大好きな殿下がぽっと出の女に取られたので、笑顔で身を引きます
笑顔が好きだと言われた。だから彼の前では笑っていたかった。
「学生の間だけにするからさ。大目に見てよ。…ね、ラフィーナ?」
大好きな婚約者が女と抱き合っているときも、私の顔には笑顔がこびりついていた。
ディランにお願いされた時の私の返事はいつも同じだった。
『しょうがないなー』
だけど今日は、ひりついた喉に言葉がつっかえた。
私と第一王子のディランは幼いころから婚約関係にあった。
ディランは私の理想の王子様だった。
「この人がお前の婚約者だよ」
初めて会ったのは王家の所有する避暑地の離宮。そこで毎年私たちは一緒に過ごした。
「ラフィーナは笑顔が素敵だね。ずっと笑っていてほしいな」
あの優しげな青い瞳で見つめられるのが好きだった。
まめな人だから、誕生日には毎年私の年齢と同じ本数のバラを贈ってくれた。
「ラフィーナ、僕のお嫁さん。大好きだよ!」
そういって頬に落とされるキスに、毎年バカみたいに新鮮に胸が高鳴った。
今年も来年もその先も。これが続くと思っていた。
◆◇◆
『秘密の場所』でディランの浮気現場を見てしまって、すべてが崩れた気がした。
『秘密の場所』というのは学園の中庭にある東屋だ。
バラの茂みに囲まれた雰囲気が、夏の離宮の『秘密の場所』に似ているからとディランが命名した。
学園に入学した当初は2人でここで一緒に過ごしたが、ディランと話すことも気づけば減っていた。
ディランとクラスが違うせいだと思いたかった。
この日、友人たちとバラの話になった時に、私はこの場所のことを思い出した。
久々に『秘密の場所』を見に行った。
その結果がコレである。
ディランの横にいた女は令嬢らしからぬ憎々しげな眼で私を睨んでいた。
五分咲きのバラ園に漂う不穏な空気。
「アメリー嬢、ですよね…?」
ディランが伯爵令嬢のアメリーと親しくしているという話は聞いていた。
クラスの違う私も、二人が並んで廊下を歩く姿を見たことは度々あった。
「アメリー嬢と仲がいいみたいね?」
定例のお茶会でそれとなく聞いた時、ディランは言った。
「ただのクラスメートだよ。嫉妬なんて君らしくないよ、ラフィーナ」
いつもの笑顔で安心させてくれた。
なのにーー
(あれは嘘だったの…?)
「ディラン様が本当に好きなのは私よ!」
中庭に響くような大声でアメリーが怒鳴った。
「王家のために幼いころから努力なさって、望まない婚約までも押し付けられて…。ディラン様の孤独を癒せるのは私だけ!私こそがディラン様の本命なんです!」
「なっ!」
学園入学からの1年少々の付き合いでディランの何がわかると言うのか。
「失礼ですけど…」
「ラフィーナ」
青い目が『騒ぎを大きくしたくないから押さえて』とばかりに私を見ていた。
私の言葉は勢いを失った。
伯爵令嬢に怒鳴られたことよりショックだった。
(なんでディランはあちらの非礼をとがめないの?なんで私を助けてくれないの?)
