66番から68番
この世には又もあふまじ梅の花散り散りならん事ぞかなしき 前大僧正行尊
この世で又も会う事は無いであろう梅の花が散り散りになるのは悲しい。
※三条天皇(68番の作者)の曾孫に当たる彼は若くして出家しました。甥の皇太子が亡くなったり、冤罪事件に巻き込まれたりしながらも修行を重ね、高僧となりました。
そんな行尊が病床にて、京の僧房に植えてある八重紅梅を「いまは花咲きぬらん、見ばや」と言い、弟子達が使者を送って梅を取って来させました。その梅を見た時に詠んだ歌です。高僧ならではの味わい深さがあります。
弟子達を梅の花として見たら、「もう会う事は無いだろう弟子達が花が散るように散り散りになるのは仕方の無い事だが悲しい」という世を去る師としての思いが感じられます。この歌を詠んだ後、程無く亡くなってしまいました。
夜を重ね待兼山のほととぎす雲井のよそに一声ぞ聞く 周防内侍
夜を重ねて待った待兼山のほととぎす・・・雲の向こうに一声だけ聞きました。
※待兼山は大阪にある歌枕になっている由緒ある山です。ほととぎすの鳴き声を待って、やっと遠くで一声だけ鳴いたのを聞いたといった風雅な情景が思い浮かびます。
父は和歌六人党の一人である平棟仲、父の才能を継いだのでしょうね。
月影の山の端分けて隠れなばそむくうき世を我やながめむ 三条院(三条天皇)
月が山の端をかき分けて隠れてしまったら、目を背けたこの世を私は眺めるのだろうか。
※長年仕えてくれた藤原統理が出家を決めた時に詠んだ歌です。「月影」は統理、「隠れ」は出家を意味しているのでしょう。月(統理)が見捨てた浮世(現実)に自分はまだ居るのだろうかといった思いでしょうか。三条天皇は即位後僅か数年で退位、その翌年に亡くなっています。




