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パンツァードラゴン  作者: 森圭一


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第七章──戦線復帰①

 翌朝は、起床を命じる放送前に目が醒めた。

 そっと靴を履き、放送開始と同時に扉を開け、洗面所に向かう。

 お蔭で早々に洗面と歯磨きを済ませられた。もっと上級の幹部になると洗面台すら個室に連なる場所にあり、混雑とは無縁なんだろうが少尉の階級ではこれでも上の部類だろう。


 それから個室に引き上げると、スピーカーが第一グループの朝食移動を命じるのが聞こえたので扉を開ける。

 食堂に入ると相変わらずごった返していた。素早く食器に惣菜、カップにスープを入れてもらい、パンを取り上げコーヒーカップにコーヒーを注ぎ、空いてる席に向かった。


 向かいつつ、黒田冴子の姿がないか周囲を探ったが彼女は居なかった。

 朝一番に食事を取るタイプとも思えないし、ここで朝食を取るとも……思えないかな。微かに苦笑を浮かべた俺の背に声がかけられた。

「おはようございます、彩夏さん」


 聴き慣れた声。振り向くとトレイを持ったクレア・クライン中尉が立っていた。

「おはよう、クレア」

 挨拶を返しつつ俺は席を見回し、一方に顎をしゃくった。

「そこが空いているから座ろうか」


「はい」

 俺たちは揃って一画に席を取った。

「あれからラニウスはどうなりました?」

 クレアの問いかけに俺は事実のみを報告した。


「昨日、試験飛行で融合したよ。すっかり元通りだ」

「よかった。これで彩夏さん共々、完全復活ですね」

「そうだな。問題はこれからどうなるかだよ」

「やはりデンマークに援軍として戻されるんでしょうか?」


「判らない。さすがに今日辺りシャール少佐から話があると思うけどな。クレアは何か聞いてないのか?」

 クレアは首を振った。

「私も与えられた任務をこなすだけですから」

「そうだよなあ。結局は上層部の意向次第だ」


「ふーん……上層部の意向次第か」

 後ろから響く声に俺はぎょっとして振り向いた。

 そこにはトレイを手にした黒田冴子が笑みを浮かべ立っていた。

「そこ、空いてるよね。座っていいかな?」


 返事の前に彼女はさっさと俺の隣に座り、トレイを置いた。思わず冴子を見るクレアに、冴子は自ら自己紹介した。

「あなたがクライン中尉ね。私は黒田冴子、そこに座っている彩夏の姉です」

「彩夏のお姉さん?」


「そう。最も彩夏の中身は上書きされているから、血のつながりはあるけど心の中は別人、鳥飼理人ね」

「上書きの件は聞いてます。お姉さんとしては、それで平気なんですか?」

「まあ、起きてしまったことはしかたがないわ。それよりは、今の彩夏と今後も繋がりが持てる方が遙かに重要よ」


「冷たいんですね」

「戦時下で、世界大戦になりつつある現状を思えば……」

 応じつつ冴子はコーヒーカップを取り上げ、中の液体を啜った。


「個人の感情は二の次です。このリンデベルンにしても、ゲルマニアと連合軍の戦いが激化すれば傭兵としての需要が一気に高まる」

 俺とクレアは思わず顔を見合わせた。そんな俺たちを見て冴子はふと表情を和らげた。


「まあ、リンデベルンの完全動員まで多少の有余はあるでしょう。ゲルマニアはデンマークを一日で攻略するつもりだったのに三週間もかかり、まだ手間取りそう。ノルウェー侵攻も手こずっている以上、ベルギーやフランスへの侵攻はまだ先でしょうからね」

「それは黒田家なり日本陸軍の判断とみてよろしいですか?」


 俺の問いかけに冴子はうなずいた。

「日本陸軍参謀本部はそう分析しているわ。デンマークとノルウェーが片付かない限り、オランダやベルギーの侵攻は起こりえない」

「原因はやはりドラゴンですかね?」


「他に何があると言うの? 仮にドラゴンがいなければ、三個歩兵師団の戦力しかないデンマークは開戦初日ゲルマニアに対し降伏していたはずよ」

「同じ事は、オランダ、ベルギーにも言えますよね」


「オランダとベルギーは自前のドラゴン部隊を有してないわ。リンデベルンに派兵要請もしてないとなれば、ゲルマニアの手で鎧袖一触でしょうね。まあ、あなたたちがデンマークで頑張ることは決して無駄じゃないとは思うけどね」

