12
『牧さん、変更いきます。カウント、3、2、1……』
御子柴のカウントダウンの直後、衝撃の様な痛みの波に襲われる。
備えていたとはいえ、歯を食いしばっても耐えがたい激痛だ。だがこの痛みは現実ではない。頭でそれを言い聞かせながら痛みの情報を切り離す。
少しして、慣れと共に感覚が戻ってきた。
制御室と短いやり取りをしながら、澄んだ五感で改めて目の前の二台を注視する。
と、先程より明らかに雰囲気が変わっていることに気付いた。立ち姿がどっしりとしていて、熟練したリンカーが操っているように自然なのだ。
もしかしたら相手もこの時間を使って調整してきたのではないだろうか……。
ぞくりとした悪寒を振り払い、残った左腕を前に出す体勢で構える。律がくるまでは、どうしても一人で持ち堪えなければならない。
恭祐の動きに反応したのか、二台の教習機もピクリと身体を揺らし、ゆっくりと溜めの姿勢に入る。
「……っ!」
速い。
反応速度が速すぎる。
突然始まった本格的な戦闘は、限界まで単純な命令にしてようやく対処出来るレベルの攻撃速度だ。
不利なコンディションでひたすら後ろに押されながらも何とか対応する。
避けきれない攻撃は左腕でいなしているが、四本の腕から繰り出される高速の打撃を全て防ぎきることは出来ない。致命とならないポイントへの攻撃は、何発か喰らってしまっている。
りっちゃん、早く……っ。
このままではあと数分で左腕までやられる、そう覚悟していたが。
「恭祐!」
整備室の方角から飛び込んできた教習機が、一台をそのまま激しく蹴り飛ばした。
火花を散らしながら飛んでいく筐体からは、数個の部品が転がっている。
「おぉおー、ナイスりっちゃん!」
走り込んできた勢いのまま飛び蹴りを喰らわした律の教習機は、脚部のバネをフルに使い、殆ど音も無く恭祐の横に着地した。
ホントにリンクが苦手なのか? と疑問に思うほどの滑らかな動きだ。
人体を超えた筐体の性能を扱いこなしている。
リンク中級者でも、せいぜい自分の肉体の限界程度までしか動かせないのだが、ここまで自由に闘えるのならリンカー専攻と名乗っても問題無いレベルだ。十分に頭数として頼らせてもらおうと心に決める。
そして流れるように残ったもう一台へと攻撃を加えていく律。
恭祐はその動きと合わせる様に、片腕だけで相手の電源付近に狙いをつける。
「りっちゃん、こいつの両腕任せていい!? スペースが出来たら俺が飛び込む!」
「じゃあ左から行く。制御室、転がってるもう一台も注意よろしく」
『律! 立ち上がったぞ、混戦になる!』
上下左右、四台の筐体が入り乱れる様に攻防を続ける。
一見して同じ教習機だ。
リンク中の視界に重ねて表示している筐体情報が無ければ、混乱していただろう。
制御室がすぐさま、闘技会で使われている【敵筐体をマーキングする機能】をオンにしてくれたお陰で助かった。
分離したはずの右腕からは、未だ凄まじい痛みの信号が断続的に届いてくる。シャットアウトされていた感覚は戻っているが、時折集中が切れそうな程だ。肉体も恐らく脂汗が浮いているだろう。
だがヒナが何も言ってこないということは、自分がこの痛みの信号を肉体と分離して処理できれば、まだ十分に闘えるということ。
「コイツ等……っ!」
律のイライラした悪態が聞こえる。相手は積極的な防衛という方針のようだ。決して最短で終わらせようという意思が見えない攻撃パターン。
ハッキングされていると言っていたから、コイツ等は時間稼ぎが目的なのだろうか……。
片方の教習機は恭祐と同様にボロボロだというのに、その筐体を引きずるように、攻撃を交わしてはフェイントを入れてくる。
……時間だけが、消耗戦のように過ぎていく。
このままでは、時間を稼ぎたいという相手の思う壺ではないか。
律もリンクは苦手だと言っていただけに、決定打を放つほどの攻撃は加えられておらず、ましてや自分も痛みを誤魔化しながら立ち回るだけで全力だ。
何か、打開策を――。
ジリジリとした焦りを含んだ空気が制御室からも感じられてきた、その時。
『……何をしている』
一瞬、スピーカーの向こうが騒めいたと思ったら、突如、低い不機嫌そうな声が焦燥する空間に割り込んできた。
聞いたことはない。
しかしその落ち着いた声音から、筐体同士の闘いに慣れた世界の人間だと思った。
「……城ヶ崎?」
『城ヶ崎室長!?』
律の訝しむ声に続くように、制御室からも声が上がった。
城ヶ崎室長と言えば、第一研究室の室長として有名な先輩じゃないか。
そんな人が、一年生の必修講義が行われている制御室に何の用なのだろうか――、などと考えている場合ではない。
