第一章──所属騒動②
□所属騒動②
「そこの君、黒田彩夏と何を話しているんだ!」
不意にシャール少佐の大声が響いた。
ペーターセン少佐との口げんかを切り上げ、こちらに矛先を転じたらしい。
怒鳴られた修道女は口角の端を軽く吊り上げ、不敵な笑みを少佐に返す。
「別にたいしたことでは。歴史概況の説明です」
「本当か、彩夏?」
じろりと睨むシャール少佐に俺は愛想笑いと共に応じた。
「はぁ。欧州各国がドラゴンを中核戦力とする軍隊を誕生させた、という感じの説明を受けました」
「というわけで先を続けます、よろしいですねシャール少佐」
「まあいいだろう。聞いてやる」
「では続きを。ドラゴンナイトの大半が少年少女だった事が事態を複雑にしました。各国はドラゴンナイトを取り込むため然るべき地位、階級を彼らに与え、十代半ばで尉官に就任した軍人が次々と誕生、彼らの部隊は各国で『パンツァードラゴン』と呼ばれるようになった」
「大変ですね。子どもにかしずく大人たちは」
「ドラゴンナイトの適正を持つ子どもは八〇万人を検査して一人出るかと言われ、我がデンマークでも乗り手は二人しかいません。だから各国は……」
「ドラゴンナイトの少年少女たちを奪い合っている」
「そこにリンデベルン王国のつけいる隙があったと言えます。まず、目端の利く少年がリンデベルン王国にドラゴン毎亡命し、リンデベルンは受け入れた。ここは元々、一九世紀までは傭兵業が盛んでした。そこでリンデベルン王国は『ドラゴン傭兵部隊』を立ち上げたのです。ドラゴンを抱える者たちはこの傭兵部隊に加入、部隊本部はリンデベルン王国首都ベルン。ドラゴン傭兵の力を借りたい国家、もしくは個人は本部に契約金を払い、傭兵団を借り受けるという仕組み。今やリンデベルン王国は欧州最大のドラゴンナイトを有する小さな軍事大国です」
「概略はおおむね判りました。参考になります、修道女さん」
「訂正するわ、彩夏君。私、修道女ではなく、本イースコウ基地副官アンネ・アヌセン大尉です」
デンマーク空軍って、副官の制服が修道服?
「誰の副官なわけ?」
「基地司令です。司令は高官軍事会議に呼ばれ、お出かけ中。こちらは予定通りドラゴンナイトの召喚儀式を私が中心になって実施中、君が精神転移してきたのですよ」
「それでストレッチャーに乗せられ、いきなりドラゴンの中に放りこまれたのか」
「それを仕切ったのがペーターセン少佐だった。どう? だいたい記憶と合致して来たでしょ」
そうだ。
ドラゴンへの搭乗、『融合』と『分離』の意味、その辺、何が起きているかも聞かないと……。
こちらの想いをよそにシャール少佐がこちらをじっと見つめる。
な、なんだ、この違和感は?
教育実習生時代、悪ふざけで『告白』を仕掛けてきた女生徒みたいな目つきをしているぞ。
おじさんに見つめられていい気分のはずがない。
微かなこちらの意志は伝わったらしい。シャール少佐は微かなため息と共に乾いた声で言った。
「黒田彩夏……の身体に宿る精神体、鳥飼理人の身柄については、本国傭兵団とデンマーク軍との間で協議が必要になると思うが……今は我々の尋問を受けてくれ。君が元いた世界についても聞きたいからな」
「これから尋問? 明日にしてもらえませんか」
俺はさすがにゲンナリした顔を向けた。続ける。
「今日一日、色々なことがありました」
「そうだな」
「無理矢理戦闘機のコクピットに押しこめられ、ドラゴンと融合し、ゲルマニアの戦闘機と戦い、一二機撃墜して……乗っているその人たちを殺しました」
「うむ。最初の実戦をよくぞしのいだと思う。たとえドラゴンの方が圧倒的に有利であっても、無抵抗なら話は違っていた。君は、あくまで自分の身を守ったに過ぎない」
そう言ったシャール少佐は鷹揚にうなずいて見せた。
この考えは、軍隊でよく使われるロジックの一つだ。
敵を殺すのではなく、自らの身を、もしくは仲間を守るため、敵に銃を向ける、という考えは。
これをざっくりと言えば『やらなきゃ、やられる』という話に還元される。
俺はこれ以上の追求を避けるため、敢えて反論はしなかった。
民間人だったのに人殺しをした、云々応ずれば、こちらがどの時代からやってきたのか話さざるを得なくなる。
俺は初手からその点に激しい危機感を感じていた。
なぜなら彼らは『これまでの精神転移体はいずれも過去から来た』と語っていたからだ。
時期は一二~一七世紀、過去から現在への転移が前提で、未来から過去はどうやら実例がないらしい。
それが事実なら、未来から転生した自分の存在は……どうなる?
