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パンツァードラゴン  作者: 森圭一


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第五章──リンデベルンへ②

「あら……クライン中尉じゃないの。どうしたの?」

 視線を向けると扉の向こうにクレア・クライン中尉が立っているのが見えた。

「その、デンマーク軍のニールセン少尉に彩夏少尉の事を頼まれまして……」

「そういう事なら、後は任せていいかな? 彩夏はクライン中尉の後について行きなさい」


 処置台から降りた俺はクライン中尉に頭を下げた。

「じゃあ、病棟への案内を頼む」

「喜んで」

 それから俺たちは処理室を出た。病棟への道はそれほど長くなく、しかも個室だった。


「この一〇七号室が彩夏の部屋です。それと……」

 クラインは感嘆の面持ちで続けた。

「あの治療を歯を食いしばってうめき声も立てないなんて、凄いですね。私にはとても無理です」

「まあそれは……君は、治療を受けた事があるの?」


「去年に一度……本当にきつくて、苦しくて、わんわん泣いて、死んじゃうかと思う痛みでした」

 去年?

 一九三九年に治療を受けた?

 違和感があった。


 もしかして……。

 俺はクラインの顔色を窺いつつ押えた口調で言った。

「もしかして、ゲルマニアとポーランドの戦争に派遣された傭兵って……」

「実は、私なんです」


 クレア・クラインは陰鬱な表情で先を続けた。

「本当はゲルマニアのためなんかに戦いたくなかった。けれど、リンデベルン傭兵団の一員になったからには、支援する国は選べないと命令で……」

「君がサミア人であることをゲルマニアは……」


「幸い、気付かれる事はありませんでした」

 俺はほっとため息をついた。

「まあ、サミア人って、人種じゃなく、文化的、宗教的、民族的集団だからね。外見で見分けがつけられるはずがない」


「私もそう思うんですけど、ゲルマニア人たちは、骨格で見分けがつく、肌の色や髪の色で判別が付くと言っていて、派遣中は本当に閉口しました」

 クライン中尉の髪の色は栗色、瞳も右に同じだ。

 肌の色は白。


 普通に西洋系の面立ちをしているし、ゲルマニアが主張するサミア人の定義がどんなものか……は、本人に尋ねるのも気が引けるので俺は話題を転じた。

「ナチの奴らも、真相を知ったらさぞ驚くだろうね。リンデベルンから派遣されたドラゴンナイトがまさかサミア人だったなんて」


「そう考えると、私も少しは気が晴れます。けれど、形ばかりとは言えサミア人の私がゲルマニア軍に協力したのは確かです。その意味で、リンデベルン傭兵団は優しい集団ではありません。いざとなれば、交戦国同士にそれぞれ傭兵団が派遣され、互いに戦火を交える局面もあり得ると理解しました」


