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花の中の花  作者: ほた
第2章 金剛石と黒瑪瑙
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03-02 ダイヤとオニキス

 オニキスは、その後フルーを他の鉱物人間の仲間に紹介をして、洞窟内を案内してくれた。

 こんな洞窟の下でも風は吹く。縦穴からは日の光も射す。洞窟の底には、どこからか飛んできた種が草木を育て、縦穴の一番採光が良い場所には小さな木が一本生えていた。

 オニキスからここは、本体が損傷した鉱物人間達が眠る場所だと聞いた。言わばこの木は、精霊達の墓標。自然に帰りたいという彼らの願いから、オニキスはここに彼らを埋めていると聞かされた。

 フルーは木の前に立つと、そっと木の幹から地面までの間を撫でた。そして立ち上がると木の幹に額を付けた。この木は寒々しい地底で唯一命が感じられる存在だ。

「やあ、そちらはどうだい? 平安に暮らしている?」

 フルーは木を通し、仲間の石達に語りかけてみた。当然だが答えが返ってくるわけがない。

「僕は……まだそっちには行きたくないな」

――では、どこに行きたいというのだろうか。

 フルーは懐かしい人間領の光景を脳裏に浮かべていた。石畳の道に海が見える街。忙しいが優しい時間が流れていた場所。数は多くないけれど、心が通った人達がいた場所。もうあの場所に戻ることは許されないであろう。

――いったい自分はどれくらい生きてきたのだろう。

 そして、何度体を失い記憶を失い、人々との絆を失ってきたのだろうか。

 フルーは目頭が熱くなるのを感じた。しかし今は泣いてはいけない。これは自分を憂う涙だ。泣いて貴重な魔力を失うわけにはいかない。フルーは涙を引っ込めた。

「フルー、ここに居たんですか。お手数ですが、食糧を運ぶのを手伝っていただけますか」

 気が付くとオニキスが背後に来ていた。驚く事に今この地底で自由に身動きが出来る鉱物人間は、彼とフルーしかいなかった。他の鉱物人間は残存魔力が少なく、傷を癒す事が出来ずにいる。そのため少しの労働さえ出来ない。

「もちろん」

 フルーが突き落とされた縦穴の先に扉がある。そこに数日置きに食料と水が置かれるらしい。オニキスがフルーを見つけて助けたのは、あの日が丁度扉の前に食料が置かれる日だったからだとオニキスから聞かされた。なんという偶然に助けられたのだろう。

 フルーは松明を持つオニキスの後ろに続いて、洞窟を行く。オニキスはこの広い地下空洞の世界を熟知していた。途中ネズミやコウモリの少ないルートを取り進むと、すぐに扉の前にたどり着いた。そこにはオニキスの情報通り、食糧の入った袋と、水の入った容器が置かれていた。フルーとオニキスはそれらの荷物を持てるだけ手にした。

――飼い殺しでも食糧は与えられるのか。

 フルーはそんな事を思ってしまった。

「何で食糧が貰えるのかって顔ですね」

 オニキスは、食糧を運びながらフルーの思っていることを言い当てた。

「あ、えっと、うん。ちょっと、疑問に思った」

「……精霊はあまり急速に弱らせると、本体に負担が生じる事があるんですよ」

「本体に?」

「そうです、だからあいつらは私たちが弱って魔力が切れるのを待っているんです。いくら精霊でも飲まず食わずにはいられない、希望はないと分かっていても渇きには抗えない。でも日が経つにつれ、残存魔力は減少していく、そして私達は消滅する」

 オニキスは、フルーの疑問を答えてくれた。しかしそれは恐ろしい事実だった。

――本当にここは希望なんてないのか。

 フルーは、言葉を失ってしまった。

「そんな……」

「フルーあまり考えない方がいいですよ。今は今日を生き残る事だけを考えてください」

「う、うん」

「でも助かります。今まで全部運ぶのに、日に何度も往復していたので」

「それはよかった。僕がもっと力があれば一気に運べたんだけど」

「いいえ、十分ですよ」

 オニキスは、荷物を少しでも楽に運べるように、袋状の鞄に食料を押し込む。フルーを見つけたときもその鞄から水を取り出していた。

「ねぇ、オニキス。どうして君は、みんなの面倒を見ているんだい?」

「どうして……でしょうね……しいて言うなら私がここの常連だからでしょうか」

「常連……」

「私は、鉱物人間としては不良品なんです。今まで幾多の客に売られては返品されてきたのですが……どうも私の本体に施されている封印式に欠陥があるようで、前回の体の頃の記憶が完全には消えないんです」

