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花の中の花  作者: ほた
第3章 風と嵐
18/30

02-01 父と悪友

「おーいヴァン」

 昼食後、ドクターは診療所の雑用をしていたヴァンを呼び止めた。

「今日は午後からやってもらうことがあるが、大丈夫か」

「はい、大丈夫です」

 ヴァンは、答える。

「今日はヴァンに宿題を一つ出そうと思ってな?」

「宿題ですか?」

「そうだ。まずこれを渡しておく」

 ドクターはそう言うと自分の懐から小さな布袋を取り出し、ヴァンに渡した。その袋がヴァンの手の平の上に落ちると、金属のぶつかるような音が響いた。

「これは?」

「ヴァン、この街の通貨は分かるか?」

 《通貨》お金のことだ。

「はいクロードに習いました。銅貨百枚で銀貨が一枚になる。銀貨が百枚で金貨一枚になるでいいんですよね?」

「正解、字が読めるなら計算も出来るな。その袋には銅貨が四枚入っている。本日のヴァンへの宿題はこのお金を全部綺麗使いきって外で遊んでくる事だ。使い切るまで帰ってくるな」

「へっ?」

 ヴァンは、どうして遊んでくるのが宿題なのだろうと思った。だいたい宿題とは勉強の事だ。

「そうそう、何かを買って帰ってくるだけってのは反則な。必ず遊びに使う事」

「ドクター待ってください。私の外見はこんなですが、そんなに子供では……」

「……いくら何年も生きていようが、今のお前さんは、俺から見たら十分子供だ! 四の五の言わず行った行った!」

 ドクターはそう言うと、ヴァンの背を押し、診療所の扉から外に追い出した。

「あの、考える時間を!」

 ドクターはヴァンの抗議の声を聞かず、ヴァンにマフラーとコートを手渡す。

「はい、いってらっしゃい。寒いから気をつけろよ。あと日が暮れる前には、帰って来るんだぞ」

 そして、ヴァンの鼻先で診療所の扉がピシャリと閉まる。


 ――ええええっ!


「ドクター! いきなりすぎですよ」

 扉に向って愚痴を一つ言ってみるが、室内ではドクターの笑い声と『頑張れよ』という言葉が聞こえてくるだけだ。

 フルーが、ドクターとクロードは腐れ縁の友達だと言っていた。なんか強引なところが少し似ている気がする。

 ヴァンは布袋を開けて、中身を手の上に出してみた。

 ――本日の宿題か。

 確かに袋の中には銅貨が四枚入っていた。また銅貨四枚とは、微妙な額だ。

 この街の物価では、リンゴ一個が銅貨二枚。オレンジは一個銅貨三枚。嗜好品のコーヒーは一杯銅貨七枚だ。金貨一枚あれば一月遊んで暮らせるという。何かを買えばすぐなくなる額だが、ドクターはそれでは反則だと釘を刺した。しかも、銅貨を使い切るまで帰ってくるなといいながら、日暮れ前までには帰ってこいという矛盾付きの宿題だ。