未来から来て、歴史概況は(ドラゴンという巨大な変更点こそあるものの)明らかに第二次世界大戦ベース。
国名の違いは些細な要素。
ドイツをゲルマニアと言い換え、イギリスをブリタニア、ソ連をロシア連邦、スイスをリンデベルンと言い換えたに過ぎない。実際に詳しい説明を受ければ違いが顕になる部分はあるだろうが、根本的な違いには思えない。
ということはだ。
俺は、この世界でただ一人、この欧州大戦の最終結果を知る人間という事だ。
すなわち戦争の勝敗を知っている。
何がポイントで、転換点がどこかも知っている。
それを素直に話したら……最後だ。
拷問、自白薬、あらゆる手段を駆使し情報を搾り取られ、最後に待っているのは恐らく生体実験の類だ。
ナチスならそれくらいの事は平気でやる。
連合軍も油断はできない。
目的のために手段が正当化されるのはいずれの軍事機構でも起こりえる。ナチ、連合軍ともに例外はない。
俺の沈黙を一種の内省と受け取ったのか、シャール少佐は口調を緩めた。
「とはいえ、突然の戦闘で混乱するのは当然だな。何か、希望することはあるか?」
「質問が幾つかあります」
「うむ。聞こう」
「俺が……というより、この身体の主、黒田彩夏が傭兵団にいる理由は?」
「日本から伝をたどってやってきた、としか聞かされてない」
「本来の彼はドラゴンを使えるのですか?」
「黒田彩夏は戦闘機パイロットの枠で傭兵部隊に所属した。ドラゴンナイトの適正はない。ついさっきまではね」
「俺──鳥飼理人が精神転移してからすべてが変わったと言うわけですか。黒田彩夏の精神、意識はどうなったのです?」
「過去の先例から言うと、恐らくどこかに消えてしまったはずだ。我々はそれを『上書き』と呼んでいる」
「黒田彩夏が傭兵団に入った理由はわかりますか?」
「知らん。隊員個人の事情には踏みこまないのが傭兵団の鉄則だ。こちらからも一つ質問していいか?」
「いいですよ」
「君は、いつの時代から来たのだ?」
俺は微かに深呼吸した。
ここから繰り出す一手次第で、俺の運命は大きく変わる。
結果がどう出るかは今後の駆け引き次第だ。
俺はかさついた唇を微かに舐め、乾いた声で言った。
「自分が暮らしていたのは一九二〇年の日本です」
「なに?」
「二〇年前だと?」
顔を見合わせたシャールたちは、一斉にため息をついた。
「驚きだ」
「まさに驚愕ですね」
「これまでの精神転生では最短時代かもしれんな」
「今日はここまでにしよう。まずはゆっくり休め、彩夏」
踵を返そうとする少佐を俺は呼び止めた。
「待ってください、少佐。この身体──黒田彩夏の家族、親族と至急連絡を取って欲しい。俺も“俺の身体が”ここにいる経緯を知りたいですからね」
「わかった。本部を経てその辺の交渉はできる。夕方には食事をここに運ばせるから、暫し休め。いいな」
そう言って三人は部屋を出て行った。
扉の閉まる音を聞き、俺はほっと小さくため息をついた。
この身体の本来の持ち主、黒田彩夏の精神は消えてしまったらしい。半分は予想がついていたが、いざそう言われると何とも後味が悪い。一人の人間の心が、身体の中から消えてしまったのだから。
俺はこの問題を深く考えるのをいったん止めた。考えてもしかたのないことだからだ。
次の問題に移ろう。
二〇年前の過去から来た……そう嘘をついたのは、ある種の冒険であり、チャレンジだった。
同時に安全策でもある。
というのは、俺には中世期の知識などろくにないからだ。中世期から来たと応じ、更なる質問が来たらまともに答えられるか?
日本に変換し、戦国時代から来たと称したらどうなっていたか?
当時の侍や農民の作法、いでたち、時代風俗等、質問の山が来たら最後だ。ろくに答えられず、自ら墓穴を掘る。
だから二〇年前の日本から精神転移したと嘘をついた。
二〇年前なら一九二〇年。時代風俗も現在──一九四〇年と大差ない事は想像がつく。歴史概況その他、手持ちの知識である程度切り抜けられるだろう。
俺はベッドから半身を起こし、周りを見回した。
事務机とカレンダー、それに簡易ベッドだけの簡素な部屋だ。もしかしたら士官用の当直室かもしれない。医務室の類でないのは見て取れる。
俺はベッドから降りた。
リンデベルン傭兵団の制服とおぼしき上着を羽織り、軽く身なりを整え、そっとドアを開け、周囲の様子を窺う。
廊下に人の気配はない。物音は環境雑音程度だ。どこかでエンジン音が響いているが、空の上なのか地上なのか判別はつかない。
ともあれ、第二次大戦の空軍基地らしい環境音が響く中、俺は廊下を歩いた。部屋で何もせずじっとしていても仕方ない。
角を曲がったところで大声が上がった。
視線を向けると医務室と書かれたプレートがぶら下がる部屋だ。開け放たれたドアの奧にカーテンが引かれ、そこから頭に包帯を巻いた金髪少女が飛び出してきた。少女は、
「黙って寝てられないわ、冗談じゃない!」
と声を張り上げ、それを白衣のドクターが必死に制止するのが見えた。
「起き上がれるような怪我じゃない。大人しく寝ていろ」
「これくらいの怪我、治癒魔法でケアできる。ただの医者は引っこんでなさい!」
ドクターの制止を振り切り、少女が医務室を出るのが見えた。
途端に視線が交差した。
金髪碧眼の美少女は俺をギロリと睨むや、荒々しく声を張り上げた。
「あなたね……私のドラゴンに手を出した泥棒猫は」
泥棒猫?
絶句した俺は、あらためて少女を見つめ返した。
頭に包帯を巻いたパジャマ姿の美少女が俺に厳しい視線を注いでいる。しなやかな肢体を白いパジャマに包み、碧色の瞳と肩までそろえられた金髪が美しい。
北欧系美少女を絵に描いたような姿に一瞬見惚れた。ここが現代なら普通にファッション雑誌のモデルが務まる容姿だ。こんな出会いがあるのなら、異世界転生も悪くない。
だが、次の瞬間、美少女はこちらの胸ぐらを掴み、怒鳴った。
「答えなさい、この泥棒猫!」




