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前編

 天祥院絢華と書いて美しいと読む。初めにそう言ったのは一体誰だっただろうか。朝、迎えに来てくれた幼馴染を見てふとそんな事を考えた。


「どうかしたんですか、彰くん?」


 麗しの幼馴染殿は不思議そうに小首をかしげる。彼女の後ろにはロールスロイスが停車していて、一人の男性が前に立っていた。絢華の親父さんが娘の通学用として購入した代物であり、男性はその運転手である。


「いや、絢華は今日も綺麗だなと思って」

「ありがとうございます」


 絢華は淀みなく答えたが、若干頬を染めてうつむいてしまう。恥じらう姿も絵になっている。


「黒木さんを待たせても悪いし、そろそろ行こうか?」

「はい」

 

 俺達はこれから登校するのだ。黒木さんが送迎すべきなのは絢華だけであって俺は含まれていないのだが、絢華が俺と登校したいと主張すると乗せてもらえる事になってしまった。もちろん初めは遠慮したが、そうすると絢華が「ならば私も歩きます」と言い出し、絢華の親父さんが「どうか一緒に乗ってくれ」と俺に頭を下げてきたのである。名家当主の威厳も、愛娘のわがままにはあっさり吹っ飛ばされるらしい。

 俺達が乗り込むと車は音もなく静かに発信する。高級車ってやつは、まずそのあたりからして違うのだと俺は教えられた。


「彰くん、如何ですか?」


 絢華は備え付けの冷蔵庫からバスケットとペットボトルを取り出して見せる。これもいつものパターンだ。


「いただくよ」


 俺はご相伴にあずかる事にしている。当たり前だが、本来は絢華の為の物なのだが、こいつは俺と一緒に朝食を摂る為に使っているのだ。その気になりさえすれば、高級ホテル顔負けの朝食を家で摂れるはずなのに、俺と一緒に食べたいとごねたのである。

 絢華は簡易テーブルを引っ張り出し、バスケットとペットボトルを置き、紙コップを並べた。今日の朝食メニューはサンドイッチと紅茶らしい。

 一見すると何の変哲もないサンドイッチとジュースだが、サンドイッチが一流シェフの手作りであり、紅茶は海外から取り寄せて専門家に淹れさせた贅沢な一品である事を知っている。


「いただきます」

「いただきます」


 俺達はおしぼりで手を拭いてからサンドイッチをつまんだ。分厚い肉から肉汁が溢れるし、卵は甘くて上品な味で肉とのハーモニーが凄い。サンドイッチの王様と言いたくなるレベルである。ただ、これ一つに限った話ではなく、どれもが似たようなものだ。シェフが「絢華お嬢様に粗末な物をお出しする訳にはいかない」と張り切ったのだろう。それは構わないのだが、おこぼれに預かっている俺が、舌が贅沢に慣れてしまいそうで困る。紅茶を飲むととても美味しいとしか言えない。庶民な俺は表現力も庶民なのだ。

 よく言えば男らしくて豪快、悪く言えば粗暴に食べる俺とは違い、絢華の食べ方は優雅で上品である。サンドイッチを食べる姿すら絵になるとか、反則に近いレベルではないだろうか。


「味はいかがでしたか?」


 サンドイッチを食べ終えると、絢華がそんな事を尋ねてくる。


「最高だ。文句を言ったら罰が当たるな」

「ふふふ。それでは、吉岡を褒めておきますね」


 俺が正直に答えると絢華は上品に笑う。吉岡とは天祥院家お抱えのシェフの一人で、主に絢華の食事を担当している。熱狂的な絢華信者だから、褒められたら小躍りして喜ぶのではないだろうか。もっと熱狂的な信者であるが故に仲がいい俺は好かれていないのだが。

 ほどなくして車が停車する。景色を見ると校門から徒歩一分ほど離れた場所だ。いつもいつも食べ終わって少しして着くのは、恐らく黒木さんがそういう走らせ方をしているからだろう。何気に神業かもしれない。

 後部座席のドアが開けられ、黒木さんが一礼する。もちろん俺の為などではなく、絢華の為だ。俺は反対側から自分でドアを開けて外に出る。


「行ってらっしゃいませ」


 黒木さんに見送られて校門へと向かう。その道中(と言うほどの距離はないが)、高級車が行列を作っていて、中から女の子達が出てくる。樫葉学園の朝の風物詩のようなものだ。両親が資産家という生徒が多数いる為、防犯対策の一環として家の車での送迎が認められている。女子生徒しか見えないのはたまたまで、男子は認められていないというわけではない。ちなみに我が家はどこからどう見ても平凡である。絢華とはあくまでも家が近所の幼馴染なのだ。

