君はかつての友人に相談する
前回の続きです。
「まず初めに堺さん、そのストーカー犯に心当たりはないのか?」
「全くないです。周りの人たちは皆、優しい人たちばかりですので……」
毛ほども思議することなくそう断言した君に、心配した様子で花川が言う。
「なあ、もうちょっとだけ、人を怪しむってことも必要だと思うぜ?」
まあ、心当たりがないのなら仕方ないけれど、と花川は呆れたように続けた。
「よかったら、その手紙とやらを見せてくれないか」
「ちょっと待ってください。引き出しにしまってあるので……」
君は立ち上がり、その怪しい手紙をしまっているらしい引き出しをごそごそと探り始めた。
「ありました。これです」
手紙は4通ともどれも同じようなもので、手紙というよりかはむしろグリーティングカードと呼べるものだ。ハガキより一回り小さなカードは素朴な白無地のもの。このサイズなら、ドアポストにも投函しやすい。メッセージはどれも紙の中央に記されている。そしてメッセージの少し上に、『堺麻子ちゃんへ』の文字。
花川は呟く。
「できるだけ情報を少なくしようとしたのか、差出人の署名などは一切なし。メッセージ以外の文字はないな。それで、肝心の文章は手書きなどではなく、ワープロのもの。
内容だけど……堺さん、どの順番で来たんだ?」
この順番です、と君が答える。
「ふむ。一枚目が、『麻子ちゃんは海外アーティストのM&Kが好きなんだね。僕も初めて聴いたけれど、中々良い声だ。突然だけど、麻子ちゃんがそれを好きなのよりはるにか強く、僕は麻子ちゃんのことが好きなんだ』。やっぱりストーカーだな、こりゃ。それにしても、堺さんがM&Kが好きなんだとは初めて知った」
不意に、君の嬉しそうな声が上がる。
「はい! マイナーだと思ってましたが、花川さんも知っていたんですね」
「いや、名前を聞いたことすらない」
「え……、じゃあなんでそんな言い方するんですか」
君は少し落ち込んだようだ。共感できる仲間ができたと思ったからだろう。そのあとも君は「良いアーティストなんですよ」とかぶつぶつ呟いていた。
「堺さんの言う通り、このアーティストがマイナーなら、ストーカー犯は当てずっぽうで言ったのではないんだろうな。堺さんがこのアーティストが好きだってことを誰かに話したことは全くないのか?」
君は少し考え込む。
「よく考えてみれば大学の友達に少し……。あ、あと、先日、あやめさんにも言いました」
ふむ、と花川は唸る。
話した相手がひとりふたりだけだったなら、絞り込みもしやすかっただろう。だが友達との会話なんて誰が盗み聞きしているかわからない。そこから犯人に辿り着くのは難しい。花川もそう思ったに違いなかった。
「まあ、二通目に行くか。えっと、『一通目の手紙はもう読んでくれた? さすがの麻子ちゃんでも、僕を見つけるはできないだろうね。でももしかすると、麻子ちゃんのことだ、とっくに僕の尻尾を掴んでいて、この手紙を読みながら《わからいでか!》って思ってるのかな。そうそう、麻子ちゃんは大学のボランティア団体に入ってるっぽいね。この間、ちらりと見かけたよ。相変わらず綺麗だった』。……これをストーカーじゃないって思う堺さんの方がどうかしてると思うぜ?」
「はあ。ごめんなさい」
責めてるわけじゃないんだがな、と花川が独り言ちる。
「大学のボランティア団体って、活動範囲はどれくらいなんだ?」
「せいぜい構内ですよ。花川さんはボランティア活動中の私を見つけることができる範囲を探ろうとしているんでしょうけど、大学って、結構誰でも入っちゃってますから」
考えを見透かされて、ぐうの音も出ないらしい花川だった。
「なあ、堺さん。この《わからいでか》ってのはどういう意味なんだ? どこかの方言か?」
突然、君は「ザッツライト」と発した。カナではなく、アルファベットで表したくなるような、ネイティブに近い発音だった。さすが外国語学部。中学・高校時代の英語の成績もさぞ高かったのだろう、そう思えるほどのアクセントだ。
「その通りです。関西弁で、意味は『わからないはずがあるものか』。使っているひとに会ったことはないですが」
「ふうん。物知りだなあ、堺さん。でも、どうしてここでそんな方言を使うんだ? 僕には無理をしてまでこの言葉を使おうとしているんじゃないかって思える」
「ああ、えっと、それはですね」
