01-01 ブーケと嫉妬
季節は巡る。
元精霊のフルーがアルデゥイナで迎える三度目の春。丁度フルーが拾われた頃だ。街外れの野原には今年もタンポポの絨毯が出来、民家の軒先に立つ白木蓮が咲き始める。
朝昼は寒さが残るが、穏やかな日の光を受けて、春の海は輝きを増す。もうすぐ春本番。そんな今春、エヴァとダニエルの結婚式が近づいていた。
ダニエルは、今年の人事異動で秘書官から念願の政務官に昇進し、エヴァは相変わらず流通官として商業地域を忙しそうに飛び回っている。二人は許嫁の間柄ではあるが、『結婚』という二文字から巧みに逃げていた。
しかしダニエルも政務官の地位を勝ち取ったのをきっかけに、周囲の親戚達が二人に必死の説得を始めた。そしてようやく観念をし、この春日取りの良い日に式を挙げる運びとなった。
当人同士は仲も悪くなく、言葉には出さないがお互いを思い合っているので、この結婚に何も問題はない。周囲の友人同僚達も二人を心から祝福していた。唯一心配なのは、お互い仕事が忙しいため、すれ違いにならなければ良いのだがという事ぐらいだ。しかし、そんな心配も今更なのかもしれない。長年上手くやっているのだから、これからも二人はそうして生活をしてゆくのだろう。
結婚式を一週間後に迫っていたある日の事、アルデゥイナに小さな事件が起きる。
このアルデゥイナという街は、本当に人が多い。人が多ければ事件や事故は付き物。最近は突飛な事件はあまり起きていなかったのだが、今回は様子が違うようだ。
久しぶりの大事件の匂いがする。
街中に破裂音が響く、音は数発。音は建物の壁に反射し、行き交う人々の足を止めるのに十分な音量だった。これは銃声だ。
そして数秒後に、人々の悲鳴と怒号が押し寄せる。
「銀行強盗だ!」
誰かが、そう叫んだ。
しかし人々はすぐに冷静を取り戻す。そして銀行から十メートルほど離れた位置で、野次馬達が人垣を作り始める。
「こんな真昼間から勇気あるよな。役場の警備隊まだ来てないの?」
さすがアルデゥイナの住人というか、肝が据わっている。しかし、どこか他人事のような会話だ。この街に軍はいない。その代わり役所が編成している警備隊が街の各所を守っている。そのため住人は、自分達に被害が及ぶとは思っていないのだろう。人々の間から愚痴さえ聞こえてくる。警備隊は良く機能しており、街中の治安は年々良くなっている。しかし今日はどうした事だろう。警備が厳重なはずの銀行に強盗が入るとは実に珍しい。しかしこの様子では、銀行に押し入った強盗は、すんなり金品を奪えなかったようだ。銀行が独自に雇っている警備員に出入り口をふさがれ、逃げ場を失った強盗団は、客を人質に取って立てこもっている。
事件が発生して数分、街の警備隊はまだ到着していない。
「なんだよ、こっちは急いているのに」
野次馬に混じって、この事態にぼやく少女の姿があった。彼女はワンピースに白いエプロン姿の少女だ。金髪の髪を肩できっちり切り揃えている。まるでその場に花が咲いたような非の打ちどころのない美少女だった。ただ一点、言葉使いが異常に悪い。彼女は人垣をジャンプして中の様子を伺う。
「なあ、これ当分終わんなそう?」
知り合いというわけではないが、彼女は周囲に集まった人々に声をかける。
「ダメだな。警備員と睨みあって膠着状態みたいだ」
「えー、なんだよ。こっちは銀行に急ぎの用があるってのに」
彼女はロクサーヌの食堂の店員ジョゼ、今日は銀行にディナー用のお釣りを作りにやって来ていた。
ジョゼはこの二年半、ロクサーヌの食堂で真面目に働いている。最近は、ちょっとしたお金の管理まで任せられるほど信頼されている。そしてジョゼは元々愛らしい美少女ではあったが、年を追うごとにその姿は、磨きがかかってきた。彼女の姿を見たさに、食堂を訪れる客も少なくはないらしい。看板娘として立派に売り上げに貢献している。
「でもさ。この街で強盗だなんて、よっぽどのモグリか余所者じゃねぇの。蹴散らされるよ」
「そうだな」
最初は、愚痴をこぼしていた人々だが、次第に強盗団に同情の言葉が漏れ始める。
皆、ホント呑気だ。その理由は警備隊の他にもう一つある。この街には、強い助っ人が住んでいるからだ。
「なあ、警備隊がまだ来ないなら誰かローレンさん呼んで来いよ」
