表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

箱男たち

作者: paper driver

連載中のデモグラフィーがPV2000を突破した記念に書きました。

本来なら動物園のキリンをスケッチした挿絵を描こうと思いましたが、

雨なので止めました。

 僕は箱男だ。箱男とは箱(主にダンボール)を被った浮浪者の類と思ってくれていい。箱を被り、ごそごそと街中を這いずり回ってもうどれくらい経つかな……。そんなことより本題に入ろう。ノートパソコンの電源もどれくらい持つのか分からないし。元々、小さな工場で旋盤を回していた僕がこんな文章を、電気屋のわざわざパソコンを盗んでまで書こうとするのには理由がある。最近、箱男が増えすぎたのだ。

 箱男という存在はそもそも現実世界に置いて匿名性を得るために箱を被った人間たちだ。街中に箱として潜み、ゴミ収集車から逃げたり、警察から避けたりしながら待ちゆく人々を観察している。ところが、そう、いつの間にか僕は普通の箱と箱男の見分けがつくようになってしまった。更にあの箱は誰か、若い箱男か、歳を取った箱男か、あるいは『箱女』か……箱越しに見分けがつくようになってしまった。この事実はとりもなおさず、あちらからも僕という存在を箱ごと認識できることを意味する。

 これは箱男にとって致命的な出来事だった。匿名性を求めてせっかく箱に入ったのに、箱そのものに個性がついてしまう。

 箱を次々と取り替えてしまえばいいだろう、という意見もあるだろう。だが同じ人間が使う箱というのは、誰が使っても同じように傷つき、汚れていくものなのだ。それにこの世界に存在する箱は質量保存の法則に従って有限で、しばしば箱の奪い合いが発生した。奪い合いの果てに箱を失い、箱男でなくなってしまった人間を僕は何度も見た。今、被っているこの箱も段々と個性がつき始めてきた。それにも関わらず箱男は増える一方だった。結局はこの匿名性も仮初のものに過ぎないというのに……。



 部屋

 A少年はある日、突然部屋に引き篭もってしまった。もちろん、突然、というのは周りの主観でしかなくA少年からすれば明確な理由がそこにはあった。小学校の帰り道、Aは少年特有の好奇心から家電量販店の裏を通ってみようと考えた。空のダンボールや返品、あるいは廃棄予定の電化製品が積まれたそこは特に足止めするようなものはなく、人も少なかったのでAの好奇心を留めるものは無かった。

 A少年はそこで動くダンボールを見た。いや、そのダンボールには人間が入っていた。元々は冷蔵庫が入っていたらしいダンボールを半分ほどに切ったそれは、犬や猫では素早く動かせないだろう。それは箱男だった。A少年はうす高く積まれたダンボールの傍で(そのダンボールの中も箱男では、という懸念もあったが)箱男の行動を観察した。箱男は注意深く周りを気にするように廃品の一つへ手を伸ばし、箱の中へとしまうとすね毛の生えた足を下から出して素早く建物の陰へと隠れた。一瞬の出来事かもしれないし、数時間の出来事かもしれなかった。しかし少年が部屋に引き篭もったのはまだしばらく先の出来事だった。この箱男との邂逅はA少年に家電量販店とダンボールに対する微妙な苦手意識を植えつけただけだった。

 A少年の心に決定的な傷を刻んだのはそれからしばらくして父親のパソコンでインターネットの掲示板を見ていたときだった。少年は何気なく掲示板にあの出来事を書いた。家電量販店での箱男との邂逅についてだ。反応は様々だった。嘘だろう、という回答やありえるかもしれないというレスポンスはA少年の繊細な心を癒やした。

あの超現実的な光景が遠ざかって一人の少年の妄想に落ちる、無意識的な癒やしは次の瞬間に絶望へと叩きこまれた。


・お前、Aか?


 次の日からA少年は引きこもるようになった。部屋の窓からは箱が覗いていた。しかし少年は箱男になることはなかった。



 ガラス女の手記(この手記はボールペンで書かれていた)

 箱男が一番気持よく眠れるのはやはりダンボールの傍だった。それも雨ざらしの中を随分と放置されたものの方が都合が良かった。長く放置されているということはそれだけ安全であるという証左なのである。ところが俺はその日、しこたま寄っていてトラックの荷台で一眠りしてしまった。トラックが動き出した。小一時間程度なら大丈夫だと思ったのだ。事実そうだったかもしれないが、とにかく目が覚めると夜は開けていて、トラックはどこかの森の中にいた。このままじゃ焼却所送りになると考えた俺は荷台から飛び降りて森の中を随分と彷徨うことになった。

 一体はどうやら過疎地域のようだった。人家は飛び石のようにあるだけだし、コンビニエンスストアの類も無かった。あっても見晴らしのいい丘のような場所に、さも目立つように立っていて箱男としては都合が悪かった(箱男はさり気なくそこにいるからこそ箱男なのであって、目立つように動く箱男は箱を被った人間に過ぎない)。

