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童話 

犬の願い 猫の言葉

作者: くろたえ

飼い犬を亡くした若者が古本屋の地下の「深海生物専門書店」という

あまり客が来なさそうな店にフラフラと入り込む。

静かな店で、彼は犬の死を思い出し泣いてしまう。

話を聞き、「後悔しないで」という店主。

若者が泣き切った後に、

「今度は私の話を聞いてください。知っていますか?

猫は一言だけ話せるんですよ」

そして、後日改めて話を聞きに店に行く。

その話は悲しくも愛しい不思議な話だった。


「猫の言葉」はくろたえが実際に経験したことです。

出会い


その日俺は、大学の午後の受講を欠席した。

自転車を御茶ノ水駅に置いてからぶらぶら歩き、神保町に出る。

この場所は好きだ。

意味なく歩いても、何かがあるように感じ、どんな時間帯でも人の目が気にならない。


そこはかとない悲しみが、俺の心を重くしている。

それは、16年ともに生きた愛犬のクマが死んだからだ。


5日前の事である。

いい年にもなって、さすがに何日もペットの死で休むのも大人げないと思っい出てみたが、やはり胸が黒くなり、じっと座っていることも、誰かの雑談に合わせているのも苦しくなってきた。


本屋の外側にある安売りの本棚を見ていると、奥にも道があった。

神保町は大きな建物に、小さな建物が隙間を埋めるように密集している場所が多い。

表の通りばかりを通っても裏のすずらん通りを通っても、その間に小さなビルが隠れていることがある。


映画専門店があった。中に入ると昭和の映画がメインとなっている。

右側の棚はパンフレット。

その反対にはビデオのコーナーがあった。


DVDにならない映画もあるので、未だ我が家にはビデオデッキがある。

 

今日は見るだけにして、外に出る。

ビルは二階が音楽関係の専門店らしく「楽譜買い取ります」と店名横に書いてあった。


地下は「笹川深海生物書店」だ。

一階の横に手製の立て看板があった。そこによく分からない魚の絵が描いてある。

口が縦に広がっている鼻先のとがった魚だった。


その、決して上手ではない絵に興味がわいて地下に行ってみることにした。


明るいが少し狭く殺風景な階段を降りる。

入り口は安普請のアルミにガラスが入っている引き戸である。

初めての古本屋に入るときは常に妙な緊張感を持つ。


引き戸を開けると、頭上で金属のようなガラスのような音が鳴った。

見ると、鉄の細い棒がサークル状にかかっていて、それが擦れ合って鳴っていた。

古本屋の埃とカビの匂いと、微かなお香の香り。

その香りで、妙な緊張感や重い気持ちが晴れて行った。


「いらっしゃいませ」


静かで通る声が迎えてくれた。

小さい店の奥のレジの椅子から、髪の長い女性が立ち上がって会釈してくれる。

専門書ばかりかと思ったら、平置きされているのは子供用の深海魚図鑑などはカラフルなものも結構多い。

俺を見て、本を買うような人には見えてないと思うけれど、温かく迎え入れてくれた気がした。


「専門書ばかりかと思ったら、優しい内容の物もあるんですね」


思わず声に出ていた。


「ええ。テレビ番組で深海魚を捕まえるとか、

また水族館のダイオウグソクムシとかで最近ブームなんだと思います。

以前は専門の方が多かったのですが、今はネットにも店名が出ているので、

一般の方が、お子さんを連れてこられることも多いのですよ。」


穏やかな声が返してくれる。


平置きの図鑑を手にしてみる。


「よろしければ、そこの椅子お使いください」


それは、営業妨害にならんのかと思ったが、ありがたく椅子に座ったら、すごく疲れていることを自覚した。

最近は書店でも読めるように椅子があるところもあるが、古本屋ではあまり見かけない。


最近はDVD付きの図鑑が出ているのに感心する。

パラパラとページをめくると、先ほどの看板に描かれていた絵がミツクリザメ(ゴブリンシャーク)と分かった。

決して上手くはないが、特徴を良くとらえている。


ぱたんと本を閉じた。本に店内に微かに香るお香が染みついていた。


それが、線香の香りを連想させ、そうすると、ずるずるとクマの死の事実が再び覆い被さってきた。


大学に入ってからか、いや、高校の頃からだんだんとクマと遊ばなくなってきた。


絶対最後まで面倒を見ると言って、駄々をこねた何度目かの四歳の誕生日プレゼントだった。

 

