楽園のまほう
そこには楽園があった。
木々の生い茂る森の奥、人里離れたその土地には、妖精、幻獣、精霊のような者たちが住んでいた。年中、春のような気候のその土地は天候が変わることはなく、花畑には常に美しい花々が咲き続けていて、木々には果実が成り続けている。
小人に虫の羽を生やしたような姿をした妖精。彼らは木々の洞や枝の間に作った家に住んでいた。幻獣のような獣の姿を持つ者は洞穴や洞窟、茂みの中などに巣を作って住んでいる。光の玉のような姿をした精霊たちはその楽園中を漂い、それぞれの光でこの楽園を幻想的に彩っている。
そんな楽園の中に、髪も目も真っ黒な白い肌の男がいた。大きな木の根に腰かけたその男は、一見すれば人間のように見えた。事実、彼はこの楽園で一番人間に似た姿をしていた。
彼の特徴であるそれらがなければ、だが。
彼の背には、2対の翼があったのだ。
一対は、悪魔や竜の持つような固そうで刺々しい黒い翼。その下にあるもう一対は、堕天使やカラスを連想されるような羽毛の生えた黒い翼だった。
そして、頭には黒いツノが生えていて、臀部からは黒く細長い尾が生えている。
彼が何という生物なのかは、誰も知らない。だが、彼がどういった存在であるかを人間たちは知っていた。楽園を守り、仲間を守り、迫り来る敵は殲滅する存在。人間たちは、彼のことを畏怖と恐怖の念を込めてこう呼ぶのだ。
【魔王】と。
魔王はその大木に腰かけ、自然を感じていた。
木々のざわめく音。
どこからか聞こえてくる精霊たちの声。
花畑から漂ってくる花の香り。
川を流れる水の音。
肌を撫でていく春の風。
魔王には、その楽園中の豊かな自然を感じることができ、それを感じることが、魔王にとっての至福であり、楽しみであった。
魔王には眠ることはできるが、その必要はない。食べることはできるが、その必要もない。国を滅ぼすこともできるが、その必要はない。魔法で別の世界へだって行けるが、その必要はない。
何でもできるが、何をする必要もない彼は、ただこの場にて楽園を感じ続ける。
だが、魔王にも何もすることがないわけではない。
「あ、やっぱりここにいる!」
「いつもここにいる!」
「またここにいる!」
「ずっとここにいる!」
そんな声が、魔王の頭上から聞こえる。
魔王が視線を上げると、そこには10人ほどの妖精の子供たちがいた。
頭上だけでなく、周りにも幻獣の子供や精霊たちが集まっている。
「あぁ、ここが好きだからな」
魔王は子供たちに、優しくそう答える。
ここにいる子供たちは生まれたばかりで、まだ、何も知らない。
魔王はその子供たちに楽園でのルール、マナー、道徳を始めとし、楽園の外の危険や自然のあり方まで様々なことを教えている。
それが、楽園での彼の役割なのだ。
尤も、誰が頼んだわけでもなく、彼が自発的に始めたことなのだが。
その話の中には、外の世界からやってきた者が、魔王に話していった冒険譚や民間伝承もある。
子供たちや精霊にとって、魔王から聞くそういった話は楽しく、心踊るものだった。
そして、今日も魔王のお話が始まるのだ。
「さて、今日はどんな話をしようか––」
魔王がそう言った時だった。
近くの茂みが揺れ、ドサッという音がなる。
誰だろうか、と目を向けた魔王はそこにいた存在を見て固まった。
そこいたのは、忌まわしき存在。
欲深く、楽園に近づくことを禁止された生物。
楽園を危機へと追いやり––母を殺した種族。
【人間】だった。
「っ……!」
魔王は息を呑んだ。
彼は知っていたからだ。
人間がどれほど危険な生物で、人間が過去に何をしたかを。
人間は倒れて、動くことはなかった。
成人してすぐの青年のように見えるが、疲労し、憔悴し、体も傷だらけだった。
「なぜ、人間がここにいるっ!」
そう言いながら、魔王は手を振り上げた。
魔王の力なら、人間1人を殺すことなど容易かった。
その首を掴んで握り潰して仕舞えばそれで終わりだ。
だが、そうはならなかった。
否、できなかった。
魔王と青年の間に精霊たちが集まり、まるでやめろとでも言うかのように遮ったのだ。
