ホストのマジ恋 後編
「潤、今月の売り上げひどいぞ。どうした?」
店の運営責任者である一也さんに呼び止められた。
一也さんはこの店の元No.1プレイヤーで、今は経営者側にまわっている。
家出同然で東京に出てきて行き場のなかった俺を拾ってくれた恩のある人だ。
俺もいずれは経営者側に進みたいと思っているので、No.1の座は守り続けなければいけないのだが……
「接客にも全然身が入ってないし、おまえらしくないぞ。」
「……すいません。」
自分でも目の前にいる女の子に集中出来てないことはわかっていた。
せっかく来てくれた指名客を怒らせてしまったし、水割りを作る時にグラスを倒すという凡ミスまでしてしまった……
太客の麗子さんにも、止められたのに自分のキャパ以上の無茶な飲み方をしてしまいテーブルで酔いつぶれた。
サイアクだ……
「好きな女でも出来たか?」
─────好きな女………
蛍ちゃんの顔が浮かぶ……
最後に見ることさえ出来なかった…泣かせてしまった蛍ちゃんのことが頭から離れない。
「いえ…忘れたい女が出来たんです。」
俺がそう言うと一也さんは大きなため息をついた。
「重症じゃねえか。」
一也さんはしばらく休めと言ってくれたのだが断った。
今休みをもらっても考えるのは蛍ちゃんのことばかりだと思ったからだ。
たった二回しか会っていないのに……自分でもこんなにあとを引くとは思ってもみなかった。
今月はなんとかNo.1の座を守れはしたがこれではいけない。
蛍ちゃんにあんな酷いことをしたのは俺なのに、勝手に落ち込んで被害者振っている自分にもすごく腹が立つ。
もう一度自分のホストとしての気持ちをかき立たせるために、本来俺のようなナンバー付は19時入りでいいのだが新人ホスト達と同じ17時半入りにした。
「なんで潤さん今日も早いんですかっ?昨日だって初回の客全部持ってかれたしっ!」
聖也に文句を言われてしまった。
この時間は初回で来てくれる客が多いのだ。
「全部俺に持ってかれるようじゃおまえもまだまだってことだ。バカめ!」
聖也は新人の中では一番の出世頭になっていた。
いずれナンバー付になるだろう。
「潤さんカッコイイし話しやすいっ。」
「ねーっ!次は指名しちゃおうかなぁ。」
「ホントに?嬉しいなぁ。」
ようやく本調子に戻ってきた。
今でも思い出してしまい胸が苦しくなる時があるけれど、時間が解決してくれそうな気がした。
「潤さん、潤さん……っ!」
聖也が腕を引っ張って無理矢理立たせようとしてきた。
「聖也なんだよ。接客中なんだから邪魔すんな。」
聖也がためらいながらもとんでもないことを言った。
「潤さんのことを蛍ちゃんが指名してます。」
──────はっ?蛍ちゃん……?
奥のテーブルを見ると蛍ちゃんが座っていた。
あの受付のユナちゃんて子も一緒だった。
なんで……
なんでまた来た……?
なんで……
なんでまた来た……?
