03-03 ダイヤとオニキス
クロードは、マリウスを探すべく転送魔法の痕跡を追跡した。しかし、マリウスも馬鹿ではないのだろう。途中で魔法の痕跡を消して逃走したようで、その姿はアジト内どこにもなかった。
アジトにいた犯罪者集団は、クロードと共に来た国境警備隊により捕縛された。人間領と魔族領の国境違反は重罪のため、それを取り締まる彼らは精鋭揃いだ。瞬く間にアジト内は制圧された。
そしてこの地底に閉じ込められていた鉱物人間達は、警備隊の専門チームが責任を持って保護してくれることになった。これで一安心だ。
クロードは警備隊に呼ばれ、忙しく動き回っている。彼らと親しく話し、指示まで出している。そのためフルーは、クロードと話すタイミングを完全に失ってしまった。忙しく動くクロードの後を追い、無理やり捕まえた。
「クロード、傷は! マリウスに切られたところは大丈夫なの」
フルーは、クロードのシャツの裾を掴むと、勢いよく捲り上げた。
「おい、勝手にめくるな!」
クロードの傷口は塞がっていた。しかし、斬られた箇所はミミズ腫れのような跡があり、肌の所々には焼け焦げた火傷の痕が残っている。クロードは、いつまでも服の裾を離さないフルーの手を払いのけると、服を直した。
「とりあえず突貫で塞いできた。問題ない」
「まって! それで本当に大丈夫なの」
「だから突貫だと言っているだろう。後でちゃんとした治療を受ける」
「ちゃんと治してから来いよ、馬鹿!」
「あっ? 急いで助けに来てやったのにその言い草はなんだ。この前の人さらいの潜入時といい、なんでお前はいつも首の皮一枚の状況なんだ。何でもかんでも首を突っ込む癖なんとかしろ」
「……だって」
フルーはそれ以上言葉が続かなかった。口を尖らせてふて腐れるしかなかった。
フルーはクロードを捕まえたはいいが、これ以上どう話を続けていいのか、どんな顔でいればいいのか、分からなかった。わざわざクロードを捕まえたのは、最後にきちんと挨拶をして別れたかったからだ。
「クロード、あのさ……今まで親切にしてくれてありがとう、僕の命を救ってくれてありがとう、感謝しています」
フルーは、続けざまに言いたいことを並べるとクロードに頭を下げた。
「何だ、藪から棒に気持ち悪い」
クロードはフルーに対して素直な感想を述べた。確かに普段のフルーから見ると気持ちが悪い行動だ。
フルーはクロードが現れ、自分達は助かるのだと歓喜した。そして何より助けに来てくれた事が嬉しかった。しかし、助けられ一心地ついて、正常な思考で考えをまとめると、自分はもう人間領には帰れない事に気づいてしまった。
――僕は、人間じゃない。精霊、いや鉱物人間だ。人間領に居ていい存在じゃない。フルーはその事に気づいてしまった。
「クロード、僕は他のみんなと一緒に行くことにするよ。だからここでお別れだ……いままで……ありがとう……」
フルーは、ずっと腹の奥で抱えていたことをクロードに告げた。フルーは最後の言葉を言い終わると、何故か瞳から涙が溢れ出てきた。涙は後から後から出てきて乾燥した地面に水玉の模様を描き出す。一度出始めてしまった涙はもう蓋をすることが出来なかった。
――本当は帰りたい。でも僕は帰れない。
記憶は無く不安も多かったが、フルーは、あの地で自分は幸せだと思えるようになっていた。せめて、夢の中でいいから会いたいと思っていた人物が、いま目の前に立っている。もうそれだけで十分じゃないか。なぜ泣くんだ。フルーは両手で目をこすって、涙を引っ込めようと必死に抑えた。しかし、涙は止まらない。
「何を言ってるんだお前は」
クロードはそんなフルーをぽかんとした表情で見下ろしていた。フルーは、クロードの方を見た。
「フルー、お前はまたそんな事考えていたのか……ぐだぐだ言ってないで、さっさと帰る準備でもしろ!」
その言葉は、予想しなかった。
「えっ」
――帰るだって? どこに?
