03-02 たんぽぽとタンポポ
クロード=ローレンは、常に冷静沈着、無表情が売りなのに、今日の彼はどうしたことだろうか。必死の形相で街中を疾走する。その姿はいつものスーツ姿ではなく、お世辞にも身綺麗とは言いにくい格好だ。彼だと気づく者も少ないだろう。
酒が抜けぬ間に運動を強いられたため、途中何度か足を止め、呼吸を整え直す。
気分が悪いわけではないのだが、何しろしんどい。しかも追うのは、自分が一通り剣と武術のイロハを仕込んだかなり運動神経が良い相手だ。手を抜けない。
――俺の何が悪いと言うんだ!
心の中で愚痴の一つも言いたくなる。
彼はまだ今の状況をきちんと把握出来ていなかった。しかし切羽詰まっているのだけは分かる。自問自答する。なぜ追いかけているんだと。
ヴァンに追いかけろと命令されたから?
いや違う。命令されたわけではない。ヴァンは渋るクロードの背中を押しただけだ。
フルーの居場所は、すぐ把握出来た。何せクロード自身の魔力を分け与えている相手だ。自分と同じ気配がする。適切な言葉が浮かばないが、いつも厄介事に巻き込まれる元精霊達二名には、クロードだけが分かるように魔力のマーキングをしてある。マーキングといっても意識した時に大よそ方角が分かる程度のものだ。街の方に居るのがヴァンで、その正反対に位置するのがフルーという事になる。
――ずいぶん遠くを目指したものだな。
ちゃんと腹を割って話せと言われていたので、話をしようと思ったが、フルーは話しの途中で逃げ出した。そして、ようやく追いついた所、向こうも覚悟を決めたらしく、話をし始めたかと思えば。
唇を重ねられ告白をされる。
最初にもちろん驚きがあった。しかし次に浮かんだ言葉は『ああ、そういうことか』だった。
フルーが好きな相手は自分だということを、クロードは今の今まで気づいていなかった。そのはずだが、だがどこかで納得する自分がいることに二度驚かせられた。
――なぜ俺は、アイツの気持ちに気づかなかった? こんなに傍にいたのに。
クロードは、自分の不甲斐なさに呆れを通り越して、自身に怒りを感じていた。ヴァンが自分を叱責するのも分かる。本当になぜ気づかなかったのだろうか。
――傍に居すぎたせいだろうか? いや違う、気づいていたが、気づいていない振りをしていたんだ。
これは魔族の長い人生で、嫌でも身についてしまう悪癖だ。日々を無難に過ごすため大きな変化を嫌い、自分の利益を優先する。クロードが一番嫌う魔族の姿だ。
自分にもその部分が生まれていたとは露にも感じていなかった。その事に打ちのめされる。
フルーから受けた告白に対する初動の思考は、ここで一度止まる。
クロードは、考えが押し寄せていたせいで、フルーの次の行動に対応が遅れた。それもフルーの作戦の内だったのだろう、まんまと乗せられてしまった。
突然フルーが何か書類を開いた。嫌な予感がした。
――あれは、あの時の契約書か!
数歩下がっていたとはいえ、魔族のクロードは夜目も利く、フルーが手にする書類をすぐ確認した。
契約書に指を掛ける。予感が正しい事に気づく。
「それは……、まてフルー、何をする気だ!」
その一瞬の光景が目に焼き付いて、心臓が止まりそうだった。
手にしていた自分の上着とフルーの青いショールを地面に落とし駆け寄るが、手が届く前に、目の前で契約書を破られた。
「さようなら、バイバイ……」
そう言いながら、アイツは満足そうに微笑んでいる。
契約書は、汚したり紛失破損したからといって、契約が破棄になることはない。
破く行為には意味がない。しかし、そこに本人の意志が入れば、ただのパフォーマンスではなくなる。フルーが自ら契約書を破ることは、契約終了を意味し、クロードからの魔力の供給を絶つと宣言したことになる。
同時に鉱物人間のフルーにとってそれは『死』を意味する。
「ああ、なんだすぐには消えないのか」
フルーは、自分の身体が光出したのを見ていた。
その光はフルーの蓄積魔力だ。クロードとの契約を解除したことにより、身体に魔力をとどめておけなくなり、大気に漏れ出しているのだ。光は空に一度舞い上がると、ゆっくり地面へと落ちて行く。
そのせいで辺りが薄ぼんやりと明るくなる。
フルーはその場でクルクル回転する。フレアの効いたスカートが円を描き、フルーの身体から蛍が舞うかのように、更に大量の光が渦を巻いて散る。なんとその光が落ちた先の花が咲き始める。フルーの髪と同じ色をしたタンポポの蕾が花開くではないか。
鉱物の精霊は地属性だ。植物にも密接な関わりがある。その力に惹かれ、花達が狂い咲いているのだ。
――ふざけるな!
