02-03 父と悪友
ヴァンが診療所に住むようになって、早一カ月。
アルデゥイナはすっかり本格的な冬が到来した。診療所の待合室には、ストーブが焚かれ、ストーブ上には、水を入れたケトルがカタカタと音楽を奏でている。
そんな寒い日、診療所にエヴァリスト=ジアンが訪ねてきた。
時刻は、午前の診療が終わり、スタッフが休憩に入ったところだった。診療所の一階には、ヴァンだけが残されていた。
「さむさむさむっ」
エヴァは、診療所に急ぎ足で駆け込んでくると、ストーブの前で幸せそうに暖を取り始める。
ヴァンは彼とは一度クロードの家で会ったことがある。
その時ヴァンは、挨拶以上の会話は交わさなかった。クロードの後ろで会話をする二人を静かに見ていた。この街にて日が浅いヴァンにとって、数少ない顔見知りだ。
「あの、エヴァさんですよね。こんにちは!」
エヴァもヴァンのことを覚えていたようで、にっこり微笑んで挨拶をする。
「やあ、こんにちは。エヴァでいいよ。こっちには慣れたかい?」
「はい、少しずつですが勝手が分かってきました」
「それはよかった。今後商業地区の方に来る事があったら言って、あの辺りちょっと複雑だから案内してあげるよ」
「ありがとうございます。お願いします」
エヴァは、外見の雰囲気通り陽気な人のようだ。人の良さそうな屈託がない笑顔がヴァンの警戒心の強い心を和らげてくれる。それもそうだ、クロードの知り合いに悪い人間はいない。
「ところで、いまドクターはいるかい?」
「はい、いま二階に上がって……」
ヴァンがそう言うのとほぼ同時に、ドクターが二階に続く階段が隠されている扉から出て来た。
「ドクター、お客さんですよ」
「んっ? ようエヴァか、今日はどうした」
ドクターはエヴァを見るなり、用件を聞きにかかる。
「こっちに寄る用事があったので、ドクターがダニエルに頼んでいたものを代わりに持ってきました」
「そうか、わざわざサンキュな」
そう言うエヴァは、書類鞄の中から厚い封書を取り出してドクターに手渡した。
「ダニエルが言うには、ドクターが考えているプランだと、いろいろ手続きが難しいみたいですよ」
「そっか……やっぱりな」
ドクターはエヴァと、難しい話をするようだ。
ヴァンは、気を利かせてその場から退席しようした。
「おーい、ヴァンお前もこっちに来てなさい」
しかし、ドクターに呼び止められる。
「えっ、私もですか?」
どうして自分が呼ばれるのか心当たりがなかった。
「そして、ダニエルの提案はこっちです」
エヴァは、再び書類鞄から封書を取り出した。今度の封書は、先ほど取り出したものよりもずいぶん薄い。
ドクターは両方の封書から書類を取り出すと、待合室のテーブルの上に並べて、ソファーに腰を下ろした。エヴァは、ドクターの対面に腰を下ろす。
「さてさて、どうしたものか」
ドクターは難しそうな顔をして、書類を見比べている。
「俺的には是非ともダニエルの案を実行して欲しいんですけどね」
「……なんだよお前もダニエル派なの?」
「反対するとでも思ったんですか? それに迷惑かもしれませんが、俺はエリックにドクターの事頼まれているつもりでいますから。ドクターの事はいつも心配なんですよ」
ドクターはエヴァの言葉を聞いて、押し黙る。
エリックとは、ドクターの死んだ息子の名前だ。
――なぜエヴァが、彼の名前を知っているのだろう。
ヴァンは、二人の話す会話がよく分からなかった。やはり自分はこの場に居ない方が良いのではないかと思った。
「ドクター、ヴァンがどうしていいのか困ってますよ」
エヴァは、ヴァンのその様子に気が付いたのか、助け舟を出してくれた。
「ヴァン、俺ね、ドクターの息子と同級生だったんだよ。一番の友達だったんだ」
「そうだったんですか……あ、」
ドクターの息子エリック部屋にあった写真。その中の一つに青髪の少年が共に写っているものがあった。目の前のエヴァと同じ髪の色だ。
ドクターが写真を見ながら『そうだよなアイツがあれだけデカくなったんだからな』と言ったのは、もしかしたらこのエヴァの事を指していたのだろうか。ヴァンはやっと話の糸が繋がった思いがした。
「コイツ一時期親父さんとソリが合わなくてな、ここによく入り浸っていたんだよ」
「もう、反抗期の頃の話はやめてくださいよ!」
「……懐かしいな」
「はい、懐かしいです。ここでエリックと遊んでよくドクターに雷とゲンコツを落とされましたっけね」
「悪ガキどもが病院で遊ぶのがいけない」
エヴァは、何かを思い出したのか小さく笑う。そして懐かしむような表情で診療所を見まわした。
「……なあエヴァよ。この書類、わざわざお前さんが届けに来させたのは、ダニエルの指図か? 商業地区担当のお前さんが、そうそうこっちに用事なんてないだろう」