「……アルデゥイナの人間達は、お前の事を心配しているんだ、早く帰って安心させて来い」
つまり、クロードはフルーにアルデゥイナに帰れと言っている。
「だって僕は人じゃないんだよ。鉱物人間なんだ……だからもう人間領には帰れないでしょ」
フルーはクロードが自分の事を把握していないのではと思い、フルー自身の事を説明した。しかし、クロードはその説明に納得をしていない様子だ。いつものクロードの無表情の中に少し苛立ちが見えた。
「そうなのか? 精霊は人間領に居ちゃいけない決まりでもあるのか? だったら魔族の俺はどうする」
「それは……その……分からない」
「この前言っただろう、気が済むまで付き合ってやると。それはお前が人間じゃなかったといって、簡単に反故にはしない」
クロードがフルーにかけてくれた言葉は、何よりも嬉しい言葉だった。自分が人間ではなく鉱物人間だとしても差別なく扱うというのだ。しかし、それに甘えてしまってよいのだろうか。人間のフルーの時よりも、クロードの負担が増える事になる。
「……クロード、本気なの? 僕の記憶はたぶん一生戻らないよ。今後君から魔力を貰わないといけなくなる」
「魔力か、こんなものいくらでもやるよ。人間領じゃ魔法も使えないただの宝の持ち腐れだ……だが今回の事があるから封印を少し緩めて貰えるだろうか。うん、交渉してみるだけしてみるか」
クロードは会話の途中から腕を組み、何か独り言を言い始めていた。
「本当にいいのかい?」
「あっ? もう、ぐだぐだ言うのは気がすんだのか? あのな、お前を連れて帰らないと、俺が人間領に帰れないだろう。俺は一刻も早く魔族領を出たいんだ!」
クロードは心底嫌そうに言った。クロードは魔族領が嫌いで人間領に来たと聞いたが、それは本当のようだ。フルーはクロードが自分の故郷をなぜこんなにも嫌うのか理解しかねる。だからなのか、魔族領アレルギーの魔族で少しだけ遊んでみたくなった。
「……仕方ないな。じゃあ一緒に行ってやるよ」
「おいおい、急に偉そうに出たな」
フルーは、鼻の頭を赤くしたまま笑った。涙はいつの間に止まっていた。しかし全力で泣き過ぎたようで、鼻の奥にツンとする痛みが走る。
「えへへへ」
少し長い買い物は、今日で終わる事になりそうだ。
* * * *
フルーは、洞窟から出ると縦穴の木の前で、オニキスに出会った。マリウスが逃走した後、彼はフルーの傍から黙って離れて姿を消していた。オニキスは一人、他の保護された鉱物人間達の所にも行かず、木にもたれ掛って立っていた。
「オニキス」
「フルー」
フルーはオニキスに駆け寄った。そしてオニキスの小さな手を取った。
「良かった、ここに居たんだね。ずいぶん探したよ」
「すいません」
「謝らないで、僕が無事でいられたのは君のおかげだ。ありがとう」
「いえ私は何も……」
「君は、これからどうするんだい? 僕は人間領に帰る事にしたよ」
フルーは、クロードとの会話の経緯をオニキスに報告をした。
「良かったですね」
「うん、オニキスはどうするつもりだい?」
「私は……逃げた構成員とマリウス達を追います。そして彼らのやった事を、その報いを受けてもらいます。そのあと私も警備隊に出頭します」
オニキスは、フルーが考えていた事のどれとも違う答えを出した。
「えっ、なんでそんな事を君がやらないといけないんだ。オニキスもみんなと一緒に……」
「いえ、私は行けません。私は同族殺しの罪人なんですから」
「オニキス……」
オニキスはそう言うと、傍らの木にそっと手を置いた。フルーは、オニキスの行動で全てを悟った。この下に眠る仲間の本体を砕いたのはオニキスなのだ。
フルーは、オニキスをじっと見つめた。そして何を思ったのか、オニキスの手首を掴むと、その手を引いた。
「ちょっとおいで」
「なんですか」
フルーは嫌がるオニキスの手を無理やり引いて歩かせ、そしてまだ忙しく動き回るクロードの姿をみつけると、呼び止めた。
「クロード、頼みがある!」
フルーはクロードに声を掛けると、振り返った。
「なんだ」
他の魔族達の輪から抜け出すと、フルーとオニキスの方に来てくれた。
「この子はオニキスっていうんだ。僕を助けてくれた子だよ」
「そうか、……うちの居候が世話になったな。オニキス」
クロードはそう言うとオニキスの頭を撫でた。扱い的にはフルーとあまり大差がない。酷く汚れているオニキスの頭を嫌な顔一つせず撫でる。
「いえ、私は何も……」
「クロード、無理は承知で言うけど、彼も一緒に人間領に連れて行ってはもらえないだろうか」
「フルー! 何を言っているのですか」
オニキスは、フルーの言葉に驚き、掴まれている手を振り払おうとした。
「お願いします! 僕一人でも迷惑なのは分かっています。でもどうか! どうかこの子を、オニキスをこの魔族領から連れ出してほしいんだ」
