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花の中の花  作者: ほた
第1章 魔族と少年
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01 別れと出会い


 街外れにある墓地。大勢の喪服を着た人々が集まっている。誰かの葬儀があったようだ。鳴り響いていた寺院の鐘の音が空に吸い込まれた後、人々は三々五々この場から去ってゆく。

 墓地から少し離れた広場には、数十台の馬車が犇き合うように止まっている。参列者は馬車に乗り、墓地を順番に離れてゆく。

――ここも混んでいるな。

 青年は、黒で埋め尽くされた馬車乗り場を眺めながら、小さく溜息をついた。彼の名は、クロード=ローレンという。彼はスーツと同じ黒い髪をしており、肌が白く、目鼻立ちが整った美しい青年だ。クロードは混雑した乗り場に背を向ける。どうやら空いている乗り場を探しているようだ。

 今日用意されている馬車は一頭立てだ。屋根の付いた客車は道路の両側面にひとつずつ戸があり、ドアの両サイドには硝子がはめ込まれている。運転席は客車の外に設けられており、客車の座席は向かい合わせに二つ。客は多くて四人までしか乗れない作りだ。馬車は定員になったものから次々と出されている。

 クロードは、一台の馬車の前に立ち止まると客車のドアから室内を覗き込んだ。

――先客はいないようだ。

 そのことを確認するとドア横の手すりを掴み、戸口に作り付けられている金具のステップを登り客車に足を踏み入れた。室内は天井が低い。頭をぶつけないよう上体を低くし進むと、正面の窓側に腰を下ろした。クロードは一連の動作を流れるようにこなす。

 そしてその最後の動作として、スーツの内ポケットから一冊の本を取り出した。車内に照明はないが、窓から差し込む日の光があれば読めなくはない。片手で器用に本を開き、親指の腹でページを送る。

「お、ローレン、こんな所にいたのか」

 客車の外から彼の名前を呼ぶ声が聞こえた。クロードは本から視線を上げると開けたままになっていた客車の戸口を見た。ちょうど中年の男性が室内に上ってくるのが見える。

「ドクターか」

 クロードが『ドクター』と呼んだのは、クロードの家の近所で開業医をしている、ドクター・オラージュ=E=シュラールだ。本日はドクターも喪服を着て正装をしている。だが、どこか締まりがない。首に締められているネクタイはとんでもなく曲がっており、彼のトレードマークの白髪交じりの長髪は、櫛を入れた形跡もなく無造作に結ばれたままだ。そして、口の周りには無精ヒゲがそのまま居座っている。こういう場に縁遠い人であるのがよく分かる。

 ドクターは、クロードの正面の席に勢いよく腰を下ろすと、口の両端を持ち上げ、人の良さそうな笑みを作る。

「ここ、いいよな?」

 クロードは少し長めに息を吐いてから、視線を本に戻した。

「座ってから同意を求めるな」

「まあまあ、一人も二人も似たようなものじゃないのか」

 ドクターはそういうと体を半身回転させ、座席の頭の辺りに付いている小窓を手の甲で叩いた。客車の外で馬の準備をしていた運転手がそれに気がつく。

「はい、どうしました?」

「運転手さん、準備出来たら出しちゃって、たぶんこれ以上乗ってこないだろうからさ」

「は、はい、分かりました」

「よろしく」

 ドクターは、愛想良く運転手に手を振ると、前を向いて座りなおす。

「いいのか、まだ乗れるぞ?」

「構わないさ、お前さんと馬車で小一時間一緒に居たいと思う変わり者、早々見つからないだろ」

 ドクターはそういうと、首に絡みつくネクタイを緩めると隣の座席に足を投げ出した。

「……ドクター、俺を何だと思っている?」

「何ってそりゃ答えは『変わり者の魔族』一択しかないだろう」

「……面と向かって言ってくれるな」

「そう怒りなさんな」

 無意識にドクターに鋭い視線を向けていたようだ。クロード本人に自覚はないが、その鋭い眼光はかなり迫力がある。しかし、ドクターはそんなクロードの様子にもどこ吹く風。飄々と椅子の上で伸びをしている。

――まったく。

 クロードはドクターの言葉に毒付く反面、心の中では痛いところを付かれたと思っていた。実はクロード=ローレンは、外見こそ人間と変わらないが、魔力という特有の能力を持った種族なのだ。人間は、彼らを総じて魔族と呼んでいる。