「なんだ、知ってるのか?」
君は恥ずかしそうにして答えた。
「多分、私の口癖……だからです。最近読んだ小説に出てくる人物がよく使う台詞なんです。それで……影響されちゃって。ことあるごとに使ってます、私。マイブームみたいなものなんです。恥ずかしいですよね、本当」
ひとり、自分を恥じる君を流して、花川は考察を始める。
「堺さんの口癖を知っているってことは、犯人は堺さんとすれ違っただけの人物ではないってことか。口癖を理解しているほどなのだから、それなりに会話してないとおかしいからな」
「じゃあ、す、ストー……犯人は、私の知り合いってことですか」
君はあえてストーカー犯という言葉を避けようとした。身近の人物に、その肩書を当てはめたくはないのだろう。『犯人』も大概だが。
「そうなるな。いないか? 堺さんの知り合いに、密かに堺さんに好意を持っていそうなやつ」
「わかりません。私、そんなに好かれませんし」
即答した。
君は君が思っているより、皆に好かれている。男女関係なく。おそらく高校時代もそうだったのだろう。君はもっと自分のことを理解するべきだ。きっと花川はそう感じている。返事代わりに彼がついたため息には、そんな響きがあった。
「じゃあ、三通目。『麻子ちゃん、西ノ宮飛鳥に相談したってことは、もしかして僕を見つけようとしているの? それなら頑張って。応援してるから。僕も麻子ちゃんに見つけてほしいな!』」
うわ、いよいよ気持ち悪くなってきやがった、と花川が吐き捨てた。
悪態をついてから、彼は知らないワードについて訊ねる。
「西ノ宮飛鳥ってのは、誰だ?」
「飛鳥さんは大学のボランティア団体の先輩です。隣の部屋に住んでいて、学生の一人暮らし仲間ってこともあって、よくお喋りするんです」
「隣の部屋……。ああ、今日ここにくるときに部屋に入っていくのを見たな。髪が長めの人だろ」
「ええ、そうです。以前、ちょっとしたきっかけで飛鳥さんにこれらの手紙について相談したことがあって。向こうから『最近、心なし元気ないね。何か悩み事でも?』って訊いてきてくれたんです。真摯に相談に乗ってくれました。ああ、そういえばあのとき、飛鳥さんも言ってました、これはストーカーかもしれないって。それから顔を合わせるたびに私に『大丈夫?』って心配してくれるんですよ」
「ふうん。その飛鳥さんへの相談はどこでしたんだ? もしかしたら近くに犯人がいたかも……」
出し抜けに君がふふ、と笑う。
「それはないですよ。だって飛鳥さんの部屋でしたんですから。犯人が家の中にいたってことになっちゃいますよ」
笑みを含んだ調子で話す君と対照的に、花川は真剣だ。
「それなら堺さんは西ノ宮飛鳥に相談したことを他の人に話したのか?」
「いえ、してないです」
君はきっぱりと断言した。
「西ノ宮飛鳥が誰かに話したのではないとすると、犯人はどうやってそのことを知ったんだろうか」
「……あら。どうやったんでしょう。……盗聴器とか?」
「確かにそれだと筋は通るが、違うんじゃないか? だってそれなら、西ノ宮飛鳥の部屋に盗聴器が仕掛けられていたことになる。堺さんのストーカーが、西ノ宮飛鳥に盗聴器を仕掛けたっていうのか?」
「確かにそれはありえないことですね。私でもわかります」
「例えばの話。今、この堺さんの部屋に盗聴器が仕掛けられていて、隣の部屋の声をキャッチしたとか」
「それは無理でしょう。確かにこのアパートの壁は薄いし、隣が騒いでいたらすぐにわかりますけど、壁に耳を当てても何か喋ってるなあ程度で、話し声なんて聞き取れません。それは盗聴器も同じでしょう。それに私の部屋に盗聴器が仕掛けられている前提で話していますけど、部屋に侵入された跡とかあったら、多分私気づきます」
「そんなものか」
「そんなものです」
しばらく、ふたりの間に静寂が流れた。変な空気が、ふたりを包む。やがて花川が口を開いた。
「まあ、先に四通目に目を通しておこうか。えっと、『昨日も麻子ちゃんを見たよ。一瞬誰だかわからなかった。だって髪型がいつもと違うんだもの。あれ、なんていうのかな? どんな髪型も似合うんだね、麻子ちゃん』。……髪型って?」
「ちょっと気分で髪型を変えてみたんです。いつも櫛で撫でているだけですから。一日限定でハーフアップに挑戦してみました。こう、サイドの二本の三つ編みを後ろに回してゴムでとめて」
