたサムとちゃっきーはと言えば、髪の毛ちりちり、衣服は焦げクチャのぼろっかす、あまりのあまりさ加減に心はへし折れたが、とりあえず、死なずに済んだようだ。
「――。よく死ななかったなぁ、俺……」
「うひひひひぃ~、てめぇがそう簡単に死ぬとは思えねぇなぁ」
真っ黒けっけになったちゃっきーは声だけ元気にサムに言う。
「あほか、お前。俺だって人間だぞ。死ぬときゃ、死ぬ。てか、むしろ、何で、こんな程度で済んだ? 動けねぇが、べらべらしゃべれるくらいには無事だったぜ」
「ふふっ」ちゃっきーが得意満面になった。「それはなぁ、電気伝導率の高いおいらの体がてめぇに対する避雷針の代わりになったからに他ならねぇ。だぁかぁらぁ、愛してるって、言ってみろ。愛してるって言ってくれたらぁ~」
「誰が言うか、このぼけなすめ」
またも、あほなやりとりをしていると森の精霊さまがオロオロとした様子で近寄ってきた。あらぬ攻撃を仕掛けてしまって、熱気が冷めて我に返ったのか後悔の色も見て取れる。いくら何でもやり過ぎてしまったとでも思ったのだろう。
「あ、あの、大丈夫ですか?」
巨大な雷撃を喰らって大丈夫なわけはない。
しかし、そこは大人の対応力と、天性の女たらしのなせるわざ、“大丈夫なわけない”とは言わないで、もはや、唐突なところから、サムは森の精霊さまのお名前を尋ねていた。相手が男だったら、こうはいかなかっただろう。流石、下心のなせる技。
「おまえ――、名前は? まだ、教えてもらっていないから」
「なまえ……?」
不意の問いかけに精霊さまはキョトンとした様子でサムを見つめた。
「そう、名前」サムは繰り返す。
「名前――。ヒトに名前を尋ねるのなら、先に名乗るものだと聞き及んでいますが」
「ああっ、俺としたことがすまねぇな。俺はエス……、いや、サムって呼んでくれ」
「いっひっひ~。言いかけで、やめるなんて男らしくねぇなあ、サムっち。ここははっきりくっきり宣言してやろうぜ。てめぇはヒーローさまなんだとなぁ。そう、せーれーたま、この方は何をおわそう、エスメラルダ王国の守護者にして女たらし、もとい」
大きく息を吸って。
「イクシ――、むぎゅう!」
「そこは内緒にしておいてくれよ。昔の話だ」しんみりと言う。
「昔ってほど、昔のことじゃ、ねぇだろ? サムっち。せーれーたまは外界のことには疎いかもしれねぇが、きっと、知ってるぜ。なぁ、せーれーたま? 若人たちの憧れの的といやぁ、天下無敵のこの男、天性の女たらし、サムっ!」
途中から、話があらぬ方向にそれていったが、むしろ、その方が好都合だと思ったが。
「女たらしのサム……?」
「いやいやいやいや。そこんとこは忘れていいから、ただの“サム”って呼んでくれ」
「エスメラルダ王国の女たらしのサム……?」
「――」サムは額に手を当てた。「……もう、いい。おまえの好きなように呼んでくれ」
「ほほうっ! 今日のサムはあきらめるのが早いなぁ。それはさておき、さてさて、せーれーたま、そろそろ、チミのお名前を教えてくれないのかにゃあ?」
「――教えたくありません」細い声で精霊さまは言う。
「おおっとぉ、サムっちに名前を教えたら、汚れるってかぁ?」
「俺は汚物じゃねぇぞ。ちゃっきー」サムはちゃっきーをにらむ。それから、精霊さまの方に向き直った。「それにお前の言うとおりに俺は名乗ったんだから、今度はおまえの番だろ? ――まさか、名無しってことはねぇだろーしな?」
森の精霊さまはうつむいて、口をつぐんだ。言いたくない理由があるのか、それとも、
「本当に名前がないのかい?」
サムは再び、問う。
名乗った方がいいのだろうか。それとも、黙ったまま、この二人を森から追い出した方がいいのだろうか。一度は追い出すのに失敗したけど、油断している今なら、楽に追い出せるかもしれない。そして、こっぴどくやっつければこの森に近づこうとは思わないだろう。
