01-02 ブーケと嫉妬
その日は、いつになく温かく穏やかな日だった。
エヴァとダニエルの結婚式は人前式だった。近くの講堂を貸切にして式と披露宴のパーティーが執り行われた。
両家の親族が一堂に揃うとかなりの人数になってしまう。さすが良家出身の二人だ。普通の施設では収容しきれない。他にも仕事仲間や仲の良い知人が招かれた。いつものメンバーも例外なく全員に招待状が届いた。普段いい加減な格好をしているドクターも今日は礼服姿で式に出席している。今日の出席者は全員正装だ。
そして本日の主役、新婦ダニエル=フォノは真っ白なマーメードラインのドレスに身を包み、皆の前に姿を現した。白い薔薇をあしらった花の冠をつけている。本人がいつも気にしている鼻の頭にあるそばかすは、プロのヘアメイクにより綺麗に隠され、まるでゆで卵のような艶々な肌をしている。彼女自身、元は悪くない。美しい花嫁が笑顔を振りまく。本日の新婦は実にお淑やかだ。結婚は嫌がっていたがドレスにはまんざらでもない様子だ。
そしてそんな新婦の隣に立つ新郎のエヴァリスト=ジアンは、白いタキシード姿だ。さすがに緊張しているのか今日は口数が少ない。
「馬子にも衣裳とはこの事だな」
「ローレン!」
ダニエルのドレス姿をみたクロードは、そう感想を述べた。ダニエルはドレス姿で地団駄を踏む。
「冗談だ。今日はとても綺麗だぞ」
前言撤回。外見はお姫様のようだが、中味はいつものダニエルだ。
「もう、最初からそう言いなさい」
式は滞りなく進み、式の最後に新婦がブーケを投げる。幸せのお裾分けだ。
迷信だが、ブーケをキャッチした女性が次に結婚できるというアレだ。
「いくわよ!」
ブーケトスは庭園の階段で行われることになった。
新郎新婦が階段の上に立ち、そこからブーケトスが行われる。
出席者は、面白そうに余興を見守る。しかし結婚をしたい独身女性達にとってこのイベントは戦場。女性陣が新郎新婦の前を陣取っている。
ダニエルは後ろを向くと、勢いよくブーケを頭の後ろに投げた。
「えいっ!」
掛け声一つ、花冠と同じ白い薔薇で出来たブーケは勢いよく空を舞う。……いやそれは勢いがよいというレベルではない、大暴投だ。
ブーケは、スタンバイしていた女性たちの輪を通り越した。
「ダニエルやりすぎ……」
ダニエルの隣に立っていたエヴァは、やってしまったという顔で、ブーケの落下先を目で追った。ダニエルも、すぐ背後の様子がおかしい事に気が付き、ドレスの裾を持ち、慌てて正面へ振り返った。
「ご、ごめんなさい!」
ブーケは、女性たちの悲鳴と共に後方の人垣へと落ちた。そして、バサッという音と『いてっ』という声が同時にした。これは誰かに思いっきりぶつかったようだ。
そして振り返ったダニエルが見た光景は、フルーの顔面にブーケがヒットしているところだった。
ブーケは、フルーの顔面から彼の両手の上に落ちる。
フルーは後方で、周囲の人と雑談をしていた。まさか自分の方に大暴投してくるとは思いもしなかったのだろう。顔面でまともに受けてしまった。
フルーの手から薔薇のいい香りがしてくる。そんな感想を述べている場合ではない。フルーは、周囲の冷たい空気に気づいた。
――うわあああー、ダニエルの馬鹿!