 道を歩くだけで視線がこちらに集中してくる。もちろん俺にではなく、隣を歩いている絢華にだ。


「おはようございます、絢華さま」

「おはようございます、本日もお美しいです、絢華さま」


 女子生徒達がやや頬を紅潮させ、憧憬の念を宿した瞳で絢華に声をかけてくる。隣にいる俺には何もないが、仕方ない。太陽を直視した人間の目に雲など映らないだろう。彼女達だって俺に悪意を持っている訳ではないのだから、目くじらを立てる必要はない。ただ、そう思っているのは俺だけなのも事実だ。


「おはようございます、皆さん」


 絢華はニコリと微笑み、女子どころか女の先生ですら見とれているが、あれはよそ行きの笑顔だと俺は知っている。おまけに俺に挨拶する人間がいないせいか、少し機嫌が悪くなっているようだ。俺が朝、なかなか挨拶をしてもらえないのは、主に絢華のせいなんだけどなぁ。もし一人で歩いていたとしたら、先生や顔見知りの子は挨拶してくれるよ。

 俺達は下駄箱のところで一旦別れる。すると先に来ていた同級生の男子が話しかけてきた。


「おはよう、今日も凄かったみたいだな」


 混じりっ気のない感嘆に俺は苦笑で応じる。


「ああ。相変わらずだよ」


 同級生も俺の返答に笑顔を見せ、それから悪戯っぽい表情になった。


「でも実際、かなり羨ましいぞ。毎朝天祥院さんと一緒に登校できるなんてな」

「代わってやろうか?」


 俺が答えると同級生はとんでもないと言わんばかりに、両手と首を振る。


「畏れ多いよ。俺なんかじゃ」


 大げさだと思うのだが、本人は真剣だった。俺だって「畏れ多い」と思わなきゃいけないような存在だと思うんだがね。


「何のお話でしょうか?」


 鈴が鳴るような可憐な声が割って入ってくる。絢華は上履きに履き替えてすぐ、こちらにやってきたらしい。さっきまでリラックスして笑っていた同級生は、しゃちほこばって答えた。


「お、おはようございます、天祥院さん。本日もお変わりないようで、何よりだと彰に言っていたところです」

「そうですか」


 笑みを浮かべているし、声も柔らかいのだが、反応はそっけない。絢華の顔には「貴方に話しかけていない」と書いてある。もっとも、読み取れるのは俺や家族くらいなものだろう。俺だって注意深く観察しなければ分からない程度の変化だし、ほとんどの人間は彼女の圧倒的な美貌に目が眩み、正確な判断力を失ってしまうのである。


「こいつと教室まで行くから。また後でな」


 俺がそう言うと、絢華は残念そうな顔になった。今度は露骨だったが、すぐに気を取り直して、


「分かりました。それでは失礼いたします」


 一礼して去っていく。その仕草は優雅そのもので、同級生も通行人達も見とれている。ボロが出なかったようで何よりだ。ホッとしながら後ろ姿を見送っていると、我に返った同級生が掴みかかってくる。


「な、何で別れるんだよ! 今のは一緒に教室まで向かう流れだろ!」


 泣きそうな顔で主張してくるが、もしそうなった場合、絢華のお前への好感度がゼロからマイナスになっていたぞ。口には出さないが。俺は絢華の名誉と、こいつの心の両方を守ったのである。言っても理解されないだろうか、違う事を言っておく。


「そして教室で吊るし上げを食らうんだな?」


 俺達のクラスには「絢華さま親衛隊」が何人もいる。


「あ」


 どうやら今思い出したらしい。


「だ、だが、天祥院さんからのお誘いを断る訳には」


 何やら葛藤し始めた。絢華が誘うとすればそれは俺であって、間違ってもこいつではないのだが、そのあたりは都合よく曲解されているようである。付き合っていられないので、放置して先に教室に向かう事にした。絢華と別れたせいで視線は全く感じない。やっと平和な時間が来たな。