ディランはアメリーと目を見合わせて照れたように笑った。
「バレたなら仕方ないね。実は…この子が好きなんだ」
大好きな人の声で告げられた、裏切り。
「もう半年余りこうやって密かに逢瀬を重ねているんだ」
ディランは容赦なく追い打ちをかける。
アメリーが見せつけるようにディランに身を寄せた。
甘えるようなその媚態にディランは蕩けるような視線を返す。
完璧な恋人同士の空間。
みじめに取り残される私。
「そんな…。それじゃあ、私は…」
「ああ、心配しないで。彼女との恋愛でラフィーナに迷惑をかけることはないからさ!」
ディランは少し早口に付け加える。
「ちゃんと王家のためにラフィーナと結婚するよ!」
「へ…?」
「当たり前だろう?俺は王子なんだから。表舞台では君を立てるし、彼女との関係は隠し通す。彼女もちゃんとわきまえているから」
何も大丈夫じゃなかった。
声を出そうとして、喉が痛んだ。
ディランはいつもの笑顔で私を見つめた。
「彼女との関係は学生の間だけにするからさ。大目に見てよ。…ね、ラフィーナ?」
ディランは賢い。
一時の感情で王子としての立場や国の行く末を危うくするような選択はしない。これは彼の中ではきっと合理的な提案だ。
私も頷くべき。
『しょうがないなー』で笑って受け入れるべき。
だけど、私の体は悲しみでこわばって動かなかった。
「ラフィーナ?」
不思議そうに首をかしげるディラン。
あの子にはあんなに熱っぽい視線を向けていたのに、私のことは口先で丸め込もうとするだけ。
私は何とか笑顔を取り繕おうとした。でも、うまく口角があがらなかった。
「少し…考えさせて」
花園に背を向けて私は駆けだした。
アメリーが何か言った気がしたが、振り返らなかった。
これ以上あの二人を見たら泣きそうだった。
「どうして?」
頭の中はそればかりだ。
ディランがあの子に向ける視線がこびりついて離れない。
本当にあの子が好きなんだ。
私は邪魔なんだ。
私のせいでディランはあの子を諦めるんだ。
息が切れて、廊下の隅にうずくまる。
胸が痛い。
惨めだった。
それ以上にーー
うつむいた拍子に涙がこぼれた。
しばらく床が濡れるに任せる。
やがて、床に落ちた水滴を靴で踏み、私は決心した。
「そうだ、婚約解消しよう」
◆◇◆
その数日後。
私はディランに『秘密の場所』に呼び出された。
私はあの日、父に婚約解消を直談判した。私たちの婚約解消は正式に受理されるのを待っている状態だ。
案の定、ディランの用件はそのことだった。
「聞いたよ、ラフィーナ。君から婚約解消を申し立てたんだってね。…どうして?僕とアメリーの事なら気にしないでって言ったよね?」
「ディランは気にならなくても、私は気になるの」
胸の痛みを押さえて笑顔を作る。
「……好きだよ、ディラン。だから、あなたには本当に好きな人と幸せになってほしい」
ディランはわずかに青い目を見開いた。
「ラフィーナ……君って子は、本当に健気だね!」
軽やかな口調に胸がチクリと痛む。
謝罪も引きとめもなく。ディランは私のいない未来をこんなに喜んでいる。
「じゃあね、ラフィーナ。いままでありがと!」
「…ええ」
私は作り笑いで応じた。
ディランがバラ園からいなくなるまでその笑顔をキープする。
ディランは一度も振り返ることもなく、中庭の外れで、そこにいる誰かさんに笑顔を向け、腕を組んだ。
「大丈夫。フラれたわけじゃない。私から振ったんだ。だから、ツラくなんてない。ツラくなんて…」
遠ざかるディランの背から視線を逸らすと中庭の花が目に入った。
東屋の周囲のバラは五分咲きから七分咲きになっていた。
薔薇。
今年の誕生日はもうディランから薔薇をもらえない。
「痛っ…」
触れようとしてトゲで指を切った。
血のにじむ指を押さえると、じわりと涙で視界が歪んだ。
「ううっ…う~~~っ」
私は東屋の椅子に倒れこんだ。
(終わった。もう全部終わった…!)
もうあの顔で、あの声で『大好き』って言ってもらえない。
痛くて泣いていても慰めてもらえない。
あの人のお嫁さんになるのが夢だったのに。
そんな未来はもう来ない。
「ディラン…ぐすんっ、ひっく…」
うずくまって泣き出した。
惨めだった。
寂しかった。
本当はラフィーナが一番大事だ、って言って欲しかった。
涙が止まる頃には指の出血も止まっていた。
ようやく私は立ち上がった。
「計画を進めなくちゃ…」
ディランの幸せのために。
私は泣いてばかりはいられないのだ。
◆◇◆
翌日の放課後、私は空き教室で人を待っていた。
「今日は勉強会はなかったはずだが?」
手紙を片手に入ってきたのは辺境伯令息のヴァルド。
彼とは私の主催する勉強会で知り合った。
彼をだますのは気が引けるが、これもディランのため。
私は用意して来たセリフを口にする。
「あのね、ヴァルド……私の恋人になって欲しいの」
「えっ!?」
灰色の虹彩が揺れる。鉄仮面男とあだ名される彼でも、女性からの告白にはこんな顔をするのか。
「お前、俺のこと好きだったの?」
「それは…」
不意に、廊下から人の声がした。
(これは…チャンス…っ!)