 ――昼を食べた後に、更に銅貨四枚分の飲食をするとなると辛いですね。

「何かを買って帰るのも駄目とは……どうしたら」

 ヴァンは、診療所を追い出されて途方に暮れていた。渡されたマフラーとコートを身に着けると、取りあえず診療所の敷地内から外に出る事にした。

 どうしようか。フルーに相談してみようか。いや、自分への宿題だ。安易に人に頼っていいはずがない。

 ヴァンはトボトボ見知った道を選んで歩いていると、ロクサーヌの経営している店の前に出た。店はランチ後の休憩時間らしく、扉が閉まっていて人の気配がない。

 ヴァンは、誰か知り合いがいないかと思ってここに来たが当てが外れた。違う場所に行こうとしたとき、視界の隅に人影をみた。

 よく見るとその店の軒先のテラス用のテーブルに、一人の少女が何やら難しい顔をして座っている。この時期、寒いのに外の席にいるなんて珍しい。

 ――あの子は……たしか。

 ヴァンが初めて人間領アルデゥイナに来たとき、駅にクロードとフルーを迎えに来ていた少女だ。

 名前を確かジョゼ。外見は金髪碧眼の可愛らしい少女だが、言葉遣いが男の子みたいなので、印象に残った。

「こんにちは、こんな寒い所で何をしているんですか?」

 ヴァンは勇気を出して、自分からジョゼに声をかけてみた。

 普段なら素通りしていただろう。だが今日のヴァンは、少し心細い気分だった。

 正直なところジョゼが自分と同じくらいの背格好の子供だったので、声をかけやすかったのもある。

「んっ、何って見ればわかるだろう、勉強だよ。学校の課題をやってんの、店の中は薄暗いからここがいいんだよ」

 ジョゼは、机から顔をあげるとヴァンを一目してから、億劫そうな表情で答えた。

 テーブルの上にはいくつかの本と問題集が広げられていた。

「なるほど……」

 ジョゼは、ため息を一つつくと問題集に視線を戻した。

 ヴァンはジョゼの横に回り込むと、問題集を覗き込んだ。

「あ、そこの式、間違ってますよ」

 ジョゼはびくっと体を震わせると、ヴァンの方を見上げた。

「わっ、分かってるよ。いま直そうとしていたところだ」

 そして頬をぷっと膨らませながら、ノートの上に転がしておいた消しゴムに手をかける。

「この問三と四も間違っています」

 ジョゼの消しゴムをかける手が止まると開いていたノートを慌てて閉じる。そして真っ赤な顔でヴァンを睨みつけるではないか。

「勝手にみるな!」

「ご、ごめんなさい……君の名前、たしかジョゼでしたよね?」

「そうだけど……えっとお前フルーの金魚の糞やってるオニキスだっけ」

――金魚の糞ですか。

 ヴァンは、ジョゼの言葉に少々たじろいだ。

 ジョゼの言葉は的確だ。ヴァンは、アルデゥイナに来てからかなりの間、フルーの後ろをついて歩いていた。そしてフルーが居ないときはクロードの後ろに張り付いていた。それを揶揄しているのだろう。

「あの、最近クロードからヴァンという名前を付けてもらいまして、今はシュラールドクターのところにお世話になってます」

 ヴァンはジョゼに『フルーの金魚の糞』と言われたのを気にしたのか、現状を訂正した。

「あっそ、で、俺になんか用なわけ?」

「いえっ! 用というわけでは……あの私はこの街ではまだ知り合いがいないので、一度お会いしたことがあるジョゼを見かけて、何をしているのかと思って声を掛けただけで……」

 ヴァンは、しどろもどろになりながら、ジョゼに自分の状況を伝えた。この少女は、ヴァンがいままで人間領で接してきた人と違って、少し怖かった。

 ジョゼは、ヴァンをじっと睨みつけたままだ。

「あの、お邪魔するつもりはなかったんです。すいません勉強続けてください!」

 ヴァンは、両手で降参のポーズを取りおずおずと後ろに下がってその場を後にしようとした。

「ちょっと待てよ!」

「は、はい!」

 ジョゼは、低い声でヴァンを呼び止めた。

「ヴァンだっけ、お前いま暇なの?」

「ええ、日が暮れるまでは暇です」

「……あのさ、勉強分か……」

 ジョゼは小さな声で呟いた。最後の方が聞き取れなかった。

「あのジョゼすいません、よく聞こえなかったのですが?」

「だから、勉強分かるのかって聞いたんだ! どうなんだよ!」

 今度はよく聞こえる大きな声だった。

 ヴァンは、再び驚きおどおどしながらジョゼの質問に答えた。

「読み書きと計算はだいたいわかります。ブランクがあるので、忘れている箇所もあるかもしれませんけど……」

 精霊の里では、ある程度勉強は習っていた。精霊の暮らしは静かなもので娯楽がほとんどなかった。勉強と本を読むのは、数少ない時間潰しで楽しかったのを覚えている。ただ奴隷生活では、読み書き計算をする機会など皆無だった。こういったものは、使わないと忘れてしまう事もあるだろう。

「じゃあ、この本に書いてある問題は?」

 ジョゼは、ヴァンに無理やり一冊の本を差し出した。それは算数の問題集だった。算数の基本的な事が書かれている。割り算、分数、小数点、円周、後半には図形の問題がたくさん書かれており、解き方も丁寧に説明されている。

――これなら、わかりそうだ。

「はい、だいたい大丈夫そうです」

 ジョゼはヴァンから問題集を取り返すと、先ほど解いていた問題の頁を開き、指差した。

「ならさ、さっきの所教えてくれないか」

 ジョゼは、険しい顔で問題の頁をじっと見てこちらに視線を向けない。

「……変だよな。十三歳にもなって、割り算の計算を教えろとか……これもっと小さなガキがやる問題だもんな。馬鹿にしてもいいぜ」

「はぁ……」

 ヴァンは、ジョゼの言っている事柄が理解出来なかった。まず人間の子供が、どのくらいの年でこのレベルの問題をやるのか見当がつかなかった。ジョゼの言う十三歳というのは、精霊でいうどれくらいの年なのだろうか。馬鹿にしてもいいと言うが、その事も想像がつかない。

