第六章──家族の肖像③
「私と彩夏の関係は、姉と弟ね。私は黒田家の長女で二四歳、兄弟姉妹は合わせて八名います。彩夏は七男でその下は妹が一人だから、末弟ね」
「あまり親しくはなかった?」
「そんな事はないわ。幼い頃の彩夏とはよく遊んであげたし、最後に会った時は一四歳になっていた。それから二年経ったから、今のあなたは一六歳ね」
「あなたは何歳なのです?」
「二四歳でドラゴンナイトになったと言えば後は判るでしょう」
「二四歳と一六歳の姉妹ですか」
「肉体的にはそんな感じね。黒田家について、リンデベルンから何か聞いてることはある?」
「日本でも有数の軍人家系だとか」
「その認識で正しい。私たち黒田家は、明治維新から七〇年間、日本国に対し優秀な軍人を供し続けて来た。国家もそんな黒田家の貢献を評価し、特に陸軍において黒田家の者を重用するようになったの」
「なるほど」
「私の方からも質問があるわ。鳥飼理人さん」
「どうぞ」
「今から二〇年前の世界から精神転移したと聞いているけど、あなたの年齢、名前に該当する者は日本に存在しない」
「調査済みというわけですか?」
「年齢を考えれば徴兵検査を受けているのが自然ですからね。名前で検索したら短時間で答えが出る問題です。これは、どう説明するのかしら?」
「説明はできます」
俺は数日前から考えていた話を切り出した。
「この世界では、サミア人と呼ばれる民族が存在しますね。このリンデベルンでもサミア人の亡命者に出会ったので実態は判っています」
「確かにいるわね。ゲルマニアはこの民族を迫害し、公民権を取り上げる等の弾圧を繰り返している。それが何か?」
「私のいた世界では、彼らはユダヤ人と呼ばれています。意味は判りますか?」
「つまり……」
黒田冴子は少し考えてから奇妙な笑みを浮かべつつ言った。
「ひょっとして……別の世界からこの世界に精神転移した、と?」
俺は微かにため息をついた。
その認識に瞬時に到達するとは、予想以上の切れ者だ。侮れない。
俺は調子を合わせた。
「一種の思考実験と思って聞いて下さい。並行世界、あるいは平行宇宙と言うのでしょうかね。この世界には、よく似た世界が複数存在し、平行して同時に存在している。例えば、俺がいた世界ではユダヤ人が弾圧され、この世界ではそれとよく似たサミア人が弾圧されている。俺は、ユダヤ人が存在する世界からサミア人がいるこの世界に精神転移した」
「それを立証できる?」
「俺の証言と記憶以外、何もありません。でも、戸籍抄本等の照合でも、鳥飼理人二七歳なる日本人は、この世界の日本に存在しないのも確かなのでしょう? だとしたら、俺の精神はいったいどこから来たのでしょう。この俺がこの世界の日本に実在するなら、二〇年前日本のどこかで昏睡状態になり、意識を失った鳥飼理人がいたはずです。しかし、そんな者は見あたらない」
「つまり、ユダヤ人が存在する並行世界から、サミア人がいるこの世界に精神転移したのがあなたということなのね」
「俺はそう考えています。この世界は、俺が元いた世界と比べて他にも異なる点が多い。ゲルマニアは、俺が元いた世界ではドイチュラント──ドイツと呼ばれていたし、ブリタニアはイギリスと呼ばれ、このリンデベルンにしても俺の世界ではスイスという国名でした」
「決定的な違いはなに?」
「それはもちろん、ドラゴンの存在です」
俺は操縦輪を握る手をほんのわずか強めた。
「戦車や戦闘機より強いドラゴンが宙を飛び、火焔を吐き、一二機のBf109が一瞬で全滅する。これほど大きな違いは存在しません」
「ドラゴンのない世界から、存在する世界へと精神転移……まあ、それ自体は他の転移者と条件は同じね」
「え? 転移者たちはドラゴンのない世界から転移して来たんですか?」
「ドラゴン出現が一七年前ですからね。ただし、実体召喚された者たちは魔道書と魔石を持ち、ドラゴンに乗り、それを操る資格を持っている」
「常人がドラゴンに乗るとどうなるんです?」
「何もできないわ。コクピットで操縦桿を握ってもドラゴンは全く反応しない」
「という事は、何もできませんね」
「そう。普通の人間は、ドラゴンの乗客、荷物になるしかない。ドラゴンの操縦にはドラゴンナイトの存在が必要なの」
「なるほど」