「消えない……じゃあ、僕と違って全部覚えているの?」

「はい、ここに落とされるのも、もう何度目になるか……たぶん私はもう売り物として、ここを出されることはないでしょうね。それに私の本体の石は、あまり珍しいものでもないですし」

 オニキスはそういうと、洞窟の天井を見上げる。そこには、竪穴はなく空を臨むことはできない。

 フルーはオニキスのこの告白に答える事が出来なかった。一度穴に突き落とされた自分でも、あれは出来れば消してしまいたいと思うような記憶だ。痛みと恐怖と絶望。それを何度も……この子は、それでもフルーに笑いかけてくれる。フルーは、荷物を地面に一度下ろすとオニキスを背後から両腕でぎゅっと抱きしめていた。フルーより頭一個分小さな身体が腕の中にすっぽり納まる。

「もう突然なんですか!」

 オニキスは、フルーの行動に抗議の声を上げる。

「オニキス、君は強いね」

 外見が子供のようなオニキスだが、実はフルーよりもずっと人生経験が豊かなのかもしれない。フルーは、記憶がない分他の者より自分は幼い面があると常々思っていた。オニキスはその反対なのかもしれない。

「……そんな事はありませんよ……私は……」

 オニキスが何か話そうとした時、一人の少女がこちらに歩み寄ってきた。彼女は歩くのもやっとらしく、二人を見つけると、声を上げた。

「オニキス大変! オパールが!」

 少女の表情は青ざめ緊迫していた。詳しい事は何も言わなかったが、オニキスは彼女の切羽詰まった表情から何が起きたのかすぐ察した。オニキスはフルーの腕の中から飛び出すと、持っていた荷物を地面の上に置き、代わりに少女を背負って、元いた鉱物人間達の住居の方へ駈け出した。

「オニキス待って!」

 フルーも手にしていた荷物を置くと慌ててその後を追った。途中オニキスに代わり少女を背負い、彼を先に行かせた。フルーの方がオニキスより背も体格も良い、少女を背負ってもオニキスよりは早く運べるはずだ。

 フルーはオニキスに少し遅れて住居部分にたどり着いた。するとフルーが知る限りほとんど動かない鉱物人間達が、洞窟の真ん中で人だかりを作っていた。

 オニキスの到着に気が付くと人垣が割れた。オニキスを輪の中心へと誘う。フルーはその様子を見ながら、背に担いでいた少女をそっと地面の上に下ろした。

「フルーありがとう」

 少女から礼を言われる。確か彼女の名前はサファイアだった。青い瞳と青い髪をしているかわいい子だ。

「どういたしまして、サファイア」

 ここでは本体の宝石が名前になっていた。フルーが名前を憶えていなかったら、本体のイエローダイヤモンドにちなんで、『イエロー』か『ダイヤ』と呼ばれていたのだろうか。どうもしっくりしない呼び名だ。

 フルーはそっとサファイアの頭を撫でてやった。彼女は、はにかんだ笑顔を見せて自分もまた、鉱物人間達の輪の中に入ってゆく。フルーも彼らに少し遅れて、輪の中心へと体を滑り込ませた。