私はヴァルドの胸に飛び込んだ。
ほぼ体当たりのような勢いで、ヴァルドの胸板に鼻をぶつけてしまう。
背後で声がした。
「今のって、ディラン様の婚約者の人じゃなかった?」
「浮気ってこと?ヤバすぎない?」
気まずそうに遠ざかっていく足音とヒソヒソ声。
(よしよし、計画通り…)
「近い…」
ヴァルドは困ったように私から顔を背けていた。
離れると、彼はもういつもの鉄仮面に戻っていた。
「何が目的かは知らんが、どうせあいつ絡みだろ?ディラン王子殿下。何があった?」
ディランの名前を聞いて鼻がツンと痛くなる。
「…私、ディランとは婚約解消するの。ディラン様にはほかに思い人がいるから…」
ヴァルドの視線が険しくなる。
「あいつ…!」
今にもディランを殴りに行きそうなヴァルドの剣幕に私は慌てる。ディランを悪役にしたいわけじゃない。むしろ逆だ。
「勘違いしないで!婚約解消は私が申し立てたこと。だから、理由も私側にあるってことにしたいの」
「は?意味が分からない」
ヴァルドの鋭い視線を前にすると嘘をつけない。
「婚約解消の理由について、私の心変わりって王宮には説明しちゃった。学園でもこのことでディランが余計な詮索を受けてほしくないから…」
「それで俺を利用するのか?」
違う、とは言えなかった。
彼に告白したのは婚約者がいない公爵家以上の身分という条件に合致するのがヴァルドだけだから。私はまだディランに失恋中だ。
「ごめんなさい。あなたには不愉快なことだってわかってる」
「ハァ。お前はいつもあいつのためだな。そんなことしたってあいつは感謝しないと思うが?」
「感謝してほしいわけじゃない。…好きな人の幸せが私の…」
言葉を言いきれなかった。
喉から鼻にかけてツンと痛くなって、目尻から涙がこぼれる。
「私じゃディランを幸せにできないから、婚約解消も仕方ないことなの。だからね、ヴァルド。学生の間だけ、人前でちょっと親しいふりをしてくれるだけでいいの。お願いできない?」
「チッ」
ヴァルドは舌打ちと共に私の眼前に濃紺のハンカチを差し出した。
「ありがとう…」
受け取ったハンカチで涙を拭うと、なんだか見覚えのあるバラの刺繍に気づいた。
「あれっ…?これって、前に私が貸した奴じゃない?」
「…気のせいだろ」
ヴァルドがぶっきらぼうにハンカチを奪い、丁寧に折りたたんでポケットに戻した。
「泣き止んだなら行くぞ」
「どこに?」
ヴァルドが私に腕を差し出す。
「恋人のフリすりゃいいんだろ?」
「……ありがとう」
私はその手を取った。
◆◇◆
それから1か月後。
夏の期末試験も終わり、私は放課後の教室にいた。
クラスの学級委員長として、赤点をとったクラスメートの追試対策の勉強会を主催しているのだ。ヴァルドも1年生の頃からこの勉強会の常連だった。
「はいはーい、ラフィーナ委員長!ここにずるしてる人いまーす!ヴァルドくん、赤点じゃないでーす!」
同じく常連のローレッタが羽ペンでヴァルドを指さした。
ヴァルドは鬱陶しそうに羽ペンを払いのける。
「黙れ。復習に来ただけだ」
「前のテストも赤点じゃなかったのに来てたよね?随分『勉強熱心』なんだね!」
「まあまあ、ローレッタ。勉強会は自由参加だから…」
笑ってとりなしたが、ローレッタはまだ納得していないようだった。
頬を膨らませて私の方に身を乗り出す。
「ラフィーナ。この際、はっきり言うわ。こいつとつるむのやめな?公爵令嬢が浮気してるって噂になってるよ」
『浮気』という言葉に胸がヒヤリとする。
でも、噂になっているのは計画通りだ。
「王子一筋のラフィーナがそんなことするわけないのにね。あ、もしかして王子への当てつけとか?伯爵令嬢と仲良さそうに…」
「あ、ばか!」
隣に座るシモンヌがローレッタの頭をはたいたが、もう遅い。
勉強会のメンバーたちは気まずそうに目を見合わせる。
「ううん、気にしないで!」