「恭祐!」
「っぶね」
制御室側のやり取りに意識を奪われている間に、二台が大きく詰めてきていた。
片手だけでは正面から攻撃を防ぐのは難しい。下に避けてから、頭上を一回転して相手を飛び越える。その間に律が機動力を削ぐべく、下半身を中心に攻撃を加えていく。
しかしやはり教習機では強度が足りない。
これ以上の強い攻撃を加えてしまうと、今度はこちらの装甲も破壊されてしまうだろう。
どちらも、肉を切らせて骨を断つしかない状態。
『この状況は?』
『教習機がハッキングされている。敵はあと二台……』
『何だと!? どういうことだ、一条』
「次のコマ予約してたの第一だったのかー。ちょうどヘルプに呼ぼうかと思ってたよ」
『……何を悠長にやってるんだ』
城ヶ崎の静かに怒りを抑えた声。
これを面と向かって言われたら相当怖いだろうなぁ、と思ったのは俺だけじゃないようだ。スピーカーの向こう側は静まり返っている。
怒らせた当の律も、機嫌を窺うように控えめに声を出した。
「えーっと……。第一室長さん、手を貸してくれる?」
『馬鹿が。私が行くまで全力で持ち堪えろ』
そこから先は一瞬だった。
第一研究室の格納庫から出てきたのは、城ヶ崎がリンクする『ナイトレコード』。
圧倒的な質量と存在感を放つ、藍色の絶対王者。
人型としては鋭すぎるフォルムの筐体が、静謐に場を制し、そして誰が口を開く間もなくハックされた二台は地に伏せた。
「瞬殺……ってこのことだな……」
呆然と呟く。
それ程までに圧倒的だったのだ。
残像のようにしか残らない、あの攻撃手数。そもそも教習機と完璧にチューンされた闘技用筐体という差はあるが、それにしてもハードからリンカーの闘技スキルまで違い過ぎる。
この人が、学生闘技界で最強の名を欲しいままにしているのか。
「二台ともシグナル途絶。完全停止だな」
『あ、はい! 城ヶ崎室長、ありがとうございました!』
冷静な城ヶ崎の通信に、御子柴が緊張気味に対応している。
あっけない終幕に動けないまま、制御室とのやり取りを黙って聞くしかない恭祐。
『よし、恭祐は問題ないな。二台の残骸を整備室まで運んで状況完了だ』
「……りょーかい」
立ち姿から風格のある『ナイトレコード』から視線を外し、防衛体勢だった姿勢を戻す。
制御室からは緊張の糸が途切れた騒めきが聞こえる。そこでようやく恭祐も筐体をセーフティーモードに変更し、集中を解いた。
感覚が無くなり五感は鈍くなるが、その分歯を食いしばる程の痛みの波からは逃れられた。
ふーやれやれ、と大きな溜息を吐きたい衝動を何とか堪え、最後の仕事ををすべく顔を上げた。
隣では律も一息ついているのだろうか、立ち尽くす教習機が見えた。
と思ったら、ヨロヨロと膝に手をついてこちらを見上げる。
「ごめん、後任せていい? 久々過ぎて吐きそう……」
「え……ぇぇえ? りっちゃん大丈夫?」
「もーやだ。目ー回ってる……このままログオフしたらゴメン」
「ちょ、りっちゃん、マジで大丈夫? ゴメン、無理にリンクお願いしたから……」
途中から律がリンクを苦手だと言っていたことを完全に忘れていた。
それ程までに十分な立ち回りをしていたのだ。
律のリンクする筐体が、眩暈を堪える様に額に手をやってしゃがみこむ。そんなにしんどいなら筐体でウンコ座りしてないで、さっさとログオフしてくれていいのだが……。
律儀だなぁと苦笑していると、静止していた『ナイトレコード』が音も無く近付いてきた。
「一条……お前は本当に……」
呆れたような声音に先程のような怖さはない。
ヘタっていた律も顔を上げ、『ナイトレコード』に向かって軽く手を上げた。
「あ、城ヶ崎。ありがとねー。……って、やっぱ無理。教習機無理。向いてなさすぎる」
上を向いて視界が変わったからか、直ぐに口元を押さえて下を向く律。
だから筐体でそんなポーズをしたところでマシになる筈がないのだが。
「おい、もう少し真面目に出来ないのか……」
「真面目に吐く」
「……さっさとトイレ行って来い。この筐体は整備室まで運んでやるから……」
「任せた。じゃ」
城ヶ崎の呆れ返った言葉に短く返事をした律は、最後の言葉を言い終わるか終わらないかのうちにリンクを切断していった。
主を失った教習機が、しゃがんだポーズのまま崩れ落ちる様に脱力する。
「はや……」
そのあまりにも素早いログオフにポロリと感想を漏らしてしまうと、横からはあからさまに大きな溜息が聞こえた。
「本当に放置していきやがった……」
「あははは。冗談だったんっすか?」
「……まぁいい。さっさとここを片づけるぞ」
「ういーっす」
