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第31話:快楽に身を委ねちゃいなよ

「貴方がやっているのは、弱者を蹴落とす極悪非道の行為です。貴方さえいなければ、私は勝ち上がって代表入りすることが出来た。特別報酬を手に入れることが出来た。家族にいい思いをさせることが出来た。貴方の行動が、存在が、周りの人に迷惑をかけている自覚はないんですか?」


「…………!」


 ガークラは食い込む爪に力を込めながら、冷たい口調で言った。僕は目を見開き、息を呑んだ。


 そんな。僕は、リーロやイリメに頼まれたから代表選抜大会に参加したのに。正当な手順を踏んで代表選手にならないと皆から反感を買う、という筋の通った理由を元に参加してるのに、そんなことを言われるなんて……。


 正式な手順を踏まなくても反感を買い、正式な手順を踏んでも非難される。思えば昨日ヤンキルにも同じようなことを言われていた。じゃあ僕は一体どうすればいいんだ……?


 ガークラは手を離し、後ろに下がった。釣られて僕も後ろに下がる。痛い。ガークラの爪で傷つけられた箇所が痛い。そして批判を浴びたことで心が痛み出した。


 傷ついた箇所には僅かに血が滲んでいた。僕は咄嗟にその箇所を左手で隠した。こんなところを周りの人に、特にユーナに見られるわけにはいかない。仮にユーナに見られた場合、恐らくユーナは怒ってしまうだろう。その事態は避けたかった。


 ガークラが僕を傷つけた様子を確認出来ていた可能性があるのは、角度的にジャッジマシンとその傍の監視役の男だけだろう。確認していたとして、何も言わなかったのは何か理由があるのだろうか。


「ベール様、お疲れ様でした。圧勝でしたね。次の準々決勝のテートルで勝てば、晴れて代表入りです。引き続き頑張ってください。応援してますからね」


 テートルを終えた僕をユーナは優しく迎えてくれた。「……ありがとうございます」と僕は無理矢理笑顔を作って返した。ガークラに傷つけられたことを悟られたくない。


「えっと、す、少し疲れたので、1人で休憩してきます。次のテートルが始まるまでには戻ってきますから」


「え、1人で? 昨日同様今日もお昼ご飯を作ってきたので、一緒に食べましょうよ」


「あ、お、お昼ご飯は食べます。食べます。その前にちょっとだけ、1人で休憩したいんです。えっと、少し休んだら昨日お昼を食べた場所に向かうので、そこで待っていてください」


「そうですか……分かりました。昨日と同じ場所で待ってますね。って、あれ? 右手を左手で押さえてませんか? なにかあったんですか?」


 僕が傷つけられた箇所を左手で隠しているところを、ユーナは見逃さなかった。まずい。このまま追及されるとバレる。


「あ、ああ、えっと、ちょっと擦りむいただけですよ。大丈夫です。で、では休憩に行ってきますので、また後で」


 そう言い、僕は足早にリングを降りて会場を後にした。「ベール様、待ってください!」というユーナの叫び声が背中にぶつかったが、僕の足は止まらなかった。この傷はユーナに見せちゃ駄目だ、と確信していた。


 ひたすら歩き、ユーナから距離を取り、トイレを見つけてその中に駆け込んだ。蛇口のハンドルを捻り、出てきた水で傷口を洗う。鋭い痛みが走った。


「いっ……たいな……」


 痛みに耐えながら傷口を洗浄し、ハンカチで水を拭いた。消毒をしたわけではないが、まあこうしておけば大事に至らないだろう。


「はあ……こんなことになるなんて……」


 僕は呟き、溜め息をついた。中学生でプロの小説家になり、ネット小説の世界で沢山の作品を投稿してきた僕は、活動を続ける中で世界には様々な人間がいることを学んでいた。


 どうやっても自分とそりが合わない人、相性が悪い人、自分を受け入れてくれない人は確実に存在する。人間である以上それは避けられない。万人と仲良くすることは不可能なのだ。


 ヤンキル、そしてガークラは、自分と相性が悪い人間だった、と結論づけて気持ちを切り替えるべきなのだろう。僕は、自分が代表選抜大会に参加しているのが間違っているとは思わない。ちゃんと正当な理由を以て、この国で1番偉いリーロに頼まれたから、ユーナに頼まれたから、参加しているのだ。


 しかし、あいにく僕はそこまで心が強い人間ではない。こういうことはそれなりに引きずってしまうタイプだ。昨日のヤンキルの言葉、そして先程のガークラの言葉が脳裏に焼き付いて離れない。


「……戻るか」


 1人でいるのはきっと得策じゃない。戻って、ユーナと一緒にご飯を食べよう。自分を心から応援してくれているユーナと一緒にいれば、きっと気持ちが上向くはずだ。生きている上で心にダメージを受けることは避けられない。大事なのは、どう受け流すか、そしてダメージをどう回復するか、だ。