「オパール、オニキスが来たよ」

 人垣の中心には、一人の女性が苦しそうな表情で横たわっていた。オパールは銀色の髪と、フルーやオニキスのように色白の肌をした、線の細い美しい女性だった。

「オパール、大丈夫ですか!」

 オニキスは、彼女の手を取り『オパール』と呼び励ます。

「……オニキス。良かった最後に間に合って」

 オパールはオニキスに気が付くと、弱々しい声でそう告げる。

「何を言っているんですか、まだ」

「もう魔力が切れるみたい、ほら見て……」

「……」

 オニキスはオパールの言葉を聞き押し黙った。

 オニキスが取った彼女の手は半透明に透けていた。これは鉱物人間の身体が消滅する前兆だとオニキスが教えてくれた。

 オニキスは、オパールの手を両手で強く握り絞めた。そしてオパールの顔を覗き込んだ。彼女は苦しそうな表情を少し和らげて、オニキスに笑いかけた。

「今まで面倒見てくれてありがとうオニキス」

「そんな、私は何も出来なかったです」

「ううん、貴方は十分良くしてくれたわ……最後に我儘を聞いてもらえるかしら」

「何ですか」

「私の身体が消滅したら……私の本体を叩き壊してちょうだい。貴方なら構わないわ」

「……っ!」

 オニキスはオパールの願いに声を詰まらせた。

「ごめんなさい、貴方に同族殺しをお願いするなんて……酷いわよね。でももう私は……この世界に戻りたくない。だから先に逝った皆と同じように土に戻してほしいの」

 彼女は泣いていた。泣きながら同族のオニキスに生の幕引きを依頼している。

「……」

 オニキスは、一度瞳を伏せてから、無言で首を縦に振って、彼女の願いを了承する。

「ありがとう、感謝するわ……ありがとう」

 オパールはオニキスの返事を聞き、安心したのか、苦痛に歪んでいた表情が安らかになり、そっと瞼を閉じた。そしてその瞬間、身体が全体的に透明になり、粒子がはじけるように空中に消滅した。一瞬の事だった。

「オパール……」

 オパールが消えると、集まっていた人垣がゆっくり散開してゆく。皆、体を引きずりながら声もなく自分の寝床へと戻ってゆく。彼らには、仲間の死に悲しみ泣く力も残されていないのだ。

 そこにはオニキスとフルーだけが取り残された。

「オニキス?」

 フルーは、黙って座るオニキスに声を掛けた。オニキスはオパールの手を握っていた体勢のまま、止まっている。そして両手をゆっくり開いた。そこには大粒のオパールの宝石が握られていた。

「それは彼女の本体なの?」

「はい」

 とても綺麗な宝石だった。虹色に輝く乳白色のその宝石は、ここに横たわっていた彼女のように凛とした鉱物だ。

 オニキスはその宝石を指先で優しく撫でると、しばらく自分の手の上でじっと眺めた。そしてやおら立ち上がるとオパールを握っている手を思いっきり振り上げた。

「オニキス! 何をしているんだ!」

 フルーは、咄嗟にオニキスの腕に飛びつき、彼の行動を制した。

「フルー止めないでください」

 フルーはオニキスが何をしようとしているのか気づいた。オニキスはオパールの本体を遺言通り破壊するつもりだ。

「だって、それはオパールの本体でしょ! それが壊れたら彼女は本当に死んでしまうんだろ」

「そうですよ。でも彼女の最後の願いを聞いたでしょ、もうこの世界に戻りたくないと……」

「でも、だからって、君が背負うことはない!」

 フルーは何としてでもオニキスを止めなければいけないと感じた。

――彼に同族殺しをさせてはいけない。

 まだあんな素直な表情で笑える子に、そんな罪を背負わせていいわけがない。

「……フルー、いいんですよ。私はもう何度も同族を殺していますから……」

――えっ。

「いまなんて……」

「私はもう何度も同族を叩き壊しています。だからオパールは、サファイアに私を呼びにやったんですよ」

 オニキスは、そう言いフルーに笑いかけた。その笑顔は最初にフルーに笑いかけてくれたものと違っていた。心から笑っていない。それはただ形だけのこちらを心配させないためのアクションでしかない。

――オニキス、君は、なぜまだ笑おうとする? 

「オニキス」

「私は大丈夫ですから、だからこの手を離してください」

 オニキスは、フルーの手の上に自分の小さな手を重ねた。

 フルーはオニキスの言葉通り、手を離そうか迷った。しかし、その答えが出る前に、フルーの身体は後方に吹き飛ばされた。

「うあっ」

 前触れも予告もなかった衝撃にフルーは、抵抗出来なかった。フルーは誰かに背中を掴まれたと思った次の瞬間、身体は宙に浮き、息をする間もなく岩の上に転がった。岩に体を打ち付けた衝撃で、しばらく動けなくなる。