 つくづく箱男という存在は都会の生き物なのだな、と改めて思い知ると同時に俺は数年間被ってきたこの箱を脱ぎたいという衝動に駆られた。だが箱男は箱を脱ぐということは自分の皮膚を脱いでしまうということと同義で、箱なしで歩けば悪い細菌やウィルスに感染して路上に倒れこんでしまうかもしれない。だがここには……本当に誰もいなかった。小学校は信じられないほど真新しいものだったが、こんなところに子供がいるのだろうか。大人ともすれ違わないのに……。

 ここにいる人間は、果たして何を楽しみに生きているのか。スポーツやゲームや……ずっと家にいるわけにもいかないだろうに……。

 そんなことを思いながら俺は町(そこは町と表記されていた)を歩いた。やがて雨が降ってきたので橋の下へ逃げこむ。そこでしばらく眠っているとガラス女の足がやって来た。箱男は人間の下半身より上の物は見えないし見る必要が無かった。女とわかったのはだいたい肉付きから推測したものである。ガラス女は美しく光りながらこちらを覗きこんだ。ただの箱か、もしくは箱男と分かっていてやっているのか……後者なら箱男流の喧嘩術を披露するところだが、女の目はガラスでなく氷で出来ていた。氷は次第に溶けて頬を伝っていった。

「やがて盲目になるの」

 ガラス女は言った。悲しい声だったし、悲しい事実だった。俺の目を与えても良かったが、それでは生きた目玉だけが空中に浮かんでいるように見えてしまうだろう。ガラス女はやがて去っていった。透明になる雨の日だけ外に出られるガラス女は箱男だけが見ることが出来るのだ。

 次の日、俺が町の中を進んでいくと家の中に人影が見えた。人影は見られていることに気がつくとさっと奥へ引っ込んでいってしまった。ああ、なるほど、ここは箱男の町なのだ。

 俺は箱を捨てて河原で体と服を洗い、その二つを乾かした後、都市へ向かうことにした。



 箱男狩り

 とにかく箱男が増えすぎたので対処に迫られていた。H市長のKは行政の箱男対策課に配属された三十過ぎの男だった。箱男対策課は正確には特定梱包物装着浮浪者対策課と呼ばれているが、誰もそうは呼ばなかった。Kは箱男対策課であったが、一度も箱男を見たこともなかったし、探し出せたこともなかった。市が直々に対策に乗り出さざるを得ないほどに増えているにも関わらず、Kは今日も箱男を探せずじまいだった。

「あいつらを見つけるのにはコツがいるんだよ」

 同じ部署のYが言った。

「心に隙間を作るんだ。すると目の片隅に真空が出来る。その真空が箱男を捕えるんだ」

 それはアドバイスというにはあまりにも抽象的過ぎた。Kはその日はダンボール箱すら見つけることが出来なかった。

 そもそも箱男対策課の設立自体、随分と胡散臭かった。設立を提唱したのは第四次元公社と言う民間のシンクタンクで、今どきホームページも持っていなかった。こっそりと法人の登記を盗み見て見ると業務内容には平行世界からpl95タンパク質を持つバクテリアを採集することとあった。このタンパク質は人間をガラス化させる機能を持っていて、箱男がそれを狙っているという。どうもまともな法人ではないらしい。個人的には暴力団関係だと睨んでいる。

 pl95タンパク質はともかく。箱男の数を減らす必要があることは確かだった。この市の人口減は年間8000人規模で減少していたし、税収も労働力も下降する一方だった。二年前に近隣の自治体と合併したが、このままでは市から町へなるのも時間の問題に見えた。箱男でも何でも、社会に参加してもらわなければ困るのだ、というのが建前だった。



「そもそも箱男というのは社会に対して匿名であろうとする人々のことなんだよ」と、同僚のYが居酒屋で言った。「名前も姿もない存在になろうとする奴らだ。でもそんな奴らが組織だった行動が取れると思うか?」

「そこは……ほら……ハンドルネームとか」

「君は分かってないな」Yはビールを飲みながら「ぷはっ……ハンドルネームの付け方というのにも個性がある。匿名というのは個性から最もかけ離れた概念なんだ…・・」

「でも匿名のタレコミって奴は……」

「匿名の存在が発言を許されるのは客観的な事実だけなんだよ。主観的な感想や批評は、それ自体が匿名の純粋性を喪失させるんだ。例えばネットの掲示板でも同じようなことばかり言う奴がいるだろ? 文字の使い方、内容、文脈からある程度、追跡は可能なんだよ。小説家がペンネームを変えて別な作品を発表してもファンに嗅ぎつけられるのと同じさ……個性の表現の場でどれだけ名前程度を誤魔化してもそれは純粋な匿名ではないんだよ。そういう意味では現代では匿名の敷居が高いのかもしれないね」

「人口も減っていますしね……」


 Kは今日も箱男を見つけることが出来なかった。

                  <了>

今これを書いている時、トイレをすごく我慢している。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] なんだか段々と箱男がいそうな気になってくる話でした。 そういえば昔、TVの企画でダンボール箱に入って暮らす番組がありましたね。 本当にあった怖い話。とかに投稿されていそうな、 ほのかに背…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