「だなだな」
別名『魔族の住む街アルデゥイナ』。そしてその魔族が言うには、『魔族使いの荒い人間が大勢住む街』とのことだ。
「あのさ、ローレンはいま隣町で留守だぞ」
ジョゼは、クロード=ローレンが仕事で隣国に行って留守にするのを本人から聞いていた。戻ってきているならロクサーヌの食堂に姿を現すはずだ。
「そっか、なら補佐官さん呼んで来るか」
補佐官とはフルーの事だ。野次馬の人々は、クロードの不在を知ると、話題の矛先をフルーに向けた。
「だってよ、どうするんだ?」
ジョゼは、そう言うと隣に立っているスーツ姿の人の腕を取ると、その腕に抱き付いた。
「えー、もう警備隊に任せればいいのに」
美少女ジョゼに抱き着かれた人からは、小さなため息が漏れている。そしてジョゼが抱きついたこちらも、ジョゼに負けず劣らずの美少年だった。彼は青いスーツを綺麗に着こなし、その腰には細身の剣を携帯している。最近有名になりつつある、特務官補佐こと、アルデゥイナに住む元精霊のフルールだ。
フルーは、街中でお使い中のジョゼに偶然出会った。そしてジョゼから『途中までデートしようぜ』とお使いに付き合わされていた。
「ねぇジョゼ、最近精霊使いまで荒い気がするのは、僕の気のせいかな?」
ジョゼは、ガハハハと笑い声を上げると、フルーの背中を叩く。最近ジョゼは、ロクサーヌに態度が似てきた気がする。
「まあ頑張れや補佐官殿。はいはーい! みなさん補佐官ここにいますよ!」
ジョゼは大きな声で、周囲にアピールしてフルーの腕を引っ張り、道を先導する。
「ちょっとジョゼ煽るのはやめてよ……うわあっ」
フルーはジョゼに思いっきり背中を押された。そして気づけば人垣から押し出される形で、銀行の建物の前に出来た空間に踊り出る。フルーが姿を現すと『待ってました』とばかり、野次馬達から歓声が上がる。
「フルー、頑張れよ!」
フルーは人垣を振り返ると、ジョゼが最前列で両手をブンブンと振って一際大きな声援を送る。期待を一身に受けるとは、まさにこの事だろう。周囲から無責任な声援が飛び交う。
――とほほ、これだよ。
再びため息一つ。そしてお腹を摩る。
フルーは本日碌な食事をしていなかった。それもこれもクロードが留守で多忙のためだ。フルーはこのままジョゼを送り届けて、ロクサーヌの食堂で何か腹ごなしをさせてもらう算段をしていたのだが……
食事は当分お預けのようだ。
「市民の皆さんは危ないので下がっていてください! 少しだけお静かに願います」
フルーは覚悟を決めると、野次馬達に声を掛ける。着ていたスーツの上着を脱ぐとジョゼの方に放り投げた。ジョゼはそれをすかさずキャッチする。フルーは人々を背にして、歩きながらシャツの袖を腕まくりする。
そしてバリケードを作っていた警備隊に話しかけると、建物の方に入れてもらった。
フルーの腰に下げているのは細身の両刃剣。もちろんこれはただの飾りではない。フルーは何気ない動作で腰に差している剣の鞘に手を置き、剣が勝手に抜けないよう止めてある革製のセーフティーを外す。銀行の玄関より数メートルの位置で足を止めると大きく息を吸った。建物の周囲を見回し扉の中を伺う。
――さて、どうしようかな。
「強盗団の皆さん、少し話し合いませんか!」
中にいる強盗団に聞こえるよう、大きな声で呼びかけた。
「なんだお前! この人質が見えないのか」
中の一人がフルーの呼びかけに答えた。強盗団はフルーの姿を確認すると一斉に臨戦態勢に入る。逃げ遅れた客は、銀行の中央に集められ銃を向けられていた。
犯人の人数は五人。警備員から聞いた情報が正しければ、銃で武装しているのが二人。他三人は剣。
「……まったく銃なんて持ち出しちゃって」
フルーは小声でぼやく。
アルデゥイナで銃の所持携帯を許されているのは警備隊だけだ。一般人が猟銃など所有するには免許が必要だ。そして保管場所など申請が必要になる。
これは、銃の入手ルートを特定しないといけない案件のようだ。強盗団は話が出来る程度に無事に生け捕りにしないと、某新任政務官の小言を聞く羽目になりそうだ。
――剣の三人はどうにかできるだろうけど。問題は人質と銃の方か。