 教室に入ると視線が集まり、一瞬で霧散する。となるのが理想的なのだが、何人かの女子が寄ってきた。仕方ないので先制攻撃代わりに挨拶をする。


「おはよー」

「おはよう。今日も絢華さまはお美しかったわね」

「ほんと、ほんと。目の保養になるわぁ」


 形式的に応じ、すぐに絢華の話に移ったこいつらは、さっき言った「絢華さま親衛隊」のメンバーだ。ちなみに本人非公認である。傍目には俺に話しかけてきたように見えるのだろうが、実際のところ話題は絢華の事ばかりである。それ以外では、挨拶くらいしかした記憶がない。全員ルックスは平均以上だから、目の保養と割り切っていた。


「あんまり騒ぐと嫌われるぞ」


 何度目か忘れたが、一応釘を刺しておく。絢華は女子にきゃあきゃあ言われるのは好きではない。余談だが、男に騒がれるのは更に嫌いだ。


「分かっているわよ。だから本庄君に話しかけているんじゃない?」

「そーそー。私達、絢華さまに迷惑かける気はないからさ。ねー?」

「ねー?」


 そう言って笑いあう。彼女達にとって俺は、絢華の情報源であり、いざという時のとりなし役といったところだろうか。単なる同級生より進んでいるのか、扱いが悪いのか、判断が難しいな。

 

「こら本庄! 俺を置いてくなぁ!」


 そこでさっき置き去りにした同級生が、怒鳴りながら教室に駈け込んで来た。女子達は眉を寄せたり、露骨に顔をしかめたりする。


「騒がしい奴が来た」


 一人がぼそっとつぶやいた事は、クラス全員の気持ちを代弁したものかもしれない。


「あ、いたの。倉城」

「さっき会ったよ!」


 俺のボケに全力でツッコミを入れてくる。親衛隊の女子達はさっさと俺からと言うより、倉城から距離を取っていた。今回のような場合ではありがたい奴である。悪い奴ではないのだが、常にハイテンションで饒舌で、クラスからやや浮いているのだ。こいつが大人しい時って絢華が近くにいる時くらいだろうか。


「お前ら席に着けー」


 担任の大久保先生が入ってきて、皆が急いで着席する。当然俺もだ。さすがの倉城も黙って自分の席に移動する。





 樫葉学園の授業には一つ、大きな目玉がある。人型ロボット「アルモア・マキナ」を用いた「MMAマキナ・マーシャル・アーツ」の授業だ。MMAの選手育成を行っている訳ではないが、富裕層の子女が多いだけあって設備はかなり充実している。レンタルとは言え、一人につき一機貸し出されるのはかなり凄い事だ。

 俺は今、黒色の「アルモア・マキナ」に乗り、レーザー銃を構える。予告なしでクレーが飛来し、引き金を引いてクレーを破壊した。MMA主要競技の一つ「ショット」である。


「よし、本庄交代だ」


 先生の指示に従い、俺は銃を置いて射撃場を出た。そして別グループがいる場所に向かう。別グループではもう一つの競技「コンバット」を行っているはずである。さすがの樫葉学園と言えども、残る二競技「クラッシュ」と「フライト」の競技スペースまでは確保出来なかったらしい。MMA選手養成機関ならあるんだろうが、ここはあくまでも普通の高校だからな。この授業の難点は、「アルモア・マキナ」に乗りっ放しでいなければならない点だろうか。スピードを出すと設備を破壊してしまうし、夏は中が蒸し暑いという短所もある。是非とも冷暖房を備え付けて欲しいところだ。兵器としては本末転倒になるかもしれないが、これは兵器じゃなくて競技用ツールだし。


「お、本庄」


 声をかけてきたのは同級生の阿東だった。彼は青い機体を操縦している。


「これからコンバットか?」

「ああ。阿東も?」

「おうよ」


 そう言った阿東は、


「俺と組まないか?」


 と提案してくる。頷きかけたが、ある事を思い出してためらう。こいつは確か「絢華さま親衛隊」の一人だったはずだ。以前、俺の事を恨みがこもった目で見ていたのを覚えている。


「いいよ」


 結局受けておく。断ったら断ったらで面倒になりそうな予感がした為だ。絢華と親しいというだけで、全校男子のうち七割くらいからは恨まれている。こいつを断ったら、よりタチが悪い奴と組むはめになりかねない。どうせなら、まともな部類に入る阿東の方がいいだろう。

 「コンバット」は言ってしまえば人型ロボット同士の格闘戦である。阿東は確か結構強かったはずだ。「コンバット」用のスペースに行くと、何機も出てきて、彼らとすれ違いに入る。適度なところで阿東と向かい合う。「ショット」とは違い、審判役は不在だ。