色んな思いがグルグルと頭の中を駆け巡る。
本来の俺なら気も止めてなかった振りをして久しぶり~と営業スマイル全開でやり過ごせただろう。
でも無理だ。蛍ちゃんの顔を見ただけで素の自分に戻ってしまった……
「……聖也、俺の代わりに接客して。」
「何言ってんですか?指名されたのは潤さんですよ?!」
聖也に引っ張られるようにテーブルへと連れてかれた。
「ユナちゃんダメだよ…蛍ちゃんを巻き込むのは……」
ユナちゃんに恨みがましく文句を言ってしまった。
「違いますよ〜。今日は蛍が来たいって言ったんです。」
えっ……
蛍ちゃんが食い入るように俺を見つめていた。
まるで俺の姿が見えてるかのように……
心の中も全て見透かされているような気がした。
「潤さんを指名しに来ました。」
蛍ちゃんがはっきりとした声で俺に告げる。
忘れようとしていた気持ちが一気に引き戻される……
俺なんかと関わったら、自分が傷付くだけなんだってことがまるで分かっていない。
「指名されても俺はテーブルには着かない。」
そばにいた聖也がギョッとした顔をした。
「それでも潤さんを指名します。」
声には蛍ちゃんの意思の強さがあったけれど、目には涙がたまっていた。
今にもこぼれそうな涙……
見るな…見ちゃいけない……
頭ではわかっているのに、蛍ちゃんから目を逸らすことが出来ない。
「……どうしても会いたかったんです。」
その瞬間…ボロボロと涙がこぼれ落ちた。
──────ダメだ…多分…………
「聖也っ、あと頼むっ。」
「潤さんっ!!」
…………多分もうっ……
忘れるなんて無理だ────────
なにやってんだ俺は……
俺が蛍ちゃんにやったことは、一番嫌ってた営業の育てそのものじゃないか……
気のある素振りを見せて、途中から冷たくして店に会いに来させる……
蛍ちゃんに取り返しのつかないことをしてしまった。
自己嫌悪なんてもんじゃない……
こんなに自分がイヤになったことなんてなかった。
「……潤さん。」
聖也がロッカールームの椅子に座っている俺に声を掛けにきた。
「蛍ちゃん達帰りました。」
「……そうか…ありがとう。」
「追いかけたらまだ間に合うと思いますけど?」
「いや、いいよ。」
追いかけたところで、掛けてあげられる言葉なんてない。
聖也がなにか言いたそうにしていたのだが、諦めたように黙って出て行ってしまった。
店に出る気にもなれない……
新人の頃はこのロッカールームでレンタルスーツに着替えて頑張っていたっけ……
なんの迷いもなく、ただひたすらにNo.1を目指していた。
なんのためだったんだろう……
もう…その意味すらわからなくなってきた。
「潤…なにこんなとこでサボってんだ?」
一也さんが俺のことを心配して入ってきた。
俺はまた蛍ちゃんを泣かせてしまった。
ボロボロと泣く蛍ちゃんの顔が鮮明に目に焼き付いてしまって離れない。
きっともう……拭うことなんて不可能だ。
これ以上、みんなに迷惑は掛けられない。
俺は椅子から立ち上がり、一也さんに向かって頭を下げた。
「今日でホスト辞めさして下さい。」
今の俺じゃ蛍ちゃんを抱きしめることなんて出来ない。
彼女とちゃんと向き合いたかった。
どれほどの沈黙が流れただろう……
俺は一也さんからの返事を、頭を下げた状態でずっと待った。
「潤…経営側にまわってみるか?俺が上に掛け合ってやるよ。裏方なら彼女に対する罪悪感もそんなには持たなくて済むだろ?」
やっと掛けてくれた一也さんの言葉は、俺を非難するわけでもなく、最善の方法を考えてくれた優しい言葉だった。
俺も将来的には経営側にまわりたいとは思っていた。
思っていたけれど───────
「それはダメです。こんな中途半端な俺が経営側になんかなったら、他の人達に示しが付かないです。」
最後にこんな裏切り方をしてしまった一也さんに甘えるわけにはいかない。
「そっか…いずれおまえは幹部になるやつだと思ってたんだけどな〜……」
一也さんは残念そうにそう言い、俺の肩を叩いた。
「ま、今日の閉店までは頼むわ。落ち着いたらロッカールームから出て来い。」
一也さんがドアを閉める音がロッカールームに響いた。
何時間ロッカールームの床を見つめていただろう……
随分ボーッとしてしまっていた。
高校卒業と同時に東京に来てこの店にスカウトされたから、今年で7年目か……
7年間、ほぼトップを走ってきた。
その終わりの日が今日だ。
こんな薄汚い床を見つめたまま終わるわけにはいかない。
視線を上げ、天井を見つめた。
「なんだよ…天井も汚ぇな……」
椅子から立ち上がり、華やかな店へと続くドアを開けた。
一瞬なにが起こっているかわからなかった。
店内が俺の指名客達であふれていたからだ。
人が多すぎて、知らない客同士で相席までしている。
「なんですかこれ?」
俺はそばにいた一也さんに聞いた。
「みんな潤が今日で最後だって聞いて駆けつけて来てくれたんだよ。」
だからって……
誰がみんなに知らせたんだ?
