第32話:ウチ、強いねんで
「なぁ、何しとん? ウチに詳しい状況を教えて」
オーカはまるで般若の如き表情で言った。溢れ出んばかりの怒りの感情がまざまざと伝わってくる。
「関係ない。私はベール・ジニアスと話しているの。部外者は今すぐ出て行って」
「ベール・ジニアスにプロポーズしたウチはぜったい部外者やあれへん。これは一体どういう状況なん? どうして胸を触っとるん? なぁ、ベールはそれを望んどんの? ベールが望んでやっとる行為なん?」
オーカは氷のように冷たい口調で言い、僕に視線を向けた。望んでやっているわけない。僕はぶんぶんと首を横に振った。僕の反応を見たユーナは舌打ちし、ハニを鋭く睨みつけた。
「変態の外道が。よぉウチの大切な人に手を出したな。今すぐベールから離れて消え失せや。さもなくば実力行使に打って出る。これは最後通告やで」
「断る。まだベール・ジニアスとの話は終わってない」
「……分かった。残念やな」
オーカは姿勢を低くしたかと思うと、タックルするかの如くものすごい速さでハニに迫った。ハニは僕の手をさっと離したかと思うと、ポケットから銀色のナイフのようなものを取り出して高速でオーカに突き出した。
それが本物の凶器であることは一目瞭然だった。慌てて止めようにもハニの動きが速すぎる故に叶わない。というか武道の心得など一切ない僕に止められるとは思えなかった。オーカが殺されるかもしれない、という恐怖で僕の全身に鳥肌が立ったが、その心配は杞憂に終わった。
オーカはハニの凶行を事前に予測していたかのように、ぎりぎりまでナイフを引きつけてから躱し、ナイフを持つハニの腕の手首を両手で掴んだ。ハニの攻撃の勢いを利用し、オーカが滑らかに体を反転させながら両手を上に掲げると、まるで操られているかのようにハニの体も回転。オーカがハニの右側に回り込んだ、その刹那。
オーカはぐっと両手を下げ、捻った。すると次の瞬間には、まるで魔法の如くハニの体が空中で1回転し、ハニは思い切り床に叩きつけられていた。
「がっ……!」
ハニは痛みに顔を歪め、苦しげな声を上げた。オーカは懐から結束バンドのようなものを取り出したかと思うと、衝撃で仰向けのまま動けずにいるハニの手を素早く拘束した。さらに手を拘束したバンドを近くの水道管にくくりつけたバンドと結合させたことで、ハニを身動きが取れない状態に陥れた。
「ふう。手間かけさせへんでほしいわ」
オーカは何事もなかったかのように言い、両手をぶらぶらとさせている。
「す、すごい……」
思わず僕の口から声が漏れ出た。
オーカが今目の前で見せたのは、間違いなく武道の技の類だった。体の動かし方的に、合気道に通じるものがあるように感じた。
以前とある小説を書いていた時に、主人公が合気道で敵を撃退するシーンを描写するべく合気道の技を詳細に調べたことがあるため、なんとなく技の雰囲気や名前は分かる。オーカが繰り出した技は、合気道の四方投げに近かったような気がした。
「せやろ? ウチ、強いねんで。こまいからって油断しとると痛い目見るで」
オーカは明るく言い、にこっと笑った。
「え、あの、今のは一体……」
「今のはディラーミのアキシラっちゅう技やで。ディラーミっちゅうのは、古来より伝わる護身術のこと。ウチみたいに体がちまくて力も弱い人間が戦うための護身術やな。アキシラはその中でも基本の返し技。まだ王家を出る前に勉強の一環として無理矢理ディラーミを叩き込まれたから、今でも出来んねんで」
「ディラーミ……アキシラ……」
「おっと、無駄話をしてる暇はおまへんな。このクズ野郎をどないするか考えな」
オーカはそう言い、トイレの床に転がるハニを見下ろした。ハニはオーカを鋭い目つきで見つめている。
「邪魔しないでよ! もう少しでベール・ジニアスを落とせたのに!」
「邪魔するに決まっとるやん。ジブンがやっとんのは明らかなルール違反やで。恥ずかしないん?」
「恥ずかしいもクソもない! ルール違反でもなんでも、代表選手になれればなんでもいい! ベール・ジニアスを落とせさえすれば私が代表選手になれたのに! 王家から逃げ出したクズの分際で私の邪魔をしないで!」
王家から逃げ出した、クズ。どうやらハニはオーカの過去を知っているらしい。有名な話なのだろうか?