私は努めて明るい声で言った。本当にもう気にしてなんていないから。
「実はね、ディランとは婚約解消する予定だからもういいの!大丈夫!」
「えっ…!?」
教室がどよめく。
「婚約抜きでもディラン殿下を好きだったんじゃないの?」
「それは…」
窓の外から朗らかな話し声が聞こえた。
ディランが友人に囲まれてどこかへ歩いていく姿が見えた。彼を囲む友人に紛れてアメリーがさりげなくディランの隣を歩いていた。思わず教科書を握る手に力がこもる。
「ラフィーナ?」
シモンヌの声でハッとした。
いけない、いけない。
勉強会中によそ見だなんて。
「皆さん。私の話はここまで。勉強しないなら帰ってもらうよ?」
みんな気まずそうに教科書に戻った。
ヴァルドと視線がかち合ったが、気づかなかったふりをした。
「では皆さん、ごきげんよう!ちゃんと復習してくださいね!」
勉強会がお開きになったのち、私とヴァルドは残って教室の後片付けをした。
学舎にはまだ学生がちらほらといる。
廊下を歩きながら、私は隣にいるヴァルドに腕を絡ませた。
「おい…」
逃れようとするヴァルドの腕に身を寄せる。
「みんなに見られないと意味ないでしょう?」
周囲から囁き声が聞こえる。
「やっぱりあの噂本当なんだ」
「いつもニコニコしてて素敵だと思ってたのにショック…」
よしよし。順調。
自分の悪評の広まりに喜ぶことになるなんて。
自虐的な失笑が漏れる。
しかし、これもディランのため。
冷ややかな視線にかすかなほろ苦さを感じつつ、学舎を歩いていると、後ろから甲高い声で呼び止められた。
「ラフィーナ嬢!」
声の主はアメリーだった。
勝ち誇ったにやけ面がざらりとこちらの神経を逆なでしてくる。
「殿下に浮気だなんだと言っておきながら自分が浮気してたなんて、とんだお笑い種ですね!」
「……」
「私、明日からお妃教育が始まるんですよ!」
学舎中に聞かせるかのような大声。
思わず顔をしかめるが、アメリーは何を勘違いしたのか調子づいて、
「私はもう次の婚約者に内定したも同然です。でもあなたは?真実の愛を前に身を引いたことは懸命だったと一瞬、評価したんですよ、私。それがただ、自分にも他に男がいただけだったなんて!ディラン様があなたと結婚しなくて本当によかったですね!」
ただ私を傷つけるためだけの言葉の数々。
「言わせておけば…」
私はヴァルドを片手で制した。
「行きましょう、ヴァルド」
「いいのか?」
「ディラン…殿下から正式に紹介を受けたわけじゃないから、あんな子知らない。知らない人となんで口を利かなくちゃいけないの?」
「は?知らないって何…」
無言でアメリーに一瞥くれる。
私の表情筋は完璧に仕事をした。
こんな礼儀知らずな女に笑顔を振りまくもんか。
「な、なんですか、負け犬の癖に…」
私の迫真の真顔にアメリーは威勢を削がれたのか、尻尾を巻いてどこかへ行ってしまった。
「ふっ。お前、そんな顔もできるんだな」
「あら。それはお互い様じゃない?」
ヴァルドは口元が綻んでいた。
『仲良く』腕を組んで私たちは学舎を後にした。
◆◆◆
アメリーはお妃教育を受けるべく、王宮に来ていた。
昨日は憎たらしいラフィーナと話して嫌な気持ちになったものだが、もう引きずってなどいない。
(あの子より私がふさわしいって認めさせてやるんだから!)
ラフィーナは長らくお妃教育を受けていたから一日の長はあるかもしれない。
でも、そんなこと関係ない。ディランが『王妃になるのはまだ先だし、目先のテストに合格できるレベルの実力があれば大丈夫』と言っていたからだ。
アメリーはうまくやる自信があった。
初回は一通りの教養科目のテストを受けることになった。
「教養科目なら学園で習ったものも多いので、学習状況によってはスキップさせていただきますね」
(教養科目のお勉強がなしになれば、お妃教育固有の科目に専念できる!)