「結局、きみはポーランド軍のドラゴンに火焔放射を浴び、戦線を離脱したわけか」

「緒戦の交戦で戦線から脱落、リンデベルン本国に戻りアンナ先生からあの治療を受けました。本当に、あまりの痛さに気が変になりそうでした」

「治療は、二日目がきついという先生の話は本当なの?」


 クライン中尉は一瞬言いよどみ、それでもどこか覚悟を決めた顔つきで口を開いた。

「本当です」

「初日と比べて、何割増しの痛みかな?」

 何割ではなく何倍だったらさすがにきついと思いつつ、質問を発した。


「二割、いえ、三割くらい増しの痛みだったと思います」

「そうか……三割か」

 だったら最初から歯を食いしばれば、彩夏と二等分されて何とかなるかな。

 心の中で安堵のため息を漏らしつつ、俺は続けた。


「いい情報をありがとう。お蔭で覚悟を決められたよ」

「明日は私も最初から立ち会います」

「いいのかい?」

「ノアからあなたの事を託されていますから。私からお願いします、立ち会わせてください」


「判った。治療の時は、手でも握っていてくれ。励みになる」

「はい」

 そう言って笑った彼女の笑みは、年相応の少女に相応しい朗らかな笑みだった。



 それから先の約一五時間は、出された夕食を平らげ、ひたすら眠った。

 数日分の疲労がドッと出て来た感じで、俺と彩夏は会話を交わすことなく眠りに落ちた。

 翌日。

 俺たちは朝一〇時、病棟に入り、アンナ女医の診察を受けた。


「……変化は予測の範囲内と……よし、二回目を始めるわよ。覚悟はいい?」

 診療台の上に乗った俺はうなずき、乾いた声で言った。

「はい」

 隣にはクレア・クライン中尉が立ち、俺の右掌を握っている。


 俺は彼女に視線を向け、調子を合わせた。

「痛いのは苦手なんだよ、俺」

「私もです」

「あら? それを言ったら私だってそうよ。では、始めます」


 アンナ女医──正確には上級治癒魔法師は快活に応じると、呪文を唱え始めた。

 俺は目をつむった。その方が痛みに耐えられる気がしたからだ。

 続いて歯を食いしばり、彩夏との通話回線をつなぐ。

『彩夏、始まったぞ』


(判っている)

『付き合わせてしまって、すまない』

(今さらだな。二人で分ければ痛みが半分になるんだ。だったら引き受けるだけさ)

『ありがとう』


 その瞬間、目も眩むような激痛が疾った。

 思わず食いしばった歯の間からうめき声が漏れる。

「あぅあ~……!」

 最初の一波が収まったと思いや、感覚的には五割増しの奴が来た。


 瞼の裏に怪しい閃光が走り、眼球を文字通り切り裂き、かき回し、グチャグチャにする痛みが押し寄せ、脳内を蹂躙した。

「おおうっ……!」

 右掌の感覚が強まった。


 クライン中尉が掌を強く握っていた。握りしめていた。その感覚に意識が引張られると同時に、激痛がほんの僅かだが軽くなった。

 そこに第三波の痛みがやってきた。


 それは眼球と脳内に生じた小型のハリケーンだった。極大低気圧が眼球全ての痛覚器官に暴風を浴びせ、意識の底からあらゆる痛覚を引き剥がし、叩きつける。

 頭の中で文字通り火花が飛んだ。

 あまりの激痛に俺はもはやうめくこともかなわず、ただ耐えているだけだった。


 これで半分の痛みだと……冗談じゃない……。

 心の中でクレア・クラインに対する畏敬の念があふれ出る。

 俺たちは痛覚の半分……彼女は独りで耐え抜いた。どちらが立派で勇敢かと言えば、もちろん彼女だ。

 二七歳軍事ライターの決意や覚悟より、彼女の方が何倍も修羅場を潜っている。


 思わず彼女の手を強く握り返していた。

 一瞬、その掌が震えると同時に異なる音声が……クレア・クラインの心の声が入ってきた。

『判ります、判ります、判ります、でも、耐えて! もう少しで、あとひと息で治療は終わります。耐えて、彩夏!』


 一瞬、鳥飼理人としての自我が心の中でショートした。

 彼女には、俺はあくまで黒田彩夏に見え、俺もそれでよしとそう振る舞っている。

 結局、俺の立場はこの身体を借りる間借り人に過ぎないのではないか。


(馬鹿な事言ってるんじゃない、理人!)

 途端に彩夏の怒鳴り声が響いた。

(今や俺たちは、二人で一人! 間借り人じゃない!)

 罵声を合図のように痛みが引いていく。


 脳内をかき回すハリケーンが暴風に転じ、穏やかな風に変わるまで数秒もなかった。

 痛みが……あれほど圧倒的に頭の中をかき回していた痛みが文字通り台風一過の青空のように引いていった。

 俺は食いしばった歯を緩め、大きなため息をついた。クレア・クラインの声も彩夏の声も聞こえない。


「治療終了。よく耐えたわね、彩夏」

 アンナ女医の声が響く中、俺は瞼を開いた。

 文字通りおっかなびっくり、小心者に相応しい微かな震えと共に瞼を開くと……アンナ女医と、ほっとした顔つきをしたクライン中尉の笑顔が視野一杯に広がった。


「凄いです、彩夏さん。立派に耐えましたね」

 クレアの声が響く中、俺は苦笑を返した。

 いや。俺たちより、独りで耐えた君の方がよほど凄いんだ。


「ありがとう。なんとか乗り切れたよ」

 俺はクレアに礼を言うと、あらためてアンナ女医を見上げた。


続きは来年一月五日に公開の予定です。

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