第3話:とにかくおもろい小説を書け!
もしかしたらこのユーナという美女は、異常者なのかもしれない。
僕の中でその疑念が浮かび、どんどん大きくなっていく。
目が覚めたらいきなり僕を抱き起こしていたし、勝手に僕の手を握って走るし、ハグしてください、と言い出すし。どう考えても普通ではない。
「ちょ、ちょっとベール様……無視するのはやめてください……私、今、死ぬほど恥ずかしいんですから……」
顔を真っ赤にしたユーナは体をもじもじさせながら、上目遣いで僕を見つめた。
とくん。
再び僕の心臓が跳ねた。
ちょ、ちょっと待て! その表情はヤバい! エロすぎる! 童貞には刺激が強すぎるって!
「ゆ、ゆゆ、ユーナ様! きゅ、急に何を言い出すんですか!」
「は、ハグ!? まさかこの男とハグをするつもりですか!? そんなうらやま、いや、駄目です! おかしいです!」
「呪いとハグがどう関係してるというんですか! 説明してください!」
3人の男は俄に騒ぎ始めた。どうやら僕同様に混乱しているらしい。
「え、知らないんですか? ベール・ジニアス様は降臨と同時に文才が弱体化する呪いにかかっているので、呪いを解除して文才を取り戻すためには美女がハグをする必要がある、とパーブルー神話に書かれていたじゃないですか」
「知りませんよそんなこと! 私が読んだ本には、呪いがかかっている、とだけ書かれていて詳細には書かれていませんでした!」
リーダー格の男は慌てた様子で言葉を返す。
「あら、本の中身が違うんでしょうか。とにかくそういうわけなんですよ」
「いやいやいや! 待ってください! そんなのおかしいです! 大体どういう原理なんですか、ハグをしたら文才が元に戻るって!」
「私はその記述が間違っているという説を提唱します! そもそも呪いなんて存在するかすら怪しい!」
「その通り! とにかくユーナ様とハグなんてさせない! 絶対に! そんな羨ましいことをさせてたまるか! ユーナ様は皆のものなんだぞ!」
3人の男は鼻息荒く叫ぶ。言葉の端々から下心のような何かが滲み出ているように聞こえるのは気のせいだろうか。
一体何が起きてるんだ? 訳が分からなすぎて頭が痛くなってくる。壮大なドッキリを仕掛けられているのだろうか? ドッキリだとしても僕にドッキリを仕掛けるメリットが分からない。
「……ベール様、そんなに私を焦らしたいんですか?」
ユーナの声が聞こえ、僕はユーナに視線を向けた。そして息を呑んだ。ユーナの青い瞳にうっすらと涙が滲んでいたのだ。
「え、え!? な、な、何で泣いてるんですか!?」
「だって……だって……私が勇気を出して、ハグしてくださいって言ったのに、答えてくれないじゃないですか……ひどいです……」
ユーナの声が俄に涙声になっていく。
ちょ、は!? 答えてくれないも何も、そもそも貴方の発言がおかしいじゃないか! 初対面の僕とハグをしたいって何なんだ!? そういう性癖なのか!? 痴女なのか!?
「あ! ユーナ様を泣かせたな!」
「おいお前、いい加減にしろ! ユーナ様を泣かせるなんて許さないぞ!」
「そうだそうだ! 今すぐ何とかしろ!」
3人の男は俄に怒りを露わにしている。
何とかしろ、って言われても……。
ユーナは上目遣いで僕を見つめている。さらに両腕を僅かに広げていた。本気でハグをしたいらしい。
待て待て待て! おかしい! おかしいって!