オレンジ色のボールを投げてやった最後は何時だったろう。

なんでもっと元気なうちに遊んでやれなかったのか。

もっと、動物病院を変えて延命してくれるところを探すべきだったのではないか。

最後の方は自分で歩くこともできず、胴帯をつけて、下半身を持ち上げながらゆっくり歩いていたが、それも出来なくなり、抱っこして散歩をした。


クマは嬉しそうに風の匂いを嗅いでいた。


抱っこの散歩になってから二週間後にリビングで家族皆が布団を並べて寝ようとしている時にだった。

呼吸が荒くなり、何度か足をかいた後に息が間遠になり、家族がクマの名前を呼ぶ中、薄く目を開けて皆を見たような気がした。


浅い呼吸からひとつ大きく吸って、吐く音はしないままに、命が消えた。


俺の顔は見てくれただろうか、白内障の目に、俺はちゃんと映っただろうか。


それらは正しかったのだろうか。

自分は良い飼い主だったのだろうか。


「お茶はいかがですか」


目の前にお盆に乗った湯飲み茶碗が出された。

脇にはおしぼりも付いている。


「え?」


俺は涙を駄々漏らしていた。

激しく焦る。本屋で何泣いているんだ。


「あ、あの、すいませんでした。本は汚してないっす」


立ち上がり逃げ出そうとする俺の右肩を温かい手が押しとどめた。

その手は意外な力強さで明確な意思を持ち、座りなさいと言っていた。


力が抜け、座りなおす。

脇に置かれたお盆から、おしぼりで涙を拭く。


「どう、されたのですか」


淡々とした声だったのが、恥ずかしさから少しだけ救ってくれた。


「いやあ、五日前に飼っていた犬が死にましてね。どうも、まだ立ち直れてないみたいです」


軽く笑いながら言うつもりだった。


「小学生の頃はすっごく可愛がっていましたよ。たくさん遊んでいました。

誕生日プレゼントだったんです。父親の友人宅で子犬が産まれたって、

雑種なんですけれど、ムクムクで、子熊とかクマのぬいぐるみに似ていたんで

クマって名付けました。

でも、中学、高校と部活入ったり、友達と遅くまで遊んだりすると、

もう、クマとは散歩しか一緒に居ないんですよね。

それすらも面倒に感じるときもあったりして。」


俺の言葉は止まらなかった。

懺悔はずるずると口から出続けた。


「俺、最低の飼い主でした。ちゃんと長い距離散歩させていれば、筋力が落ちずに最後まで歩けたかもしれないっす。

もう、自力でトイレも立ってできなくなって、俺の両親が下の世話を率先してくれました。

けれど、俺は、まだ汚いとか感じちゃってました。

クマはトイレの度にクーンって謝罪するように鳴いていました。

親とかじゃなくて、俺がやってあげていたら、もっとクマも気が楽だったかもしれないのに。

クマは俺の弟だったから。」


もう、号泣していた。

初めての書店で、初めて会った人の前で。

大学の友人にも言えなかったことを。

家族も皆悲しんでいるので、言わないようにしていたことを。


我に返った時は、店主が隣に椅子を持ってきて居て、黙ってお茶を飲んでいた。


「ひっぐ。申し訳ありません。あの、俺、本当にすいません」


おしぼりで再度涙と鼻水をぬぐう。

店主が無言で箱ティッシュを出してくれた。

すみません、すみませんと、鼻水をかんだ。

無言で出されるゴミ箱に、また謝る。


もう、泣くのも恥ずかしいのも疲れ切った時


「クマ君はちゃんと幸せでしたよ」


それまで顔も上げれなかったけれど、その言葉、でがばっと店主を見た。

真面目な顔だったけれど、少しだけ微笑んでいた。