「じゃあ始めようか?」


 阿東に言われ、


「お手柔らかに頼む」


 と応じる。これはかなり本音だったのが、


「断る」


 阿東にはきっぱりと断られてしまった。


「お前には含むところがいっぱいあるんだ」


 そう宣言し、ファイティングポーズをとる。仕方ないので俺も応じた。ファイティングポーズに関して特に規定はなく、各々が好きに構えてよい。ただ、ステップを踏むのは無謀である。俺達はどちらもボクシングのものを彷彿させるような形で、しばしの間睨みあう。

 先にしかけたのは阿東であった。踏み込んだかと思うと右ストレートを繰り出してくる。それを左腕でガードしながら、がら空きになった脇を目がけて蹴りを入れたが、阿東は読んでいたかのように左手で防ぐ。そこに俺は右膝蹴りを頭部に叩き込む。生身の肉体だったら無理な事ではあるが、今はロボットを操縦しているのだ。ダメージが入った判定音が鳴り響き、俺達は一旦距離を取る。


「これで俺が一ポイントリードな」


 勝ち誇らず阿東に告げた。「コンバット」は基本的に五ポイント先取制なので、一ポイント取っただけでは喜べない。格下が相手ならばいざ知らず、阿東は実力者なのだ。


「ああ。何だ、本庄強いんじゃないか?」


 阿東の声には悔しさがなく、純粋な驚きだけがある。俺を侮っていた事、そしてそれが今消えたと想像出来た。頑張る必要がないと言えばそうなのだが、舐められっ放しってのもシャクだしな。一矢を報いさせてもらいました。

 

「これなら遠慮はいらないな。舐めてて悪かったよ」


 明らかに阿東の雰囲気が変わり、口調も真剣なものになる。どうやら俺は手を抜いても勝てると思われていたらしい。そりゃ、過去の成績で言えば、阿東の方が上だもんな。




 結局、一ポイント取った後、阿東に五ポイント連取されて俺は負けた。阿東って強いな。何だかすっきりした様子で帰っていく同級生の後ろ姿を見て、素直にそう思った。別にすかしたりしている訳じゃなく、純粋に感心しているんだが。「お高く止まった嫌な奴」に見える事もあるらしいから、気をつけておかないとな。

 授業が終わると下駄箱で絢華を待ち、一緒に下校する。先に帰ったりするとお姫様は本気で拗ねてしまい、宥めるのに多大な労力が必要となるのだ。そしてそのまま帰らず、とある喫茶店に入る。店内はそれなりに混んでいたのだが、絢華が入った途端、店内から話し声が消えた。いつもの事なのだが、俺はこっそりとため息をついておく。数秒の空白後、店内に喧騒が戻り、ウェイトレスが小走りに寄ってきた。


「いらっしゃいませ、お二人様でしょうか?」

「はい」


 俺が頷くと営業スマイルで案内してくれる。客達の視線が絢華に集中し、それから思い出したように俺へと向けられた。どの顔も同様に「釣り合っていない」と書いてある。これもいつもの事だ。絢華と一緒にいれば、嫌でも慣れてしまう。絢華の機嫌は普通だが、これは単に無視しているからだろう。彼女が持っているスキルの一つに「礼儀正しく無視」というものがある。

 注文をしてウェイトレスが下がると、本日あった事を話し合う。


「ショットやって、二発当てた。コンバットやって負けた」


 まず俺の方から言っていく。簡潔すぎるからか「話じゃなくて報告だ」と怒られた事があるのだが、どうすればいいのか分からないので、変えていない。絢華も最近では諦めたらしく、注意してこなくなった。頷きながら聞いていた絢華は、自分の番になると


「国語の授業でやった……」


 と各授業の感想である。どの先生の授業が分かりやすいとか、どの問題が面白いとか、絢華は絢華でずれている気はするのだが、いちいち指摘はしない。前に一度した時は、「どちらがよりずれているのか?」という議論に発展してしまった事がある。どうしてそうなったのか、よく覚えていないのだが。

 注文したケーキと紅茶が運ばれてきたので、一旦話は中断する。はっきり言ってこういう店の物より、絢華の家専属の方々が出してくれる物の方がずっと美味しいのだが、これも「絢華お嬢様のお勉強」の一環なのだ。でなければ絢華のご両親達が、大切にしている娘の寄り道を認めるはずがない。周囲のお客達も店員達もちらちら、この目の前にいる幼馴染に視線を送っている。つくづく、凄いキャラだなと感心してしまう。 


