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花の中の花  作者: ほた
第3章 風と嵐
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01-04 風と嵐

 

「どんなにお使いいただいても、気に入らなければ返品いただけます。返品後は、新しいモノをご用意いたしますので、本体を傷つける前にお持ちください」


――これは、パトリスの声。


 パトリスは、野蛮な盗賊団の頭領で、不気味な外見をしている。あの外見と声は一度見聞きしたら簡単には忘れられない。太った巨体、長い髪、ネイルを施した長い爪、どれも規格外れの悍ましさだ。

 あの集団は、鉱物人間を金持ちや物好きの魔族に売りさばいていた。その時必ず言う台詞がある。それは『返品可能』。

 何度も売られた先で問題を起こしたり、あるいは主に気に入られなければ返品される鉱物人間達。

「君、また返品なの、いい加減君の泣き声も聞き飽きたよ」


――マリウスの声。冷酷な行いを実に楽しそうに執り行う盗賊団の用心棒だ。一見剽軽で人付きが良い素振りをするが、根は冷酷で精神は不健康の塊だった。

 あの魔族は、飽きたと言いながらも、必ず酷い仕打ちをして鉱物人間を地底の洞窟に突き落としていた。

 そして鉱物人間達を見るその目は、まるで汚いものを見るような蔑んだものだった。


――もう止めてください。いっその事、この本体を砕いてください!


 何度も懇願したが、願いが叶うことはなかった。足元には、粉々に砕けた宝石が、剣山のように生え茂っている。

 それは同胞達の残骸の山、自分が命を終わらせた死骸。

 

――きゃあああ!


「おい、おいヴァン、大丈夫か? おいヴァン目を覚ませ!」


――夢、ですか?


 ヴァンは、目覚めて一番、ドクターが自分を心配そうに覗き込んでいる姿を見た。

どうやら身体を強く揺らされた事で夢から帰って来る事が出来たようだ。

「ずいぶんうなされていたみたいだが、大丈夫か」

 ヴァンは、身を起こすとベッドの上に両手を着いて座った。

「……はい」

 意識がまだ完全にこちらに帰りきっていない。ヴァンは、身体の周りに水圧が発生しているかのような、身体の気怠さを感じていた。

「もしかして起こしてしまいましたか、すいません」

「いや、大丈夫だ。ちょうど入院患者達の見回りから帰ってきたところだ。そうしたら、部屋の中から苦しそうな声がしたんで、悪いが入らせてもらったぞ」

 ヴァンは、ドクターの息子のエリックの部屋を使い始めた。最初は一人で掃除をしていたが、話を聞きつけた診療所スタッフのみんなが手伝ってくれ、予定より早く人が住める部屋となった。

 どうやらヴァンの唸り声は、部屋の外まで聞こえていたようだ。

「すいません……お騒がせしてしまって」

 ヴァンは、頭を深々と下げて謝罪をする。

「いやいいさ。昼前の現場が少し刺激的過ぎたな。そんなに汗をかいて、この寒さでは風邪をひくぞ……」

 ドクターは、持っていたランプの明かりでヴァンの様子を確認する。ヴァンはかなり汗をかいていた。滴で髪が顔に張り付いている。ドクターは、そんなヴァンの髪を手で梳いて、顔から外してやる。

 アルデゥイナの本格的な冬は目前だ。部屋は昼間日が差している時と違い、しんとした寒さだ。ヴァンは、ブルリと震える。

「これはいかんな、着替えはあるか?」

「はい」

 ヴァンは布団から出て、着替えを取りに行こうとしたが、ドクターに止められた。「いいから、そのまま布団の中にいなさい」

 ドクターは、部屋から出てゆくと、手にタオルを持って帰ってきた。そしてヴァンが着替えをしまってあるタンスから、寝間着のシャツを取り出してタオルの横に置いた。

「これで汗を拭きなさい、拭き終わったら着替えて布団の中で待ってなさい」

 ドクターはそうヴァンに命令して、再び部屋を出て行った。

 ヴァンがのそのそと自分の身体の汗をタオルで拭き、新しい寝巻用のシャツに着替え終わった頃、ドクターが戻ってきた。

「ほら、ベッドに入る」

 ドクターは、寝床を指差しヴァンを毛布の中に入るよう指示をする。ヴァンは素直にそれに従う。ベッドの布団に両足を入れると。枕を背もたれにして座る。

 ドクターはそれを確認すると、自分も同じくベッドの淵に腰を下ろした。

「さあ、これを」

 ドクターはそういって、持ってきた物をヴァンに差し出した。

 それは熱々のカップだった。カップには、草木色の汁が並々と入っていた。

「これはなんですか?」

「これか、シュラール家秘伝の薬湯だ」

「……薬湯」

 ヴァンはドクターからカップを受け取ると、カップの淵に鼻をつけてみた。薬湯とは数種類の薬草が組み合わさって出来た煎じ薬だ。ドクターが作って来てくれた薬湯は、スッキリした香りの中に仄かな甘い香りがする。しかしいくら香りがよくともこれは薬だ。