「へぇ~い、か・の・じょ! 名乗るなら、お早く頼みますぜ!」
はっと我に返り、精霊さまはようやく重たい口を開いた。
「――ジーゼ。……わたしのことはジーゼと呼んでください――」
「ジーゼ……。ジーゼか。……リテール古語で“穏やかな情熱”だったかな――」
少し考え込んでから、サムは言った。
「博識なんですね」
ジーゼは少しだけ明るい表情になって、そっと答える。
そー言えば、外のヒトとお話をしたのはいったい、どのくらいぶりだろう。
「はん。そーでもねーよ。たまたまさ。たまたま……ね。そー。あいつが勉強の虫でね、よく調べていたのさ。リテールの文化とか、言葉や歴史をね。だから――、知ってる……」
サムはちょっぴり遠い眼差しで空を仰ぐ。
「で、その名前は誰に、いつ頃もらったんだ?」
問うのと同時に曇ったジーゼの顔色はそれが聞いてはいけないキーワードだと言うことを明確に指し示していた。そして、長い沈黙。
「――そんなことまであなたに話さなければいけないのですか?」
そう拒絶したジーゼの瞳にはさびしさの色が揺らいでいた。
「ヘイっ! 答えたくなければ、答えなくたっていいんだぜ! しかぁし、この不肖・ちゃっきーの手にかかれば、しゃべりたくなくてもいずれしゃべるのさ。うふふふう♡ おいらと出会ってしまったのが運の尽き。もはや、時間の問題なのね」
「お前は少し空気ってものを読めねぇのかな?」
「うん? 空気? 空気って何じゃラホイ? 空気なんてものはなぁ、呼吸は出来ても、読むこたぁ出来ねぇんだな、これが。んでもって、ステキなお名前はどこのどいつにつけてもらったんだぁ? ふふっふ~。ん~、そーさなー。ここは森の奥地で、ジーゼたまは大の人間嫌いときたもんだ。害のなさそうなおとなしい盆栽好きのじーさんにでもあれかね?」
もはや、めちゃくちゃな方向に飛躍している。
「お前は一人で何の妄想をしてるんだよっ」
ぽかっ。サムはちゃっきーの頭を軽く小突いた。
「む~? しゃべらなければ、しゃべり易いようにお膳立てしてやるのが真の漢というものだぜ、サムっち。うるわしのジーゼたまがその心を開くまで~、おいらはやめねーもんね」
「あ~」
あきらめにも似たため息がサムの口から漏れた。これはもう止められない。視界の彼方にぶん投げようとも、くっちゃり潰してやろうとも、あっという間に復活を遂げて、ゆるゆるゆるやかな追求を続けるだろう。
「ジーゼさん」
サムはすがりつくような眼差しをジーゼに向けた。
「そ、そんな目で見たって話しませんっ」
ジーゼは少し困惑した様子でサムから視線をそらした。そもそも、何故、そんなに自分の名前の由来を知りたいのだろう。名前がわかったのなら、この森を通りたいだけなのならば、何もジーゼの命名の秘密まで知ることはないだろうと思うのだ。
「……、どうして、そんなに知りたいんですか?」ジーゼは問う。
「――さぁね。と、言いたいところだが、気になるのさ。この森のかわいいヌシさまがいつ、どうやって“穏やかな情熱”なんて、ステキな名前をもらったのかがね。――それに、そんな気の利いた言葉をリテール古語から探し出したヤツにも少々興味があってねぇ」
サムは照れ隠しのようにほほえむ。
「へぇ~。サムっちがそんなことを考えていたなんて、知らなかったぜぇ? どっちかというとあれだね、てめぇは煩悩に生きるタイプだからなぁ。ジーゼたまからあることないこと聞きまくって、あわよくば、とぉっても仲良くなって、えへへへへぇ、かなぁ~と?」
「何が『えへへへへぇ』だよ。変態か、俺は」
「変態だろ? てめぇは」
何を今更、と言わんばかりにちゃっきーは言う。
「ジーゼたん。心を開いて、油断したら、こいつにいいようにされちまうぜ。って、その前に、おいらがお相手してあげる♡ さあ、おいらの胸に飛び込んでおいで」
ちゃっきーは両腕を広げてジーゼが飛び込んでくるのを待った。