「16歳まで生きて、ちゃんと見送ることが出来たんですよね。

抱っこして、お散歩して。

体力が無くなっていくのはクマ君自身、自覚できたと思います。

その中で力強く抱きしめられるのは、幸せな時間だったでしょう。

白内障でも、犬はもともと視覚は弱いので、ちゃんとご家族を一人一人を

認識できていましたよ。

延命を後悔されているようですが、クマ君にとってはどちらでも良いのです。

家族が一生懸命に愛情を注いでくれている。

最後はご家族みんながリビングでクマ君と一緒に寝ていたそうですね。

きっと、ああ、幸せだなぁ~って逝きましたよ。

後悔するのは人ばかりです。

犬も猫も、命あるものは人間以外、当たり前に一生懸命に生きます。

そして、当たり前に死を受け入れるのです。

今はまだ日も浅く、つらい毎日だとは思いますが、

どうぞ、クマ君を幸せに看取ることが出来たことを胸を張って下さい。」


抑揚の少ない声だったが、しんと心に響いた。


「俺は、良かったんですかねぇ。

あんなんで。

あんな事しかできないで。」


新しく涙が出た。

ただひたすらに泣く中で、彼女は黙って隣にいてくれた。


どれくらいの時が過ぎたか、泣き過ぎて、頭がほげ~っとするほど泣いた。


ふぅ~っとため息をついたとき、何かが軽くなった気がした。


「どうぞ」


再びお茶を入れてくれた。

熱いお茶をゆっくりと飲む。

ああ、すごく美味しく感じる。


「いろいろありがとうございます。

すごく恥ずかしいところを見せてしまい、営業妨害しちゃって申し訳ありませんでした。」


「いえ、もともと立地の関係や分野が狭い専門店なので、この時間帯は、

お客さんは、あまり来られないんですよ」


言葉の後、少し曲げた人差し指を唇に当て、何かを考えている仕草をした。

髪の毛が一筋顔にかかっている。

デニム地のすっきりとしたワンピースを着ている。

化粧っ気のない顔ではあるが、綺麗な人だと思った。


「ん・・・。

もしよろしければ、今日はもう遅いですが、今度私の話を聞きに来られませんか?

私の猫を亡くした時の話です。」


「また来ても良いんですか?」


出入り禁止になってもおかしくないだろう醜態と、もう恥ずかしくて来れないと思っていた。


「よろしければ、私の不思議な話を聞いてください。」


少し恥ずかし気な顔にどきっとさせられながら、二つ返事で快諾した。かなり前のめりで。


「はい。ぜひ!」


彼女は言った。


「知っていますか?猫は一言だけ人の言葉を喋ることがあるんですよ。」


「へ?」


「その話は、後日です」


そうして、俺はまた来る約束をした。


また来る約束が嬉しかった。

それに不思議な話と言っていた。どんな話なんだろう。


ワクワクしながら、引き戸を閉めた。

階段を上がっていく。


外はもう星が出ている。

久しぶりに空を見た気がする。

ぐ~んと伸びをして、帰宅の途に就いた。


クマは幸せだったのだ。

家族に看取られて、嬉しかったのだ。

それを家族にも教えてあげないとな。


あの人の話はどんなのなんだろう。


かなり気になったが、家族に特にいちばん気落ちしている

母さんにクマのことをどう伝えれば良いのか、言葉を整理しながら帰った。


悲しい、寂しいのは消えない。

でも、後悔は消えている。


帰るのが足早になっていた。



-------------------------------------------------------------------------------

 