これは男性の自分が持っているべき物ではない。誰か正当な人に渡さなければ。
フルーは周囲を見回す。近場には、クロード、ドクター、ヴァンがいた。もちろん三人とも駄目だ。クロードは失笑し、ヴァンはフルーを哀れむ視線を送り、ドクターはこちらを指差してゲラゲラと大笑いしている。三人三様の対応だ。
そして、その傍らにはワンピース姿のジョゼがいた。フルーは慌ててジョゼにブーケを押し付けた。
「えっ、俺かよ!」
フルーからブーケを渡されたジョゼは、顔を真っ赤にして焦り出す。彼女もれっきとした独身女性ではあるが、ジョゼはまだ女性らしいことが少々苦手だった。しかも大勢の注目を浴びる。それに耐えかねたのか、ブーケをフルーに押し返す。
「いやいやいや、駄目だって」
フルーは、ジョゼから押し戻されたブーケを受け取らなかった。
ジョゼは困り果てて周囲を見回すと、自分達から少し後方に居たある人物にブーケを投げた。
「お姉ちゃんパス!」
ロクサーヌと一緒に居た姉のオルガだ。オルガはジョゼから投げられたブーケをキャッチする。
「えっ、えっ、私が貰っていいの?」
「おう、お姉ちゃんで間違いない、そして似合う」
「そ、そうだね。オルガおめでとう」
フルーとジョゼがうんうんと首を縦に振りながら、拍手をしてその場を鎮静化させようと躍起だ。
「あ、ありがとう」
エヴァとダニエルはというと、事の一部始終を目撃したらしく、仲良く大笑いしている。同じような笑い方だ。今日から彼らには、謹んで『似た者迷惑夫婦』の称号を授与しよう。
――まったく。
結婚初日からこれでは、今後が思いやられる二人である。
披露宴は親族だけで厳かに、二次会は職場や知人達を中心とした賑やかなパーティーが催された。そしていつのまにか三次会が開催されることになった。
場所はロクサーヌの食堂。新郎新婦は、さすがにドレスタキシード姿のままでは疲れるので、一度私服に荷替えに帰った。
残ったメンバーは、先に食堂へと移動することになった。既にパーティーを一つ終えた面々は、少し疲れた様子で食堂に座り込む。
その中、店の奥の長椅子の席でドクターが伸びていた。
エヴァとダニエルの式に感極まりいつもに増して酒が進んでいたのか、二次会後半で完全につぶれてしまった。ヴァンが再三『帰ろう』と促していたが、ドクターは頑として帰ろうとしなかった。そして現在に至る。いつもなら酔い潰れたドクターをヴァンとエヴァの二人で連れ帰るのだが、今日の主役にそれをやらせるわけにはいかない。ヴァンはクロードに力を借りて、なんとかここまで担いで帰ってきた。
二人は店で一番大きい長椅子にドクターの身体を横たえる。意識がはっきりするまで、一人にするのは危ないので、ここで様子を見る事にした。
クロードは伸びているドクターの横に腰を下ろす。
「ヴァン、少し休みなさい」
クロードはヴァンに代わり、ドクターは見ていていると申し出た。
「ありがとうございます。ではお言葉に甘えてそうさせていただきます」
ヴァンは、着ていた上着を脱ぎネクタイを外すと一息ついた。ドクターをここまで運んできたため、汗だくであった。
フルーもまた、ドクターに歩み寄ってきた。その手には、トレーを携えている。
トレーの上には、食堂のキッチンを借りて作った濡れタオル、水が並々と入った水差しとコップだ。フルーはドクターの体を横向きにしてやり、額に作ってきた濡れタオルを乗せる。
「サンキュー花ちゃん、もう少しで復活するからよ」
ドクターはどうやら意識があるようだ。フルーはお礼を貰う。
「今日、ドクターはいつもに増して陽気だったね」
フルーはクロードとヴァンに声を掛けた。
「エヴァは、エリックと同い年だからな、気持ち的には親の気分なんだろうよ」
エリックとは、ドクターの亡くなった息子の名前だ。フルーは、エリックとエヴァの関係をクロードから聞かされていた。二人は親友であったとも。
「そうなんですよ。だから今日ばかりは、私も無下には出来ませんでした。すいません二人とも、少しだけドクターの事お願いします。すぐ戻ってきます」
ヴァンは、ぺこりと頭を下げてから、洗面所の方へと走ってゆく。
ヴァンと入れ替わるように、オルガとジョゼがフロアにやってきた。二人は先程受け取ったブーケと、それを生ける花瓶を持っていた。
まずオルガがテーブルの上にレースのクロスを広げ、その上に、ジョゼが丈の長い花瓶を置いた。さすが姉妹息がぴったり合った作業だ。
花を生けるのは、姉のオルガの方だ。ジョゼはこういった作業は苦手であった。姉の横で花が活けられる様子を見守るようだ。
丸い形状にアレンジされた白薔薇のブーケは、オルガの手により丈が長い花瓶に活けられる。茎に結ばれていたリボンはテーブルに垂れる。
「うん、この花瓶でピッタリだわ。ジョゼなかなかセンスあるわよ」
「ホント!」
「ええ」