フルーが所持している細身の剣の攻撃方法は、切るというより突くが主だ。言わずと知れているが剣は近接攻撃で、銃は遠距離武器。距離を詰める間に攻撃されてしまう。しかも相手は銃と剣両方で武装している。どうやって対抗したものか。扉までは十メートルを切っている。この距離なら銃で襲われたら危険だ。
フルーは少し考えるポーズをした後、何故か腰に差していた細身の剣をベルトから外した。そして何を思っての事かその剣を柄ごと床の上に置いてしまった。
「提案なんですが、そちらの人質の皆さんと僕を交換しません?」
「何言っているんだお前」
「大勢より僕一人の方が管理しやすいと思うよ。ねっ?」
フルーは『ねっ』と言うタイミングで笑顔を作って首をかしげてみた。両手の平を顔の横まで上げて、降参のポーズを取る。そして、今しがた床の上に置いた剣を、靴のつま先で蹴って、強盗団犯人の前に飛ばした。重量の軽い細身の剣は、クルクルと回転しながら、室内にいた犯人の前に滑り込む。
犯人達がフルーの剣に意識を向けた一瞬、事態が動く。
フルーはその一瞬の油断を見逃さなかった。音もなく蹴り飛ばした剣まで走ると、踵で剣の柄の先を蹴り上げ、剣を宙に飛ばす。セーフティーを外していた剣は、空中で抜刀する。
校内カウンター前に人質と、銃武装している犯人が一名、入り口にがもう一人。
――先に潰すのは人質側!
そう判断したフルーは、空中で柄を掴むと人質側に居る銃武装した犯人の腕を殴打し、抜身の剣の柄を空いた手で握ると、もう一人の犯人のとの間合いを詰め、利き腕を剣先で突いた。虚を突かれた犯人は各々の武器を床の上に落とした。フルーは銃と剣を校内の奥へと蹴り飛ばす。
一瞬で二人の武装解除に成功。
一瞬事態を把握出来なかった残りの犯人達がようやく反撃に出る。二名がフルーに向かって剣を振り下ろす。
彼らの剣幅は、フルーの剣の二倍以上ある。これをまともに受ければフルーの剣など簡単に割れるだろう。この剣は、フルーの筋力とスピードを殺さないために軽量化している。フルーは自分の持ち味を心得ていた。体の向きを変えると臆することなく二人の方に向かってゆく。
――ここで押し負けては駄目だ。攻めていかないと。
カシュンッ
フルーが剣を受け止める瞬間。不思議な音がした。金属がぶつかる音なのだが、何かが擦れるような音だった。
フルーは剣を受け止める瞬間その刃を真正面から受け止めず、刃の角度を変えて、相手の刃を滑らすように分散させて力を削いだ。それがこの音。フルーは、相手の向ってくる勢いと自分の加速のまま、犯人懐に飛び込む。気が付けば、フルーの細身の剣先が犯人の肩口に突き刺さっていた。
「うわああ!」
犯人は突然の激痛に慄く。フルーは容赦なく鞘の先端で犯人の首筋を打ち付け、昏倒させる。そして今、崩れ落ちる寸前の犯人を盾にしてもう一人を同様に対処する。こういう場合、フルーの低身長は幸いする。最初の犯人の背に隠れて、倒した方法を見られていない。まあ見られたとしても、あの一瞬で種が分かることはない。フルーが今出した技は、そういう類のものではない。初見での対応は不可能だ。
残り一人、だが……
「動くな!」
銃で武装した犯人の銃口がフルーに向けられていた。照準を取られないよう動き回っていたが、やはりそれは難しかったようだ。フルーは動きを止めた。そして最初に倒した二人が復活してきてフルーから剣と柄を奪い、両手を後ろ手に押さえつけた。フルーは、その事にも表情を変えぬまま犯人達に従う。
「よくも仲間を」
犯人達は完全に激高している。犯人は照準をフルーに合わせると、銃の引き金に指をかける。フルーはそれでも落ち着いていた。
「最後に何か言い残したいことあるか?」
「そうだね……じゃあ、あとよろしく」
フルーはそう呟いた。
「なんだそれだけか?」
しかしフルーに弾が放たれることはなかった。
「ぎゃあっ!」
犯人達は自分の手を抑えながら、銃を床の上に取り落とす。何が起きたというのだろうか。
ほぼ同時に自分を押さえつける犯人からも苦痛の声が上がる。フルーはその行動を予知したいたかのように、冷静に犯人から自分の剣を奪い返した後、剣先を犯人に向ける。
「はい、残念でした」
全員制圧完了。
最後に不可思議な倒れた方をした三人の腕には、数本の小刀が深々と刺さっていた。それもただの小刀ではない。
「警備員さん、制圧しましたので、あとの処理よろしくお願いします。それからヴァン、ナイスフォロー」
