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再演ー消失ー

作者: らいと
掲載日:2026/09/09

短編になります。

雑然とした六畳一間。


古いパソコンの前で、間宮真司は煙草を咥えていた。


壁際には、雑誌や新聞、取材で集めた資料が無造作に積まれている。


真司は煙を吐きながら、画面を眺めた。


地方紙の小さな記事だった。


――大学教員、高橋直人。三十四歳。


三日前、仕事を終えて大学を出たのを最後に、行方が分からなくなっている。


財布も携帯電話も持ったまま。


家族から捜索願が出され、警察が行方を捜している。


「……失踪か」


事件。


事故。


あるいは、自分から姿を消した。


今のところ、どれもあり得る。


真司はページを閉じようとした。


そのとき、最後にある地名が目に入った。


「……ここ」


見覚えがある。


椅子の横に積まれた資料を漁り、古いファイルを引っ張り出す。


半年前の記事。


――佐伯美咲。二十九歳。


仕事から帰宅する途中、行方不明。


真司は二つの記事を見比べた。


年齢も違う。


性別も違う。


職業も違う。


ただ――


最後に確認された場所が近い。


「……偶然か」


しばらく眺めたあと、煙草を灰皿に押しつける。


財布と鍵を掴んだ。


「まあ、行ってみるか」


フリーランスのルポライター、間宮真司。


このときはまだ、


二人とも、ただの失踪者だった。


     *


翌日。


真司は、高橋直人が勤めていた大学に来ていた。


数人の学生に話を聞いたが、変わった様子を見た者はいなかった。


「次の講義の話はしてました」


一人の学生がそう答えた。


「資料を読んでおくようにって」


「そう」


真司は手帳に書き込んだ。


少なくとも、高橋は次の講義をするつもりだった。


研究室の前には、


――都合により、当面の講義を休講とします。


とだけ掲示されていた。


真司が眺めていると、後ろから声がした。


「高橋先生の取材ですか?」


三十代くらいの男だった。


「同じ研究室にいた者です」


「少し聞いていい?」


「はい」


真司は手帳を開く。


「いなくなる前、何か変わったことは?」


「特には」


「研究は?」


「普通に続けていました」


「何の研究?」


「認知科学です。知覚や認識について」


「最後に会ったのは?」


「いなくなった日の夕方です」


「何か話した?」


「来月の研究会の日程を確認しました」


真司のペンが止まった。


「本人から?」


「はい」


「行くつもりだった?」


「そう見えました」


「なるほど」


次の講義。


来月の研究会。


少なくとも、突然すべてを捨てる人間の予定には見えない。


     *


大学を出た真司は、高橋が利用していた駅へ向かった。


数駅先。


高橋が降りたとされる駅で、真司も降りる。


自宅までは徒歩で十五分ほど。


高橋が歩いたと思われる道を辿った。


コンビニ、飲食店、住宅。


どこにでもある帰宅路だった。


最後の目撃地点は、古い商店の前だった。


「高橋直人さんのことで、聞きたいんですけど」


「ああ、いなくなった人か」


店主は高橋を見ていた。


「どんな様子でした?」


「普通に歩いてたよ」


「一人?」


「たぶんな」


「何時くらい?」


「九時過ぎだったと思う」


「どっちへ?」


店主が指したのは、高橋の自宅方向だった。


真司は礼を言い、同じ道を歩いた。


途中には細い路地がいくつもある。


その先には交差点。


数分歩けば、高橋のマンションだった。


「……何もねえな」


途中で道を変えた。


誰かと会った。


自分の意思でどこかへ行った。


可能性はいくらでもある。


今のところ、ただの失踪だった。


     *


その日の夕方。


高橋の姉が取材に応じた。


「弟は次の日、母を病院へ連れていく予定だったんです」


「何時に?」


「朝八時に迎えに行くって。前の日にも電話で確認してました」


「最後に連絡があったのは?」


「いなくなった日の夜です」


「何時?」


「九時前だったと思います」


「内容は?」


「母に、今から帰るって」


真司のペンが止まった。


「それが最後?」


「はい」


次の講義。


来月の研究会。


翌朝、母親を病院へ連れていく約束。


そして、九時前の「今から帰る」という電話。


高橋は、少なくとも先の予定を残したまま消えていた。


     *


夜。


六畳一間。


真司は机の上にメモを広げていた。


「……理由がないな」


理由が見つからないだけで、自発的な失踪を否定できるわけではない。


事件や事故の可能性もある。


それでも、何かが引っかかった。


真司は半年前の記事を開いた。


佐伯美咲。


二十九歳。


会社から帰宅する途中で行方不明。


最後に確認されたのは、駅前のドラッグストア。


午後九時十二分。


その後、自宅には戻っていない。


「……九時十二分」


高橋のメモへ目を移す。


九時前、母親へ連絡。


九時過ぎ、商店の前で目撃。


「時間も近いのか」


二人の最後の確認地点を地図に記した。


さらに、それぞれの自宅までの経路を引く。