「なぁ、ジーゼに飛びつかれたらお前、つぶれるだろうよ」
サムはしゃがみ込むと、ちゃっきーにデコピンを喰らわせた。どて。
「きぃー。何すんじゃい! いくら、おいらとサムっちの仲でも許さねー」
「あ~はいはい」適当にあしらって、サムは再び、ジーゼの方に向き直った。「でさ。ホントのところはどうなんだい? ジーゼって名前は――」
「だぁかぁらぁ、決まってるだろ、盆栽好きのじじいにもらったに違いねぇ。じゃなけりゃあ、どこかのエロ坊主。でなければ、図書館のヌシ。そうでもなけりゃあ、ジーゼたんより遥かに長生きした精霊たまとか?」
「ちゃっきーの意見は聞いてない。ま、そこまで言いたくないなら、別にもういいよ。その代わり、この森を黙って通してくれないかな。それくらいはいいだろ?」
三人の間にどよ~んとした気まずい沈黙が訪れた。
今まで、朗らか朗らかに底抜けっぷりを披露してきたちゃっきーも一息ついてしまい、というよりは瞳をぎらぎらさせて次に飛び込むチャンスをうかがっているようだった。
「あ~。どっちもダメだってんなら、俺はどうしたらいいんだろうね?」
幾分投げやりにサムは言った。
特に許可を求めているわけではない。ホントのところ、ジーゼがどういう回答をしたところで、最終的にサムのすることは一緒なのだ。快く通してくれないのなら、ジーゼを力尽くで押しのけて、森を突っ切っていくことのみ。
それを実行するとサム自身の払う代償もそれなりの物になりそうだったが、さっきまでの姿を発見できずに攻撃だけ受けるという状況に比べたら百倍ましだ。森の核たる精霊核が見つからなくても精霊を押さえることが出来たなら。
「じゃぁ――」
「――。クリルカにつけてもらいました」
ジーゼはさんざん迷ったあげくに答えた。
森を訪れたサムとちゃっきーがよからぬことを企む悪人だったのならば、ジーゼに名前を尋ねた上に、わざわざ、そのネーミングの由来や名付け親など聞いてこないだろう。と、そんなことを“クリルカ”にしゃべったら、『ジーゼは優しすぎる』と怒られそうだけど。
「え?」
ちゃっきーとサムの声がハーモニーを奏でた。
「あなたたちは本当にこの森には何もしなさそうです。言葉も悪くて、態度も悪くて、悪いヒトの装いをしているようですけど、ホントはいいヒトそうですね」
ジーゼはクスリとほほえんだ。
「およ? だまされちゃあ、いけねぇなぁ。それぁ、こいつの常套手段だぜぇ。よいヒトを装って、気に入られたところをがばぁ~っとこう、襲っちゃうんだぜぇ。そんな野獣のような姿を見たのは、え~と、ひい、ふー、みー、よー、いつ、むー、ん~、たくさんだね。数え切れないくらいかわいい女の子を泣かせてきたのじゃ!」
「泣かしてねーよ」
即否定。いらぬ誤解をジーゼに植え付けてしまったら、あとで大変そうだ。
「ふふっ。おもしろいヒトたちですね」
「お? もしかしてもしかしちゃう? サムっち、これは奇跡が起きるかもしれねぇぜ」
ちゃっきーは足下からサムを見上げる。
「起きねぇと思うけどな。俺はこの森を通してもらえればそれでいいんだよ。精霊核も、猫目石も、他のめぼしいものもどうでもいいよ。テレネンセスまで行ければ、万事オーケー。ジーゼが二度と来るなって言うのなら、ま、残念だけど、もうここには来ないぜ?」
サムは何故かわからないが、ちゃっきーを諭すように発言した。
「人間があなたのようなヒトばかりだったら、争いごとは起きないんでしょうね……」
「それもねーな。ちゃっきーが言ってただろ? 俺はえすめらるだぁ?」
ぱちぃいんと小気味よいびんたの音が森に響いた。
「何、すんだよっ!」
サムはほおを押さえて、思わずわめく。
「やめい、やめい! てめぇら辛気くせぇぜ! 過去の栄光にしがみつくサムっちなんか、これっぽっちも見たくねぇぜ。これからの未来に生きるんだ」
「いや、しがみついてなんかねーし、もともとちゃっきーダロ? 持ち出したのは」