約束の日時がやってきた。


実は30分前から着いていて、その周辺の本屋を梯子していた。

遅れたくないし、早くいくのも営業中だから失礼な気もする。

だから、まあ、無難に時間どうりを手持ち無沙汰で待っていたのだ。


さて。

これで行けるぞ。

約束の時間の3分前。


狭い階段を降り、アルミの扉を開けた。

シャランと頭上で南部鉄の箸が鳴った。それと、微かな香の匂い。

不思議と安心感に包まれる。


「いらっしゃいませ」


この間の女性店主が静かな笑顔で出迎えてくれた。


「この時間で大丈夫でしたか?」


「ええ。買い付けなどの仕事は午前中で終わってしまいましてね。

 あとは、閑古鳥の合唱の午後の時間帯です」


「合唱はヤバいんじゃないですか?」


意外なユーモアに思わず笑ってしまう。


「専門分野なので、固定の客様はいらっしゃるのですよ。最近は親子で来られて子供用に図鑑を買っていただくことも多くなりましたが土日が多いですね」


店の中央の店主が座っている横に、この間号泣した椅子があった。

今日はここで話を聞けるのか。


店主は奥の畳敷きに入り、しばらくしてから、お茶を持ってきた。


そして横の椅子の前にと、自分の前に湯のみを置いた。


「どうぞ、おかけください」


そして始まった。


「さて、私の話を聞いていただけますか。」




_____ 猫の言葉 ____



私は生まれた時に両親に捨てられ、母方の祖父母の家で育ちました。

旧家でそれなりに人は居たのですが、疎ましく思われていたのか、一人の時間が多かったのです。

母屋から竹林を挟んだ離れに一人で寝起きをしていました。

でも、周りに人が居なかった分、犬父や猫母が大事にしてくれました。


心のよりどころは

物心ついた時には既にいた大きな黒い雌猫でした。我が子のように大事にしてくれました。

狩りの練習とかもさせられました。

私も母親のように思っていました。弥七(水戸黄門の風車の弥七から)と名付けて呼んでいましたが、思い出すときや他人に説明するときには猫母と言っています。


それでは、その猫母の最期をお話ししましょうか。


目を閉じてから、薄く目を開け夢を語るように、言葉を紡ぎだした。



「猫は一言だけ話せるのかも知れません」



何年か前にSNSの他の人の日記で隣の部屋から「ママ」と呼ばれた。

誰も居ないはずなのに?

と行って見ると飼っている猫が、ちょこんと見上げていたらしい。



それを読んだ時、私にも猫の言葉を聞いたことがあるな~と思い出した。



  小さい頃


深夜に目が覚めると胸の上に猫母が座っていた。

前足を揃えた綺麗な猫座りである。


離れの灯のない暗闇での黒猫であるが、ちゃんと見えていた。


胸の上の大猫だが、重いとか苦しいとかの記憶は無い。

大きな黄色い目が揺らいでいるのを不思議に思った。

しばらく見詰め合ってから猫母は、頭を深くを下げた。


「そくさいで」


凛とした女性の声がした。


翌日、猫母は消えていた。


それから何年かして「息災で」の意味が分かり、胸が熱くなった。


あの頭を下げた時の姿が、袖で顔を覆い涙を隠す着物の女性を連想させた 。



  中学生の頃


子猫を拾った。

 

名は「カジャ」とつけた。

黒い縞のキジ猫である。

カラスに突付かれたようで両目がつぶれていた。


カジャとは狂言の太郎冠者、次郎冠者から名付けた。

目が見えなくても、お前は物語の主人公なんだよって意味で。


眼球は摘出されたが、その他は健康で、ちゃんとご飯やトイレの場所を覚えては粗相をすることもなかった。

声や振動に反応して、見えなくても部屋の中を走ったり、壁に添っての移動など不自由はなさそうだった。

膝の上に乗った時には、指や親指の付け根を甘噛みする癖があった。

その時には肉球がグーパーとして幸せな顔をしていた。



眼球を損傷した際に脳までも傷がついたのだろうか、それとも癲癇の発作なのだろうか、たまに痙攣を起こして見ていて辛かった


1歳になるころ

深夜に目が覚めた。

 

ふと見ると布団の足側のタンスの上に何かが居た。

カジャだった。なんでソンナとこに居るんだろう?