クロードは、久しぶりに頭の芯までかっとする怒りを覚えた。光を飛ばして遊ぶフルーの手首を引っ張り止めた。
「フルー!」
「何?」
「受け身を取れ」
一言そうつぶやく。予告はした。
「へっ」
クロードはフルーの肩を掴むと、その両足を払いあげた。
フルーの足はいとも簡単に地面から離れ、ヒールが片方宙を舞った。
フルーはクロードにより地面の上に組み伏せられてしまった。
「な、何をするんだ!」
咄嗟に受け身を取ったフルーだが、まさか技を掛けられて倒されるとは思ってもいなかったらしく、回避するまでは出来なかった。
「それはこっちの台詞だ」
クロードは、自分の魔力をフルーの身体を押さえつけている手に集める。それに気づいたのか、フルーは暴れ出す。
「いやだ、やめてよ、離せ!」
「それは出来ない相談だ! 分かっているのか、このまま魔力を外に放出し続けたら消えるんだぞ!」
クロードは、フルーの消滅を阻止するために、自分の魔力を無理やり注ぐ手段に出た。
フルーやヴァンは、普通に生活している分には、そんなに魔力を必要としない。時折クロードの傍に居れば、だいたい大丈夫だ。しかし大きな怪我や緊急時のために、多めに魔力を渡している。滅多な事がなければ消滅することはない。しかし今フルーがしている魔力の放出は尋常じゃない。このままならあと数分でフルーの身体は透明になり、最後は光の粒が全て弾けて消えるだろう。
その場には、本体であるイエローダイヤモンドが取り残される。体も人格も全て鉱物の中へと消え失せる。
「……もちろん、分かってやっているよ」
「分かっているなら、こちらも止めるわけにはいかないだろうが! 魔力の放出を止めろ!」
「いやだ!」
話しは平行線で進まない。
「相談なく決めるな」
「相談ね……しようと思ったんだよ。でも無理そうだから」
「ならいましろ! いつもこちらが話す時間も猶予も与えず、勝手に決めるな! 少しはこちらの気持ちも考えろ」
クロードはフルーの肩を抱き締めると、首筋に顔を埋める。
「頼むから、俺の前から勝手に消えないでくれ。もう誰かを見送るのは真っ平だ」
フルーは、クロードの素直な声が耳に届いたらしく、無暗に暴れるのはやめた。その代わりクロードの頬にそっと手を置いた。
「ごめん、君が誰かを失うのを恐れているのは気づいてた。でも僕は……僕は君の事が好きなんだ。この気持ちは捨てられない、だから」
クロードは、フルーの手の上に自分の手を重ねた。元々冷えていたフルーの手だが、生き物としての鼓動が徐々に失せて行くのが、掌を通して感じられる。クロードは、それが恐ろしくてたまらない。あと数分でこの手はつかめなくなる。
――はっきりわかった。この手をなくしたくない、離したくないと。
「それならそれで構わない」
何をどう言えばいいのか分からない、心の中には焦りが募る。
「……それなら構わない? 君は何を言っているか分かって言っているんだろうね?僕は本気だよ」
言う言葉を間違えたようだ。
「すまない、いや……、何でも包み隠さず答える!」
自分の口下手さをこうも憎いと思ったことはない。こういうシーンに慣れていない。人間領に入ってからは、故意に遠ざけていた。
「なら何で僕の方から解除自由にしたんだ? 魔力の報酬を労働にしたんだよ」
「それは、お前を縛りたくなかったからだ」
フルーはそのまま話を聞く体制に入った。
「俺の志向でお前が変わるのが嫌だった。俺の好みの人形が欲しいわけじゃない。
反抗したり喧嘩したり、意見を言い合うそういう間柄でいたいから、だからこちらからの制限を無しにした。対等にはなれないと分かっていたが、そこは線を引きたかった。だから労働の報酬として対等な契約にした」
あの契約書の意味を初めて語った。思案して思案して書いた契約書だ。しかし、クロードはいま自分の口から語る言葉に自信がなかった。
「そうなの」
自分はフルーの欲しい答えを言えたのだろうか。
――いや、この答えは違うだろう。
クロードは話を聞くフルーの空色の瞳が、違うと言っていたのを途中から気づいていた。
――そうかなるほど。お前はイチかゼロしか返事は許さないわけか。ずいぶん考えたものだ。
クロードは、目を瞑るとフルーの手を握り考えた。
数秒でいい、考えるんだ。
自分にとって目の前の相手は、どういう存在か。
消えても構わない他人か?
――違う。
消えてほしくない友人か?
――それも違う。
代わりのきくモノか?
――きくわけがない!
では何だ?