 ユーナが待つ場所で戻ろうと足を動かしたその時、トイレの扉が開いた。トイレを利用する男の人が来たんだな、と思い僕は足を止めた。しかし予想に反して、入ってきたのは女性だった。


「え……?」


「貴方、ベール・ジニアスよね? 私はハニ・ストミラード。貴方と準々決勝で当たる相手だよ。どうしても貴方に話したいことがあるの」


 目の前に佇むハニ・ストミラードなる人物は、どこからどう見ても女性にしか見えない。身長はユーナと同じくらいで、濃紺のドレスのような服を見に纏っている。胸がとても大きく、さらに服が、胸の大きさを強調するようないやらしい作りになっているため目のやり場に困る。童貞にその服はちょっと刺激が強すぎる。


 顔はそれなりに整っている。紫色の髪はポニーテールのような髪型にまとめられていた。年齢は見た目的に35歳、いや3500歳くらいだろうか? ユーナよりも年齢を重ねていることは一目瞭然だった。


 って、これはどういう状況だ? ここは男子トイレだよな?


「ねえ、聞いてる? どうしても話したいことがあるって言ってるじゃん。反応してよ」


「……え、あ、すいません、ちょっとびっくりしちゃって……」


 視線を逸らし、しどろもどろになりながら僕は言葉を返す。何なんだこれ、今何が起きているんだ……? 謎の女性、ハニは出口を塞ぐように立っているためトイレから出ることが出来ない。


「ふーん、まあいいや。じゃあ単刀直入に言うね。取り引きをしない? 私と」


「と、取り引き……?」


「そう。私は様々な事情でどうしても代表選手になりたい。でも、代表入りをかけた準々決勝の相手はよりにもよって貴方、英雄ベール・ジニアス。文階12000超えの怪物には逆立ちしたって勝てない。だからこそ取り引きをしたい。私のために、次の準々決勝でわざと負けてほしい。負けてくれたら私は貴方の女になる。約束するよ。私の体、好きにしていいんだよ。どう? この取り引き、悪くないと思うんだけど」


「え……な……な……なにを……」


 ハニの言っていることは頭では理解出来たが、決して理解したくない自分がいる。


 つまりハニは、代表入りを勝ち取るために色仕掛けをして、八百長で負けてくれないかと僕に頼んでいるのだ。


 何て酷い行為だ。ありえない。そんな不正は絶対に駄目だ。そう理性が叫んでいながら、悲しいかな、僕はハニの体から目を離せなかった。魅力的な女体を目にすると善悪の垣根を超えて目が離せなくなってしまう、童貞の悲しい性だ。

 

「私の体、エロいでしょ? 顔ではユーナ様には絶対に勝てないけど、体なら勝負出来る。どう? この世界に来て、まだ気持ちいいこと1回もしてないでしょ? 私にわざと負けるだけで、私を一生好きに出来るんだよ? 嬉しいでしょ?」


「……いや……そんな……そんなこと……」


「私は神話の本を読み込んでるから事情は分かってる。ユーナ様と毎回イチャイチャしてるんでしょ? それで呪いを解除して文才を取り戻してる、そうよね? 貴方たちの感じからして、してるのはせいぜいハグくらいでしょ。私は積極的だよ。貴方のしたいこと、何でもする。どんなハードなこともやるよ。私ともっとエッチなことをしたら、貴方の文才はもっと跳ね上がるかも。ほら、快楽に身を委ねちゃいなよ」


 頬が、体が、熱い。


 嘘だろ、まさかこんなことになるなんて。


 やめろ、それは駄目だ、ユーナのことを思い出せ、と理性が絶叫した。そこで僕は拳を握りしめ、ぎゅっと目を瞑って一歩下がった。


「……ふーん、この程度じゃなびかないんだ。じゃあこれならどう?」


 こつ、こつ、というハニの足音。ハニが僕の手に触れたのがわかった。僕の右手をそっと持ち上げている。すぐに押し退けて逃げればいいのに、まるで石像のように僕の体が動かないのは、僕が童貞だからなのだろうか?


「っ……!」


「どう? 大きいでしょ」


 ハニは僕の右手を自身の胸に押し当てた。柔らかい。慌てて僕は手を離そうとするも、ハニの力が予想以上に強く、離せない。


「冷静になって考えてみてよ。1回負けるだけ。たったそれだけで、私みたいなエッチな女を奴隷に出来るんだよ? 何をするのが得か、頭のいい貴方なら分かるでしょ?」


「い、いや……そんな……それは……!!」


「何しとん?」


 勢いよく扉が開き、同時に飛び込んできた聞き覚えのある声。そこには、怒りの形相を浮かべたオーカが佇んでいた。

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