『童貞のお前があんな美女とハグ出来るなんて幸運だ、内なる欲望に従え、行け』
僕の中の悪魔がひそひそと囁く。
『初対面の女性とハグなんておかしいよ! 警察に捕まっちゃうよ! 気持ちはわかるけど冷静になって、文永龍之介!』
僕の中の天使が声高に叫ぶ。
混乱。動揺。緊張。恥ずかしさ。様々な感情が洪水のように押し寄せ、僕は半ばパニックになっていた。そんな僕の中で悪魔と天使は戦った。
勝ったのは悪魔だった。
一歩、また一歩、急激な体温の上昇を感じながら僕はユーナにおずおずと近づいた。ユーナの顔が、ぱああ、っと輝いたのと同時に、3人の男が一斉に「あーっ!!」と叫んだ。
「おいおいおいおい! まさかユーナ様とハグをするつもりか! そんなことは許さないぞ!」
「あ、えっと、何とかしろと言われたので、要求に従うべきなのかと……」
「駄目だ駄目だそんなこと! 許さん!」
「え、じゃあやっぱりハグしない方がいいんですか……?」
僕が一歩下がると、ユーナの顔が、しゅん、と俄に暗くなった。「あーっ!!」と再び3人の男が叫ぶ。
「またユーナ様を悲しませたな! いい加減にしろ!」
「え、じゃあどうすれば……」
「ハグはするな! でもユーナ様は悲しませるな! なんとかしろ!」
無茶苦茶だ。僕は思わず溜め息をついた。
「…………ベール様…………」
絞り出すようなユーナの声。視線を向ける。ユーナの目からは一筋の涙がこぼれていた。
「そんなに……そんなに私とハグをするのが嫌ですか……? そんなに私のことが……嫌いなんですか……?」
どくん、どくん、心臓が早鐘のように脈打つ。
反則だ。
その表情、声音、あまりにも反則だ。童貞相手に、いや童貞じゃなくても、これほどの美女にこんな態度をとられて無視出来る男なんていないだろう。
……しょうがない。何もかも意味不明だが、言うことを聞くしかないようだ。
ゆっくり進むと途中で躊躇してしまうかもしれない、と思い僕は早足でユーナに近づいた。思えば母親以外の女性とこういうことをするのは初めてだ。緊張する。
3人の男が何かを言っているが、よく聞こえない。緊張のあまり聴覚がバグってしまったのか。ハグする意思を固めたのが伝わったのか、ユーナはふっと笑みを浮かべた。
すぐ目の前に、超絶美女がいる。ありえない状況に緊張が止まらない。ハグを要求したユーナはしかし、自分から抱きついてくることはしなかった。こういうのは男からリードするべきなのか。童貞には少々荷が重いがやるしかない。
「……え、えっと、その……ハグ、しますね」
「……はい」
ユーナの頬は赤く染まっていた。自分からハグを要求しておいて何でそんなに恥ずかしそうにしてるんだろう。
僕は一歩前に出て、両腕を広げ、ユーナの体を優しく抱きしめた。なんだか柔らかくて、温かい。いい匂いがする。
「はああ…………」
家族以外の人との、初めてのハグ。僕は多幸感に包まれていた。なんだか体が、心が、温かい。ハグってこんなに素敵な行為だったんだ。初対面の人とハグしてるという意味不明すぎる状況なのに、何で僕の心はこんなにも満たされているんだろう。
その時。
雷に打たれたかのような衝撃が全身を包み込み、びくん、と僕の体が震えた。
頭が痛い。頭がぐるぐるぐるぐる回ってる。何かが、ものすごい勢いで僕の頭の中に入ってきている。
「う……あ……ああ……なんだこれ……」
「あ、今文才が戻ってるんですね! やったぁ!」
僕を抱きしめるユーナはさぞ嬉しそうだ。何が、やったぁ、だ。僕は未体験の感覚に恐怖している最中なのに。
頭痛、そして頭がぐるぐる回る感覚は5秒ほどで消え失せた。
違いにすぐ気付いた。
頭が、まるで晴れ渡るようにすっきりしている。なんだか心地がいい。上手く表現出来そうにないが、先程までと全く違う。全てが違う。例えるなら、2徹明けでふらふらの頭と8時間ぐっすり眠った後の頭くらい違った。
「何なんだ一体……」
「ベール様、どうですか? 文才を取り戻した感覚はありますか?」
「取り戻したというかなんていうか……先程とはまるで違う感じはしますが……」
「ならおそらく成功ですね! よーし、それではテートルといきましょう! 離れますね!」
「あ、はい……」
ユーナは僕からそっと体を離した。ハグを終え、改めてユーナとした行為の内容を実感し、かあああっと僕の顔が赤く、熱くなった。
してしまった、初対面の超絶美女と、ハグを。僕は夢を見ているのだろうか?
「き、貴様……!ユーナ様とハグをしたな……!」
「誰しもが憧れている行為を、見せつけるようにしやがって……!」
「許さない……! 絶対に許さない……!」
3人の男は、憎悪、という言葉を体現したかのような表情を僕に向けた。要求されたことをしただけなので、そんなことを言われても困る。そもそもユーナを悲しませるな、と言ったのは貴方たちじゃないか。
「アツアツやなぁ! 落ち着いたみたいやし、ぼちぼちテートルを始めまひょか!」
ジャッジマシンなる謎の物体はぴょんぴょん飛び跳ねながら明るく言った。そもそもこれは一体何なんだ?