 なぜドクターに『変わり者』と言われたかというと彼が『人間の街に暮らす魔族』だからだ。

 この世界には人間・魔族・精霊の三種族が存在する。現在、魔族と精霊は人間の世界より姿を消し、自分の領土で暮らしている。ここは大陸の南に位置する人間領の街。魔族のクロードがこの地にいることは、それだけで大変珍しいことなのだ。

「勝手にしろ」

 クロードは、そう言い捨てるとドクターとの会話を終わらせるため、再び本に視線を戻そうとした。しかし、再び戸口から新しい声が加わった。

「人間の変わり者代表のドクターにそこまで言われるなんて、今日のローレンは形無しね」

 笑い声と共に降ってきた声は、若い女性のものだった。

「お邪魔でなかったら、私も加えていただけないかしら?」

 車内の二人は同時に戸口の方をみた。戸口にはふわりとした長く茶色い髪が舞う。喪服姿の若い女性が、戸口の手すりを掴み客車によじ登ろうとしているところだった。

 ダニエル=フィノは、裾の長いドレスを身に纏っていた。片手でドレスの裾をたくし持ち、ステップから客車の床に登ろうとしていたが、ドレスの構造が彼女の動きを制限しているらしく、片方の足が床に着けられずにいた。

「ダニエル無茶をするな!」

「これくらい大丈夫です」

「そうは言うが、見ているこちらの肝が冷える」

 そういうとクロードは手にしていた本をスーツの内ポケットに戻すと座席から立ち上がり、客車を揺らさないように戸口に近づいた。

「不本意だろうが、少しじっとしていろよ」

 クロードはダニエルの腰に手を回すと、彼女を客車内に引き上げ席に誘導する。

「ローレンありがとう」

「どういたしまして」

 クロードは、ダニエルのスカートを踏まないように注意しながら隣に腰を下ろした。

 ダニエルの黒のドレスの胸元には大振りの白い花が飾られている。それは故人の親族達が揃いでつけていたもので、彼女も今日の故人の遺族だった。

 ドクターはダニエルが乗車してきたので、少し身を正して座りなおした。

「ダニエル嬢、親族は専用の馬車がなかったか?」

「そうね……そんな物もあったかしらね」

 ダニエルは視線を宙に泳がせ返答を濁した。彼女は何かを隠しているように感じる。

「ダニエル。また何かやらかしたな?」

 ダニエルはローレンの方を向くと、そばかすの浮く頬を紅潮させる。

「ローレンずいぶん失礼な物言いね! 今日は何もしてないわ」

 ――今日はということは、いつもはどうなのだろう。

「……ただ」

「ただ?」

 クロードとドクターの声がそろう。

「久しぶりに会った大叔母様達が『結婚はいつするんだ』『仕事はいつまで続ける気だ』と責め立てるから、少し啖呵を切って飛び出して来ただけよ」

――やっぱり。何かしているじゃないか。

 クロードはそう思ったが、ここはダニエルに口を出さなかった。

 彼女は今、自分の仕事に情熱を傾けている。それを否定されては黙っていられなかったのだろう。ダニエルは普段から丸くぽっちゃりしている両頬をさらに膨らませている。この様子からするにずいぶんと威勢のよい啖呵だったのではないだろうか。

 クロードはダニエルの物事をはっきり言う性格が嫌いではなかった。反対にこの華奢な体のどこにそのバイタリティがあるのかと興味がある。

「同じ年寄り集団でも、こちらの方が何倍も魅力的よ」

 ダニエルはドクターに負けず劣らず毒を吐くセンスのある子だった。ドクターはダニエルの言葉に大喜びで高らかに笑い声をあげる。それに釣られダニエルも声を出して笑う。

「おい、二人とも墓所で不謹慎だぞ」

「ははははっローレンは固いな。しかし残念だ。ダニエルともっと話をしていたかったが、俺は帰りの馬車で仮眠を取ろうと思っていてな」

 ドクターは、そういうと二人分の座席を占領して、体を横たえた。

「ドクター。今晩は夜間診療か」

「そうだよ。少しでも体力温存しておかないと、何かあったときに動けないからな」

「……ドクター。お忙しい身なのに祖父の葬儀に足を運んでいただき本当にありがとうございます」

 ダニエルは浮かべていた笑みを消すと、神妙な顔つきでドクターに深々と頭を下げると感謝の言葉を贈った。

「祖父に代わりお礼申し上げます」

「……ダニエル頭を上げてくれ。爺さんには生前何かと世話を焼いてもらったから、これくらい当然さ」

 いいんだよ。と言うようドクターはダニエルの肩に手を置く。

「さて、着いたら起こしてくれよ」

「ええ、おやすみなさい」

 ドクターは、性格も態度もいい加減だが、医療に関しては誰もが認める腕を持っている。街で当番制になっている夜間診療は、ドクターが先頭に立って始めたもので、自らも月に数度当番を買って出ている。

