第一章──所属騒動①
目覚めたのは何分後だろう。
微かな囁きが交わされる中、そっと瞼を開く。
修道服を纏った若い女とペーターセンが囁き声で話しているのが見えた。素早く修道女が気がつき、声を発する。
「少佐、彼が目覚めました」
「そうか」
瞬く俺を他所にペーターセンと修道女が近づく。半身を起こした俺は訊ねた。
「俺、気絶したのか……時間はどれくらい?」
「三〇分と言ったところだ。まったく残念だよ」
「残念?」
「厄介毎を呼び寄せるのに充分な時間、ということさ」
言葉を合図のように扉の開く音がする。制服姿の軍人が姿を現した。
ペーターセンをにらみつけ、怒鳴る。
「それは私のことかね、ペーターセン少佐。私の部下を無断で使って、いったいどういうつもりだ!」
怒鳴った男は三〇代。身長は一八〇センチに届くか届かないか、青みがかった髪と浅黄色の瞳を持ち、痩せ型だが筋肉質の美形だ。
美形は続けた。
「彼──黒田彩夏は我々リンデベルン傭兵軍の隊員だ。所定任務以外の用途において隊員を勝手に用いる事は、重大な契約違反だぞ!」
舌打ちしたペーターセンは美形に対し口角の端を吊り上げた。
「随分早いお着きでしたね、クリスティアン・シャール少佐」
「首都に一報が入り、戦闘機を飛ばしてきたんだ」
「素晴らしい迅速さと即応性ですな」
ペーターセンを忌々しげに睨みつけたシャールは、彼から視線を外し、俺を見た。
「彩夏も彩夏だ。与えられた任務以外を勝手に受けては、統率がとれないだろう。なぜ彼に従ったのだ?」
その刹那、ペーターセンが得たりと笑みを浮かべ、割りこんだ。
「まさにその点が、問題の本質なのですよ、シャール少佐」
「なに? どういうことだ?」
瞬くシャールにペーターセンはポケットからタバコを取り出した。
「あなたが黒田彩夏と呼ぶ目の前の隊員には、これもどうやら日本人の名前らしいが、鳥飼理人……と本人が自称する者の人格が入っている。つまり……」
シャールがうめくように応じた。
「過去からの精神転移か……」
今度は俺が瞬く番だった。
今、何と言った?
過去からの精神転移、だと?
「ここからは、私が説明しますわ、シャール少佐」
眼鏡をかけた修道服の美女が立ち上がり、嫣然と微笑んだ。
「デンマーク空軍では、ドラゴンナイトの不足を補うべく、本日一〇〇〇より召喚の儀を執り行っていました。つまり……」
「実体/能力召喚を実施したわけか」
シャールの声に修道女は慇懃にうなずいた。
「その通りです。臨時のドラゴンナイト候補生を集め、格納庫の一角で儀式の途中、強力な召喚反応が現れ、周囲は青い光に包まれました。その時、一連の儀式を見学していた黒田彩夏が倒れ、彼にドラゴンナイトの反応が現れたのです。その後の尋問で、能力召喚ではなく別人が彼の身体に宿っている事が判明しました」
「能力召喚、実態召喚ではなく、過去の世界から精神だけが転移、彩夏の身体に乗り移ったということか……なんてことだ」
茫然とした声を出すシャール少佐の横で、俺もまた頭をバットで一撃されたような混乱を味わっていた。
これでも小説やアニメで異世界転生モノは幾つか見ている。異世界で神官たちが儀式を行い、光と共に現代人が異世界召喚するお約束の状況だ。
今回はその精神転移版──心だけ異世界転生し、黒田彩夏の身体に乗り移ったのが現状という事か。
だが、妙な単語も混じっている。
妙というより、不穏だ。
彼らは『過去からの精神転移』と言った。
ところが俺は二一世紀から、一九四〇年代とおぼしき世界に飛ばされた。どう考えても『未来からの精神転移』だろう。
それにもう一つ。召喚に複数の種類があるらしいが、説明がない。実体召喚、能力召喚っていったい何のことだ?