「そーだっけ、てへっ」舌なんぞ出してみる。「しかぁし、今はもう違うのじゃあ。おいらが持ち出し、てめぇが育てたのだ。と、まあ、そんなこたぁどうだっていいじゃねぇか、ご隠居さま? で、クリルカって、誰でぇ?」
話をかき混ぜて、先に疑問を放ったのはちゃっきーだ。
「あら、クリルカはクリルカですよ」
はぐらかすかのようにジーゼは言う。
そこにサムも乗っかって辛気くさい雰囲気を吹っ飛ばした。
「ジーゼ? クリルカがクリルカなのはいいとして、そのクリルカってのは男? 女?」
「おおっっと、早速、始まったかぁ? ヒトの名を聞きゃぁ、すぐに性別を尋ねぇ――」
「うるせぇ、黙れ」サムはちゃっきーをにらみつける。「と言うか、その前にそいつはこの森にいるのかい? それとも、もっと別の人里に? それとも、それとも?」
などと、もはや、完全復活の様相だ。そのサムの様子にジーゼはすっかりあきれ果ててしまった。どこまでも自分勝手だというのに、どこか憎めない優しい空気を持っている。
「――そんなに気になるんだったら、わたしと一緒に来ませんか――?」
「おろぉ? 手負いのおいらたちをどこに連れて行くつもりだぁい?」
「……わたしのおうち。でも、ちゃっきーは来なくていいのよ?」
「え~っ、そんなつれねぇこと言わないでよぉ。おいらも一緒に連れてってぇ。万が一にでも連れて行ってくれねぇのなら、おいらはここでありとあらゆる可能性の中からたった一つの選択をしなければならねぇ」
「まあ、一言で言えば、かまってくれってことだな」
「いやぁ~ん。本心は隠してるのにぃ。暴露しちゃいやぁ~ん」
声だけはかわいらしいのだが、その小さな姿と相まって不気味なことこの上ない。が、かまって欲しいちゃっきーをカレーにスルーと決め込んで、完全放置でジーゼに向かう。
「で、クリルカって言うのは」
「女の子ですよ。見た目が十歳くらいの」
「……何だ、幼女~というか、少女か」とても残念そうにサムはうなだれた。「少女は守備範囲じゃないんだよなぁ。やっぱり、こう、なぁ?」
サムは放ったらかしにしていたちゃっきーに同意を求める。
「ぼん、きゅ、ぼ~ん、がいいんですかい、旦那しゃま? ああ、何と言うことでしょう。こんなかわいい女の子を目の前にして、ぼん、きゅ、ぼ~んがいいだなんて言い出して、なんて、セクハラ発言。この世のものとは思えないほどの大人の女性がおるというのに」
ジーゼはちゃっきーの前に立ちはだかった。
「それは、どういう意味かしら、ちゃっきー? 事と次第では容赦しませんよ?」
にっこりと不穏な空気を醸し出す深い笑みをジーゼは浮かべていた。
「おろ? もしかして、お仕置きですか。うふ♡ しゃららら~ん、アルシオーネたんに代わってお仕置きよぉ。というか、あ、だめ。アルシオーネたんと代わられたら、消し炭も残らないほどに攻められちゃう。でもでも、気の強い女の子ってったら、アルシオーネたんの方がサムっちの好みかなぁ~あ」
「だから、そのアルシオーネたんって誰なんだよ」
「あれぇ、言わなかったっけ?」
と、ちゃっきーがとぼけていると、横からジーゼが答えた。
「不帰の谷に住んでいる炎の精霊さまのことです。そのアルシオーネさまを気安く“たん”付けで呼ぶなんて、無礼にも程がありますっ! えいっ!」
ドゴゴォオオソォンン!
空から強烈な光の筋が落ちてきて、一瞬で、ちゃっきーを焦げクチャにした。
「きゅぅ~~~~」
「うへぇ……。容赦ないねぇ……」
哀れな姿になったちゃっきーを眺めていると、ぐいっとジーゼに引っ張られた。
「あんなちゃっきーは放っておいて、行きましょう? サム」
「え? ああ、ジーゼがいいなら、よろしく頼むよ」
そして、ジーゼとサムは仲良く、森の奥へと消えて――、
「え~っ! ひどいひどい、サムっち、ジーゼたん? おいらを置いていかないで~~」
と、ちゃっきーは穏やかな森の奥へと賑やかに消えていった。