 ドクターの寝息が聞こえる頃、馬車は小刻みに揺れ動きはじめた。

 


    * * * *


 

「改まった席が苦手なドクターが、葬儀に顔を出すなんて、珍しいな」

 こちらに背を向け座席に横たわるドクターを見ながら、クロードは呟く。

「……祖父の最後に立ち会ってくれたからだと思うわ」

「そうか、ドクターが立ち会ったのか」

「ええ、最後の数日はドクターが毎日往診に来てくれていたの」

 それは初耳だ。

 亡くなったのは彼女の祖父、ヴィクトル=フィノ。そしてヴィクトルはクロードの長年の友でもあった。

「ねぇローレン、あなたがこの街に住み始めて、どのくらい経つの?」

「そうだな、五十年くらいか」

「……五十年長いわね」

「そうでもないさ、あっという間だよ。ダニエルもそう思う時がくるよ」

「そうね。でもそれ当分先にとっておくわ。前から聞きたかったのだけど、どうして魔族は人間より歳を取るのが遅いの?」

「さあ、魔族の世界にいるときこれが普通だったから、考えもしなかった」

「若いままでいられて、ずるいわ」

 魔族の寿命は、人間の数十倍はある。クロードの外見は二十代前半の青年だが、実年齢は数字の桁が三桁必要になる。

「そう言われても、こればっかりは生まれ持った体質なんでな。苦情は受け付けない」

「……じゃあ、話を変えるわ。ローレンはおじいちゃんの事、良く知っていたわよね」

「ああ、この街に来てからの付き合いだからな。あの頃のヴィクトルはまだ髪がフサフサしていたな」

「嘘! 私、ツルツルの頭のおじいちゃんしか見たことがない」

「そうか、これはうっかり口を滑らしたか」

「今度、昔のアルバムを漁ってみるわ」

 クロードの記憶の底にあるヴィクトルは、若い青年のままだ。茶色い髪に、若い頃は鼻頭にそばかすがあった。ダニエルの容姿は祖父ゆずりだ。

 クロードはヴィクトルが危篤に陥る数ヶ月前、家を訪ねた。久しぶりに会ったヴィクトルは、少し前に会った時よりも更に老け込み、白い影のような老人になっていた。二人はしばらく昔の思い出話をした。しかしクロードはその間、心穏やかではなかった。そこには今までクロードが見ようとしなかったものが、嫌でも見て取れたからだ。

 いくら人間領に住んで、人間の友と同じ時を過ごしても、最後は変化のない自分が一人残される。人間領に住むことを決めた時、こういう日が来ることを予め覚悟はしていたはずだった。しかし現実に直面したとき、ヴィクトルに再び会うことを躊躇う自分がいた。

 ――何でもっと会っておかなかった。近い未来別れが来るのが分かっていたのに。

「……おじいちゃんが生きている間にもっといろんな話を聞いておけばよかったな」

 ダニエルの言葉は、自分の気持ちを代弁しているようだ。

「……ダニエル。この馬車に乗った理由、他にもあるだろ?」

「……ローレンには全てお見通しか」

「伊達に長く生きていないさ」

 確かにとダニエルが頷く。

 ダニエルが叔母達と喧嘩をして飛び出してきたのは本当の話だろう。そして葬儀の列にクロードの姿をみつけ、ヴィクトルの話を聞くため追いかけてきたのだ。彼女の祖父は街の管理管轄をする役所の重鎮として街の安定を下支えしてきた。ダニエルは、祖父の跡を継ぐべく下積みをしている。女性が役職についたのはまだ前例がない。女の身で同じことを成し遂げようとなると、何倍も努力が必要になる。ダニエルにとって祖父は目標だったのだろう。その目標を失って、喪失感に苛まれている。

