第五章──リンデベルンへ③
「これで、治療終了ですね」
「視野角や見え方におかしな点はないか、何もなく、以前と同じく見えているのなら治療完了です」
「よかった……きちんと見えていますよ、先生」
「よろしい。あとは会計になるけど、治療費請求が君の個人口座に届くから、清算をよろしく」
「治療費請求?」
訝しげな俺の声に女医は奇妙な笑みを浮かべつつ言った。
「その反応は……ここの経理システムについて、何も聞かされてないわね。後でクライン中尉から説明を受けなさい。傭兵団ってところは、正規軍と違っていろいろお金がかかる所なの。その分、稼ぎの方も正規軍より上だから充分ペイするけどね」
「はあ」
「というわけで、午前中は安静にして、外出は午後からになさい。クライン中尉は……」
「彩夏に傭兵団の作法を伝授、午後には会計処理を実施します」
「よろしい」
白衣の女医はカルテに乱暴なサインをすると万年筆を机上に置き、微かな笑みを浮かべた。
「今日は『みつばち広場』のランチメニューがお薦めって話だよ。そこでもいろいろ、ここの作法について聞くがいいさ。解散」
「クレア・クライン、黒田彩夏両名は病室に戻り、状況説明の任務に入ります」
敬礼と答礼が反復され、俺たちは追い出されるように治療室を後にした。
「ここからどうする?」
廊下を歩きつつ俺はクレアに訊ねた。
もう一度個室に戻るのも面倒だし、何よりあそこには医療用ベッドがあるだけだ。話し合いや説明を受ける場所として適切か疑問が残る。
意志は伝わったらしい。
クレアは曖昧な笑みを浮かべつつ、乾いた声で言った。
「外に出ましょうか。先生が言っていた『みつばち広場』は、今なら開いたばかりですから、空いています」
「それって食堂か何かなの?」
「昼は食堂、夜はお酒主体のお店で、ドラゴンナイトのたまり場なんです」
「守秘義務にまつわる話をしても大丈夫?」
「オーナーは元ドラゴンナイトですから、その辺は大丈夫ですよ」
「だからたまり場か」
「食事が美味しいのも評価が高いポイントです。同じお金を出すなら……」
「誰でも美味い店で食べたい。納得だね」
扉を開いた俺は目を瞬いた。
青空が心地良い。
季節はまだ四月だから少し寒いが、治療を終えた今は何とも清々しい気分だ。
肩を寄せ合い外に出た俺たちは衛門をくぐった。
身分証がどうこう、うるさいことを言わないのがいかにも傭兵団らしい。
外出の管理がどうなってるのか聴きそびれたまま、俺はクレアの案内するまま街へ入っていった。
リンデベルン王国ゼーレン基地を取り巻く周辺都市、ラグナウの街に一歩を踏み出したのだ。
「ラグナウの街の歴史は、ゼーレン基地ができた三〇年ほど前に遡ります」
石畳の路面を歩きつつ、クレアの声が響く。
「ゼーレンは、最初は陸軍基地でした。歩兵連隊の駐屯地で、配属隊員たちを当て込んだ酒場や食堂ができて、それからずっと基地と共に歩んできたいわゆる基地の街、それがラグナウです」
街の様子はクレアの解説にあるよう、質素なたたずまいだ。石造りの建物が続き、旧いヨーロッパの街並みを残している。
午前中にもかかわらず人の往来は多い。
「空軍基地になったのはいつからだい?」
「一九二〇年からですから、二〇年前ですね」
「けっこう歴史があるんだな。傭兵部隊の拠点になったのは……」
「七年前、一九三三年からです。そこからいきなり人口が増えて、傭兵相手に武具、魔道具を売る店や客商売が広がり、街も拡大しました。このメインストリートは……」
クレアは腕を軽く振って先を続けた。
「チューリッヒと比べてもひけを取りません」
「凄いね。で、『みつばち広場』とかいうお店はどこなの?」
「もうすぐです……と、ここですよ、ほら?」
クレアはメインストリートに通じる細路を指さし、呑気に言った。
「ほら、『みつばち広場』と書いてあるでしょ?」
石造りの二階建飲食店が指の先にあった。
入り口がバリアフリーになっているのが特徴で、店の奥行きはけっこう広く、数十名が来店しても収容できそうだ。
看板が……"Place des Abeilles"
ああ、フランス語か。
みつばち広間というより、みつばちが集まる場所、という感じの名前だな。
そういやリンデベルンの公用語は何だろう。これも後でクレアに訊ねるポイントの一つだ。
「入りましょう」
クレアの案内で俺は扉をくぐった。
カウンター席もあるが彼女は真っ直ぐテーブル席に向かう。
通路はバリアフリー化されていた。
後について行きつつ店内を見回すと、カウンター席では女性が接客中。
ちらりと見えた厨房では女の店員がフライパンを振っていた。