「どいてくれ! なぜ、止めるのだ!? 奴ら人間は我らの仲間を殺し、この楽園を奪おうとした種族。ここで殺しておかずに逃がしてしまえば、人間はまた来るのだぞ!」
しかし、精霊たちが退くことはなかった。
魔王は考えた。
人間如きの接近に、魔王が気づかないはずはない。
楽園への接近を禁止された人間が楽園に入れるわけがない。
本来なら、森に立ち込める魔法の霧で迷わされ、近づくこともできないはずなのだ。
精霊たちが人間を導いたりでもしない限り、人間が魔王と会うことなどあり得なかった。
つまり、精霊が人間を連れて来た。そういうことなのだろう。
魔王は精霊たちに向けて言った。
「精霊たちが意味もなく、こんなことをするはずがない。なぜ、連れて来たのだ?」
すると、一柱の精霊が言った。
『彼はある願いを持ってここへ来たの。彼は善の心を持った者。どうか、話だけでも聞いてあげて」
精霊の言葉を聞いた魔王は目を瞑り、熟考した後、言った。
「……いいだろう。その青年の話、聞いてやろう」
不満げではあったが、魔王はそう言うと、青年に近くに寄り言った。
「人の子よ。本来、ここに近づくことをも禁じられたはずの存在よ。我らの楽園に何用か」
すると、青年は手を地面について苦しげに体を起こして言った。
「あなたが……楽園の、魔王殿か。私は森の北にある国の王子だ。私の婚約者を助けてほしい。どうか頼む……」
そう言うと、王子は頭を地に擦りつけた。
魔王は驚いた。
この青年が王子であり、1人でここにいると言う事実。
そして、あの傲慢であるはずの人間の王族が、頭を下げるどころか、地に頭をつけてまで願いを請い始めたと言う事実に。
魔王は戸惑いながら言った。
「助ける、とは?」
「あぁ……私と彼女は……間もなく結婚する。そのために近頃は準備を進めていた。私と彼女は幼い頃から仲で、そんな彼女と結婚できることに私は歓喜していた。….…そんなある日、彼女が突然倒れたのだ。医者からは、『不治の病だ。助からない。二度と目を覚ますことはない』と言われた。私は諦められなかった。諦められるはずがなかった!」
青年は声を荒げて言う。
ぽたりと雫が地に落ちる。
青年は涙を流していた。
「……私は探した。彼女を救う方法を。国の宝物庫から蔵書まで、全てをひっくり返して、ようやくある民間伝承に出てくる果実を知った。『楽園の果実』だ。楽園に成る果実の中には黄金のリンゴがあり、それを食えばあらゆる病気が治るという」
魔王は黄金のリンゴを知っていた。
確かにそのリンゴはこの土地にある。
だが、王子の言う果実の効果は正確ではなかった。
楽園の果実と呼ばれる黄金のリンゴを食うと、あらゆる病気が治る。
これは事実だが、それだけではないのだ。
楽園の果実を食うと、老化が止まり、寿命が3倍ほど伸びるのだ。
もしも、人が食えば、人によっては300歳まで生きかねない。
そんなものが存在すると、世に知れたら––。
「魔王殿!!」
王子がさらに声を大きくして言う。
「どうか、私に楽園の果実をください。そのためなら、なんでもする! どうか、この通りだ」
頭を地面に押し付け、涙を流しながら、王子は言った。
魔王はしばらく黙った後で、空を見上げて言った。
「……我にも分かっていた。楽園の妖精や精霊は清く、善意に満ちているが、楽園の外にはそうでない妖精や精霊がいることを」
それは、彼が長年思っていたことだった。
「楽園のドラゴンやグリフォン、ユニコーンは優しいが、楽園の外ではそうでない幻獣が多いということを」
魔王の本心、その独白。
「我以外の魔王は善性など持たぬものが多いことを。人間もまた同じように善なる者と悪しき者がいることを。そして、その人間の中の悪しき者たちが楽園を襲ったのだと」
一拍おいて、魔王は言う。
「母は最期に言った。人を憎むな、と。だが、我は憎かった。母や仲間を殺した人間たちが。しかし、同時に思ってはいたのだ。憎むべきは人ではないだろうと。憎むべきなのは敵、すなわち悪なのだと。だが、許せなかったのだ」
魔王が悪を憎むというのも変な気がするが、と魔王は苦笑する。
そして、再び視線を下ろし、王子を見て言った。
「そろそろ……許しても良いのかもしれんな」
