14番から17番
主や誰問へど白玉いはなくにさらばなべてやあはれと思はむ 河原左大臣(源融)
持ち主は誰か、尋ねても相手は簪の白玉だから言わない。それならば私は全員を愛しいと思おう。
※五節の舞の翌日、簪の玉が落ちていたのを見て誰のものだろうと捜して詠んだ歌。「白玉」の「しら」と「知らない」の「しら」が掛けられています。
どことなく色っぽく感じるのは、彼が「光源氏」のモデルと言われているからでしょうか。
久しくもなりにけるかな秋萩のふるえの花も散りすぐるまで 光孝天皇
あなたに逢わずに長い時が経ってしまった・・・秋萩の古枝に残っていた花もすっかり散ってしまうまで。
※「久しくまゐらざりける人に」贈った歌。つまり、長い間内裏に来なかった人に贈ったものです。一緒に萩の花を見たかったという意味合いになるでしょう。
この「人」を恋人と解釈して玉葉集では恋の部に入っています。萩は妻の比喩にも使われたので恋歌としての情緒も感じ取れます。
下句を「ふるえの花はちりすぎにけり」とする歌集もあり、こちらの方が古風な趣です。
わくらばにとふ人あらば須磨の浦に藻塩たれつつわぶとこたへよ 中納言行平(在原行平)
もし私がどうしているかと聞く人がいたら、須磨の浦で藻塩から滴る塩水のような涙を流しながら暮らしていると答えて下さい。
※源氏物語の須磨の巻に引用されて名高い歌です。光源氏と同じ須磨に引きこもっていた時があります。
業平(17番の作者)の兄でありながら弟とは違い真面目だった様です。
かきくらす心の闇にまどひにき夢うつつとは世人さだめよ 在原業平朝臣
昨夜の事は真っ暗になる心の闇に迷ってしまったのです。夢か現実かは世間の人に決めさせましょう。
※「君やこし我や行きけむ思ほえず夢かうつつか寝てかさめてか」への返し。歌の意味は「貴方が来たのか私が行ったのかも分かりません、夢だったのか現実だったのか、寝ていたのか覚めていたのか」といった所でしょう。ちなみに、作者は読人知らずになっていますが「斎宮なりける人」と密かに会って後、相手から贈られた歌となっています。
これは斎宮との密会というタブーを犯している事になります。それが勅撰和歌集にも載っているのが怖いですが、有名な伊勢物語にも載っている逸話です。伊勢物語では結句が「こよひさだめよ」になっています。