オルガがジョゼと飾りつけを交互に見つめて、笑みを浮かべる。フルーはそんな姉妹の様子を見て、微笑みのお裾分けを貰う。
――良い眺めだな。
そしてふと心に思ったことを声に出してしまった。
「次はオルガが結婚するのかな」
「え、私?」
オルガは、フルーの方に振り返り、苦笑をする。
「いい方がいればお願いしたけど、まだ先かしらね」
オルガはそんな事を言っているが、美人で家庭的な彼女は男性から婚姻を申し込まれること、引く手数多だ。今の所、体が弱いのでと遠慮している。そしてもう一つオルガの結婚を遅らせている最大の難関は、小姑のジョゼの存在だ。彼女が姉に変な虫が近寄らないようにしっかり見張っている。もし自分では払い切れない場合は、腕っぷしの強い知人を召集している。そういうフルーも何度か協力させられていた。
しかし、そんな障害を乗り越えてくる猛者が出てくるに違いない。近い将来オルガも今日のダニエルのように綺麗なお嫁さんになるのだろう。
「そういやさ、ローレンは結婚しないのか? こんな高物件、女どもが黙ってないだろうに」
ジョゼは突然クロードに話を振った。
「また藪から棒に、俺をそういう話題に担ぎあげるな」
クロードはそう言い、ジョゼの言葉をピシャリと止める。
「ジョゼいいところに気が付いた、それはだな……」
いままで長椅子の上で伸びていたドクターが話に参戦しようと、顔を上げる。
「酔っ払いは黙って寝ていろ」
しかし、ドクターはクロードにタオルを顔に置かれ、長椅子に戻される。
そういえば、不思議に思っていた。クロードの周囲からそういう浮いた話を聞かない。
――その話題は、とても気になる。
「なんだよ。気になったから、ちょっと言ってみただけじゃん、ローレンは懐が狭いな」
ジョゼは、話を止められ面白くないと、口をとがらせる。
「その悪い口、いつか縫い合わてやるぞ」
「出来るものならやってみろ~」
「もうジョゼったら、ローレンさんに失礼でしょ。すいません」
傍にいたオルガが慌てて、ジョゼの頭を抑え、クロードに向かって二人頭を下げる。
「オルガ、今のはそう気にしないでくれ。俺とジョゼはいつもこんな感じだからな」
クロードは、普段食堂でジョゼとよく話をする。屈託なく話しをしてくるジョゼとは、いつもこんな感じの会話になる。一見喧嘩をしているように聞こえるが、そういう訳ではないのだ。二人の会話をあまり聞いた事がないオルガは、クロードを怒らせてしまったのではないかと、恐縮したようなので誤解を解く。
「な、なんだよこの差! ローレンは俺には厳しいのにお姉ちゃんに優しいな。……まさか、お姉ちゃんに気があるんじゃないだろうな! 絶対駄目なんだからな」
――おお、これは意外な展開に発展。
「ジョゼ、本当にやめなさい」
オルガがジョゼの口を抓りあげる。
「ごふぇんなさい」
とうとうオルガを怒らせてしまったようだ。ジョゼは怒った姉が世界で一番怖い存在なのだ。早々に白旗を上げる。
フルーは一連のクロードとジョゼの漫才を静観していたが、我慢できず笑い出す。
「なんだい、ずいぶん楽しそうなじゃないか」
丁度その時、トレーの上に飲み物を乗せてロクサーヌが回ってきた。彼女も式に出席していたので、普段になくお洒落をいている。今日は、真紅のドレスに身を包んでいる。それは彼女の性格と同じで情熱的だ。しかしその上には、彼女のトレードマークのエプロンが掛けられている。汚れては大変だ。
本日、ロクサーヌの食堂は休業のはずだった。だが急遽三次会の話が出て、『ならうちの店を使いな』と快く店を開けてくれた。
ろくな食べ物は出せないと言っていたが、この短時間で簡単な飲み物とつまみを用意してきてくれた。パーティーで食事をしてきたので、この程度の量で丁度いい。
「ジョゼ、あんまりローレンをいじめるんじゃないよ。この魔族は、人間の女の子にこれっぽっちも興味がないんだからさ」
「おいおいロクサーヌ、変な話をするな」
今まで平然としていたクロードは、ロクサーヌの言葉に突然慌てだす。
「いいじゃないかい、本当の話だし。いいかい、この街の女達は、思春期頃になると一度はローレンに憧れるものなんだよ。一種の病気みたいなものかね」
「人を病みたいな例えに……」
「何さ、今でも若い女の子達に人気があるくせして、言ってくれるね」
「そうなの? 全然気づかなかった。意外に隅におけないんだね」
「そうさ、フルちゃん気を付けた方がいいよ」
「は、はあ?」
――何に気をつければいいのだろう。……あれ、もしかして。
フルーはある事に気が付いた。『この街の女達は』、『一度はローレンに憧れる』ロクサーヌのこの言いよう、もしかしてこの話は。
フルーはロクサーヌに、鎌をかけてみる事にした。
「もしかして、それはロクサーヌも?」
「そりゃ、私も多感な若い頃があったさ。イケメン、仕事が出来る、腕っぷしも強い、三拍子揃っているのが前をうろついてたら、心がなびかないわけないだろう」
――これは初耳だ!
