第十六話 眠れぬ夜のひととき。
ファーストキスだった。
それは私が大切に守ってきたものだった。
それが……。
それがしょうがないこととはいえ始によって奪われた。
しかもよりにもよってあんな形でだなんて。
ファーストキスって、もっとロマンティックなものだと思っていたのに。
うう……気が重い……。
ベッドからもぞもぞと這い出して、カーテンを少し開け空を眺める。
暗い夜空に浮かぶ真っ白で丸い月。
私はこの真っ白で丸い月が好きだった。
真っ黒な夜空に輝く一点の輝きはこの世界にたった一つの様に思えるから。
そして何より。
月はお母さんの名前だから。
だから私は月が大好きだ。
「お姉様、眠れないんですか?」
振り返るとベッドの二段目から布団を被ったままこちらを覗く妹の姿。
「ごめんね、サクラ。起こしちゃった?」
「いいえ。起きてました。だってこんなにもお姉様の心がざわついているのですから」
「そっか……私がこんなんじゃ眠れるはずもないよね」
「……はい……」
私の妹のサクラには私とは違う特殊な力がある。
私の呪言や刹奏ちゃんの能力とは全く異なる特殊能力。
アサマ家の人間だけが代々受け継いできた特殊な力。
それは他人の心を読み取る事が出来る能力だ。
それが例えどんな人の心でさえも。
だから誰もサクラには嘘をつくことができない。
まぁ私は嘘なんてつく気は無いのだけれども。
サクラは大事な大事な妹だ。
だから嘘なんてつきたくないし、つこうとも思わない。
月明かりで伸びた私の影とサクラの姿が重なり合う。
「……一緒に寝ようか?」
「はいっ!」
そう言ってサクラは笑顔を返してくれる。
本当に可愛い私の大切な……大切な妹だ。
二人同じ布団を被って枕を並べ手と手を繋ぎ向かい合わせで横になる。
こうすることでお互いの温もりを何よりも感じることができた。
お父さんとお母さんが出張でいない時もこうすることでお互いに不安を和らげることができた。
だから私はサクラとこうしている時が何より幸せだった。
「お姉様の心……、静かです」
サクラの小さなピンクの唇がそう言葉を紡ぐ。
そう、こうしていると私の心は静かになる。
ざわめいていた心のさざ波も、平静さを取り戻していく。
私は思わず繋いだ手に力を込める。
うん……今日もいい夢が見れそうだ。
「おやすみ、サクラ」
「おやすみなさい、お姉様」
そして私達は二人、安らかな夢の世界へと落ちて行った。
―――
朝。
目を覚ますと繋いだ手は解かれていて。
サクラは長い髪を一生懸命に結っていた。
私みたいにボブにしちゃえば楽なのにな。
そう私は思うけど、サクラはサクヤさんみたいになりたいって言ってたしこれからもずっと髪を伸ばし続けるのだろう。
サクラの支度が終わる頃、ちょうどサクヤさんの朝食が出来上がって朝ご飯。
朝ご飯は、パンにベーコンを下地にした目玉焼きにお野菜が少し。
そしてお豆腐。
席には私とサクラとサクヤさん。
これが我が家の毎朝の朝食風景だ。
お父さんとお母さんは私達が起きる前に家を出て会社で何か食べてるらしい。
朝食を食べ終わったら、ごちそうさまをして、歯を磨いて三人で外に出る。
そして、サクヤさんに手を引かれて私達はお部屋を後にする。
学園の前まで来ると、刹那さんに連れられて歩いてる男の子を見つけた。
始だ。
昨日の事などなかったかのように平然な顔をして、刹那さんと何か話をしている。
あいつの顔を見た瞬間、昨日の事を思い出してしまって顔から火が出るような心地になる。
むー……。
やっぱりムカツク。
向こうもこちらに気付いたようで刹那さんと一言言葉を交わした後、始は一人こちらへと駆けてきた。
「よ、よう。陽依。昨日は悪かったな」
いかにも申し訳なさそうな表情の始。
昨日の事は確かに仕方ない事だったけど。
仕方のない事だったけど……。
むー……。
「ど、どうした?まだ体のどこかが痛むのか?」
体の傷はお母さんのカムイで完全に完治済みだ。
問題は私の気持ちの方だ。
理屈じゃわかっているけどイライラが収まらない。
だから私は無言で始に向かってこう口にする。
「祖たる原初の木霊よ、馳せ来たれ。そして我が呼び声に応えよ、閃光招雷っ!!!」
「ちょ!おまえっ!ぎゃああああああああああっ!!!」
呪言とともに閃光が迸り、それは始の体に直撃した。
「お姉様やりすぎです……」
「フンっ!!」
サクラの非難の眼差しを受けながらも私は一人スタスタと学園へと向かって行った。
サクヤさんとサクラはビリビリ放電している始を心配そうな眼差しでみつめていた。
サクラは全然分かってない。
そう全然分かっていないんだ。
他人の心をよめるくせに。
私の心をいつもよんでいるくせに。
私が好きなのは。
そう。
私が本当にファーストキスを捧げたかったのは……。