「味はよくないが、気分がほぐれる。我慢して飲みなさい」

 とのことだ。ヴァンは言われるがまま薬湯を一口、口に含んでみた。その味は予告通り美味しくない。ヴァンは自分の片手で鼻を摘まむと、一気に流し込む作戦に出た。

「苦い……」

「おお、偉いぞ偉いぞ。よくその味で飲めたなぁ」

 ドクターは、自分で渡しておいて無責任な事を言う。そして空になったカップをヴァンから受け取ると、棚の上に置いた。

「さて、眠れるか?」

 ドクターは、ヴァンに語りかけながらヴァンに横になるように促す。

「それとも少し話をするか?」

「……」

 ヴァンは無言のまま、布団に座り続ける。

「……話したくもなければ、眠りたくもないという顔だな、さてどうしたものかな」

 ドクターはヴァンの横で、首をかしげて腕組みをする。どうやらドクターは、ヴァンが寝るか話をするどちらかを選ぶまで、ここを動かないつもりのようだ。

 ヴァンは、チラリとドクターを見てから、再び視線を逸らす。

「……昼間、自分が居た場所の事を思い出してしまいました」

 ポツリと言った。

「……そうか」

「私は、奴隷という言葉で想像がつく全ての事をやってきました。売られて、買われて、壊されて、死ぬこと以外は全て……そして終わりには、大切な同胞さえこの手で殺めてしまった。もう息をすることも出来なくなった精霊の本体を叩き壊したんです」

 ヴァンは、自分の指先を力いっぱい握りしめた。

「ドクター、私はこんな子供の外見をしていますが、身も心も汚れて腐りきっているんです……見損ないましたよね」

 ドクターは、黙ってヴァンの手を取ると、強く握りしめている手を叩いた。そして指の力を抜かせて手を開かせる。ヴァンの手の平には、爪の後が赤く浮いていた。どれくらい強い力で手を握りしめたのだろうか。もう少しで皮が避け、血が滲み出るところだった。

「人はさ、みな汚いものさ。誰でも最後は腐って土に還る。誰でも後ろ暗い部分を抱えている。だが心だけは諦めさえしなければ、腐りはしないものさ。ヴァン、お前さんは諦めてしまったのか?」

 ドクターは、ヴァンの冷たい指先を指の根本から、爪先へと何度も指の腹でマッサージをする。すると、どうだろうか冷たい指先に体温が戻ってきた。ヴァンはその様子をぼんやりみていた。

「私は……」

「ん? ……この手のどこが腐っているんだ。まだちゃんと血が通っているぞ。ローレンや花ちゃんの助けを受け入れたんだろう?」

 ヴァンは、あの地の底での最後の日を思い出していた。奴隷生活が終わった最後の日、ヴァンはクロードに出会った。

 クロードは圧倒的な強さで、自分の前にあった障害を全て蹴散らしてくれた。

 到底叶う事はないと思っていた願いが、夜空の流れ星の如く降ってきた。

 しかし、あの時のヴァンは、降ってきた星を素直に受け取る事ができなかった。

 ヴァンにとって、あの時現れたクロードは、見たこともない強烈な光で、強すぎる光に恐怖した。その輝きで己の身が焼かれてしまうような、錯覚さえ感じた。

 ひねくれすぎた心は、疑念と自暴自棄な感情で一杯だった。

 たとえ希望を持ってもまた裏切られるのだと、その時のショックを考えると、現状を変える事を躊躇した。

 信じようとする気持ちより、今までの経験が防衛本能として働き無意識に悪い方向に転がっていく。そこに居れば、これ以上悪くはならない。これ以上傷つかなくて済むからと……でも、最後は心の奥底に仕舞い込んでいた思いを少しだけ取り出してみた。

――そうだ、私はありったけの勇気を出して……クロードの手を取った。

 でも、ヴァンはあの場に居たのがクロードだけだったら、選択を違えたかもしれない。

――あの場にフルーやオパールがいたから。

 フルーは必死にヴァンの背を押してくれた。壊そうとしていた同胞は最後の力で、自分の選択を止めてくれた。

「私は……最初クロードの助けを拒みました。もう誰かを信じる力が残っていなかったんです」

 ヴァンは、止まっていた言葉の続きを語り始めた。

「そうか」

 ドクターはただ相槌を打つ。

「でも……、フルーが懸命に私の背中を押してくれたんです。諦めずに、何度も何度も自分の事のように必死になって」

「……花ちゃんは、そういう子だよな。不器用なほど真っ直ぐなんだよな」

「どうしてこんな私を信じてくれるのか不思議でした」

 ヴァンは自分の手をじっとみつめた。

「……追い詰められて、最後に本音が出たんです。もう後がないならこれを最後だと思って……クロードの手を掴んで助けを乞いました」

「ならもう少し、しがみついてみたらどうだ? 箱の中には、まだ希望が残っているかもしれないぞ」

 ドクターはヴァンの指先から手を離すと、手を毛布の中に入れてやる。

「えっ、それはどういう意味ですか?」

 ヴァンは、ドクターの言葉の主旨が掴めなかった。ヴァンはドクターの方を見る。

 そういえば、ヴァンはドクターに起こしてもらった時から、ドクターの顔をまともに見てなかったことに気が付いた。ヴァンの告白を最後まで聞いたドクターは、それでも真っ直ぐヴァンの事を見ている。

