第六章──家族の肖像①
朝食を食べ終えた俺は、食器の類を食堂の洗い場に返し、そのまま踵を返そうとした。
が、視線がある一画で止まった。
食堂の一角に見知った顔を見つけたのだ。
一瞬、考えた。
行くべきか否か。
三秒後には歩き出していた。
途中でコーヒーポットとカップを取り、それを持って向かう。
向こうも気がついたらしい。二〇秒後には目の前に立ち、俺は声をかけていた。
「おはようございます、シャール少佐」
リンデベルン傭兵軍空軍少佐クリスティアン・シャールは鷹揚に応じた。
「おはよう、彩夏少尉」
「いらしていたのですか?」
コーヒーをすすりつつシャール少佐が応じる。
「今朝一番の便で戻って来たところさ。かけたまえ」
「ありがとうございます」
シャールの向かいに座りつつ、俺はコーヒーポットから自らのカップにコーヒーを注いだ。俺の手つきをじっと見つつ、シャール少佐が乾いた声で言った。
「視力は問題ないようだな、彩夏少尉」
「おかげさまで、昨日には回復しました」
「それは良かった。今日の予定はどうなっている?」
「何も決まっていません。なにしろ担当者がある意味不在ですから」
「不在?」
「クライン中尉が担当……というわけではないのでしょう?」
「…………」
「沈黙は肯定と捉えてよろしいですか、少佐?」
再びコーヒーをすすりつつ、シャールが応じる。
「何か、含むところがあるようだな、彩夏? クライン中尉では不満か?」
「いいえ。彼女は治療とその後のケアにあたり、最大限の努力を払ってくれました。なんの不満もなく、むしろ深く感謝したいほどです」
「では……」
「その彼女に、ピーターパンズの説明を委ねたのは、なぜです?」
「……なるほど。君が引っかかっているのは、その点か」
「ドラゴンナイトが抱える根本的な問題については、クライン中尉ではなく然るべき階級の者が説明するべきだったのではと考えます。違いますか、少佐?」
シャールは一気にコーヒーを飲み干し、ほっとため息をついた。
「筋論から言えば君の言っている事が正しい。反面、我々にその時間がなかったのもまた事実だ」
シャールはコーヒーポットを手に自らのカップに注ぎ、続けた。
「君は重症を負い、緊急魔法医術を受け、視力喪失寸前だった。どこに、ピーターパンズの説明をする余地がある? その間にも戦況は予断を許さず、傭兵軍は全力活動の最中だ」
「戦況はそれほど悪いのですか?」
「よくはないな。ラニウスの戦線離脱を知ったゲルマニアがフェン島基地を爆撃、こちらにも損害が出ている状況だ」
「ラニウスの修理……と言っていいのですか。治療と言うべきでしょうか。そちらはどうなっているのです?」
「昨日の報告では、上級治癒魔法師が治療に当たっている。本日中にはメドがつくはずだ」
「よかった」
俺は胸をなで下ろした。
ラニウスに乗ったのは一度きり、戦闘も一回だが命を託し、共に戦った存在だ。クレアから託されたドラゴンという意味も大きい。
安堵の俺を他所にシャール少佐は前置きもなく切り出した。
「彩夏、精神転移後の話を覚えているか?」
「話?」
「お前の方から申し出た話だ。彩夏の家族に連絡を取って欲しいと俺に伝えたよな?」
俺は思い出した。確かに、そんな事を頼んだ記憶がある。
「覚えています。この身体の家族に連絡を取って欲しい、という趣旨の話をしました」
「その話、通ったぞ」
「はぁ?」
「今日の午後、家族の一人がこの基地に来る。場所と時間を取ってやるから、話したいことがあれば話せばいい」
「日本から来たんですか? 俺がこの世界に精神転移して数日と経っていませんよ」
シベリア鉄道を使っても日本からこの辺までは二週間以上かかるはずだ。訳がわからない。
「その辺は本人から聞けばいいさ。ともあれ、黒田彩夏の実家は、とんでもない力を持っているとも言えるかもしれんな」
コーヒーを飲み干したシャール少佐は
「じゃあ、俺は朝の会議があるから先に行くぞ」
と立ち上がり、そのままスタスタ食堂を出て行った。
見送った俺もコーヒーを飲み、立ち上がった。
今日の午後、彩夏の家族が来る、というのは今日一番のサプライズだろう。部屋に戻ったら彩夏と話し合わないといけない。
食堂を出ると多くの隊員が課業開始に向け移動を始めていた。その様子を眺めた俺は個室に戻り、鍵をかけた。