少し身構えていたが、思ったよりイージーかもしれない。
そう思っていたものの…。
「…なるほど。これはしつける甲斐がありそうですね」
アメリーの答案を採点しながら教育係がぼそりと呟いた。
そして、イージーどころかお妃教育の日程を倍に増やされてしまった。
お妃教育が始まってからというもの、その過酷さをアメリーはディランに愚痴るようになった。
「見てください、このテキストの量。次の試験までに終わらせろっていうんですよ?マナーの練習もあるのに!あんまりじゃありませんか?」
「さあ、こんなもんじゃない?」
ディランは首を傾げた。
幼少期から次期国王として教育を受けてきた彼にとっては本気で大した量には思えなかったのである。
「ラフィーナだってそれくらいやってたよ。あ、そうだ、特訓でもつけてもらえば?あの子は教えるの好きだし、僕からのお願いだって言えば無碍にされないよ?」
「なんで私があの人に教えを請わなきゃいけないんです!?」
ディランはアメリーの剣幕に動揺しながら、頑張って穏やかな声を保つ。
「まあまあ、そんな怒らないで。美人が台無しだよ」
「こんな状況で笑えるもんですか!」
ディランは半笑いでアメリーの機嫌を取りながら、内心少しめんどくさくなっていた。
最近は会うたびにこんな会話ばかりだ。
せっかく正式な婚約者になれるチャンスが来たというのに、アメリーが喜んでいたのは最初だけで、すぐに文句や愚痴ばかりになった。
あんなに『秘密の場所』での逢瀬を待ち遠しく思っていたのに。不機嫌なアメリーのご機嫌取りばかりのこの時間を、今やあまり楽しいと思えなくなっていた。
(まあ、次のテストをパスすれば少しはマシになるだろ…)
ディランはあと少しの辛抱だと楽観的に捉えたかった。
◆◆◆
そんなある日。
ディランとアメリーは王妃と話す場を設けられた。
最近はディランに怒ってばかりだったアメリーも、この時ばかりは緊張と期待に胸を膨らませて王宮にやってきた。
並んで座った若い二人を前に、王妃は重々しく告げた。
「ディラン。あなたとラフィーナとの婚約解消が本日正式に受理されました」
「ついに!」
ディランは頬を緩ませた。
アメリーは緊張で笑う余裕もなさそうだが。
王妃は重々しい口調で続ける。
「この度の婚約解消はラフィーナの有責となり、公式文章にもそのように書かれる予定です。本件で、あなた方二人の名誉が傷つくことはありません」
「申し立てたのがラフィーナですし、当然ですね!」
「え、ええ!ラフィーナ嬢も最近『好い仲』の殿方がいらっしゃるようですし。本当は私を口実に婚約解消したかったんじゃないですかぁ?」
「コホン」
王妃の咳払いにアメリーはハッと居住まいをただす。
「あなたの発言を許した覚えはありませんよ、アメリー伯爵令嬢」
「あっ、ごめんなs…」
王妃が苛立たしげに椅子の手すりを指で叩くと、アメリーの声はしりすぼみに消えた。完全に委縮したアメリーをディランは見ることしかできない。
(これは大変ご立腹な時のお母様だ…。な、なぜ…?)
「あなた方に瑕疵が行かないようにという、ラフィーナたっての希望で彼女の有責になったんですよ?ディラン。このような形で婚約解消になることが、貴族の令嬢にとってどんな意味を持つのかわからないほど愚かに育てた覚えはありませんよ」
「し、しかしお母様。僕は婚約解消して欲しいなんて一言も…」
トンッ。
王妃の指が椅子を強く叩く。
「では、あなたが浮気しなかった場合でもあの子はこのような申し出をしたと思いますか?」
「お言葉ですが、僕はアメリーとの関係は学生時代で清算するとラフィーナに伝えました。政略結婚を惚れた腫れたでひっくり返したのはラフィーナです。彼女の気持ちがどうであれ、無責任だと言わざるを得ないかと」
「惚れた腫れた?」
(あ、しまった)
ディランは母親の虎の尾を踏んだことに気づいたが、もう遅い。
「ならば、この数か月、あなたは何をしていましたか?大陸有数のブドウ園から巨額の収入を得ている公爵家との縁が王家にもたらす利益を考えれば、婚約解消を静観することなんてできないと思いますが。惚れた腫れたの話ではないというのなら全力で引き留めるべきだったのではありませんか?」
ディランは言葉に詰まった。