ハニの暴言を受けてもオーカは取り乱すことなく、「そのクズに負けた自分はもっとクズだって自覚あるん?」と返した。強い、と僕は思った。
「ああちくしょう! ふざけんな! クソ野郎! さっさとこの拘束を解け!」
「やかましいなぁ。さて、ベール、このクズをどないする? ウチは今すぐこのクズを運営本部に連行して、強制的に失格にしてもらおと思とる。ちゅうかそもそも殺人未遂やさけ、警察に連れて行かんならんな」
「……ま、待ってください。えっと、本部に連行するのはやめた方がいいと思います」
僕はおどおどしながらもはっきり言った。「はあ?」と言ってオーカは首を傾げている。
「何を言うてんねん? このクズはベールを誘惑して不正を働こうとしただけなく、ウチを殺そうとした。紛れもないクズや。まず運営本部に連行して、その後警察に突き出すしかないやん」
「気持ちはよく分かります。で、でも、ハニが不正を働こうとしたこと、そしてオーカを殺そうとしたことの証明は出来ません。証拠がないからです。僕とオーカの記憶だけでは証拠と呼べません。故にハニに罰を与えることは出来ないので、本部に連行しても意味がないと思います」
はっ、とオーカは息を呑んだ。「……たしかに」という呟きが後に続く。
「むしろ、本部に連れていくのはハニの思う壺になっている可能性があります。えっと、本部に連れて行かれた時、例えば暴れたり、虚偽の事実を拡散したりして僕やオーカに危害を加えようとする可能性もあります」
「……さよか、なるほどな……」
「なかなか頭が切れるじゃん。さすがは英雄ベール・ジニアスだね」
床に転がるハニはそう言い、不敵な笑みを浮かべた。その反応を見るに、わざと本部に連れて行かれてそこで暴れる作戦を立てていたようにも見える。
「そのチビに超ムカついたから、わざと本部に連れて行かれてそこで騒いでチビを道連れにしようと思ってたのに……上手くいかないね。頭がいい人を騙すのって難しいや」
「……ジブン、ホンマに何なん? 頭がおかしいとしか思えへん。ジブンみたいな人間は代表選手になる資格はおまへん」
「どうとでも言えばいい。私は私が正しいと思うことをしただけ」
オーカとハニは鋭く睨み合っている。その様子を僕ははらはらしながら見守っていた。
その時、ぐうう、と僕のお腹が鳴った。そうだ、お昼。ユーナと一緒にお昼ご飯を食べることになっていたのをすっかり忘れていた。
「……あ、あの、オーカ」
「どないしてん?」
「ごめんなさい、こんな状況でこんなことを言うのは間違ってるのかもしれないけど、ユーナとお昼ご飯を食べる約束をしていて……」
オーカは分かりやすく唇を尖らせ、不満げな表情を浮かべた。
「ずっこいわ、ユーナとランチデートなんて。ウチと一緒に食べようや」
「あ、えっと、そう言っていただけるのは嬉しいんですけど、先にユーナと約束したので……」
僕の言葉を受け、ふん、とオーカは不満げに鼻を鳴らした。
「しゃあない、今日は見逃したる。ほんで、このクズはどうしたらええと思う?」
「そうですね……解放してあげればいいんじゃないでしょうか」
「解放!? 折角ウチがこのクズを拘束したのに!? 解放してええん!?」
「この人は一応次の対戦相手ですし……この人がいないと、その、テートルが出来なくて大会の進行に支障が出ると思うので」
「そら分かるけど……こんなクズを呆気なく解放してええんかな……?」
オーカは納得いかない様子だ。オーカの気持ちはよく分かるが、ここでハニを拘束し続けて良いことが起きるとは思えない。仮にここに人が来て、その瞬間「助けて! この2人に乱暴されて拘束された!」とかハニに騒がれたら非常にめんどくさい。素早くハニを解放して、ここから移動するのが好手と僕は考えた。
僕はなんとかオーカを説得し、最終的にオーカはハニの拘束を解除した。「私を投げ飛ばしたこと、許さないから。このクソチビ」という捨て台詞を残して、ハニは逃げるように立ち去っていった。
「あ、あの、その、ありがとうございました」
トイレから出た僕は、傍のオーカにそう声をかけた。
「例を言われる筋合いなんてあれへん」
「いや、もしオーカが助けに来てくれなかったら、どうなってたかと思うと……情けないです……僕は男なのに……ハニに近寄られても抵抗出来なかったし……本来なら自分でなんとかしないといけなかったと思うんですが……」
しゅんと肩を落とす僕を見て、オーカは「しょうもない考え方やなぁ」と呆れたように言った。
「男だから、女だから、せやさかい何なん? 困った時はお互いに助け合ぉたらいいだけの話やで。さっきはベールがピンチやったからウチが助けた。それだけやん。次はベールがウチを助けてくれればそれでええ」
「それは……そうですけど……」
「何やねん。あ、せや、やったら助けたったお礼にウチのお願い1つ聞いて欲しいんやけど」
「え……?」
「あーちゃうちゃう。プロポーズやあれへん。そらさっきしたやろ? 今からするのは別のお願いやで! この大会が終わったら、ウチとデートしてほしいねんで!」