今日のお祝いモードに、ロクサーヌは何となく口が軽くなっている。突然のカミングアウトに、その場に居た人々は興味津々だ。
「でもしばらくすると気づいちまうのさ、ローレンはこちらに興味がないし、外見は若いだけの、中味は爺さんだってね。思春期が終わる頃に卒業さ」
ロクサーヌは、そう言うと本当愉快そうに笑い、クロードの背中を叩く。つられて周囲の人々も笑い出す。
クロードは、祝宴の肴にされて迷惑そうだ。いつもの仏頂面から、さらに表情を強張らせて、『これだから嫌なんだ……』と愚痴までこぼしている。
「この辺りでローレンをいじれるのは、あたしとドクターくらいさ。大事にしないと酷いよ」
「はいはい、これからも贔屓にするから、もう黙ってくれ!」
堪り兼ねてギブアップをする。これは普段なかなかお目に書かれない光景だ。完璧が服を着て歩いているようなクロードが、ロクサーヌ相手に形無しだ。
「俺はローレンよりフルーの方がいいからな」
ただいま思春期真っただ中のジョゼは、自分は今の話の女性とは違うと訂正をする。そしてちゃっかりフルーの脇に収まる。
「はいはい」
フルーはジョゼの頭を撫でてやる。
クロードは、年配組のロクサーヌとドクターにはなかなか勝てない。これが付き合いの年期の差なのだろう。
フルーはその場にいる人々を見回した。
ここにいる面々も結婚をして家族を持ち、街を出て行く者もいるかもしれない。数年もすれば、今みたいな生活ではなってゆくのだろう。クロードも行く行くは結婚するのだろうか。いずれ別れが来るものだと分かっていたのだが、唐突に寂しいという気持ちが胸の内を支配した。
――クロードが誰かと結婚してしまうのは嫌だな。
「っ!」
フルーは自分の考えにはっとする。
――自分はいま一体、何を考えていた。
フルーは頭を左右に振る。次は誰が結婚するかの話で、少し寂しい気分になっていたせいだ。
フルーは気分を変えるため、ジョゼにエヴァとダニエルがまだか外を見に行こうと誘った。ジョゼは喜んで同意してフルーの腕に手を回す。しかし、丁度戻ってきたヴァンから、『フルーから離れなさい』と引き離されてしまう。そして二人は口喧嘩を始める。フルーは今日何度目かの二人の仲裁に入らなくてはいけない。この楽しい二人のおかげで、さっきまでの嫌な気分はどこかに飛んでゆく。
フルーはちらっとクロードの方を見た。いまはオルガと仲良く話しをしている。美男美女が並んでいて、お似合いで花のある風景だ。
チクリッ
なぜか胸の中心奥が痛む、トントンと指先で叩く。今日は慣れない席で緊張していたから疲れているのだろう。少し休めば大丈夫だろう。
――気のせい気のせい。
しかし今の話を聞いて、この身体が発生したとき性別が女性じゃなく男性でよかったと心底思った。元精霊のフルーの場合、女性の可能性もあったのだ。
もし女性だったらクロードから人間の女の子だと思われ、遠ざけられていたかもしれない。
――女性だったらまた違ったのかな。
でもそれは仮定の話だ。
三次会の会場の空気が温まり始めた頃、本日の主役の二人が登場する。私服に着替えてきた新郎新婦が食堂の入口に登場した。私服と言っても、少し着飾っている。
エヴァは赤いジャケットをさらりと着こなし。ダニエルは花柄のワンピースと白いヒールの靴を履いてきた。普段仕事柄スーツ姿が多い二人には、レアな格好だ。
「皆様お待たせしました、本日の主役が戻ってまいりました」
「待ってました!」
「今日は皆さん私達にとことん付き合ってくださいね! 仕事に忙殺されていた新郎が今日出発予定の新婚旅行の列車のチケットを取り損ねたので、今日の予定がら空きです!」
「すいません、しくじりました」
ここで、ダニエルは新郎エヴァの失態を爆弾投下し、会場内を笑いの渦に落とす。
フルーは華やぐ空気に流され、抱いた自分の気持ちは、どこかに置き忘れた。
そうこの時は……。