フルーは戸口の方へ声を掛けた。扉の影から黒髪の少年、ヴァンが姿を現した。
「気がついていたんですね」
「うん、まあね。二人目の銃をどうしようかと思っていたから助かったよ」
フルーは剣を柄に納めながらヴァンに近寄った。
「これくらいお安い御用です。怪我はないですね?」
「大丈夫。この程度じゃね、日々の稽古の方がよほど怪我するよ」
「それは言えてますね」
フルーとヴァンは笑う。
ヴァンの手にはメスの入った革製のフォルダがある。ヴァンは、室内にスタスタと横断すると、警備員により拘束されている犯人の前に膝を着く。
「急所は外しておきましたのでご安心ください。留置所についたらちゃんと当直医に診てもらってください」
手の甲に刺さっている刃物を回収しはじめた。どうやら刃物を投げ付けたのは彼のようだ。
ここには、クロードの後ろに隠れていたフルーとヴァンはもういない。
二人は、魔族領から帰還して以降、クロードから剣技をみっちり仕込まれた。最初は、最低限自分の身は自分で守る術を身につけるという趣旨ではじめた剣術だった。しかし教える側が規格外な上スパルタなので、気が付けば剣の腕は結構なレベルに到達していた。
その事が世間に知れ渡るきっかけは、数か月前の事、街の街道で野盗被害が度々起きていた。その討伐にクロードが腕試しにと、フルーとヴァンを派遣した。
結果は上々。これには本人達も相当驚いていたようだ。二人とも、日々の稽古相手がクロードだったため、上手く手加減するのが、一苦労だったというほどだった。
ヴァンは剣と言っても小刀を中心とした投刃に特化している。最近は武器をナイフから手に馴染みのある医療用のメスに持ち替えた。人の肉を切るためにある刃物は恐ろしいほど良い切れ味だ。
フルーは最近の稽古でヴァンが的を外しているところを見たことがない。とても頼もしい。
二人は街の警備隊が駆けつけたのを確認した後、建物の外に出た。人質の安否は心配だったが、あまり現場に長居をするとヒーロー扱いされるので早々に退散することにしている。
「フルーお疲れ!」
野次馬にもみくちゃにされていたジョゼは、二人の姿を見つけると、勢いよくフルーに抱き付いた。フルーはジョゼの体を受け止める。ジョゼは、預かっていたフルーのジャケットをちゃっかり着ている。
「ジョゼ! 何をやっているんですか、フルーから離れなさい」
ヴァンは、フルーに抱き付くジョゼに苦情を言う。二年前までジョゼとヴァンの背は同じくらいだった。今はヴァンの方が頭半分高い。そしてフルー自身もヴァンに背を越されるのは時間の問題になってきた。フルーが初めてヴァン会った時、彼はフルーより頭一つ分小さかった。今は目線がほぼ同じだ。
現在ヴァンは医学生という身分で、日中は学校に通っている。学校が終わると自宅のシュラール診療所で見習いの助手をして働いている。学生らしく背負っている革鞄には、本が大量に詰まっていて、大忙しの毎日だ。
――たった二年でいろいろ変わるな。
ジョゼは、ヴァンを睨みつけている。それは威嚇する猫のようだ。
「何か文句あんのか。可愛い女の子にくっ付かれて嬉しくない男なんていないっての。なぁフルー?」
「えっとそれは……」
――返答に困る。確かにジョゼはとても可愛い子だ。
「だから、もう少し節度を持った態度をですね……」
フルーは目の前のヴァンと、自分の腕に絡みついて背後に隠れるジョゼを交互に見る。
――……ははーーん、そういうことか
フルーは、ヴァンが怒っている理由がなんとなく理解できた。ここは誤解を解いてあげないといけない。
「……大丈夫だよ。ジョゼは取らないから」
「なっ」
ヴァンは、フルーの言葉を聞いて動きが固まった。
――これは図星なの、かな?
「フルー! 違いますそれは大いなる誤解です」
ジョゼは、そんなヴァンの姿をニヤニヤとしながら見る。
「ヴァン、今日は俺の勝ちな」
「……認めたくありませんが」
ジョゼが意味ありげな笑みを浮かべながら、ヴァンの背中を叩く。ヴァンは不服そうな顔をしたまま押し黙る。
「それにしても、お腹すいたな……」
忙しい一日は、ちょっと新しい発見があり、ようやく終わりそうだ。フルー達三人は、ジョゼのお使いを待って、食堂に向かうことになる。