と寝起きの回らない頭で考えた。


「いくね!」


可愛らしい子供のような声がした。


翌朝、カジャは本棚の下の段の寝床で冷たくなっていた。


薄く積もった埃はそのままで、タンスの上に居た形跡はない。


カジャは高いところに登った事はなかった。

タンスは180センチくらい。つまり寝ている私と目を合わせられる場所である 。


確かとはいえないが、タンスの上に居た時に瞳が光って見詰め合った記憶がある。




  高校生の頃


拾った黒猫「といち」(多分11日に拾ったからトカ)がいた。


バイトと学校の両立で大変だった頃、体調を崩し何日も高熱が続いた。

家人は別の場所にいて、一人暮らし状態だった。


フラフラの状態になりながらも餌はあげれていたが、器を洗えなかったので人用の器を何枚も出して餌を入れていたり、 トイレの砂変えがなかなか出来ないので、とりあえずトイレの砂の量を

多くしたりとかはしていた。


といちが高熱に魘されている私の枕元に来て顔を覗き込んでいる。


(ゴメンネ~。ちゃんとしてあげれなくて。

動けるようになったら、たくさん遊んであげるし、

美味しいご飯もあげるからね~

トイレが汚くてゴメンね。すごく嫌だよね。

もう少し我慢してね。

さあ、風邪が移るから離れていなさい)


そんなことを話し掛けていただろうか、

それともただ言ったつもりだっただろうか。


といちは汗臭いコメカミに額を当てて


「かあちゃん・・・」


少年の声だった。


翌々日熱は下がり、念のために学校とバイトはその日は休んだ。


一日遊んで、トイレの掃除と雑肉を買ってきて手作りキャットフードをあげる。

あまり喉を鳴らす子ではなかったが、ベッタリくっついて喉を鳴らしていた。



翌年、車に轢かれて彼は死んだ。




ほとんど寝起きや熱で魘されていてなど普通でない状態だったが、

彼らの思いを込めた言葉だったと信じている。




  そして大人になってから


以前の仕事は事務職だったが、ほぼクレーム処理だった。

仕事が終わって自宅のマンションに着いた。

仕事で気持ちが凹んでいた。


「はぁ~。最悪だ・・・」


思わず溜息と悪態が漏れた。


「そうでもないはず」


頭の上から野太い男性の声がした。


 「? 」


顔を上げると、塀の上に茶の縞の大きな野良猫が寝そべって薄く目を開けコチラを見ていた。


「お前か?」


聞くも答えず


当たり前か


気のせいだよな


気のせいである。たんなる空耳である。


しかし思わずアリスのチェシャ猫を思い出した。





「そんな空耳な猫の言葉です」





物語は静かに終わった。



彼女は、ふうっと一息つき、ぬるくなったお茶をコクリと飲んだ。


何を言えばいいのか分からなかった。


ただ、ひとつひとつの猫の言葉が、とても重く優しく抱きしめるような余韻があり、彼女が、小さいころ虐待にあっていたとか、結構ビックリで、他にも何に対してか分からないけれど、俺は泣きそうになっていた。