「……あれ、何だそんなにすぐバレちゃうんですか?」
エヴァはそういうと、両手を顔の横に挙げて、降参とおどけて見せる。
「お前さんの未来の嫁は、相当の策士なのは分かっているよ。自分が来るよりエヴァを窓口に選定してくるとは……ホント……参った」
ドクターはそういうと両手で顔を覆い言葉を止める。エヴァは、そんなドクターの言葉を待った。
「それで、そのダニエルを裏で動かしたのは、ローレンだな」
「さすがドクター、鼻がいいですね!」
「それを言うなら、勘がいいだろう。あんにゃろ、最近姿を見せないと思ったら、裏でこそこそと」
「いいじゃないですか、これもドクターが皆に凄く愛されている証拠ですよ」
「その表現気持ちが悪いからやめろや」
「ドクター、この様子では当の本人には何も知らせていないんでしょ?」
「まあな、急ぐことじゃないから、時期を見て話そうと思っていた」
ドクターとエヴァは、ソファーに座った位置から、ヴァンを見上げた。
「ヴァン、今日俺はね。未成年者後見人の書類と、養子縁組の書類を持ってきたんだ」
エヴァは、テーブルの上にある二種類の書類を交互に指差した。
一つは分厚い書類の山、もう一つはとても薄い書類の束だ。
「はぁ」
ヴァンは、まだ首をかしげたままだ。
エヴァは、そんなヴァンを手招きして呼び寄せた。そして自分の横の空間を空けた。どうやらそこに座れと言いたいらしい。
ヴァンは素直にエヴァの横に腰を下ろすことにした。
エヴァはヴァンの肩に腕を回すと、顔をくっつけて、小さな声で二人だけの内緒話を始める。
「ねえねえヴァン、ちょっと相談なんだけどさ」
「はい」
「君はシュラール家の子供になるつもりはないかな?」
「へっ?」
ヴァンはエヴァの唐突な相談に言葉が詰まる。
「それってどういう意味ですか?」
「……ここから先は、俺じゃなくてドクターが直接言うべきだと思うんですが」
「そうだな……なあヴァンよ、正式に俺の養子になる気はないか?」
「私がドクターの養子にですか!」
「今日エヴァに、未成年者の後見人の書類を持って来てもらったんだが、どうも諸々面倒でな。特にヴァンの場合、元々人間領の住人ではないから、戸籍がないのが問題だと言うんだ」
当たり前だ、ヴァンは人間ではないため、人間領に戸籍は存在しない。
戸籍がないものは、アルデゥイナへの長期滞在には後見人が必要となる。
同じく戸籍がないフルーの場合は、クロードが後見人だった。
しかしフルーは仕事をしてこの地で報酬を得る職業に就き、いまでは補佐官の役職についているため、人間領で自分の戸籍を得ている。
ヴァンの場合は、フルーよりもさらにややこしい。ヴァンの外見年齢は十代前半の子供だ。どうしても未成年の分類に含まれてしまう。
戸籍のない未成年を養育するには、何かと手続きが必要だ。それは未成年が人身売買などの犯罪に巻き込まれないための処置なのだが、後見人になるにはドクター自身が講習を受けたり、気の遠くなる諸々手続きが必要になる。
「特にね。学校の授業料の免除なんか難しいんだよ。だけどダニエルが言うには、ドクターの戸籍にヴァンを入れてしまえば申請も簡単なんだって」
――えっ、学校?
エヴァはまた突拍子もない事を言い始める。ヴァンは驚きの連続で目を見開いたまま、思考が停止していた。
「養子の方をそんなに押すな、後見人でもいいんだからな」
「あの、私は別にそこまでしていただかなくても」
「何を言っているんだ、ゆくゆくは、学校にも入れてやりたいと思っているんだ。しかし、この診療所の維持費やら何やらで先立つものがない!」
「あの私は、学校など行かなくても……勉強は一通り……」
「ヴァン、学校といっても子供が行くほうじゃないぞ。俺が行かせたいと思っているのは、医療の専門の学校だ」
「医療の専門……」
「ここで働くなら、医療の免許を取らせて……いやそれは早合点だな。最低限、何か手に職を付けた方がいいだろうと思っている」
「ヴァンどうする? 養子縁組なら、書類もこんなに薄くて済むよ。君のサインと、ドクターのサイン、あと保証人二名が必要だけど。ここは俺とローレンさんがサインする予定だから安心して」
「おいおい、お前らそこまで話を詰めているのか?」
「外堀をしっかり埋めて攻め込む、今回の作戦ですから」
ドクターは、渋い顔をしている。しかしその渋い顔にも何故か時折笑いが混ざっている。
ヴァンは、ドクターの示すその感情がよく分からなかったが、怒っているわけではないようだ。
どちらかと言うと嬉しいのかもしれない。
――変なドクター。
「で、俺の息子になる気はあるか? こんな爺の息子は勘弁なら……」
「あの、こんな私でいいなら」
コツン!