「あなたの違いは、やはり世界に対する認識そのものね。サミア人のいない世界とは、旧約聖書の世界から異なっている歴史を意味するわ」
「そういう例は……」
「私は知らない。国名の違いも、その国がたどった歴史が随所で違っていることだから……そうなると……」
「よく似た世界から、この世界に精神転移した存在が俺、ということです」
「一連の事情をリンデベルンは……」
「知りません。話が込み入りすぎるので、あくまで二〇年前の日本から精神転移した鳥飼理人こと黒田彩夏で通しています」
「それが賢明ね。他に、私に対し聞きたいことはある?」
「今の日本の歴史がどうなっているのか、レクチャーが必要です。このリンデベルンでは、日本史を扱った資料がほとんど存在しませんから」
「そうなると……あなたの世界では、日本とロシアが戦争をしたことがあるの?」
「日露戦争ならありましたよ」
「結果は?」
「海軍がバルチック艦隊を全滅させ、陸軍は旅順要塞と奉天会戦で勝利を重ね、辛うじて勝ちました。こちらの世界ではどうなったのです?」
「海軍はバルチック艦隊をある程度叩いたけど司令長官の東郷平八郎は戦艦三笠艦上で戦死して引き分け、陸軍はそちらの流れと同じね。それでもアメリカのセオドア・ルーズベルト大統領が講和会議を開いてくれたお蔭で、ロシアと停戦、講和に持って行けたわ」
「それならよかったですね。大きな流れとしてはこちらと同じですかね?」
「結果として、アメリカ合衆国の企業家、エドワード・ハリマンが提唱する南満洲鉄道の共同経営を受け入れざるを得なかったけどね。国内ではこれに反対する日比谷暴動も起きたけど、天皇陛下が不埒な暴動に大激怒して暴徒たちは残らず逮捕、刑務所送りにされたわ」
「その点は俺のいた世界と違ってますね。南満洲鉄道の共同経営は、外務大臣小村寿太郎の反対で破棄されてしまいました」
「あらあら……こっちの世界では、アメリカとの満鉄共同経営は大成功で歴史的英断とされているわ。それから数年後、日本はアメリカと日米相互安全保障条約を締結、日米は同盟関係になって帝国海軍は対米軍備構想を引っこめ、アメリカ海軍の補完戦力として太平洋の通商・自由航行に協力する立場になっているのよ」
「それは凄い……俺の世界では、帝国海軍は日露戦争後、対米軍備を推し進め、大軍拡に向け舵を切りましたよ」
俺はそこで言葉を切った。
その後に起きる対米開戦、緒戦の勝利とミッドウェー海戦後に続く惨敗に次ぐ大惨敗、アメリカの原爆投下等は、未来に属する事柄だ。
今の俺は、二〇年前の過去から精神転移してきた設定だ。それを忘れてはならない。
「そっちの世界の日本は、先行きが怪しそうね。ともあれ、日米は同盟関係にあるから太平洋方面は至って平和よ。満州鉄道の共同開発も順調で、潤沢なアメリカ資本を受けて開発地の拡大が続いているわ」
「ロシアとの関係はどうです?」
「日本と中立条約を結んでいるから表立った騒動は起きてないわ。満鉄を警備する日米同盟軍の存在も大きいから、向こうから手を出すような馬鹿な真似はしないでしょう。私が数日でここに来られたのも、ロシアルートでドラゴンを飛ばせられたからなのよ」
「日本は、大国アメリカのおこぼれを頂戴、平和裏に国を治めているわけですね」
「まあ、国の背景がそんな状態だから彩夏の奴は日本を飛び出し、リンデベルンで空軍傭兵なんて馬鹿な真似をやり出したとも言えるんだけどね」
「日本にいても戦争にならず、平和なままだから、欧州を目指した、ということですか?」
「そんなところね」
一瞬黒田冴子の表情に嘲りに近い色が浮かんだ。
「まあ『男の子』だから、戦いに憧れるのは理解するけど、一六歳で欧州に旅立つのはさすがにやり過ぎよ」
「黒田家としては、祝福の旅立ちではなかったと言うわけですか?」
「そもそも、一四歳で少年飛行兵に志願も批判の対象よ。その経歴では下士官あがりがせいぜいで、黒田家が定める家訓、最低でも少佐以上の幹部になる道にも反している。あらゆる意味で掟破りが、あなたに上書きされた黒田彩夏の実態よ」
「厳しいですね……他に何か、優しい言葉の一つでもかけては……」
「かけるつもりは、ない」
黒田冴子はきっぱりと言い切り、続けた。
「傭兵なんて職業は『狂戦士』がなるか、リンデベルンに関しては亡命した者がやむなく就く職業よ。まともな軍人が目指す道ではない」
「耳が痛いです」