 窓の景色をじっと見るダニエルの瞳は、若干赤くなっている。涙を堪えすぎて充血しているのだ。

「ダニエル、お前は聡い子だ。帰ったら叔母上達に謝るのだよ。自分を通してばかりいては、人は着いて来てはくれない」

「分かっているわ、この馬車を出たら気持ちを切り替える」

 茶色の意思の強い瞳をこちらに向けてくる。

 本当に賢い子だ。ダニエルはしっかり分かっているのだ。祖父を失った喪失感が彼女の封印している気持ちを少し外に放出してしまったのだろう。自分には祖父と同じ道を歩むのは無理かもしれない。いつも付きまとう負の思い。他ならぬ肉親に否定されたのが、彼女の心を乱した。駄々をこねた子供を見るかのようにクロードはダニエルの頭を撫でる。

「ローレン、おじいちゃんみたいだわ」

「そうだな、ダニエルは孫みたいなものだ」

「そうね」


 馬車の外は若葉が香る春。春の花が優しくそして力強く咲き乱れている。世界はクロードを無視するかのように移り変わっていく。

――こんな景色を、あと何百回見ることになるのだろうか。

 魔族の寿命は果てしなく長い、魔族領では、生きるのに飽きてしまう者もいる。自分もいつの日か、景色に心を動かされることも、持っていたものを失う恐怖も分からなくなっているのではないだろうか。

 そんなマイナスな思考に囚われていたクロードは、窓の外の異変に気付くのが遅れた。

 それは最初、彼の視覚に違和感を与えたに過ぎなかった。

――何かが、おかしい……

 ローレンは席から立ち上がり、客車の窓を開け外に身を乗り出した。

「ローレン、どうしたの?」

 ダニエルが訝しげにクロードを見上げている。クロードは目を細めて路肩の一点を見ている。

「……人が倒れている」

「何ですって!」

「ダニエル、ドクターを起こせ」

 クロードはそう言うと走行中の馬車の扉を開き、音もなく地面に飛び降りた。

「ローレン!」

 ダニエルはクロードの突然の行動に驚くも自分のやるべき事を心得ていた。

「運転手さん馬車を止めてください! ドクター起きて!」

 


    * * * *



 魔族の五感は人間の何倍も優れている。クロードは地面に飛び降りると馬車の進行方向とは逆に駆け出した。

――見間違いであってほしい。

 草原の一角に目を凝らしながら、道を外れて舗装されていない草原に足を踏み入れる。地面を踏みしめると花と草の香りが襲いかかってくる。クロードはその中でも一際生い茂る花畑の中に踏み込むと、強引に周囲の花を掻き分けた。

「……居た」

 馬車の上から見たものに間違いはなかった。花に覆われた中に人がうつ伏せに倒れていた。すぐに人間が倒れていると気が付かなかったのは、この人物の髪の色が、一帯の花と同色だったからだ。

 クロードは、タンポポの群生する地面に膝を付いた。

「……死んでいるのか?」

 生きているのかと声をかけなかったのは、なぜだろうか。クロードはそう思いながら、生死を判別するため地面に倒れている人の首筋にそっと手を置いた。

「……温かい」

 脈も弱いが確かに脈打っている。

「間に合ったか」

 安堵のためか、ため息が漏れる。クロードは周囲の草や花を押しやると倒れている人物の肩を揺すった。

「おい、大丈夫か……」

 声を掛けるが倒れている人物からの返事はない。下手に動かすのはどうかと思ったが、うつ伏せのままでは外傷の確認が出来ない。

「動かすぞ」

 クロードは、声をかけながら肩口に手を差し入れ、地面に突っ伏している身体を慎重に裏返した。行き倒れていた人物の髪が、クロードの腕の内側に落ちた。髪で隠されていた顔が露わになる。クロードは一瞬息を呑んだ。首筋の辺りまで伸びた金色の髪の間から現れたのは、幼さの残る少女だったからだ。

「女子供がなぜこんな場所に?」

 まったく予期していなかったことに、クロードの手が止まった。

 少女の瞳は固く閉ざされていた。そのしっかり閉じられた瞼には長いまつげが蓄えられ、すっと通った鼻筋と青白くなっているが形の良い唇が結ばれている。だいぶ衰弱しているが、それを含めても、愛らしい外見をしていた。

 これを『美少女』という言葉以外で定義するのは難しい。年の頃はダニエルと同じくらいだろうか。

 クロードは辺りを見回したが、彼女の荷物らしきものは見当たらない。服装も軽装でシャツとズボンの組み合わせだ。そして、びっくりしたことに両足は裸足であった。傷だらけの両足は傷口に泥が入りこんでいる。これはまるで何かから逃げてきたような……クロードは負の考えに陥りそうになるのを、頭を振って追いやる。