二本の線が近づいていく。


真司の指が止まった。


「……ここ」


古い住宅が密集した一角。


細い道がいくつも入り組んでいる。


二人とも、この辺りを通って帰宅していた可能性がある。


証拠はない。


ただ――


場所が近い。


時間も近い。


真司は煙草を灰皿に置いた。


「……同じ時間に行ってみるか」


     *


翌日。


午後八時五十分。


真司は駅前に立っていた。


帰宅する会社員や学生が改札から流れ出てくる。


半年前、佐伯もこの中にいた。


三日前には、高橋も。


真司はスマートフォンで時刻を確認した。


佐伯がドラッグストアを出たのは午後九時十二分。


高橋が最後に目撃されたのも、その前後。


真司はドラッグストアへ向かった。


店は今も営業している。


店長は佐伯の名前を覚えていた。


警察が来たからだという。


「その日、何か変わったことは?」


「特には。普通に買い物して、普通に帰ったと思いますよ」


「一人?」


「そうだったはずです」


「誰かが待ってたとか?」


「聞いてないですね」


高橋と同じだった。


直前まで普通。


妙な行動もない。


ただ、帰宅していた。


真司は店を出た。


スマートフォンを見る。


午後九時十一分。


「……ほぼ同じだな」


佐伯が歩いたと思われる道を進む。


大通りから住宅街へ入った。


車の音が遠くなる。


古い一戸建て、低いマンション、小さな駐車場。


どこにでもある夜の住宅街だった。


九時十六分。


少し先に、昨日も通った交差点が見えた。


「ここに出るのか」


右へ行けば、高橋のマンション。


左へ進めば、佐伯が住んでいた場所。


その間に、住宅の隙間へ伸びる細い路地がある。


真司はスマートフォンの地図と見比べた。


「……ここだな」


時刻は九時十九分。


正確な時間までは分からない。


だが、二人ともこの時間帯に、この辺りを歩いていた可能性がある。


真司は路地を見た。


古いブロック塀、電柱、壁際の自転車。


奥で道が左へ曲がっている。


何の変哲もない。


「さて……」


真司は細い路地へ足を踏み入れた。


室外機の音。


家の窓から漏れる明かり。


遠くを走る車の音。


何も変わったところはない。


それでも、なぜか落ち着かなかった。


途中で一度、後ろを振り返る。


誰もいない。


「何やってんだ、俺」


真司は小さく笑った。


二人も人が消えたかもしれない場所を、同じ時間に一人で歩いている。


そう考えていれば、妙な感じがするのも当たり前だ。


路地は途中で左へ曲がっている。


真司も曲がった。


一分もしないうちに、少し広い通りが見えてきた。


「……何もないか」


路地を抜けた。


一度だけ振り返る。


古い住宅の間に伸びる、ただの細い道。


真司は煙草を取り出し、火をつけた。


煙を吐きながらスマートフォンを見る。


「……ん?」


圏外。


真司は足を止めた。


「こんなとこで?」


駅から、それほど離れていない。


一度電源を落とし、入れ直す。


変わらない。


「壊れたか?」


軽く舌打ちし、ポケットへ戻した。


そのまま駅へ向かう。


やがて、少し広い道路へ出た。


正面から一台の車が近づいてきた。


真司の前を通り過ぎる。


「……ん?」


振り返る。


車はそのまま遠ざかっていく。


「逆走?」


道路を見る。


工事はしていない。


障害物もない。


片側一車線の、ごく普通の道だった。


「何やってんだ。危ねえな」


真司は煙草を咥えたまま歩き出した。


少し先にコンビニがあった。


喉も渇いている。


店へ入る。


冷蔵棚の前で足を止めた。


「……ん?」


見たことのない缶コーヒーが並んでいた。


黒地に銀色の文字。


商品名に覚えがない。


手に取る。


メーカー名にも見覚えがなかった。


「新発売か?」


いつも飲んでいる銘柄を探す。


ない。


「売り切れか」


真司は見知らぬ缶コーヒーを持ってレジへ向かった。


財布から千円札を出す。


店員は何事もなく受け取り、釣り銭を返した。


新商品くらい、いくらでも出る。


真司も、それ以上は気にしなかった。


店を出る。


道路を一台の車が通った。


真司は何となく目で追った。


車は、センターラインの右側を走っている。


「……また?」


さっきとは別の車だった。


少しして、反対方向からもう一台来た。


その車も、右側を走っている。


真司の足が止まった。


「……待て」


車は何事もなく、互いにすれ違った。


「何なんだよ」


     *


電車は、いつもと変わらない時刻に来た。


真司は空いている車両へ乗り込み、ドア脇に立った。


会社員が数人。


学生らしい若者。


座席でスマートフォンを見ている女。


特に変わったところはない。


自分のスマートフォンを見る。


やはり圏外だった。


「やっぱ壊れたか」


ポケットへ戻す。


電車が走り出した。


何となく顔を上げる。


吊り広告が目に入った。


――大阪タワー 秋の展望フェア。


「……大阪タワー?」


赤と白の細長い塔の写真。


どこかで見たような形だった。


「こんなのあったっけ」


大阪に詳しいわけではない。


新しくできたのかもしれない。


