第五章──リンデベルンへ⑥
(と、余韻にふけるのはいいとして……)
個室のベッドに横たわる俺を他所に、彩夏のブーイングが続いていた。
(ドラゴンナイトって、本当に高給取りなんだな)
「なんだい、気になっている点はそこか」
歯を食いしばるのも面倒くさいので、俺は小声で返した。
(あの金額を見たら、誰でもそう思うさ。最新の戦闘機が三機買えるだけの金額が振り込まれたんだぞ。日本中の子供たちにおはぎとうな丼とステーキを毎日食べさせても余裕綽々な金額が、たった数日でドラゴンナイトになった奴に振り込まれたんだ。さすがにこれは、何と言うか……)
「気持ちは判るけど、額が膨大すぎて実感が湧かないんだよな。宝くじで二億円当たったとかの方がまだリアリティがあるというか……」
(おまけにクライン中尉の事をクレアと名前呼びするわ、どこまで天然たらしなんだこの二七歳はと、心の中で歯がみしたよ。まさにエリート街道驀進中だよな)
「よせよ。本当のエリートは、戦闘機パイロットの資格を持つ彩夏だ」
沈黙。
「そこは肯定だろ。転生前、俺は自衛隊のパイロットたちを直に取材したんだ。戦闘機パイロットがエリート中のエリートなのは、よく判ってるよ」
(……その辺が、理人が大人なところなんだよなあ。俺はまだ餓鬼だから、口座残高を見てカッとなったり馬鹿らしくなったりと、反応がいちいち子どもだと自覚させられるよ)
「今の俺たちの懸案は、成長が停まったことだよ。ピーターパンズの設定は完全な想定外だ」
(……そうだな。これと比べたら、銀行口座の問題なんて)
「たいした話じゃない。これからずっと、一六歳の身体で時が流れるとしたら……」
(どうなると思う?)
俺は瞼を閉じた。
暗黒が訪れ、ため息が漏れ、吐き捨てるようにつぶやく。
「わからん。今言えるのは、この大戦を生き延びられるかどうか、ということだ。傭兵団の一員として任務に当たり、歳を取らない自分と向き合い、日々を生き抜く。それが俺たちにできるか否か、ということなんだ」
(俺たちにできると思うか、理人?)
「判らない。歳を取らずに過ごす、ということは経験外の事だ」
(クライン中尉のように、当面は歳を取らずにいられる、ラッキー……と考えられたら)
「いや。あの発言は、開き直った上で自分を無理矢理納得させるためのものさ。クレアは、そんな脳天気な娘じゃない」
(…………)
「今日はもう休もう。俺は、疲れた」
(俺もだ。お休み、理人)
「お休み、彩夏」
呟くように発した俺は、暗闇の底に落ちていった。
目覚めは一瞬だった。
自衛隊基地取材で何度も経験した全館放送による起床命令──ここでもデンマーク同様、クラシック音楽、ニールセンの交響曲『不滅』第四部がスピーカーから流れていた。
俺は起きるや、毛布を畳み、身繕いを急いだ。コップと歯磨きとタオルを持ち、廊下に出て洗面台に向かう。
見ると御同輩が群れをなしていた。
基地の朝は全世界、恐らくどこに言っても類似したものなんだろう。俺は手早く洗面台を使いつつ、昨日の事を考えた。
身体がもう成長しない。歳を取らない。
それを俺はなぜ恐れるのか?
手早く顔を洗い、歯ブラシを口に突っこみ、歯を磨く。
その間にも思考は続く。
ふと、ある本で読んだ記述を思い出した。
それは、死刑囚と無期懲役囚の違いについて触れた本だ。
書籍でその作者はこう記していた。
死刑囚は執行までの間、毎日凝縮した日々を過ごす。一日一日、死刑という最終ゴールラインに向け、毎日毎日、一歩一歩進んでいく。
無期懲役はこれと正反対。
永遠に続く今日という日々。
昨日と変わらぬ明日を過ごし、何時か訪れるであろう死の訪れをただひたすら待つ。永遠の自転。変わらぬ日々の連続。
歳を取らなくなるという事は、無期懲役に服するのに似ているかもしれない。
老いのない日々をただ生きていくだけの人生……。
俺が『嫌』なのは、それなのか?