「お取り込み中悪いけど、君達そこでおしまいね!」

 フルーがようやく、地面から顔を起こすと、横にはオニキスがねじ伏せられていた。オニキスは、誰かにオパールを掴んでいた右腕を絞め上げられていた。

「マリウス!」

 オニキスの前には、あのマリウスがいた。いつのまにここに降りてきたのだろうか。クロードもそうだが、彼ら魔族は気配を感じない。

 遠目からこちらの様子を伺っていた他の鉱物人間達からも一瞬ざわめきが起きた。しかしすぐに彼らは息を潜める。その行動は正解だ。

 オニキスはマリウスを睨み付けた。それはまるで毛を逆立てて威嚇する猫のようだ。

「オニキス、その宝石渡してもらえるかな。パトリスから聞いたよ。僕が目を離している間に君は何個も宝石を壊したんだってね? 手癖の悪い子は……お仕置きが必要だよね」

 マリウスは自分の剣を引き抜くと、オニキスの右腕を剣で貫いた。

「っ!」

 フルーは、突然の事に声を失った。オニキスは、マリウスの行為を表情一つ変えずに声も上げず、ただ睨み付けている。マリウスはオニキスの腕を持ち上げる。

「あー、ごめん。穴あいちゃったね? バランスよくもう片方も開けておく?」

 マリウスは、そういうとオニキスの反対の手も剣で串刺しにする。

「マリウスやめろ!」

 フルーは叫んだ。オニキスの右腕は、剣で貫かれた後、強引に持ち上げられたため、周囲の細胞が千切れかけている。このままでは腕が取れてしまう。

 マリウスはゆっくりとフルーの方を振り返った。

「あれ、君さ、あの高さから落ちて、まだそんなに元気なの……ちょっと大人しく待っていてよ、順番に相手してあげるから」

 マリウスはそう言うと、一瞬のうちにフルーに剣先を向け、動きを封じた。

「うっ」

 フルーは一歩も動く事が出来なかった。

「ふふ……さあオニキス、その手に持っている宝石をこっちに渡してくれないかな、じゃないとさ……」

 マリウスは、オニキスの身体を何度も蹴り上げる。

「もっと痛い目を見るよ」

 オニキスはただ黙ってマリウスを睨み付けている。それ以上の動きを見せない。すると突然オニキスの身体が半透明に透け始めた。これは先ほどオパールで見た現象と同じ事が彼の身に起きている。このままではオニキスの身体が消滅する!

「やばっ、ちょっとやりすぎたかな」

 マリウスはそう言うと、オニキスの腕を離すと代わりに額を鷲掴みにした。オニキスを掴んだマリウスの手がぼんやり光り輝いてゆく。なんとマリウスは、オニキスに魔力を送っているのだ。先程まで黙ってマリウスの拷問を受けていたオニキスだが、その事に気が付くと今度は激しく暴れ始めた。

「離せ! 私はあんたの魔力なんていらない!」

「それは困るよ。君はもう売り物にならないかもしれないから、せめてここにいる連中の面倒を見て貰わないと。僕、ここ臭くてあんまり降りて来たくないんだよね。あと、君は僕の大切な玩具なんだからさ」

 オニキスの身体は半透明からしっかりとした色に変わってゆく。

「セーフ」

 マリウスは遊び飽きた玩具を岩の上に転がすようにオニキスを地面に放り投げる。

「オニキス!」

 フルーは、両手でオニキスの身体を支えた。貫かれた腕は治っている。身体も半透明にはなっていない。しかしオニキスは身体が震えていた。

「あいつの魔力で回復するなんて……」

 オニキスは、拷問を受けるよりもマリウスから魔力供給を受けた事がショックだったようだ。オニキスはなんという地獄を生きているんだ。死ぬことも、希望を持って生きることも許されない。

「フルー、私は大丈夫です。次は貴方が危ない、私を置いて逃げてください」

 オニキスはフルーにそう告げるが、声が震えている。フルーはそんなオニキスをしっかりと抱きしめた。オニキスは、マリウスにあんなひどい拷問を受けてもなお、フルーの身の心配をする。屈辱的な魔力の供給を受けても、彼はオパールをずっと握り絞め離さなかった。

「君は優しい子だね」

「誤解しています……私はそんな人格者じゃない」

「さて、ちょっと早いけど、そっちのダイヤから収穫しちゃいますか。本当はジワジワ魔力がなくなった方が本体の負担が少ないみたいなんだけど、君を見ているとイライラするんだよね」