「そ、それは…ああ、そうだ。婚約解消を申し立て中からアメリーへのお妃教育が始まったからですよ。彼女を次の婚約者候補として王宮が認めたからだと思ったんです」
「減らず口を……!この際だからもう言ってしまいますけれども、王宮がその娘を正式にあの子の後釜として受け入れたなんて事実はありませんよ」
「えっ、ならば一体どうして…?」
「…あの子の最後のお願いだからです。早めに始めなくては冬の大夜会に間に合わないだろうと。婚約解消後のあなたのことを案じてくれていたのに、あなたという子は……」
ディランの虹彩が揺れる。
「ラ、ラフィーナが?どうして…?」
王妃は呆れたように息をつく。
『それさえわからないのか』とばかりに。
王妃は鋭い視線をアメリーに向けた。
「いくらあの子からのお願いとはいえ、ノーテストで後釜に据えることまで約束しなくてよかった。アメリー伯爵令嬢、あなたは不合格です」
アメリーの喉がヒッと鳴る。
言い返そうと口をぱくつかせるが、その喉からは言葉が出ない。
「ディラン。彼女を王太子妃にするなんて現状容認できないのは愚かなあなたであってもさすがにわかりますね?」
「…はい」
「では、どうなるかもわかりますね?」
ディランは目を伏せた。
いくつか考えられる。
学園卒業後すぐを予定していた立太子の式典の延期は確実だろう。
アメリーのお妃教育の進み方次第では別の婚約者をあてがわれることも覚悟しなくてはいけない。
「あなたの今後の動き次第では廃嫡も検討していると陛下は仰ってましたよ」
「は…?廃嫡!?」
予想以上の言葉。
驚愕に固まるディランを王妃は冷たく見据える。
「たかが婚約解消と甘く見積もっていたのでしょう?そんな楽観主義で王が務まるものですか。わかったら精進することです」
王妃が立ち去ってからも二人はしばらく動けなかった。
ディランがふと隣を見ると、アメリーはうつむいて肩を震わせていた。
「あ、アメリー…」
「触らないで!」
アメリーはディランの手を振り払い、猛然と立ち上がった。
その顔は怒りと恥辱で真っ赤に染まっている。
「あの人のお情けでお妃教育を受けさせてもらった挙句、不合格…!?ありえない!」
「ちょ、落ち着いて…」
「ディラン様!なんであの人に私を愛妾として認めるように言ってくれなかったんですか!?婚約者がこんなに苦労するってわかっていれば、略奪なんて考えなかったのに!」
アメリーの支離滅裂なヒステリーにディランは絶句する。
「元々は学生時代で終わりにする約束で、お互い納得してただろ!?愛妾なんてどっから出てきた話だ」
「ただの伯爵令嬢に王子の正妻は荷が重いってわかってたんなら、言わなくても私を守ってくださいよ!」
恋人たちの醜い言い争いはいつまでも続いた。
(ラフィーナならこんなこと言わなかったのに)
顔を真っ赤にして自分を詰るアメリー。
醜く歪んだその顔に罵声を返しながら、ディランは猛烈に後悔していた。
(彼女の笑顔を手放して得たのがコレか)
◆◆◆
半年後。
放課後、いつもの教室。
私は進路希望の用紙とにらめっこしていた。
「おい、まだか」
ヴァルドは隣で律儀に私を待っていた。
「先に帰ってていいと言ったのに…!」
もうディランとの婚約は終わったから恋人のフリなんてしなくてもいいのに、ヴァルドは今日も律儀に私の傍にいてくれる。
ちら、と目を上げるとその灰色の虹彩とぶつかり、慌ててそらす。
なんだか最近、彼と目があうのが妙に恥ずかしい。
「ね、ねえ!ヴァルドは学園を卒業したらどうするの?」
「俺?辺境に帰るに決まってるだろ。小さい頃からそのつもりで生きてきた」
(小さい頃から…か)
私の夢はずっと『ディランのお嫁さん』だった。
(もうそれは叶わないけど……)
「逆にお前は何をそんなに悩んでるんだ?公爵家がなんかしら決めてるんじゃないのか?」
「あー…まぁ。…ヴァルドには言ってもいいかな。実はね、学園を出たら公爵家を出るの。公爵家の体裁があるから」
「…なら、ますます迷うことはないんじゃないか?」
「えっ!?」
「ラフィーナが望めばなんにでもなれるし、何でもできるわけだろ」
そんなこと考えてもみなかった。