「すいません。私、人間の事はあまり詳しくないので、君の言っている意味がよく分からないんです」

 ヴァンはジョゼに正直に答えた。

 ジョゼは問題集から顔を上げた。そして、驚いたようなきょとんとした顔でヴァンを凝視した。

「そっか、お前人間じゃなかったっけ! フルーと同じだったっけ!」

 ジョゼの険しかった表情が少し緩む。

「ええ、元精霊ですよ。今はこんな外見ですが君より長く生きています……でも長く生きていても分からない事だらけですがね」

 どうやら、ジョゼはヴァンを同年代の子供と思い対応をしていたようだ。

「そっか、じゃあお前も、フルーみたいに記憶がないのか?」

「いえ、あんな綺麗さっぱり記憶がないフルーは特別です。普通はいろいろ覚えていますよ」

 ――それも嫌な記憶ばかり。

 ヴァンの今の外見は人間で言う、十代前半の子供だ。ヴァンは最後の主の要望で子供の姿になった。

 ――いや、奴隷時代の事は、もう忘れよう。

 ヴァンはこの姿が嫌でたまらなかった。だが今は最後がこの子供の姿でよかったと思いはじめていた。

 ――子供時代からやり直すのも悪くないかもしれません。

「……それでジョゼは、私に馬鹿にされたいんですか?」

 ヴァンは自分の事から、ジョゼの話に戻した。

 ジョゼは話をぶり返され、緩んだ表情を再び強張らせる。

「そんなわけないだろう! ……馬鹿にされるのは嫌だ」

 ジョゼは、そう言うとふて腐れたのか唇を尖らせる。

 ヴァンは、ジョゼの言葉に何かを感じた。

 自分も鉱物人間だから、売られた奴隷だからと買主に馬鹿にされていたことがある。

「あのな。別に好きで勉強が出来ないわけじゃないんだ。俺が小さい頃、親父が疫病で死んじまって、残った母さんが俺達姉妹を育ててくれたけど、母さんも五年前に死んじゃった。……姉さん一人じゃ生活を支え切れないから、俺も学校辞めて工場で働きはじめて、元々勉強は得意な方じゃなかったから一人じゃよく分からなくて」

 ジョゼはゆっくりだが自分の生い立ちを、ヴァンに話してくれた。

 立ち入った事を話してくれたというのは、少しはヴァンに気を許してくれたのだろう。

 ――疫病、か。

 ヴァンは、ドクターの話を思い出していた。

 十年前、アルデゥイナを襲った恐ろしい疫病。他国から持ち込まれて多くの人が命を落とした。

 ジョゼ・オルガ姉妹は、病により幸せな家庭を奪われてしまった。彼女らに何の非もない。そして住民以外に医者や医療従事者の命を多く奪ったので、アルデゥイナはいま医師が不足している。

 ヴァンは、手近にあった椅子を掴むとジョゼの真横に置き腰を下ろした。

 ジョゼはその様子をただ見ていた。

「ほら何しているんですが、さっきのノート開いて見せてください」

「えっ」

「勉強、教えてあげますよ」

「ホントか!」

 ジョゼは笑った。それは初めてヴァンに見せてくれた笑顔だった。

「まず、どのくらい理解しているか教えてください」

「おう! 勉強出来なさ過ぎてびっくりするぞ!」

 ――なんて予告だろう。

 ヴァンは手始めに、ジョゼの知識がどのくらいのレベルか知るために、あれこれ質問してみた。

 するとジョゼは勉強のブランクが相当あり、おまけに基礎が抜けていることが分かった。その知識でこの問題集を解くのは酷な事だ。分かるはずがない。言うなれば、掛け算しか知らない子が分数を解こうとしているようなものだ。一気に教えても意味がないので、ゆっくり分かる問題から解くことにした。

「ロクサーヌがさ、あ、この店の女将な。読み書きと算数が分からないと苦労するから、昼間の仕事は抑えて学校に行って勉強して来いって言うんだよ。だけど学校は俺より年下の子供ばかりでさ……」

 ジョゼは、ヴァンに算数を教わりながら、学校での愚痴を言い始めた。よほど学校で悔しい思いをしているのだろう。

「分かりました、馬鹿にしていた奴らを見返してやりましょう」

「ああ!」

「そうだ! 勉強が終わったら、私からもジョゼに一つ教えてもらいことがあるんですが、よろしいでしょうか?」

「俺にか?」

「ええ、忘れていましたが私は今とても困っていることがあるんです、でもジョゼなら簡単に解決してくれそうですよ」

 ヴァンは、懐からドクターに渡された包みを取り出してにっこりほほ笑んだ。

 ジョゼは、不思議そうな顔をしている。

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