 マリウスの標的は、オニキスの予見通りフルーに変わった。フルーはオニキスを抱きしめたまま、マリウスを睨み付ける。もうそれしか出来ないが、フルーは最後の瞬間までしっかり前を見て目を逸らさないと覚悟を決めた。

「まだ、そんな目で僕を睨み付ける元気があるの。やっぱりクロードの魔力貰っていると、あいつに似てしぶといな」

「クロードの魔力だって?」

「……あれ、気づいていなかったの、君の魔力の供給源はクロードだよね?」

 マリウスは、新たな事実をフルーに告げる。

――クロードが僕に魔力を? 

 フルーはクロードから魔力を貰った覚えはなかった。

「半年前さ、遺跡で君達を見つけたんだけど、君達に情が沸いた馬鹿魔族が、数匹を人間領内に逃がしちゃったんだよね。あの時与えていた魔力だけじゃ半年なんて体を維持出来ないよ。証拠に君以外は全員宝石に戻っていた」

 マリウスは、たぶん正しい情報を言っている。なぜならこんな事で嘘をつくメリットがないからだ。

 しかしフルーには本当に覚えがなかった。クロードが自分に魔力を与えた事などいままでなかった。

――いや、まてよ。

 フルーとしての記憶が始まった日、ドクターがフルーに何か告げた気がする。クロードがフルーを見つけたとき、応急処置にとクロードがフルーに魔力を分けてくれたと言っていたのを、今の今まで忘れていた。

――あれか!

 その時クロードは、緊急性を感じて善意で行ったのだろう。だがそれがフルーの命を本当に繋いでくれたのだ。

「そうだったのか……」

 フルーは、この偶然の巡り合わせに感謝した。もしあの日、クロード達を乗せた馬車が通らなかったら、それ以前に人間領に魔族のクロードが居なければ、この命は始まらない。フルーは、奇跡のような偶然と人の巡り合わせで、ここまで生きてこられた事を知った。

――なら、尚更、ここで諦めていいわけがない。僕は、まだ僕であり続けたい。

 フルーはオニキスを自分の腕の中から離すと、背後に庇って立ち上がる。

「……マリウス、僕の魔力の供給源がクロードなら、そう簡単にはやられないと思うよ」

 フルーは精一杯の虚勢を張る。

――切られても魔力が尽きなければ傷は塞がる。オニキスに聞いた迷路のような洞窟に逃げ込もう。それから……それからは、また考える。今はこの窮地を脱しなければいけない。フルーは自分の背に張り付いているオニキスの手を取った。

「オニキス、いい? 逃げるよ……」

 マリウスに聞こえないよう小さな声で囁く。オニキスから返事はなかったが、温かい手がフルーの手を握り返してきた。

――よし。

 フルーはそれを『了解』と受け取った。

「ふーん、それならこっちも楽しむまでだよ」

 マリウスは、フルーに最初の一太刀を振り下ろした。その一太刀は受けてもいい。マリウスはフルーの本体に傷をつけないよう手加減するはずだ。ならば、傷は再生出来る。フルーは目を閉じず、マリウスの動きをしっかり見ていた。しかし、マリウスの剣がフルーの上に落ちるより早く、何かがフルーの前に落ちてきた。

 衝撃で地面が揺らぐ。そして周囲には酷い土埃が舞い上がる。洞窟の天井が崩落したのだ。マリウスは、落下して来た物を避けるため、背後に飛んだのを辛うじて確認できた。

――視界がっ。

 フルーは目に土埃が入らないよう、瞳を伏せた。しかしそれは取り越し苦労であった。なぜかフルーの周囲だけ、土埃が晴れ視界がクリアだった。この周囲だけ何かの意志が働いているかのようだった。おかげでフルーは自分の前に落ちてきた物を誰よりも早く目視出来た。