「へえ。堺さんが何か工夫を加えた髪型をしたところを見たことないなあ、そういえば。見てみたいな」
「工夫がなくて悪かったですね。そんなことを言う人には絶対には見せません。……で、何かわかりましたか」
少し冷たい言い方をする君。
花川はうーんと唸り、やがて「わからん」と答えた。花川は君の期待に応えることができなかったようだ。
手紙はこれで全て。
親しい友人が訪問してから一時間半。ふたりはストーカー犯に辿り着くヒントを得ることはできなかった。
別れ際、花川が念を押すように言った。
「堺さん、なるべく周囲に注意を払ってくれ。暗い道や人気のない道は通ってはいけない。わかったか? 戸締りにも気をつける。もし誰かが部屋に侵入した痕跡があるようだったら、ひとりで部屋に入ったりしないように」
「わかってますよ。最近、あやめさんのお節介がうつってきたんじゃないんですか、花川さん」
そうは言っても、君は心配されて嬉しそうだった。
「そうかもしれんな。でも、これだけは知っておいてくれ。堺さんに何かあったら、そのあいつは絶対に悲しむ。それに」
「それに?」
「それに……、僕もあいつと同じくらい悲しむ」
そのあと、君は花川に言われたとおりの行動を心掛けた。人目の多い場所を歩くようにし、夜間の外出は控えた。どこに行くとしても、なるべく友人知人と行動するようにした。警察にはもちろん相談したが、実害がないからなのか、しっかりと動いてくれそうな気配はなかった。いくら平然としているように見える君でも、多少のストレスを抱えているのは間違いのないことだった。大学でも、笑顔を浮かべる数は明らかに減っていた。
数日後の夜。
君は外出から帰ってきた。花川の言いつけ通り、ついさっきまで誰かと一緒にいた。ゆっくりとした動作で靴を脱ぎ、そのまま小さな洋間まで歩いて、君は手に持ったケータイで誰かに電話をかける。コールのための短い時間のあと、君が話し出す。
「こんばんは、花川さん。ストーカーの件は一応、解決しました。相談を受けてくれて、ありがとうございました。……ええ、本当です。……それと、急で本当に勝手な言い分なんですけど、こちらには来ないようにしてくれますか。電話も控えてくれると嬉しいです」
君は嘘をついていた。
ストーカーの件は依然解決していない。今朝、なおも犯人から届いた手紙、その五通目にはこうあった。『君へ。ハナカワくんとアヤメさん。良い友達ですね。でもそれ以上、君がそのふたりと関わり続けると、彼らは必ず不幸になります。病院に行くことになるかもしれない。いや、それよりも酷い目にあうかもしれない。この意味、わかりますか?』。これは遠回しに、花川とあやめとこれ以上接触すると彼らに危害を加えると言っているのだ。事実上の脅迫文である。
彼らを守るため、友達思いの君は自分を犠牲に、ふたりを救おうとしているのだ。
そうとは知らない電話の相手――花川がその理由を訊ねてきたのだろう。少し考えるような短い間――というより、決断するための時間だったのかもしれない――を置いてから、君は口早に告白した。もちろん、本当のことを話せるわけがないから、君はあらかじめ考えておいた嘘でその場を取り繕う。
「恋人ができたんです。あやめさんにも、このアパートには近づかないように、と伝えてくださいますか。本当に、身勝手ですみません」
どうやら花川は納得していないらしい。真偽を確かめようとしたのか、何度も質問を繰り返したようだ。君は『恋人ができた』の一点張り。
しかし数分間の押し問答の結果、君が折れた。
「わかりました。一度だけなら会えます。……明日の十時、坂月駅から徒歩三分程度にある『ブロッサム』という喫茶店ですね。わかりました」
おそらく君は最後まで本当のことを話さない。人を陥れるための嘘はつかないが、人を救うための嘘はつく。自分より友達が大事。
君はそういう人間なのだから。
おやすみなさい、と言って電話を切る。
君はため息をついて、ケータイをパタンと閉じた。首尾よくはいかなかったが、薄々予想していたことだった。
ちなみに五通目の手紙について、君は独自で推理を進めていた。ストーカー犯は高校時代の同級生かもしれない。なぜなら、ここ一、二年のうちに君と知り合った中に、花川とあやめのことを知っている人がいないからだ。
ありがとうございました。続きます。次回は解決編!