広告の下には、


――西日本を代表する電波塔。


と書かれていた。


「……へえ」


真司はそれ以上考えず、視線を外した。


     *


しばらくして、最寄り駅に着いた。


いつものホーム。


見慣れた階段。


乗客に混じって改札を抜ける。


そのまま、いつもの出口へ向かおうとして――


足が止まった。


「……あれ?」


正面の案内板を見る。


東口。


南口。


北口。


「西口は?」


いつも使うのは西口だった。


自宅へ帰るなら、それが一番近い。


だが、案内板のどこにもない。


「……工事か?」


閉鎖を知らせる張り紙はない。


西口へ続いていたはずの場所へ行く。


そこには壁があった。


「……」


新しく塞いだようには見えない。


壁の前には自動販売機が並び、その横には古びた駅案内図が貼られている。


真司は近づいた。


西口は――


最初から存在していなかった。


「……何だよ、これ」


しばらく案内図を見つめる。


「俺がボケたか?」


真司は南口へ向かった。


     *


駅を出る。


少し遠回りにはなるが、自宅までの道は分かる。


煙草に火をつけ、歩き始める。


古い居酒屋、小さなクリーニング店、狭い駐車場。


知っているものもある。


それだけに、少し安心した。


交差点を渡ろうとしたときだった。


電柱に貼られたポスターが目に入った。


男の顔写真。


その上に大きく、


――日本統一党。


と書かれている。


真司は通り過ぎかけ、足を止めた。


「……何だ、この党」


聞いたことがない。


候補者の名前にも見覚えはなかった。


地方の小さな政党かと思った。


だが、少し先の電柱にも同じ党名。


その向こうにも。


「こんな政党あったか?」


真司はスマートフォンを取り出す。


相変わらず圏外だった。


「……使えねえな」


ポケットへ戻す。


少し歩いたところに、小さな定食屋があった。


前を通り過ぎようとしたとき、


開いた扉の奥からニュースの音が聞こえてきた。


『――続いて、愛知の国会議事堂からのニュースです』


真司の足が止まった。


「……愛知?」


振り返る。


店内のテレビには、議事堂らしき建物が映っている。


聞き間違いかと思った。


だが画面の下には、


――愛知・国会議事堂


と表示されていた。


「……何だよ、これ」


会社員が真司の横を通り過ぎる。


自転車に乗った女が、何事もなく交差点を曲がっていく。


定食屋では、客がテレビを見ながら食事をしていた。


誰も驚いていない。


誰も立ち止まらない。


『――政府は本日、愛知の国会議事堂で――』


ニュースはそのまま続いている。


真司は周囲を見回した。


さっきの政党。


大阪タワー。


駅の西口。


右側を走る車。


全部、


この街では普通なのか。


「……違う」


真司は小さく呟いた。


「何かが違う」


急に、自分だけがこの街から浮いているような気がした。


「……帰ろう」


真司は歩き出した。


次第に、その速度が上がった。


     *


ようやく、自宅のアパートが見えた。


見慣れた建物。


錆びた階段。


薄暗い廊下。


何も変わっていない。


真司は自分の部屋の前まで行き、ポケットから鍵を取り出した。


鍵穴へ差し込もうとして――


手が止まった。


「……」


嫌な感じがした。


高橋直人。


佐伯美咲。


二人は、本当に消えたのだろうか。


もし――


「……迷い込んだ?」


真司は小さく呟いた。


消失したのではない。


どこかへ迷い込んだのだとしたら。


そして今、自分も――。


「……まさかな」


鍵を差し込む。


ゆっくり回す。


カチッ。


鍵が開いた。


真司はしばらく動かなかった。


それから、小さく息を吐く。


「……やっぱ、気のせいか」


自分の鍵で、自分の部屋が開いた。


少しだけ肩の力が抜けた。


ドアを開ける。


見慣れた玄関。


狭い上がり框。


壁際の傘立て。


何も変わっていない。


そう思った。


だが――


真司の視線が、床で止まった。


「……靴?」


見覚えのない革靴が、一足置かれていた。


黒い、少しくたびれた革靴。


真司のものではない。


「……誰だよ」


部屋の奥を見る。


明かりがついている。


真司はゆっくり靴を脱いだ。


「……おい」


返事はない。


一歩。


また一歩。


部屋の奥へ進む。


六畳一間。


積み上げられた雑誌。


壁際の新聞。


机の上の灰皿。


古いパソコン。


見慣れた自分の部屋だった。


ただ――


パソコンの前に、誰かが座っている。


画面に向かったまま、


こちらを見ようともしない。


「……おい」


男の肩が動いた。


ゆっくりと振り返る。


真司の足が止まった。


「……」


何も言えなかった。


男も、真司を見たまま動かない。


しばらくして、


男が椅子から立ち上がった。


真司も無意識に一歩下がった。


そして――


鏡で何度も見た顔が、


そこに立っていた。

世にも奇妙物語風になってしまいました。

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