ヴァンの頭上にドクターのげんこつが落ちる。
「……また、コイツは、そう自分を蔑むのやめろ。やり直し!」
ドクターが落としたゲンコツは、ヴァンの頭をちょこんと触れる程度のもので、痛くはない。だがヴァンは小突かれた頭上に両手を置き、上目使いでドクターとエヴァの両者を見た。
「……えっと、私はここの家の子になりたいです」
「よし、なら今日からうちの子だ。これから一切お客さん扱いはしないぞ」
「はい! ……じゃあ、私も遠慮しない事にします。小遣いをせびったり、あと親子喧嘩というのがしてみたいです」
「……おいおい、ヴァン、ジョゼと遊んで、何を教え込まれてきた」
あれ以来、ヴァンとジョゼは遊び仲間となった。ヴァンはジョゼに勉強を教えたり、またジョゼが街の事をヴァンに教える関係だ。
「まあ、初歩的ないたずらとか、ですか? まだよく分からないんですけど」
「そういうのは、覚えてこんでいい!」
ドクターは、早速ヴァンを怒鳴る。ヴァンは、そのドクターの対応が新鮮らしく、目を輝かせている。これでは全然お説教にならない。
「ヴァンおめでとう。これからはドクターの事『お父さん』て呼んであげてね」
「まてまてまて、仕事中の公私混同はよくない、普段はドクターと呼びなさい! ……仕事外ならまあ呼んでもい……っ」
「ドクター、照れない照れない!」
ドクターはエヴァの提案に、照れて言葉を噛んでしまう。エヴァはそこも見逃さず、茶々を入れる。さすが付き合いの長い二人だ。エヴァのドクターへの対応は実に多岐にわたっており上手い。ヴァンはエヴァをよく見習わなければと思った。
「なんか、まんまと乗せられた気もしないでもないが……」
「いいじゃないですか、乗せられてくださいよ。お願いします!」
エヴァは、スーツの内ポケットから万年筆を取り出すと、ドクターに書類と一緒に手渡す。
どうやらエヴァはすぐ書類にサインをしろと言いたいようだ。
「ああっ! わかった、わかった」
ドクターはエヴァから万年筆と書類を受け取ると、応接机でサインをする。
「ドクターが終わったら、次はヴァンね。どうしよう俺、自分に弟が出来たみたいな気分なんですけど」
エヴァはそう言い、隣に座るヴァンを『弟よ』といいながら抱きしめる。
「駄目だ駄目だ! お前みたいな兄貴がいたら、ヴァンがどんどん悪い遊びを覚えてしまうだろ!」
ドクターは、エヴァにヴァンから離れるように注意をする。しかし、エヴァもこれしきの事では折れない。
「酷いなぁ、元はと言えばドクターとエリックの影響なのに……」
ヴァンは、エヴァに抱きしめられたまま、エヴァとドクターの会話を面白そうに聞いていた。
「ふふふ。私はエヴァがお兄さんだと楽しそうだと思います」
「よし、ヴァンは分かってるな。どんどん悪い遊びを教えてあげるよ、それでドクターを困らせてやろうな」
エヴァが、指でピストルの形を作るとドクターを狙い打つポーズをする。
「エヴァ!」
「怖い怖い」
ドクターはエヴァを怒鳴るが、その顔はどことなく楽しそうだ。エヴァもそれを分かっているのか終始笑っている。ヴァンもつられて口元の口角があがる。
――少々複雑で、私にはよく分からないことだらけですが……でもこれだけは分かります。ここはとても温かい場所だと。
それから数日後。
エヴァが役所に提出した書類が受理される。
ヴァンは正式にオニキス改め、ヴァン=シュラールと名前を変える。
戸籍は、オラージュ=E=シュラールの養子となる。そして、次の春から医療学校に進学する手続きが進められるのだ。
幸薄い元精霊がもう一人、幸せになるチャンスを掴んだ。
花の中の花 3章「息子と医師」終
花の中の花 4章「花の中の花」へつづく