 その頑張りもあと数日で終わりを迎えることになるのだが……むろん黒田冴子には口にしない。


 開戦から一ヶ月持久した後、デンマークがゲルマニアに降伏するのはデンマーク首脳部とニールス、それに俺だけが知る最高機密だ。

「ともあれ、欧州の戦局にリンデベルンが果たす役割は無視できなくなったわ。ゲルマニアも本格的にドラゴンを投入してくるし、それに対抗するべく各国がリンデベルンに派兵を求めるパターンは確実に増える」


「ゲルマニアがリンデベルンに傭兵──ドラゴン派兵を求める展開はあり得ますか?」

「可能性としてはゼロじゃないけど、外貨不足と、ヒトラーの性格を考えると恐らくないわね」

 俺とクレアは思わず顔を見合わせた。クレアの顔にも疑問の表情が出ている。クレアが尋ね返した。

「外貨不足は判りますが、性格というのは……なぜです?」


「一般にはあまり知られてないけど、ヒトラーは傭兵が嫌いなのよ」

 俺は瞬き、応じた。

「その情報は、初耳です」

 精神転移前の世界でもそんな情報はなかった。完全な予想外だ。


 一瞬、黒田冴子は憐れむような笑みを浮かべた。乾いた声で切り出す。

「長いナイフの夜って、知ってる?」

 知っている。


 史実一九三四年六月末日から七月二日にかけ、ナチ党が主に突撃隊──私的軍事組織SAに対し行った粛清事件だ。

 SAの指導者エルンスト・レームはナチ党におけるナンバー2でありヒトラーとも友人であったが、主に軍部との関係性を改善するためヒトラーはレームたちの処刑を決めた。


 これによりヒトラーはドイツ軍に対する統率を手にし、以後軍とはある種の蜜月関係が形成されるに至ったのだが……俺は二〇年前から精神転移した設定なのだから返事は当然こうなる。

「知りません。何ですか、それ?」

「まあ、知らなくて当然か。クレアさんは知っているかな?」


「確か、ヒトラーが腹心の突撃隊隊長、レームを初めとする幹部たちを皆殺しにした事件ですよね」

「正解。ヒトラーが彼らを殺した理由は多岐にわたるけど、SA──党の私設軍であり一種の傭兵の突撃隊の規模が大きくなりすぎ、正規軍より遙かに巨大化したのが一因とされるのよ。その点をゲルマニア軍の幹部たちは不快に感じ、ヒトラーに条件を突きつけた。それがすなわち……」


「SAを支配するレームを初めとする幹部たちの粛清、抹殺というわけですか?」

「正解。だからヒトラーは、それ以来私設軍や傭兵が嫌いになったという説があるのよ。なにしろSA幹部を初め、自分に従わない邪魔者を五〇〇名も殺したんだから影響は甚大……でもそのお蔭でヒトラーはゲルマニア全土を完全に掌握したわけ」


「ヒトラーが傭兵嫌いというのは、リンデベルン傭兵軍に属する私には良い話ですね」

 クレアの声に黒田冴子は苦笑を返した。

「サミア人のあなたにはそうでしょうね」

「判ります? 私がサミア人ってこと」


「話に聞いているだけ。外見からはまったく判らないわ。普通にフランス人、ゲルマニア人と言われてもそのまま通るでしょう。ナチが語るサミア人の見分け方なんて、エセ科学に過ぎないわ」

「そうでしょうね。第三者の人からそう言って戴いて、安心しました」

 この点は俺の世界のドイツ軍でも実例が多々ある。


 例えばドイツの新聞ベルリン・ターゲスブラット紙に掲載された『理想のドイツ兵士』──「 Der Ideale deutsche Soldat」の写真の主、ヴェルナー・ゴールドバーグは、実はユダヤ人だった。

 彼の写真は後に国防軍の兵士募集ポスターや様々なプロパガンダに用いられた。理由は、外見からは純粋なドイツ人と全く見分けがつかなかったからだ。


 俺の想起を余所にクレアは微かにため息をつき、続けた。


「日本人のあなたに訊ねたいのですけど、ゲルマニアはどうしてサミア人を弾圧するのでしょう? 私たちから見れば、まったく訳がわからないのです。私の父は、第一次世界大戦でゲルマニアの召集に応じ、戦場で戦いました。ソンムとヴェルダンの激戦を生き延びたのです。なのに、命を賭けて祖国に忠誠を示したのに迫害されるのは理不尽です」

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