歯を食いしばり彩夏を呼び出すのも疲れるので、小声で語りかける。
「彩夏、聞こえるか?」
(聞いてるよ)
「どうした、浮かない声だな。実家の人と会うのは久しぶりなんだろ?」
(問題は誰が来るかだよ。俺の予想が当たるなら、一番会いたくない奴が来るはずだ)
「会いたくないって?」
(俺にもいろいろあるんだ。そっちだって、家族や親類で会いたくない奴の一人や二人、いるだろ。それと同じさ)
「じゃあ、どうする? 会うのをやめるか?」
(うーん……お前の考えた『設定』との齟齬を考えないとな)
「設定?」
(そもそも『連絡を取ってくれ』とお前がシャール少佐に頼んだとき、俺の存在は『いない者』だったはずだ)
「あ……確かに」
そう。黒田彩夏という人格は、上書きされ消えてしまったと説明されていた。あの時の俺はそれを信じ、家族に連絡を取ってくれとシャール少佐に頼んだのだ。
(俺の家族と会った時、考えるべき第一の問題は、俺が上書きされず残っているかを明かすかどうかだ)
「お前はどうしたい?」
(……難しいな)
そう言ったきり、彩夏は口を閉じてしまった。俺もどうするべきか一通り考えた後、口を開く。
「やはり、人格が残っている事を言うべきじゃないのか?」
(お前はそう思うか)
「反対なのか? なぜ?」
(なぜ……と言われてもなあ。端的に言えば、話したくないんだよ。いっそ、俺がいなくなってしまった──死んでしまったと家族が考えた方が、俺としてはせいせいする)
「そうか……」
俺は心の中で思った。
彩夏と家族の間には何かがあるのだろう。
それは俺が介入して容易に収まるモノではなく、死んだと思ってくれた方がせいせいすると言うほどのレベルということだ。
これを短時間で翻意させるのは無理だろう。こじれた家族関係を簡単に修復できるのなら世の中苦労はない。
「わかった。家族には、お前は上書きされたと説明するよ」
(そうしてくれるとありがたい。当面の間、家族には俺は死んだものとして話を通してくれ)
「そうしよう。次の問題は何だろう?」
(それは……お前が未来から来た件をどうするかだと思う)
「そうだな」
これまでは、二〇年前の過去から来たという設定で成立してきた。それはデンマークやリンデベルンでは調べようがないからだ。
それが日本人相手ならどうなるか?
黒田家と政府サイドの繋がりを考えれば、俺の名前、鳥飼理人で検索をかけることで真実が明らかになる。つまり嘘がばれてしまう。
俺は考えつつゆっくりと応じた。
「誤魔化しようはあると思うんだ。この世界線の二〇年前じゃなく、微妙に違った世界の二〇年前から精神転移したんだ、と主張すれば、何とかなるかもしれない」
(世界線って何だ?)
「パラレル・ワールド、あるいは多元宇宙論という言葉を聞いたことがあるか? 俺たちが存在する宇宙は一つじゃなく、別世界の宇宙がたくさん存在しているという考えだ」
(それは、証明された考えなのか?)
「いや。証明された例は一つもない。ただし、それを否定する証拠もない。だから、そういう世界の二〇年前から精神転移して今こうして存在すると主張すれば、通るかもしれない」
(ユダヤ人が存在する世界から、よく似た存在としてサミア人が存在するこの世界に転移したのも、多元宇宙論から言えば説明できるわけか?)
「そういうこと。あとはこれを、未来からの転移か、過去からの転移に置き換えるかの違いに過ぎない」
(だとしたら、その辺の判断は理人に一任するよ。過去からの転移で家族を説得できるならそれで進めればいいし、無理だと思えば未来から転移して来たと本当の事を言えばいい)
「それでいいのか?」
(最大の懸念要素は、日本政府が未来からの転生者に対しどう対応するかだよ)
「その点に関しては、ゲルマニアをはじめとする各国と日本は同じ立場だ。未来のことが判る奴が目の前に現れたら、政府は絶対にそいつを確保、尋問する。やはり、過去からの精神転移の線で押しきるのが一番安全だろうな」
(了解した。となると……やはり、誰がやってくるかだなあ、俺にとっての難題は)
「そんなに折り合いが悪いのか?」
(会えば判るよ。今言える事はそれだけだ)
「そうか……」
俺は扉の鍵を開け、廊下に出た。