「どうかしました?」


 絢華お嬢様はケーキを飲み込んで、不思議そうな顔をして小首をかしげた。その仕草に周囲の人々はため息をつく。ここはただの喫茶店なんだけどなぁ。こいつのせいで、何やらエレガントな空気が漂い始めている。


「相変わらず美人だなと思って」

「……ありがとうございます」


 ごまかす為に褒めておくと、幼馴染は頬を染めながらうつむく。本日二回目の褒め文句だったが、素直に受け取ってくれたようである。ただ、何度も繰り返すと拗ねるので気をつけなくてはいけない。絢華が周囲の人の反応に気が付いていないはずはないのだが、俺と違って生まれてからずっと人の視線を集める事に慣れていると思われるこの少女は、礼儀正しく無視するという姿勢を貫いていた。確かにこいつの場合、いちいち人目を気にしていたらキリがないだろうなと思う。ただ、絢華と一緒にいるというだけで、周囲の人間、特に男は俺に殺気や憎悪をこもった目で見てくるのは何とかならないものだろうか。

 え? それなら何で一緒にお茶をしているんだって?

 定期的にこうして外でお茶をするのが絢華の希望だからだ。何だかんだで俺はこいつには弱い。仮にこいつが周囲の視線を一身に集める美少女でなかったとしても、それは変わらないだろう。こいつの名誉の為に一言お断りしておく。絢華が魅力的なのは容姿ではなく内面だ。容姿については正直、耐性が出来てしまっている。三日や十日で慣れてしまうレベルなどではないと思うが、十年も一緒だったらさすがにな。

 ケーキと紅茶を平らげると黒木さんに連絡し、レジへと向かう。ケーキと紅茶のセットで一人六百円である。


「とても安いのですね」


 絢華が店に出てから驚いたように言う。


「そりゃ、庶民用だから材料も安いんだよ」

「ああ、なるほど」


 絢華は合点がいったとばかりに頷いたものの、どこか演技くさかった。初めて店に入った時は本気で驚いたのだろうが、今ではもう驚きはないだろう。別に記憶力が悪いわけではないしな。どちらかと言えば確認作業に近い気がする。店のすぐ近くにロールスロイスが停車していて、衆目を集めていた。黒木さんは平然とした顔で絢華を待っている。毎度思う事だが、連絡してからやってくるまでが速すぎるんだよな。ひょっとすると絢華が身に着けている物に発信器でも仕込んであるのかもしれない。


「お帰りなさいませ」

「ご苦労様、黒木」


 その一言で全て報われるって評判だからからお嬢様って凄いわ。いや、この場合、凄いのは絢華本人かな。いくらお嬢様だからって嫌っている相手にねぎらわれて、報われたと感じる人がどれくらいいるのだろうか。


「いつもすみません、黒木さん」


 俺もそう話しかける。絢華の好意で便乗させてもらっている立場なんだし、挨拶の一つもしないのは問題だろうからな。対して黒木さんは小さく頷いただけである。これはどう解釈すればいいのだろう。「その通りだ、勘違いするなよ、小僧」と受け取るのはネガティブすぎるだろうか?

 こうして俺達は帰路につき、車は俺の家の前で止まる。


「それじゃまた明日」

「はい、また明日です」


 にこやかに手を振る絢華に笑顔で応え、ドアを開けて外に出た。運転席の方に行って黒木さんに礼を言い、家の中に入る。ロールスロイスは静かに発車し、すぐ隣の豪邸へと消えた。我が家から見れば、通り道一本挟んだ向こうが高級住宅街なのである。その中でも絢華の家のでかさは桁が違うのだが。俺の一日はこんな感じで過ぎていく。