「すいません、みなさん」
俺は思わず声を発した。続ける。
「召喚って何を意味しているのです? 言ってる事がまるで判りません」
俺の質問に修道女は諦めたように肩をすくめた。
「ごめんなさい。説明が必要よね。実体召喚はドラゴンナイトの能力を持つ人間を召喚すること。能力召喚は、ドラゴンナイトの能力のみが降ってきて、こちらが用意した候補者の中に宿ること。最後の精神転移は、ドラゴンナイトの意志・精神と能力が誰かに宿ることよ」
何となくイメージが掴めた。
実体召喚はドラゴンナイトがこの場に現れること。
能力召喚は、候補者たちの身体に能力が降ってきて、彼らがドラゴンナイトになること。
最後の精神転移は、文字通りの精神転移だ。
「黒田彩夏、あなたのような過去からの精神転移体報告は、各国が公表しているだけで数十例あります」
「皆、どれくらいの昔からやってきたのです?」
「大半は一二~一七世紀前後からですね。あなたは訛りの少ない英語を話していますから、比較的近年から来たのだろうという事は判ります」
「今は、西暦何年なのです? さっきまでの戦闘は、いったいどんな背景があって起こったのですか?」
修道女と上官二人が顔を見合わせた。今度はシャール少佐が口を開く。
「黒田彩夏……の中に入っている君に答えよう。去年、西暦一九三九年から戦争が始まった。我々はこの戦いを『第二次欧州大戦』と呼んでいる」
「世界大戦ではないと?」
「アメリカ合衆国やアジア方面は静かだからね」
「どの国が戦争を始めたのです?」
「始まりは、ゲルマニア第三帝国によるポーランド侵攻からだ。これに対してブリタニア王国とフランスがゲルマニアに宣戦布告して第二次欧州大戦が始まった。我々がいるこのデンマーク王国にゲルマニアが攻めこんだのは今年、一九四〇年四月だ」
「地図を見せてくれませんか?」
「直ちにお持ちします」
眼鏡修道女が素早く部屋を出る。
その間に俺は周囲を見回し、自分が医務室のベッドに寝かされている事を悟った。上目遣いで二人の異人を見ると、そろって忌々しげな目つきで相手を見つめていた。
「その……ここはデンマーク王国ですよね。場所はどの辺です?」
こっちの質問にペーターセン少佐が頬を緩めた。
「その反応は、デンマークに関する一定の知識ありということだね。ここはフュン島と言う、ユトランド半島の東に位置する島だよ。面積は約三〇〇〇平方キロメートル。この地球でもかなり大きい島の一つだ」
三〇〇〇平方キロメートル……日本だと北海道の端にあるエトロフ島とだいたい同じくらいの大きさか。
「なるほど。デンマーク空軍の創設はいつです?」
「一九一七年一〇月。第一次世界大戦終結の直後だよ。ゲルマニアの敗戦で第二帝政が崩壊した後、今後デンマークもやはり空軍力が必要だと創設が決まった」
第一次世界大戦の終結が史実より一年以上速まっている……。
それに今、『プリタニア』『ゲルマニア』と言った。
言葉の流れ、語彙から類推するにどう考えてもブリタニア=イギリス、ゲルマニア=ドイツだ。それとデンマーク空軍の創設は、史実では第二次世界大戦、一九四五年以後のはず。それまでは陸軍航空隊が史実の流れた。
やはりこの世界の世界線は、俺が暮らしていた二一世紀のそれと近いけど、別物なのだ。
まあドラゴンなんて言う凶暴な生き物が空を飛んでる時点で言わずもがなの話なんだが……。
「お待たせしました」
扉の開く音と共に修道女が地図を持ってきた。新聞を開いた規模の地図をベッドの上に広げ、説明を続ける。
「これが、この世界、特に欧州を基本に描かれた地図です」
俺はそれを見た。各国の位置が判り、俺は小さく頬を緩めた。
ドイツ=ゲルマニアの推測は正しかったようだ。フランスはフランスか。イギリスは……ブリタニア連合王国だと? 大昔の流れをそのまま引きずっているようだ。グレート・ブリテン島の南部は「ブリトン人の土地」として、当時のローマ人から『ブリタニア』と呼ばれていた。その流れが今も変わらず続いているというのか。
ポーランドは史実のままか。その北にあるのは……ソ連じゃなくロシア連邦だと? ソ連=ロシアということか。
あとは……スイスの国名が変わっている。
リンデベルン王国……リンデベルン、シャール少佐が出した国名が確かリンデベルンだ。
つまりこの世界のヨーロッパは
・ドイツ → ゲルマニア
・イギリス → ブリタニア
・ソヴィエト→ ロシア連邦
・スイス → リンデベルン
主に四カ国の国名が変更されている。あとは史実に近い。
スイスがリンデベルンと呼ばれるようになった経緯は気になるが、それはこれからの調査次第だろう。聞き出すタイミングが重要だ。
黙って地図を見つめている俺の顔をそっと伺ったシャール少佐が口を開く。
「黒田彩夏……君は、リンデベルン王国傭兵軍に所属する隊員の一人。だから異変を知り、傭兵団指揮官の私がコペンハーゲンからここに駆けつけた。理解したかね?」
「概略は理解しました。ゲルマニアが戦争を始め、欧州各国が今やその嵐に巻きこまれつつある。その認識で正しいですね?」
「正しい。一九三九年九月一日、ゲルマニア第三帝国は、アドルフ・リッター・フォン・ヒトラー総統の命令に従い、ポーランド国境を越え攻撃を開始、第二次欧州大戦がスタートした。そして君は、我がリンデベルン傭兵軍の一人だ。理解したか?」
なに?