フルーはクロードに頭を下げた。先程の別れを切り出した時とは違い、今度は必死に頼み込む。
「フルー、止めてください。私にはそんな……」
オニキスは先ほどまで、この場から逃げようとしていたが、フルーがあまりにも必死にクロードに頭を下げるので、その事を止めさせようと、空いている方の手でフルーの背を掴んで引っ張った。
「いや駄目だ一緒に行こう!」
フルーは、オニキスの手をさらに力を入れて握る。
どっちも一歩も引かない構えだ。
「……俺は、別にかまわないが」
クロードは、フルーの願いをあっさりと聞き入れてくれた。
「クロード、ありがとう!」
フルーは頭を上げると、嬉しかったのかその場でジャンプをしてオニキスに抱きついた。
「だが、それをこいつが納得していればだがな……」
「あっ」
フルーは腕の中のオニキスに視線を落とした。オニキスは、フルーの体を押し戻す。
「フルーあなたの厚意はありがたいですが、私は結構です」
「振られたな」
クロードは、まるでフルーが失恋したかのような表現をする。
――違う、違う! そんな軽い表現で終わらせてはいけない。これはオニキスの今後の人生が掛かっている分岐点だ。フルーは、まだ諦める気はなかった。再びオニキスの手を掴んだ。
「駄目だよオニキス! 君は本気でマリウス達を追うのかい? その後同族殺しの罪を償うつもりなのか」
「はい、そうですよ」
オニキスは即答した。クロードはフルーとオニキスの様子を見ていたが、彼らの会話に付いて行けずに、ストップをかけた。
「フルー、どういう事だ。少し説明しろ」
「……それは」
フルーは、クロードにオニキスと自分の身の上に起きた出来事を手短に話した。途中話すのを憚りたくなる事もあったが、包み隠さずに話した。それはこれから自分たちの生活を預ける人への誠意のつもりだった。
「なるほど……」
相変わらずフルーとオニキスの押し問答は続き、解決を見せない。
「フルー、少し下がっていろ」
クロードはそう言うと、クロードはオニキスの前に腰を屈めて、目線を合わせた。真っ黒な瞳がじっとクロードを見つめる。
「オニキス、復讐がどんなものか分かるか。お前もあいつらと同じところに落ちるぞ」
「……構いません」
「本当にか? 自分の結末を分かっての事か」
「はい」
オニキスは、クロードから目を背けずに答えた。
「……分かった。ならせめてものはなむけだ。お前が苦しむ前に、ここでお前を壊してやる」
クロードはそう言うと、立ち上がり腰に下げていた剣を抜き放った。
「クロード! 何をするんだ」
フルーはクロードの行動に慌てて、その手に縋った。
「お前はいいから黙っていろ!」
クロードは、フルーを強い口調で制した。クロードは自分の剣の刃をオニキスの咽喉に押しつけた。
「鉱物人間でも、さすがに首が落ちれば死ぬよな?」
「はい……」
オニキスはクロードの行動に抵抗を示さない。フルーは、そんな二人に無性に腹が立った。
「オニキス! 君は僕を助けてくれた。皆を必死に守っていたじゃないか!」
「私は……ただ見ているだけでした。みんなの本体を差し出して……壊して……私もあいつらと同じ罪を犯しています。だから……いいんです」
「誰もそんなことは思ってないよ。君は君が出来る事を精一杯やった。それを知っているから、誰も君のことを責めたりしなかっただろう!」
オニキスは、フルーの言葉にやっと反応した。
「……確かに、でも私は裏切り者なんです。だからみんなとは一緒に行けません」
「なら一緒に行かなくていい、その代わりに僕らと」
「だからそれは出来ないと言っています!」
フルーはオニキスをクロードの剣の前から引っ張り出すと、その頬を思いっきり平手で叩いた。パチンという良い音が洞窟内に響く。そしてオニキスの小さい顔が赤く腫れ上がった。そしてフルーはオニキスの小さな肩を抱きしめる。
「ここには、誰も君の不幸を望む人なんていないよ。一度僕たちとおいで、それでも今の考えが変わらなかったら、出て行けばいいさ、その時は、もう止めない」
フルーはオニキスを離す。
オニキスは、選択肢を二つ与えられた。生きる道と、地獄へ落ちる道。フルーとクロードの姿を交互に見た。
「さあ、オニキスどうする? 試しに生きてみるか。それとも今日死ぬか。俺はどっちでもいいが」
クロードは、剣を抜いたままオニキスに質問した。
「……私は、分からない。本当にどうしていいのか。もう長い間ここに居て、毎日毎日石の天井と、腐ってゆく仲間の姿ばかり見ていて、自分も腐ってゆくようで、たまらなく怖かった。精神の糸を手放して、狂ってしまった方がどんなに楽だろうかと……」