「では!?」
「だが、楽園の果実はやらん!」
「そんな……」
魔王の言葉に落ち込む王子。
それを見た魔王は、笑みを浮かべて言った。
「だが良い考えがある、王子よ。大切な者を失う辛さは我もよく分かっている。安心せよ」
魔王がそう言った瞬間、魔王の体に変化が起こった。
全身の肌が黒くなり、体格が徐々に大きくなっていく。
手足からは鋭い爪が生える。
翼も大きくなり角と尾も伸びる。
そして、全身が刺々しい鎧のような禍々しい見た目へと変貌していく。
やがて、魔王は見上げるほどの巨体を持つ怪物になった。
それは、伝説に伝わる悪魔のような姿だった。
『……だが、行くその前に傷を治しておかねば、騒がれそうであるな』
魔王がそう言って魔法を放つと、傷だらけだったのが嘘のように王子の体は一瞬で治り、さらには体の汚れまでもが取れた。
そして、魔王は王子を両手で優しく包むと、その大きな翼を羽ばたかせた。
〜☆〜☆〜☆〜☆〜☆〜
その日、ある国の王都の人々は恐怖した。
空より迫る黒い影。
絶望と破壊の象徴。
魔王が王都の広場に降りてきた。
その場にいた衛兵達は恐怖を顔に貼り付けながら武器を構え、人々は逃げ惑う。
「王子よ、我が治す。さぁ、案内せよ」
魔王はそう言うと、手を離し、人に近い姿に戻った。
「魔王が人のような姿に……って、あの方は王子!?」
衛兵たちは混乱していた。
突然、魔王が現れたと思ったら、その手の中から、先日失踪した王子が出てきたのだ。混乱しないはずがないだろう。
王子は自分が王都にいることに驚きながらも、状況を把握して叫んだ。
「退け! この方は、楽園に住まう魔王殿である」
王都の民は思った。
そんなこと子供でも知っている、と。
そして、だからこそ取り囲んでいるのではないか、と。
「退いてくれ! 彼なら、彼女の病を治せるんだ!」
その心からの叫びに王都が一瞬静まった。
王都の民たちはハッとした。
昔の王子は結構なやんちゃであり、子供の頃からよく城を抜け出して城下町に来ていたのだ。
時には、王子の婚約者も一緒に。
そのため、この王都において、王子とその婚約者が子供の頃から仲が良いのは周知の事実であり、王都の民たちは彼らを温かく見守ってきたのだ。
その婚約者が不治の病いにかかったという事実は、速やかに王都に広がってしまい、王都に住む人々は大変悲しんでいたのだった。
王子の言葉を聞いた王都の民たちは顔を見合わせると、静かに道を開けた。
「ありがとう!」
王子は礼を言うと、魔王と共に城へ向けて走り出した。
〜☆〜☆〜☆〜☆〜☆〜
城へ戻った王子は、魔王と共に愛する婚約者の元へとやって来た。
本来なら、王への謁見やその他諸々、しなければならないことはあったのだろうが、彼女を救いたい一心の王子にはそのようなことに時間を割く精神的余裕はなかった。
室内には大きなベッドがありそこに少女が横たわっていた。
彼女はまだ城の人間ではないが、王子の婚約者であるということ、城で倒れたということ、そして、この城に国の中でも特に優秀な医者がいることを理由にこの城の一室にいるのだ。
王子は彼女の隣へ行き、その手を取ると魔王の方を見て言った。
「魔王殿、彼女をどうか……どうかお救いください!」
それに対し、魔王は何も言わず、掌を少女に方に向けた。
刹那、魔王の手から眩いばかりの光が迸り、部屋中を白い光で埋め尽くした。
それは心地良く、暖かい光。
全てのものを照らし、包み込む優しい光。
楽園で育ち、愛を受け、優しさを忘れることのなかった彼だからできた魔法。
或いは、奇跡とでも呼ぶべき技だった。
暫くして、光は収まる。
不安げに少女を見る王子にに対し、魔王は言った。
「安心せよ。彼女を蝕んでいた病は治った。暫くすれば、眼を覚ますだろう。体に良い食事を取り、
「あぁ……アリア……良かった。良かった……本当に良かった。魔王殿、ありがとう。本当にありがとう。」
魔王は嗚咽するように泣く王子を見て、よく泣く王子だ、と思った。
そして、人のために泣ける良い人間だ、と思った。
暫くすると、先程の魔王によって放たれた光を見た城の人間たちが部屋の中へ入って来た。