店内はやや薄暗く、確かにこれなら夕刻以後は酒場になるだろうと納得した。
テーブル席に着くと、その席は外光が射し比較的明るかった。
ウェイトレスに軽く挨拶したクレアは、腰を下ろした。俺もそれに続く。
メニューを示しつつ、クレアは俺に声をかけた。
「彩夏は何にします?」
「先生の話だと、ランチメニューがお薦めと言ってたよな。メニューにはどう書いてある?」
「ビーフシチューのセットですね。バケットとサラダに加え、食後にコーヒーもついていますし、価格もリーズナブルです」
「戦時下なのに豪勢なメニューだね」
戦争が始まっているのだから雑穀スープと代用コーヒーくらいしか出ないだろうと思っていた俺は思わず瞬いた。
当惑を看取ったのか、クレアの表情が和む。
「ここは基地の街ですから、食糧供給は他所と比べ潤沢なんです。オーナーが独自の供給ルートを持つのも大きいですね」
「じゃあ遠慮なくそれにする。君はサミア教徒なの? 食事の制限なんかは……」
クレアは悪戯っ子のような笑みを返した。
「私の家、厳密なサミア教徒じゃないんで、けっこう自由に食べられますよ」
「あ、そう。それは良いことで」
サミア教徒に限らず、宗教的理由から食事の内容に制限があるのは珍しい事ではない。
サミア=ユダヤ教では馬肉、兎肉、豚肉が禁忌とされ、甲殻類、海老や蟹の類も駄目なはずだ。
「さすがに豚肉は禁忌だけど、あとは『食べ物を粗末にしてはいけない』と、問題ありません」
「豚肉を食べるサミア人なんているのか?」
「一部じゃ、ホワイト・ステーキなんて隠語で呼ばれ、食べられていますね。厳格な信徒はお怒りですけど……それに……」
真顔になったクレアはさっと囁くように告げた。
「ゲルマニアのサミア人狩りから逃れるのに、豚肉は効果があるんです。彼らの前で豚肉を食べると、サミア人の疑いを晴らすことができるって……」
「食事にそんな使い方があるのか……大変だな」
「注文を終えたら、ここの作法の話をしましょう」
そう言って彼女は手を上げ、ウェイトレスを呼んだ。お薦めセットコーヒー付きが二つ注文された後、彼女は携帯する鞄から書類の類を幾つか取り出した。
「黒田彩夏さん、あなたに渡す書類、身分証、それに通帳があります。まずは一番大切なこれ」
彼女が最初に見せたのは、鎖付きのパスケースに入った身分証だった。
リンデベルン傭兵団空軍所属ドラゴンナイトである旨が記載され、俺の顔写真も貼られている。
「あなたはドラゴンナイトになったので、身分証が再発行となりました。続いて大切なのが、これ。預金通帳です。これもドラゴンナイト就任に伴い、再発行です。我々は傭兵ですから、敵戦闘機、敵戦車、敵ドラゴン等、敵戦力を倒す度に賞金が支払われます。支払いは口座振り込みです。それと小切手帳を渡します。手持ち現金がない場合、小切手の支払いもリンデベルン内では可能です」
俺の前に身分証、預金通帳、小切手帳が次々と積み上げられた。
俺は身分証をポケットに仕舞い、続いて預金通帳を見た。開いて金額を見ると……。
結構な額が振り込まれていた。
普通に人生を送っていたらとうてい見ない数字だ。
「これ……あまりに多すぎないか。何かの間違いだろ?」
「安心してください。戦闘機撃墜一二機、ドラゴン一頭撃墜の賞金に加え、ドラゴンナイト昇格に伴う支度金も含めてですから、これくらいの金額にはなります。それとこれが、整備ラボとの再契約書になります。ドラゴンナイトは、ドラゴンと戦闘機の二つを管理する義務があり、整備も基本的には整備委託費を払うので自腹です。弾薬代も自腹ですから、口座に結構な金額が入ってると思っていても油断できません。整備費も機体を壊し続けると残高が吹っ飛ぶので注意が必要です」
「整備ラボはどこにあるんだ?」
「昼食を終えたらラボを回りましょう。責任者を紹介します」
「戦闘機だけど、これも自腹?」
「最初の一機はリンデベルン側が提供しますが、二機目以後は自腹で、ドラゴン、戦闘機とも共通です」
「戦闘機はともかく、二頭目のドラゴンなんて持つ人がいるのか?」
「滅多にないですが、契約的には可能ですね。だから、戦闘機が買えるような大金がいきなり銀行口座に入っているんですよ」
なるほど。ある意味納得できる話だ。
ちなみにこの当時のレシプロ戦闘機の価格がどれほどかと言えば、アメリカのP40単葉戦闘機が確か一機につき四万五〇〇〇ドルくらいなはずだ。
日本だと零戦が一五万円。二一世紀の通貨価値に換算すると……企業物価指数換算で約六〇〇〇万円ほどになる。
文字通り、東京郊外に建売住宅が建てられるくらいの金額がこの時代の戦闘機にはかかるのだ。