オニキスは虚ろな目で、自分の足元を見る。両手が震えていた。それはクロードに剣を突きつけられている恐怖からなのか、それとも何かを回想しているからなのかは分からない。虐げられ続けてきたオニキスは、どれが正しいのかなど分からない。
「心の支えは、私たちを虐げた魔族への憎悪と復讐ぐらいですよ」
「その憎しみと復讐の他に何がある?」
「他にですか……」
オニキスはクロードの剣の刃をじっと見た。
「……なんだろう。あとは楽になりたいと思ったことも」
「それは死を望むということか?」
「……ええ、そうですね、静かに土に還って眠りたいとは、何度も思いました」
オニキスは、死を選択した。何故かその顔は穏やかに笑っていた。気持ちは決まったようだ。
「……あ、そうだ。最後にこれだけは」
オニキスは、何かを思い出したようで、服のポケットに手を入れると、何かを取り出した。それは乳白色の地に虹が浮かびあがる宝石オパールだった。あの混乱の中、オニキスはオパールの本体を守り抜いた。もう彼女の本体を壊さなくてもいい。
オニキスは、そっとオパールを撫でた後、クロードにオパールを差し出した。彼女を保護してくれという意味だろう。クロードは無言で受け取る。
「これで安心しました。オパールの事お願いします。私は土に還ります」
しかし、クロードは手にした剣を素早く鞘の中に納めた。そしてその代わりにオニキスの前に自分の右手の平を差し出す。そこには、いまオニキスがクロードに手渡したオパールが乗っていた。
「どうやら、この人はその意見に反対らしいぞ」
クロードの手の上でオパールが光っていた。もう彼女は、自分の体を保つための魔力は底を尽いた。しかしその意志は、まだ本体に残っているのか、淡く光って主張している。それは、オニキスに生きろと言っているかのようだった。クロードはオニキスにオパールを手渡した。
「オパール、そ、そんな……こんな私に……生きろと言うんですか? 生きていていいんですか!」
その奇跡は一瞬で終わり、オパールは沈黙する。オニキスは、両膝をついて地面に崩れ落ちるとオパールを両手で強く握りしめる。
「さて、オニキスどうする」
「私は……」
「私は?」
「……許されるならば、もう少し……生きていたいです。どうしようもなく生きていたいです!」
「よし、分かった。ならその生、しばらく引き受けよう」
クロードはオニキスの前で右手を大きく振って差し出す。しかし、オニキスはクロードが差し出した手をどうしていいのか分からなかった。
「まったく、仕方がないな」
クロードはそう言うと、オニキスの前に再びしゃがみ、彼の膝の辺りを抱えて、ひょいと抱き上げた。
「フルー、上手くいっただろう」
クロードは、横で黙って様子を伺っていたフルーに声を掛けた。
「まあ、結果オーライだったけどさ……途中冷や冷やしたよ」
クロードがオニキスに剣を突きつけたのは作戦だったのだ。フルーは途中でクロードの意図に気が付いた。しかし途中までは、まんまと乗せられたようだ。荒療治だったが結果的にオニキスを説得出来たので、良しとしよう。
オニキスは、急にクロードに抱き上げられたので、バランスを崩して背中の方に倒れそうになっていた。しかし、それをクロードが手を添えて支えてくれた。気が付けばオニキスはクロードの首にしがみつく事になってしまった。
「あの……えっと、下ろしてください」
オニキスは小さな声でそう懇願した。
「駄目だ、逃げ出されたら困るからな。ここを出るまではこのままだ」
クロードはオニキスの願いを却下した。
「クロード、それはいい考えだね! しっかり捕まえておいて」
オニキスは二人の会話を、大きな瞳をさらに大きくして黙って聞いていた。
「さあ、僕たちの街に帰ろう」
そして、何を思ったのかオニキスは唐突に泣き出した。
「うわああ……ああああ! あああ!」
泣き声なんてものではない。オニキスは大粒の涙をホロホロと胸元に落とし、張り裂けんばかりの声を上げて泣き喚いた。それは今まで貯めていた感情を全て表に出しているかのような大爆発だった。
「なあフルー、精霊は泣き虫がデフォルトなのか?」
「しっ、知らないよそんなこと」
オニキスはクロードの腕の中で、ひとしきり泣き続けた。泣き終わった後は、憑き物が落ちたようなすっきりとした顔をしていた。
「二人とも準備はいいか」
「うん!」
「よろしくお願いします」
「まあ、その前に宿を取って風呂だ風呂! お前ら丸洗いした後、俺はこの傷の治療に行くぞ」
それには反論できない。
フルーとオニキスは、髪も体も全身血だか泥だかよく分からない物がこびりついて、全身から肉の腐ったような変な臭いが漂っている。オニキスは、言われてもあまりピンとこないようだ。こんな生活が長くいろいろな感覚が麻痺している様子だ。
「オニキス、きっとクロードが服を買ってくれるよ。楽しみだね」
「はい」
フルーは、弟が出来たような気分だった。