――それは……。
中間の答えはゼロと同じ。フルーにとってのイチはたぶん一つだけだ。
クロードは地面の上から起き上がった。そしてフルーの手を引き立ち上がらせる。
「何をするの?」
「いいから、そこで立って待っていろ」
クロードは、自身のシャツをズボンの中に戻し、シャツの開いていたボタンを留め、襟を正す。ボサボサの髪も手櫛だが解いて、身だしなみを整える。地面に散らばった服や靴を持ってくると、フルーにはストールを肩に掛けてやる。そして倒した時に片方脱げたヒールを前に置き履かせる。
フルーはクロードの不可思議な行動をただ見ていた。
クロードは上着を着ると、息を一つ吐いてからフルーの前に片膝を地面についた。そしてフルーの手を取る。
男性が女性の前で膝を折るのは、自分より上の者に敬意を表す時と。
あと一つは……
「フルー、消えるなんてやめてくれ……どうか俺のこの長い人生を一緒に歩いてくれないだろうか?」
「……」
フルーはというと、じっとクロードを見下ろしたまま微動だにしなかった。
「この返事も、もらえないのだろうか?」
「もう一声」
「えっ」
「もう一声欲しい!」
フルーは、突然その場で両足をじたばたと踏み鳴らしはじめ、ニヤニヤと笑っている。クロードが自分にしている意味をようやく理解したようだ。
「……一度しか言わないからな」
「うん、わかった」
「お前のことが好きだと気づいた。どうか考え直して馬鹿な俺の傍に居てくれないだろうか」
フルーは返事をしないで、代わりに自分の前に屈むクロードの腕の中に飛び込んできた。クロードはフルーの身体を受け止めるしかなかった。クロードの胸に額を擦りつけごめんなさいと謝り続ける。
それは自分の命を盾にして、脅迫じみていたからだろうか。しかしそうでもしなければクロードの気持ちは図れなかっただろう。決死の覚悟だったはずだ。
「返事は?」
まだ返事をもらっていない。
「もう気づくの遅いよ。はい、わかりました。そうします」
「……はっ?」
クロードは、この場面に合わない不機嫌極まりないといった低い声でフルーの返事を聞き返す。その迫力はフルーが驚いて思わず顔を上げてしまうのに十分だった。
クロードは、指先でフルーの鼻の頭を弾く。フルーはたっぷり涙を貯めた瞳を数度瞬かせると、光の粒がはらほろと落ちる。
「せっかくだから、俺からも『もう一声』とやらをお願いしようか」
「ほえっ」
フルーは変な声を出した。
こちらもそれ相応の覚悟で告白をしたのだから、食事の注文を決めるような素っ気ない返事で許すものか。
――先程のお返しだ。
目は口ほどに物を言う。至近距離にいるのに、フルーはクロードと目線を合わせようとしない。視線を自分の胸元に落とし、返事の言葉を探しているようだ。
「……傍にいる、君のことが好きだから……だから、絶対離さないで!」
そう言うと再びクロードに抱き付いて顔を隠す。今度は恥ずかしさが加わっているのだろう。
フルーは魔力の放出をやめていた。しかし周囲はフルーが放った魔力のせいで明るいままだ。
力が抜けた。
クロードは、草原の上に尻をついて座ると、フルーの肩を抱いて摩ってやる。
二人共気づけば、クタクタだった。しばらく動きたくなかった。
今は何時頃なんだろうか。長かった一日に思いを馳せる。夕方から久しぶりに全力で飲んで、酔い潰れたと思ったらすぐさま全力疾走。そして魔力を数分全力で放出する刑。全力続きだ。そして今に至るわけだが、半月が西の空に沈みかけている。夜半ぐらいだろうか。
しかし、苦労して手に入れた収穫は大きかった。
ようやく顔を上げたフルーは、恥ずかしそうにもぞもぞと動く。上目使いでクロードを見る。
ドクターが、美人になって何が困るのかと言われたのを、ふと思い出す。
――確かに、ドクターは正しいと認めよう。
男の時は愛らしい姿だが、贔屓目を引いても今はこんな美人そうそういないと思えてしまう。そう思い始めると目のやり場にも困る。
「クロードは、いつから僕のこと好きだったの?」
こちらの動揺に気づいたのか、はたまた偶然か、泣いたカラスがもう笑ったかのごとく、また唐突な質問を投げかける。これは答えるべきか悩んだ。
「それは……」
三年前のこと、一人の行き倒れがこの花畑の中に倒れていた。腕の中に抱き起こしたのは紛れもなくクロードであった。
既視感ではない。いまこの状況はあの時と全く同じだ。
たんぽぽが咲く園に、同じ髪色の花が倒れていた。
友を失い世界が灰色に感じられていた時、差し込んだ金色に息を飲んだことを。
きっとあの時からだ。
――あの時から俺はこの花に囚われてしまった。しかし、そのことは口が裂けても言えない。
「内緒だ」
「ずるいや!」
これ以上いらぬ質問を受けてはたまらない。クロードに文句を言ううるさい口を塞ぐことにした。
大丈夫、夜はまだまだ長い。