気付かれないように目尻を拭い尋ねる。


「猫母ですか?」


「ええ。本当に私を独り立ちさせようと、狩りの練習をさせられました。

片足雀や破れ蝙蝠など咥えてきましてね、

気絶したのが覚める、と離れの部屋中をパニックを起こして

飛び回るんです。私はそれをやはりパニック気味に一生懸命に捕まえて。

捕まえると「良し」って顔をして去っていくんですよ。

私の手の中には瀕死の小動物が握られて、命が消えて逝くのがわかるんです。

庭に穴を掘って埋めていましたが、それを何度か見た親戚は、

私が小動物を殺していると気持ち悪がっていました。」


「猫だと言えなかったんですか」


「その頃、口がきけませんでしたし直接言われるのではなく、誰かとの会話で聞かせる感じでしたので」


わざわざ、気持ち悪いと聞こえるように言っていたんだな~

それは、口が達者でも、小さな子供はそうそう弁解できない。

陰険だな。


「一言だけ話せるのは猫だけなんでしょうか。

犬も・・・クマも何か言いたいことがあったのでしょうかね。」


「その子たち以外にも猫を飼いましたが言葉を聞いたのは3匹だけです。

勝手な推測ですが、私が聞いた言葉は、通常の猫以上の深い強い想いがあったように感じます。

猫母は、避妊の手術もしていないのに、子をもうけませんでした。

私がいつまでも独り立ちできない子供だと思って、それでも逝かなければならない事を苦慮したのではないでしょうか。

 

目の見えないカジャも、癲癇てんかんか分かりませんが、痙攣が時々ある苦しい暗闇の中で、

私を見たいと願っていたのかもしれません。

 

といちは食事もままならない中で、ただ一人の飼い主である私が長く寝付いていたので、寂しく不安に思ったでしょう。

 

そう考えると、普通の飼い猫以上のストレスが強い想いを与えていたのです。

もしかしたら、生に満足した猫は、何も言う必要がないのではないでしょうか。

ただ、犬も猫も、顔や姿を見て、何を伝えたいかは飼い主は分かると思います。

全身で感情を示してくれますもの。

ひげや尻尾や瞳で。「大好き」「遊ぼう」「眠い」とかね。

犬の声は聞いたことはありませんが、クマ君は満足していたから、人の言葉を発する

必要もなかったのですよ。

純粋な愛情を受け取るとき、人間は獣よりも偉くはないのだと感じます。」


そうだ。クマは俺と目が合うといつも嬉しそうだった。

子犬の頃は遊ぼうとねだり、老犬になっても目が合うと笑ってくれた。

そう。犬は笑うのだ。

 

危ない。また涙が出るところだった。


店主さんが思い出し笑いらしき、小さな笑顔で言った。


「猫の言葉の話をすると、ごく稀に他にも猫の言葉を聞いた人も居ましてね。

「雪見大福が良い」とか、病院に連れて行くときに「あか~ん。あか~ん」とかね。

「あかん」と言った子は関西の子でした」

 

お茶を吹き出しそうになる


「っぷ!雪見大福ですか」


「はい。はっきりそう言ったそうです。飼い主の方は少し残念に感じられたようです。一度しか使えないのに「雪見大福」かって」


二人でクスクスと笑った。


「でもね。私に言葉を伝えてくれた子たちは、今度生まれ変わったら、言葉を発する必要のない安穏な猫の生を生きて欲しいのです」


「それだけ貴女の事が大好きだったんでしょう。」


「はい。私も大好きでした。だから、次は私を知らない場所で無邪気に世界は善に満ちていると、信じる。可愛がれている猫であってほしいのです。」


「もう、猫は飼われないのですか?」

 

「今の生活や住まいは、それを許してくれるとは思いますが、出会いがあれば。ですかね。

以前の生活は、社宅でしたので、飼うことはできませんでした。

その前はアルバイトで生活が安定しなかったり。

それで猫分が足りないと思ったりもありましたが、飼える環境になると、自分のような者が命を預かってもよいのかと少し尻込みしてしまいます。」

 