「まずはテートルについて説明するで! テールクショントーリー・コンバトル、略してテートルちゅうのは、お互いの文才をぶつけ合ぉて戦う真剣勝負のことや! 文才を発揮してよりおもろい小説を書いた方が勝ち! 分かりやすいやろ?」
文才をぶつけ合う。真剣勝負。
意味すぎる状況が続いているものの、文才、という言葉に僕の体がぴくっ、と反応した。その言葉に反応しないわけがなかった。
「えっと、つまり、ボクシングは殴り合って勝敗を決めますけど、そのテートルというものの場合は小説を書いて勝敗を決めるってことですよね?」
意味不明な物体が放った意味不明であるはずの言葉を、すんなりと受け入れた上で逆に言葉を返している自分に自分で少しだけ驚く。小説家としての血が騒いでいるのだろうか?
「ぼくしんぐ、ちゅうのはよう分からんけど、まあそないな感じやな!」
「分かりました。あ、面白い小説を書いた方が勝ちって言ってましたけど、具体的にどうやって審査するんですか? 構成が巧みなのか、会話が面白いのか、地の文の書き方が上手なのか、情景描写が上手いのか、伏線の貼り方が上手いのか……色々評価の基準がありますし、そもそも何を面白いと感じるかは人それぞれですよね?」
小説に関することになると、少し饒舌になるのは昔から変わっていない。僕の問いに対して、ジャッジマシンは「ええ質問やな!」と明るく返した。
「ベールはんの言う通り、要素はぎょうさんある。せやけど審査基準はたった1つやで。『とにかくおもろい小説』、これだけや! おもろければ何でもええねんで! 全てを出し切って自分の『おもろい』をぶつけたら道は開けるはずやで〜」
面白ければ、何でもいい。まるで毎年12月に行われる漫才頂上決戦みたいだ。
審査基準が雑、と言えばそれまでだ。説明になってないとも解釈出来る。
しかし僕の心はふつふつと燃えていた。やってやる。僕は今まで、とにかく面白い小説を書くために努力してきたんだから。
「分かりました。えっと、具体的なルールを説明してもらえますか?」
「まずはモードを選択すんねん。テーマ無しモードとテーマ有りモード。テーマ無しモードは、文字通りテーマを指定せんと自由に書く。一方、テーマ有りモードはテーマを指定して書く。ワテが無作為に1個から3個のテーマを選ぶ感じやな」
「なるほど……それで、今回はどっちのモードにするんですか?」
「ワテは別にどっちゃでもええで。好きなモードを選んだってや」
どっちでもいいと言われると逆に困る。初めてなので勝手が全く分からない。
「あの……どうしますか? どっちのモードがいいですか?」
3人の男に僕はおずおずと声をかけた。
「相手に選ばせるのか。随分余裕だな」
リーダー格の紫色の髪の男が一歩前に出て口を開いた。
「あ、いや、余裕というか、勝手が分からないだけで……」
視線を逸らしながら僕は言葉を返す。
「ふん。ならテーマ有りモードだ。俺が得意なモードで叩き潰してやる」
男は自身ありげに言った。どうやらこの男が対戦相手になるようだ。
「了解や! 今からテーマを決めるわ、いくでいくで〜!」
ジャッジマシンは立方体の角を視点にしてぐるぐると回り始めた。やがて静止し、「今回のテーマはこれやで!」と言い放った。
「龍! 龍や! 今回のテーマは龍1つだけやで〜!」
「龍、ですか……えっと、龍がテーマなら、どんな小説でもいいんですか?」
「勿論やで!」
ジャッジマシンは笑顔の絵文字を僕に向けて明るく言った。この謎の物体はどういう原理で動いて声を出してるんだろう?
龍。龍か。どんな小説を書こうか……と思ったその瞬間。
『テーマは龍。主人公は美少女にして、龍に出会う、的な……美少女は内向的な性格だけど、龍と出会って性格が変わっていく、みたいな……最初は龍の体が小さいけど、徐々に大きくなっていく感じで……龍は邪悪な存在とされていて……』
まるで僕の頭の中に、湯水の如く大量にアイデアが湧き上がった。