「これは……」

 フルーの前に細長いシルエットが浮かびあがる。それは剣だった。

――なんでこんなところ……に。

 それにフルーは、その剣に見覚えがあった。柄に青い玉が嵌っている両刃の大剣。その剣は、地底の岩盤の上に刺さっていた。柄の部分が、丁度フルーの腰の位置にある。

――まさかっ……

 フルーは目を見張った。

 剣を目にした瞬間、心臓は躍るように鼓動し、血液は沸騰するように駆け巡る。思考より先に体が反応を示した。

 今から起きるであろう事を期待していなかったと言えば嘘になる。ここでの生活で、期待や希望を持つことは、心を弱くした。だからフルーは考えないようにしていた。助けが来るなんていう希望は――

「うあっ!」

 フルーは、言葉にならない声を発しながら、空いている方の手で剣に伸ばした。

『主殿、保護目標と討伐目標の位置を確認した』

「へっ?」

 剣から何か声がした。フルーは驚き、剣から手を引っ込めた。

『フルール殿、離れてはいけません。主殿の魔法が発動される。私に掴まっていなされ』

 名前を呼ばれて更に驚くが、やはり剣から声がしていた、声は何か途轍もなく不穏な事を言っている。

「えっ、ええっ! 魔法?」

 フルーは、自分の背後を振り向くと、オニキスの両手を掴み剣の柄を握らせた。

「フルー、この剣は!」

 今は、オニキスに説明をしている時間はない。ここまでが、天井が崩落してからほんの数秒の出来事。フルーは、オニキスの手の上から剣の柄を握り締める。

 その作業が終わるのとほぼ同時に、剣が開けた穴から無数の巨大な氷塊を含んだ嵐が襲い掛かる。

上位氷撃(サフィア・)魔法(フロス)!』

 剣は、聞き覚えのない、単語を発音した。

「サフィア・フロス、これ氷の上位魔法ですよ!」

 オニキスは、剣が言った単語が分かったのか、通訳をしてくれた。

――氷魔法だって!

 フルーとオニキスは剣を支えにしなければ、氷塊の嵐の中、その場に立っていられなかった。

「……オニキス、たぶん僕達助かるよ」

「えっ、フルーよく聞こえません」

 声はかき消される。

「だから僕達、たすかるよ!」

 フルーはこの剣と魔法を送ってくれた人物に心当たりがありすぎた。魔法の嵐が止むと、洞窟内は白い世界へと変わっていた。

 その白い世界に埋まるかのように、マリウスが自分の剣を盾にして立っている姿が見えた。そのマリウスの身体は、あちらこちらに氷柱が刺さっているではないか。肩、腕、太ももと、それは深々と刺さり出血していた。マリウスは足に刺さって氷柱を力ずくで引き抜いた。白の世界に赤が加わる。そして――もう一つ色がある。

「くそっ! どうしてここの位置が分かった、クロード!」

 フルーとオニキスの前には、クロード=ローレンが立っていた。クロードは、いつもアルデゥイナで着ているインテリ風のスーツ姿ではなく、全身黒尽くめのラフな服装だった。そんな恰好をしているせいか、クロードはアルデゥイナにいる時より、少し若く見える。彼は己が作り出した氷の世界に現れた。