真面目なのだなぁと思ってしまうが、一人暮らしで(?)猫を飼うのは、

やはりそれなりの責任があり覚悟が必要なのだろう。


「そう言えば、人を愛し人に愛された獣は毛皮を着替えて、また戻ってくるそうですよ。

いきなりでは、命をお迎えして一生を共にすることは難しいですよね。

なので、環境を整えておく必要があります。

君のところにも、また、いつか、犬を飼う機会があるかも知れません。

そうしたら、今度は後悔のないように、一生大事にしてあげて下さい。

後悔や悲しみの感情だけを思い出にしないで、再び犬を飼うことを恐れず、罪悪感も持たないでください。

もし、迎えたその犬はクマ君だったかもしれませんが、別の個体で、別の性格をしているかもしれません。でも、かならず家族になれます」


罪悪感。そうだ。親父は再び犬を飼うことに罪悪感を持ったのではないだろうか。

きっと、昔に犬を可愛がって、そして死んだのだろう。

だから、あんなに犬を飼うことに反対をし、自分はクマに関わらないようにしていたのだ。


「もし、またいつか、犬との生活を望むなら、保健所や、譲渡会も見てほしいですね。

ネットで随時公開されています。

お店やブリーダーから購入するのが一般的と思われがちですが、里親探しはいつでも

されています。望んだ犬種や被毛の色、純血種などは難しいですが、

ちょこちょこ見ていると、不思議と家族に迎えたいと思う子が出てきますよ」


「そうですね。いつか、また犬との生活が恋しくなると思いますので、そん時はそうします」


俺は、多分すぐに犬がいる生活を求めるだろう。


でも、俺は就職が決まったら、家を出るかもしれない。

母さんが、家の中で抱っこしてテレビを見れるような小型犬がいいかもしれない。


まだすぐは出来ない。

だって、家の中にまだクマの思い出があるから。

でも、それが少し光の中に薄くなっていったら、きっと犬との生活が懐かしくなる。


良いんだな。「クマの代わり」「クマの代わりじゃない」「クマが新しい犬を迎えて悲しむ」とかじゃないんだな。


「そうですね。

誰かが病気でもしてしまっては、犬を飼うのは大変でしょう。

とりあえずは家族が元気で生活できるようにって感じですかね」


「はい。それは、クマ君の願いでもあるでしょう」


話が終わった。


店主にお暇を告げた。嬉しくも「またどうぞ」との言葉をもらった。




店を出た。

ここの店を出るときは、いつも清々しい気持ちになれる。

星が出ていた。

クマ、もう空に行ったのか?子犬の頃に戻って天に昇ったのか?


神保町の夜は早い。

閉まりだした古書店街を抜け、家に帰った。





クマ。いつか、また会おうな。








愛するペットを亡くされた方へ。

どうか、悲しみは消えなくても、後悔はなさらないで下さい。

愛された子は、幸せに、当たり前に次に行くのです。

きっと、今は病や怪我で苦しかった体を脱いで、子供の頃に戻ったように

軽やかに空で遊んでいるのでしょう。


そして、また機会があれば、家族に迎えてあげて下さい。

その際は、ペット屋やブリーダーばかりでなく、里親や保健所の譲渡会も

頭の隅に入れていてください。いつでも、子猫や子犬が家庭を待っています。

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― 新着の感想 ―
[一言] 昔、実家でクマという名の犬を飼っていました。父が拾い、名づけました。クマに似ていると笑っていました。 10年くらい飼っていたのかな。父が亡くなって暫くして、亡くなりました。 その頃私は家を出…
[良い点] 主人公の後悔や悲しみがすごく伝わってきました。わかりみ深く、それだけに、優しい店主さんの言葉が沁みます。 良いお話をありがとうございました。
[良い点] 「後悔するのは人ばかりです。」 ここで泣きました( ;∀;)ノ [一言] 個人的にもすごく思います 犬でも猫でも、先ずは保護された子達を見てほしい そして「捨てられた子達もいる」という現実…
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