18番から21番
秋の夜のあくるもしらずなく虫はわがごと物やかなしかるらむ 藤原敏行朝臣
秋の夜が明けるのも知らずに鳴く虫は、自分と同じように物悲しいのか。
※光孝天皇の第二皇子、是貞親王が自邸で催した歌合での歌。物悲しさが伝わってくる秋の歌ですね。
三十六歌仙にも数えられる彼は在原業平(17番作者)の妻の姉妹を娶った事により、業平との交流もあったようです。和歌の歴史の中で業平から貫之への橋渡しをしたような歌人であると言えます。
花すすき呼子鳥にもあらねども昔恋しきねをぞなきぬる 伊勢
呼子鳥ではありませんが、昔を恋しく思って声あげて泣いているのです。
※「みかどの御国忌に」詠んだ哀傷歌。呼子鳥は人を呼んでいるように聞こえる鳴き声の鳥で、カッコウの事かと言われています。
「みかど」は宇多天皇か醍醐天皇の事でしょう。恋多き女である伊勢は宇多天皇にも寵愛されています。皇子も産みましたが、その子は夭折しました。宇多天皇の出家後はその息子と結ばれて中務を産んでいます。中務も母に負けず劣らずな歌人だと思いますが小倉百人一首には選ばれていません。残念。
来や来やと待つ夕暮と今はとてかへる朝といづれまされり 元良親王
来るか来るかと待つ夕暮と今はもうと言って帰る朝。どちらの方が辛さが勝るのでしょうか。
※恋人にどんな返事をするかと贈った歌だそうです。後撰集と元良親王集では相手と返事が全く違います。
陽成天皇(13番作者)の息子です。父とは違って名歌人。ちなみに、「釣殿の皇女」は母ではありません。
見てのみや人にかたらむ桜花手ごとに折りて家づとにせむ 素性法師
見ただけの美しさを人に語ろうか。いや、それぞれの手で折り取って、家族へのお土産にしよう。
※遍昭(12番作者)の息子。父の才能を受け継ぎ名歌人だったようです。
友人とでも桜を見に行ったのでしょう。この時代では桜を折る事に抵抗は無かったようです。手に桜の枝を持って帰宅する様子を思い浮かべると綺麗ですが、現代の私達には出来ない事ですね。