 その電話がかかってきたのは突然だった。名前を見ると「絢華」からで、珍しいと思いながらも出てみる。


「もしもし?」

「もしもし、彰くんですか?」


 こちらの機嫌をうかがっているような調子はいつもの事なのだが、今日はいつもより媚のようなものが混ざっていると感じた。


「おう、どうかしたか?」


 俺は気づいていないフリを装い、上機嫌に聞こえるように努めて返事をする。それに安心したのか、絢華は話を切り出してきた。


「お父様が会いたいそうなんです。明日、お時間はありますか?」

「いいよ」


 即答する。予定は決まっていなかったし、親父さんの用件は何となく察しがつく。


「分かりました。それでは明日の十時にお越し下さい。お待ちしています」


 絢華はそう言って電話を切る。あいつが用件のみで切ってしまうのも珍しい。親父さんの用件が何か、確信に変わった気すらした。

 翌朝、気合を入れて豪邸に向かう。インターホンを鳴らすと、自動的に大きな門が開き、「本庄様、ようこそ」と声が聞こえた。中に入って石畳で舗装された道を歩く。左右には芝生がはえていえ、右側には大きな噴水、左側には池がある。サッカーどころかゴルフだって出来そうな広さだ。数分歩くとようやく玄関のドアに辿り着くが、ノックをする前に開き、中から執事さんが出てくる。


「おはようございます、本庄様。ようこそお越し下さいました」

「おはようございます、瀬葉さん。貴明さんに呼ばれて来たのですが」


 執事に挨拶を返し、用件を言う。


「はい。私が案内するようにと申しつけられております」


 勝手知ったる人の家、ではないが、この豪邸の内部はある程度把握している。ガキの頃はしょっちゅう遊びに来ていたし。そしてこの屋敷の人達がそれを知らないはずはない。天祥院家現当主に呼ばれた人間を案内なしで歩かせる訳にはいかない、という事なんだろうな。写真で見た事があるヨーロッパの宮殿さながらの豪邸を歩く。散々見慣れているからいいものの、そうでなかったらきっと圧倒されてしまっただろう。赤い絨毯が敷かれた階段を上がり、いくつもの扉の先に絢華の親父さんである貴明さんの部屋はある。最初の頃はなかなかどの扉がどの部屋なのか覚えられず、苦労したものだ。瀬葉さんがドアをノックする。


「失礼いたします。本庄様をお連れいたしました」

「入れ」


 渋い男性の声が聞こえ、ドアは開かれた。その部屋はゆうに十二畳分くらいの広さがあり、左右には大きな本棚が置かれていて、びっちりと本で埋まっている。部屋の中央に立派で高そうな机があり、貴明さんが座って俺に力のある視線を浴びせてきた。威嚇している訳ではなく、これがこの人の素だと知っている俺は、特に緊張しない。おじさんの隣には白い清楚なワンピースを着た絢華もいた。彼女はややぎこちない笑みを浮かべてくる。いつもはもっと明るいし、手を振ってくるのにどうしたものか。……何となく察しはついている。


「久しぶりです、貴明おじさん」

「うん。久しぶりだな。いつも絢華と付き合ってくれてありがとう」


 貴明さんは目つきを優しいものに変え、そう挨拶をしてくる。見た目は威厳のあるナイスミドルといった風だが、絢華の父親だけあって気さくな性格なのだ。


「いえいえ。こっちこそ美味しいものにありついてるし、送り迎えしてもらっていますから」


 俺は本来親しい人には砕けた態度になるのだが、この人と悠華おばさんにはつい丁寧になってしまうんだよな。そういった風格や気品を持っているのである。……絢華にも備わっているのだが、あいつのものには免疫が出来ちゃっているんだよなぁ。同年代の幼馴染という気安さのせいか、それともおじさん達のは十年程度では耐性出来ない深みがあると言うべきなのか。


「そうか」


 おじさんの声で俺は思考を切り替える。いつも忙しい人が、わざわざ俺を呼びつけたくらいだから、何かあるはずだ。絢華も呼ばれているならなおさら。


「実は絢華に婚約の申し入れがあってね。私としては前向きに考えてもよいと思っている」


 正直、やはりかと思った。残念ながら今時政略結婚なんて馬鹿馬鹿しい、と笑い飛ばせない立場なのが天祥院家なのである。天祥院家が経営する「ユリグループ」は全体の売り上げが百兆を超す、超巨大企業連合体だ。それの指揮をとらねばならないのが天祥院家当主であり、高い能力を持った人間を据える事を義務としている。これが富や権力を独占する為だったら俺も嫌悪しただろうが、従業員を路頭に迷わせる事なく、社会の公器としての務めを果たさんとする高潔さによるものだから、黙って頭を下げるしかない。


「雇用を創出し、富を分配し、社会に貢献せねば天祥院たる資格なし」


 今日の天祥院の礎を築いた初代はそう言い放ったそうだ。それが本当かどうかは知らないが、おじさんとおばさんを見た限り、まるっきりデタラメというわけではないと思う。


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