「潤さんっみんな待ってますよ。今日は派手に騒ぎましょうっ!」
「聖也おまえか?いったいどうやって?」
「何人かには連絡しましたけど…それからバーって広がったんですよ。こんなに集まったのは潤さんの人徳ですっ。」
今までにないくらいシャンパンコールが乱れ飛んでいた。
普段出ないような高い酒まで……
いつもグラスしか飲まない子まで頼んでいた。
「来てくれただけで嬉しいから…無理しないで。」
「ううん、いつも安いお酒しか飲まない私達にも優しく接してくれたもん。せめてもの感謝の気持ち。」
どうしても店に来れない指名客からはスタンドフラワーや胡蝶蘭が何個も届いていた。
俺のわがままで…辞めると決めたのも数時間前なのに……
ありがたくて涙が出そうになった。
「ちょっと潤くーん!今日で辞めちゃうんだって?」
麗子さんが何人も引き連れて来店してきた。
いきなりシャンパンを30本注文してくれた。
こんなに飲まされたら全員つぶれてしまう……
「大丈夫、今日は酒の強い友人を連れてきたから。それに、私も飲むわよっ!」
そう言ってシャンパンボトルを一気飲みしようとした麗子さんを止めた。
酒はすごく弱いと言っていたのに……
案の定ちょっと飲んだだけで気分が悪くなって吐いた。
それでも全部飲もうとする麗子さんを、ありがたいけど気持ちだけ受け取っておきますと言ってなんとかなだめた。
「潤、しばらく奥のテーブルに着け。」
忙しなくテーブルを行き来する俺に、一也さんが耳打ちしてきた。
見ると、奥のテーブルには小百合さんが一人で座っていた。
新人の頃から一番お世話になっていた人だ……
俺はその小百合さんにも直接辞めるとは伝えてなかった。
「今日で辞めるんですって?」
小百合さんが怒っている顔など今まで一度も見たことなどなかった…当然だ。
小百合さんのおかげで俺はずっとNo.1でいられたんだ。
その恩人にさえなにも言わずに辞めていこうとしていた。
「この世界からきっぱり足を洗うんだってね。明日から仕事はどうするの?」
「まだなにも決まってないです……」
「あの女の子のために辞めるんでしょ?結婚でもするの?」
「まだ……好きとも言えてないです。」
「なっ……?」
小百合さんの怒って強ばってた顔が一気に緩んだ。
口元を抑え、必死で笑いを堪えていた。
「……小百合さん。」
俺が名前を呼ぶと吹き出して大笑いし出した。
「ごめんなさいっだって私、てっきり…ああホントにっ潤くんらしくて笑っちゃうっ!」
小百合さんは笑いながら自分の隣のシートをポンポンと叩き、立ったままだった俺に座るよう託した。
「バカね……振られたらどうするの?」
「なんも考えてないです。随分酷いことしたから振られる可能性は大です。」
「振られたら戻ってくるの?」
「それはないです…彼女に似合う男になってからアタックしようと思ってるんで。」
「高卒でホストの経験しかないあなたを雇ってくれる会社があると思ってるの?」
「それは……」
確かにそうだ。
ホストなんて、世間から見たらきな臭い連中にしか見えない。
7年間ホストをしていた経歴で、真っ当な職業になどつけるのだろうか……
「良かったらうちに来ない?」
えっ…………
小百合さんは何個もの会社を経営している敏腕女社長だ。
雇ってくれるんなら、こんなにありがたい話はない。
「小百合さん、でも俺…これ以上お世話には……」
「潤くんはいづれこのAuroraを経営するグループの幹部になるんだと思ってたわ。それだけの実力があなたにはある。」