「マリウス、今日の俺は不機嫌極まりないぞ。お前のせいで使いたくない各地のコネを使いまくって、この位置を割り出したんだからな! どう料理してくれようか」

 登場早々この魔族は、物騒な事を言い放つ。クロードは、マリウスに個人的な苦情を連ねた。

「何が不機嫌だ……僕の方が何倍も不機嫌だ! 君は剣士なのに魔法で攻撃するか! それでも剣士の端くれか!」

「そういうお前だって、俺に魔法剣で切りつけてきたよな! おあいこだ」

――これは子供の言い合いか。

 マリウスは、傷を負った体を庇いながらクロードを睨みつける。魔法で受けた傷口はかなり深手のようだ。あのマリウスが地面に片膝をついた。

「とりあえず、こちらでは俺の方が剣も魔法も上であることをきっちり証明しておこうか」

 クロードはそういうと、フルーとオニキスの前にやってくる。

「二人とも、俺の剣から手をどけろ」

 フルーとオニキスは、ほぼ同時に掴んでいた剣の柄を離した。そして顔の横で手の平を見せる。

「それから、危険だからその場から絶対動くなよ。いいな!」

「はい、動きません!」

 フルーは、反射的に返事をする。オニキスは首を縦に振って見せた。

 クロードは返事を確認すると地面から剣を引き抜き、反動のまま構える。片手で持ちあげられた剣は、剣先を真っ直ぐマリウスへと向けられる。

 マリウスは、身体に刺さった氷柱を全て引き抜くと、片膝を地面から離す。そして湾曲した片刃の長剣を体の前に構え直す。

「そっちがその気なら、僕も本気を出すよ。クロード! 昔の僕だと思うなよ。もう一度叩き潰してやる」

「まぐれのもう一度なんてあるか!」

 空気中に飛んだ魔法の氷が弾ける音を合図に、決闘は始まる。

 両者は音もなく一瞬で間合いを詰めると、剣を交える。金属がぶつかる高音と、二人の掛け声が洞窟内に反響する。

「いやああああ!」

「はあああ!!」

 クロードは剣を振りおろし、マリウスは下から斬り上げる。全く違うスタイルの戦い方をする。それは持っている剣の特性を生かしてのことだろうが、見ているこちらは剣の知識がないので、どちらが優勢なのか皆目見当がつかない。

「……あのマリウスが押されている」

 フルーの横でオニキスが呟いた。

「そうなの」

「ええ、あんな余裕のないマリウスを初めてみます。フルーあの人は何者ですか! 凄く強いですよ!」

 どうやらオニキスは剣の戦いが分かるようだ。オニキスは両手を胸の前で握りしめて、戦いに見入っていた。フルーはオニキスから戦いの方に視線を戻した。

「クロードは……何者だろうね」

 フルーは、自信なさげに答える。今の喜々として戦うクロードは、フルーが普段見ていた姿とは別人だ。これが彼本来の魔族の姿なのか。もし今、『魔族は恐ろしくないか?』と聞かれたら『実に恐ろしいです』と答えるだろう。しかし、フルーにはクロードが自分達の味方であるという確信はあった。彼が味方でないならば、この場にいないだろう。

「でも、絶対大丈夫だから」

 フルーはオニキスの背に手を添える。

 マリウスの剣に空振りが多くなってきている気がする。そして少しずつではあるが、洞窟内を後退しているではないか。どうやらクロードは本気でマリウスより自分が優れているのを証明するようだ。

 マリウスの一撃がクロードの剣に当たったと思った瞬間、クロードは剣を横に流す。するとマリウスの手から剣が零れ落ち、長い銀色の光が宙を飛んだ。そして、剣は離れた地面に落ちる。それを拾いに行こうとマリウスは身を翻すも、クロードに先回りされ、剣を首筋に突きつけられてしまう。

「それでおしまいか。さっきまでの威勢はどこに行ったんだ? もう少し楽しめると思ったんだがな。こっちは全然本気を出してないぞ」

 マリウスは悔しそうに唇を噛みしめて、クロードを睨みつける。

 クロードは、悪役のように台詞を捲し立てる。そして剣を拾おうとしていたマリウスの手の甲を踵で思いっきり踏みつけた。

「くっ!」

「おっと失礼した。もしかして、これを拾いたかったのか? 悪い悪い」

 クロードはそう言うと、空いている手でマリウスの剣を拾いあげる。そしてマリウスを蹴り飛ばして、剣を投げつけて返してやる。

――うわあ、味方じゃなかったら関わりたくないかも。

 フルーはそんな感想を持ってしまった。どうやら受けた仕打ちをしっかり返すつもりだ。

「……くそっ! くそくそくそくそっ! クロード=ローレン! 覚えてろ、この恨みと屈辱、何年掛かっても絶対返してやるからな!」

 マリウスは、地面の上の剣を掴むと、見事な捨て台詞を言い放つ。そして、持った剣で宙を切り周囲を炎の海で溢れ返らせた。何をしようと言うのか、クロードは再び氷の魔法を発動させると、周囲の火を相殺する。

 炎は囮だった。マリウスは炎の後ろで、何やら光の渦を発生させていた。新たな魔法か。しかし、その魔法はこちらに向けられることはなかった。マリウスはその光の中に自分の身体を滑り込ませる。

「しまった、転送魔法か!」

 クロードは慌てて、光の渦に駆け寄る。しかしクロードが辿りつく数センチ手前で、光は収束する。

 マリウスは、その一瞬の隙にその場から忽然と姿をくらました。


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