いや。
それだけじゃない。
自分が一六歳だった頃を思い出せ。
そう。
あの時は、一日一日が充実していた。
高校時代、今日と違う明日が始まり、毎日を生きている実感があった。二〇歳を超える人たちは誰もが『大人』に見え、自分たちも大人に向かい歩んでいる実感があった。
そう。
俺はそれを知っている。
一六歳から二七歳までいろいろな経験をした。
いい事も、嫌な事もたくさんあった。
停滞なき日々。一歩一歩、時の流れを歩いて生きる実感があった。
唯一の例外は精神科に通院、投薬で過去にあった嫌な事を忘れようと強制シャットダウンを重ねた日々の二年間だ。
あれは完全な停滞だった。
スーパーの買い物すら何を買うべきか記憶が吹っ飛び、喪われた。病院とベッドの間を往復し、薬を飲み続ける日々は究極の停滞だった。
それと歳を取らない事を俺は無意識のうちに重ねていた。
自転する日常の中、歳を取らずに日々を過ごすことを忌むべきモノと感じたのだ。
その認識で正しいのか?
思い出せ。
昨日出会ったみつばち広間の女将、シュラバ・ツマーは、人生を暗く澱んだものとして捉えていたか。
否。
右も左も判らぬ俺の背中を押し、判らない事があればいつでも聞きに来いと声をかけてくれた。
クレア・クラインは?
淀みはあったと思う。
三〇年後もこのままならどうなるかという彼女の将来予測には淀みがあった。
でも、ドラゴンナイトの歴史はまだ一七年だ。
本当に不老のままなのか、それすら推測の範囲だ。
ノア・ニールセンはどうだろう?
彼女の感想も聞きたい。
シニカルな態度を崩さない彼女の予測と感想は当てになるだろう。
他のドラゴンナイトはどう思っているのか?
そうだ。俺には四〇名を超すリンドベルク傭兵団ドラゴンナイトの仲間がいる。
俺より経験豊富で、同じ問題に向き合う人々がいるのだ。彼らと話し合うことが肝要だ。俺独りが内面で葛藤を抱えどうなるというのだ?
歯を磨き、顔を洗い終えた俺は自室に戻った。
起きがけの時と比べ、気持ちはかなり楽になっていた。
俺は小声で彩夏を呼び出すと、頭の中で整理した感想を語った。
(……要約すると、考えすぎるな、仲間を頼れ、ドラゴンナイトの歴史はまだ一七年だ、ということだな、理人?)
「そういう事になるかな」
(やはり理人は大人だなあ……たったひと晩でもう思考を進めている)
「大人と言うより、挫折の時間があったのが大きいんだよ。二年間、薬を飲み続けて記憶と知識をごっそり失ったのが本当に大きい。あの空白と停滞への恐れが、歳を取らない事と重なり、無意識に恐怖したんだ。恐れの原因が判れば、対策は取れる。仲間もいる。自分独りで抱えこむ必要なんて、何一つないんだ」
(二年間、薬を飲み続け記憶を失ったって……いったい何があったんだ?)
「そうだな。一心同体の彩夏には、知る権利があるよな。実は……」
俺は小声で語り始めた。
教育実習生時代に起きた教え子の自殺、『モンスター』と化した軍事ライターの先輩から受けた熾烈なパワハラ、精神崩壊の日々……すべてを語った。
語り終えた後、彩夏の思考が頭の中で炸裂した。
(そのパワハラ親父を俺の前に連れてこい!)
その時、スピーカーが第一グループの朝食移動を命じるのが聞こえた。
俺は立ち上がった。とりあえず朝飯を食べてから今後のことを話し合おう。