婚約解消で好きな人も名誉も未来も自分から捨てたと思っていたけど、どうやら失ったものばかりではないらしい。
「…あなたって意外とポジティブよね。最初に赤点取った時も妙に余裕そうだったし」
「意外ととはなんだ」
ヴァルドがムッと頬を膨らませる。
この半年間で彼もすっかり表情豊かになったものだ。
私は第一希望の所に大学の名前を書いた。
「大学?」
「うん。私って結構教えることが得意だし、教員資格を取って教師にでもなろうかなって」
「お前らしいな」
あ、また笑った。鉄仮面らしからぬえくぼを見つめていたらまた目があった。
「なあ、ラフィーナ…」
ヴァルドの低い声が朗らかな声で遮られる。
「ラフィーナ!」
意外な相手の来訪にサッと背筋が凍る。
ディランが軽く手を振りながら、教室に入ってきた。
「ちょっと、手を貸して欲しいんだ!」
「ディラン!?」
親しく会話することなんて久しぶりなのに、ごめんも何もなく、ディランは自分の用件に入った。
「君も気にしてくれていただろう、冬の大夜会。アメリーの学習状況があまり芳しくなくてね…。外国の使節団もたくさん来るというのに、未だに隣国の地理さえおぼつかない有様で、とても表には出せないと方々からおしかりを受けてしまってね……君が代理で出てくれないだろうか?」
「えっと……」
言いたいことは色々あった。
しかし、ディラン本人を前にしたらその燻ぶっていた言葉たちはスッと消えていった。
残ったのはーー
「ディランっていつもそうだよね」
自分でも驚くほど静かな声だった。
「いつも?」
ディランはまだわかっていないらしい。
へらへらと笑いながらなおも自分の都合ばかり。
「なあ、助けてくれないか、ラフィーナ。君にしか頼めないんだ。弟の方もちゃんとした婚約者を同伴するって話でさ。僕の方が1人で参加するわけにはいかないんだ」
眉尻の下がったいつもの微笑み。
ああ、私はずっと気づいていたのかも。
ディランがこの顔をするときはいつも私にお願いをするときだった。いや、お願いですらない。真綿で包んだ強制だったって。
だってディランが求める答えはいつも決まっていたのだから。
『しょうがないなー』
なんて、言えなかった。
「それは私には関係ないかな」
「えっ…君までそんないじわるなことを言うのか…!頼むよ!このままじゃ俺…」
ディランの懇願をヴァルドが手で遮った。
「俺の『恋人』なんで。そういうのやめてください」
私はわざとらしくヴァルドの腕に抱き着いた。
「ごめんね。心変わりしたの、私」
そんな顔されても、もうダメ。
ディランに幸せになってほしい気持ちは変わらないが、そのために何かしてあげたいという気持ちは不思議ともう湧かなかった。
「ラフィーナ……」
ディランもようやくわかったようだ。
「無理言ってごめん」
一礼すると、背を向けて去っていった。
ディランの背中を見送り、私はヴァルドから離れた。
…不可抗力とはいえ、まだ胸に残るヴァルドの香りで鼓動が落ち着かない。
ヴァルドが低い声でぼそぼそと何かを聞いてきた。
「えっ、あ、なに?」
「だから、まだあいつのこと好きかって聞いてるんだ!」
(好き?)
自分の胸に問いかける。
あの顔とあの声でお願いされても私は折れなかった。それが答えだった。
「もう好きとかそういう相手じゃないよ」
「そうかそうか」
ヴァルドは何かをこらえるように口元を押さえた。
「ヴァルド?」
「なあ、ラフィーナ。王都を離れて辺境に来ないか?うちの領地にだって教員資格を取れる大学もある」
唐突な提案に一瞬理解が追い付かない。
私のきょとん顔にヴァルドはさらに畳みかけてくる。
「年中バラが見られる庭園もある。うちの領地の名産の一つだ。誕生日にもクリスマスにもバラを贈ろう。だから…」
「ちょ、ちょっと待ってヴァルド!恋人のふりは学生の間だけでいいんだよ?」
逃がさないとばかりに両肩を優しく掴まれて引き寄せられた。
視界に広がる灰色に言葉を奪われる。
「俺はずっと本気だった」
ヴァルドの真剣な熱が私の頬に伝播する。
心臓が痛いほどに高鳴って、もう笑う余裕なんてなかった。
投稿時に連載と短編の設定を間違えたので再度うpしました。評価・ブックマークしてくださった方、すいません。
改めて評価とブックマークをお願いいたします




