59番から61番
紫の袖を連ねてきたるかな春立つことはこれぞうれしき 赤染衛門
紫の袖を連ねてやって来ましたね、春になるとこうだから嬉しいのです。
※「紫の袖」は公卿の衣の袖を指しているのでしょう。仕えている「鷹司殿」の年始の宴の客を見て詠んだ歌になります。鷹司殿は藤原道長の正室である源倫子の事です。
赤染時用の娘とされていますが、母親が前夫との子供を懐妊した状態で再婚した説があるので実父が平兼盛である可能性もあります。赤染衛門の親権を巡った裁判も有ったようです。結果は平兼盛が敗訴。
春のこぬところはなきを白川のわたりにのみや花はさくらむ 小式部内侍
春の来ない処はありませんのに、白川の辺りにだけ花は咲くのでしょうか。
※二条関白藤原教通から「白川に花見に行こう」と誘われ、その返事である歌。「私の家にだって咲いています。訪ねてはくれないのですね」という意味合いを感じ取れます。
和泉式部(56番作者)の娘。母に似た恋多き女で、三人の男性との間に子供を生しています。最後の子を出産した時に亡くなり、周囲を嘆かせました。
母である和泉式部が和歌を代作しているという不名誉な噂がありましたが、藤原定頼(64番作者)に「お母様に(代作を頼む)使者は出しましたか」と質問され、それに百人一首にも選ばれた見事な歌で返しました。定頼は狼狽して返歌もせずに去って行ったといいます。当時、歌を詠まれたら返歌をするのが礼儀だったので大変恥を掻いたでしょうね。ざまあみろと思った私は悪くないと思います。
うれしさは忘れやはする忍ぶ草忍ぶるものを秋の夕暮 伊勢大輔
嬉しさを忘れたりはしませんよ。古家に生える忍ぶ草の様に偲んでおります、秋の夕暮れを。
※秋の頃、患っていた病が小康状態になり、「度々とぶらひける人」つまり度々見舞いに来てくれた人に贈った歌になります。見舞いに来ていたのは源経信(71番の作者)です。
経信の返事は「秋風の音せざりせば白露の軒のしのぶにかからましやは」秋風の音がしなければ、軒の忍ぶ草に白露はかかりません。私が見舞いをしなければ、素晴らしい歌が贈られる事も無かったのでしょうという意味が込められています。
恋の贈答歌では無いでしょう。二十歳以上の年齢差がありますので、自分を見舞ってくれた後輩へのお礼だと思います。