城ヶ崎の旗振りで流れる様に撤収作業が進められていく。
疲労困憊の中、完璧主義ともとれるあまりにも細かい指示に若干辟易して、思わず、りっちゃん逃げたな……と呟いてしまったのは勘弁してもらいたい。
***
ぴちょん、ぴちょん……。
水滴の垂れる音が広い空間に反響する。
清潔に保たれた訓練場内のトイレ。
そこに、勢いよく顔を洗ったままの律が、髪の先から水滴を滴らせながらクリーム色の洗面ボウルに手をついて項垂れていた。
「大丈夫か」
「……城ヶ崎……」
「ホラ、水だ。……本当に吐いたようだな……」
「だから嫌だったんだよ」
「ならもっと早く俺を呼べ」
淡々とした城ヶ崎の声に大きな溜息と共に顔を上げ、差し出されたペットボトルを受け取る。
タオルなんて持ってきていないから、片手の袖で顔を拭い、呷る様に水を飲んだ。
城ヶ崎がここに来たということは、訓練場はもう片付いたのだろう。
リンクをログオフして直ぐにトイレに駆け込んだので、後始末を全て丸投げする形になってしまった。
「戦闘中、ハッカーとの攻防をしていたな」
壁際に移動した城ヶ崎が、腕を組んだ姿勢のまま入り口付近に背を預ける。
トイレから出たければきちんと質問に答えていけ、という無言の圧力だ。
「……あぁ」
キャップを閉め、こちらも手洗い場に凭れる様に肘をついた。
まだ頭がぐるぐると回る様な不快感に苛まれているが、一度吐いてスッキリした分、このまま落ち着くまで暫く動きたくはない。会話するのは億劫だが、第一研究室の室長としての城ヶ崎に伝えておくべきこともあったので仕方ないと諦める。
「教習機とは言え、お前の動作が鈍すぎたからな。他の教習機がリンク中に乗っ取られたことを考えると、お前の筐体も攻撃を受けることは容易に想像出来る。……それを防衛しつつ俺が来るまで持ち堪えたことは素直に誉めてやろう」
「……けっこう大変だったんですけど。何でそんな上から目線?」
「しかし、あの一年の筐体はハックされなかったようだが、何故狙われなかったんだ?」
「スルーかい。……まぁいいや。狙わなかった、じゃなくて狙えなかったんだと思う。……教習機の起動シーケンスに特定のセキュリティホールがあったことは把握しているか? 恭祐の筐体は、ちょっと前に偶然俺が塞いでおいたんだ」
「聞いてないな。いつエンバグされた穴なんだ。まさか最初からそんなプログラムを教習機に積んでいたとでも言うのか?」
「わからない……でも昔、教習機のプログラムを見た時にそんな処理は無かった筈なんだ。あれば気が付く」
「そうだな……。後でそのソースを連絡してくれ。こちらも研究室内の筐体と保持している教習機のソースで確かめてみよう。室長会議でも警告が必要だろうな。……現存の教習機だけに問題のコードが埋め込まれていた場合、ATRAのセキュリティチームにも調査を依頼した方がいいな。あぁ、あと筐体暴走時の対策として、電磁波シールドを訓練場内に増設しておくか……」
苦々しい口調で顎に手をやりながら、今後の対策を思考する城ヶ崎。
整った怜悧な面差しが、眉間の皺のせいで三割増しに怖い。ただでさえ濃い色のカッターシャツとスラックスを着こなす様は、成熟した体格と相まって学生には見えないのに。
教師に小言を言われている気分になる……と思いながら、気になったことを口に出してみた。
「教習機……。来週の講義どうしよう」
「どうもこうもない。二度と同じことが起きないように、全ての教習機を修正しておくしかないだろう。その前に物理的に破損している六体だか七体だかを修復する必要があるがな」
「――か……簡単に言ってくれるねぇぇえ?」
「ふんっ、学生闘技会をサボってるお前は暇だろう。適材適所、丁度良いところに暇な技術者がいて宮坂講師はラッキーだな」
「そう、宮坂。宮坂だ。せめてあいつにも半分ぐらい押し付けよう」
「さっきATRA本部に状況説明で呼ばれていったぞ。恐らくハッカー関連の調査で暫く不在になるだろうな」
「……城ヶ崎……」
「俺は室長会議の資料作成がある」
「…………」
「諦めて教習機の整備マニュアルでも作っておけ。一年なら勉強がてら喜んで手伝ってくれるだろう」
「…………はぁー……」
「溜息を吐きたいのはこっちだ。――気を抜くなよ」
城ヶ崎の鋭い視線に射貫かれる。
その短い言葉の裏には、このハッキング騒動が簡単には解決しないだろうというメッセージが読み取れた。
「……了解」
力なく片手を上げながら返事をする。
この騒動についての深刻さは元より、直近としては壊れた教習機のことを考えて苦笑いしか浮かばない。
そんな律に小さく目線をくべた城ヶ崎は、堂々とした足取りで出て行った。