それは…俺もずっとそのつもりで一也さんからもいろいろ学んでいたし、自分でも勉強をわしていた。
「私はあなたの人間性に惹かれてこのホストクラブに通っていたの。チャンスがあれば引き抜いてやろうとずっと伺ってたのよ。」
小百合さんが俺に向かってウインクした。
「うちは女性向けの飲食店やBARもたくさん運営しているの。あなたが今まで学んだ接客業のノウハウや経営学…うちで是非貢献してもらえないかしら?」
新人のころからずっと…小百合さんには頼りっぱなしだった。
何度となく俺を助けてくれた。
今だって……
俺は小百合さんの手をギュッと握った。
「……はい。よろしくお願いします。」
俺のことをいつも気にかけてくれる小百合さんに、今後は甘えるだけじゃなく、ちゃんと恩返ししなければいけないと思った。
「小百合さーんっ!シャンパンタワーの用意出来ましたーっ!」
聖也がテーブルに勢いよく駆け寄ってきた。
「シャンパンタワー?」
俺は驚いて小百合さんの顔を見た。
シャンパンタワーとは、シャンパングラスをピラミッド状に積みあげて一番上のグラスからシャンパンを注いでいく演出のことだ。
グラスを全部満たすにはシャンパンが20本は必要だ。
そのシャンパンによって価格は違ってくるのだけれど……
なんと小百合さんはそれをドンペリの黒で注文していた。
うちの店では一本40万はするボトルだ。
「私が推してたホストがこれくらいのシャンパンタワーも無しに辞めていくだなんて、私のプライドが許さないの。」
「小百合さん…俺……ドンペリ嫌いです。」
「知ってるわ。私にも辞めることを秘密にしてたから嫌がらせよ。一滴でも残したら許さないから。」
嫌がらせも込めて800万も使うだなんて……
小百合さんはホントに豪快な姉御肌だ。
「潤くんの新たなる門出を祝ってまだまだ飲むわよーっ!」
小百合さんの掛け声で、みんなでシャンパンコールをしながらタワーにガンガンお酒を注いだ。
そこからさらにボルテージは上がり、店にいた客にも全員シャンパンが配られて飲みに飲みまくった。
「俺達っみんな潤さんが憧れでしたあっ!」
「潤さんみたいなホスト目指しますからあっ!」
「おまえら暑苦しい…まあ頑張れ。」
「潤さんと付き合いたかった!」
「潤さんだったらみんなに自慢出来るもんっ!」
「気持ちはありがたいけど…ホストと付き合うと苦労するから気を付けなよ?」
「潤さんくらい飲みっぷりのいいホストはいませんでしたわ!また開拓しなければなりませんわっ!」
「麗子さん、あまりつぶすまで飲ませないで下さいね?」
「おまえは俺が認めた唯一の後輩だったぜっ!」
「…………」
虎尾には特になにも言うことは無い。
「潤が入ってくれたからこの店の売上が何倍にもなれたんだ。今まで本当にありがとな。」
「一也さん…俺の方こそ本当にお世話になりました。」
零時をすぎる頃には全員へべれけになっていた。
みんな無事に家まで帰れるのかな……
平日のど真ん中だから明日も仕事の子が多いと思うんだけど……
「すごいですよ潤さん、今日の売り上げっ。店に置いてた酒がほぼ無くなりましたからね!」
聖也が興奮気味に話しかけてきた。
俺の最後の日がこんなに盛り上がれたのは聖也のおかげだ。
「聖也ありがとな。」
俺は聖也の肩に強めにパンチを食らわした。
「あとは頼んだ。No.1になれよ。」
聖也は目に涙をにじませたのだが、すぐに袖口で拭き取りニカッと笑って言った。
「任せて下さいっ!」
その日の売り上げは今までの俺の最高金額
2000万だった──────────