――ドクター、ありがとうございます。

「ああ、そういうお話があるんだ。最悪ばかりが入っていた箱の最後に希望が残るんだ。その希望を信じてみようと……んー、いい加減に読んだから覚えていないが、そんな話だ」

「……希望ですか」

「そうだヴァンよ、話は変わるが。魔族に捕まる前はどんな生活をしていたんだ」

「それは、精霊の隠れ里で暮らしていました。山と谷の合間にある集落で、毎日が繰り返しの静かな暮らしでした」

 ヴァンは、ふと故郷の景色を思い出していた。

「そうか、ここはそんな静かな暮らしは出来ないが……俺はこの通り、人を育てるのに不向きな性格だ。生活も破綻ぎみだしな。それでも構わないというなら、一緒にその最後の希望ってやつを探してみるか? 俺も見てみたい」

 ヴァンにとってドクターの提案は、魅力的すぎる。これこそ夢ではないだろうか。残酷な夢は起きた時安心するが、幸せな夢は目が覚めた時、大きな喪失感を味わう。しかし、これは夢ではない。

「……はい! お願いします」

 ヴァンは答えた。

「よし、でもそれは明日からだ。今日はもう休みなさい」

 ドクターは、ヴァンに毛布を掛けなおして、横になるように促した。

「はい、おやすみなさい」

 ドクターは、明かり取りのランプを手に子供部屋から出て行く。

 


 

 次の日、クロードとフルーはドクターに呼び出された。

 呼び出された理由は、昨日ヴァンの身に起きた事の聞き取り調査のためだ。いまアルデゥイナ内で、ヴァンが一番親しいのはフルー、そして次にクロードだ。ドクターはヴァンとは、まだ数日の付き合いでしかない。

「あれは一種の拘禁反応だ」

 ドクターは、聞きなれない言葉を口にする。

「拘禁反応ですか?」

 フルーは、自分の隣に座るクロードを見た。しかしクロードは首を横に振る。どうやらクロードもその言葉を知らないらしい。

「拘禁反応てのはな、自由を奪われていた者が掛かる一種の精神障害だ。環境が変われば治ってゆくが、神経症、幻覚、幻聴、出方はいろいろだ」

「そんなにいろいろあるんですね」

「なるほど」

 フルーは、しばらくの間ヴァンを傍に置いて様子を見ていた。ドクターの言う症状は確かにヴァンにはある。しかし、ここ数週間は落ち着いていた。フルーはアルデゥイナに戻ってからのヴァンの様子をドクターに事細かに語った。

「なるほど、昨日の血を見て再発したか……症状が落ち着くまで現場は駄目だな。ヴァンの教育方針もそれを踏まえて、少し変更だな」

「ドクター、ありがとうございます」

 フルーは、ドクターに感謝をこめてお礼を言う。

「花ちゃん何言ってんの、俺は医者だよ。病気の治療が仕事。さくっと治してやるさ。それにまあなんだ……ヴァンが家にいると、俺が得な事もあるんだよ」

 ドクターは得意げに言う。

「何が得なんだ」

「それはなぁ!」

 ドクターは、ヴァンが来て変わった事を教えてくれた。

 まずは、住居スペースが綺麗になった事、毎日惹き立ての煮立ってないコーヒーが飲めるようになったこと。ヴァンが入れてくれるそうだ。そして一番の収穫はいつも手厳しい看護師達が、ヴァンが来てからドクターに優しくなったそうだ。どれもとてもささやかな変化なのだが、ドクターはそれらの変化が相当嬉しいようで、ご機嫌に教えてくれた。

 クロードは、ドクターの話を聞き終わると、珍しく声を出して笑い出す。

「ドクター、お前はそんな事が今まで出来なかったのか」

「そこの魔族、笑うな!」

 フルーも釣られて笑ってしまう。

――ああ、ヴァンをドクターの所に置いて良かった。

 そんな事を思わずにいられない。

「フルー、クロード来ていたんですね。いらっしゃいませ」

 噂をすれば影。ヴァンは二階の住居から降りてきて、笑顔で迎えてくれる。

「ヴァン、あとで買い物に付き合ってくれるかな?」

「はい、いいですよ」

 心配されている拘禁反応など、専任のドクターの手によってすぐ治ってしまうに違いない。


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