――こんな場所に寝かせておくわけにはいかない。

 地面に寝かせていては体温が奪われてしまう。呼吸が規則正しいのを確認すると、クロードは少女の腰と背に腕を差し入れると抱き上げた。

「……重い」

 少女はクロードの予想より重かった。クロードは腕の中の少女に視線を落とした。自分の腕に伝わるこの違和感は何だろうか? この違和感を列記すると、まず彼女はクロードの知る成人女性の体重よりも若干重い。意識がない人間は元来重いものだが、それを除外してもこの重さはおかしい。そして腕に伝わる感触は女性の骨格とは異なる。まだ発展途上のダニエルの身体でも、多少の丸みがあった。

 それらを総合するとこの人物は……。

「…まさか、……こいつ男か?」

 その答えにたどりつくまで、ずいぶん時間がかかってしまった。それほどまでに、腕の中の少女いや少年は、儚く可憐だった。何か言い知れぬ思いが胸の中に沸いてきたが、クロードはこちらに向かってくるドクターの姿を見つけると、彼らを呼び寄せた。

「ドクターここだ!」

 ダニエルに叩き起こされたドクターは、クロードに追いついてきた。

「た、倒れていたのは、……そ、その子か!」

「ああ、息も脈もある」

「よかった」

 馬車で待っていればよかっただろうに、ダニエルは息を切らせながらやってきた。草原を走って来たので、服の裾が泥だらけだ。

 ドクターは地面に膝を付くと、クロードに抱きかかえられている少年の手を取った。

「ずいぶん衰弱しているな。見つけるのが遅かったら危なかったかもしれない。……それにしても可愛いらしいお嬢さんだな、ローレン」

「ドクター、たぶんこいつ男だぞ」

「嘘、こんな可愛いのに!」

 ダニエルは少年を覗き込んで驚きの表情を浮かべる。

「……ローレン、残念」

「何が残念だ! 早く診てやれ」

「はいはい……」

 ドクターは、少年の診察を始めた。大きな外傷はなさそうだ。しかし意識がないのは衰弱が進んでいるためのようだ。ドクターの顔色が曇る。

「ローレン、駄目元で聞くがお前さん回復魔法は使えないのか?」

 魔族が持つ魔力は、魔法という形でこの世界に現象化することが出来る。破壊魔法、補助魔法、回復魔法と種類は多岐に渡る。

「残念だが魔法は……それに回復魔法は素質がなくて習得していない」

 魔族と言ってもすべての魔法を使えるわけではない。人の性格に個性があるのと同じく、魔力にも個性があった。それにいろいろと制約もある。

「……そうか、やっぱり駄目だよな」

「ドクター。大丈夫よね、助かるわよね」

 ダニエルが不安そうな表情でクロードとドクターを交互にみる。ドクターはダニエルに言葉を返さなかった。

「……脈がかなり弱い、このまま運んで街まで持つかどうか。少しでも応急処置が出来れば」

「そんな……」

 今日のドクターは、仕事道具の医療鞄を持っていなかった。流石に葬儀の場まで持ってきてはいない。

「ドクター、応急処置程度なら、なんとかなるかもしれん……」

「本当か!」

「ああ、だがあまり期待しないでくれよ……」

 クロードはそう言うと少年の額を手で覆った。するとクロードの手の平がぼんやり光り出したではないか。

「ローレン、何をしているの?」

「魔力を送っている……魔法を作り出す前の何も形のない力だ。よく人間は『手当てする』という言葉を使うだろう」

「うん……えっ、まさかこれが語源?」

「諸説はいろいろあるがな。気休めだが体力の回復ぐらいはできるはずだ」

 クロードはゆっくりと自分の魔力を少年に送り続ける。若干ではあるが少年の蒼白だった顔色に赤みが差したような気がする。

 ドクターは少年の手を取ると脈を確認した。

「よし、いい子だ。脈がしっかりしてきたぞ」

「良かった!」

 ドクターは、少年の手首から手を離すと立ち上がった。

「ローレンすまんが、そのまま魔力を送り続けてくれ! ダニエル、馬車の運転手にうちの診療所まで馬車を着けてくれるよう交渉してきてくれ」

「分かったわ!」

 こういう時のドクターは別人のように手際がよい、ダニエルは、馬車の方へ踵を返すと走り出した。

「ローレン。そのままゆっくり運んでくれるか?」

「ああ」

 クロードは額から手を離さないように少年を抱き上げ直すと、地面から立ち上がった。ドクターがその横に付く。

 二人は足早にタンポポが咲く草原を後にした。



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