アドルフ・リッター・フォン・ヒトラーだと?
コーヒーを飲んでいたら吹き出しそうな設定変更だ。
史実のヒトラーはオーストリアに生まれた役人の息子に過ぎない。それがリッター……騎士爵の称号とフォン──人名では貴族につけられる前置詞がついているという事は、この世界のヒトラーは……。
そうか。
リッターが付くのは、爵位授与だ。
恐らく戦場で功績を上げ、リッター・フォン・ヒトラーになった。確か史実でも第一次大戦時、それで一代限りの貴族になった著名士官がいた。確か、ローベルト・リッター・フォン・グライムだったか。
俺は思わず思考を巡らせた。
この間、一、二秒とは言え傍から見たらどう見えるか。反応が癇に障ったのか、シャール少佐が語彙を強める。
「理解したかと聞いているのだ、黒田彩夏?」
視界の片隅でニヤリと笑ったペーターセン少佐が嫌みったらしい声で割りこんだ。
「まあ、彼もまだ混乱しているということだよ、シャール少佐。精神転移に加え、国際情勢まで一挙に理解させようとしたらそれはこうなる。それに最大のネックは、精神転移して別人になったという事だ。人格が根本から入れ替わったのであれは、それは別人になったということと同義。違うかね、シャール少佐?」
「いや。黒田彩夏は、我がリンデベルン王国傭兵軍のものだ。心が変わっても肉体は黒田本人そのものなのだから」
「つまり彼は黒田彩夏であり鳥飼莉史でもあると? 詭弁だな、少佐。その考えは……」
「詭弁とは何事だ! 言っていい事と悪い事があることを……」
少佐二人が剣呑な口調で言い争いをしている間、俺は修道女にそっと囁いた。
「俺の所属を巡り、二人が争うのはなぜなんです?」
修道女はそっと微笑み、眼鏡を外した。小声で俺の耳元に囁く。
「ドラゴンナイト──竜の乗り手はこの世界における極めて貴重な戦力です。ドラゴンの出現は一七年前、一九二三年のゲルマニアです。世界は一時大混乱に陥りました」
「ドラゴンの登場が一七年前?」
「そう。次いで、各国にドラゴンナイトの少年少女、青年が次々と現れました。一二~一七世紀に生きていた彼らを現代的に教育し直すのに若干の時間が必要でしたが、我々は成功した。次いで、召喚の方法が確立され、ドラゴンナイトの能力のみを候補生の身体に宿させる能力召喚が主流になりました」
「いったいどうやって?」
「ドラゴンナイトたちが所持していた魔道書と魔石が手がかりになりました。両者を解析し、魔道理論が短期間で打ち立てられ、能力召喚によって軍事体系そのものが抜本的に改められたのです」
「俺が該当する過去からの精神転移って、いったい何なんだ?」
「過去精神転移は、その名の通り、過去からの精神転移体がドラゴンナイトの力を授かり、現代に転移するものです」
「時代はいつからが多いんだ?」
「実体転移と同様、一二世紀から一七世紀が多いですね。ただし、数は実体転移と比べたら少ない。世界中合わせて数十例しかありません」
「そこの君、黒田彩夏と何を話しているんだ!」
不意にシャール少佐の大声が響いた。




