52番から55番
かへるさの道やは変はる変はらねどとくるにまどふ今朝のあは雪 藤原道信朝臣
帰り道を変えたのでしょうか、変わらないのに融けて迷っています。今朝の淡雪が。
※女性の家から帰った時に贈る、所謂後朝の歌です。雪が降っていたのでしょう。「とくる」には、「雪が解ける」と「女性の態度が解ける」意味があるのだと思います。後朝の歌ですからね。第四句を「とくるにまよふ」あるいは「とくるはまどふ」とする歌集もありますが、意味は変わりません。つれなかった相手の打ち解けた態度に混乱している様が思い浮かびます。
藤原伊尹(45番作者)の娘が母親ですから、外孫に当たります。
くもりよの月とわが身のゆくすゑのおぼつかなさはいづれまされり 右大将道綱母(藤原道綱母)
曇り夜の月と我が身の行末、覚束無いのはどちらでしょうか。
※作者筆の「蜻蛉日記」より、夫の兼家と愉快でない話をしている時、仲の良かった頃が思い出されて詠んだ歌。道綱母は二十代後半になっています。当時では既に「女の盛り」が過ぎようとしている頃だと思います。将来の不安を当時の女性の頼みとなる存在である夫に訴えています。
結句の「いづれまされり」は元良親王(20番の作者)で選んだ歌でも使われた極まり文句です。同じ様な歌を探すのも良いですね。
夜のつる都のうちにこめられて子を恋ひつつもなきあかすかな 儀同三司母(高階貴子)
夜の鶴は都の中で子を思いながら泣き明かすのでしょう。
※詞花和歌集に「帥前内大臣、明石に侍りける時、こひかなしみて病になりてよめる」と載ります。「帥前内大臣」は藤原伊周、「儀同三司」とは彼の事です。権力争いに敗れた伊周は大宰権帥に左遷される事になりましたが、明石で滞在を許されます。息子を思い悲しんで病に罹り詠んだ歌になります。
「夜のつる」は白居易の「五絃弾」の一節「夜鶴憶子籠中鳴」(夜の鶴子を憶うて籠の中に鳴く)から来ている物でしょう。「なきあかす」は息子の居る「明石」を思わせます。悲しい事に彼が都に戻った時には亡くなっていました。
春来てぞ人もとひける山里は花こそ宿の主なりけれ 大納言公任(藤原公任)
春がやって来て、人も訪れてくるようになった山里は桜の花こそが宿の主だったのでしょう。
※北白川にある山荘に春になって花見の客がやって来たのでしょう。山荘の主は公任ですが、人々の目的は彼では無く桜です。風雅な中に皮肉が込められていますね。それほど見事な桜があるのは羨ましい限りです。