王や宰相、大臣、医者、近衛騎士たちが入ってくる。
そして、2対の翼を持つ男と失踪したはずの王子を見て、訳が分からなくなった。
王は戸惑いながらも言った。
「王子よ。いつの間に帰ったのだ? なぜ、彼女は起きているのだ? そこの御仁は誰だ?」
王子は涙を拭くと、立ち上がって言った。
「父上。この方は楽園に住まわれし魔王殿です。我が願いを聞き届け、不治の病を治してくださったのです」
魔王。
その言葉を聞いた騎士たちは、剣に手をかける。
だが、王は言った。
「やめよ。病を治してくださったというのは聞いたであろう」
すると、騎士たちは静かに剣から手を話した。
それを確認した王は言った。
「事実かどうか確認せよ」
王がそう言うと、後ろに控えていた医者が少女元へ寄り、 少女に手をかざして魔法で容体の確認をする。
そして、暫くして言った。
「そんな、馬鹿な…………陛下、病が完治しております」
それを聞いた王は頷くと、魔王に言った。
「魔王殿、私はこの国の王だ。彼女を救ってくださったこと、感謝する。そして、疑うような真似をしたこと、謝罪する」
魔王は言った。
「王よ。これは愛する者のために1人で楽園をも目指した、勇気ある王子への敬意を表してのものだ。我がしたくてしたことであり、楽園の者たちの意思でも何でもなく、自己満足なのだ。あなたが感謝する必要もないだろう」
続けて魔王は言う。
「王子の優しさ、勇気、愛、それらに我は胸を打たれた。我は思ったのだ。やはり、人にも善意に満ちた者はいるのだと」
一瞬、部屋の中が静かになる。
魔王の次の言葉は何かと、皆が息を呑んで耳を傾けていた。
「王よ。私は人を許そうと思う。楽園の者たちが楽園への接近を禁じる以上、その関係の何が変わるとも思わんが、我とこの国の在り方だけは変わるだろう」
王は今にも震えそうな声で言った。
「寛大な心に感謝する。そして、二度と禁忌を犯すことはしないと誓おう」
魔王はその言葉に頷いて言った。
「その言葉、信じよう」
そうして、魔王と王の話は終わる、と思われだのだが、魔王はさらに言った。
「あぁ、王子よ。忘れていたが、何でもすると言っていたな? 1つ頼みたいことがある」
その言葉に、部屋にいた者たちは固まった。
魔王の要求。
それは一体何なのか。
魂、血、財宝、国。
彼らの頭によぎるものはどれもそういったものばかりだった。
魔王は王子に向けて言った。
「もし、また婚約者に何かがあったら王子は、楽園へ来かねん。よって、我は彼女の様子見を兼ねて半年毎にここへ来よう。だが、それでは王子にしか利がない。だから、その礼として我が来た際に王子には話を聞かせて欲しいのだ」
「話……とは?」
王子は困惑したように尋ねる。
「それは何でも良い。我は楽園にて、子供たちに話を聞かせてやっているのだが、あそこ以外の話を聞かせてやりたいのだ。どのような話でも構わない。王子の知る話を我に聞かせること。これを頼みたいのだ」
王子は頷いて言った。
「魔王殿。その話、承った。必ず極上の話を用意しよう」
「では、その日を楽しみに待つとしよう」
魔王は笑顔でそう言った。
やがて、魔王は半年毎に城へ通い、王子の話を聞きに行った。
そして、それは王子の死後も続く伝統となった。
寿命がないと言われる魔王は、王子の唯一無二の友となり、王子の死後も城へと足を運んでいる。
そして、それはいつまでも続くであろう。
王子の話は、冒険や戦いに溢れた英雄伝でこそなかったものの、誰よりも優しかった王子として民に愛されている。
そして、誰よりも国民を思った王として称えられている。
この国が楽園に手を出すことは二度とない。
人間たちは、彼のことを畏怖と恐怖と『尊敬』の念を込めて魔王と呼ぶのだ。
楽園が育んだ優しい魔王と、楽園を目指した勇気ある王子によって生まれた奇跡のような絆。
この魔法が解けることはない。
そして、今日も魔王は楽園の木の根に腰かけているのだろう。
続編的な感じの短編をまた出すつもりです。
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